児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

おもしろ民話集

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 83]

むかしある国で、いのししが畑を荒らし、家ちくを殺し、きばで人のからだをひき裂くので、みんなとても困りました。そこで王さまは、この苦しみから国を救ってくれるものには、たくさんのほうびをあげる、と約束しました。でもこのいのししは 大きくて強いので、いのししが住んでいる森に近づく勇気のあるものはありません。そこで王さまは、いのししをつかまえるか、殺すかしたものには、王さまの一人娘を妻にやると、おふれを出しました。

さて、この国に二人の貧しい兄弟が住んでいました。名のりでて、この冒険を引き受けようと考えました。兄はずるがしこいよこしまな心からやろうとしましたが、弟の方は、純すいで素直な心からやろうとしました。

王さまは兄弟にこういいました。「注意深くいのししを見つけ出すようにしなくてはいけない。それぞれ、反対側から森に入っていきなさい」そこで、兄は西の方から、弟は東の方から入っていくことにしました。弟がしばらくいくと、黒い槍をもった小人が歩みより、「おまえは、心が素直そうだからこの槍をあげよう。これを持っていれば、安心していのししに向かっていける。決してケガをすることはないからね」弟は小人にお礼をいうと、槍を肩にかついで、こわがらずにずんずん進んでいきました。しばらくすると、自分のほうにむかってまっしぐらにつき進んでくるいのししをみつけました。弟はもらった槍をいのししに突きつけていると、相手はそのままがむしゃらにつっこんできて、槍にぐさりと突きささり、心臓を真二つにされていました。弟は、いのししをを肩にかついで、王さまのところへ持っていこうと考えました。

森の反対側に出ると、入口のところに一軒の家があって、大ぜいの人が踊ったり酒を飲んだりして、どんちゃん騒ぎをやっていました。兄がそこへ入っていったとき、いのししが逃げ出すことはあるまいと、まずは一ぱい飲んでしっかり元気をつけるつもりでした。ところが、いのししをかついだ弟が森から出て来るのを見ると、ずるがしこいよこしまな心がむくむくおこり、落ち着いていられなくなって、弟にいいました。「おい、入ってゆっくり休んで、酒でも飲んで元気をつけるといい」

弟は、兄に悪だくみがあろうとは夢にも思わず、親切な小人が槍をくれたこと、その槍でいのししをしとめたことを話してきかせました。兄は弟を夕方まで引きとめ、いっしょに家に帰ろうとしました。ところが、真っ暗闇のなか、小川にかかっている橋のところにくると、兄は弟を先に渡らせて、川の真ん中へさしかかったとき、後ろからなぐりつけたので、弟は川に落ちて死んしまいました。兄は弟を橋の下に埋めると、いのししを奪って王さまのところへ持っていき、自分がしとめたと、うそをつきました。

王女を嫁にした兄は、「弟はいのししに、身体を引き裂かれたのでしょう」というので、だれもがそう思いました。でも、神さまの前にはなにごとも、いつまでも隠しておくことはできません。なん年か後のことです。一人の羊飼(ひつじかい)が、羊の群れをおってあの橋を渡りました。ふと下を見ると、砂の中にまっ白い小さな骨が見えました。これは、角笛のいい吹き口になると思った羊飼いは、骨を拾い、それをけずって自分の角笛の吹き口をこしらえました。さっそく吹いてみると、その小骨が、ひとりでに歌をうたいだしたのです。

羊飼さん、あなたはわたしの骨を吹きなさる
兄はわたしを殺し 橋の下にうめました
王女を嫁にもらおうと いのしし横どり手にいれて 

「ひとりでに歌うなんて、ふしぎな角笛だ。こりゃ、王さまにおとどけしなくちゃ」羊飼がそれを持って王さまのところへいくと、角笛はあの歌をうたい出しました。王さまは、その歌の意味がよくわかったので、橋の下の地面をほり返させると、弟の骨がそっくり出てきました。悪い兄は、自分のしたことを、もうごまかすことができません。そのため、袋の中に入れられ、生きたまま水に沈められてしまいました。それにひきかえ、弟の骨は、教会へ運ばれ、りっぱなお墓に葬られました。


