児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

おもしろ落語

「おもしろ古典落語」の128回目は、『鼻きき源兵衛(げんべえ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

江戸の下谷に、長者町というところがありました。名前を聞いて金持ちばかりが住んでいるかと思えば、その日ぐらしがやっとというような貧乏人が多いところでした。ここに八百屋の源兵衛という心の広い人がおりまして、近所に困っている人があると商売ものの残りを持っていったり、もっと困ってる人には、小遣いを貸してあげるほどでした。

ある夏のことです。この源兵衛がかぼちゃをかついで商売にでかけ、一日歩いてようやく残りもわずかになり、家へ帰ろうと両国橋に通りかかりました。「ああ、気持ちがいいな、いい風だ。考えてみりゃ人間の一生なんて、それほど長いものでもねぇな。それにしても向こうの茶屋の二階で、芸者をあげておもしろそうに騒いでいる奴があるが、あれも人の子、こっちも人の子だ。おれなんざ、朝から晩までてんびん棒かついでうろつきまわってても、たかが知れてる。そうだ、八百屋なんてやめちまおう。このてんびん棒があるからいけねぇんだ。おい、てんびん、おまえにゃずいぶんやっかいになったが、いよいよ今日でお別れだ」と、ざるごと川へ投げこんでしまいました。

「お帰んなさい、さぞ暑かったろうね。家の中にいても暑いのに、重い荷をかついで歩くんだもの、おや、荷はどうしたの?」「うん、あがってから話をする」「なんだい話ってのは」「あらためていうのもおかしいが、おみつ、おめえはおれの女房だな」「なにをいうんだい、あらためていうまでのこともないじゃないか」

「よし、じゃこれからおれのいうことは、どんなことでもはいはいって、向こう三年のあいだ、聞いてることができるか。できねぇようなら、たったいま離縁をするから出てってくれ」「なんだね、おまえさんとはこれまで、いさかいひとつしたことない仲じゃないか。それなのに、だしぬけに離縁をするの、出て行けってのは。わけを話さなきゃ、わからないだろう」「それがいけねぇんだ。わけを聞かずに三年のあいだ、おれのすることを見ててくれりゃいい」「わかったよ、おまえさんがそういうなら、そうするけどさ」「よし、それならいうぞ。じつは、八百屋をやめちまったんだ」「えっ、それでこんどは、何をはじめるんだい」「それがよけいだってんだ。いいか、家にあるもんはすっかり売りはらっちまう。こんな裏長屋なんぞに住んでたんじゃ、それだけの運しきゃころがりこんでこねぇからな。それからおまえ、おばさんのとこへいって、五両借りて来い。これまでは、びた一文借りたことのねぇおれだ。もし貸さねぇといったら無理に借りて来るな。なににするんだかわかませんが、ただ借りてこいというんで来ましたと、なんにも余計なことをいうなよ」

こうして、二十両ほど手にした源兵衛、弁当箱をこしにぶらさげて、よい貸し家がないかと、毎日朝早くから出かけていきます。それから三日ほどして、日本橋・白木屋前に大きな家をみつけました。間口七間(約12.7m)奥行十三間(23.6m)、土蔵つきで、店先から奥まで、百八十五畳のたたみが敷けるというほどです。古着屋へいって、のれんを買ってきましたが、大きなお店にかけられるような大きなのれんがありません。近江屋、三河屋、松坂屋というのれんを買ってきてこれを並べ、引っ越してくると、近所へあいさつまわりをはじめました。

「へぇ、ごめんくださいまし。私は、こんど近所へ引っ越してまいりました近江屋三河屋松坂屋の源兵衛というものでございます。どうか、なにぶんにもお心やすく願います」「おたがいさまで、どうぞ、ご懇意に願います。ついては、おたくの商売は?」「私どもは世間の金を集めるのが商売で、おいおいお分かりになります」「ああ、さようで…」何をはじめるのかと思って、みんな興味しんしんです。源兵衛、毎日、大きな声でどなっています。「おい、五兵衛や、畳屋はまだ来ないかい。困るね、金ばかり先に取って、しようがないなぁ。催促にやっておくれ。それから善兵衛どん、大工はどうしたい。まだきません? 困ったね。おいおい、長吉、なぜそう小判をふんで歩くのだ。歩く所がないだと。ひとっところへ山のように積み上げろ……」店の戸は閉めてありますから、近所の人にはわかりっこありません。

そんなある日のこと、向かいの白木屋へ、りっぱなみなりのさむらいがたずねてきました。「さてご主人、てまえどもの名前は申されんが、そなたに品物の鑑定を頼みたくまかり越した」「はい、どのようなもので」「うむ、この箱の中に入っている布じゃが、このたび、姫君がおこし入れをするについて、これにてお守り袋をつくることにあいなった。ところが、なにぶんにもこの布の名前がわからん。出入りの呉服屋に見せたが、だれもわからんと申す。そこで、江戸で知られた白木屋ならば、この布の名もわかるだろうと存じて、めききをたのみにまいったのじゃ」「かしこまりました。しばらくお待ちを」ということになって、主人は、一番番頭に布をみせましたが、わかりません。それではと、二番、三番~十番番頭まで、次々に見せましたが、だれにもわかりません。そこで主人は、「ただいまのところでは、ちょっとわかりかねます。おそれいりますが、三日のあいだ、おまちくださいませんでしょうか。よく調べまして、ご返事をいたします」「さようか、しかし、たいせつな品ゆえ、まちがいのないように頼むぞ」

