児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

おもしろ民話集

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 93]

むかし、乱暴な王さまが、国をおさめていたことがありました。この王さまは、すばらしいものをたくさん持っていましたが、なかでも、ひとつの湯飲み茶わんをなによりもたいせつにして、宮殿の金でできた台の上に飾っていました。この茶わんには、とても小さな模様が描いてあって、それがキラキラ輝くのを見ると、心が安らぐのでした。大むかし、この地方でいちばん優れていた陶工がこしらえた茶わんでしたが、その陶工は、自分の秘術をだれにも伝えずに亡くなったため、それ以後はだれにも作ることができない宝物でした。

ところがある日、王さまが戦いに勝って帰国した時のことです。家来のひとりが、凱旋(がいせん)の角笛を高らかに吹きならしたため、金の台がぐらっとゆれ、あの茶わんが転がり落ちて、こなごなに割れてしまいました。王さまは、すぐに国じゅうの有名な陶工たちを集めると、こわれた茶わんを見せて、「これを元通りにつなぎ合わせよ。ただし、つなぎ目がわからないようにしなくてはならない。もし、つなぎ目がわかったら、おまえたちの命はないものと思え」といいわたしました。

陶工たちはびっくりしました。こなごなになっているかけらをつなぎあわせ、元通りにするなんて、とうていできそうにありません。でも、恐ろしい王さまのいいつけです。みんなは、すごすご宮殿をあとにして、茶わんのかけらを前にしながら、なにかいい方法がないかをみんなで考えました。「そうだ、ウスマンじいさんに聞いてこよう。あのじいさんは百年も生きているばかりか、いまもすばらしい水がめをつくっているというではないか」と、ひとりがいうと、ほかの人も賛成したために、みんなで田舎にすんでいるじいさんをたずねました。

「だめだね、こりゃ。つなぎようがない」「じいさん、なんとかわしらの命を助けてくれないかな」じいさんは、目をつむり、長い間考えていましたが、やがて口を開きました。「よしよし、わざわざやってきたおまえたちを見殺しにはできない。王さまのところへ行って、1年間の猶予をもらってきなさい。その間になんとかしよう」といいました。

それからじいさんは、仕事場に閉じこもって、いちども姿を見せません。そして、1年が過ぎていきました。陶工たちは、わずかの望みをいだいていましたが、そのころはもうあきらめ、みんな死刑の用意のできた広場に引き出されていました。まわりを囲んでいる人々から、泣き声が聞こえます。ついに、死刑を告げる太鼓が打ち鳴らされました。

すると、その時です。すっかりやせほそったウスマンじいさんが、ロバに乗ってやってきました。うしろには、孫のジャフールが包みを持って、ついてきます。じいさんは、陶工たちの前にやってくると、ジャフールに包みをあけさせました。なんと、キラキラ光る、すばらしい茶わんが現れたではありませんか。「すごい、奇跡だ」みんな、いっせいに驚きの声をあげました。王さまは、茶わんを手に取り、よくよくながめまわしました。でも、つなぎ目はもちろん、ひびひとつ見当たらないので、満足げにうなづきました。

陶工たちのひとりは、さっそく大きな木の鉢をもつと、集まっている人たちのあいだを歩きました。男たちは金貨を投げ入れ、女たちは、耳輪や腕輪、首飾りなどを入れました。鉢はみるみる山もりになると、陶工はその鉢をじいさんの前にさしだして、「じいさん、みんなの感謝の気持ちです。受け取ってください」すると、じいさんは「気持はうれしいが、礼などいらんよ。わしは力の限りをつくしたのだから、それで満足。その結果、こうして宝の茶わんを後世に残すことができたし、おまえさんたちの命を助けることができたのだから」というと、さっさと帰ってしまいました。

じいさんの評判は、たちまち国じゅうに広まり、たくさんの陶工たちが、じいさんの秘術を教わりにやってきました。「秘術などというものはない。おまえさんたちと同じように、泥をねり、砂をまぜ、水を入れ、形をこしらえて焼き、さますだけだ」というばかりでした。でも、陶工たちは、じいさんが、自分の秘術を人に教えたくないために、そういっているのだと思っていました。

