児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

月刊 日本読書クラブ

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第48回目。

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● 柔軟な想像力と豊かな感性を育むための絶好の絵本

この絵本「ぐりとぐら」(なかがわ りえこ作・おおむら ゆりこ絵 福音館書店刊)の内容は、次のとおりです。

ぼくらの なまえは ぐりと ぐら このよで いちばん すきなのは おりょうりすることたべること ぐりぐら ぐり ぐら──お料理をすることと食べることが大好きな野ねずみのぐりとぐらが、森の奥ですばらしいものを見つけました。大きな大きなたまごです。
ぐりとぐらは、この森の中で大きなカステラを作ることにしました。大きなかまどを作って、大きなフライパンを火にかけて……。やがて、いいにおいが流れて、ライオンもゾウも小さなカメも森じゅうの動物たちが集まってきました。
みんなで食べたカステラのおいしかったこと。ぐりとぐらは、たまごのからで車を作って、また、歌をうたいながら帰って行きました。

もう何十年も前から読みつがれている3~5歳向きの絵本です。
ぼくらの なまえは……に始まるリズミカルな書きだしに耳をかたむけているうちに、大きなたまごの発見によって、子どもは空想の楽しさのなかへ誘いこまれていきます。

現実の生活の中で、これほど大きなたまごを想像することなどありません。まして、こんな大きなたまごがあるなどとも思いません。
ところが、物語の世界へとけこむうちに、そんな大きなたまごは、きっとどこかにあるように思えてきます。

3~5歳の子どもは、たぶんカステラなど作ったことはないはずです。
しかし、ぐりとぐらが、さとうを入れ牛乳を入れて、やがて、大きなフライパンいっぱいの黄色いカステラができあがっていく過程では、子ども自身もカスデラ作りを楽しんでしまいます。カステラがやけるときの、おいしそうなにおいさえ、思いうかべながら……。

大きい動物も小さい動物も、森じゅうの動物たちが仲よく集まることなど想像もつかないことです。まして、カステラをみんなで分けあって食べるなんて、思いもつかないことです。
ところが、子どもは 「ぼくも、あの動物たちといっしょにカステラを食べることができたら、どんなに楽しいだろうなあ」 などと思いながら、ひとときを楽しみます。
動物たちの幸せな気持ちといっしょに、子どもも幸せな気分を味わいます。

子どもは、おとなが考える以上に柔軟な想像力と豊かな感性をもっています。しかし、それは 「本来、もっている」 というものであって、それを育てなければ、想像する力も、ものを豊かに感じとる力も、芽をふきださないままに終わってしまいます。
現実の生活の中でそれを育てることは、やさしいようで、なかなかむずかしいものです。

物語は、現実とは違うもうひとつの世界を描き、子どもはその世界にふれると、しらずしらずのうちにひきこまれていきます。そうして子ども自身によって豊かな感性を育てていくことができるのです。

なおこの絵本は、「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=49

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第47回目。

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● 自力で育む、他人を思いやるやさしさ

この絵本「きいろいばけつ」(もりやま みやこ作・つちだ よしはる絵 あかね書房刊) のあらすじは、つぎの通りです。

きつねが森の中で黄色いばけつを見つけました。とっても欲しかったばけつです。でも、持ち主が探しにくるかもしれないと思い、すぐに自分のものにしないで、1週間だけ待つことにしました。
きつねは、やがてそれが自分の物になると思うとうれしくてたまりません。毎日毎日、ばけつの所へ行っては、ばけつに赤いりんごをいっぱい入れてみんなに分けてあげることを想像したり、ばけつに水をくんで近くの木にかけたりして遊びます。
ところが、あしたが1週間目という日の夜、ばけつが風に飛ばされてお月さまのところへ行ってしまう夢を見ました。すると、次の日、ほんとうにばけつがなくなっていたのです。
ばけつはきつねの物にはなりませんでした。でも、きつねは悲しい顔もせず、にっこり笑って言いました。
「いいんだよ、もう」 「いいんだよ、ほんとに」……。