さむらいが帰ってから、主人は店じゅうの者を集めて、かわるがわる見せましたが、やはりだれもわかりません。しかたなく、布を店の軒先にぶらさげて、この名を教えてくれたものには、金百両をさしあげるという札を下げました。たちまち、あたりは黒山の人だかり。でも、商売人が見てもわからないものを、しろうとがわかるはずはありません。源兵衛も、これを見ながら、なにかよい方法がないかと考えていた時、一陣の風が吹いてきたかと思うと、あっというまに布を舞い上げて、ひらひら飛んでいきます。やがて布は、源兵衛の店と土蔵のあいだに流され、土蔵の軒下に打ってあった折れ釘に、ひょいとひっかかったのを源兵衛は見つけました。

さぁ、こうなると白木屋は大騒ぎです。たちまち店を閉めて、主人をはじめ店じゅうのものが探しまわりますが、見つかりません。しまいには易者を連れてきて占いをたててもらう、神官をよんできてお祈りをするやら…。そこへ、ひょっこりやってきたのが源兵衛です。「なにかこちらで、たいせつな布をなくしたことをききまして、お気の毒なことでございます。じつは、わたしは先祖から伝わりました秘法で、鼻の力で何でもかぎだすという、ふしぎな能力をもっております。それゆえ、ご近所のよしみで、ちょっとかいで進ぜようとまいりました」「それはご親切に、どうかお願いいたします」

源兵衛、もっともらしい顔つきで、くんくんやりだしました。「どうも、台所のほうでにおいますな」「あっ、さようで」「いや、台所を通り越して、もっとむこう。おや、向かいの私の家のほうでにおいが強くなっています。あっ、ここです。この土蔵の折れ釘にでもひっかかっているはずです。しらべてみてください」それっと、店の者がはしごをかけてのぼってみると、源兵衛のいったとおり。「あった、あった」と白木屋のものたちは、大喜びです。「また何かなくなりものががありましたら、ちょいとかいであげましょう」とえらそうなことをいって、帰ってきました。

翌朝のことです。「ごめんくださいましまし。私は白木屋の番頭でございますが、きのうはありがとうございました。お礼のしるしと存じまして、はなはだ失礼ではございますが、二百金ございます。どうぞお納めくださいまし」ということになりました。「どうだ、おれのやることに、まちがいはねぇだろう」と、源兵衛は女房に鼻たかだかです。

それから二十日ばかりして、白木屋の番頭がやってきました。京都にある本店の出入り先の関白家で、帝(みかど)からあずかった由緒ある定家卿(ていかきょう=藤原定家)の色紙がなくなったので、これをかぎ出してほしいという依頼でした。源兵衛は驚きましたが、京都へ行って名所を見物して、どうしてもにおいがしませんといって帰ってくればいいんだと、あっさり引き受けました。

道中の費用は、いっさい白木屋もちで、京都へ着くと、まず近衛関白殿下にお目通りをすませました。それから京都じゅうをかいで歩こうと、金閣寺、南禅寺、清水寺、三十三間堂などをかいで歩きましたが、どうしてもわかりません。祇園や島原へでかけたものの、おしろいのにおいばかりで、さっぱり色紙のにおいいがしません。源兵衛、もう見るところがなくなって帰ろうかと思いましたが、話のたねに御所の中を見たいものだと考えました。「どうも町の中には色紙はないようですな。この上は御所の中をしらべる他はありません」

でも、平民を御所に入れるなんてできないため、こまった関白殿下は、お役人たちを集めて相談したところ、いっそのこと、源兵衛をお公卿(くげ)さまにしたらどうかという話になりました。源兵衛は、左近尉(さこんのじょう)近江屋三河屋松坂屋守(のかみ)鼻きき源兵衛というもっともらしい名前をつけられ、笏(しゃく)というものを持ち、烏帽子(えぼし)をかぶって、御所に入りました。

源兵衛は、すっかり偉くなった気持で、そっくりかえっています。「ああ、これこれ、そのほうたちについてこられると、汗のにおいが鼻について、色紙のにおいが消えてしまう。いずれへなりとまいって、休息いたせ」と、役人を追いはらい、「ああ、いい心持ちだなぁ。人間の運というものは、どこにあるかわからねぇもんだ。八百屋の源兵衛が、お公卿さまになろうとは思わなかった。かかあに話したらさぞ驚くだろう」とひとりごとをいいながら歩いているうちに、大きな木の空洞(ほらあな)になっているところでけつまずいてしまいました。中が空洞なので、ポーンといい音がしました。これはおもしろいとボーン、ボーンとけとばしていますと、空洞から、ノソノソはいだしてきた男があります。

「へぇ、どうぞお助けくださいまし」「なんだ、きさまは」「へぇ、どろぼうでして」「どろぼうはわかっておる、わかっておるぞ」「白状いたします。あっしは、ふた月ほど前に、あるよんどころない方から頼まれまして、定家卿の色紙ってやつを盗みだしたのでございます。ところが、御所のまわりは役人がびっしりで、逃げだすことができません。しかたなく、この空洞の中に隠れておりまして、夜になると抜け出しては、いろいろ食べものを盗んではそれを食べ、かこみのとれるのを待っておりました。そこへ、江戸から鼻きき源兵衛というえらい人が乗りこんできて、においで色紙のありかをさがすといううわさです。あっしは、もう生きたここちもせず、ふるえていたところ、ボーン、ボーンと……へぇ、おそれいりました。いのちばかりはお助けを」「うむ、そうだろう、そうだろう。どうも、この空洞がくさいと思った。とにかく、おまえが白状したのだから、いのちだけは助けてやろう。ともあれ、もう二三日は、このほら穴の中へ入っておれ。色紙さえ出れば、かこみもとけるだろうからな」

源兵衛、どろぼうから色紙をとりあげると、近衛関白どのお手許へさしあげると、もう大喜びです。「いや、まことにそのほうはえらいものじゃ、何なりとほうびをつかわすから望め」というありがたいおおせです。小判をたっぷりもらったうえに、「そのほかには望みがないか」といいます。「それでは、吉野山というところは景色のよいところだそうで、あちらへひとつ、家をたてていただけませんでしょうか」というと、「よしよし」というので、さっそく吉野山にりっぱな御殿ができました。これを吉野山の鼻きき御殿といいまして、源兵衛は江戸からかみさんをよびよせて、そこに住むことになりました。さぁ、このうわさはたちまち、京都じゅうに広がりまして、寄るとさわるとこの話ばかり。