「5月2日にあった主なできごと」

756年 聖武天皇死去…仏教を深く信仰し、全国に国分寺を建て、奈良の大仏を造った聖武天皇が亡くなりました。

1519年 レオナルド・ダ・ビンチ死去…『モナリザ』『最後の晩餐』など絵画の名作を描いたイタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ビンチが亡くなりました。

1948年 サマー・タイムの実施…欧米の政策を採り入れて、時計を1時間早めるサマー・タイムが実施されました。しかし、日本の生活習慣に合わなかったため、4年後に廃止されました。最近になって、エネルギーの節約と時間の有効活用のために、導入すべきだという声もきかれるようになっています。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 82]

むかし、越後(今の新潟県)の農家に、太郎と次郎という名の二人の男の子がありました。

兄の太郎は、幼いときから乱暴な上になまけ者でしたが、大きくなっても悪い性質が直りません。そのため父親に勘当(かんどう=親子の縁を切る)されると、ひょいとどこかへいなくなってしまいました。そのうち、父親は病気で亡くなり、弟の次郎は母に孝行な働きものでしたが、不作つづきで家の暮らしがたちゆかなくなってしまいました。しかたなく、すこしばかりの田んぼを売り、母を親類にあずけて、働きに出ることになりました。

江戸に出た17歳の次郎は、ある医者の家に奉公してせっせと働き、一文もむだづかいをしなかったので、10年後には15両もの大金をためることができました。「ご主人さま、お願いがございます。母がじょうぶなうちに、このお金を持ってふるさとへ帰り、なくした田んぼを買いもどして、家を持ちたいのです」「それは良い心がけじゃ」と、主人も感心して、旅に使うこづかいやみやげものを持たせてくれました。

江戸を出た次郎は、毎日てくてく歩き、暗くなると宿屋に泊りながら、越後をめざしました。ところが、ある人里離れた山道を急いでいると、いきなり山賊たちに襲われ、お金も着物もなにもかも奪われて、まるはだかにされてしまいました。せっかく10年もかけて働いたお金を、いっしゅんのうちに取られてしまう不幸をなげきましたが、これではふるさとへ帰ることも、江戸へもどることもできません。そこで、ひげだらけの山賊の親分に、手下にでも家来にでもしてくれないかと頼みました。すると、親分もきのどくに思ったのか、今うばいとった着物や品物を縄でしばり、次郎にかつがせ、じゅばんだけをかえして、山賊たちの隠れ家へ連れて行きました。

こうして次郎は、山賊たちの仕事の手伝いを2、3日しましたが、どうしても気が進みません。そこで「どうもこの商売は、私に不向きです。もういちど、江戸にもどって、働きたいと思います。着物はじゅばん1枚あればかまいませんが、旅の途中で犬にでもかまれないように、あの脇差しだけは返してくれませんでしょうか」「そうだろうな。おまえにはこの仕事は無理だ。どこへでも行くがいい。だがな、奪いとったものを返すなんてのは、山賊のおきてにないことだ。刀なら、ここにたくさんある。1本あげるから、どれでも好きなものを取って行け」と、次郎の前に、縄でくくった刀のたばを放り出しました。それではと、護身用に赤くさびた刀をもらうと、江戸の医者の家にもどりました。わけを話すと、もう一度奉公してよいことになりました。

この主人は、刀剣が好きで、刀の目ききをするのを楽しみにするような人でした。次郎が山賊からもらってきた刀にも興味をもち、「これは、値打ちのある脇差しのようだ」といいます。医者がこの刀を、専門家に見てもらうと、昔の名高い刀鍛冶の名作ということがわかり、30両で買ってくれる人が現れました。こうして、次郎は、もう一度、母の待つ故郷に向かって出発しました。その途中、山賊にであったあの山道はさけて通ろうと思いました。でも、よく考えたすえに、同じ道を通ることにしました。おまけに、あの山賊の隠れ家に立ち寄ったのです。

「親分、覚えてくださると思いますが、わたしはこの前お世話になった旅の者です。親分にいただいた脇差しが、江戸で30両で売れました。わたしがとられた金は15両でしたから、これをみんなもらっては、義理が立ちません。半分だけ返しにきました」これを聞くと、親分はじめ山賊どもは驚いて、しばらく顔を見合わせていました。こんなバカ正直な人間に出あったのは、はじめてだったからです。「おまえは、越後の人間だといっていたが、越後のどこの村だ」次郎が、村の名や親の名まで詳しく話すと、親分は大きなため息をつきました。

