児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

おもしろ民話集

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 98]

むかし、太郎、次郎、三郎という親孝行の三人兄弟がありました。父親は早く亡くなったため母親だけになりましたが、その母親も病気でずっと寝たきりになってしまい、日一日とやせていくばかりです。兄弟たちは母親の枕元で「おっかぁ、なにか食べたいものはないか?」とたずねました。「そうだな、死ぬ前に、奥山のなら梨が食べたいものだ」といいました。奥山のなら梨というのは、昔からとてもおいしいだけでなく、元気がでることで知られていました。でも、いつのころからか魔物が住みついて、とりにでかけたものはだれひとりもどってこないため、今では奥山に入る人がいませんでした。

でも、親孝行の兄弟です。「おれが行く」と、長男の太郎が、山の奥深く入っていきました。どんどん行くと、大きな岩の上にばあさまがすわっていて、「これ、どこへ行く」 とたずねました。「なら梨をとりにきたんだが、どこにあるかわからない」と答えると、ばあさまは 「この先には魔物がいる。食われないうちに家に帰れ」 といいました。でも、ねばって「どうしてもいきたいから、どこにあるか教えてくれ」とたのむと、ばあさまはため息をつきながら 「この先にいくと、道が三本にわかれていて、笹が三本立っている。『行けっちゃガサガサ』『行くなっちゃガサガサ』と鳴ってるから、よく音を聞いて『行けっちゃガサガサ』と鳴るほうに行くんだよ。そうすりゃ魔物にあわずにすむからな」と、教えてくれました。どんどん行くと、ばあさまのいうとおり道が三つにわかれていて、三本の笹が風にさわいで音をたてています。いちばん右と、真ん中の笹は『行くなっちゃガサガサ』と鳴り、左の笹だけが『行けっちゃガサガサ』と鳴っていました。

でも太郎は、ばあさまのいうことなんかあてにならないと、右の道を先にすすみました。すると、道のとちゅうでキツツキが木をたたいているのにであいました。その音は『行くなっちゃトントン』と聞こえましたが、かまわずすすんでいきました。すると、こんどは大きな木の枝にひょうたんがぶらさがっていて、風にゆれながら『行くなっちゃカラカラ』と音をたてていました。それでも、太郎はかまわず行くと、大きな沼があって、沼のほとりになら梨の木がはえていて、木の上にはおいしそうな梨が、いっぱいなっていました。太郎が木にのぼると、沼の水にその姿がうつりました。すると、沼から魔物があらわれて、太郎をあっというまにのみこんでしまいました。

いくら待っても、太郎が帰ってこないので、「こんどはおれが行く」と、次男の次郎が、出かけていきました。ところが次郎も、太郎と同じように岩の上のばあさまのいうことを聞かず、『行くなっちゃガサガサ』と鳴ってる真ん中の道を行ったために、沼の魔物にのみこまれてしまいました。

いくら待っても、兄たちが帰ってこないので「おっかぁ、こんどはおれが行く」 といって、三男の三郎が、山の奥深くへ入っていきました。三郎がどんどん行くと、大きな岩の上にばあさまがすわっているのにであいました。そこで三郎は、母親が病気で寝たきりになっていること、なら梨を食べたがっていること、ふたりの兄が梨をとりに行ったままかえらないことなどを話しました。すると、ばあさまは、「そうかそうか、よーくわかった。おまえの兄たちがもどらないのは、すべてわしのいうことをきかなかったからじゃ」といい、道が三本別れているところの笹の鳴る音をよく聞いて道を進むことを話したうえに、こまったことがあったらこれを使えと、一本の刀をくれました。

三郎がどんどん行くと、道が三つにわかれたところに、三本の笹が風にゆれていました。三郎はよく耳をすまして、笹が『行けっちゃガサガサ』と音をたてている左の道をすすみました。その先では、キツツキが『行けっちゃトントン』と木をたたいていました。その先では、大きな木の枝にぶらさがったひょうたんが『行けっちゃカラカラ』と鳴っています。もっと行くと、川にいきあたりました。ふちの欠けた赤いお椀が流れてきたので、ひろいあげてふところにいれました。そうしてもっと行くと、大きな沼のほとりに梨の木があって、おいしそうな実がたくさんなっていました。三郎がよろこんで木にかけよると、木の葉が風にゆれながら 「東や西はあぶないよ 北のがわは姿がうつる 南のがわからのぼれ」 と、うたっているようにきこえました。