「なぁ、金兵衛はんや。こんど吉野山へりっぱな御殿ができたそうやおまへんか。なんでも近江屋三河屋松坂屋守鼻きき源兵衛ちゅう方の御殿だそうやが、鼻ひとつで御殿をたてたとか、えらいもんじゃな。いちどでええからその鼻が見たいものやな」

「あなたそないに『はな』が見たいか。『はな』(花)が見たけりゃ吉野へござれ」


「8月23日にあった主なできごと」

1868年 白虎隊の最期…明治新政府軍と旧幕府との間の戦争を戊辰戦争といいますが、旧幕府軍の拠点である会津藩(福島県)に、白虎隊という16歳~17歳の会津藩士の子弟343人で構成された組織ができていました。8月に入ると新政府軍は会津の鶴ヶ城へせまり、落城寸前になった22日、白虎隊の出陣が許され激しい戦いにいどみました。そして翌日、城が煙につつまれているのを見た生き残りの隊員20名は、落城したと勘違いし、お互いに刺しあって飯盛山で命を絶ったのでした。

1879年 滝廉太郎誕生…明治時代の洋楽揺籃期に、『荒城の月』『花』などの歌曲や、『鳩ぽっぽ』『お正月』などの童謡を作曲した滝廉太郎が生まれました。

1914年 日本対ドイツ戦に参戦…第1次世界大戦がはじまり、日英同盟を結んでいた日本は、ドイツに宣戦を布告しました。ヨーロッパ諸国がアジアから撤退しているすきに、中国に手を伸ばすのが日本のねらいでした。

「おもしろ古典落語」の127回目は、『千両(せんりょう)みかん』というお笑いの一席をお楽しみください。

江戸日本橋にある大きな呉服屋の若だんなが、きゅうに病にかかってしまいました。たいせつなあと取り息子なので、両親はたいそう心配して、いろいろな医者にみてもらったところ、「これは気の病で、なにか心に思っていることがかないさえすれば、きっと全快する」というばかりです。ところが、両親がわけをたずねても、若だんなは恥かしがっていおうとしません。

そこで、だんなは、番頭さんを呼びました。「おまえさんは、あれが小さいときから遊んでくれてよくなついてたから、おまえさんになら胸のうちをいうような気がするんだ。すまないが、何とか聞き出してはくれまいか」「へい、かしこまりました、わたくしでお役に立ちますかどうか。じゃ、ちょっと行ってまいります」

「えー、若だんな、入ります。聞きましたよ、あなた。欲しいものがあるんでしょ、このあたしにいってごらんなさい」「番頭さん、よくきてくれました。おまえの親切は、死んでも忘れないよ」「えんぎの悪いことは、いうもんじゃありません。若だんな、先生のお話だと、なにか思いつめていらっしゃるということじゃありませんか」「このことだけはね、いっても、かなえられない望みなんだよ。いっても不孝、いわなくても不孝、同じ不孝なら、あたしの胸のうちにしまったままで、あの世へ行こうと」「バカなこといわず、とにかくあたしにおっしゃい。なにが望みなんです?」「じつはね。あのつやつやして、ふっくらとして……」「へぇ、わかりました、みなまでおっしゃるな。さっそく話をつけてまいります」「なにをいうんだい。あたしがいってるのは女の人のことじゃないよ」「じゃ、なんなんです?」「みかん」「み・か・ん?」「そう、みかんが食べたいんだ」「そんなものくらいで若だんなの病気がなおるんなら、この部屋をみかんいっぱいにしてさしあげますよ」「番頭さん、本当かい? みかんを買ってきてくれるんだね。みかんが食べられると思っただけで、気分がよくなってきた」

「だんな、うかがってまいりました。つやつやして、ふっくらとした…」「そうか、いつまでも子どもだと思っていたが、で、相手はどこの娘さんだい?」「いえ、それが相手は、みかんなのだそうです。この思いがかなえば、病もなおるっていうんで、そんなことなら座敷中みかんでうめてあげますと、うけあってきました」「なんだと? この暑いさなかに、どこにみかんがある?」「あっ、そうでしたな。これは、とんでもないことをうけあいました」「せがれは、おまえの言葉でよろこんだ。みかんがないことがわかったら、がっかりして死んでしまうよ。そうなると、おまえは、あるじ殺し。町内引き回しの上、はりつけだ」「だんな、それはお許しください」「あたしが許したって、お上が許しませんよ。さあ、それがいやなら、みかんを探しておいで」

「ああ、えらいこと引き受けちゃったなぁ。あつい、ああ、暑い。もう何軒まわったろう。とにかく、この店に入ってみるか。あのーっ、みかん、ありますか?」「みかん? 夏みかんで?」「いや、ふつうの、みかん」「この陽気で、気でもおかしくなったんじゃねぇか。ちょっと、あんた、このすいかあげるから、そっちの日陰でゆっくり食って頭でも冷しな」

番頭さん、その後も江戸の街をあてどもなくさまよいつづけ、とうとう日も暮れようかというころに、一軒の大きな果物問屋に行き当たりました。ここがだめだったら、もうどうにでもなれと案内をこうと、「みかん、あるかもしれません。ちょっとごいっしょにきていただけますか。これ、だれか、みかんの蔵をあけますよ。したくなさい。さ、こちらへ」「へぇぇぇー、み、み、みかんがありますんで」「いや、ちゃんとしたのがあるかどうかは、しらべてみなくては分かりません」