「どうも、この前きたときから、そうではないかと思っていたが、おれは、十何年か前に、親に勘当させられたおまえの兄だ。おまえは小さかったからおれの顔を覚えちゃいまいが、おれのほうは、もしやと思っていた。おまえの正直な心に比べ、おれはこんな悪党になってしまった。でもな、おれは人殺しだけはしなかったが、そのほかの悪いことはなんでもやってきた。それが、わざわざ15両を山賊に返しに来たおまえのバカ正直のおかげで、おれは、生まれてはじめて、自分のやってきたことがいやになった」こういうと、親分は、ひげ面をくしゃくしゃにして、大つぶの涙をポロポロこぼしました。そして、これまで奪った宝物を全部手下たちに分け与え、弟といっしょに、ふるさとへ出発したのでした。

兄弟は、母を引き取り田畑も買いもどして、親子三人なかよく暮らすことになりました。太郎は、自分は勘当された身だからと、次郎に家を継ぐようにいいましたが、次郎は承知しません。兄弟で譲りあっているうち、ある日太郎は、なにを思ったのか、村の坊さんに頼んで髪を切ってもらい、丸坊主になると、村から出て行ってしまいました。これも、次郎へ義理をはたすためだったのでしょうか。どこへいってしまったかは、だれにもわかりませんでした。


「4月24日にあった主なできごと」

1951年 桜木町事故…京浜東北線の電車が、桜木町駅到着寸前に切れた架線にふれて1・2両目が炎上、木製屋根と旧式の3段開き窓のため乗客は逃げ切れず、死者106名、重傷者92名を出す大事故となりました。この事故から、電車の鋼鉄化が急速に促進されました。

1955年 アジア・アフリカ会議…インドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となって、インドネシアのバンドンで「アジア・アフリカ会議」が開催され、この日反植民地主義・民族主義・平和共存など世界平和と協力の推進に関する宣言・平和十原則を採択、アメリカ(西側諸国)、ソビエト(東側諸国)のどちらの陣営にも属さない、いわゆる第三世界の存在を確立しました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 81]

むかし、あるところに、とてもお金持ちの貴族がいました。大きな森にかこまれた家は、まるでお城のようでした。でも、町の人は、その貴族を「青ひげ」と呼んで、あまり近づかないようにしていました。まっ青なひげが気味悪かっただけでなく、これまでに青ひげと結婚した女の人が、6人も次々と消えてしまっていたからです。

さて、この青ひげの家のとなりに、美しい姉妹が住んでいました。青ひげは、「どちらのお嬢さんでもかまいませんから、わたしの嫁になってくれませんか」と、姉妹のお母さんに願い出ました。でも、娘たちはふたりとも、いやがりました。町のうわさを聞いていたし、青ひげをはやした男なんか、胸が悪くなるほどいやなことでしたから。そこで青ひげは、なんとか娘たちと仲良くなろうと考えました。あるとき、この母娘と、近所の知りあいの若い人たちを、いなかの別荘にまねきました。一週間も泊めて、できるかぎりのごちそうをしました。それから、まい日のように森や野原を散歩したり、お茶の会を開いたり、ダンスをしたりしました。夜になっても、だれもベッドに入るのをおしんで、おしゃべりをしたり、ふざけっこをしたり、歌をうたいあったり、それはそれは、にぎやかな毎日でした。そのため、ふたりの娘のうちの妹は、青ひげのひげも気にならなくなったばかりか、青ひげがやさしくて、礼儀ただしい紳士だと思うようになりました。そこで、家にもどると、結婚式をあげました。

