児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

おもしろ落語

「おもしろ古典落語」138回目は、『御慶(ぎょけい)』というお笑いの後半(新年編)をお楽しみください。

富に当たって、いちやく成金となった八五郎。新しい年をむかえると、さっそく、大家のところへ年始のあいさつにでかけます。

「おう大家さん、おはよう、おめでとうござんす」
「おっ、ばかに早いな。いやぁりっぱになったな、紋付にかみしもか。まぁ、そういうこしらえをしたなら、突き袖っていうのをしなよ」
「なんです? 突き袖ってのは」
「ああ、両方のたもとにこう手を入れてな、左のたもとは、脇差の上へ軽くのせるんだ。そうそう、それでいい。そのかっこうに扇子がないのはおかしい。ここに白扇があるから、おまえにあげよう。これを前のところにさして……、あはは、すっかりりっぱになった」

「えへへ、なんだか芝居をやってるようだな。それじゃあらためて、おめでとうござんす」
「ああ、おめでとう。だがな、りっぱな身なりで『おめでとうござんす』というのはおかしい。『旧年中はなにかとお世話になりまして、ありがとう存じます。本年も相かわらずお引き立てのほどを、よろしくお願いいたします』とか、そのくらいのことをいったらどうだ」
「冗談じゃねぇ、そんな長ったらしいこといえるもんかい。もっと短くって、気のきいたあいさつはねぇかい」
「短くてか、『銭湯で はだかどうしの 御慶かな』『長松が 親の名でくる 御慶かな』なんていう句があるから、『御慶』ってのはどうだ」
「えっ、どけぇ?」「どけぇじゃない、ぎょけい」
「なんだい、そりゃ」
「まぁ、おめでたいという意味だ。むこうで、『おめでとうございます』っていったら、御慶っていうんだ」
「そいつはいいや。それから?」
「まぁ、正月のことだから、おとそを祝いましょう、どうぞおあがりくださいとでもいわれるだろう」
「冗談じゃねぇ、いちいちあがってた日にゃ、まわりきれねぇや」
「だから、そういわれたら、春永(はるなが=日が長くなってから)にうかがいますってんで、永日(えいじつ)といいな」
「へぇー、おめでとうで『御慶』、おあがりなさいで『永日』か。これならおぼえられらぁ。へぇ、ありがとうござんす。えへへ、ありがてぇ、どこからやろうかな。そうだ、虎んとこへいっておどかしてこよう」

「おーい、虎、虎公いるか…」
「あのぅ、もし、おとなりさんはお留守よ。あーら、まぁ、どこの旦那かと思ったら、八っつぁんじゃないの」
「ああ、のり屋のおばあさんか。虎はいないのけぇ」
「なんかね、さっき友だちがきて、三人ででかけたよ」
「ちくしょうめ、人がせっかくこのなりを見せてやろうと思ったのに、張り合いのねぇ野郎だ。じゃいいや、おばあさん、虎公のかわりに、ひとつやってくんねぇ」
「えっ、なんだい?」
「おめでとうってのを、やってくんないか」
「あっ、そうそう、まだいってなかったねぇ。申し遅れました。おめでとうございます」
「うん、御慶ぇ」
「な、なんでございます」
「なんでもいいんだ。そのあとをやってくんねぇ」
「そのあとって?」
「どうぞ、おあがりって、いってくんねぇか」
「それがねぇ、そういいたいけど、ちらかってるもんだから……」
「いいんだ、あがりゃしない。おまえがそういってくれねぇと、おらぁよそへ行けねぇんだからよ」
「そうかい、じゃ、どうぞおあがりください」
「永日ぅ…、べらぼうめ……、びっくりしてやがら。おや、向こうからくるのは金坊だな、おーい、金坊」