孫のジャハールは、幼いころからじいさんのそばについて、焼きものの修行をしてきました。でも、陶工と同じように考えていました。ある日「おじいさん、ぼくの一生のお願いです。ぼくにだけは、おじいさんの秘術を教えてくれないでしょうか」と、たずねました。ところがじいさんは、じっと腕組みしてるばかりで、なにもいいません。それどころか、仕事場にこもったまま出てきません。やがて、できあがったばかりの水がめを、市場へ売りにでかけました。

その留守のときです。ジャハールの妹が、兄をじいさんの仕事場へつれていきました。「あたし、ごはんをもっていったときに、見ちゃったんだけど、この包みになにが入ってると思う?」ジャハールが包みを開けると、思わずあっと、叫びました。そこにあったのは、王さまの宝の茶わんのかけらだったのです。ジャハールは、孫にさえ、新しい茶わんを作ったことを秘密にしていたのを知り、涙を流して仕事場を出たのでした。
 

「7月25日にあった主なできごと」

1801年 伊能忠敬死去…江戸時代後期の測量家で、日本全土の実測地図「大日本沿海輿地全図」を中心となって完成させた伊能忠敬が亡くなりました。

1894年 日清戦争始まる…日本軍は朝鮮の豊島(ほうとう)沖で中国の清艦隊を攻撃し、日清戦争がはじまりました。朝鮮を属国とする清と、朝鮮を清から奪おうとする日本との対立が原因でした。

1978年 古賀政男死去…『丘を越えて』『影を慕いて』『青い背広』など、日本人の心にふれるメロディで、今も口ずさまれているたくさんの歌謡曲を作った作曲家古賀政男が亡くなりました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 92]

むかし、ある村に兄弟が、すんでいました。よくばりな兄は、大きな家にすみ、正直な弟は、小さい家に住んでいました。

ある年の暮れのことです。びんぼうな弟は、兄の家にいき、「兄さん、すまないが、米とみそを貸してくれないかな?」といいました。ところが兄は、「年越しに食う米やみそがないとは、どういうことだ。そんなやつにやるものなんか、なにもない」と、戸をぴしゃりと閉めてしまいました。弟はあてもなく、とぼとぼと引きかえしました。

そのとちゅうに弟は、老人が石に腰かけているのにであいました。「おじいさん、どうかしましたか?」「うむ、柴を集めにきたのじゃが、なかなか集まらんのじゃよ」弟は、気軽に柴を集め、住んでいる小屋まで運んであげました。「ありがとう、助かった。ところで、おまえさんは、こんな日に何をしていたんだね」ときくので、わけを話しました。「そうか、それはお困りじゃな。それではお礼に、これをあげよう」といって、小さな麦まんじゅうをくれました。そして、こんなことをつけくわえました。

「あの森の中腹に、神さまのお堂があるんだ。その裏手に穴があってな、そこは『小人の国』なのじゃ。そこへいって、『動く石』をもらってきなさい。石でできた動くものじゃよ」弟は半信半疑でしたが、老人にいわれた通り、森へ入ってお堂を見つけました。その裏にまわってみると、なるほど、ほら穴があります。弟が穴の中に入ると、小さな声がわいわいがやがやと聞こえてきました。よく見ると小人が大勢、柴あつめをしています。「どこに運ぶんだい?」三郎が聞くと小人たちはいっせいに、小人の村のほうを指さしました。弟はひょいと柴をつまむと村の前まで運んであげました。すると、小人たちは、三郎のまわりに集まり、「おまえは大きいな」「力持ちだな」と、口ぐちにいいます。そのうち、一人が「良いにおいがする」というと、他の小人たちも、「うん、良いにおいだ」と、いいたてました。「これのことかい」と、老人にもらった麦まんじゅうをふところから出すと、小人たちみんな、口からよだれを出しています。そして、どこからか小判を持ってきて、弟の前にならべました。

弟は老人にいわれた通り「いやいや、お金はいらない。動く石とならば、取りかえてあげてもよい」と、いいました。そのうち話が決まったのか、小人たちは石うすを持ってくると弟に渡し、麦まんじゅうと取りかえっこしました。

石うすを持って弟が穴の外へ出てくると、そこに、あの老人が待っていました。「よくやったの。その石うすは、望みのものをなんでもだしてくれる石うすなのじゃ。右に回してほしいものをいえば出てくる、左に回せばとまる。よいな」弟は、おじいさんに頭を下げると、走って家に帰りました。

