児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

おもしろ民話集

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 107]
 
むかし、あるところに、右のほほに大きなコブのあるおじいさんがいました。動いたり歩いたりすると、ブラブラするので、とても困っていました。

ある日、おじいさんが山で芝を刈っていましたが、日がくれかかってきたので帰ろうしました、すると、空が急にくもってきて、ポツリポツリと雨がふりだしたかと思うと、たちまち大雨になりました。おじいさんは、あわてて、近くにあったほら穴へ逃げこみました。けれども、雨はますます強くなるばかりです。「弱ったなぁ、早くやんでくれないと、日が暮れて、家にもどれなくなってしまう」。やがて真っ暗闇になり、おじいさんは、おそろしくて、耳をおさえてしゃがんだまま、穴の中にじっとしていました。

ま夜中ころになって、やっと雲がはれて、雨がやみました。あたりはシーンとして、なんの音もしません。おじいさんは、心細くてたまりませんでした。そのうち、月が出てきたので、月明かりで山をおりようと考えました。

そのときです。なにやら、ぞろぞろ人が歩いてくるようです。「やれやれ、人がくるようだ。連れができたらありがたい」と、おじいさんが穴からでてみると、人ではなく、こわそうな鬼たちでした。赤鬼、青鬼、一つ目鬼、角のない鬼もいます。おじいさんは、びっくりして、また穴の中にもぐりこみました。鬼たちは、穴の前にくると、火をたきはじめ、たき火のまわりにあぐらをかくと、酒盛りをはじめました。「これはたいへんだ。見つかったらどうしよう」おじいさんは、穴の中で、ブルブルふるえていました。

そのうち、よっぱらった鬼たちが歌いだし、太鼓や笛にあわせて、おどりをはじめました。笑ったり、手をたたいたり、大さわぎです。そのうち、鬼の親分が「なかなか面白い。だが今夜は、だれか、めずらしい踊りをみせてくれないか」といいました。おじいさんは、おどりが大好きでしたから、このとき、出ていこうかと思いました。でも、鬼がこわそうなので、ぐずぐずしていました。「早く、出てこい。一人ぐらいうまい奴がいるだろう」という親分の声に、おじいさんは、もうこわいのを忘れて、飛び出しました。

ほっぺたに大きなコブをつけ、水ばなをたらしながら、♪ スタコラスタコラ スッテンテン ピーヒャラヒャーのスットントン……

大声で歌いながら、伸びたり、かがんだり、手をひろげたり、足をあげたり、グルグルグルとおどりまわります。鬼たちは、「やぁ、人間のじじいだ」「これはめずらしい」「うまいぞ、うまいぞ」といいながら、おじいさんのまわりをおどりはじめ、親分まで楽しそうに加わりました。笛や太鼓の音がいちだんと高くなります。

そのうち、空が明るくなると、鬼たちは急に静かになりました。鬼の親分が、「こんなおもしろいおどりは、はじめてみた。どうか、明日の夜も来てくれないか」「わたしのおどりが気に入ってくれましたか。それでは、またまいりましょう」「きっとくるか」「はい、きっとまいります」「じじいは、ああはいっても、こないかもしれません」「そうだな、よし、このじじいのほっぺたのコブをあずかることにしよう。コブはじじいの宝物にちがいない」というが早いか、いきなりおじいさんのコブをひきちぎりました。ふしぎなことに、コブをとられたのに、少しも痛くありません。

遠くのほうで、コケコッコーとニワトリの鳴き声がきこえると、鬼たちはビックリして、消えて見えなくなりました。、

「ああ、じゃまっけなコブがなくなってありがたい。夢のようだ」家にもどったおじいさんから、鬼の話を聞いて、おばあさんは、「ほんとうによかったですね」と、大喜びでした。

このおじいさんのおとなりに、左のほほに大きなコブのあるおじいさんがいました。やはり、動いたり歩いたりすると、ブラブラするので、とても困っていました。となりのおじいさんが、コブがなくなったといううわさを聞いてやってきました。「鬼にコブをとってもらったって、ほんとうかい?」「ほんとうだとも」「わしも、とってもらいたいものだ。じいさん、鬼のところにいく道を教えてくれないか」「おやすいご用だ」

