児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

おもしろ落語

「おもしろ古典落語」133回目は、『三人絵師(さんにんえし)』というお笑いの一席をお楽しみください。

江戸っ子の仲良し三人組が、お江戸日本橋をふりだしに、小田原、浜松、岡崎、名古屋、桑名、大津…と、東海道五十三次を順にのぼって、京都の宿屋に泊まりました。

「ああ、よく寝たな。おや、あいつら二人は、どこへいっちまったのかな。たしか夕べは、この宿について、3人でいっぱいやって、ドンチャカ大騒ぎして、ゴロッと寝て、おれはそのまま眠っちゃったんだった。あいつらは、夜どっかへでかけたのかな。それとも、朝起きぬけに、そこらを見物にいったのかな。どっちにしても、おれを起こしゃいいじゃないか。おや、今鳴った鐘は、九つ(正午)だ。もう昼か…、それにしてもよく寝たな」

江戸っ子のひとりが、大あくびをしていますと、となりの座敷では、京都の人と、大坂の人がおしゃべりをしています。

「さ、もう昼やな。昼めしも食べたし、そろそろ仕事はじめまひょか」
「そやな、どうしても、この絵、今日じゅうに仕上げんといかんよってな」
「ほんまや、夕べかくつもりやったが、となりの江戸のヘゲタレもんが、うるそうてうるそうて」
「ほんまやなぁ、あんなうるさい男たち、よう知らんわ。酒は飲む、歌はうたう、酔っちゃ騒ぐ、寝たと思うたら寝言、歯ぎしり、えらいこっちゃ…」
「さ、絵かく前に、茶でも入れまひょか。宇治のええ茶がありますさかいに」
「そりゃ、よろしいなぁ…、こんな茶の味、江戸のヘゲタレどもは、よう飲んだことおまへんやろ」

「おい、てめぇたち」
「なんや、あんたは?」
「江戸のヘゲタレで悪かったな」
「あれっ、聞こえてしもたか」
「聞きたくなくたって、聞こえらぁ。おお、その宇治の茶ってぇのをいっぱいもらおうか。眠けざましにちょうどいいや。……あー、うめぇ、おかわりをくれ」
「らんぼうなお人やな」
「江戸っ子ってのはな、みんなトントントンと、いせいがいいんだ。てめぇらみてぇに、モタモタしてるのは大きれぇだ。おれの前で、『ヘゲタレ』だのともう一度ぬかしてみろ、首っ玉引っこぬいてやる」
「おお、こわ…」
「やい、そこのアゴ坊主」
「まるでけんかやな。アゴ坊主ってだれや?」
「おめぇだ、おまえの面(つら)ぁ、ずいぶんと長ぇや。アゴが突出して、坊主頭だから、アゴ坊主ってつけてやったんだ、ありがたく思え」
「ありがたいこと、あるもんか」
「てめぇの商売はなんだ」
「わいは画工や」
「なに、がっこう?」
「学校やあらへん、画工、絵師や」
「ああ、絵かきか。そっちの黒っ子、てめぇはなんだ」
「なんや、黒っ子てのは」
「色が真っ黒で、よくみねぇと、顔の裏表がわからねぇ、だから黒っ子じゃねぇか。おまえの商売は、なんだ」
「わても絵師や。あんた、ひとりでポンポンいいなさるが、あんたの商売は、いったいなんぞやね?」
「おれか、おれも、その絵師よ」
「えっ? あんたも絵師かいな。絵師って顔やおまへんな」

「三人絵師が出あったのも、なにかの縁だ。あったしるしに、どうでぇ、絵のかきっこをしようじゃないか。まず、おれが一両を出す。アゴ坊主も、黒っこも一両ずつ出すんだ」
「すしでもとるのかい?」
「そんなことするか。あわせて三両、ここにおく。みんなで絵を1枚ずつかくんだ。いちばんうめえ者がこの三両をいただくのよ」
「そりゃ、おもしろそうだ」
「おもしろいだろ。さぁ、まずはアゴ坊主からかいてみな」
「あんたが、はじめにかいたらどうや」
「おれが、いちばんうめぇにきまってるから、いちばんあとでいい」
「ほんまかいな?」
「ほんとうだ。おれは、日本一の絵師だからな」
「信じられへん」
「ぐずぐずいわずに、早くかけ!」

こうしてアゴ坊主は、さらさらと、木こりがノコギリを持って木を切っている絵をかきました。
「やいアゴ坊主、てめえはとても絵師じゃあメシがくえねえから、商売がえをしろ」
「どこが悪い」
「この木こりのノコギリは、木の半分ほど入ってるな。だったら、なぜオガクズがねぇんだ。オガクズがとび散ってなきゃおかしいだろ」
「ああ、そうや、そのとおりやな」
「だからこの絵はなっとらんというんだ、アゴ坊主、三両はあきらめろ。こんどは黒っ子だ。そっちも、なにかかけ」