それからひと月ばかりたったときのこと、青ひげは、たいせつな用事で、旅行にでかけることになりました。「わたしの留守ちゅうは、気ばらしに、友だちや知りあいを家に招いて、楽しくくらしなさい」と、奥さんにいいました。そして、たくさんのカギを見せて、「これは、食器をしまってある部屋のカギ。これがわたしのいちばん大事な金貨と銀貨を入れた金庫のカギ、これは宝石箱のカギ……。どの部屋に入るときも、こここにあるカギを使えばいい。さて、ここにもうひとつ、小さなカギがあるが、これは、地下の廊下のいちばん奥にある小部屋のカギだ。どの部屋へも、自由に入ってみるのも勝手だが、この地下の小部屋だけは、絶対に入ってはいけない。万一そこへ入ったら、わたしはおこって、なにをするかわからないからね」いいつけは必ず守る、と奥さんが約束すると、青ひげは、馬車に乗って旅だっていきました。

近所の奥さんたちや、友だちの娘さんたちは、青ひげが留守だと聞くと、われ先にと集まってきました。このりっぱな家がどんなにすばらしいか、見たくてたまらなかったからです。みんなは、居間、客間、大広間など、次々と見てまわりましたが、どの部屋もけんらん豪華なので、もうびっくりです。とくに、家具のいっぱいつまった大部屋には、目をみはりました。置物は、この家の中でも一番りっぱなものでしたし、壁かけも、ベッドも、長いすも、机やいすも、そして頭から足の爪さきまでうつる鏡がいくつもあるのに感心して、ため息をつくばかりでした。「まぁ、あなたは、なんてお幸せなのでしょう」だれもかれも、奥さんをうらやましがりました。

でも、奥さんは、どんなにほめられても、うれしい気持ちになれませんでした。それというのも、夫が出がけに厳しくいいつけていった、地下にある秘密の小部屋が、気になってしかたがなかったからです。いけないというものを、見たくなるのが人間のくせですから、そのうちがまんがしきれなくなってくると、お客さんをおきざりにして、こっそり、階段をおりていきました。いよいよ小部屋の戸の前に立つと、さすがに夫のきびしいいいつけを思い出して、しばらくためらいました。でも、さそいの手をはらいきることはできません。小さなカギを手にとって、ふるえながら戸をあけました。

中は暗くて、はじめはなんにも見えませんでした。そのうち、くらやみに目がなれてくると、おそろしいものがみえてきました。床には、いちめんに血がこびりついています。そして、壁には、なんにんもの女の人の死がいがぶらさがっているのです。奥さんは、あっといったきり、からだがすくんで動けなくなってしまいました。手にもっていたカギが、すべり落ちたのもわからなかいほどでした。しばらくしてわれにかえると、あわてて、カギを拾いあげて、戸をしめて、いそいで自分の部屋にかけもどりました。そして、けんめいに気持をおちつけようとしながら、ふと手にしているカギを見ると、血がついています。急いで、二三度、ふきとろうとしましたが、どうしても血がとれません。水につけて洗ってみても、みがき砂でごしごしこすってみても、とれないどころか、血のついたあとは、だんだん、こくなるばかりでした。このカギは魔法のカギのようでした。ところが、その日の夕方、青ひげが、とつぜん帰ってきたのです。奥さんは、ぎょっとしましたが、できるだけうれしそうな顔をして、夫をむかえました。

さて、その翌日のことです。青ひげは、さっそく、奥さんにあずけたカギを出すようにいいました。そういわれて、カギを渡しましたが、手はぶるぶるふるえていました。青ひげは、すぐ感ずいて「小部屋のカギがないね」「きっと、あちらの机の上におきわすれたのでしょう」「すぐ持ってくるんだ」と、青ひげはおこった声でいいました。奥さんは、あっちへいったり、こっちへいったり、ぐずぐずしていましたが、とうとう渡さずにはいられなくなりました。青ひげは、カギを受けとると、こわい目をして、じっとながめていましたが、「このカギには、どうして血がついているのだね?」といいました。

「わたし、なにも知りません」奥さんの顔は、まっ青になっていました。「知らないはずはないだろう。おれはよく知っているよ。小部屋の中に入ったね。よしよし、それでは、おまえも、あそこへ入れてやろう」「許してください。これからは、どんなことがあっても、あなたのいいつけを守ります」けれど、この青ひげの心は、冷えきっていました。「いや、あの部屋を見たからには、死ななくてはならない」「待ってください。せめてしばらく、最後のお祈りをさせてください」「わかった、それでは15分の半分だけ待ってやる。それ以上は、1秒もおくれてはならないぞ」と、青ひげはいいました。