三郎は歌におしえられたとおり、南のがわから木にのぼりました。それから、よくうれた実ばかりえらんでもぎとりました。ところが木をおりるとき、まちがって北のがわからおりてしまいました。「ぎゃおーっ」と、恐ろしい声がすると、魔物がでてきて、三郎をひとのみにしようとしました。とっさに三郎は、ばあさまがくれた刀で魔物を切りつけました。すると魔物は、刀で切られたところからくさっていき、とうとう死んでしまいました。

死んだ魔物のはらのなかから、小さな声がします。よく耳をすましてきいてみると「ほーい、三郎やーい」ときこえます。三郎が刀で魔物のはらをきりさくと、中から太郎と次郎がでてきました。三郎はふところの欠けたお椀で兄たちに沼の水をのませてやると、ふたりはみるみる元気になりました。

こうして三人そろって家にかえり、奥山のなら梨を母親に食べさせると、病気はたちまちなおり、いつまでも家族そろってしあわせにくらしたということです。


「9月5日にあった主なできごと」

1566年 スレイマン死去…オスマン帝国第10代スルタンとして13回にもおよぶ遠征の末、地中海の制海権をにぎって「世界の帝王」と呼ばれたスレイマンが亡くなりました。

1638年 ルイ14世誕生…フランスブルボン王朝の第3代国王で、「朕は国家なり」と絶対専制君主として勢力を誇ったルイ14世が生れました。

1903年 棟方志功誕生…仏教を題材に生命力あふれる独自の板画の作風を確立し、いくつもの世界的な賞を受賞した版画家の棟方志功が生れました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 97]

むかしむかし、ある町に、どこか暗い感じの大きな古い家がありました。その家には、人はだれも住んでいませんが、お化けがいたため、ずっと空き家になっているのでした。こまった家主は、「お化けを退治してくれた人には、お礼に、お金をたくさんはずみます」と、家のまえにはり紙を出しました。何人かの力自慢が、「おれが退治してやる」と名乗りでて、家にとまりこんだものの、逆にお化けにやっつけられてしまったため、もう、挑戦しようという人はあらわれません。

さてこの町に、トミーという医者をめざして勉強にはげむ、まずしい若者がすんでいました。家主はトミーが、かしこいといううわさを聞いて、相談を持ちかけました。「トミーさん、あなたの知恵で、どうかあのお化けをやっつけてくれませんでしょうか」とたのんだところ、「やってみましょう」と、トミーは、あっさりひきうけたのです。あんまり簡単にひきうけたので、家主はちょっと不安になりました。「だいじょうぶですか?」「心配ご無用。お酒とコップとあきビンを用意してください」といいました。

その日の晩、トミーは空き家の部屋の中に入り、お酒をチビチビ飲みながら、お化けの出てくるのを待ちました。家の中はまっ暗で、月あかりがほんの少しあるだけです。やがて、夜中になり、カーン、カーン……と、時計が、十二時を打つと、どこからか、ヒューッと不気味な音がして、ひとつ目で、鼻のない、大きな口をしたお化けがあらわれました。「やあ、こんばんは。ようこそ、いらっしゃいました」と、トミーはいいます。するとお化けは、「ふぅーん、みょうなやつだな。これまできた連中は、おれを見ると、あわてて逃げていってしまったのに、おまえは、にこにこ笑ってる」「みょうなのは、きみじゃないか。この家は、戸もまども、ぜんぶカギがかけてあるんだぜ。それなの、どうやって入ってきたんだい?」「うっふっふ、おれはカギ穴から、入ってきたんだよ」「カギ穴だって? あんなちっぽけなところから入ってこられるのかね」「うそなどいうものか」「信じられないね。それじゃ、この小さいビンの中にも入れるかい?」トミーは、テーブルの上のあきビンをさしていいました。「いいか、見ていろよ」お化けは、しゅっと、小さくなると、ビンの中にするするっと入ってしまいました。

その時です。トミーはあきビンのふたを閉めてしまいました。「お願いです、ここから出してください」「だめだね」「もし自由にしてくれるなら、一生困らないほどのものをさし上げます」といいます。そこでトミーは、お化けが正直もののようなのに安心して、この家を出ていくことを約束させ、ビンのふたを開けてあげました。たちまちお化けは大きくなり、「あなたには、負けました。お約束の品はこれです」といって、小さな布をトミーに渡しました。「一方の端で傷をさすると、傷はたちまち治ります。もう一方の端で金属をさすると、それは銀に変わります」といいました。トミーがそれを試し、その通りなのを確かめると、おたがいにお礼をいって別れました。

それからのち、あの家にはもうお化けはでなくなり、トミーは家主からもらったお金で勉強にはげみました。また、お化けにもらったあの布でどんな傷も治せたために、世界じゅうでいちばん名高いお医者さんになったそうです。