「おう、八公じゃねぇか、すっかりりっぱになっちまって、千両富にあたったんだってな」
「やってくれよ、おめでとうってのを」
「あっそうか、おめでとう」
「御慶ぇ」
「なんだい?」
「いいから、あとをやれ」
「あとってのは、なんだ」
「どうぞおあがりくださいってのをやってくれ」
「よせよ、ここは往来じゃねぇか」
「いいんだよ、おめぇがそういってくんねぇと、おりゃ向こうへ行けねぇんだ」
「じゃ、いうよ、どうぞおあがりください」
「永日だ、べらぼうめ」
「べらぼう?」

「あっはっは、目を白黒させてやがる。ああ、ありがてぇ、ありがてぇ。おっ、きやがった、虎公が半公と留と三人で、まゆ玉かついで帰ってきやがったな。おーい」
「やっ、八公が、たいへんななりしてきやがったなぁ。大当たりだそうだな」
「あはは、おい、おめでとうってのをやってくれ」
「よっ、こりゃどうも、おめでとう」
「おめでとう」「おめでとう」
「えへへ、三人まとめてやるからな。御慶ぇ、御慶ぇ、御慶ぇ」
「よせよ、みっともないから、にわとりが卵を産むような声をだしやがって」
「わからねぇ野郎だな。ぎょけぇっていったんだ」

「どけぇ? ああ、恵方(えほう)まいりに行ってきたんだ」

*「恵方(えほう)」は、その年の干支に基づく吉の方角のことで、「恵方まいり」は、その方角に当たる神社に参拝すること。


「1月6日にあった主なできごと」

1215年 北条時政死去…鎌倉時代の初期、源頼朝がうちたてた鎌倉幕府の実権を握り、北条氏の執権政治の基礎を築いた武将・北条時政が亡くなりました。

1412年 ジャンヌ・ダルク誕生…「百年戦争」 でイギリス軍からフランスを救った少女ジャンヌ・ダルクが生まれました。

1706年 フランクリン誕生…アメリカ独立に多大な貢献をした政治家、外交官、また著述家、物理学者、気象学者として多岐な分野で活躍したフランクリンが生まれました。

「おもしろ古典落語」137回目は、『御慶(ぎょけい)』というお笑いの前半(年末編)をお楽しみください。

江戸っ子のあいだに富くじという、宝くじのようなのが流行った時代がありました。一攫(いっかく)千金をねらう欲の皮のつっぱった町人も多く、夫婦げんかの絶えない家もずいぶんありました。長屋の八五郎夫婦もそんな家のひとつでして……。

「どうするんだい、おまえさん。暮れの28日だというのに、仕事もしないでぶらぶらして、やれ、ゆうべこんな夢をみたからどうだとか、のんきなこといわないでおくれよ」
「なにいってやがる。仕事をしねぇったって、富というのは、ひとつ当たりゃ一夜のうちに大金持ちになるんだぞ。さっきもいった通り、おれはいい夢を見たんだ。こんどはまちがいなく当たる。だから、一分だけ都合つけてくれよ」
「なにいってんだよ。一文だって都合できるもんかね。そんなに富がよかったら、富と夫婦になったらいい。あたしを離縁しとくれ!」
「くだらねぇこというな。なぁ、なんとかしてくれよ」
「だめだよ」
「じゃ、こうしよう。おまえの半てんをぬげ。質屋の番頭に談じこんで、一分こしらえるから」
「こんなもんで一分なんて大金貸すもんか」
「貸すよ、おれが借りてみせらぁ」
「いやだよ、これを持っていかれちゃ、正月に着ていくものがないじゃないか」
「いいから脱げ。脱がねぇと張り倒すぞ」

