児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

中原中也詩画曲集



中也は雪が好きでした。雪が地上のあらゆる醜いものを隠してくれるばかりか、自分の汚れた心まで隠してくれるように思えたからでしょう。代表曲「汚れっちまった悲しみに…」をはじめ多くの詩に登場します。この詩には、自身の履歴を、雪の降りかたに結びつけというユニークな発想、鮮明なイメージがあふれた佳作です。

「生い立ちの歌1」では、「私の上に降る雪」は、幼児期には真綿のようにやさしくあたたかく降り(両親の深い愛情に包まれている)、少年時にはよりきびしい霙(みぞれ)のように降ります(父や家族と対立し、家への反発を強める)。そして、17~19歳では霰(あられ)、20~22歳では雹(ひょう)、23歳では吹雪(ふぶき)のように激しく降って痛めつけられたと表現したのに対し、24歳になると、「いとしめやかに」(心の平安が訪れた)と老成したかのような表現に変わります。

この詩にある年齢は数え年なので、17~23歳という時代は、郷里の中学を落第して京都へ転校、やがて長谷川泰子と同棲、上京、泰子が去って小林の許へ、また泰子から逃れて小林が奈良に去り、ふたたび泰子への愛を求めるものの思うようにいかない日々、その間に親友富永太郎や父謙助の死というように、いうなれば中也にとって疾風怒濤の時代でした。

このあたりのことを、中村稔は『中也のうた』に次のように記しています。「24歳で青春の波乱が終った、とは確かに奇異なことにちがいないのだが、いわば中也の30年の生涯は、通常人の一生をその半分で駆けぬけていったかの如きもので、それだけ青春の苦悩も充実も年若くしてはじまっていたわけである」……と。

「生い立ちの歌 2」は、24歳以降の雪の降るようすで、1連では「花びらのように」、2連では「いとなよびかになつかしく」、3連では「熱い額に落ちもくる 涙のよう」、5連では「いと貞潔に」なのに対し、4連だけは「中也の雪に対する感謝の気持ちが表現され、『神様に長生きしたいと祈りました』」となっています。このあたりの、メロディの違いに注目していただければ幸いです。



ある日曜日の朝は雨でした。窓辺に立つ私は、緑あざやかな菖蒲の葉に映えた雨に打たれている光景をじっと眺めています。そこに、泰子と思われるうるんだ瞳の面長の女性が、雨の中に現れては消えていきました。現れては消えていくと私の心は憂いに沈み、雨はしとしとと畑の上に落ちています。


そして、これに続く第3・4連への場面転換には絶妙なものがあります。

お太鼓たたいて笛吹いて……。文也とおぼしき子どもたちなのでしょう。詩人の幼いころの姿とも重なります。流麗感のある七五調、色彩豊かなイメージの抒情詩は、お見事の一言につきます。

この詩は、昭和11年(1936年・中也29歳)4月と推定されています。この時、長男文也は1歳半で、眼に入れても痛くはない可愛い盛りでした。初出は、同年『文学界』6月号で、翌月7月号に発表された第6回「文学界賞」の選外2席となっています。この時の受賞作は、岡本かの子の小説「鶴は病みき」でした。中也の悔しさが目にみえるようです。



中也の死後に発表された詩集『在りし日の歌』の4番目に登場するこの詩は、多くの読者に人気のある詩の一つです。1928年(昭和3年

中也21歳)に作り、昭和10年に帝大(今の東大)新聞に掲載されたのが初出とされています。透明な童謡のような七五調の詩で、当時の中也の作品の多くが深い嘆息や哀しみに満ちていたのに対し、ここには叙景詩として早春の風のように、平穏な情趣にあふれ、痛烈な嘆きや悶えをつきぬけた後の詩境といえそうです。

「少女のあごと思えるような早春の山野の樹木は、まだ新芽もふくらんでおらず、枯れ枝ばかりでとげとげしく立っている。そこへ光まぶしい金の風が吹き、強い風は銀の鈴を鳴らす」といった内容ですが、金の風・銀の鈴・女王の冠さながらに・鳶色の土かおるれば・青き女(おみな)の顎(あぎと)かと、といった言葉や表現が、詩に華やかさを与えるところに、人気の秘密があるのでしょう。

糸久氏の、これまたうきうきするような魅力あふれるイラストにもご注目ください。



この詩も、七七調を基準にした言葉のリズムと簡明な抒情に人気があります。

中也は、波打ち際に打ち捨てられてボタンを、誰の役に立つわけでもないが、捨てるには忍びないと、自身と同じ姿を見たのでしょう。

初出は『新女苑』の昭和12年2月号なので、亡くなるわずか8か月前のことでした。小林秀雄に託した『在りし日の歌』の最後にある「永訣の秋」に、「一つのメルヘン」「月の光」などとともに追悼詩として配置したようです。



七五調のリズムに乗って、中也の「春の宵への思い」が明快に語られる詩ですが、春の訪れに浮かれているようでありながら、その奥に苦い悔恨と苦渋が隠されているのは多くの作品にもみられる通りです。

この詩にはとくに、青春の波乱を経てきた中也の諦観と、諦観を超えた人生との和解がこめられているといえそうです。初出は、中也が亡くなるわずか数か月前に、小林秀雄が編集の中心となっていた『文学界』昭和11年7月号に発表されたもので、小林が託された『在りし日の歌』(56篇)のうちの、40番目に置かれています。

↑このページのトップヘ