児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

おもしろ落語

「おもしろ古典落語」の103回目は、『しの字(じ)ぎらい』というお笑いの一席をお楽しみください。

「権助や」「へぇ、なにかご用ですか?」「用というわけじゃないが、いまは正月だ。正月になにか縁起が悪いことがあると、一年中いやなことがあっちゃいけねぇ。そこで、おまえにいいわたすが、正月いっぱい[し]という字を封じることにする」「[し]っていうのはそんなに縁起が悪いかね?」「悪いな。第一、死ぬとある。死ぬほど人間にとって悪いことはない。しくじる、しばられる、身代限りをする、[し]というのはろくなものはない」「あははは、物は考えようだでな。おらが故郷(くに)にいたころ、物知りのご隠居にきいたことがあるんだが、善も悪もおのれの心でどうにでもとれるということだ。[し]の字は、使いようによっちゃ、死なぬ、しくじらぬ、しばられぬ、身代限りをしねぇなんていえば、かえってよくなるでねぇか。しかし、おめぇさまが気になるっていうなら、なにごともご主人さまのためだ、なるたけ使わないようにしますだ」

「なるたけじゃなく、決していってはならない。もし[し]といえば、ひと月分、2ついえば2月分の給金をさしひくから、そのつもりで気をつけて口を聞くように」「するてぇと、12いえば、1年間無給かね。どうもよくねぇしゃれだ」「しゃれではない。わたしの家の家風だ」「そんな家風があるなんてなぜ奉公にきたとき、いいわたしてくれねぇだたか? まあ、ようがす。おれもこういう強情な人間だから、いわねぇと決めたらいわねぇ。けれど、おまえさん、人にばかり封じて自分がいっちゃぁ、だめだべ」「わしは、いわない。もしも、わしがいったら、なんでもおまえの望みをかなえてやろう」「そうと決まれば安心だ。おらぁ、いわないが、少し言葉がぞんざいになるかもしれねぇが、しかたねぇ」「そう、のべつ[し]をいっちゃいけねぇ」「だって、まだ決めねぇうちはよかんべぇ」「じゃ、いいかい、手を二つ打つから、はじめるよ(ポンポン)」

(なんともへそ曲がりな奴だな。…ああ、いま水を汲んでるようだな、『権助、水を汲んだか』といやぁ、いつものように『汲んでしまいました』というに違いない。これをだしぬけにやるに限る) 「おい、権助や、水を汲んだか?」「へぇ、水は汲んで……あああぶねぇ、汲んで終わった」(なかなか、用心しているな。……いいことがある。本家の嫁のうわさをよくしていて、あの嫁はどこもかしこもよいが、尻が大きいと近所の評判だっていってるから、これをいわせてやろう) 「権助、ちょっと、こっちへおいで」「へぇ、いま、だれもいないからおまえに聞くが、こんどきた本家の嫁のうわさを近所でするものがいるだろ?」「うん、近所の若ぇもんが…」「うん、なんというな」「本家の嫁ごは、きりょもええ、ものもよくできる、ええおなごだが…それっ、けつがでけぇ」「これっ、けつとはなんだ。あっちへいけ」

なんとか権助を困らせようと、今度は、四(し)貫四百(しひゃく)四十四(しじゅうし)文の銭(ぜに)を並べて勘定させれば、たくさんの「し」や、さし(銭をつなぐ細い縄の名)をいわないわけにはいかないと、たくらみます。

敵もさるもの。銭をまとめる縄をなんというと聞けば、「おめえさま、教えてくんなせぇ」と聞きかえすし、四貫四百四十四のところにくると、ニヤリと笑い「三貫に一貫 三百に百 二十二に二十二文だ」「そんな勘定があるか。ちゃんといえ」「よん貫よん百よん十文」「この野郎、しぶとい野郎だ」

「ほーらいった。この銭はおらのもんだ」

 

「1月25日にあった主なできごと」

1212年 法然死去…平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で、南無阿弥陀仏をとなえれば、人間はだれでも来世で極楽浄土に生まれかわることができると説く「浄土宗」を開いた法然が亡くなりました。