いやがるかみさんの半てんをむりやりひっぱがすと、質屋の番頭をおがみ倒して、千両富のくじ代をこしらえると、湯島天神の札場へ飛んでまいりました。
「おっ、すまねぇ、1枚もらいてぇんだ」
「いらっしゃいまし。番号にお好みでも……」
「大ありよ。いい夢を見ちゃったんだ。鶴がはしごのてっぺんにとまってんだ。だからよ、鶴は千年てぇから、鶴の千で、はしごだから八四五。だから、鶴の千八百四十五番、こいつをもらいてぇんだ」
「ちょっとお待ちください、あるかどうか…いま調べますから。いやこりゃ、うっかりしておりました。ただいま、その番号を買ってお帰りになった方がございます」
「おいおい、よしてくれよ、それが千両になるんじゃねぇか。すまねぇけど、おんなじ番号をもう一枚、こしらえてくれ」
「そういうことはできません」
「だめかね、じゃいらねぇや。ちくしょうめ、一足ちげぇか。運のねぇのはしょうのねぇもんだ。ああ、死にたくなったな、川へ飛びこんで。……でも、この寒さじゃ、冷てぇだろうな。首をくくるんじゃ、ざまぁ悪いし、ああ、なさけねぇ……」

「ちょいと、そこへ行くかた、どうだな、ひとつ見てしんぜようか。なにか心配事があるようじゃな」
「えっ、なんだい、易の先生かい。せっかくだから、見てもらおうか」
「なにを見るかな、縁談、金談、失せもの、人さがし……」
「そんなもんじゃない。おれはね、じつはいい夢を見たんだ」
「ああ、夢判断か。それは、わしの得意とするところだ」
「じつはね、鶴がはしごのてっぺんにとまってんだ。だからよ、鶴は千年てぇから、鶴の千で、はしごだから八四五。だから、鶴の千八百四十五番買えば、千両富に当たると思うだろ、なぁ先生」
「なんだ、富にこっていなさるのか。しかし、富なんてものは、当たるもんじゃない。あんなものはやめなさい」
「なにをいってやんでぇ、この野郎。おらぁ、一足ちげぇで、その番号を買われっちまったんだ」
「よほど思いつめておるな。よろしい、ではみて進ぜよう。鶴は千年で、はしごが八百四十五と考えたのだな、それは素人の考えそうなことじゃ」
「なんだ? 素人も玄人もあるか」
「じゃ、おまえさんに聞くが、はしごというものは、のぼるのに必要なものか、おりるのに必要なものか、ご存じかな」
「ありゃ、のぼったりおりたりするもんだ」
「そうじゃが、おりるより、のぼるほうに必要なもの。八百四十五とおりてくるより、五百四十八とのぼるのが本当だ。鶴の千五百四十八番、これを買わなきゃあたらないよ」
「なるほどな、やっぱり商売だ、うめぇことをいう。ありがとうよ」
「これこれ、見料をおいていきな」
「冗談じゃねぇ、ここで見料おいた日にゃ、札が買えねぇ。当たったらおめぇに、いくらでもけぇしてやらぁ、ありがとよ」

運よく、鶴の千五百四十八番が買えた八五郎、札をふところに、境内に入ってくると、もういっぱいの人だかりです。欲の張った連中ばかりですから、うるさいのなんの。いよいよ、富の箱の中を長いキリを持った小坊主が出てきて「突きまーす」と叫ぶと、場内はしーんと静まります。さぁ、この番号を聞きもらさないようにと、せきばらいひとつありません。そこに、子どものかん高い声がして、当たりくじの読み上げがはじまります。

「つるのおぅ、せん、ごひゃくぅ、よんじゅう、はちばぁん……」
「ああ、あー、あ、あたあたあたたた……」
八五郎、腰をぬかして気絶寸前におちいりますが、まわりの人たちに助けられて意識をとりもどします。当たりは千両でも、すぐ受け取ると二百両差しひかれると説明されますが、来年までなんぞ待ってられるかと、八百両受け取った八五郎、飛ぶように長屋へご帰宅。富が当たったと聞いたかみさんも卒倒。
「だからあたしゃ、おまえさんに富をお買いっていった」
「うそつきゃあがれ、こんちくしょー」