「8月27日にあった主なできごと」

紀元前551年 孔子誕生…古代中国の思想家で、「仁」を重んじる政治を唱え、たくさんの弟子を育てた孔子が生まれました。

663年 白村江の戦い…当時朝鮮半島では、新羅(しらぎ)が唐(中国)の力を借りて、百済(くだら)と高句麗(こうくり)を滅ぼして半島を統一しようとしていました。百済から援軍を求められた斉明天皇は、日本水軍を援軍に送りましたが7月に病没、かわって中大兄皇子が全軍の指揮にあたりましたが、この日、白村江(はくすきのえ)で、新羅・唐軍を迎え撃って奮闘するものの、翌日に敗れてしまいました。

1714年 貝原益軒死去…江戸時代の初期、独学で儒学、国文学、医学、博物学を学び、わが国はじめての博物誌 「大和本草」 などを著わした貝原益軒が亡くなりました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 96]

むかし、あるところに大きな堀(ほり)があって、こいやふななんかがたくさん泳いでいます。つり糸をたらせば、いくらでも釣(つ)れるのです。ところが、そこで釣りをした人が帰ろうとすると、お堀の中から「おいとけ~」という気味の悪い声が聞こえるので、びっくりした人たちは、魚をほうりなげて帰ってしまいます。それでも、魚を持って帰ろうとする人がいると、その声はだんだん大きくなって「おいとけっ!」と、おどすような声になるので、たいていの人は、釣った魚もつりざおさえも、ほっぽリ投げて逃げ出しました。そのため、その近くに住む人たちは、この堀を「おいとけ堀」とよぶようになりました。

このうわさを聞きつけた、ある豪傑(ごうけつ)とあだ名される気の強いな若者が、「わしは、どんなに『おいとけっ!』といわれようが、持って帰ってやるぞ」と、仲間たちやおかみさんに、いせいのいい啖呵(たんか)をきって、「おいとけ堀」へ、いさんででかけていきました。

さっそく釣り糸をたれると、釣れるわ、釣れるわ、わずかのあいだに、持ってきた入れものがいっぱいになりました。まもなく暗くなりはじめ、冷たい風も吹いてきました。そこで、いよいよ帰ろうと立ち上がったときです。あの「おいとけ~」という気味の悪い声が聞こえてきました。若者は耳をふさぎ、「釣った魚をおいてけるか」とさけびながら、死にものぐるいでかけだしました。若者を追いかけるように「おいとけっ!」「おいとけっ!」というどなり声が聞こえます。それでもようやく、声が聞こえないところまで逃げることができました。

ところがその時です。むこうのほうから、「カランコロン」と下駄の音が聞こえてきます。はっと若者が身構えたとき、柳の木のかげからあらわれたのは、それはそれは美しい女の人でした。女の人は、「その魚を売ってくださいませんか?」といいます。でも若者は、「売りものじゃない。みんなに見せるまでは、だれにもわたさない」といってことわりました。すると女は「これでもかい?」といってツルリと手で顔をなでると、なんと「のっぺらぼう」です。おどろいた若者は、せっかくの魚をほうり投げて、いちもくさんに逃げだしました。

そしてたどり着いたのが、そばの屋台。「お、おやじさん、水をくれ! 出たんだ、出たんだよ、あれが…」「あれってなんですか。でも、もしかしたら、こんなやつじゃありませんでしたか?」うしろをむいていたそば屋のおやじが、くるりとこちらを向きました。なんと、ふりむいたそば屋も「のっぺらぼう」。「ひゃーっ」さすがの豪傑な若者も、腰をぬかしてしまいました。

なんとか、はうように家に着いた若者は、「どうしたんです、おまえさん」と、おかみさんが聞くので、若者はいま自分の身に起きたことを、あえぎながら話して聞かせました。話を聞き終えたおかみさんは、「すると、おまえさんの見たのっぺらぼうというのは、こんなんじゃなかったのかい?」と顔をひとなですると、なんと女房までが「のっぺらぼう」。もう、わけがわからなくなった若者は、あたりをはいまわりながら逃げ出し、気絶してしまいました。

そこは、あの美しい女と出あった、お堀ばたの柳の木のたもとでした。           


「8月20日にあった主なできごと」

1241年 藤原定家死去…「小倉百人一首」の編さんや、万葉集、古今集と並び日本の3大和歌集の一つ「新古今和歌集」を編さんした鎌倉時代の歌人の藤原定家が亡くなりました。

1839年 高杉晋作誕生…吉田松陰の松下村塾に学び、農民や町民を集めて奇兵隊を組織し倒幕に力をそそいだものの、明治維新を前に若くして病死した長州藩士の高杉晋作が生まれました。