こうして、となりのおじいさんは、山奥の穴の中にはいり、夜のふけるのを待ちました。ま夜中になると、昨夜の鬼たちが出てきて、酒盛りをはじめ、ワイワイ騒ぎだしました。鬼たちは「ゆうべのじじいは、まだ来ないか」「もう、来てもいい時分だがなぁ」鬼の親分は「じじい、じじい。出てこい」と呼びました。となりのおじいさんは、あんまりこわそうなので、穴から顔だけだして、もじもじしていました。そのうち鬼たちは、おじいさんを見つけて「ああ、そこにいる。早く出てこい。おどりだ、おどりだ」おじいさんは、しかたなく穴から出て、いきなりおどり出ましたが、こっちのおじいさんは、おどりがとってもヘタでした。手をふりながら、あっちへひょろひょろ、こっちへひょろひょろ。

すると、鬼の親分がどなりだしました。「なんだ、このへたなおどりは。きのうはあんなにおもしろかったのに。おい、じじい、コブなんか返すから、とっとと消えてしまえ」と、ふところからコブをとりだすと、ポンと右のほほに投げつけました。おとなりのおじいさんは、あっと驚きましたが、もうしかたがありません。両手で二つのコブをおさえ、泣きながら山をおりたのでした。


「12月17日にあった主なできごと」

1772年 ベートーベン誕生…『交響曲第5番』(運命)『交響曲第9番』(合唱)などの交響曲、『月光』『悲愴』などのピアノ曲のほか、管弦楽曲、歌劇、声楽曲など各方面にわたる作品を遺した、クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人であるドイツの作曲家ベートーベンが生まれました。

1903年 世界初飛行…アメリカのライト兄弟は、動力をつけた飛行機で、人類ではじめて空を飛びました。

1945年 女性に参政権…衆議院議員の選挙法改正案が公布され、女性が参政権を獲得しました。翌年4月10日に行なわれた総選挙では、82名の女性立候補者のうち39名が当選をはたしました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 106]
 
ある村に、ジャックという名の貧しい農夫の息子がいました。とても元気でかしこいので、「知恵ものジャック」といわれていました。

ある日、村の人たちがジャックのところにやってきて、こういいました。「むこうにみえる山の穴ぐらの住みかに、コーモランという背の高さが5メートルもある巨人がすんでいるのを知っているよね。このごろ、あいつが、きゅうにあばれだして、村人や、牛やブタやヒツジを、さらっていくのだ。みんなで集まって、どうしたらやつを退治できるか話しあってるが、よい方法がみつからなくてね。それであんたに相談にきたんだ」するとジャックは、「それじゃ、わたしがやってみましょう」と、簡単に引き受けました。

その日の夕方、ラッパとシャベルを持ったジャックは、巨人の住む山へやってくると、さっそく仕事にとりかかり、よく朝までに、直径と深さがそれぞれ7メートルもある大きな穴をほりあげ、そこに長い棒とわらをかぶせてふたをし、その上に土を少しまいて、ふつうの地面とみわけがつかないようにしました。それからジャックは、巨人の住みかからみて、穴の反対側にすわりこむと、プップラ・プップラ・ブップラプー! とラッパを吹き鳴らしました。

その音で目をさました巨人は、住みかのまどからのぞいてみますと、若者がラッパをふいています。「うるさいやつだ。まるごとあぶって、朝飯にしてやるからな」と、さけびながら飛び出すと、ジャックめがけてかけだしました。そして、ジャックをつかまえようとしたとき、足が落とし穴をふんずけたために、ドスーン! 大きな地響きをたてて、巨人は穴におちてしまいました。「どうだ、らんぼう者をつかまえたぞ」というと、バタバタバタバタあばれる巨人の上に、どんどん土を投げこみましたから、さすがの巨人も力つき、死んでしまいました。

村人たちは大喜びで「巨人退治のジャック」と、たたえました。大てがらをあげたジャックのうわさは、国じゅうに伝わりました。東の巨人コーモランが殺されたことを知った西の巨人ブランダボアは、もしもジャックという男にであったら、しかえしをしてやろうと心にきめました。ブランダボアは、ひとけのない森の中の城に住んでいました。

そんなことを知らないジャックは、国じゅうを旅していたある日、森の中で迷ってしまいました。くたびれてしまったので、気持ちのよさそうな泉のそばに腰をおろすうち、ぐっすり眠ってしまいました。そこへ、あの巨人ブランダボアが水をくみにやってきたのです。旅人が寝てるなと、ふと旅人のベルトを見ると、「巨人退治のジャック」とあります。これが有名なジャックだと知ったブランダボアは、ひょいとジャックを肩にかつぎ、家につれていくとちゅう、ジャックは目をさましましたが、寝ているふりをしていました。