幼児への読み聞かせにも適している心やさしい絵本です。
この本を読んだ子どもたち(小学1年生)は、きつねの気持ちをいっしょうけんめいに思いやっています。
「きつねくん、きいろいばけつがほしくてしかたがないのに、1しゅうかんも、よくがまんしたね。もちぬしのことをかんがえるなんて、とってもしょうじきなんだね」
「1しゅうかん、ばけつのことばかりしんぱいだったんだね。きんようびに、どしゃぶりのあめがふって、ぬれたばけつをみていたら、きつねくん、なきたくなったのは、どうしてかな。あめにぬれてかわいそうだとおもったんだね」

また、きつねの正直さ、やさしさから、次のようなことも考えています。
「きいろいばけつは、おつきさまがばけつをもっていない、しょうじきなきつねさんに、1しゅうかんだけかしてくれたんだよ」
「きつねくんは、やさしいこころをもっていたから、きっと、ばけつさんと、おはなしができたんだよ。──ばけつさん、ひとりぼっちで、さみしいでしょう。いいえ、きつねさんがきてくれるから、さみしくないわ──って」
子どもたちは、きつねがばけつと遊んだり、ばけつのことを心配したりする姿のほほえましさに、「きつねくん、1しゅうかんは、あと3日だよ。がんばってね」 などと、心のなかで声援をおくっているのです。

子どもたちが、いちばん心を寄せているのは、きつねが、ばけつは自分の物にはならなかったのに 「いいんだよ、もう」 と言ったところです。
子どもたちは、ぼくならくやしいのに、きつねは、どうして 「いいんだよ、もう」 と言えたんだろうと考えています。そして、多くの子どもが 「きつねは、やさしいこころだけではなく、つよいこころももっていたんだ」 と自分で答えをだしています。
「きつねくんは、ばけつくんが、ほんとうは、お月さまのところへはやくかえりたかったのに、がまんして、ぼくとあそんでくれたんだと、おもったのではないでしょうか。だから、ばけつがなくなったとき、ばけつさん、ありがとうと、こころのなかで、いったんだとおもいます」 と語っている子どももいます。
また、きつねは心の中にばけつとの楽しい想い出をたくさんもてたから、それを心の宝にして 「いいんだよ、もう」 と言えたんだと思うとも語っています。

この本を読んで、ほとんどの子どもが、自分がきつねになったつもりで、きつねの心をなんどもなんども考えています。
こんな本をいくつか読んでいくうちには、ごく自然に、他人を思うやさしさを、自分の力で育てていってくれます。「いいんだよ、もう」 と言えたのは 「どうしてだろう」、ばけつがなくなったのは 「どうしてだろう」 などと“考える力” をも育んでいきます。

なおこの絵本は、「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=1278

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第46回目。

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● 冒険ものがたりを楽しみながら「科学する心」を芽ばえさせる

子どもに絵本を求める、読んで聞かせるというとき、一般的には、文学の分野に属するお話の絵本を考えます。
しかし、絵本は、大きくはお話の絵本 (民話を含む) と知識の絵本に分けられ、知識の絵本のなかには、科学絵本、動物絵本、乗物絵本、社会の絵本、数の絵本、ことばの絵本、図工の絵本など多様なものがあります。子どもの情緒を深め、想像力、思考力、観察力をのばし、総合的に創造性に高めていくには、それほどに多様なものが必要なのです。
したがって、絵本を求めるときも読み聞かせるときも、このことを頭に入れておくことがたいせつです。

ここに 「しずくのぼうけん」(福音館書店刊)という絵本があります。バケツからとびだした 「しずく」 が、きれいになろうと洗たく屋や病院をまわったすえに、水たまりに落ちてしまいます。そして、目には見えないしずくになって雲のところへのぼり、雨になってもういちど地面へ。岩のわれめにしみこんで氷となって岩を割り、やがてとけて小川から広い川へ、そして水道のとり入れ口に吸い込まれ、水道の蛇口から洗たく機の中へ。洗たく物がストーブのそばに干されると水蒸気になって外へ出て、今度は、つららに……。このように、しずくが冒険旅行にでるという形にしたてた、ポーランドの絵本です。