手代やらでっちやらが戸口に貼られた目張りをはがし、やがてギリギリと音を立てて扉が開くと、蔵の中からひんやりとした風とともにみかんの香りが漂ってきました。ところが、番頭さんの前で開かれた木箱の中にぎっしり詰まったみかんは、どれもくさっています。「次のはどうだい、ああ、これもだめか」開ける・くさってる、開ける・くさってるのくりかえしで、とうとう最後の一箱になってしまいました。「ご覧のように、これが最後です。これがだめなら今年はみかんはありません。ほう、これはいくらか形になってますな。どれ、わたしが見てみましょう。おお、これは、あ、お尻が腐ってる。これもだめだ。あっこれは、箱の隅に、たった一個だけ、無傷のみかんが見つかりました」

お店にもどった番頭さん、主人に報告します。「だんな、みかんがございました」「おお、あったかい」「ございましたが、わたしの考えでは、とても手がとどかない大金がかかります」「ふーん、いくらだい」「だんな、驚いちゃいけませんよ。多町の果物問屋では、みかんの出盛りに、蔵いっぱいみかんをぎっしりつめてしまいまして、時期はずれに注文があると、蔵の中から出すんだそうですが、満足なのはひとつだけでした。そのため、千両でなければ売らないっていうんです。みかんひとつが、千両でございますよ」「うーん、安いねぇ」「えっ、安い?」「せがれの命が、たった千両でたすかると思えば、安いものだ。いま、大八車を用意するから、千両箱を持って、みかんを受け取りにいっておくれ」

「ああ、なにがなんだか分からない。みかん一個に千両、その千両が安いだなんて…、だんな、行ってまいりました」「おぉっ! これがそのみかんかい。ありがとう、番頭さん。昼間は、あるじ殺しだなんて、おどかして悪かったね。子どもかわいさに、親はすぐにバカになる。許しておくれ。これはおまえさんのお手柄だ。さ、せがれにみかんをとどけてやっておくれ」「番頭さん、みかんが手に入ったんだって? ああ、これがみかん、夢にまで見たみかんだ」「若だんな、親ごさんのご恩を忘れなさんなよ。これいくらしたと思います? せ、千両ですよ、千両」「ああ、そうだろうね」「ありゃ、驚いてんのはあたしだけか。皮をむきますか? この皮だって二、三十両はするんだろうなぁ。いくら入ってます? 十房、ひと房百両だ。ああ、食べますか、百両、二百両、ああ…、七百両食べちゃった」「うるさいねぇ、番頭さん。でも、きょうは本当にご苦労さん、大変だったろう。ここに三房のみかんがある。ひとつはおとっつぁん、ひとつはおっかさんに上げておくれ。それからもうひとつは、番頭さん、おまえさんにあげるよ」「ええっ、こんな高価なものを、わたくしにもいただけるんですか? ぐすっ、ありがとうございます、いただきます」

番頭さん、おぼんにみかんをささげ持ち、部屋から出て考えました。「ああ、みかんが三房、一房百両だから、三房で三百両だよ。みかんが千両、三房が三百両だぁ。あぁ、思いおこせば、おれがこの店に奉公にきたのが十四の年だった。あれからもう四十年になる。来年には年(ねん)があける。そしたら、暖簾(のれん)分けで、ごくろうさまって渡されるのがせいぜい四十両そこそこだ。まちがっても五十両にはなるまい。三百両。今、おれの手の中に三百両が…二度と手の上に乗らない三百両…ああ、だんな、申しわけございません。よーし、このまま……」

三房のみかんをもったまま、番頭さん、店を逃げ出してしまいました。


「8月9日にあった主なできごと」

1192年 源実朝誕生…鎌倉幕府第3代将軍で、歌人としても著名な源実朝が生まれました。

1945年 長崎へ原爆投下…8月6日の広島に続き、長崎に原爆が投下されました。広島の原爆はウラン爆弾だったのに対し、プルトニウム爆弾という広島より強力なものでした。しかし平地の広島に比べて長崎の地形が複雑なため、被害は浦上地区に集中しました。それでもこの原爆で数か月以内に7万人が亡くなり、その後に亡くなった人を入れると、15万人ほどの人が命を落としました。


* 12日から夏季休暇のため、次回は19日となります。

「おもしろ古典落語」の126回目は、『二十四孝(にじゅうしこう)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「八五郎か、そんなとこに立ってねぇで、こっちへあがんな」「へぇ、座りました。なにか食わせますか?」「なんにも食わせねぇが、叱言(こごと)を食わしてやる。この長屋にや、三六軒あって、子どものいる家もあるが、みんな静かに暮らしてる。それが、おまえの家じゃ三日もあげずにけんかをするな」「いえ、毎日です」「なんだって毎日するんだ」「わけを聞かれるとこまるんですが」「じゃ、きょうはどうした?」「友だちんとこから、いきのいい魚をもらいました。湯にいってくるから魚に気をつけろって、水がめの上においてでかけやした。ところが、帰ってみると魚が影も形もありません。かかぁに聞いたら『知らねぇ』ってんです。ばばぁに聞いたら『おや、知らないよ』ってんです。むこうの屋根をひょいと見ると、となりの泥棒ネコが大あぐらをかいて、もそもそ食ってやがる」「ネコがあぐらをかくか」「しゃくにさわったから、『やい、こんちくしょう、こっちへ出てきやがって、尋常に勝負しろ』って、いってやった」「すると、うちのかかぁが『おとなりには、ふだんからいろいろごやっかいになってるのに、そんなこというもんじゃないよ。たかが、ネコのしたことで』っていうんで、『てめぇなんか、だまってひっこんでろ』って、ポカリとなでました」「なでた? ははぁ、ぶったな」「するってぇと、おふくろが、『なんで、そんなことをするの』って、かかぁの肩を持ちやがるから、ばばぁもそっとなでた」