「もうかいたよ」
「じゃ、見せてみな。ふーん、母親がわが子に、まんま食べさせてるとこだな。こいつもまずいな」
「いったいどこがどう悪い」
「悪いとこだらけだ。いちばん悪いのはここんとこだ。この母親は、きちんとまげをゆって、着物を着て、ちゃんとすわって、はしにめしをはさんで、子どもに食わせてるな。おまえは、わが子にまんまを食べさせてるとこを見たことあるか。おっ母さんも大きな口をアーンと開いてやってこそ、子どもも安心して食べられるんだ。それなのに、母親が気取って口を結んでいるてのは、どういうわけだ」
「ああ、そうやなぁ」
「おめぇも気のどくだが、三両はあきらめろ。こいつはおれのもんだ」
「そりゃ、だめや。あんたもなんぞかいて、あたしたちが、なぁるほどこれではむりもないと思って、はじめてあんたのもんや」

「よーし、それじゃ、紙を出せ。ついでにすずりを貸せ。おめぇたちは、紙のすみっこをおさえてろ」
というや、もったいぶった顔で、刷毛(はけ)にたっぷり墨を含ませます。紙一面を黒くぬりりつぶし、
「さあどうだ」
「さっぱりわからん。これ、なんの絵やね?」

「この絵がわからんのか? まっ暗やみから、黒い牛を引きずり出したとこだ」


「10月25日にあった主なできごと」

1637年 島原の乱…島原・天草地方のキリシタンの農民たち37000人が、藩主の厳しい年貢の取立てとキリシタンへの弾圧を強めたことから、少年の天草四郎を大将に一揆を起こしました。3か月余り島原の原城に籠城して抵抗しました。

1825年 ヨハンシュトラウス誕生…ウインナーワルツの代表曲として有名な『美しき青きドナウ』『ウィーンの森の物語』『春の声』など168曲のワルツを作曲したオーストリアの作曲家ヨハンシュトラウス(2世)が生まれました。

1838年 ビゼー誕生…歌劇『カルメン』『アルルの女』『真珠採り』などを作曲したフランスの作曲家ビゼーが生まれました。

1881年 ピカソ誕生…画家であり、彫刻家であり、また歴史家、詩人、学者でもあった情熱的芸術家ピカソが生まれました。

「おもしろ古典落語」132回目は、『勘定板(かんじょういた)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「ところ変われば品変わる」というように、同じものでも、場所によってよび名が変わるということはよくあることです。東京で「坊ちゃん」というのを大阪では「ぼんぼん」、東京の「おじょうちゃん」が大阪では「いとはん」といいます。東北のほうへいきますと、「おりる」というのを「おちる」、ものごとが「済(す)んだ」というのを「しんだ」というところがあるそうです。そういうところの人が電車の車掌さんになって、「『お乗りのかたは、降りたかたが、済んでからに願います』というのを、『お乗りのかたは、おちたかたが、しんでからに願います』」とやったものですから、お客さんがビックリしたなんて、うそのようなほんとの話があります。

むかしは、便所というのがない村があったそうで、用をたすときは、川にヒモのついた板が流してありまして、この板をひっぱりあげて、この板の上で用をすませます。終わるとこの板をまた川へもどすと、川の水がきれいに洗ってくれる。水洗便所の元祖のようなものですね。こうして用を足すことを「勘定(かんじょう)する」といっていました。ひまな所と書く「閑所(かんじょ)」がなまったという学者もいますが……。「勘定する」ときの板が「勘定板」、その場所が「勘定場」ということになります。

この村から、江戸見物にやってきた親子連れが、上野の宿屋に泊まりました。「父っつぁまよぉ、おれ、急に勘定ぶちたくなっただ」「そりゃ困ったな。昼に食べたすしのせいかもしれねぇな。食いつけねぇもん食ったせいだろ」「すしだけじゃねぇ、さっきはうどんも食ったし、いろんなもん食って、腹がいっぺぇだ。早く、だすもんださねぇえと、気分が悪くっていけねぇ。勘定場はどこだべぇ」「それじゃ、若い衆にきいてみるべぇ」

手をたたきますと、すぐに宿の若い衆がやってきます。「へぇ、お呼びでこざいますか。ご見物は明朝からということで、案内人に先ほど申しつけまして、明朝早めにお迎えにまいります。ただいま、お風呂の支度もいたしておりますが、お呼びになりましたご用件は?」「せがれが、勘定をちょっくら、ぶたしてもらいてぇ」

