児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

偉人の子ども時代

● 文学、歴史、神学、語学、詩、乗馬、剣術──おどろくほどよく勉強

裕福な法律家の家に生れ、自分も法律家として進む道をさだめられていたゲーテは、小さいときから、おどろくほどよく勉強しました。先生は、厳格な父と家庭教師でした。このころにも、もちろん学校はありました。しかし、貴族や金持の家では子どもを学校には入れず、家庭教師などをやとって自宅で学ばせたのです。
法律をはじめ文学、歴史、神学、語学、詩、乗馬、剣術──このなかで、いちばんとくいだったのは語学でした。自分の国のドイツ語のほか、イタリア語、ラテン語、ギリシア語などを学び、10歳のときには、ギリシア語で新約聖書を読めるほどになっていました。そして、旧約聖書に興味をもつと、どうしても原典で読みたいと思うようになり、ヘブライ語まで学びました。
でも、文法のような規則を勉強するのはきらいでした。人におしつけられないで、自分の思うとおりに自由に学ぶのが楽しかったのです。
また、小さいときから、人形しばいごっこをして遊ぶなど、しばいもたいへんすきでした。10歳のとき、家が、フランクフルトへ進駐してきたフランス軍の宿舎になったことがありました。このとき軍人たちが楽しんだ劇を、おとなにまじって、ひと晩もかかさずに見たということです。
15歳のとき、父のもとを離れて大学へ進むと、こっそり絵を学び、シェイクスピアを愛読し、詩をつくり、3歳上の女性に恋をし……、こうして小説家、詩人、劇作家への道を進んでいきました。

ゲーテ(1749~1832)──「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」などの名作を生み出したドイツの文学者。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきゲーテを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● きかん坊だが正直なガキ大将

山形県の蔵王山のふもとに、農民の子として生まれ育った茂吉は、子どものころ、仲間のあいだでもとびぬけたガキ大将でした。みんなからはヤセモッキーというあだ名で呼ばれていましたが、とにかく負けずぎらいで、いつも、仲間の総大将でした。
遊び場は、村を流れる須川の河原と、宝泉寺という寺の境内でした。河原ではよく、よその村の子どもたちと石合戦をしました。このとき茂吉は、作戦をねって味方の指揮をとり、味方が少しでも負けそうになると、飛んでくる敵の石などおそれず、自分が先頭に立って戦いました。そしてたいていは勝利をおさめ、敵が逃げていくと、水の中まで追いかけていって、かちどきをあげました。
石合戦のときも、河原で夢中になって遊んだときも、ぬれてしまった着物は、宝泉寺の墓からぬいてきた卒塔婆を河原で燃やして乾かし、なにくわぬ顔をして家へ帰りました。
でも宝泉寺の和尚からは 「きかん坊だが正直な子だ」 と、かわいがられました。5歳下の弟の直吉と2人だけで、1日に7回も8回も寺へ行くことがありましたが、このときの目的は、お菓子でした。字を書く和尚の墨すりを手伝うと、せんべいなどをもらえたのです。しかし一方ではこの和尚から、眼をつぶって考えるくせ、灰に字を書くくせ、顔にぬれ手ぬぐいをのせるくせなどといっしょに、書を学び、やがて14歳で東京へでると、医者の斉藤家の養子となって、歌人の道へすすんでいきました。

斉藤茂吉(1882~1953)──医者のかたわら、土のにおいのする短歌を作り続けた歌人。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき斉藤茂吉を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 11歳で、たった一人世の中にほうりだされる

ゴーリキーの書いた、もっとも有名な作品は『どん底』ですが、少年時代のゴーリキーの生活は、ほんとうに、どん底でした。
ゴーリキーが4歳のときに家具職人だった父が亡くなると、母の実家へひきとられ、それから7年間、まるで動物のようにあつかわれて、毎日なぐられる暗い日がつづきました。そして11歳のときに母が亡くなると、小学校もわずか1年でやめさせられ、たった一人、世の中へほうりだされてしまいました。
寝るところもお金もなく、友だちもいない。どんなに泣いても、だれ一人、助けてはくれない。こんななかで、ゴーリキーははたらきはじめました。小さなくつ屋の小僧、製図工の見習い、船の皿洗い、塑像販売店の小僧、しばいの下っぱ役者、パン焼き職人……など、大人にどなられ、こづきまわされながら、毎日たおれるまではたらきました。主人に松の枝でなぐられて、背中が枕のようにはれあがり、病院で、からだから42個の木切れを抜きとってもらったこともありました。また、古いピストルを買ってきて、ほんとうに胸にあてて発射したこともありました。さいわい弾は心臓をはずれて一命をとりとめましたが、とにかく、なんのために自分は生きているのかわからないほど、苦しかったのです。
ところが、こんなゴーリキーを救ったものが、たった1つだけありました。本です。かくれるようにして本を読みつづけるうちに、「自分はけっしてひとりぼっちではない」 と信じるようになり、やがて、貧しい人びとを見つめる作家へと成長していきました。