さあ、それから大変な騒ぎです。正月の年始回り用に、着たこともない紋つきのかみしもと脇差しを買いこむやら、大家にたまった家賃と十年分の前払いだといって十五両たたきつけるやら。酒屋が来て、餠屋が来て、まだ暮れの二十八日だというのに、一足先にこの世の春のようです……。


「12月27日にあった主なできごと」

1571年 ケプラー誕生…惑星の軌道と運動に関する「ケプラーの法則」を発見したケプラーが生まれました。

1780年 頼山陽誕生…源平時代から徳川にいたる武家700年の歴史を綴った 「日本外史」 を著した学者・歴史家で、詩人・書家としても活躍した頼山陽が生まれました。

1822年 パスツール誕生…フランスの細菌学者・化学者で、狂犬病ワクチンを初めて人体に接種したことなどの業績により「近代細菌学の開祖」といわれるパスツールが生まれました。



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本年のご愛読をありがとうございました。
新年は6日からスタートする予定です。
皆さま、よいお年を !

「おもしろ古典落語」136回目は、『抜(ぬ)け雀(すずめ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

相州(神奈川)の小田原に、夫婦二人だけの小さな宿屋がありました。
「ちょいと、おまえさん。2階にいる3番のお客さん、どうするつもりだい。あれから5日になるけど、朝から酒ばかりのんで、やれ刺身をもってこいの、酢のものがいいのと、かってなことばかりいって、それでいて勘定のことは、かの字もいわないよ」
「あんまりきついことをいうな。はじめに約束したんだからしかたがない。『酒はまいにち朝昼番に1升、まずいものは食わぬ。とりあえず100両もあずけておくか』というから、『お立ちのおりでけっこうです』っていったんだ。そのてまえ、5両たまろうが、10両たまろうが、おれから催促はいえるか」
「みえばかりはって、そんなこというんだ。それじゃ、わたしがいってくるよ」

「ごめんくださいまし」
「おう、おかみか。いま呼ぼうと思っていたとこだ。ゆうべのかつおの刺身がうまかったから、今朝もあの刺身に酒を1升たのむぞ」
「ご注文のものはもってまいりますが、じつは旦那さま、お勘定がこれまでに5両ほどたまっております。きょう酒屋へ払いをしなくてはなりません。お手元に5両ございますれば、ちょいと、お立て替えねがえませんでしょうか」
「うむ、5両か。あいにくいまは、こまかいのが手元にない」
「大きいのでもよろしゅうございます。つりをもらいますから」
「大きいのもない。きれいなもんだ。あるのは鼻紙に、たもとくそばかりだ」
「おや、あきれた。それじゃぁ、お勘定はどうしてくださるんです?」
「おまえではわからぬ。亭主をよこせ。そんなフグみたいな顔した女ではわからぬ」

プンプンふくれたおかみさんから、いきさつを聞いた亭主が、座敷にまいります。ところが男は、金はないのいってんばり。
「だってあなた、お泊りの時に、百両預けようかとおっしゃいました」
「あれは、うそだよ。おまえを安心させて、うまいものを食う計略だ」
「こりゃおどろいた。金がないのなら、早くたってくださったらいいじゃないですか」
「たつには勘定を払わなくてはならない。しかたなく、がまんしてやったんだ」
「がまんなんかしないでけっこう、さっさとたってくださいまし。やっぱりかかぁのほうが、目が高いや」

「そうぶつぶついうな。それではたってやるが、このままたっては心持ちが悪い。なにかかたをおこう。そこにある白いついたては、白いままでおくのか」
「このあいだ、あなたのように金のない表具(たてぐ)屋が泊まりましてな、宿賃のかたに張っていったもんで、書家の先生でも泊まったら書いてもらうつもりでした」
「じゃ、ちょうどいい、わしが絵をひとつかいてやろう」
「へぇ、あなたは絵かきさんですか。なんとおっしゃるんで」
「おまえのような唐変木(とうへんぼく)に、名などいえない」