1988年 イラ・イラ戦争停戦…1980年ペルシャ湾岸地域を優位に支配しようとするイラクのフセイン大統領が、革命後の不安定なイランへ攻撃を開始して、イラン・イラク戦争が始まりました。一進一退のくりかえしだったため、国連の即時停戦の要請を受けて、停戦が実現しました。双方の犠牲者は100万人を超えたといわれています。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 95]

昔、3人の王子をもつ王さまがいました。となりの国には女王がいて、女王にはひとりの美しい王女がいました。3人の王子は、3人ともこの王女をお嫁にもらいたいと思っていました。そこで、王子たちは王さまのところへいって、だれも、文句はいわないので、だれが王女をお嫁さんとするのにふさわしいかを、決めてくれるようにたのみました。王さまは、しばらく考えていましたが、これから3人とも旅に出て、世界でいちばん尊いと思うものをさがしてくるようにいいました。その中で、いちばん尊いものを持ってきた王子を、配偶者に推せんしようというのです。こうして3人の王子は、いっしょにお城を出ました。やがて、十字路に出たので、それぞれが別の道を行くことにしました。

1番目の王子は大きな町につきました。王子は町のすみずみまで歩くうち、市場でバネのついたじゅうたんを見つけました。これに乗って飛び上がると、飛びたいだけ高く、そして遠くへ行けるのです。気に入った王子は、これを買いもとめました。

2番目の王子は、ある村につきました。ひとりの男が、とても長い望遠鏡を売っていました。この望遠鏡はふしぎなもので、知りたいものを見ることができるといいます。さっそく、兄がどうしているかとのぞいてみると、じゅうたんをかかえている王子がみえました。気に入った王子は、これを買いもとめました。

3番目の王子は、ある国につきました。国じゅうを歩きましたが、なかなか気に入ったものがありません。ある市場で、リンゴを売っているおじいさんに出あいました。「このリンゴは病気が治るリンゴだよ」といいます。「ほんとうに病気が治るのかね?」「もちろんです。病人の顔をこのリンゴでこすってあげると、このリンゴのかおりで、病気が治るんです」気に入った王子は、これを買いもとめました。

2番目の王子が望遠鏡をかついで歩いていると、1番目の王子にあいました。「弟はどうしているだろう」というので、2番目の王子は望遠鏡で、すぐに末の王子を見つけました。「おまえの望遠鏡もたしかにすばらしいが、おれのじゅうたんに乗れば、どんなに遠くでも、ひとっ飛びだ」と1番目の王子は、2番目の王子をのせて、3番目の王子のところにつきました。そして、3人そろって、じゅうたんにのり、空高くまいあがりました。

2番目の王子が、王女のようすを望遠鏡でのぞくと、なんと、王女は病気にかかっていて、いまにも死にそうです。3人が王女の城につくと、3番目の王子は、王女に近づき、王女のほほをリンゴでこすると、たちまち王女の病気が治ったのです。

3人の王子は、王さまのところへ行って、それぞれのおみやげを見せ、みんなで力をあわせて、王女の病気を治したことを話しました。「でも、私のじゅうたんがあったから、まにあったのです」と1番上の王子がいいました。「でも、私の望遠鏡がなかったら、王女が病気だったことに、気がつきませんでした」と2番目の王子がいいました。「でも、私のリンゴがあったから、病気が治ったんです」と、3番目の王子がいいました。

さて、あなたは、3人の王子のうち、だれがいちばん尊いと思いますか。

王さまは、じっと考えていましたが、「わしは、望遠鏡のおかげだと思う。しかし、王女の考えも聞いてみよう」というので、王さまは、3人の王子をつれて王女にあい、いきさつを話しました。

王女はこういいました。「私は、みなさんのおかげだと思います。でも、病気の人を助けてやろうという、末の王子さまの優しい気持ちが、いちばん尊いと思います。それに、私は、前から3番目の王子さまが、好きでした」

さあ、それからどうなったでしょう。あなたがお話しする番ですよ。


「8月8日にあった主なできごと」

1506年 雪舟死去…日本水墨画の大成者として知られる室町時代の画僧・雪舟が亡くなりました。

1962年 柳田国男死去… 『遠野物語』『雪国の春』『海南小記』などを著し、日本民俗学を樹立した柳田国男が亡くなりました。

1973年 金大中事件…韓国の政治家で、後に第15代韓国大統領となる金大中が、宿泊している東京のホテルから拉致される事件がおこりました。5日後、ソウル市内の自宅前で発見されました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 94]