「おまえってやつは、親に手をあげるやつがいるか。むかしから、親不孝をするようなやつにろくなやつはいねえ。おまえのようなやつに、店(たな)を貸しとくわけにいかねぇから、店をあけろ。出ていけ」「出てけって、そんな」「ああ、入用の節は、いつなんどきでも、すみやかに明け渡すっていう店請証文が、こっちにゃ入ってるんだ」「へぇ…、しかしおどろいたな、おまえさんにそんなに怒られるとは思わなかった。あたしが悪けりゃ、あやまりますよ」「悪けりゃとはなんだ、しじゅう悪い」「そんなこといわねぇで、どうかひとつごかんべんを」「よし。『わたしは、まことに親不幸でございました。これから心を改めまして、親孝行にはげみますから、どうぞ長屋へおいてくださいまし』」「ええ、その通りでござい…」「おれのいったんで間にあわせなるな」「へぇ、あやまります。親を大事にしますんで、どうかこの長屋においてください」「おまえの年になって、親を大事にするのに気がつかねぇってのは、大ばかやろうだ。年よりというのは、老いさきの短いものだ。一日でもひと月でも、ていねいにして、たべたいものを食わせ、見たいものを見せて、たいせつに養いな。それが順ぐりになる。親によくしておけば、また、子にたいせつにされる。親孝行の順ぐりだ、わかったか」「へぇー、すっかりわかりました」

「ついでだからいっておくが、唐土(もろこし)の二十四孝を知ってるか?」「自慢じゃねぇが知りません」「そうか、じゃ、この中で、おまえによくわかるのを話してやろう。……王祥(おうしょう)という人があった」「ああ、寺の?」「和尚じゃねえ。王祥という 名前の人だ。この人はまま母につかえて大の孝行者だ。寒中のことだが、おっかさんが鯉(こい)が食べたいとおっしゃたが、貧乏ぐらしで鯉を買えない。そこで釣りざおを持って池へ釣りにいったのだが、厚い氷がはっているので釣ることができない。しかたがないから、氷の上へ腹ばいになっていると、そのあたたかみで氷がとけ、その間から1ぴきの鯉がとびだしたので、これをおっかさんに食べさせた…、どうだ、えらい孝行だろう」

「うふっ、笑わしちゃあいけねえ。そんなばかな話があるもんか」「どうして?」「だって、うまく鯉がとびだすだけの穴があいたなんて。からだのあたたかみで氷がとけたんなら、てめえのからだごとすっぽりと池んなかへおっこちるのがあたりめえだ。もしも泳ぎを知らなかったら、あえなくそこで土左衛門(水死人)だね」「ところが、そんなことはなかった。おまえのような親不孝者ならば、あるいは一命を落としたかもしれないが、王祥は大の親孝行だ。その親孝行が天の感ずるところとなったのだ」「へー、天が感じるんですかねぇ。てえしたもんだ」

「孟宗という人があって、寒中に母がたけのこの吸い物が食べたいとおっしゃった」「唐土のばばぁてぇのは、どうして食い意地がはってやがんのかな」「なにしろ寒中で雪がふってる時分にたけのこというんだから、こりゃあ無理な話だ。しかし、どうかさしあげたいものだと、鍬をかついで竹やぶへいって、あちこちとさがしてみたが、どうしてもみつからない」「そりゃぁそうでしょう」「孟宗は、これでは母に孝をつくすことができないてんで、天をあおいで、はらはらと落涙(らくるい)におよんだ」「なんです、ラクライってのは」「涙をこぼしたんだ。すると、足もとの雪がこんもり高くなった。鍬ではらいのけると、手ごろのたけのこが、地面からぬーっとでた」「へーえ、いい仕掛けになってますねえ」「いい仕掛けってやつがあるか。さ、そのでないはずのものがでるというのが、孝行の徳によって天の感ずるところだ」「ほかにも、ありますか?」

「呉猛(ごもう)という貧しい人に、おっかさんがいた」「唐土には貧乏人と、ばばぁしかいないんですかい?」「だまってお聞き。ある夏のこと、ひどく蚊がでるが、貧しいから蚊帳(かや)がない。なんとかして、おっかさんだけでもゆっくり眠らせたいと、近所の酒屋で少し酒をもらってきて、はだかになってこれを身体にふきつけ、うつぶせになって寝た」「そりゃ、蚊に食われたろうね」「ところが、1びきも出ない」「おかしいな、蚊は酒が好きだっていいますぜ。あっ、そうか、呉猛の孝行を、天が感じたんですね」「そうだとも、だから、おまえも孝行しろよ」

八五郎、さっそくまねしようと家に帰りましたが、母親は鯉はきらいだし、たけのこは歯がなくてかめないという。そこへ、知り合いの辰五郎が通ります。「おい辰、おめぇんとこじゃ、えらく仕事がいそがしいっていうじゃねぇか」「うん、ばかにせわしなくてな。身体の調子が悪くても、休むこともできねぇ。早めに仕事を引き上げて、親父に、熱燗で三合ばかし飲ましてくれってたのんだら、まだ明るいうちだからって飲ましてくんねぇ、しゃくにさわったから、かってにしろって家を飛びだしてきた」

「このやろう、親不幸なやつだ」「なにいってやがる。てめぇこそ、評判の親不幸じゃねぇか」「きょうから、孝行者になったんだ。きさまは、もろこしの、二十四孝なんて知るめぇ」「てめぇは知ってんのか?」「知ってるとも、よく聞けよ。孝行のしたいじぶんに、…親はしわくちゃだってんだ」「孝行のしたいじぶんに親はなし、ってんだろ」「いいんだ、ちょっとばかし違ってたって。モロコシにホーボーって人がいた」「おかしな名前だな」「これが、まま母につかえている大孝行、寒中に母が鯉を食いたいという。なんとかかなえてあげたいと、竹やぶに入って探したが、鯉が出てこない」「竹やぶに鯉なんていないよ」「だまって聞け。やぶをにらんで、天をあおいで、カンラカラカラとうち笑い、それから泣いていると、こんもり雪がもりあがって、クワではらってみると、鯉がはねあがった。これを持って帰って、母に食べさせた。どうだ、すばらしい親孝行だろう」「でも、竹やぶから、なんで鯉がでるんだ?」「そこが、きさまたちにゃわからねぇとこよ。ホーボーの孝行の徳を、天が感じたんだ」「そうか。まぁ、いわれてみりゃ、おれも家を飛びだしたのは悪かった。思い直して親孝行をするか、ありがとうよ、さいなら」

