児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

おもしろ民話集

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 88]

むかし、三人の王子がいて、上の二人の王子は冒険がしたくなって旅に出ました。でも、遊ぶのが楽しくなって、家にもどれないほど、おちぶれてしまいました。そこで「お人よし」とあだ名されている末の王子が、兄たちを探しにいくことになりました。苦労して二人を見つけたところ「おれたちは、おまえよりずっとりこうなのに、やっていけなかったんだ。おまえがやっていけるわけがない」と、ばかにしました。

三人そろって旅を続けるとちゅう、アリの巣が塔のように高くなっているところに出ました。それを見つけた兄たちは、塔をほじくりだして、アリが大騒ぎするのを見ようといいましたが、弟は、「生きものは、そっとしておいてやろうよ。アリのじゃまをするなんていやだ」と、いいました。

それから三人は、湖に出ました。カモがたくさん泳いでいのを見て、兄さんたちは、2、3羽つかまえて焼き鳥にしようといいましたが、弟は、「生きものは、そっとしておいてやろうよ。殺すなんて、とてもぼくにはできない」と、とめました。

やがて三人は、ミツバチの巣を見つけました。兄さんたちは、木の下でたき火をして、ハチをいぶり殺してハチミツを取ろうといいましたが、弟は、「生きものは、そっとしておいてやろうよ。いぶり殺すなんて、とんでもない」と、またとめました。

そのうち三人は、りっぱなお城につきました。ところがお城のウマ小屋には、石のウマがいるだけで、どこにも人の気配がしません。三人は、広間をいくつも通りぬけて、いちばん奥の戸の前にきました。戸のまん中に小さな窓があったので、のぞいてみると、しらがまじりの小人がみえました。三人はかわるがわる小人に呼びかけましたが、返事がありません。そのうち小人は、なにもいわずに石版を掲げました。その石版には「次の三つの仕事をやりとげると、この城は魔法からすくわれる。ただし、その日の太陽が沈む前に仕事ができなかったなら、挑戦しようとした人間は石になる」と、書いてありました。

一つ目の仕事は、森のこけの下にかくされた、千個の王女の真珠を、一つ残らず探し出すことでした。一番上の王子は、「よし、おれがやる」と名乗り出て、一日さがしましたが、見つけられたのは、たった百個だけでした。石版に書いてあった通り、上の王子は、石に変えられてしまいました。よく朝、二番目の王子が挑戦することになりました。でも、見つけることができたのは、兄の倍の二百個だけでした。そのため、やはり石に変えられてしまいました。

こんどは、「お人よし」の弟王子が挑戦する番です。こけの下にある真珠をみつけるのは、なかなかむずかしい仕事で、とても時間がかかりました。もうだめだと、石にこしかけて泣いていると、前に助けてやったアリの王さまが、五千びきものアリを連れてきてくれて、あっというまに千個の真珠を、全部ひろい集めてくれました。

二つ目の仕事は、王女の寝室のカギを海の中からひろってくることでした。王子が海辺へ行くと、前に助けてやったカモたちがやってきて、水の底からカギを取ってきてくれました。

三つ目の仕事は、眠っている三人の王女の中から、一番年下の王女を見つけだすことでした。三人の王女は顔も姿もそっくりで、ちがいといえば眠る前にそれぞれちがった甘いものを食べたということくらいでした。いちばん上の王女はサトウのかたまりを、二番目の王女はシロップを少し、末の王女はハチミツをひとさじということでした。弟の王子がまくらもとに立つと、前に助けてあげたミツバチの女王がとんできて、ハチミツを食べた王女の口にとまりました。

こうして、弟の王子は、三つの仕事をみごとにやりとげました。すると、お城の魔法がとけて、みんな眠りからさめ、石にされていた者たちは人間の姿にもどりました。「お人よし」は、一番末の王女と結婚し、その父が死んだあと、お城の王さまになったそうです。