亭主をこき使ってすずりと筆を用意させ、墨をすらせると、いっきにかきあげました。
「なんでございます、これは」
「おまえの顔のまゆ毛の下でギラギラしてるのはなんだ」
「目です」
「見えないならくり抜いて銀紙でも張っとけ。雀が5羽だ。1羽1両で5両。亭主、わしはこれから江戸へいくが、帰りには金を持ってきて、この絵をかならず請(う)けだすから、それまではだれにも売ってはならぬぞ」
「こんな絵が売れますか」
「きさまにはわかるまい、買い手があっても売るなよ」
「買い手なんぞつきっこないですから、ご安心なさい」
男は、絵の下に小さなハンコを押すと、そのまま発っていきました。

とんだ客を泊めたと夫婦でぼやいていると、2階で鳥の鳴き声がします。どうしたことかと男の泊まっていた部屋を開けると、5羽の雀が飛びまわっています。そのうち、5羽の雀が、絵の中に飛びこんだではありませんか。夫婦は、顔をあわせてびっくりぎようてん。

これが、「世にも不思議な5羽の抜け雀」と、小田原じゅうの評判を呼んで見物人がひっきりなしです。
そのうわさは小田原城主にも伝わり、お忍びでこのついたてを見ると、いたく気に入って千両で買い上げるといいます。でも宿の亭主は、この絵をかいた男から、買い手があっても決して売るなといわれているといわれ、その男が請けだしにきたら知らせるようにと帰りました。
殿さまが千両といったという話は、またまた評判になって、宿屋は押すな押すなの大繁盛です。

そんなある日、六十すぎの品のいい老人が絵をみたいと、やってきました。
「うーむ。この雀は死ぬぞ」
「えっ、ご冗談でしょ。絵にかいたものが死ぬなんて」
「いや、そうでもない。たとえ絵でも抜けだして飛ぶくらいのものは、必ず死ぬであろう」
「どうして死ぬんですか」
「抜けだしても、羽を休めるところがないから、そのうち疲れて落ちてしまう。落ちたら3文の価値もない。なんというものがかいた」
といいながら、下にあるハンコを見て、
「ああ、このものならこのくらいはかくであろう。亭主、すずりを持ってまいれ。ちょっと筆を入れてやろう」
「ごめんこうむります。千両のついたてを、汚されてはかないませんから」
「汚したりはせぬ。わしが筆をくわえりゃ、千両が二千両になる」

「えっ、二千両? お願いいたします」
すずりをもってくると老人は、ついたてに、ちょいちょいちょい。

「なんでございます、これは」
「おまえの顔のまゆ毛の下でギラギラしてるのはなんだ」
「目です」
「見えないならくり抜いて銀紙でも張っとけ」
「のんだくれと同じこといってる」
「鳥かごじゃ。飛んでる鳥も、このかごに入って羽を休める。そうすりゃ、この雀たちは無事だ」
なるほど、雀が飛んでくると、鳥かごに入り、止まり木にとまりました。
「いゃー、おどろきましたなぁ。あなたさまのお名前は?」
「おまえのような唐変木に、名などいえない」
「いゃー、まえの先生と、いうことまでおんなじだ」
そのまま、老人はにっこり笑って行ってしまいました。

さぁ、これがまた大評判になって、とうとう殿さまがまた現れて感嘆し、この絵を二千両で買いとるといわれると、亭主は腰を抜かしましたが、りちぎに絵師が帰ってくるまで待ってくれと売りません。
それからしばらくして、りっぱな身なりの侍がやってきました。
「あー、許せ。ひと晩やっかいになるぞ」見ると、あの時の絵師ですから、亭主は飛び上がって喜びました。

老人が鳥かごを描いていったいきさつを話すと、絵師は二階にあがり、びょうぶの前にひれ伏すと「いつもながらご壮健で……」
聞いてみると、あの老人は絵師の父親だといいます。
「いかに年若とはいえ、かかることに心づかざりしかと、さだめしお笑いあそばしたでござろうが、不孝のだんは、お許しください」
「おや、泣いてるぜ……もし、旦那さま、あなたぐらいの名人になったら、なにも不孝なことはございますまい」