やがてジャックは、ブランダボアの城の大きな部屋に投げ入れられてしまいました。あたりを見ると、人間の骨がいちめんに並んでいます。ブランダボアは、近くに住む巨人の弟といっしょに、ジャックを食べようと考えて、弟をむかえにいきました。

巨人の兄弟が帰ってきたのをみたジャックは、部屋のすみにあった縄を2本取り上げると、それぞれの縄のはしに輪をつくり、もう一方のはしを天井のはりにかけておきました。巨人たちが城門を開けているとき、ジャックは「死ぬか生きるか、勝負だ」と、ふたりの頭をめがけて縄を投げました。縄の輪はうまくふたりの首にかかり、ジャックは天井のはりにかけてあった縄を、すばやく力いっぱい引っぱったものですから、巨人どもはのどをしめあげられてしまいました。

巨人たちの顔が黒くなりはじめたのを見たジャックは、縄を伝っておりていくと、剣をぬき、巨人兄弟を退治したのでした。

すごいねジャック、巨人を3人もやっつけたよ。


「12月5日にあった主なできごと」

1791年 モーツァルト死去…ハイドンやベートーべンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人であるオーストリアの作曲家モーツァルトが亡くなりました。

1901年 ディズニー誕生…「ミッキー・マウス」を生みだし、いまや世界的なウォルト・ディズニー・カンパニーを創業したディズニーが生まれました。

1904年 日本軍が旅順203高地占領…日露戦争で日本軍は、ロシア軍の要塞があった旅順の203高地を3度目の総攻撃で占領に成功、戦局はいっきに日本軍が有利なものになりました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 105]
 
昔、あるところに、夫婦とかわいいひとり娘がくらしていました。ところがあるとき、母が病気で死んでしまい、父親は新しい母親(まま母)をもらいました。けれど、まま母は、かしこく美しい娘がにくらしくてなりません。なんとかして追い出そうと考えていました。そこで、父親に「あの子は、わたしと暮らすのがいやなので、神さまに祈って、わたしをのろい殺そうとしています」と、つげ口をしたのです。

つげ口を信じた父親はひどくおこりました。そしてある日、祭を見にいこうと、娘にきれいな着物をきせて家を出ました。ところが、祭というのに山を越えようとするので「父さま、祭はどこにあるのです」と聞くと、「ふた山越えた、城下の祭さ」といって、山の奥へ入っていきました。ひと山越えた谷間のあたりで、「昼飯にしよう」と、もってきた握り飯を食べはじめました。そのうち娘は、歩きくたびれたために、いねむりをはじめました。それを見た父親は、腰にさしていた刀で、娘の右腕を切り落とし、泣きさけぶ娘をそのままにして、ひとりで山をおりてしまいました。

血まみれになって転げながら後を追いましたが、もう父親のすがたはありません。すてられたのがわかると、どうしてこんなひどい目にあわされたのか、娘はかなしくてなりませんでした。それでも、谷川の水で切られた腕の傷口を洗い、草の実や木の実などを食べて、どうにか生きぬいておりました。

あるとき、馬にのった若者が、山へ猟にきました。そのうち若者は、片腕の娘をみつけました。「どうしてこんな山の中にいるのかい?」娘は目にいっぱい涙をためて「ある人に腕を切られて、この山にすてられたのです」娘から事情をきいた若者は、娘に深く同情しました。「なにはともあれ、わたしの家にくるがよい」と、若者は娘を馬にのせて山を降りました。りっぱな家に帰ると、「母さま、狩は不猟でしたが、山の中で片腕のない娘をひろって帰りました。とてもかわいそうな娘ですから、どうか家において下さい」。若者の母親も心やさしい人で、自分の娘のようにかわいがりました。そのうち娘は、若者の嫁になり、そのうち、赤ちゃんが生まれることになりました。

ちょうどそのころ、若者はきゅうに江戸へいくことになりました。「母さま、子どもが生まれましたら、すぐに早飛脚を立ててください」といいおいて、旅立ちました。それからまもなく、かわいい男の子が生まれました。母親はすぐに、近くに住む使い走りの男に頼んで、早飛脚を立てました。むかしは、遠くに手紙をとどけるために、飛脚がわざわざ持っていったのです。たのまれた飛脚は、野をこえ山をこえて走りました。とちゅうでのどがかわいたのである家に立ちより、水をもらって飲みました。ところが、その家は娘が生まれた家でした。