「6月13日にあった主なできごと」

1931年 北里柴三郎死去…ドイツのコッホに学び、ジフテリアや破傷風の血清療法の完成やペスト菌の発見など、日本細菌学の開拓者 北里柴三郎が亡くなりました。

1948年 太宰治死去…『人間失格』『走れメロス』『斜陽』『晩年』 などを著した作家・太宰治が、玉川上水で心中しました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 87]

むかし、あるところに、やさしいおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは働き者で、きょうも朝早くからくわをかついで、山の畑をたがやしておりました。すると、一羽の小鳥がやってきて、くわの柄にとまって、「あやチュウチュウ、こやチュウチュウ、にしきサラサラ、ごようの宝、もってまいろか、パラリンピー」と、鳴きだしました。

「あんれまぁ、なんとおもしろい鳴きかたをする鳥じゃろう。どれ、おらの手にとまって、鳴いてみろ」というと、おじいさんの指にとまって、「あやチュウチュウ、こやチュウチュウ、にしきサラサラ、ごようの宝、もってまいろか、パラリンピー」。とっても、かわいらしい声で鳴きました。

おじいさんは、すっかり面白くなって、「こんどは、おらのベロにとまって鳴いてみろ」といって舌を出すと、鳥は、いわれた通りおじいさんの舌にとまって、「あやチュウチュウ、こやチュウチュウ……」と歌いだしました。「うん、うめぇ、うめぇ」といったら、舌がひっこんで、鳥を飲みこんでしまいました。

「おやおや、こりゃ、すまねぇことしちまったな」と、あわてて鳥をはきだそうとしましたが、うまくいきません。おじいさんはがっかりして家に帰り「ばあさんや、こんなわけで鳥をのみこんでしもうた。いい声だったのになぁ」「そりゃ、おしいことをしましたね。あたしも、その声がききたかったなぁ」

そのうち、おなかがモゾモゾするのでさわってみると、なんと、おへそに鳥の羽がチョコンと出ています。その羽をひっぱってみると「あやチュウチュウ、こやチュウチュウ……」と鳴きだしたではありませんか。おばあさんは、もう、ころげまわって大喜びです。「こりゃ、長者どんに知らせなくちゃ」と、二人は長者の家をたずね、鳥の鳴き声を聞かせると、長者は喜んで、宝物をたくさんくれました。このうわさを聞いて、村の人がつぎからつぎヘと聞きにきて、おじいさんの家は大にぎわい。

やがて、このことが殿さまの耳にも入りました。おじいさんはお城に呼ばれました。「おなかの中で鳥が歌うとは、そのほうか」「はい、お殿さま」「そいつは珍しい。わしにも、ひとつ聞かせておくれ」「はい、かしこまりました」ということになり、おじいさんがおへそから出ている羽をひっぱると、鳥は、とびきりかわいい声で歌い出しました。「あやチュウチュウ、こやチュウチュウ、にしきサラサラ、ごようの宝、もってまいろか、パラリンピー」

「おう、こりゃ日本一の歌うたいじゃ」とごほうびに、おじいさんがやっと背おえるつづらをくれました。家に帰って、おばあさんといっしょに中を広げると、金、銀、サンゴ、アヤニシキ……、宝ものがたくさんつまっていました。こうして、鳥のおかげで、おじいさんとおばあさんは、大金持ちになりました。


「6月6日にあった主なできごと」

1281年 弘安の役…モンゴル(中国・元)の皇帝フビライの軍は、文永の役から7年後のこの日、再び大軍を率いて北九州の志賀島に上陸しました。苦戦していた日本軍でしたが、折からの暴風雨により元軍は総崩れとなって7月初めに退散しました。日本を救ったこの暴風雨は「神風」といわれますが、鎌倉幕府は手柄のあった者に恩賞を与えることができず、衰退を速めることになりました。