むかし、あるところに源五郎という男がいました。ある日、源五郎が川べりをぶらりと歩いていると、小さな太鼓(たいこ)が落ちていました。源五郎はそれをひろって、ポンポンたたいてみると、とてもいい音がします。そこで、「銭出ろ、ポンポン」「うまいもん出ろ、ポンポン」「酒が飲みたいポンポン」と、かってなことをいいながら、太鼓をたたいていました。

そのうち、「鼻高くなれ、ポンポン」というと、鼻が高くなったではありませんか。そこで、もう一度「鼻高くなれ、ポンポン」というと、こんどは天狗の鼻のように長くなりました。「こりゃ驚いた、たいへんなものを拾ったぞ。でも、これじゃ、天狗にまちがわれる。…そうだ、鼻低くなれ、ポンポン」とやってみましたが、低くなりません。あわてて、こんどは反対側をたたきながら、「鼻低くなれ、ポンポン」とやってみると、不思議ふしぎ、鼻は、もとのようになりました。

「ようし、こりゃおもしろいことになるぞ」源五郎は太鼓をかかえて旅に出ることにしました。知らない村を歩いていると、お宮があったので休んでいると、美しい娘がお参りにきました。長者のひとり娘で、源五郎は娘のそばに近よると、わからないように「娘の鼻、高くなれ、ポンポン」 と太鼓をたきました。

娘の鼻がみるみる伸びたものだから、長者さんの家では大さわぎ。長者はなんとか娘の鼻を治してやろうと、遠くの町から医者を呼んできたり、えらいお坊さんに拝んでもらったりと手をつくしましたがどうにもなりません。そこで長者は「娘の鼻を治してくれた者には望みの金を出す」と、家の前に張り紙を出しました。

しめたと思った源五郎、 「鼻の病気なら、わたしがなんとか出来るかもしれません」 と、名のり出ました。娘の部屋にあがりこむと「これはむずかしい病気だから、とても一日では治りません」といって、家の者をみんな部屋から出して 「娘の鼻、低くなれ」 といいながら、太鼓をポンとたたくと娘の鼻が少し低くなりました。それから源五郎は、毎日1回ずつ太鼓をたたいて、7日もかけて鼻をもと通りにしてあげました。長者は大喜びで、千両箱を源五郎にくれました。

大金持ちになった源五郎は、りっぱな屋敷を建ててなに不自由なく暮らしていましたが、そのうち退屈してきました。そんなある日、原っぱに寝ころびながら、「太鼓をたたきつづけたら、この鼻はどこまでのびるだろか」と思って、太鼓をポンポコポンポコたたきました。源五郎の鼻はどんどん伸びて、たちまち木の高さ、やがて山より高くなり、雲をつきぬけて、とうとう天の川までとどいてしまいました。

ちょうどそのころ、大工さんが天の川に橋をかけようとしていました。そこへ下から、おかしなものが出てきたので、柱にする木をさがしていた大工さんは、これはちょうどいいと橋にしばりつけました。鼻の先が痛くなってきたので、源五郎は「鼻低くなれ」 といいながら、あわてて太鼓をポンポコポンポコたたきました。でも、鼻は天の川の橋にしばりつけられているので、鼻がみじかくなると、源五郎の身体は宙にういて、どんどん空の上へと引き上げられていきました。

そこへ虎のふんどしをしめた雷さまがやってきて源五郎をみつけました。 「ほう、こんなところに人間とはめずらしいな」 「へい、かくかくしかじかで、大変なありさまで」「そうか、それならわしのところで働け。雨の季節になるといそがしくてな」こうして雷さまの弟子になった源五郎は、雷さまの打ち鳴らす太鼓にあわせ、雲の上をはしりまわって、柄杓(ひしゃく)で水をまきます。ちょいとまいただけでも下界では大雨になるから、おもしろくておかしくて、つい夢中になってかけずりまわっているうちに、足をすべらせて雲から落ちてしまいました。

まっさかさまに落ちたのは、琵琶湖のどまんなか。わらをもつかむ思いでもがいているうちに、源五郎はフナという魚になってしまいました。今でも、琵琶湖にいる大きなフナのことをゲンゴロウブナっていうんだって。            


「8月1日にあった主なできごと」

1590年 家康江戸城へ…豊臣秀吉から関東4国をもらった徳川家康が、太田道灌の建てた江戸城へ入城。粗末だった城を、じょじょに様式のある城に整えていきました。

1931年 初のトーキー映画…これまでの日本映画はサイレント映画で、スクリーンの横に弁士がついてストーリーを語るものでしたが、初のトーキー映画『マダムと女房』(五所平之助監督) が封切られました。

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