この絵本を読んだ1年生の子どもたちは、10人が10人、「しずくさん、とってもたいへんなんだね」 「しずくさん、ありがとう」 などと、しずくに語りかけながら、はじめて水についていろいろなことを知ったこと、考えたことを告白しています。
「水は、空とじめんのあいだを行ったりきたりしながら、にんげんにやくだつしごとを、たくさんしているんだ」 「ねつがでたとき、お母さんがこおりをいれたタオルをあたまにのせてくれたけど、しずくさんは、わたしのびょうきもなおしてくれたんだ」
「アイススケートじょうは、しずくさんたちがあつまって、あそびばをつくってくれているんだね」
「うつくしいはなをみたり、おいしいくだものをたべたりできるのも、しずくさんが、そだててくれたからだね」
子どもたちは、こんなことを言いながら、しずくに感謝しています。ふだんはなにも感じていなかったことを改めて見つめなおして、はじめて水のありがたさに気がついたのです。

それだけではありません。このわずか24ページの1冊の絵本が、もう一つのすばらしいことを子どもたちに気づかせています。
それは 「まわりのことをよくみたら、きっと、どんなことでも、ふしぎなことがいっぱいあるんだ」 「つちや木やくさや、こんちゅうのことだって、きっと、おもしろいことがたくさんあるんだ」 などの言葉に表れていること、つまり、ものごとに興味をもつことのたいせつさを気づかせたことです。
「科学する心」 にめざめさせたと言ってもよいのかもしれません。
「しずくのほうけん」 を読んで、水のことについて知ったことはたしかに一つの収穫です。しかし、この1冊の絵本をとおして 「科学する心」 の芽をださせたとしたら、それこそ大収穫です。
知識の絵本──それは、子どもに早く知識を与えるために、物知りにすることだけにあるのではありません。知るという楽しみをとおして、子どもの創造性を育てるところにこそ、大きな役割があるのです。
科学する心や創造性を、親が口先だけで子どもに伝えようとしても、むずかしいこと。それを絵本はたった1冊でなんなく果たしてくれます。

なお、この絵本は、「絵本ナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=267

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第45回目。

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● 楽しみながら主人公と比べて自分のことを考える

「はけたよはけたよ」(神沢利子文・西巻茅子絵 偕成社刊)は次のように展開します。
主人公のたつおくんは、ひとりでパンツがはけません。なんどやっても、はけません。はこうと思って片足をあげると、どてん!。たつおくんは、とうとう、「パンツなんか、はかないや」と、言って、はだかのまま外へでていきます。ところが、犬、ねこ、ねずみ、それに牛や馬に 「しっぽのないおしり」 と、わらわれてしまいます。たつおくんは、どんどん逃げて行き、1本足で立っているサギのまねをして、自分も1本足で立とうとすると、またどてん! おしりを泥だらけにして家へ帰ったたつおくんは、お母さんに、おしりを洗ってもらって、またパンツに挑戦。でも、やっぱり、どてん!。
「しりもちついたまま、はけないかなあ」 「あらら、はけちゃった」。
たつおくんは、お母さんがぬってくれた赤いズボンもはいて外へ行きました。するとこんどは、動物たちは、お母さんがぬってくれたズボンをはいたたつおくんを見て 「たつおくんはいいなあ」 とうらやましがります。たつおくんは得意です。

幼児の心をみごとに描いた創作絵本です。会話調で書かれた文は、字をおぼえはじめた子どもにも読みやすく、また、読み聞かせにも最適です。
この作品を読んだ (読み聞かせてもらった) 子ども──そのうち、自分自身パンツをじょうずにはけない子どもは、自分以外にもパンツのはけない子どものいることを知って、安心します。そして、最後に 「ああ、そうか、ねころんだままはけば、はけるんだ」 ということを知って、「よし、ぼくも、やってみよう」 と思います。
また、すでに自分でパンツをはける子は、「ぼくは、はけるんだぞ」 と、自信を持ちます。
つまり自分でも気づかないうちに、作品のなかの登場人物と対比させて自分のことを考えます。実は、これがすばらしいのです。
一つの作品によって自分のことを考える量的なものは少ないものかもしれません。しかし、いくつもの作品にふれながら 「ぼくだったら…」 「わたしだったら…」 と考えるうちに、しぜんに、自分自身の力で自分を見つめるようになる。これこそ、大切なことです。
この 「はけたよはけたよ」 は、しつけの本ではありません。したがって 「たつおくんは、パンツがはけなくて、おかしいね」 「パンツをはいていないと、どうぶつたちに、わらわれるのよ」 「ほら、たつおくんのように、ねころんでやればはけるのよ」 などと言いきかせるのは禁物です。
「片足で立ってパンツはくの、むずかしいのよね」 「どうぶつたちは、たつおくんにしっぽがないので、びっくりしたのよね」 「たつおくん、自分ではけてよかったね」 などと、作品の楽しさを、ほのぼのと語り聞かせることがたいせつです。子どもたちは、この作品が楽しくておもしろいからこそ、自分の心を開くのですから。
たつおくんのお母さんがぬってくれた、赤いズボン。これについても、なにも語りかけなくても、子どもは 「たつおくんのお母さんはやさしいんだな」 「お母さんって、みんなやさしいんだな」 ということを感じとります。具体的に思わなくても、少なくとも、お母さんの“ぬくもり”のようなものだけは感じとります。