1599年 ベラスケス誕生…スペイン絵画の黄金時代を築いた17世紀を代表する巨匠ベラスケスが生まれました。

1944年 ノルマンディ上陸作戦…第2次世界大戦中、ドイツが占領していた北フランスの海岸ノルマンディに、17万6千人の連合国軍が上陸に成功、これがきっかけになってフランス各地のドイツ軍を打ち破り、8月25日にパリ解放に成功しました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 86]

むかし、ある村の貧しい夫婦に、男の赤ちゃんが生まれました。頭に「幸せなぼうし」といわれる膜をつけていたので、占い師は「16歳になったら、王さまの娘を妻にするだろう」と予言しました。このことを耳にした悪い心の王さまは、おもしろくありません。変装して男の子の家をたずねてこういいました。「おまえさんたち、この子を私にあずけなさい。王さまになってもはずかしくないように育ててあげよう」。はじめ両親は断りましたが、たくさんのお金をくれるというので、「幸運な子どもなのだから、そのほうが万事うまくいくにちがいない」と、子どもを渡しました。

王さまは子どもを箱に入れ、馬を走らせ、深い川まで運んで川にほうりこみました。「これで、わしの娘にふつりあいな結婚の心配をせずにすむわい」。ところが、その箱は沈まず、王さまの都の近くまでただよっていくと、水車にひっかかりました。運よく水車番がそこにていて、箱に気づいて引っぱりあげました。大きな宝物かと思いましたが、開けてみると、中には元気な赤んぼうが、にこにこ笑っています。そこで水車番は、子どもをほしがっていた粉屋夫婦に持っていくと夫婦は大喜び、「神さまがこの子を授けてくださった」といって、赤ちゃんをとてもたいせつに育てました。

それから、あっというまに16年がすぎました。ある日、すばらしい若者がいるといううわさを聞いた王さまが粉屋のところへやってきて、「あの若者は、おまえたちの子か」とたずねました。「はい。16年前、流れてきた箱に入っていたので、それ以来、息子として育ててきました」と粉屋は答えました。 それで王さまは、その若者は自分が川にすてた子だとわかり、「わしの妃への手紙を書くから、この若者にとどけてもらえないだろうか」と、金貨を二枚渡しながらいいました。粉屋はすぐに若者に準備をさせました。それから王さまはお妃に手紙を書きましたが、そこには「この若者はわが家のわざわいとなる、わしが帰るまでに殺して埋めてしまえ」と書いてありました。

若者はこの手紙を持って出発しましたが、道に迷い、暗くなって大きな森に来ました。まっ暗闇の中に小さな明かりが見えたので、小屋の中に入ると、老婆がたった一人で暖炉のそばに座っていました。若者を見ると、「かわいそううな子だよ。おまえは泥棒の隠れ家に来てるんだよ、帰ってきたら泥棒たちはおまえを殺してしまうかもしれない」と老婆はいいました。「こわくなんかないよ。だけど、とても疲れているから、これ以上どこにもいけない」と、若者は床の上に寝そべって眠ってしまいました。

その後まもなく、4人兄弟の泥棒たちが帰ってくると、「そこで眠っているのは誰だ?」「ああ、道に迷ったむじゃきな若者だよ。かわいそうだから入れてやったのさ。お妃に手紙を持っていかなくちゃいけないとかいっていた」と老婆は答えました。泥棒たちはあの手紙を見つけると、さすがにかわいそうに思ったのか、上の兄が「この若者は、わしの眼鏡にかなったもの。すぐに姫と結婚させよ」と、手紙を書き変えたのです。それから、翌日まで静かに眠らせておき、若者が目覚めると、正しい道を教えてあげました。