弟は、さっそくためしてみました。石うすを右に回して「米でろ!」というと、石うすから、米があふれるばかりに出てきました。「ほんとだぁ」米はどんどん出てきます。「そうだ、止めるのは左にまわすのだったな」と、石うすを左に回すと、ぴたりととまりました。「こりゃ、すごい」弟は、みそを出し、お酒を出し、もちや塩ざけ、ミカンやほし柿、暖かな布団も出して、ゆっくり新年をむかえました。

こうして弟は、大金持ちの長者になりました。でも、正直ものの弟は、びんぼうだったころのことを忘れません。めぐまれない人たちには、石うすで出したおまんじゅうやら餅やら、おしげもなくわけてあげました。このうわさは、村じゅうに伝わって、弟の家の前には、行列ができるほどでした。

このようすを、にがにがしく思っていたのが、よくばりの兄です。ある日、兄は石うすのひみつをみつけました。「見たぞ、やい、その石うすをおれにも貸せ」「だめです。これは、こまってる人に使うことにきめたんです」といって、石うすをかかえこみました。「ふん、ケチめ。いまに見てろ!」と、出ていきました。

さて、その夜のことです。兄は、弟の家に忍びこみ、眠るのを待っていました。そして、眠ったのをたしかめ、石うすと、そばにあったたくさんのまんしじゅうを盗むと、外へ走り出しました。海辺につくと、つないであった船にのり 沖へこぎだしました。だれも知らないところにいって、一生楽しく暮らそうと思ったのです。

兄は、甘いまんじゅうばかりたくさん食べたために、塩がなめたくなりました。そこで、石うすを右に回し、「塩を出せ!」と叫びました。石うすから、塩がどんどん出てきました。兄がそれをなめてみると、たしかに塩です。思わず、笑いがこみあげてきました。でも、石うすはどんどん塩を出しつづけました。「もうよいわ、出すのをやめろ!」とさけびました。でも、石うすは塩をだしつづけます。兄は、石うすの止めかたを知らなかったのです。左に回せばいいのに、どんどん右に回したものですから、やがて船は、塩の山ができてしまいました。「とまれ、とまれ」と、いくらさけんでも、止まりません。「わぁ、船がしずむ!」船は、兄をのせたまま、海の底に沈んでしまいました。

今も、あの石うすは海の底で塩を出し続けているのだそうです。海が塩からいのはそのせいなんだって。


「7月19日にあった主なできごと」 

1834年 ドガ誕生…たくさんの「踊り子」の絵を描いたフランスの画家ドガが生まれました。

1864年 蛤御門の変…天皇を中心に外国勢力を追い出そうと「尊王攘夷」を掲げる長州藩の志士たちが京都に攻めのぼり、京都御所の警備にあたっていた会津・薩摩の両藩と激突。わずか1日で長州の敗北に終わり、長州は一時勢いを失いました。

1870年 普仏戦争…フランスがプロイセン王国に宣戦、プロイセンが大勝して、翌年のプロイセン主導によるドイツ帝国が成立しました。 

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 91]

むかし、あるところに、とても金持ちの男がいました。ある日、この男があるカフェで、友だちとコーヒーを飲みながら、世間ばなしをしていました。「きのう、わしは泥(どろ)ぼうに入られてな、しこたま持っていかれたんだ」「そうか、おれも、このあいだやられたよ」ともうひとりの友だちがいいました。それを聞いた金持ち男は、「君たちは、どうして、そんなに盗まれてばかりいるんだい。おれは、何ひとつ盗まれたことなんかない。君たちんのとこじゃ、泥ぼうさんどうぞお持ちくださいみたいに、物を散らかしてあるんじゃないのか。おれん家(ち)からは、何かを盗みだすなんて、だれにもできないね」と、笑いながら自慢しました。

ところが、彼らのそばに泥ぼう名人がすわっていました。名人は、こっそり、金持ち男のキセルを盗みだすと、すぐに男の家へ行きました。「ご主人の使いでまいりました。市場で、脂(あぶら)とハチミツを買いたいから、銅の器をふたつもらってきてくれということです」。奥さんは、ご主人のキセルを見るとすぐに信用して、大きな壺をふたつ渡しました。