ゴーリキー(1868~1936)──11歳で両親を失い世の中へほうりだされ、貧しい人びとのことを考えつづけたロシアの作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきゴーリキーを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 「またあの小僧がきてる」といわれるほどの図書館通い

五重塔の建立に命をかける、二人の大工の情熱と争いと友情を描いた代表作『五重塔』で知られる露伴は、生れつき体が弱く、幼年期には医者からなんども見はなされたほどでした。5歳で手習いを始めたころ目を悪くして、ほとんど盲目同様になってしまったこともありました。しかし、早くから学問を好み、6歳をすぎたころから塾へ通って漢書の素読を始めました。
9歳で東京師範の付属小学校へあがったときは、数学がたいへん得意でした。でも、とくに数学だけを勉強したというのではなく、ひまさえあれば『弓張月』『田舎源氏』『白縫物語』などの草双紙 (絵入りの小説) を続みふけりました。勇ましくも悲しい歴史物語が、露伴の小さな胸をふるわせて離さなかったのでしょう。
12歳で東京府立第1中学校へ進み、1年後には東京英学校へ変りました。ところが父が下級官吏だったために学費がつづかず、中途で退学しなければなりませんでした。
しかし、露伴は学校で学べなくなったことを悲しみもせず、かえって自分の力で勉強にうちこんでいきました。勉強の場は、お茶の水にあった東京図書館でした。毎日のように図書館へ行っては、図書館員に 「また、あの小僧が来てる」 と言われるほど、さまざまな漢書、小説、仏典などを借り出して読みつづけたのです。
17歳のとき、生活のため電気技手として北海道へ渡りました。でも、漢書や小説に夢中になるうちに、生活費を得るための電気技手の仕事がいやになり、2年後に東京へ舞いもどりました。そして、こんどはもう迷うことなく作家の道へ進んでいったのです。

幸田露伴(1867~1947)──男性的、理想主義的な作風で、尾崎紅葉とならび称せられた作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき幸田露伴を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

● 豊かさと貧しさを共に体験

主人公のノラが、最後に、妻や母であるまえに1人の人間として生きることを求めて家を出て行く『人形の家』。この3幕の社会劇で世界的に名を高めたイプセンは、ノルウェーの小さな港に生まれました。父は、裕福な貿易商人でした。
ところが、イプセンが8歳のとき、父は投機の失敗で家は破産、一家は、町の中心にあった大きな家を去って、郊外の小さな家に住むことになりました。すると、町の人たちの目はいっぺんに冷たくなり、父は、そんな町の人びとに腹をたてて、家にとじこもるようになってしまいました。
イプセンは、ラテン語学校へ行くことさえできず、小さな私塾のような学校へ通うのがやっとでした。友だちと遊ぶこともなく、家族ともほとんど口をきかず、いつも孤独でした。学校の成績も目立たず、絵だけが少しすぐれていました。そこで画家になることを考えましたが、家の貧しさがそれを許しません。いつも 「ぼくは、どうなるのだろう」 という不安を抱きながら、古材木を集めてきては建築家のまねをしながら小さな自分の部屋で遊びました。
15歳で町の薬屋へ徒弟奉公にでました。でも、このころから社会を風刺的に見るようになり、やがて劇作家の道へ進んで行きました。青年時代も水しか飲めないほどの苦しい生活を送り、このような少年時代からの苦しみが、北欧最大の劇作家への心を育てていったのです。

イプセン(1828~1906)──苦しみの中から社会を批判する心を育てたノルウェーの劇作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきイプセンを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

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