ひとりになった奥さんは、いそいで窓をあけました。となりにある自分の家と、窓がむかいあっていました。「お姉さま、きょうはお兄さまたちがいらしてくれる日です。お願いですから、おうちの塔にあがって、まだおいでにならないか見てちょうだい。もし見えたら、大いそぎって、合図をしてちょうだい」姉さんは、塔へあがりました。すると、また、妹の声がします。「まだ、なにも見えませか?」「日が照って、草が青く光っているだけよ」妹は、なんどもたずねました。そのうち、15分の半分はすぎて、青ひげは剣をにぎったまま、「早くおりてこい」とさけびました。「おりてこないと、あがっていくぞ」「もうちょっとだけ待って」奥さんはそういうと、「お姉さま、まだなにも見えませんか」と、さけびました。「ああ、でも、大きな砂けむりがあがっているわ」「きっと、お兄さまたちでしょう」「おやちがってたわ、ひつじのむれだったわ」

「こら、なんでおりてこないか」青ひげは、いよいよ大声でさけびました。「今、すぐにまいります」そういって、姉さんによびかけます。「お姉さま、まだ、だあれもこなくって?」すると、姉さんは、やっとうれしそうにこたえました。「あっ、馬にのった人がふたりかけてくるわ。だけど、まだずいぶん遠いの。あっ、お兄さまたちよ、あたし、いっしょうけんめい合図するわ」

そのとき、青ひげは、家がふるえるほどおそろしい声でどなりました。とうとう奥さんは、階段をおりていきました。そして、青ひげの足にすがりついて泣きました。「そんな泣き声に、わしの心は動かされないぞ」お嫁さんのかみの毛をつかみながら、片手で、剣をふりあげて、首をはねようとしました。奥さんは、夫のほうをふりむくと「ほんのしばらく、身づくろいするあいだだけ待ってください」と、たのみました。「いや、ならぬ」といったその時です。トントントン、戸をたたく音がきこえました。さっと戸が押しあけられ、飛びこんできた二人の男がありました。青ひげはおもわず、ぎょっとして手をとめました。ふたりの兄さんでした。強そうな軍人でしたので、青ひげはあわてて逃げ出そうとしましたが、兄弟はうしろから追いついて、玄関までいかないうちに、青ひげをつき殺していました。

さて、青ひげには、あとつぎの子がありませんでしたから、財産はのこらず、奥さんのものになりました。奥さんはそれを、姉さんや兄さんにも分けて、しあわせにくらしたということです。


「4月16日にあった主なできごと」

1397年 金閣寺完成…室町幕府3代将軍の足利義満は、金閣寺の上棟式を行ないました。巨額の資金を投入した3層建で、下から寝殿づくり、武家づくり、仏殿づくりとなっています。1950年に放火による火事で全焼してしまい、1955年に再建されました。1994年、古都京都の文化財として世界遺産に登録されています。

1828年 ゴヤ死去…ベラスケスと並びスペイン最大の画家のひとりであるゴヤが亡くなりました。

1889年 チャプリン誕生…『黄金狂時代』『街の灯』『モダンタイムス』『独裁者』『ライムライト』など山高帽にチョビひげ、ダボダボずぼん、ドタ靴、ステッキといういでたちで、下積みの人たちの悲しみや社会悪を批判する自作自演の映画をたくさん制作したチャップリンが生まれました。

1972年 川端康成死去…「伊豆の踊り子」 「雪国」 など、生きることの悲しさや日本の美しさを香り高い文章で書きつづり、日本人初のノーベル文学賞を贈られた作家 川端康成が亡くなりました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 80]

むかしあるところに、子どものいない、ものぐさなじいさまとばあさまが住んでいました。二人は、めんどうくさいので、お風呂にも入りません。そのため、いつもあかだらけでした。

ある日のこと、あんまりたいくつなので、あかをこすってみようということになりました。二人は、せっせと、きのこみたいについていた身体じゅうのあかをこすると、出るわ出るわ、わらわらとめくれて落ちてきました。そこで、山のようになったあかで、人形をこしらえてみようということになりました。「ばあさまや、なかなかかわいい子ができたな」「そうですね。この子が、本当の人間だったらいいのにねぇ」ばあさまがそういうと、あらあら不思議、「ほんぎゃあ、ほんぎゃあ……」人間の赤ん坊のように、大声で泣き出したのです。「ありがたい、ありがたい。これは、神さまが授けてくださった子だ」もう、二人は大喜びで、さっそくご飯をたきました。