「ただ今ですか? 5日ほどお泊りとうかがっておりますが…、宿のお勘定なら、お帰りになるとき、まとめていただいております。それで、けっこうなんで……」「はぁ? するてぇと、勘定ぶつのは、5日も先か?」「へぇ、さようで」「とても、そうは待てねぇ、江戸はどうか知らねぇが、おらっとこは、毎日勘定ぶつだ」「さようですか。そりゃ、毎日勘定をいただいてもかまいませんが、そんなにお急ぎにならなくとも」「おめぇは急がなくたって、おらぁ、急ぎてぇ」「そりゃ、えらく、おかたいことで」「かてぇか、やわらけぇかは、やってみねぇとわからねぇ」「わかりました。では、さっそくですから、いただいてまいりましょう」「いただく? 勘定場へ案内ぶってくんねぇかな」「へぇ、帳場のほうが、ただいま、ごたごたしてますんで、なるべくなら、こちらでねがいたいんですが」「ありゃ、ここでぶってかまわねぇのけ。そんじゃ、勘定板かしてもらいてぇ」「勘定板?」

勘定板と聞いて宿の若い衆は、算盤(そろばん)のことだろうと、気をきかせて帳場から持ってきました。そのころの算盤ですから、裏に板が張ってあるもので、それを持ってきました。「どうも、お待ちどうさま……」「えっ、これが勘定板? えらく幅もせめぇし、たけも短けぇな。これじゃ、勘定がはみだすようなこと、なかんべぇか」「そんなことはございません。どんな大きな勘定でも、そのなかにおさまりますので」「うーん、これでおさまればええがなぁ。で、どこでぶつべぇか。人の見てる前じゃ、こっ恥ずかしくてためだ」「なるほど、では、お隣りの部屋が空いておりますから、お使いください。床の間の前が、日当たりがよろしゅうございますから」「えっ、なにかい? 床の間の前でぶってもかまわねぇのけぇ」「へぇ、お済みになりましたら、ちょっと、お手を願いまして、手前があとでちょうだいにあがります」「いやぁ、そりゃすまねぇ、お頼み申すだよ」

隣の部屋へ入ったせがれ、算盤を裏返してこれにまたがって着物をまくったところ、床が少しばかり傾斜しているのか、算盤がころころと廊下へ転がり出ました。

「ありゃりゃりゃ……。父っつぁま、ちょっくら出てきておくんなせぇ。江戸は便利だ、勘定板が、車仕掛けだ」


「10月4日にあった主なできごと」

1669年 レンブラント死去…『夜警』『フローラ』『自画像』など数々の名画を描き、オランダ最大の画家といわれるレンブラントが亡くなりました。

1814年 ミレー誕生…『晩鐘』や『落ち穂ひろい』などの名画で、ふるくから日本人に親しまれているフランスの画家ミレーが生まれました。

1957年 初の人工衛星…ソ連が世界初となる人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功しました。これ以降、アメリカとソ連の宇宙開発競争が激しさを増していきました。

「おもしろ古典落語」131回目は、『鬼の面(おにのめん)』というお笑いの一席をお楽しみください。

大きな商家の河内屋に、住みこみで奉公にきているおせつは、まだ十二になったばかりの女の子。毎日、そうじやせんたく、子もりなどをして働いています。きょうも、赤ん坊を背負って、道具屋の前にやってきました。

「おじょうちゃん、いつもこの店にきて、お面を見てるけど、なんのお面をみてるんだい?」

「このお面、あたしの、おっ母さんにそっくりなの」

「ほう、このおたふくのお面にそっくりなんだね」

遠くの里から、奉公に来ていると聞いた道具屋のおやじさん、しばらく考えていましたが

「よーしきめた。これ、おじょうちゃんにあげるよ」

「えっ、ほんと?」

「あげるから持っておいき、そのかわり、大事にするんだよ」

おせつは、なんどもなんどもお礼をいって、うれしそうに店に帰りました。

それからというもの、自分の部屋の箱の中へお面をしまい、これを母親と思って「おっ母さん、おっ母さん」と、しゃべりかけ、さびしさをまぎらせていました。

そんなある夜、おせつの部屋から、人に語りかけている声が聞こえるのを不思議に思った店の若旦那、翌朝、おせつにお使いをいいつけ、その留守に部屋を調べてみると、箱の中からおたふくのお面が出てきました。若旦那は、おせつが、このお面を母親と思って話しかけていたと知ると、とっさに、いたずらを思いつきました。おたふくのお面と、こわい顔をした鬼の面を入れかえ、おせつをびっくりさせようと考えたのです。

ところが、店が忙しくなってしまい、いたずらしたことをすっかり忘れてしまいました。そうとは知らないおせつは、箱の中を見てびっくりぎょうてん。おたふくのお面が、こわい顔をした鬼の面に変っていたからです。

「たいへんだ、里のおっ母さんに、なにかあったんだ」

鬼の面を手にとると、実家の里まで半日もかかる道を、歩いていくことにしました。

帰るとちゅうのこと。暗くなりはじめた草原のむこうから、なにか、とてもいいにおいがしてきます。おなかがペコペコになっていたおせつは、なにか食べものにありつけるかもしれないと、においのする草原をかきわけていくと、顔にススキが当たって痛くてたまりません。そこで、持っていた鬼のお面を顔につけて進んでいくと、なん人かの男たちが、たき火をしながら、お堂の中でばくちをしているところでした。ガサガサ音をたてながらやってくる音に、見張りをしていた男がなんだろうと身構えると、たき火に浮かび上がってきた鬼の顔です。