お妃が手紙を受け取って読むと、すてきな知らせに大喜びしました。姫は若者を見ると、ひと目で恋に落ちてしまったのです。書かれた通りにしてやり、壮大な結婚式の前祝いが行われました。ところが、そこへ王さまが帰ってきましたから、さぁ大変。でも、すぐに悪い考えを思いつきました。「姫と結婚する前に、おまえは地獄へ行って、鬼の頭から金色の毛を3本ぬいてこなくてはいけない」といいました。すると若者は、「金の髪の毛をとってきます。私は鬼など恐れません」と答えると、姫に別れを告げて、旅に出発しました。

道を行くと大きな町に着きました。門番が「おまえは、どんなことを知っているか」とたずねると、若者は「何でも知ってるよ」と答えました。「それじゃ、市場の泉が昔はワインを出したのに、乾いて、今は水すら出さないのはどうしてか教えてくれ」といいます。「教えてやろう。ただ帰りまで待ってくれ」と若者は答え、さらに進んで別の町に着くと、そこでも門番が「どんなことを知っているか」とたずねました。若者は「何でも知ってるよ」と答えると「じゃあ、町のりんごの木が昔は金のりんごを実らせたのに、今は葉っぱもださないのはどうしてか教えてくれ」といいました。「教えてやろう。ただ帰りまで待ってくれ」と若者は答えました。

それからまた進んでいくと、広い川に着きました。渡し守は「どんなことを知っているか」とたずねると、若者は「何でも知ってる」と答え、「じゃあ、おれがどうしていつも行ったり来たり、船をこいでいなくてはいけないのか教えてくれ」といいました。「教えてやろう。ただ帰りまで待ってくれ」と若者は答え、 川を渡ると、地獄の入口に着きました。そこは黒くて中はすすけていました。鬼は留守でしたが、鬼のおばあさんが「何の用だい?」とたずねると、「鬼の頭から金の髪の毛を3本とりたいんだ。さもないと、妻になるはずの女性と結婚できないんだ」と若者は答えました。「金髪3本? そりゃいやがると思うよ。もう残り少ないからね。鬼が帰ってきておまえを見つけると、ただじゃおかないよ。でもなんとか助けてあげたいものだ。そうだ。おまえを小さくしてあげるから、私の服の折り目に入ってなさい」といいました。「わかりました。そのほかに知りたいことが3つあるんです。市場の泉が昔はワインを出したのに、乾いて、今は水すら出さないのはどうしてか、りんごの木が昔は金のりんごを実らせたのに、今は葉っぱもださないのはどうしてか、渡し守はどうしていつも行ったり来たりこいでいなくてはいけないのか」「そりゃあむずかしい質問だね。だけど、静かにして、私が3本の髪の毛を引きぬくとき、鬼がいうことをよく聞くんだよ」とおばあさんは答えました。

夜になると鬼が帰ってきて、「人間の肉の匂いがするぞ」といいながらあっちこっちをさがしましたが、何もみつかりません。おばあさんは孫を叱り、「なにをいってるんだい。いるわけないだろ。さぁ、すわってごはんをお食べ」とおばあさんはいいました。鬼は食事が終わると、つかれて頭をおばあさんの膝にのせ、少しシラミをとってくれるよういいました。それからまもなくいびきをかき、ぐっすり眠りこみました。するとおばあさんは、1本の金の髪の毛をつかんで抜き、自分のそばにおきました。「わあ、何をやってるんだ」と鬼は叫びました。「悪い夢をみてたんだよ」とおばあさんがいうと、「じゃあ。どんな夢だ」と鬼がききました。「市場の泉が昔はワインを出したのに、乾いて、今は水すら出さないという夢をみたのさ。何が原因なのかね」「あ、はは、泉の石の下にヒキガエルがいるのさ、その蛙を殺せばまたワインがでてくるのさ」