まま母は、早飛脚に「飛脚さん、どこまでいくのですか」と、たずねました。「おらが村の長者殿の、片腕のない奥方が男の子を生んだので、江戸にいる若さまへ早知らせを持っていくところだ」と、いいました。娘がまだ生きていると知ったまま母は、飛脚に酒を出してもてなし、飛脚がうとうとしているすきに、文箱の手紙をとり出すと、「玉ともなんともたとえようのない、かわいい男の子が生れました」と書いてあります。そこでまま母は、「鬼とも蛇ともわけのわからない化けものが生れた」と書いたものとすりかえ、「帰りにもかならず寄って、江戸のみやげ話を聞かせてください」と、親切そうにいいました。

江戸で飛脚からの手紙を見た若者は、とても驚きました。けれども「鬼でも蛇でもよい、私が帰るまで大切に育てて下され」という返事を書いて、早飛脚に持たせました。早飛脚は、帰り道も、ふるまい酒にありつこうと、また寄りました。まま母は、また酒を飲ませて飛脚を酔いつぶすと、「そんな子など見たくもない。手なし嫁を見るのもいやになった。子どもといっしょに追い出して下さい」と書きかえて、文箱に入れました。

娘は、夫からの返事を読んで、どんなに悲しいと思ったかしりません。(もしかしたら、あの人は、都ですてきな女性と出あって、私なんかいやになったのかもしれない)
そう考えた娘は「母さま、このかたわものの私にかけて下さったご恩を一つも返せないで出ていくのは悲しいことです。でも、若さまの心とあればしかたありません。出ていきます」というと、子どもを背負わせてもらい、泣くなく家を出ていきました。

家は出たもののいくあてもなく、泣きさけぶ赤んぼうをあやしながら、とぼとぼ歩いていました。とてものどがかわいてきたので、小川の水をくんで飲もうとすると、背中の子どもが背からぬけ落ちそうになりました。娘はあわてて、背中の子をおさえようとしました。するとふしぎなことに、なかったはずの右手が生えて、ずりおちる子どもをしっかりと抱きとめていたのです。「わぁ、子どもが助かってよかった。右手がはえてよかったわ」とあたりを見まわすと、そばのお地蔵さんの右手がなくなっていました。「ああ、このお地蔵さんが、わたしに手をくれたんだわ。そうだ、もらったお金でここに小屋を建てて、お地蔵さんをお守りしよう」

それからまもなく、若者は、江戸での用事をすませ、子どもや妻や母に早く会いたいと、いそいで帰って来ました。けれども、子どもと妻が家を出たということを知り、がっかりしました。いろいろ話を聞くうち、仕立てた早飛脚が、手紙をすりかえられたことを知りました。

若者はあちこち探し歩きましたが、どこにもみつかりません。1年がすぎ、2年がすぎ、もうあきらめかけて、流れのそばの地蔵小屋の隣にある店屋へ腰かけました。すると、3つばかりの男の子が、「お父さん、お父さん」と寄ってきます。「それは、よそのお父さん」という女をみると、自分の妻とそっくりです。でも、手があるから妻ではないと思いました。でも、よくよく見ると、探していた妻にまちがいありません。娘は、小川のほとりで右腕をさずかったことをくわしく話しました。

こうして3人は、どんなにうれしかったことでしょう。家にもどると、母親と大祝いをして、みんなで仲良くくらしました。


「11月25日にあった主なできごと」

1890年 第一回帝国議会…明治憲法発布翌年のこの日、帝国議会が開かれました。議会は、貴族院と衆議院の2院からなり、貴族院議員は皇族・華族、多額納税者などから選ばれ、衆議院議員は、25歳以上の男子で国税15円以上を納める人に限定されていました。
 
1892年 オリンピック復活の提唱…フランスのクーベルタン男爵は、アテネで古代競技場が発掘されたことに刺激され、スポーツによる世界平和を築こうとオリンピック復活の提言を発表、オリンピック委員会が作られ、4年後に実現しました。

1970年 三島由紀夫割腹自殺…『仮面の告白』『金閣寺』『潮騒』など、ちみつな構成と華麗な文体で人気のあった作家の三島由紀夫が、アメリカに従属する日本を憂えて自衛隊の決起をうながすも受け入れられず、割腹自殺をとげました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 104]
 