名人は、すぐに市場へいき、ひとつの壺に脂を、もうひとつにハチミツを入れて、奥さんへ届けました。それからしばらくして、もう一度ドアをたたくと、「また、ご主人のいいつけでまいりましたが、すぐに金貨を千枚渡すようにといいつかりました。金の細工師のところで、贈物を買うのだそうです」奥さんは、その言葉を信じて、金貨を千枚入れた財布をわたしました。泥ぼう名人は、それを受け取ると、どこかへ姿を消しました。

金持ち男は、まだカフェにいましたが、キセルを探してもどこにも見つかりません。しかたなく、家に帰り、奥さんにたずねました。「おれのキセルはいったいどうしたんだろう」「なにをおっしゃるんです。使いの男に、証拠として持たせたんじゃないですか」と、奥さんは、笑いながらいいました。「おれは、使いなんかだしてないぞ。で、その男はどこへ行った」「あんなこといって! 壺をふたつよこせというから、出してやったら、ここにある脂とハチミツを買ってもどってきましたよ。すると、しばらくして、金貨を千枚渡せというんで、出してやったじゃありませんか」

「そいつは、泥ぼうだ!」と、ご主人は叫ぶと、泥ぼうをさがそうと、家を飛びだしました。するとまもなく、変そうした泥ぼう名人が、奥さんに大声で呼びかけました。「奥さん早く、ご主人の金の刀をよこしてください。泥ぼうをとっつかまえたんで、首を切り落としてやるんですって」奥さんは、大喜びで、夫の金の刀を、窓から出して渡しました。泥ぼう名人は、こんどこそ、価値の高い宝ものをもったまま、町の外へ逃げました。

夕方になって、へとへとになった金持ち男が、腹をすかせて家にもどると、「あなた、泥ぼうをつかまえられてよかったですね。それで、お金はとりもどせたの?」「泥ぼうなんか、つかまえられやせん。だれがそんなこといった?」「だって、あなたは、人をよこして、金の刀を出してくれっていったじゃないの」ご主人は、怒り狂いましたが、もう、どうしようもありませんでした。

その後、金持ち男が、泥ぼうに何かをとられたか知りませんが、泥ぼうに盗まれた人のことを、ばかにしなくなったことだけはたしかです。


「7月10日にあった主なできごと」

1509年 カルバン誕生…フランスの宗教改革者のカルバンが生れました。「カルバン派」は、オランダ、イギリス、フランスなど産業の盛んな地域に広まりました。

1821年 大日本沿海輿地全図…伊能忠敬が中心となって制作した日本全土の実測地図「大日本沿海輿地(よち)全図」が完成し、江戸幕府に献上されました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 90]

あるところに、えものをとるのがへたなオオカミがいました。ある夜、オオカミはすばらしい朝ごはんにありついた夢を見ました。眼をさますと、きょうはきっとすばらしい日になるにちがいないと、村のほうへえものさがしにでかけました。すると、2ひきの子ヤギをつれた母ヤギに出会いました。「お母さんや、もう逃げられないから、覚悟をきめなさい。さぁ、ごちそうになるよ」「ちょっと待ってください。死ぬ前に、お祈りだけさせてくれませんか」「よかろう。だがな、お祈りが終わったら、すぐに食べちゃうからな」

ヤギの親子は、道ばたに立っていた十字架像のところへいくと、せいいっぱい悲しそうな声を出して、メーメー泣きました。山のふもとにいたヒツジ飼いがその声を聞きつけました。たいへんなことが起こったのにちがいないと、すぐに犬を放しました。強そうな犬がやってきたのを見ると、オオカミは、ほうほうのていで逃げていきました。こうして、ヤギの親子は助かりました。

すき腹をかかえたオオカミは、「ああ、あんなおいしそうなごちそうを逃がすなんて、おれはなんてバカなんだ」と、ひとりごとをいいながら歩いてくると、1羽のオンドリにであいました。「オンドリくんよ、おまえをごちそうになるぜ。おれは腹ペコなんだ」「いいですよ。でも、さいごに、もう一度鳴くことをお許しください」「だめだ、そんなことをゆるせば、おまえは逃げるにきまってる」「そんなら、わたしが鳴くあいだ、わたしのシッポをくわえていてください」「そんなら、ゆるしてやろう」

オンドリはすぐに鳴きはじめました。そのうち、オンドリのしっぽの羽の1枚が、オオカミのノドをくすぐりました。オオカミが思わずハックション。そのひょうしに、えものを放しました。するとこの瞬間、オンドリはさっと、木の上に飛び上がると、うれしそうに、コケコッコーと鳴きました。