「出た、みんな逃げろ」とどなったものですから、みんなは警察の手入れと勘違いして、いちもくさんに逃げてしまいました。風呂敷包みが落ちていましたが、おせつは気がせいているので、おにぎりをひとつだけもらって、わが家へ急ぎました。

「おせつじゃないか、どうしてこんな夜遅くに」父親の利平はびっくりしました。

おせつは鬼の面を見せながらわけを話し、母親に異変のないことを知ってほっと胸をなでおろしました。ところが、店のだれにも知らせずにもどったと聞いた利平は、すぐに河内屋につれもどそうと、おせつを大八車にのせ、急いで家を出ました。もどる途中、お堂の一件をおせつから聞いた父親は、真っ暗闇の中に、残されたままの風呂敷包みをひろうと、大八車にのせて河内屋へいそぎました。

さて、河内屋の方では、真夜中になってもお店の者が総出で、おせつの行方をさがしているところでした。そこへ、父親の大八車にのせられたおせつが、無事にもどって来たので、ようやく一安心です。しかし、騒動の原因が若旦那のいたずらとわかり、若旦那は、主人から大目玉をくらいました。

「ところで、その近江屋さんの印がある風呂敷包みはなんだい? もしかして…」 おせつから、いきさつを聞いた主人は、最近ぬすまれたと聞いていた近江屋へ、若旦那に風呂敷包みをとどけさせました。

「まちがいありませんでした。盗まれたものがそっくりあったそうです」

「おお、そりゃよかった」

「明日にでも、警察に届け出るそうです。ばくち打ちのしわざだとしたら、名乗りでることはないと思われるので、おせつと、利平さんには、来春にでもお礼をさしあげたいとおっしゃってました」

「よかったな、おせつ。利平さんもお疲れでしょうから、こちらでお泊りください」

「ありがとうございます」…と、おせつが鬼の面に目をやると、鬼が笑っています。

「あっ、旦那さま、さっきまでこわい顔をしていた鬼の面が、笑っております」

「そりゃそうだろう、来年の話をしたからな」


「9月27日にあった主なできごと」

1825年 蒸気機関車初の開業…イギリスの発明家スチーブンソンが蒸気機関車を実用化してから11年後、ストックトン~ダーリントン間19kmを走る世界初の鉄道が開通しました。蒸気機関車はその後数十年で世界中に広まり、産業革命に大きな貢献をしました。

1917年 ドガ死去…「舞台の踊り子」(エトワール)などたくさんの踊り子の絵を描いた画家ドガが亡くなりました。

「おもしろ古典落語」130回目は、『動物園(どうぶつえん)』というお笑いの一席をお楽しみください。

動物園というのは、今では全国あちこちにありますが、日本ではじめにできたのが、東京・上野の動物園で、明治15年の開園だそうです。明治36年になりますと、京都・東山にもできて、動物の数や種類からいっても、これが東西の双へきということになりました。そのころ、こんな大きな動物園へ行けない人のために、動物博覧会という見世ものがはやりました。いわゆる移動動物園で、地方都市では、とても評判になっていました。

東京の下町に、失業中の留吉という男がおりまして、いよいよ金も底をつき、しかたなく以前世話になった先輩の家に相談にいきました。すると、1か月に百円かせげる仕事があるといいます。百円といえば当時の勤め人の半年分もの高収入です。

「じつはな、こんど動物博覧会の仕事を手伝うことになったんだ」
「あー、うわさに聞いてます。外国から、真っ黒なライオンがくるとかいって…」
「そう、それだ。じつはな、そこの団長ってのが、アメリカ人で、あたしの友人なんだ。このライオンのおかげで、世界じゅうの評判をとって、こんど東京にくることになった。すっかり準備もととのったんだが、困ったことがおきてしまった」
「どうかしましたか?」
「日本にくる船の中で、ポックリ死んじまったんだよ。これがいなくちゃ、人が集まりそうにない。悩みぬいて、ぬいぐるみの黒ライオンを出そうってことになった。このあいだ見せてもらったんだが、とてもよく出来ている。目玉は動くし、ボタンを押すと口を開けてウォーッとほえるしかけもある。どう見てもホンモノだ」
「へぇーっ、たいしたもんですね」