「いや亭主、りっぱな不孝であろう。親を『かごかき』にした」


「12月12日にあった主なできごと」

1834年 福沢諭吉誕生…慶応義塾を設立するなど、明治期の民間教育を広めることに力をそそぎ、啓蒙思想家の第一人者と評される福沢諭吉が生れました。

1862年 英国公使館を焼き討ち…1858年の「日米修好条約」に反対する長州藩士・高杉晋作らは、幕府を窮地に立たせようと江戸・品川に建設中のイギリス公使館を焼き討ちにしました。

「おもしろ古典落語」135回目は、『石返(いしがえ)し』というお笑いの一席をお楽しみください。

夜なきそば屋のせがれの松公は、親父の屋台のあとをヘラヘラいいながらくっついて歩くばかりで、親父のあとをつぐ気がありません。
そんなある日親父は、
「今夜は、腰が痛くてたまらない。かわりにおまえがそばを売って来い」と、いいわたしました。

そばの作り方から、
「お寒うございます」というお愛想のいい方なんかをまず教え、商いをはじめる場所を教えます。
「おもて通りにゃりっぱなそば屋があって売れないから、できるだけさびしい場所を選ぶんだぞ」
「それじゃ、墓場で売ろうか」
「さびしすぎるだろう。いいか、火事場のそばなんかだと野次馬が大勢集まってるからもうかりやすい」
「それじゃ、お父っつぁん、道具ぅ置いといて火ぃつけてまわろうか」
「ばかやろうっ!」と、なんとも頼りない。
それでもしまいに
「そばぁ、そばぁうううい」という売り声を教えこまれ、松公は商売に出かけました。

なかなか売り声がでてきませんでしたが、ひとりの男が声をかけてきました。
「おい、そば屋」
「なんだい?」
「そばをくれ!」
「いやだよ」
「もうねぇのか?」
「どっさりある」
「どうして売らねぇ」
「こんなにぎやかなとこじゃ、売らないんだ。これからさびしいとこへ行くから、ついてこい!」
「冗談いうな」と、怒っていってしまいました。

そのうち、ひと通りのないさびしい所に出たので、声をはり上げると、片側が石垣、片側が塀になっている大きな屋敷がありました。
「こんなところで売れるかな」と思っていると、塀の上の方から声がします。
「ぜんぶ買ってやるから、そばとそば汁を別々に残らずここに入れろ」と、上から大鍋と大徳利が下がってきたので、松公よろこびいさんでそばを鍋に、徳利に汁を残らず入れ、
「さぁ、さお鍋の宙づりだ。スチャラかチャンチャン」とはやすうちに、そばはスルスルと屋敷の中に消えていきました。

「おじさ~ん、おあしをおくれよ」というと、
「金か。ここから投げてもいいが、なくなるといけねぇ。その石垣に沿っていくと、門番のじじいがいるから、そいつからもらえ」とのこと。
ところがいわれた通りいってみたら、その門番、
「そいつは、たぬきのしわざだ。あそこにゃ人は住んじゃいない、それはたぬきで、おまえは化かされたのだからあきらめろ。たぶんたぬきが、引っ越しそばでもあつらえたんだろう。そんな金を人間がはらう義理はない。帰れ帰れ」と、六尺棒で追い立てられてしまいました。
松公は、泣きべそかきながら家にもどり、親父に報告しました。

「あそこは番町鍋屋敷というとこだ。たぬきでもなんでもない。商人(あきんど)をだましていじめてるんだ。よーしわかった、これから仕返しに行くぞ」と、屋台の看板を「しるこ・日の出屋」に書きかえると、松公を連れて現場へやってきました。
「しるこぉ」と声を張り上げると、
「おい、しるこ屋」と先ほどの声がしました。
「お父っつぁん、あれがたぬきだ」
大鍋が下がってきたので、親父は、そこに大きな石を結びつけました。
「お待ちどうさま」
「おいっ、この石はいったいなんだ?」