オオカミがしょんぼり歩いてくると、太ったガチョウに会いました。「ガチョウくん、おまえをごちそうになるから、覚悟をしたまえ」「いいですよ、どうぞ食べてください。でもね、わたしはしばらく身体を洗ってませんから、そこの池で洗わせてください。それから食べたほうが、ずっとおいしいですよ」「だーめ、そんなことすりゃ、おまえは逃げるに決まってる」「それじゃ、わたしが身体を洗ってるあいだ、あなたはわたしのシッポをおさえていたらどうです?」たしかに、ガチョウの身体は汚れています。そこでオオカミは、ガチョウのシッポをしっかり口にくわえました。ガチョウは、しばらく羽をバタバタさせ、口ばしで、水を身体にかけていました。そのうち、急に深みにもぐりだしました。オオカミはびっくりして、思わず、シッポを放してしまいました。

オオカミはすっかりしょげて、ボンヤリ歩いてくると、牧場に出ました。ウマの母子が草を食べています。「お母さんや、おれは朝から、なーんにも食べてないんだ。覚悟しなさい」「あーら、わたしたちを食べたりすれば、あなたは重いバツを受けますよ。わたしたちを食べてはいけないと書いたものを、ちゃーんと持ってるんですからね」「そんなことに、ごまかされるか」「ウソだと思うなら、自分でたしかめてごらんなさい。ひづめの下にありますから」といって、母ウマは、右足を高くあげました。オオカミが身体をかがめて、ひづめの下をのぞきこんだとき、顔に激しい痛みを感じて、めまいをおこしてしまいました。オオカミが、われにかえったときには、ウマの母子は、はるか遠くへいっていました。

オオカミが、(おれは、なんてあきれたやつなんだ。馬のひづめの下をのぞくなんて、けとばされるにきまってるだろう)と、悲しそうに歩いてくると、こんどは年老いた雄ヒツジにであいました。「おい、じいさんヒツジよ、おれは腹ペコで死にそうなんだ。おまえを丸ごといただくよ」「いいですとも。あたしは、この世になんの未練もありません。いっそ、わたしのほうから、あなたのノドの中に飛びこんでいってあげましょう」「そいつはありがたい。ぜひ、そうたのむよ」「ではその湖を背にして、口をうんと大きく開けて、立っていてください」

オオカミは、いわれた通り、口を思いきり大きく開けて待っていました。すると、老ヒツジは、小高い丘の上から、ありったけの力をふりしぼって、オオカミのノドをめがけて突進してきました。オオカミはその勢いに負けて、ギャーッと悲鳴をあげながら、湖の中にボッチャーン。アップアップしながら、ようやく岸にたどりついたときには、老ヒツジの姿は、どこにもありませんでした。

「あーあ、なんておれは、大バカものなんだろう。あんな夢なんか見なけりゃよかったんだ。バツとして、だれか、オレのシッポを切り落としてくれないかな。この教訓を身にしみて忘れないためになぁ」と、オオカミが大きな木のによりかかりながら、ひとりごとをいいました。すると、木の裏側にいた木こりがこれを聞いて、「ほほう、オオカミくん、おれがおまえの願いをかなえてやろう」と、オノを力いっぱいふりおろしました。オオカミのしっぽは、プッツンと切れ、その痛さにピョンピョン跳びはねながら、いちもくさんに逃げていきました。


「6月25日にあった主なできごと」

845年 菅原道真誕生…幼少の頃から学問の誉れが高く、学者から右大臣にまでのぼりつめたものの、政敵に陥れられて九州の大宰府へ左遷された「学問の神」として信仰されるようになった菅原道真が生まれました。

1734年 上田秋成誕生…わが国怪奇文学の最高傑作といわれる『雨月物語』 を著した江戸時代後期の小説家・国学者・歌人の上田秋成が生まれました。

1956年 宮城道雄死去…琴を主楽器とする日本特有の楽曲「箏曲(そうきょく)」の作曲者、演奏家として世界に名を知られた宮城道雄が亡くなりました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 89]