このあかでできた人形は、よく食べる子で、あっというまにご飯をたいらげてしまったので、二人はこの子を「力太郎」と名づけました。力太郎は、食べた飯の量だけずんずん大きくなっていきます。うれしがって食べさせているうち、しまいには一度になん十杯ものご飯を食べるようになりました。「貧乏所帯に、これほど大飯を食われてはかなわんな」と、じいさまがこぼすと、「心配すんな、おらぁ、旅に出る。だから、百貫目(約375�s)の鉄の棒をつくってくれ」と、はじめて口を聞きました。じいさまは、お金をかきあつめて鍛冶(かじ)屋へ飛んでいき、百貫の鉄の棒をこしらえてやると、何人かの村人にたのんで、えんやこらえんやこら引きずりながら家に帰りました。力太郎は鉄棒を見ると、よろこんでブンブン振り回しましたから、みんなはもう、びっくりぎょうてん。

力太郎が、ドシンドシンと鉄棒を突きながらて歩いてくると、赤い御堂(みどう)をかつぎながらやってくる大男に出あいました。「おいこら、はた迷惑なやつだ、道が通れないじゃないか」と、鉄棒でひょいと御堂をつくと、御堂はガラガラと崩れ落ちました。「やぁやぁ、おれをだれだと思う。天下一の力持ち、御堂っこ太郎というのは、おれのことだ。尋常(じんじょう)に勝負せよ」と、鉄棒に飛びついてきました。力太郎は、鉄棒をひょいと一振り空に打ちあげました。もうそろそろ、落ちてくるころだと、空をみあげていましたが、落ちてきません。すると、道ばたの松の木の上から、「助けてくれーっ」と、声がします。松の枝にひっかかって、ジタバタしている御堂っこ太郎でした。「くやしいけれど、おれの負けだ。おまえの家来になるから、許してくれ」と、御堂っこ太郎は、いさぎよく、降参しました。

こうして、二人の大男が街道をどんどんいき、峠のあたりにくると、岩を手のひらで砕いている大男に出あいました。ちょうど、岩のカケラが力太郎の目の前に飛んできたので、フーンと鼻息を吹きかけたところ、カケラは飛びもどって、大男の額にゴツンと当たりました。「だれだ、天下一の力持ち、石っこ太郎に、石をぶつけたのは」「わっはっはっは、それじゃ、おれと力比べをするか。この鉄棒を3回でも振り回せたら、おれの負けだ。出来なければ、おまえはおれの子分だ」石っこ太郎は、鼻で笑いながら鉄棒を手に取りました。でも、どんなに頑張っても持ち上げるだけで、回すことなど出来ません。そこで石っこ太郎も、力太郎の子分になりました。

三人の大男が、またどんどん行くと、ある町につきました。ところがその町は、しーんと静まりかえっています。そして、町いちばんの長者らしい家の前へ来ると、中から娘の泣き声がきこえてきました。力太郎がわけをたずねると、娘は泣きながら、「実はこの村には、ばけものがやって来て、毎晩娘をひとりずつさらっていくのです。そして、今夜は、わたしの番になりました」といいます。それを聞いて大男たちは、だまってみすごすなんてできません。ばけもの退治を買って出ると、たくさんのおにぎりを作らせて、それをパクパクと食べながら、ばけものが現れるのを待ちました。娘を唐びつへ入れ、力太郎が座敷の真ん中に腰かけ、御堂っこ太郎は庭に、石っこ太郎は台所へひかえました。

ま夜中になり、お寺の鐘がゴーンと鳴ると、それを合図に、うぉう、うぉうと、うなり声をあげながら、家よりも大きなばけものがあらわれました。まず、御堂っこ太郎が飛びだしてもみあいましたが、まもなくパクリと飲みこまれてしまいました。これを見た石っこ太郎がかかっていきましたが、ばけものにつまみあげられ、こちらもパクリ。