おばあさんはまたシラミ取りをして、鬼が窓がゆれるほどいびきをかいたので、2本目の髪の毛をひきぬきました。「何をやってる」と、鬼はおこりました。「悪く取らないでおくれ。夢の中でやったのだから」とおばあさんはいい、「ある王国でりんごの木が昔は金のりんごを実らせたのに、今は葉っぱさえもださないという夢を見たんだよ。どうしてかね」とおばあさんがきくと「あ、はっは、ネズミが根をかじっているからさ。それを殺せばまた金のりんごを実らせるだろうよ。だけど、ばあさんの夢はもうたくさんだよ。また眠っているのをじゃましたら、なぐるからな」と鬼は答えました。

おばあさんはやさしく話しかけ、もう一度シラミ取りをしたので、鬼はとうとう眠っていびきをかきました。それで3本目の金髪をつかんで引き抜きました。鬼はとび上がってうなり声をあげ、おばあさんを殴ろうとしました。「悪い夢はしかたがないじゃないか」「じゃあ、どんな夢だよ」と鬼は興味をもっていいました。「渡し守が一方からもう一方へいつも漕いでいるのに、どうして解放されることはないのかぐちをいってる夢さ」「まぬけだな。だれか来て渡りたがったら、渡し守はさおをそいつの手に渡しさえすればいいのにな」おばあさんは3本の金髪を抜いてしまい、3つの質問に答が出たので、鬼をほうっておき、鬼は朝まで眠りました。
 
鬼がまたでかけてしまうと、おばあさんは服の折り目から若者を取り出して、大きくしてくれました。「さあ、3本の金髪をあげるよ。鬼が3つの質問に答えたのを聞いていたね。おまえは望みのものをもう手に入れたんだ、お帰り」若者は助けてくれた礼をいい、万事とてもうまく運んだことに満足して、地獄を去りました。

渡し守のところにくると、渡し守は約束の答を待っていました。「次にだれかが川を渡してもらうためにきたら、さおをその人の手に渡せばいいんだ」と。実らない木が立っている町に着くと、門番に「木の根をかじっているネズミを殺せば、再び金のりんごが実るよ」とつたえると門番は感謝し、お礼に金を積んだ2頭のロバをくれました。、泉が渇く町の門番には、「ヒキガエルが泉の中の石の下にいるんだ。それを探して殺せば、泉はまたたくさんワインをわかすだろう」とつたえると、門番は感謝し、やはりお礼に金を積んだ2頭のロバをくれました。

とうとう若者は、再び王女と会い、王女は、どんなに首尾よくやれたか聞いて心からうれしく思いました。王様には、求められた3本の金髪を持っていきました。金を積んだ4頭のロバを見るととても満足し、「すべての条件を満たしたからには、娘を妻としなさい。しかし、むこ殿よ、教えてくれ。あの金はどこからもって来たのだ」とたずねました。「船をこいでもらい川を渡り、向こう側に着くと、浜辺には砂の代わりに金があったのです」と若者が答えると王様は、「わしもとれるかな?」と、熱心に聞きます。「好きなだけとれます。川に渡し守がいますから、川を渡らせてもらってください。そうすれば向こう岸で袋につめられます」と答えると、よくばりな王様は大急ぎで出発しました。川に来ると、渡し守を手まねきして、向こう岸に渡すようにいいました。ところが、岸につくと渡し守は、王様の手にさおを渡し、岸にとびおりると、どこかへ行ってしまいました。

このときから、王さまは渡し守となり、今もギッチラギッチラこいでいるんだって。


「5月30日にあった主なできごと」

1265年 ダンテ誕生…イタリアの都市国家フィレンツェに生まれた詩人で、彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』や詩集『新生』などを著し、ルネサンスの先駆者といわれるダンテが生まれました。

1431年 ジャンヌダルク死去…「百年戦争」 でイギリス軍からフランスを救った少女ジャンヌ・ダルクが 「魔女」 の汚名をきせられ、処刑されました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 85]