「さっきの石(意趣)返しでございます」

* 意趣(いしゅ)返しとは、仕返しの意味です。


「11月22日にあった主なできごと」

1263年 北条時頼死去…鎌倉時代の第5代執権で、北条氏本家による独裁政治の基礎を確立した北条時頼が亡くなりました。

1869年 アンドレ・ジッド誕生…『狭き門』『田園交響曲』『贋金つかい』などを著し、ノーベル賞を受賞したフランスの作家アンドレ・ジッドが生まれました。

1890年 ド・ゴール誕生…フランス建国史上最も偉大な指導者のひとりと評価されている政治家ド・ゴールが生まれました。

「おもしろ古典落語」134回目は、『安兵衛(やすべえ)キツネ』というお笑いの一席をお楽しみください。

ひとり者ばかりが住んでいる六軒つづきの長屋がありました。みんなが気があうかといいますと、そうでもありません。四軒の方のグループは仲がいいのですが、奥の変わり者の二軒とは、犬猿の仲です。奥のひとりは源兵衛といって、人が暑いといえば寒い、白といえば黒というところから、「へんくつの源兵衛」といわれています。もうひとりの安兵衛は、いつもグズグズしているので「グズの安兵衛」、つまってグズ安。へんくつとグズは、どういうわけか仲がいい。

ある秋の日、四軒のほうの連中が集まりました。
「おう、みんな、こんなにそろって仕事が休みなんてめずらしいや、どうでぇ、どっかへでかけねぇか」
「ちょうど、萩が見ごろっていうから、亀戸あたりへくりだすか」
「そいつはいい、せっかくだから源兵衛とグズ安にも、声をかけてやろうじゃねぇか」
「おーい源兵衛、長屋の連中が萩を見に行こうってんだ。おめぇもいかないか」
「そんなの見たってしょうがねぇ。見たけりゃ大家のとこへいくよ」
「大家んとこにゃ、萩はねぇだろ?」
「ハギはねぇが、ハゲがあらぁ」
「あんなこといってやがる」
「おらぁ、大勢で萩なんぞ見にいくより、ひとりで墓でも見にいきてぇ」
「あいかわらずのへんくつだ、かってにしろ。おーい、安兵衛、萩を見にいかないか、酒があるぜ」
「なに? 酒が飲めるのか。タダか?」
「タダじゃねぇ、ワリカンだ」
「それじゃやめた、めんどうくせぇ」

四人はあきれて行ってしまいます。源兵衛は、ほんとうはみんなと酒でも飲みたいのに、墓にいくといったてまえ、ひょうたんに酒を入れて、谷中の墓地までやってきました。どうせ墓で一杯やるなら女の墓がいいと「ナントカ信女(しんにょ)・没年26歳」と書かれた塔婆(とうば)の前で、チビリチビリとやっていました。すると、風がでてきて、急に塔婆が倒れてしまいました。後ろに回ってみると大きな穴があいています。塔婆で突っつくと、コツンと音がするので、よく見ると白いものがあります。
「おやっ、こりゃ骨だ」
むかしは火葬をしなかったので、土葬といって、棺桶に入れた死体を穴を掘ってうめ、その上に墓をこしらえましたから、桶がくさって、穴が浅いと、白骨が見えることがよくありました。
「こいつは気の毒だな。これもなにかの縁だ。回向(えこう)してやろう」と、残っていた酒をかけ、「ナムアミダブツ」と手をあわせて家に帰りました。

その日の真夜中のことです。「ごめんくださいまし」と女の声がします。はておかしいと出てみると、大変な美人が立っています。谷中からやってきたゆうれいで、生前酒好きだったので、昼間あなたがお酒をかけてくれて浮かばれたから、ご恩返しにきたといいます。ゆうれいは強引に、源兵衛のおかみさんになってしまいます。出てくるのは夜だけで、夜明けとともに消えてしまいます。