「あっはっは、どうだ、意見をして帰ぇしてやったぞ。どうだ、ばぁさん、鯉はきれぇで、たけのこがだめじゃ、しかたねぇな…、ああそうだ、かかぁ、すまねぇが酒を五合ばか、買ってきてきてくれ。親孝行にとりかかるんだ。ばぁさん、もう寝なよ」「まだ、あたしゃ寝ないよ」「寝ろったら、寝るんだ。親孝行をするんだからな。これから酒をからだに吹っかけて、ばぁさんが蚊に食われねぇようにしようってんだ」

ところが、酒を見た八五郎、身体にぬるはもったいないと、グビリグビリやってしまい、グウグウ高いびき。「おいおい、八五郎や。これ、起きなさい」「あっ、ありゃ、ばぁさん、なんだい?」「「なんだいじゃないよ。お日さまが、こんなに高くあがってるよ」「あー、いい気持ちだ。しかし、親孝行ってのはてぇしたもんだな。おれが酒飲んで、すっぱだかで寝てたのに、蚊が一匹も食ってねぇ。うーん、天が感じてくれたなぁ」

「なにをいってやがる、あたしが夜っぴて、あおいであげてたんだ」


「8月2日にあった主なできごと」

1922年 ベル死去…聾唖(ろうあ)者の発音矯正などの仕事を通じて音声研究を深めているうちに、磁石式の電話機を発明したベルが亡くなりました。

1970年 歩行者天国…東京銀座・新宿・渋谷などで、歩行者天国が実施され、ふだんの日曜日の2.4倍もの人びとがくりだしました。この日の一酸化炭素濃度が、ふだんの日の5分の1になったことから、車の排気ガス汚染を食い止め、汚染のない環境をとりもどそうと、全国各地に広まるきっかけになりました。

「おもしろ古典落語」125回目は、『半分(はんぶん)あか』というお笑いの一席をお楽しみください。

むかしは江戸と大坂の両方に相撲(すもう)がありまして、こっちからむこう、むこうからこっちという具合に、東西交流のようなことがさかんでした。

ある江戸の相撲取りがありまして、ごひいきすじからこんなことをいわれました。「関取、おまえさん、いちど上方の土俵に上がってみないか。大坂でみっちり修行をしたら、きっと、もっとりっばな相撲取りになるにちがいない。ひとつ、上方へいって修行をしておいで」「ありがとうございます。それでは、女房を家へ残して参りますので、なにぶんよろしく、おねがいいたします」「ああ、いいとも。万事引き受けたから、安心して行きなさい」ってんで、すっかり支度をしてくれましたから、関取も喜んで上方へ出かけました。ある部屋へ弟子入りしまして、それから三年というもの、精進努力を重ねまして、今や堂々と、上方の幕内力士に出世いたしまして、「故郷へ錦」を飾ろうと、江戸へと帰ってまいりました。

「こんちは。関取はいるかい?」「おやまあ、これは、ごひいきの三河屋さま」「おかみさん、関取が江戸へもどったと聞いてやってきたんだが」「はい、ゆうベ帰ってまいりました」「えらく出世をしたそうだが、さだめし、大きくなってきただろうね」「はい、おかげさまで、ずいぶんと大きくなりました。家の外でゴーンゴーンと、つり鐘が鳴りますので、おどろいてとびだしてみましたら、つり鐘じゃありません。関取が、いまもどったという声が、つり鐘のようにきこえましたの」「雷だね、そりゃ。上背なんぞ、そうとうあるだろうね」「はい、あたしは急いで表へ出たんです。そしたら、顔なんぞ大屋根の上のほうにつきだしてまして、顔は雲にかくれて、はっきり見えなかったんです。家へ入ろうとしたら、戸や障子がはずれたり倒れたりしたものですから、戸障子をはずして、這(は)ってはいりました」かみさんのホラは、どんどん続きます。足が汚れているので大だらいを持ってきたのに足が入らないので、しかたなしにヒョイと足を伸ばして近江の琵琶湖でザブザブ洗ったの、上方から帰る途中に牛を三びきふみつぶしたの、大ぶとんを出してかけてやったらヘソしか隠れないの、いいたいほうだいです。「しかし、えらい力士になったもんだ。寝てるのなら起こさなくていいよ。もうまもなく、こちらの場所が始まる。およばずながら関取の人気が出るようにするから、じゃ、さよなら、よろしく伝えておくれ」

「おい、かかあ!」「はーい。あら、おまえさん起きていたのかい。 起きていたのなら、ちょっと、ごあいさつに出てきておくれよ」「わしが顔を出せるか」「なぜ出せないんだい?」「いいか、よく聞けよ。『大きくなっただろう』なんてのは、浮世の世辞(せじ)だろ。それを真に受けて、声がつり鐘のようだの、頭が雲の上に入って見えなかっただの、亭主を化け物あつかいにする気か。『家のなかに這ってはいった?』おまえは、いったいなん年、相撲取りの女房をやっているんだ。相撲稼業をしていて、這うだの、はずれたの倒れたのというのは、忌み言葉といって、縁起がわるいから、寝ごとでもいうものじゃない。足を洗おうとしたら、大だらいに入らないから、近江の琵琶湖へ足を伸ばしてジャブジャブ洗っただと? 江戸にいて琵琶湖にまで足が届くか? そんな大ボラ吹いてるところへ、このわしがノコノコあいさつに出られると思うか。