「で、そのぬいぐるみには、だれかが入らなくちゃならない。身体が大きくてのっそりして、気が長くて、どちらかといえばぼんやりしている男がいい。団長から、だれか心当たりがないかといわれて、あたしの頭にうかんだのが、失業中で、ぶらぶらしてるというおまえさんだ。明日にも、使いを出そうかと思ったが、その手間がはぶけたな。期間は1か月、毎日朝9時から夕方4時まで、食事もむこう持ち。上野動物園とはちがって、30分ばかりで休憩になるから、幕が降りたら、岩のうしろから楽屋にもどって一服していいし、暑かったらふんどし1枚でぬいぐるみに入ったらいい。これで百円だよ、どうだ、やってみる気はないか?」
「うーっ、うーっ」
「ここでライオンみたいな声をだすな。やるか、やらぬか、どうだ」
「うーっ、やります」

ライオンの歩き方の訓練をうけた留さん、家に帰っても、女房や子どもにもいえません。もっとも「こんどの動物園の、あの黒いライオンは、うちのおとっつぁんだ」なんて宣伝されたら、ぶちこわですし、お上に知れたら、手が後ろに回るかもしれません。

開場当日の朝、大きな広場へ行ってみると、
「黒いライオンなんて、ほんとうにいるのかい?」
「それがいるってんだよ、早く見たいな」
「どこにいるんだ、早くだせ」……いやはや、満員の大盛況です。

この動物博覧会はサーカスと同じ興行方式で、まもなく、タキシード姿の外人があらわれ、片言の日本語でしゃべりはじめました。

「親愛なる日本のみなさま、ごきげんよう。このたび、わたしたちは、たくさんの動物たちといっしょに、ご当地にやってまいりました。そのたくさんいる動物の中でも、もっともめずらしいのが、百獣の王といわれるライオンであります。ライオンといっても、どこにもここにもいるというライオンとちがいまして、全身が真っ黒、ブラック・ライオンです。さぁ、世にも珍しい真っ黒いライオン、さぁ、どうぞ……」

口上とともに、ラッパが鳴ると、ブカブカドンドンの楽隊の演奏とともに幕が上がります。ぬいぐるみの中の留さん、次第に興奮してきて、「こいつはいい商売だ、生涯ライオンで暮らそうか」などと、勝手なことを思いながら、大熱演。

やがて、また外人の弁士が現れまして、
「いかがでしたか、みなさん、ごらんいただけましたでしょうか、黒ライオンのすばらしさを……。さぁて、これからご覧に入れますのは、東洋の猛獣の王・虎(とら)=タイガーでございます。虎というのは、ふつうは黒と黄のブチですね。ところが、ここにおります虎は、珍しい白と赤のブチでございます。白と赤は、ニッポンの日の丸の旗とおなじ。ホワイト・アンド・レッド・タイガーです。こんな虎は、世界じゅうさがしてもめったにいません。それがここにいるのです」
口上が終わると、虎が「うぉー、うぉー」と、ものすごいうなり声。ライオンの前にいる見物人は、いっせいに虎のほうになだれうちます。

「えー、みなさん、ライオンと虎、もし戦ったとしたら、どちらが強いと思いますか。今日は開園記念の特別サービスの余興といたしまして、ライオンと虎のあいだの柵(さく)をとりはずします。さぁ、どうなることか、わたし知らない、あなたがた知らない」


柵がとりはずされ、驚いたのは留ライオンです。
「うわーっ、どうも話がうますぎると思った。こんなことで、虎に食い殺されたんじゃ、百円ばかりじゃとてもわりがあわない、ああこれがこの世の見納めか。『なむあみだぶつ・南無阿弥陀仏』」と唱えると、ノッシノッシと歩いてきた虎が、耳へ口をよせて……、

「心配するな。おれも百円でやとわれた」


「9月17日にあった主なできごと」

1867年 正岡子規誕生…俳誌「ホトトギス」や歌誌「アララギ」を創刊し、写生の重要性を説いた俳人・歌人・随筆家の正岡子規が生まれました。

1894年 黄海の海戦…日清戦争で、日本連合艦隊と清国の北洋艦隊とが鴨緑江沖の黄海で激突、清国海軍は大損害を受けて制海権を失いました。日本海軍が初めて経験する近代的装甲艦を実戦に投入した本格的な海戦として知られています。