1858年 御木本幸吉誕生…「真珠王」と呼ばれ、真珠の養殖とそのブランド化に成功した御木本幸吉が生まれました。

「おもしろ古典落語」の102回目は、『藪入(やぶい)り』というお笑いの一席をお楽しみください。

昔、世の中がまずしかったころ、男の子は小学校を終えると、たいていは奉公に出されました。商店の小僧として住みこむのが常で、休日は、「藪入り」という正月とお盆の16日、年に2回というのが普通でした。それも奉公に出て、3年間くらいは里心がつくというので、自分の近所へのお使いでも、他の小僧をやるようにされたので、親子は、やっと3年目にして口が聞けるという、そんな時代のお話です。

「藪入りや 何にも言わず 泣き笑い」なんて川柳にあるくらい、3年目の藪入りの日には、男親は朝からソワソワしています。いえ、前の晩からです。「なぁ、おっかぁよ」「なんだい?」「金坊のやつ、よくがまんしたなぁ」「ほんとうだね」「奉公はつらいといって、逃げ出してこないかといい心配をしてたが、やぱりおれの子だなぁ」「おまえさんは、いいことがあるとおれの子だ、おれの子だっていうけど、悪いことがあると、おまえが悪いって、あたしばかりに小言をいうじゃないか」「だけど、強情なとこは、おれに似てらぁ。そんなことより、明日きたら、温たけぇ飯を炊いてやんなよ」「わかってるよ、冷や飯なんか食べさせっこないから、安心をし」「野郎、納豆が好きだから、買っといてやんなよ」「あいよ」。しじみ汁に、海苔を焼いて、卵を炒(い)って、しる粉を食わしてやりたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混ぜて、天ぷらもいいがその場で食べないと旨くないし、寿司にも連れて行きたい。 ほうらい豆にカステラも買ってやれ。用意するものが、次つぎにでてきます。「うるさいんだから、もう寝なさいよ」「で、今何時だ」「3時半ですよ」「昨日は今頃夜が明けたよな」「おふざけじゃないよ、もう寝なさいよ」

「ひと晩くらい寝なくたっていいやな。朝きたら、湯に連れてってやろう。それから奉公先を世話してくれた本所の吉兵衛さんのとこへ顔を出させよう。浅草の観音さまへお参りして、品川の海を見せて、川崎の大師さんに寄って、横浜の野毛、伊勢佐木町の通りを見て、横須賀に行って、江ノ島、鎌倉もいいな。そこまで行ったら、静岡、豊橋、名古屋のしゃちほこ見せて、伊勢の大神宮にもお参りしたい。そこから讃岐の金比羅さまから、安芸の宮島へ出て、九州…か」「ちょいとおまえさん、一日しかないんだよ。そんなに歩けるわけないだろ」「歩けなくたって、そうしたいって話だぁ。まだ夜が明けないのか?」「まだ、4時半だよ」「4時半、しめた。そんならもう夜は明けらぁ」というが早いか、家の回りを掃除しはじめました。普段はそんなことしたことがないので、近所の早起きの人が声をかけても上の空です。

「こんにちは、ご無沙汰いたしました。めっきりお寒くなりましたが、ご機嫌よろしゅうございます。おとっつぁんも、おっかさんも、別にお変わりもなく、何よりでございます」と、ていねいな挨拶をして息子の金ちゃんが帰ってきました。「ちょっと、おまえさん、なんとかいっておやりよ」「待ってくれ、へぇへぇ、どうも。本日はまた……ご遠方のところ、わざわざおいでいただきまして、ありがとうござんす…おい、おっかぁ、そばにいろよ」「なにいってるんだよ、おまえさんの前にいるじゃないか」「見てぇけど、目が開けねぇんだ。後から後から涙が出て、それに水っぱなも出てきやがった。あっ、動いている。よく来たなぁ。おっかぁは、ゆんべ夜っぴて寝てないんだよ」「それはお前さんだろ」……。