むかしあるところに、ものすごく流れの速い大きな川がありました。この川に、これまでなんどとなく橋をかけましたが、すぐに流されました。こんども大雨が降って、また流されてしまいました。「おれたちの手におえる川でねぇ」「どうすりゃ、がんじょうな橋が作れるだろうか?」「どうだ、橋づくりの名人に頼んでみては」ということになって、村人たちは、その地方でいちばん腕がよいという評判の大工の家を訪ねました。

「とうりょう、あそこに橋がかけられるのは、おまえさんしかねぇ、どうか引き受けてくれまいか?」みんなに頭をさげられて、大工は断るわけにはいかず、なんとか引き受けたものの、心配なので川を調べることにしました。うわさの川にやってきたところ、ごうごうと、はげしく渦をまいています。「いやぁ、こんな急な流れの川に橋をかけるのか。はてさて、えらい仕事を引き受けてしまったな」とうなってしまいました。

そのときです。流れのうずの中から大きな泡(あわ)がうかんできたかとおもうと、鬼が、にょっきり顔をだしました。「おい、大工。何を考えている?」大工はびっくりして、うしろにとびのきました。「こ、この川に、がんじょうな橋をかけてくれと、村人から頼まれた。で、どうしたらよいか、考えてたとこだ」「そうか。いい考えは浮かんだか?」「それが思いつかねぇ」「そうじゃろう。おまえがどんなに腕のいい大工でも、この川に橋はかけるのは無理だ」「なにかいい方法はないだろうか?」大工は、鬼が人のよさそうな顔をしているので、思いきってたずねました。「たったひとつ、いい方法がある。もし、おまえの二つの目ん玉をおれによこせば、おれがかわりに橋をかけてやってもいい」「えっ、そりゃ、ほんとうか?」「ほんとうだとも。人間はうそつきだが、鬼はうそをつかない。うそだと思うなら、明日の朝、ここへきてみろ」というなり、鬼はうずの中に消えていきました。

よく日、大工はまだ暗いうちから家を出て、川の岸辺にやってきました。すると、りっぱな橋が半分、川にかかっているではありませんか。「いやー、これは大した腕前だ」と、感心しながらながめていると、あの鬼が水の中から顔をだしました。「おい、どうだ。がんじょうな橋を作ってやったぞ。どうじゃ、目ん玉をよこす気になったか? よこすなら、明日は、この橋もできあがっとるぞ。どうじゃ」両目をやってしまったら、仕事ができなくなってしまいます。大工が返事に困っていると、「よぉーし、話は決まった」と、鬼は自分勝手に決めて、また、川の中へ姿をけしてしまいました。

そして、その翌朝も来てみると、りっぱな橋がみごとに完成しています。「どうじゃぁ、大工、約束どおり、きょうは、おまえの目ん玉をもらおうか」「ちょ、ちょっと待ってくれ。おねげぇだ、1日だけ、待ってくれないか。約束は、必ず守るから」「たしかに、大工が目ん玉がなくなったら、なにかと不便だからな。よし、こうしよう。もし、おれの名前を当てることができたら、ゆるしてやろう。でも、あしたの朝までだぞ。当てられなければ、なんとしても、目ん玉をもらう」と、いい残すと、また川の中へ消えてしまいました。

大工は、とぼとぼ歩きだしました。どうしたら、鬼の名前がわかるでしょう。いくら考えても、よい知恵がうかびません。あっちをふらふら、こっちをふらふらしているうち、気がついたら、みしらぬ森の中にまよいこんでいました。すると、どこからか、子どもの歌声がきこえます。それも、何人かの子どもが歌っています。よくみると、頭に角のある鬼の子どもたちです。「♪ ねんねんねんころ ねんころろ はよねた子にゃ 目ん玉あげる 鬼六 目ん玉持ってくる」鬼の子たちは、大工がそばにいるのも知らずに、おもしろそうに歌っています。これを聞いた大工は、あとも振り返らず、家まで逃げかえりました。