「おもしろ古典落語」129回目は、『おしの釣(つ)り』というお笑いの一席をお楽しみください。

「おいおい、与太郎、そんなとこへ突っ立ったまんま笑っているやつがあるか」

「えへへ、どうも、七兵衛さん、驚いた」

「妙なあいさつだな」

「なんだってね、七兵衛さんは、釣の名人だって、ほんとか?」

「まあ、名人といわれるほどでもないが、釣は好きだな」

「釣の好きな人は出世するって、大家さんがいってた。弁天さまは、釣竿(つりざお)と鯛を持ってるって」

「あきれたね、それは恵比寿(えびす)さまだ」

「ああそうか、どっちでもいいや。支那のなんとかって人は、3年もの間、魚を釣ってたって?」

「ああ、太公望というお方だな」

「ふうん、それはなにか、支那の魚屋の親方か」

「困ったやつだな。太公望という方はな、竿(さお)をおろしながら学問をしてたんだな。魚を釣ったんじゃぁない、天下をお釣りになった」

「ふうん。よく持ち上がったな。けど、七兵衛さん、おまえさんみたいな釣の名人でも、釣れないときだってあるだろ?」

「まあ、たくさん釣れぬ日はあっても、まるっきり釣れないというのはないな」

「へぇっ、名人でも釣れない日があるってのに、七兵衛さんだけが釣れるってのは、どうしてだ」

「あたしはな、実はあまり人の行かないところで釣るんだ」

「人の行かないとこに、魚がいるのか?」

 「いるな。殺生(せっしょう)禁断の場所というのを知っているか?」

「知らない」

「知らねぇだろうな。上野にある寛永寺の池は知ってるな。あそこへ鯉(こい)を釣りに行くんだ」

「あそこは、魚をとると、捕まるって聞いたぞ」

「そこでだ。夜中に行くから誰にもわからない」

「へぇ、そりゃすごいや。七兵衛さん、あたいも連れてっとくれよ」

「だめだ。おまえのようなのを連れてった日にゃ、とんでもないことになる」

「なら、いいよ。そのかわり、あたい、しゃべっちまうよ。七兵衛さんは、殺生禁断の場所、上野・寛永寺のお池で、夜中に鯉を釣ってるって。これから、お湯屋と髪結床へいってこようっと……」

「おいおい待て、与太郎。そんなことされたら、一日で町内じゅうに広まっちまうわ。まあ、うっかり口をすべらせたおれがが悪かった。それじゃこうしよう。今晩、今晩だけ連れてってやろう。日が暮れたら、呼びにおいで」

「あいよ、わかった、さよなら」

「七兵衛さん、七兵衛さん、そろそろ出かけましょ。日が暮れましたよ、七兵衛さん。殺生禁断の場所。ところは上野の寛永寺。お池の中にゃ鯉がいる。七兵衛さ~ん」

「ばか。こっちへ入れ。しょうがねぇな、大声でどなってやがる。世間じゅうへ聞こえちまうじゃないか。向かいのおしゃべりばばぁに聞こえたらどうする」

「ははぁ、そうか。そいつは気がつかなかったな。それじぁこれから、向かいへあたい、行ってくる」

「なにしに」

「今あたい、七兵衛さんそろそろ出かけましょう、殺生禁断の場所、ところは上野の寛永寺、お池の中にゃ鯉がいる。これだけいいましたが、どれが聞こえましたかって」

「念の入ったばかだな、おまえは。さぁ、この道具貸してやるから大事に使うんだぞ」

「あたいね、もう、釣らないうちから、どきどきしてきちゃって。えへへ、この魚籠(びく)いっぱいなるのか?」

「なるな」

「へぇ、こんなにか。ねぇ七兵衛さん」

「なんだ」

「殺生禁断といやぁ、やっちゃいけないってことだよね」

「そうだ」

「釣をしてはいけないなら、見張りがいるね」

「いるよ。山同心っていうお役人が二人いて、六尺棒持って回ってるんだ。見つかった日にゃ、いきなり六尺棒でぽかりだ」

「ぽかりと、くるの?」

「3つばかりくる」

「どこをぶつかな」

「そうだなぁ、やっぱり頭かな」

「どっち側?」

「そんなことは分からねぇ」

「できたらね、あたいは、こっち側に願いたい。こっち側には、おできができてる」

「そんなことは向こうが知るわけないだろ。『こらっ!』といいながら、『ここは殺生禁断の場所、知って釣ったか、知らずに釣ったか』とくるな。たいていのやつは、『はい、知らずに釣っておりました』と謝っちまう。が、こいつはちょっとまずい逃げ口だ。いっそのこと、むこうが思いもつかねえことをいうんだ」

「思いもつかないことって?」

「『おおせではございますが、殺生禁断てぇことは、よく存じております』と、こういうんだ。向こうは怒る。『知らずに釣ったとあらば、許しようもあろうもの、存じながらとは不届き千万』と、ここでまたぽかりだ」

「ははぁ、おかわりだ」

「おかわりってやつがあるか。これだけたたかれりゃ、ひとりでに涙が出てくる。涙を先方に見せながらな、わたくしには一人の父、ここは母でもかまわねぇよ、とにかくそいつがおりまして、長らく寝ております。鯉が食べたいと申しますが、なにしろこの貧乏暮らし、とても買い求めることができません。悪いこととはぞんじながら、殺生禁断の池へ参りました。この鯉を、親に食べさせて喜ぶ顔を見ますれば、名乗って出る所存でございます、と、お役人の顔をじっと見ながらいうんだ。むこうさまにも情けってものがあるだろう、まして孝行の二字は重い」