むかし、ある海岸近くに小高い丘がありました。この丘の小屋に、病気でねたきりのおばあさんが一人きりで住んでいました。

ある秋の寒い日の午後のこと。この日は、浜辺でにぎやかなお祭りがある日でした。町のひとたちは一人残らずやってきて、楽団の音楽にあわせ、ダンスに興じたり、歌をうたったり、テント張りのお店もたくさん出て、飲んだり食べたり、年に一度の秋祭りを楽しんでいました。

にぎやかな音楽や歌声は、小屋に寝ているおばあさんにも聞こえてきました。やがて夕方近くになって、おばあさんはベッドの中から、窓越しに海辺のほうをながめました。ふと気がつくと、遠くの地平線に、小さな黒い雲がひとつ、ぽつんと現れているのに気づきました。それを見たとたん、はっとしました。おばあさんの亡くなった旦那さんは船乗りでしたから、おばあさんも海のことを、よく知っています。(たいへんだ。もうすぐ嵐がやってきて、高潮が押し寄せてくる。そうすれば、海岸で遊んでいる人たちは、波に巻きこまれて、亡くなる人もでるにちがいない。ああ、わたしが見たものを、だれも気がつかなかったらどうしよう)

こう思ったおばあさんは、気が気でなりません。自分が知らせてあげなくてはと思うと、ふしぎにも、身体に力がわいてきて、1年近くもベッドに寝たきりだったのに、窓の近くまで、はっていくことができたのです。やっとの思いで窓をあけ、思いきり大声をあげました。でも、とても海岸まではとどきません。そこで、近くにあった棒で、戸をたたいたり、窓をたたいたりして合図しましたが、陽気にさわいでいる人たちにとどきそうもありません。ガシャンと、窓のガラスをこわしてもだめでした。

雲はいよいよ気味悪く、真っ黒にふくれあがってきました。どしゃぶりの雨がふりだし、高潮がおしよせてくるまで、もう少しの時間もありません。このとき、おばあさんはひらめきました。(そうだ、この小屋に火をつけよう) おばあさんは、ストーブのところまではっていき、火を取り出すと、ベッドのワラに火をつけました。そして、やっとの思いで、戸口の外まではいだし、そこにたおれてしまいました。

ほのおは、すぐに窓から吹き出して、屋根へ燃えうつり、いちだんと強くなってきた風にあおられて、燃え上がりました。「火事だぁ!」「火事だぞう!」浜辺にいた人たちは、暗くなった空に真っ赤にもえあがった火に気がつき、高台をかけのぼりました。そして、おばあさんの小屋に飛んできて、火の粉をかぶっているおばあさんを、安全なところに運びました。

この時、海岸にはすさまじい嵐がふきまくり、カミナリの稲光とゴロゴロという音とともに高潮がおしよせ、海岸のテントの店も、酒樽もなにもかも、おそろしい波の中に呑みこまれていきました。けれども、町の人たちはみんな岸にあがり、おばあさんの小屋にむかっていたために無事でした。

こうしておばあさんは、命がけで、町の人たちを救ったのでした。


「11月13日にあった主なできごと」

1523年 インカ帝国皇帝捕えられる…15世紀から16世紀にかけてペルー南部に栄えたインカ帝国は、クスコを中心に石造建築や織物、金銀細工など優れた文明を築きましたが、この日スペインのピサロは、帝国のアタワルバ皇帝をだまして捕えました。翌年インカ帝国は滅亡、スペインは南アメリカ大陸の大半を長い年月支配することになりました。

1614年 高山右近国外追放…織田信長、豊臣秀吉、徳川家康につかえた高山右近は、築城術もたけ茶道にも長じたキリシタン大名でしたが、禁止されたキリスト教を捨てなかったためにこの日国外追放、40日後にマニラで亡くなりました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 103]

昔あるところに、下(しも)の七兵衛と上(かみ)の七兵衛という二人の七兵衛がありました。とても仲良しで、村にいてもたいした仕事はないので、出かせぎに行こうと、そろって遠い町へ出かけました。それから3年がたち、下の七兵衛はよく働いて金をためたのにひきかえ、上の七兵衛は、遊んでばかりいてならず者の仲間に入って悪事をはたらいていました。