次の日の朝、大工が橋のところへ行くと、すぐに鬼が水の中から出てきました。「おい、大工。目ん玉をくれる気になったか」「いや。そんな気にはなれん。目がないと何もできないからな」「それじゃ、おれの名前を当ててみろ。むずかしいぞ。でも当てられなかったら、目ん玉をもらうからな」「わかった。やってみるぞ」大工は名前を考えるふりをしました。「おまえの名前は、橋かけ名人・鬼太郎」「違う、違う。はずれだ」鬼はケラケラ笑いました。「じゃ、おまえの名前は赤鬼八五郎」大工は、自信がなさそうに小さな声でいいました。「違う、違う。大はずれ」鬼は、また笑いました。「それじゃ、お前の名前は鬼八かな」「違う、それも違う。おまえにおれの名前が当てられるはずがない」でも、今度は鬼の顔がちょっと青ざめました。「じゃ、名前は、鬼七か」「違う、違う。もうだめだ。目をよこせ」鬼はそう叫ぶと、毛むくじゃらな腕を、大工に伸ばしました。「待った。名前は知ってるぞ。鬼六! お前の名前は鬼六だ!!」大工は、ここぞとばかり大声で叫びました。その瞬間、鬼はぽかっと川の中に消え、もう二度と姿をあらわしませんでした。

鬼六のかけた橋は、どんなに川の流れが急になっても、もうこわれたり、流されたりすることはありませんでした。


「5月23日にあった主なできごと」

811年 坂上田村麻呂死去…平安時代初期の武将で、初の征夷大将軍となった坂上田村麻呂が亡くなりました。

1663年 殉死の禁止…徳川4代将軍家綱は「武家諸法度」を改訂し、古くから武士の美徳とされてきた「殉死」(じゅんし・家来などが主君の後を追って自決すること)を禁止しました。

1707年 リンネ誕生…スウェーデンの博物学者で、動植物の分類を学問的に行って「分類学の父」といわれるリンネが生れました。

1848年 リリエンタール誕生…大型ハングライダーを開発して自ら操縦し、航空工学の発展に貢献したドイツのリリエンタールが生まれました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 84]

むかしスイスの国は、おとなりのオーストリアという国に支配されていました。オーストリア皇帝の命令を受けた知事がスイスをおさめ、重い税金を取り立てて、税金を払えない村人からは穀物を、穀物がなければ着ているものまで持っていくほどでした。

でも、勇気のある人たちは、どうにかしてスイスの独立をかちとろうと、ひそかに仲間を集め、立ちあがる機会をねらっていました。そんな動きを知った皇帝は、ゲスラーというお気に入りの男を、スイスの中央にある2つの州の知事にしました。そこは、独立の動きのもっともさかんな地方でした。ゲスラーは、血も涙もない残忍な男で、スイス人にオーストリア皇帝にはむかう気持ちをすてさせようと考えました。そのひとつが、アルトルフという町の広場の真ん中に、長い棒を立ててその先に皇帝の帽子をかかげ、棒の横の立て札に、こんなことを書いたのです。

『この帽子は、オーストリア皇帝の帽子である。この広場を通る者は、必ずおじぎをしなくてはならない。この命令にそむく者は、ただちに死刑にする』──と。町の人たちは、「ばかにするな!」とふんがいしましたが、死刑にされたらたまりません。ぶつぶついいながらも、おじぎをせざるをえませんでした。

そんなある日のことです。ウイリアム・テルという猟師が、6歳になる息子を連れて広場を通りかかりました。テルは、弓矢にかけてはだれにも負けない腕の持ち主で、いつかスイスの独立を取りもどそうと思っている人たちのひとりでした。そのため、テルは、帽子と立て札を見ても、(この国はスイスだ。オーストリア皇帝の帽子に、おじぎをする必要などない) と、そのまま通り過ぎようとしました。