落ち着いたところで、金ちゃんはお湯に出かけました。「おっかぁ、立派になったな金坊。手ついて挨拶も出来るし、『別にお変わりもございませんか』ときやがったぜ。てぇしたもんだ。着物も帯も履き物だって、年季野郎のもんじゃないぜ。きっと、奥さまに可愛がられてるんだろうな……、おい、なにしてるんだ? 子どもの紙入れなんぞ、開けてみるなよ」「だって土産を買っちまって、小遣いがなくなっちまったんじゃないかと思って……あらあら、大変だ。紙入れの中に、5円札が3枚もあるよ。…初めての宿下がりで、あれだけ土産を買ったのに、まだ15円もあるのは、多すぎないかい、なにか悪い了見でも……」「そういわれてみれば少し多いな。まさか、ご主人の金でも、ちくしょう、親の気も知らねぇで、帰ってきやがったら、野郎っ! どやしつけてやる」

そこに金ちゃんが湯から気持ちよさそうに帰ってきました。「そこに座れ。おれは卑しいことはこれっぽっちもしたことはねぇぞ。それなのに、この15円はなんだ」「わたしの紙入れを見たんですか? これだから貧乏人のすることは、野卑でいやになっちゃう」「なんだ、このやろう」とポカリとなぐりました。「おまえさん、ちょいとお待ちよ。金坊、さぞびっくりしただろうね。おとっつぁんは気が短いから、口より手が早いんだから。あのお金、どうしたんだか、おっかさんに話しておくれ。あんまり多いから、あたしが心配して、おとっつぁに聞いてもらったんだよ」

「盗んだもんじゃありません。去年ペストが出ましたときに、ネズミ捕りの懸賞付きのお布令がでましたので、店の土蔵に出たネズミを捕まえちゃあ、交番へ持っていくと、わずかですが、銭が貰えました。それから、そのうちの1ぴきがネズミの懸賞に当たって15円もらったのをご主人に差し出すと、子どもがこんな大金を持っているのはためにならないと、ご主人が預かってくれていました。今日宿下がりに店を出るとき、そのお金を持って帰って親たちを喜ばせてやれと、持たせてくれたものなのです」「まぁ、そうかい、わけも聞かずにぶったりして、かんにんしておくれ」「おっかぁが変なこというものだから、おれだって妙な気になるじゃないか。ネズミの懸賞に当たったのか、うまくやりゃがったなぁ、許しておくれよ。これからもご主人を大事にしなよ。

それもこれも、チュー(忠)のおかげだから」


「1月18日にあった主なできごと」

1467年 応仁の乱…室町幕府の執権を交代で行なっていた斯波、細川と並ぶ三管領の一つである畠山家では、政長と義就(よしなり)のふたりが跡目争いをしていました。この日、義就の軍が政長の軍を襲い、京の町を灰にした11年にも及ぶ「応仁の乱」のキッカケとなりました。将軍足利義政の弟義視と、子の義尚の相続争い、幕府の実権を握ろうとする細川勝元と山名宗全、それぞれを支援する全国の守護大名が入り乱れる内乱となっていきました。

1657年 明暦の大火…この日の大火事で、江戸城の天守閣をはじめ江戸市街の6割以上が焼け、10万8千人が焼死しました。本郷にある寺で振袖供養の最中に、振袖を火の中に投げこんだ瞬間におきた突風で火が広がったことから「振袖火事」ともいわれています。

1689年 モンテスキュー誕生…『法の精神』を著したフランスの法学者・啓蒙思想家で、司法・行政・立法という政治の三権分立をとなえ、アメリカ憲法や「フランス革命」に大きな影響を与えたモンテスキューが生まれました。

1919年 パリ(ベルサイユ)講和会議…第1次世界大戦後の講和会議が、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本の5か国が参加してパリで開催されました。講和条約の調印式がベルサイユ宮殿で行われたことから、ベルサイユ会議とも呼ばれています。この条約により国際連盟が成立することになりました。また莫大な賠償金を強いられたドイツは経済破綻をおこし、ナチス党がおこるきっかけとなりました。

「おもしろ古典落語」の101回目は、『かつぎ屋(や)』というお笑いの一席をお楽しみください。

呉服屋の旦那は、度をこした縁起かつぎ屋です。目をさませば寝て見た夢を気に病み、朝茶に茶柱が立てばきげんを直し、歩きだして下駄の鼻緒が切れれば、そのまま外出をとりやめるほど。「凶は吉に返ると申します」と番頭にいわれれば、思い直して出かけますが、道でカラスが鳴いたのを聞くと、真っ青になるという具合です。