「どうだ、そろそろいっしょに故郷(くに)へ帰らないか」と下の七兵衛が上の七兵衛にいいましたが、上の七兵衛は、着るものも金もなく、帰りたくても帰れないありさまでした。「おまえを一人置いとくわけにはいかないな」と、下の七兵衛は上の七兵衛のために、着物を買ってやり、旅費も出してやりました。こうして連れだって帰ってきて、生まれた村が見える峠にきたときです。上の七兵衛の心に、むらむらとよこしまな考えがめばえてきて、下の七兵衛を後ろから、ばっさり斬って殺してしまいました。おまけに、持っていた荷物からお金から全部自分のものにして、そしらぬ顔で村にもどりました。下の七兵衛のお母さんには、「いっしょに帰ろうといったけど、悪い仲間にはいってしまった。もう村にはもどらないといっていた」と、うそをつきました。

でも、そんな上の七兵衛の性根は変わるものでなく、盗んだお金は、まもなく使ってしまって、またあの峠を越えなくてはならなくなりました。下の七兵衛を殺したその場所にさしかかった時のこと。「こら、七兵衛、七兵衛、ちょいと待て」と呼ぶ声がします。ふりかえってみましたが、だれもいません。空耳かと思ったところが、また「七兵衛、七兵衛、ちょいと待て」 と、声が追いかけてきます。それが下の七兵衛の声なのでびっくりしていると、草の中で七兵衛のガイコツがケタケタ歯を鳴らしながら、いいました。「久しぶりじゃねぇか、おれを忘れたか。ここでおめえに切り殺されて、骨身をけずって働いてためた金も荷物も、すっかり盗られた下の七兵衛のなれのはてよ」上の七兵衛は、びっくりして逃げようとしましたが、ガイコツは起き上がって、上の七兵衛の着物のすそをつかんで離しません。

「おまえは、これからどこへ行くつもりだ」「もう、金もなくなったんで、どこかへ働きに出るとこだ。じゃまはせんでくれ」「そうか、相もかわらずこまった男だなぁ。どうだ、おれを連れて銭もうけをしないか」「なにをするんだ」「おれが踊(おど)るから、おまえは踊りにあわせて唄をうたうんだ。そうすりゃ、もとでいらずの金もうけができる」「そりゃ、おもしろそうだな」話がまとまって、七兵衛は、ガイコツを連れて町や村を回り歩きました。「めずらしいガイコツおどりだよ」とふれまわり、七兵衛が唄いだすと、ガイコツがカラカラカラとおどりだすものですから、どこへいっても大入り満員の大盛況。金はたまるし、たいへんな評判をとりました。とうとうこれが、殿さまの耳にも入って、お城でガイコツおどりを見せることになりました。

大きなお庭に呼ばれ、おもむろに七兵衛が唄をうたいだしました。ところがガイコツは、立ち上がろうとしません。「さあ、おどれ、おどるんだ」といっても、ガイコツは動かず、青くなった七兵衛は、次々に唄を変えても、びくともしません。七兵衛がおこって、ムチで打つと、ガイコツはガラガラと立ち上がって、殿さまの前に進み出て、口を開きました。

「殿さま、わたしがおどりをおどらない理由(わけ)を申し上げます。この男は、わたしと二人で旅働きに出た帰り、故郷がすぐそこに見えるという峠で、わたしを殺し、金をみんな盗んだ悪人です。これまで、ガイコツおどりをおどってきたのも、殿さまにお目にかかりたいばかりに、わたしがたくらんだことなのです」「世にもふしぎな訴えごとであるな。ここにいる男をしばりあげよ」

こうして、七兵衛はとらえられ、ガイコツのいった通り全部白状したために、七兵衛はとうとうはりつけにされたのでした。


「10月30日にあった主なできごと」

1850年 高野長英死去…『夢物語』を著して江戸幕府批判の罪で捕らえられるものの脱獄、自ら顔を焼き人相を変えて逃亡していた蘭学者高野長英が、幕府の役人に見つかって自殺をはかりました。

1890年 教育勅語発布…この日「教育に関する勅語」(教育勅語)が発布され、翌日全国の学校へ配布。以来、1945年の敗戦まで55年もの間、皇室中心の国家的教育が進められました。

1938年 火星人来襲パニック…アメリカのラジオドラマで、オーソン・ウェルズ主演『宇宙戦争』(原作H・Gウェルズ)を放送、演出として「火星人がニュージャージー州に侵入」の臨時ニュースを流したところ、本物のニュースと勘違いした人々が大パニックをおこして町から逃げ出す人、発狂する人まで現れました。

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