「ああ、あんなに重いもんはねぇ」

「よく知ってるな」

「うん、こないだ、頼まれて持ち上げた。重えの重くないの」

「なんの話だ」

「こうこの石、たくわん石」

「まるで分かってねぇな……いいか、おまえはここで釣りな、あたしはあっちで釣ってるから」

「はなれ離れは心細いや。ここでいっしょに釣ろうよ」

「だからおまえは、ばかだってんだ。二人して釣ってるところを見つかってみろ、親孝行が二人して釣ってるのは、どう考えたっておかしいじゃねぇか。もしもね、あたしの方へ来て、ぽかぽかってやられたら、わぁとか、きゃぁとか大声を出すから、おまえは逃げちまいな」

「うはは、ありがてぇ」

「ありがたがってるんじゃねぇ。もしも、おまえの方に来たら……」

「いえ、よござんす」

「よござんすじゃぁ困るんだよ」

「それじゃぁ、あっちで釣ってら」

「そうか、じゃ、しっかりお釣りよ。おまえの方に来たら、おまえがぎゃァとか、わぁとかいうんだぞ」

離れたところで釣りはじめた二人。最初のうちはそれほどではありませんが、だんだん、だんだん魚が寄ってきますと、今度はえさをつけるのも間に合わないくらい。与太郎は、きゃぁきゃぁいいながら釣っておりますと……

「ご同役、近頃はよいあんばいに、この池で釣りをいたす者がおりませんな」

「さよう。ありがたいことで、いくらお役目とはいえ、ひっ捕らえるってのは、どうも心持ちよろしくないもの、できれば……おやおや、ご同役、ご覧くだされ。そう申しておるそばから、あそこで釣りをしておる者がいる。夢中になって釣っておる、不届きなやつだ。まったくうかうかできませんな……。こらっ、かようなところで、釣をいたしてはならん(ぽかり)」

「あいてて、いてぇ、おいでなすったな」

「なにがおいでなすっただ、こらっ(ぽかり)」

「いてぇ、痛えよ。ああ、あ、とうとうおできがつぶれちゃった」

「なにを申すか。ここをどこと心得る。殺生禁断の場所。知ってて釣ったか、知らずに釣ったか」

「えへへ、そこが肝心だ」

「何を申すっ、こらっ(ぽかぽかぽか)」

「いたい、おう痛ぁ、おまけをくらっちゃった。へぇ、その、なんでございます。殺生禁断、知ってて釣った」

「なにいっ、こやつ、知らずに釣ったとあらば、了見のしようもあるが、知ってて釣るとは、なんたる不届き、思い知れっ(ぽかぽか)」

「わぁっ、いたい、いたい、痛いよ、それじゃ約束が違わい、痛いってば、おう痛ぇ、あ、こんなに涙が出てきやがった。ははあ、これだな、あの、あのう、おおせではございますが、あたくしには、一人の、父、父と母があらぁ」

「それがあるから、その方が生まれたんだ(ぽかり)」

「あ、いたい、父や母の……」

「父や母がどうした」

「父や母が、寝ています」

「なに、両親が寝ておる?」

「へい、へい、両親、両親、その両親が病気で寝てら、鯉が食べたいっていうんだけど、銭がないから鯉が買えない。悪いと知ってながら、この鯉を親に食べさせ、喜ぶ顔を見てから、わたしは名乗って出るつもりでございますと、ここでお役人の顔をじっと見る。お役人だって人間だ、まして孝行の二字は重ぇや、えへへ、いかがなもんでござんしょう」

「お聞きになりましたか、実にどうも、たいへんなばかですな。しかし、おろか者ではありますが、親孝行とは感心なもの、いかがしましょう、見逃してやりましょうか?……おい、その方、名はなんと申す」

「はあ?」

「その方の名前だ」

「えへへ、あります」

「そりゃあるだろう、なんと申す」

「あたいの名は、与太郎さん」

「おのれにさんをつけるやつがあるか。親孝行にめんじて、特に今夜は許してつかわす。魚は釣ったか」

「へえ、そりゃもう、何しろ、この魚籠いっぱいで、これ以上入らねえってくらい。風呂敷かしてください」

「ばかを申すな。そのまま持ち帰ってよい。親を大切にしろよ」

「へえ、まあ、ようがしょ」

「よかあない、忘れものはないな」

「へい、またきます」

「きてはならん」

「……ああ、おどろいたね、どうも。ずいぶん釣っちゃったな、こんなに釣ったのなんてはじめてだ。その代わり頭もこぶだらけ。親孝行はきくね、忘れもののないようにっていってたな……忘れもの、忘れもの、忘れ……そうだ、たいへんだ、七兵衛さんに知らせるの忘れちゃったぞ。きゃぁとか、ぎゃぁとかいわなくちゃいけないんだ。もいっぺん行って、聞いてみよう……えへへ、こんばんは」