「旦那さま、お年賀の品をお持ちしました」「やぁ、ごくろうさま。こっちへもってきておくれ。わたしが帳面につけますから、長吉や、ひとりひとり読みあげなさい」「へぇ、では、伊勢屋の久兵衛さん」「伊勢久さんか、あいかわらず早いな…あとは?」「美濃屋の善兵衛さん」「おいおい、そんな長ったらしくいっちゃいけないよ、商人(あきんど)というのは、帳面は早くつけないといけないから、伊勢屋の久兵衛さんは伊勢久さん、美濃屋の善兵衛さんは美濃善さんというようにいいなさい」「へぃ、わかりました。ではアブクと願います」「アブクだと? だれだい、それは?」「油屋の九兵衛さんで、略してアブク」「そんなのは普通に読みなさい。つぎは…」「あとはテンカン」「天満屋の勘兵衛さんで、略して天勘」「なるほど、つぎは」「シブトでございます」「おい、いいかげんにしろ、そりゃだれだ」「渋屋の藤吉さんですから、シブト」「どうも困ったもんだ。もういい、あっちへ行っておくれ」

「えー、旦那さま、あたしが代わって読みあげます」「ああ、番頭さん、そうしておくれ」「では、まず鶴亀とねがいます」「おいおい、あたしが気にするからといって、つくりごとはいけませんよ」「いえ、この通り鶴屋の亀吉さん、鶴亀です」「うれしいね、あっはっはっ、おまえさんのおかげで気分が晴れてきましたよ。あとは」「ことぶきで……」「ことぶき?」「はい、琴平屋の武吉さんで、ことぶきです」「鶴亀のあとが寿なんぞは、じつに縁起がいい、胸がすーっとしました。きょうのところは、これでやめときましょう」

むかしは、元旦と二日の宵に、七福神の乗っている宝船の一枚刷りの絵を売り歩く習慣がありました。二日の夜見る夢を「初夢」といいまして、この絵を枕の下に敷いてよい夢をみようということで、「お宝、お宝」と売って歩く船屋という商売がありました。

「おい、番頭さんや、船屋がきたようだから呼んでおくれ」「旦那さま、呼んでまいりました」「おい、船屋さん、船は1枚いくらだい?」「これは、旦那さまで。へい、四(し)文でございます」「四文はいけないな。わたしは四の字はきらいだ、死ぬ、しくじるなどといってな、なんとかいいようはないか。十枚ではいくらだ」「四十(しじゅう)文で」「百枚では」「四百(しひゃく)文」「どこまでやってもだめだな。縁起が悪いから、こんどということにしよう」。ことわられた船屋は「近いうちに、こちらの軒先を借りて首をくくるからそう思え」と、悪態をついていきます。

「まぁ、旦那さま、お気になさいますな。わたしが縁起直しに、いい船屋をさがしてまいりますから」と、一人の船屋を連れてきました。「船屋さん、宝船は1枚いくらだい?」「へぇ、四(よ)文でございます」「よもんはいいね。どのくらいある?」「旦那さまの寿命ほどございます」「えっ、わたしの寿命?」「さぁ、千枚ほどもございましょうか」「そうかい、寿命をよそで売られちゃ困るから、すっかり買いましょう。総じまいになりゃ、用もないだろうから、こっちへ来て一杯おやり」「へぇ、ありがとうぞんじます」

いろいろ聞いていくうち、住まいが長者町、名は鶴吉、子どもの名は松次郎にお竹と、うって変わって縁起がいいので、旦那は大喜びです。「へぇ、どうもごちそうさまで、もうだいぶいただきまして、身体がこう、ひとりでに揺れているところは、宝船にのっているようでございます。「宝船にのっているってのは、うれしいじゃないか」「旦那さま、お宅さまでは、七福神が揃っておりますな」「そりゃ、ありがたいが、どこに揃っているんだい?」「まず、旦那さまがニコニコされてるとこは、生きた大黒さまでございます。それから、ただいまあちらにいらしたのは、お宅のお嬢さまで?」「ああ、家の娘だ」「まるで、生きた弁天さまでございますな」「はっはっは…、娘が弁天さまかい。これは、弁天賃だ、とっておき」「へっへ、恐れ入ります。これで七福神がそろいましてございます」「おいおい、船屋さん、まだ二福だよ」