おまえのような愚か者には、いってもわかるまいが、これも話のひとつだからいってきかせる。わしが上方からのもどり道、東海道は名所古跡もたくさんあるが、なんといっても名物は、三国一の富士の山だ。どこへいっても、あんなに大きくて、形のよい山はない。三島の宿近い、ある茶店で休んでいたときだ。富士の山がよう見える。茶店の女子(おなご)が、茶をくんできたから、わしはその茶を飲みながら、その女子にむかって、富士山をほめたのじゃ。

『ねえさん、このりっぱで大きな富士山を、こうして、朝夕見て暮らすというのは、おまえさんがたは、なんと幸せものじゃ』こういったら、その女子がな、自分のことをほめられたように恥ずかしがって、『お関取、そんなにおっしゃいますが、こうして朝夕ながめていると、それほど大きいとは思われませぬ』というから、わしが『それでも、あんなに大きいじゃないか』というと、『大きく見えますけれども、あれは半分は、雪でございます』と、なんと、いうことがかわいいじゃないか。わしは、その茶店の女子の言葉をきいて、もう一度、富士山を見あげたら、山が三倍も四倍も大きく見えた。おまえのような女には、こんなことは、とてもいえまいが、ひとの話も、よくきいて、頭へ入れておけ」「なんですねぇ、そんなにポンポン云わなくても、わたしだって、家に富士山があれば、そのくらいのことはいえますよ」「バカめ。家の中に富士山があるかい。このおたふくめ」「どうせ、おたふくでございますよ。……それじゃ、大きくいわずに、小さくいえば、いいんですね」「そうじゃ。小さくいえば、それだけ大きいものが、なお大きく見える。おぼえておけ」

さんざっぱら小言をいって、関取、奥へはいって休んでいますと、こんちはぁといってきましたのが、さっきのごひいきの旦那の、知りあいの客です。「あらまあ、ようこそいらっしゃいました。どうぞ、おあがりくださいまし」「いや、かまってくださるな。ときにおかみさん、いま、横丁で、三河屋にあったんだが、関取は、ずいぶん大きくなって帰ってきたそうだね。なんでも、『もどった』という声が、つり鐘のようで、出て見ると頭が、雲の上、それに、足を洗うのが近江の琵琶湖。道中で牛を三びきふみつぶしたんだってね。関取が大きくなったと、三河屋さん、なみだを流してよろこんでたよ。いやぁ、あたしだって関取を、およばずながら応援してるんだ。そいつを聞けばうれしくって、すぐにとんできたんだよ」「それはどうも、ありがとうぞんじます」「おかみさん、関取は、そんなに大きくなったのかい?」

「いいえ、それが、大ちがいで…小さくなって帰ってきました」「小さくなった? かつぷしじゃあるまいし…けれども、たった今、三河屋の話じゃぁ、いまもどったという声が、つり鐘のようだったというじゃないか」「いいえ、つり鐘どころか、虫の息…」「虫の息? 病人だね、まるで……で、出てみたら、頭が雲の上とか…」「それじゃ化け物でございます。わたしの連れそう亭主を、化けものあつかいにしないでくださいまし。雲の上から、風がピューと吹いてきましたら、コロコロコロッと、家の中へころがりこんできたので……」「かんなっくずだね。でも、家へはいるとき、ガラガラっと戸や障子がはずれたり、倒れたりしたとか…」「もし、あなた、気をつけて口をきいてくださいまし。はずれるの、倒れるのというのは、相撲かぎょうの忌み言葉。寝言にも口にするものじゃございません」「いや、こ、これはすまなかった。気を悪くしないでおくれ。いやぁ、こりゃ、叱られにきたようなもんだな」「戸や障子が倒れたのではありませぬ。戸のすきまからはいってきたのでございます」「足を洗おうとしたら、大だらいに足がはいらず、琵琶湖へいって足をジャブジャブと…」「いいえ、そんなところへ行ったら、さがすのになんぎをいたします。どんぶり鉢(ばち)の中で、ジャブジャブ行水(ぎょうずい)を使わせました」「それじゃ、小鳥だ。上方から帰るとちゅう、牛を三びき、ふみつぶしたってね」「いえ、牛でなく、ムシを三びき…」「なんだよ、ウシじゃなくてムシかい? なんか、あたしがからかいに来たようだねぇ、かんべんしておくれよ。しかし、あの三河屋、いったいなにを聞いてきたんだ。大ぶとんをかけたら、ヘソしか隠れなかったって話は?」「いいえ、ざぶとんをだしたら、くるくるとくるまって、寝てしまいました」「赤んぼだね、まるで……」

奥できいていた関取。バカバカしいやら、おかしいやら。それでも、大きいといわれるより、小さくいわれたほうが出やすいとみえまして、玄関に出てまいりました。「ああ、これは、おいでなさい。ゆうべもどってまいりました。どうかまた、ごひいきのみなさまのお力で、当地の場所も、よろしくおねがいもうします」「いやぁ、これは関取。うーん、いやぁ、これはりっぱになった、大きくなったなぁ……おいおい、おかみさん、うそをついちゃぁいけないよ。なにが小さいものか。こんなに大きいじゃないか」「いいえ、朝夕、見ておりますと、それほど大きいとは思われませぬ」「いやいや、そうではない。あのとおり、大きいではないか」

「いえ、あれは半分、あかでございます」


「7月22日にあった主なできごと」

1363年 世阿弥誕生…室町時代に現在も演じられる多くの能をつくり、「風姿花伝」(花伝書) を著して能楽を大成した世阿弥が生まれました。

1822年 メンデル誕生…オーストリアの司祭で、植物学研究を行い、メンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見したメンデルが生まれました。