さて、女の酌でごきげんに一杯やっている源兵衛の姿を見たとなりのグズ安、いやみをいおうと、翌朝源兵衛に声をかけます。
「おい、源さん。水くさいじゃねぇか。かみさんをもらったんだろ」
「見たのか」
「見たぞ、ちょっと青白いけど、いい女じゃないか」
「こいつが、わけありなんだ」と、これまでのいきさつを話すと、安兵衛は、目を丸くしておどろき、自分も女房を見つけようと、同じように酒を持って谷中の墓地へでかけました。

なかなか手ごろな墓が見当たらず、奥のほうに行きますと、猟師がワナをかけてキツネをとったところにでくわしました。
「キツネつかまえてどうするんだ?」
「皮をはいで売るんだ。おれの商売なんだ」
「皮をむかれたら、キツネは痛いだろうね」
「そんなこと、キツネに聞いてくれ」
気の毒になった安兵衛、キツネとりと交渉して、金を払い、キツネをにがしてやりました。

さて、その晩のこと。若い娘に化けたあのキツネが、安兵衛のところにやってきて、お礼がしたいと、押しかけ女房になります。源兵衛のおかみさんがゆうれいで、安兵衛のおかみさんがキツネ、奥の二軒がきゅうににぎやかになったものですから、長屋の四人は、落ちつきません。
「源兵衛とこのかみさんは人間みたいだけど、安兵衛んとこのかかぁは、おかしくねぇか」
「そうだな。目がキョトンとして、口がとんがってやがる」
「おまけに、言葉づかいがおかしくねぇか。『おはようございます、コン』なんて、言葉のしまいに『コン』とか『コーン』てつくだろ」
「まるでキツネみたいだ」
これはどう見てもおかしいと、安兵衛が留守の間に家に押しかけました。

「まあ、安兵衛は用足しに出かけたんですよ。コン」と声がします。
いじの悪いやつが、戸をガラッと開けて「ワン!」と犬の鳴き声をすると、キツネ女房は、引き窓から跳んでにげてしまいまいました。
ことによると、安兵衛もキツネかもしれないと、近所にすむグズ安の父親をたずねました。でも、耳が遠くていっこうに話が通じません。
しかたなく、耳に口をつけるようにして、大きな声で「あのね、安兵衛さんは、お宅にいってませんか?」
「なに、安兵衛がどうした?」
「来てませんか?」
「安兵衛はコン(来ん)」

「あ、じいさんもキツネだ」


「11月12日にあった主なできごと」

1840年 ロダン誕生…19世紀を代表する彫刻家で『考える人』『カレーの市民』『バルザック』などの名作を数多く残したロダンが生まれました。

1866年 孫文誕生…「三民主義」を唱え、国民党を組織して中国革命を主導、「国父」と呼ばれている孫文が生まれました。
 
1871年 日本初の女子留学生… 岩倉具視を団長に、伊藤博文、木戸孝允ら欧米巡遊視察団48名がこの日横浜港を出港。そこに59名の留学生も同乗、その中に後に「女子英学塾」(現・津田塾大)を設立する6歳の津田梅子ら5名の女子留学生の姿がありました。
 
1898年 中浜万次郎死去…漂流した漁船にのっていてアメリカ船にすくわれ、アメリカで教育を受け、アメリカ文化の紹介者として活躍した中浜万次郎(ジョン万次郎)が亡くなりました。
 
1948年 極東軍事裁判判決…太平洋戦争敗戦後、GHQ(連合軍総司令部)による占領政治が開始されると、満州事変以来の政府と軍部指導者の戦争責任をさばく極東軍事裁判(東京裁判)が1946年から31か月にわたっておこなわれました。この日に最終判決が下され、東条英機ら7名に死刑、被告25名全員が有罪とされました。

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