「あとは、お店が呉服(五福)屋さんですから」


「1月11日はこんな日」

鏡開き…歳神様へおそなえしておいた鏡餅を、神棚からおろして雑煮や汁粉にして食べる「鏡開き」の日です。餅は、刃物で切らずに、手で割り開いたり木槌でわったり砕いたりします。武家社会の風習が一般化した行事です。


「1月11日にあった主なできごと」

1569年 謙信が信玄に塩を贈る…5度にわたる「川中島の戦い」を、甲斐(山梨)の武田信玄と戦った越後(新潟)の上杉謙信は、敵である信玄に塩を贈りました。陰謀で塩を絶たれて困っていた武田方を救うためで、このいい伝えから「敵に塩を贈る」ということわざが生まれました。

1845年 伊能忠敬誕生…江戸時代後期の測量家で、日本全土の実測地図「大日本沿海輿地(えんかいよち)全図」を完成させた伊能忠敬が生まれました。

1851年 太平天国の乱…清(中国)のキリスト教徒である洪秀全が「太平天国」を組織して反乱をおこしました。4、5年後には数十万人もの兵力にふくれあがり、水陸両軍を編成するまでに至りましたが、1864年に鎮圧されました。

1974年 山本有三死去…小説『路傍の石』『真実一路』や戯曲『米百俵』など、生命の尊厳や人間の生き方についてやさしい文体で書かれた作品を多く残した山本有三が亡くなりました。

「おもしろ古典落語」の100回目は、『尻餅(しりもち)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「ねぇー、おまえさん、おまえさんってば」「なんだよ」「なんだよって、もうすぐお正月がくるんだよ」「むこうが勝手にくるんだい、こっちが呼んだわけじゃねぇや」「よくもまぁ、そんな気楽なことがいってられるね。あたしが針仕事してるっていうのに、なんだと思ってるんだい。子どものものを繕うったって、みんなご近所の子どものものだよ。うちの子のものなんて、まるでありゃしない。せめてお正月には、親の気持ちとして、一枚でも買ってやりたいじゃないか。それなのに、おまえさんの働きがないから、端切れのひとつも買えやしない。おまえさん聞いてるのかい?」

「うるさいな、いいかげんにしろ」「いいかげんにしろじゃないよ……着物はまだしかたがないとしても、近所じゃ、もう餅つきがすんじまったよ。入口の徳さんとこじゃ、秋にあれだけ患っていながら、1斗の餅をついてるじゃないか」「たいしたもんだな」「感心してるばあいじゃないよ。貧乏じゃうちに負けない熊さんとこでさえ、5升の餅をついたよ」「餅ぐらい、どうでもいいだろう」「よくないよ。うちの子が帰ってきて『おっかさん、うちはいつ餅をつくんだい?』って聞かれるたびに、身を切られるようにつらくてさ……せめて、餅をつく音だけでもさせてやったらどうなの」

「じゃ、なにかい、音を出すだけでいいのか?」「そりゃ、気のもんだからさ。少しだけでも…」「よーし、それじゃ音だけさせてやらぁ」「ほんとうかい? うれしいね。で、どのくらいついてくれるの?」「そうだな、おまえがいいっていうまで、ついてやらぁ」「そんなら、お米を頼んでこようか」「ばぁか、米が買えるくれぇなら、なにも心配なんかするもんか」「だって、いま、音だけでもさせてやるっていったじゃないか」「そうよ、近所に餅をつく音をきかせてやりゃいいんだろう」「そうだけど…、どんなことするのさ」