怒った力太郎は、鉄棒をブンブンと振り回しました。のみこまれたお腹の中では、御堂っこ太郎も石っこ太郎も大暴れです。やがて、力太郎がばけものの頭に鉄棒を振り下ろすと、さすがのばけものもたまらず、白目をむいてひっくり返りました。力太郎が、腹をドンドンと踏みつけると、ばけものの口から、御堂っこ太郎と石っこ太郎が飛び出してきました。

こうして、ばけものをやっつけた力太郎は娘を、御堂っこ太郎は2番目の娘を、石っこ太郎は3番目の娘を嫁にもらい、じいさまとばあさまを里から引き取って、一生楽しく暮らしましたとさ。


「4月11日にあった主なできごと」

1868年 江戸城開城…徳川15代将軍だった徳川慶喜が水戸へ退去し、江戸城が明治新政府の手にわたりました。前月行われた、旧幕府代表の勝海舟と、新政府代表西郷隆盛の会談できめられた、江戸城の無血開城が実現したものです。

1921年 メートル法の公布…欧米との交流がさかんになり、わが国でこれまで使われてきた尺貫法では不便なことが多く、メートル法の採用を決めました。しかし、なじんできた尺貫法も、業種によっては今も使用されています。

1951年 マッカーサー解任…太平洋戦争で降伏した日本は、連合国軍総司令部(GHQ)に占領され、アメリカのマッカーサー元帥が5年半近く総司令官として君臨してきました。この日、「老兵は死なず消え去るのみ」という名文句を残して解任されました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 79]

あるところに、ご主人と死にわかれた未亡人がいました。娘を二人もっていて、ひとりはきりょうが悪い上になまけ者でしたが、もう一人は美しい上に働き者でした。けれども、母親は、きりょうの悪いなまけ者のほうばかりをかわいがりました。自分のほんとうの娘だったからです。美しいほうの娘は、家じゅうの仕事をひとりで引き受けて、ごみだらけ灰だらけになって働かなくてはなりませんでした。

かわいそうな娘は、毎日、道ばたの井戸のそばにすわって、糸を紡がされました。あんまり紡ぎすぎて、指から血が出るほどでした。そんなある日、糸がすっかり血だらけになったので、娘は、糸巻きを持って井戸にかがみ、血を洗おうとしました。その時、糸巻きが手から飛びだして、井戸の底に落ちてしまいました。娘は泣きながら母親に報告しました。すると、母親は厳しく叱りつけた上に、「おまえが糸巻きを落としたんだから、自分で取っておいで」といいました。

しかたなく娘は、井戸ばたへ引き返しましたが、どうしたらよいかわかりません。しかたなく、糸巻きをとりに、井戸に飛びこみました。どのくらいたったことでしょう。ふと気がつくと、そこは美しい草原で、お日さまが輝いて、たくさんの花が咲いていました。草原を歩いていくと、パンがいっぱい入っているかまどがありました。かまどの中でパンが叫んでいました。「ああ、早く出して! 出してくれないとこげちゃうよ、もうとっくに焼き上がってるんだから!」娘は大急ぎで、パンを残らず外に出してやりました。

それから娘は、また先へ行くと、りんごがいっぱいなっている木のところへきました。木が娘に呼びかけます。「ああ、わたしをゆすってちょうだい! もう、みんな熟しているのだから!」そこで娘は、木をゆすりました。すると、りんごは雨のように落ちました。娘はりんごが残らず落ちてしまうまで木をゆすり、落ちたりんごをひと山に積み上げて、また先へ行きました。

そのうち娘は、一軒の小さな家にたどりつきました。中からおばあさんがのぞいています。とても大きな歯をもっているおばあさんなので、娘はこわくなって、逃げようとしました。するとおばあさんが、後ろから呼びかけ、「こわがらなくていいんだよ、私のところにいなさい。家の中の仕事をちゃんとやってくれたら、しあわせにしてあげるからね。私のベッドは、とくにきれいにしておくように。ときどき、羽が舞い飛ぶくらい羽布団を振るようにね。そうすると、人間の世界に雪が降るのさ。私はホレのおばさんだよ」といいました。