「また来たな、早く帰れ」

「えへへ、忘れものなんで」

「忘れもの、あれほど申したのに、しょうがないやつだ。忘れたものはなんだ」

「えへへ、その、きゃぁてのをひとつ」

「きゃぁだと? なんだそれは? いいからとっとと帰れ」

「へい、弱ったね、こりゃぐずぐずしてると、またぽかりだな、弱ったなぁ……まあいいや、おいらもぶたれたんだから、七兵衛さんもぶたれりゃいいや」と、与太郎はそのまま帰ってしまいました。

「あれは見逃してやっていいことをしましたなぁ」

「ああ、親孝行てぇのは心持ちのいいもんで……おや、ご同役、また一人、釣りをしておりますな、ほれ、あそこに」今度は二度目ですから、はさみうち。

「これっ、また釣っておるかっ」と、六尺棒を打ちおろしました。また釣っておるか、「また」という言葉が耳に入ったから七兵衛さん、ばかがしくじったなと思うと、とたんに舌がもつれて、声が出ません。

「あ、あっ、あぅ、あぅ、う、う、う」

「ご同役、あまりおぶちなさるな、こやつ、おしと見えて、口をききません。……その方はおしか?」これを聞いて七兵衛、この際、ひとつおしで押し通そうと、「……あぅうぅあぅ」

「おしですな。ここはな、殺生禁断の場所、と、いったところで、わかからぬか。ううん、困ったな。これこれ、かようなところで(その辺りをさし)、このようなこと(釣のしぐさ)をいたすと、このような目(後ろ手にしばられる形)にあうぞ。その方は (七兵衛を指し)、存じて(自分の胸を指し)、釣ったか(釣しぐさ)? 知らずに(手を左右に振って)、釣ったか(釣しぐさ)?」

「ふあぁ、ふえぇ、うはっ(あたりを指し、釣のしぐさ)」

「うん、なに? ここで釣ることを?」

「うははぁ(指で丸をこしらえ両眼に当てぱっと開いたあと、後ろ手にしばられる形になり、自分の胸を指しなんどもうなずく)」

「なに、見つかるとしばられることを知って釣ったのか?」

「ふえぇ(うなずく)」

「どうやら、身どものしゃべることは聞こえるらしい」

「ふえぇ(しきりにうなずきながら、自分の耳を指す)」

「耳は聞こえる? 厄介なおしだな。……なぜ、かようなところで釣をいたした」

「うふぇ、うあぁ」といいながら、七兵衛は、けんめいなジェスチャー。(右手の親指を出し『父が』、鉢巻をまく形、右手で腕まくら『病気で寝ている』、左腕の脈を右手で診て首を横に振る『余命いくばくもない』、ひじを脇にくっつけて両手を肩のところでばたばたと動かしてから(魚の形)、しきりに食べるしぐさ『魚が食べたい』。指で丸を作り、これを前に出す。右手を左右にふる『金がない』。また魚の形、釣りのしぐさ、両手にものを乗せ、さし出し食べるしぐさ。にこっと笑い、また食って笑ってみせる『釣った魚を食べさせて、喜ぶ顔を見れば』という意。うなずき、手を後ろに回し、頭を深々と下げる)

「ご覧になりましたか。まず親指を出し、はち巻をしめて、寝て、脈を取りましたな。これめの親が寝ておりますな。魚の泳ぐ真似をして、食べる真似をして、ははァ、鯉が食べたいが金がない。釣った魚を食べさせて、喜ぶ顔を見てから、名乗り出る所存と、こういうわけか?」

「うふぇ(なんどもうなずく)」

「うむ、また親孝行か。さっきのがばかの親孝行で、今度がおしの親孝行。みょうに今夜は、親孝行のはやる晩ですな。しかし、ばかを許して、おしを召しとらえるわけにもいきますまい。これも許しましょう。これ、その方、名はなんと申す……といってもいえぬか」

「ふえぇ(指を1本ずつ開き、七で止め、右手であかんべえをする)」

「指が7つで七、それに、あかんべえ、おぅ、その方、七兵衛と申すのか」

「ふえぇ(うなずく)」

「ううん、なるほど、手まねでもって自分の名を申した。許してやるぞ」

「(思わず)ありがとうございます」

「はぁあ(感心して)、器用なおしだ。口をきいた」


「8月28日にあった主なできごと」

1708年 シドッチ屋久島へ上陸…イタリア人宣教師シドッチが屋久島に上陸。鎖国中だったため捕えられて江戸に送られ、新井白石の訊問を受け幽閉されましたが、このときのやりとりは後に『西洋紀聞』にまとめられました。

1862年 メーテルリンク誕生…『青い鳥』など劇作家、エッセイスト、詩人として活躍し、ノーベル文学賞を受賞したメーテルリンクが生まれました。

1929年 ツェッペリング号世界一周…全長236mものドイツの飛行船ツェッペリング号は、約12日間かけて世界一周に成功しました。しかし飛行船は、実用的には飛行機にかなわず、現在では、遅い速度や人目につきやすい特長をいかして、広告宣伝用として使われています。

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