「今夜おそく、子どもが寝たのをみはからって、おれが外へ出て『八五郎さんの家はこちらでございますか、餅つき屋でございます』って、大きな声でいうんだ。そうすれば、近所のやつらも、うちでも餅をつくなと思うだろう」「そんなことしたって、かんじんの餅つきの音がしないじゃないか」「それをさせるんだよ」「どうやって?」「おまえはうつぶせになって、寝ころべ。そうすりゃ、尻が上にくる」「うん」「その尻をおれがたたいて、餅つきの音をだすんだ」「あら、ほんとに餅をつくんじゃないのかい」「あたりめぇよ。だからいったろう、餅つきの音だけさせてやるって」「あきれたねぇ、ほんとにおまえさんって人は、ろくでもないことばかり考えるんだから…」

てなことで、夜中に餅つき屋が登場します。「へぇ、餅つき屋でございます。遅くなってもうしわけございません」「まぁまぁ、餅つき屋さん、ごくろうさま。さぁ、なかにはいって」「おい、おっかぁ、餅つき屋さんも寒いだろうから、いっぺん飲んで暖まってもらえ。それから、そこに紙に包んだもんがあるだろう、それを持ってこい」「おまえさん、紙につつんだものって?」「餅つき屋さんへの祝儀じゃねぇか」「あらっ、この辺じゃ祝儀を出す家なんて一軒もないよ、景気がいいねぇ」

「親方ありがとうございます。こんなにたくさんのご祝儀をいただきまして、仕事にもはげみがでます」「それじゃ、餅つきにかかってもらいましょうか」「それじゃ、おめぇ、臼(うす)をすえろ」「(小さな声で)臼ってなんだい?」「おまえの尻だよ」「尻って…、おまえさん、今夜は寒いからかんにんしておくれよ」「ばかいえ、ここまでしこんでおいて、いまさら止められるか」「ほんとっ、ろくでもないこと考えたもんだ」「では、はじめます。あっ、おかみさん、小桶に水を一ぱいいただきます」「そんなもん、どうするの」「最初に臼をしめらせるじゃないか」「お尻を出すだけでも寒いのに、水なんかつけられてたまるもんかね」「がまんしろいっ、こうしなきゃ、餅つきにならねぇ」

こうして、八五郎はいせいよく、お尻をたたきはじめました。イョッポン、ポンポン…イョッポン、ペッタン、ペッタン…。コラショ、ヨイショ…そらヨイヨイヨイ。そのうち、かみさんの尻は真っ赤になりました。「ああ、痛い、痛い…餅つき屋さん、もう少しやさしくたたいてくれませんか」「いいえ、こうしませんと、せっかくのお米にねばりがでません」「おまえさん、たたくところを替えておくれよ。同じところばかりだと痛くってしょうがないから」「だまってろ、臼が文句いうやつがあるか」「そろそろつき上がりました。じゃあ、こっちに空けますね…と、餅をかえたつもり…」「餠つき屋さん、あとどのくらいつくの?」「へぇ、あとふた臼ばかり」

「えっ、ふた臼も。おねがいだから、あとの二臼はおこわにしてちょうだい!」


「12月28日にあった主なできごと」

1180年 興福寺焼き討ち…平清盛は、5男重衡に命じ興福寺を焼き討ちしました。火は隣の東大寺にも燃え移り、大仏殿をはじめ貴重な宝物が焼失しました。同年4月、源頼政が反乱をおこした際、興福寺の僧兵が加担したことに対する報復でした。

1682年 天和(てんな)の大火…江戸で大火災がおき、3500名もの人が焼死しました。当時16歳だった八百屋の「お七」一家も焼け出されて吉祥寺に避難したとき、お七は寺の小姓と恋仲になりました。火事がおこれば、また小姓にあえるかも知れないと、寺小姓に会いたい一心であちこちに放火したことで、お七は火あぶりの刑になりました。この話はのちに、井原西鶴がとりあげ、浄瑠璃や歌舞伎の題材になって有名になったことで、この大火は「お七火事」ともよばれています。


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本年のご愛読をありがとうございました。
新年は7日からスタートする予定です。
皆さま、良いお年を !