おばあさんが優しく話してくれたので、娘は安心して、おばあさんの家で働きました。そして、おばあさんの満足するようにかたずけ、羽布団をいつも力いっぱい振るって、ふかふかにしておきました。そのために、娘はおばあさんのところで幸せでした。しかられることもなく、毎日ちゃんとしたものを食べることができたからです。

娘はこうして長い間ホレのおばさんのところにいましたが、そのうちなんとなく、もの悲しくなってきました。ここは家にいるよりも千倍も良かったのですが、それでも生まれ故郷が恋しい病になって、とうとうおばあさんにいいました。「おばあさん、ここではとても良くしていただいてますけど、それでも、もうしんぼうができません」「そうかい。おまえはとてもよく働いてくれたから、上の世界へ連れて行ってあげようね」

そういうと、ホレのおばさんは、娘の手を取って大きな門の前に連れて行きました。門が開かれ、娘がその下に立つと、激しい金の雨が降ってきました。金はみな娘にくっついたので、体中がすっかり金でおおわれました。「それはおまえのものだよ。よく働いてくれたからね」と、ホレのおばさんはいい、糸巻きも返してくれました。

門が閉じられると、娘は、家からそう遠くないところにいました。娘が家に入ると、井戸の上にとまったオンドリが鳴き立てました。「コケコッコー、うちの金のお嬢さまが、お帰りだよ」娘はお母さんのところへいくと、金でおおわれて帰ってきたので、ちやほやして迎えてくれました。

母親はどうやってそんな宝を手にしたのか聞き出すと、自分の娘にも同じ幸せを手に入れさせたいと、考えました。こうして、なまけ娘も井戸の中に飛びこみました。この娘も美しい草原で目を覚まし、同じ小道を先へと歩いていきました。娘がパン焼きかまどのところまで来ると、やはりパンが「ああ、早く出して! 出してくれないとこげちゃうよ、もうとっくに焼き上がってるんだから!」と叫びました。でも、なまけ娘は「手を汚すなんて、まっぴらごめん」と、去っていきました。

あのりんごの木のところに来て、「ああ、わたしをゆすってちょうだい! もう、みんな熟しているんだから!」と木が叫んでも、「冗談じゃないわ。わたしの頭の上に落っこちでもしたら、どうするのよ」と答えて、先へ歩いていきました。ホレのおばさんの家まで来ると、こわがらず、すぐに雇われました。

最初の日はがまんをして、ホレのおばさんのいう通りにしました。ホレのおばさんがくれるはずの金のことを考えたからです。けれども翌日にはもうなまけはじめ、三日目には、朝になっても起きようともせず、ホレのおばさんのベッドもこしらえず、羽布団も振りません。

そんなわけで、ホレのおばさんはいやけがさして、娘を首にしました。なまけ娘は喜んで、こんどは金の雨が降ってくると思いました。ホレのおばさんは、なまけ娘も門のところに連れて行きましたが、娘が門の下に立つと、金ではなく、どろどろのヤニを、大きなお釜いっぱいぶちまけました。「これがおまえの仕事の報いだよ」というと、門を閉じてしまいました。

なまけ娘は、すっかりどろどろのヤニにまみれて、真っ黒のベタベタのまま家に帰りました。井戸の上にとまっていたオンドリはこれを見て鳴き立てました。「コケコッコー、うちのきたないお嬢さんの、お帰りだよ」

どろどろのヤニは、べったりくっついたまま、なまけ娘が生きているあいだじゅう、どうしてもとれませんでした。


「4月4日にあった主なできごと」

1284年 北条時宗死去…鎌倉幕府第8代執権で、はるかに国力の勝る元(中国とモンゴルを含む大帝国)の2度にわたる襲来を退けた北条時宗が亡くなりました。

1615年 大坂夏の陣…前年の大坂冬の陣で大坂城を攻め落とせなかった徳川家康は、講和を条件に外堀を埋めさせて防備が弱くなったところへ、諸大名の兵20万人を率いて攻め入り、落城させました。豊臣秀頼と生母淀君は自害し、ここに豊臣家は滅びました。

1968年 キング牧師死去…アメリカの黒人指導者キング牧師は、白人による人種差別撤廃する法律を認めさせ、黒人の権利と自由を求める公民権運動を進めたことでノーベル平和賞を受賞しましたが、これに反発した白人により、この日演説中に暗殺されました。

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