「まてーっ、ふとどき者め」たちまち、見張りの兵士に見つかって、ゲスラーの前に連れて行かれました。「おまえが、弓矢の名人といわれるウイリアム・テルか。まさかおまえは、あの立て札を読めなかったわけではあるまい」テルは、ゲスラーをにらみつけたままでした。「なぜ、おまえは皇帝の帽子に、おじぎをしない。役人は、おまえが立て札を見て、あざ笑ったといっておる」「そんなばかな命令など、聞く必要などない。スイス人にはスイス人の誇りがある」「何っ!?」「おれは、死刑をおそれて、こころにもないふるまいをするような、ふぬけじゃない」「わかった! きさまを、すぐに死刑にしてやる。……いや、待てよ」ゲスラーは、テルのそばにいるテルの息子に気がついて、意地の悪い笑いをうかべました。

「死刑は許してやろう。その代わり、そこにいる息子の頭の上にリンゴを乗せて、百歩さがったところから、そのリンゴを矢で射おとすのだ。いいな」それは、残忍なゲスラーらしい思いつきでした。「さあどうした? 自分の腕に自信がないのか? もし、その勇気がないのなら、弓を捨てて、帽子にひざまずけ!」

テルの心は乱れました。テルはリンゴを射おとす自信はありました。でも、ちょっとでもそれたら、息子の頭を射ぬくことになります。「どうした、テル。ためらうところをみると、おまえの腕前も、評判ほどではないようだな。さあ、リンゴの的をねらえ。いやなら、おまえだけでなく、息子も死刑だ」

「よし、やろう」息子の命までも奪うと聞いて、テルは決心をしました。テルは息子を木の下に立たせて頭の上にリンゴを乗せると、矢かごから2本の矢を選び、1本を腰にさし、1本を弓につがえました。そして、心をしずめ、大きく弓を引きしぼりました。ビューン! 弓をはなれた矢は風を切ると、みごとにリンゴの真ん中をうちぬいたのです。

息をひそめて見ていたスイス人たちから、大歓声があがり、テルと息子に近寄りました。「テル、ばんざーい」「スイス一の弓の名人、ばんざーい!」まんまとあてがはずれたゲスラーは、舌打ちしながらテルにいいました。「テル、おまえにたずねたいことがある。おまえは、腰にもう1本矢をさしてるが、何のためだ?」「これか? これは息子のかたきをうつだめだ」「どういうことだ?」「あやまって息子を死なせたら、腰の矢がおまえの胸を射ぬいていただろう」

こう答えたテルを、ゲスラーは牢屋に入れることにしますが、その途中でテルは息子を抱いて森の奥にうまく逃げ出しました。命びろいをしたテルは、その翌日ゲスラーを待ちぶせし、1本の矢で射ころしました。ゲスラー倒れるの知らせに、スイスの人たちはふるいたち、やがて、今のような、スイス人たちの国をつくりあげたのでした。


「5月13日にあった主なできごと」

1401年 日明貿易…室町幕府の第3代将軍 足利義満は、民(中国)に使節を派遣し、民との貿易要請をしました。民は、遣唐使以来、長い間国交がとだえていた日本との貿易を認めるかわりに、民の沿岸を荒らしまわっていた倭寇(わこう)と呼ばれる海賊をとりしまることを要求してきました。こうして、日明貿易は1404年から1549年まで十数回行なわれました。貿易の際に、許可証である勘合符を使用するために「勘合貿易」とも呼ばれています。

1717年 マリア・テレジア誕生…ハプスブルク家の女帝として40年間君臨し、現在のオーストリアの基盤を築いたマリア・テレジアが生まれました。

1894年 松平定信死去…江戸時代中期、田沼意次一族の放漫財政を批判して「寛政の改革」とよばれる幕政改革おこなった松平定信が亡くなりました。

1930年 ナンセン死去…北極探検で多くの業績を残し、政治家として国際連盟の結成にも力をつくしたノルウェーの科学者ナンセンが亡くなりました。

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