「おもしろ古典落語」の99回目は、『庭(にわ)かに』というお笑いの一席をお楽しみください。

世の中には、洒落(しゃれ)のわからない人っていうのがいるもので。「番頭さんや、こっちへ入っておくれ」「へーい、なにかご用で」「今朝、うちのばあさんがいうには、おまえさんは、洒落の名人なんだってな。あたしゃ、生れてこのかた洒落というものを見たことがないんだが、ぜひ見せておくれ」「あたしの洒落はお見せするものではありませんで、強いていえば、聞いていただくものでございます」「そうかい、じゃ聞きましょう。その洒落っていうのをやっておくれ。頼みますよ、はい、どうぞっ」「洒落っていうのは『どうぞ』っていわれて出来るものじゃありませんで、なにか題を出していただきます」「踏み台でも用意するのか?」「いえ、なにか品物の名前でもおっしゃってください。目にふれたもの、頭に浮かんだもの、なんでも結構です。あたしがそれを使って洒落ますので」「そうか、それじゃ、衝立(ついたて)でやってみてくれ」

「ついたて、十五んち、なんてどうでしょう」「ついたて、十五んち? そらお前、一日(ついたち)、十五んち(日)と、間違えてるんじゃないのか」「えぇ、そこが洒落でございます」「どこが洒落だい」「似ておりますから洒落でございます」「じゃ、おれとせがれは似てるから洒落か?」「どうも、あなたには困りますね」「じゃ、他の題でやってみておくれ。ほら、庭にちっちゃなカニが出てきたな。あのカニでやってみてくれ」「庭にカニですか? にわかには洒落られません」「そんなこといわずに、やっておくれ」「ですから、にわかには(庭カニは)…、洒落られません」

「やっぱりできないのか。それじゃ題を変えよう。孫が大きな鈴をけって遊んでいるな。あれでどうだ」「なるほど、鈴をけって……、すずけっては(続けっては)無理ですな」「無理を承知で頼んでるんだ」「ですから、すずけっては無理ですな……」「いいわけは結構です。店にいって仕事をしなさい」「どうも、すみませんです」

「あなた、なにを怒鳴ってるんです?」「ああ、おまえか。今、番頭を呼んで、洒落をやらせたんだ。おまえが『番頭は洒落がうまい』っていってたからな。なんだかんだいってたが、『出来ません』『無理です』って、なにが洒落名人だ」「そんなことはないでしょう。もう少し詳しく話してみてくれませんか……、なんです? 『庭にカニがでてきて、にわかに洒落られません』『孫が鈴をけって、すずけっては無理ですな』っていったんですね。上手いじゃありませんか、座布団あげたいくらい見事じゃありませんか」「そいつは気がつかなかったな」「番頭は洒落の名人なんですから、番頭がなんかいったら『うまい、うまい』ってほめてあげなさいよ。それを怒ったりして、人に笑われますよ」「じゃあ、番頭を呼んであやまろう」

「番頭さん、旦那がお呼びです」「定吉か。さっき旦那に呼ばれて、洒落をやってくれってんで3つほどやったんだが、とたんに怒りだしてえらい目にあった。もう旦那の前じゃ2度と洒落はやらないつもりだ」「へぇ、そうだったんですか。洒落(晴れ)のち雷ですね」「下手な洒落をいうんじゃないよ、旦那に知られたら、おまえも怒られるよ」

「どうも、旦那さま、先ほどは失礼をいたしました」「さっきは悪かったな、怒ったりして。洒落をやってくれたんだってな、歳のせいか、うっかり聞き逃してしまった。いま、ばあさんに小言をくらってなぁ、番頭さん、かんべんしておくれ。そこで、番頭さん改めてお願いしますよ。なにか洒落をやっておくれ」「いやーっ、あたしは、もう、こんりんざい洒落はやめましたんで……」

「やぁー、番頭さん、うまい洒落だ」


「12月20日にあった主なできごと」

1848年 ルイ・ナポレオン大統領…皇帝ナポレオンの甥にあたるルイ・ナポレオンが、選挙に全投票の75%を得て、第2共和制大統領に就任しました。その後ルイは、大統領の権限を強化し4年後に第2帝政をはじめて、ナポレオン3世となりました。

1853年 北里柴三郎誕生…ドイツのコッホに学び、ジフテリアや破傷風の血清療法の完成やペスト菌の発見など、日本細菌学の開拓者北里柴三郎が生まれました。

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