むかし、あるところに、じいさまとばあさまがありました。ソバやアワを畑に作って暮らしていましたが、ようやく実がなるようになると、山からサルがぞろぞろやってきて、畑を荒らしまわります。「また、サルが荒らしたんですね」「うん、こまったやつらじゃ」「なにかいい方法はないものですかね」「そうじゃ、サルたちは、お地蔵さまのまえではおとなしいというから、お地蔵さまに化けてみるか」「でも、そんなことしたら、バチがあたりませんか?」「そんなことはあるまい。畑の作物を守るためだもの」ということで、じいさまは、ソバ粉を身体じゅうにぬりつけて、お地蔵さまになりすましました。

そこへ、サルたちがやってきました。「ありゃ、こりゃどうした。いつのまにか、りっぱな地蔵さまが立ってるぞ」「きりょうよしの地蔵さまじゃないか」「こんなとこにおいといちゃ、もったいないな。川むこうにある、お堂に移そう」「そうだ、それがいい」こういうと、サルたちは手車を組んで、じいさんをのせました。そして、こんな歌をうたいながら、川に入っていきました。

サルのおしりはぬらすとも
地蔵のおしりはぬらすなよ
ヨイヤサ ヨイヤサ……

じいさまは、おかしくて、おかしくて、吹きだしそうになりました。でも、いっしょうけんめいがまんしました。サルたちは川を渡ると、古びた小さなお堂の中に、じいさま地蔵をすえると、どこから持ってきたのか「お地蔵さまにさしあげます」「お地蔵さまにさしあげます」といいながら、つぎつぎとお賽銭(さいせん)をあげては拝み、どこかへ行ってしまいました。

じいさまは、サルたちがすっかりいなくなると、山となったお賽銭を拾い集めました。その中には、じいさまが見たこともない金貨や銀貨もまじっていました。「わしにお供えしてくれたのじゃから、わしがもらってもええんじゃろ」と、家に持ちかえりました。「あんれ、まぁ。こりゃ、たいへんなお宝じゃ」と、ばあさまといっしょに大喜びしながらながめているところへ、となりの欲ばりばあさまがやってきました。

「あんりゃぁ、どうしたんじゃそりゃ」そこで、じいさまは、これまでのことをくわしく話してあげました。「そりゃ、いいことを聞いた。おらんちのじいさまにもやらせよう」と、ふっとんで帰ると、欲ばりばあさまは、いやがるじいさまを裸にすると、ソバ粉をぬりたくり、お地蔵さまに仕立て上げました。まもなく、サルたちがやってきて、「ありゃりゃ、またこんなとこに、お地蔵さまがいなさるぞ」「川向うのお堂に移そう」と、手車を組んで川に入り、あの歌をうたいます。

サルのおしりはぬらすとも
地蔵のおしりはぬらすなよ
ヨイヤサ ヨイヤサ……

となりのじいさまは、おかしくて、くすぐったくて、ぷっと吹き出し「ワッハッハ…」と大笑い、目も開けてしまいました。「やや、こりゃ、人間じゃないか」「ニセの地蔵さまだ」と、手車をといたものですから、じいさまは、川の中へドブンと転がり落ち、プクラプクラと、流されてしまいました。なんとか、柳の枝にしがみつき、ずぶぬれになって岸にあがり、泣きべそをながら、家へ帰りついたということです。


「6月18日にあった主なできごと」

1815年 ワーテルローの戦い…エルバ島から脱出したフランス皇帝ナポレオン1世は、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍に、最後の戦いとなる「ワーテルローの戦い」で敗れました。

1940年 レジスタンス…ヒトラー 率いるドイツとの戦いに敗れ、首都パリが陥落すると、フランス軍将軍のド・ゴールはイギリスへ亡命することを決断。ロンドンのBBCラジオを通じて、対独抗戦の継続と抵抗(レジスタンス)をフランス国民に呼びかけました。

1945年 ひめゆり学徒隊集団自決…太平洋戦争の末期、沖縄では一般市民を巻きこんだ地上戦が行なわれていました。この戦いで、負傷兵の看護を行なってい女子学徒隊は、軍に解散命令を出されたことでアメリカ軍に包囲された洞窟内で、49名が集団自決をしました。さらに沖縄戦終了までに、生徒123人、教師13人が亡くなりました。その霊をなぐさめ、悲劇を二度とくりかえしてはならないという願いをこめた「ひめゆりの塔」が、沖縄県糸満市に建てられています。

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