1888年 ワクスマン誕生…結核菌を死滅させるストレプトマイシンなど、20を超える抗生物質を発見したウクライナ出身のアメリカ生化学者ワクスマンが生まれました。

「おもしろ古典落語」の124回目は、『仏馬(ほとけうま)』というお笑いの一席をお楽しみください。

ある寺で、本堂を建てなおすことになり、弁長という若い坊さんと西念という小僧さんが、寄付をたのみに檀家をまわりました。お寺のためだというので、お布施はたくさん集まり、ごちそうしてもらったばかりか酒をすすめられたものですから、弁長はすっかり酔っぱらってしまいました。「しっかりしてくださいよ弁長さん、まっ赤な顔しちゃって」「どうだ、こんなに寄付を集めたんだ。この土手で、ひと休みしていこうじゃないか」「だめですよ、早く帰らないと、和尚さんにしかられます」「おまえは、まだ子どもだからわからないだろうが、こうして、酒を飲んでいい気持ちになっているときがいちばんいいんだ、これがほんとうの極楽、はっはっは、極楽ごくらくだ。…だれだ、わしの頭をたたくのは?」

よく見ると、馬が木につながれていて、弁長の坊主頭をしっぽでたたいているのでした。「なぁ、西念。この馬のように、重いものをのせて歩かされ、休んでるときでもつながれている。これが、地獄の苦しみっていうものだ。そうだ、いいことがある。その荷物をこっちに出せ。おれの荷物といっしょにして、この馬に乗せるんだ。それから西念、おまえのしめてる帯をときな」「といて、どうするんですか」「その帯で馬をつなぐから、おまえはひと足先に、この馬をひいて寺へ帰れ。わしは少し酔いをさまして、ゆっくり帰る」「でも、この馬を引いていったら、馬の持ち主は困るでしょう」「いいから、あとはわしがなんとかする。和尚がわしのことを聞いたら、弁長はあとに残って、説教をしていますっていうんだぞ」

(どれ、ここでひと眠りしていこう。だがな、この土手の下は流れだ。もし、寝ぼけて川へころがり落ちたらおぼれっちまう。そうだ、馬の手綱(たづな)が木にむすびついたままになってるから、この手綱をわしの身体にくくりつけて寝れば、川へはまる心配はない、どれひと眠りすることにしよう)

それからどのくらい時間がたったことでしょう。日が西にかたむくころ、馬の持ち主がもどってきました。手綱には、馬のかわりに坊さんが結ばれているのを見て、びっくりぎょうてん。弁長は、馬の持ち主に起こされて、しまったと思いましたが、この男の笠に次郎作と書いてあるのを見つけると、とっさにいいことを思いつきました。

「これは、次郎作さま。おもどりでございましたか」「あんりゃ、たまげたな。はじめてあった坊さんが、どうしてわしのことを知ってるだ」「知ってるどころではありません。わたしは、長いあいだ、あなたに飼ってもらっていた馬なのです」「なんだって、馬の黒が、坊さんに化けただ?」「じつは、わたしは前世で、弁長という坊主でしたが、身もちが悪かったために、おしゃかさまのばちがあたって、この世に馬になって生まれたのです。ご縁があって長らく飼ってもらいましたが、難行苦行を積んだおかげで、おしゃかさまのお怒りがとけ、きょう、もとの坊主の姿にもどりました」「はて、めずらしい話をきくもんだな。おぅ、そういえば、きょうはおらがおふくろの命日だ。これから、家へいっしょにきて、お経の一つも上げてもらいてぇもんだ」「はいわかりました、どうぞごいっしょにお連れ下さい」

弁長は男の家へとやって来て、経文を唱えました。そしてそのお礼にと、食事が用意されます。次郎作が一人で酒を呑みだすと、弁長も酒が呑みたくなり、おしゃかさまがきょうだけは酒を許すとおっしゃったと、酒を呑み、ベロベロに酔っ払ってしまいました。ふと目をさますと、もう夜が明けていて、あいさつもすっぽかして、寺に帰りました。和尚にあの馬はどうしたのかとたずねられ、重い荷物を背負って歩くのはたいへんだろうと、もらってきたというと、この寺でかうことはできないので、市で売ってくるようにいわれました。弁長が市で馬を売って寺へ帰ると、いきちがいに、あの次郎作が、かわりの馬を買おうと市へやって来ました。すると、きのうまで飼っていた黒がそこに売りに出されています。

「はてな、おかしなこともあるものだ、おらの馬の黒にそっくりだ。こりゃ、黒にちげえねえ、左の耳に白い差し毛がある。これがたしかなしょうこだ、黒だ、弁長さんだ、オイ弁長さん、せっかく人間になったのに、酒飲んだりしやがったから、またおしゃかさまのばちにあてられて、馬になったな。なんとまぁ、弁長さん、なさけねぇすがたになんなすったのう」と、馬の耳へ口をよせて大きな声を出すと、馬はどう思ったか、首をひょいと横へふりました。

「はははは、だめだよ。いくらとぼけても、左の耳の白い差し毛でわかるんだ」


「7月12日にあった主なできごと」

1192年 鎌倉幕府始まる…源平の戦いで平氏に勝利した源頼朝は、征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府を開きました。鎌倉幕府は、武士によるはじめての政権で、1333年に執権の北条氏が新田義貞らに滅ぼされるまでおよそ150年間続きました。

1614年 角倉了以死去…豊臣秀吉、徳川家康の朱印状による安南(ベトナム)貿易で巨万の富を得、富士川、高瀬川などの河川開発を行なった角倉了以が亡くなりました。

1925年 ラジオ放送開始…東京放送局(のちのNHK)が、ラジオの本放送を開始しました。

1966年 鈴木大拙死去…禅の悟りについてなどを英語で著し、日本の禅文化を海外に広めた仏教学者の鈴木大拙が亡くなりました。

↑このページのトップヘ