この作品を集団の子どもたちに読み聞かせると、読み聞かせが終わったあと、きまって数人の子どもが 「どてん!」 「どてん!」 ところんで、みんなを笑わせます。どうかすると、子どもたちみんなが立ち上がって、1本足になっては 「どてん!」 ところんで、ふざけあいます。でも、これでいいのです。それほど、この作品がおもしろかったのですから。
かりに、この時はおもしろいだけに終わったとしても、いつか、たつおくんのお母さんのことも思いだします。
本のなかの楽しい世界は、ほんとうに、すばらしいものですね。

なお、この絵本は「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=173

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第44回目。



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● 二つのやさしさにふれて、心をあたためる

大みそかの日。おじいさんは、笠を売りに町へでかけます。正月のもちを買うためです。ところが、笠は一つも売れません。おじいさんは、しかたなく、雪のなかを帰って行きました。

すると、道ばたに6人のおじぞうさまが、雪まみれになって立っています。

とっても寒そうです。

そこで、おじいさんは、持っていた5つの笠を5人のおじそうさまにかぶせて、さいごの1人のおじぞうさまには、自分がかぶっていた笠をぬいで、頭にのせました。

おじいさんは、なにも持たずに家へ帰りました。でも、おばあさんは、なにも言わずに、おじいさんを、やさしく迎えました。

さて、正月の朝早く、ふたりは、物音に表へでてみました。すると、もちや黄金がどっさり。きのうのおじぞうさまが、とどけてくれたのです。

この 「かさじぞう」 の絵本を、深い雪の中でも歩くように、ぽっくり、ぽっくり読んで聞かせると、どの子どもの顔も、おじぞうさまの顔のように、やさしくなっていきます。

そして、読み聞かせが終わると、ほとけさまのような、やさしい笑顔になって、しばらくは、口もきけない様子。心が、あたたかいもので、いっぱいになっているのです。

この物語のなかには、二つのやさしさがえがかれています。

一つは、おじぞうさまに笠をかぶせた、おじいさんのやさしさです。

もう一つは、もちを買えず、笠ももたずに帰ってきた、おじいさんを、やさしく迎えた、おばあさんのやさしさです。

この二つのやさしさ。子どもたちにはっきり伝わるのは、おじいさんのやさしさでしょう。おじそうさまに笠をかぶせたことと、おじぞうさまが、お礼にもちや黄金を持ってきてくれたことが、話の表と裏になっているからです。

ところが、表面はそうであっても、子どもたちの心をほんとうに満たしているのは、おばあさんの、やさしさかもしれません。つまり、おばあさんの思いやりに表れた、おじいさんと、おばあさんの心のつながりのあたたかさが、子どもたちの心を、満ちたりたものにするのです。

読み聞かせが終わったあと、子どもたちがもらす感想をだまって聞いていると、ほとんどが 「おじいさんが、やさしくしたから、おじぞうさまが、ごちそうやお金を持ってきてくれたんだね」 と言うことです。おばあさんのやさしさには、ほとんどふれません。

しかし、子どもは、自分ではあまり意識しないうちに、おばあさんの思いやりの深さにふれ、作品全体から、大きなやさしさ、あたたかさ、そして思いやりの美しさ、たいせつさを感じとっていくのです。
民話というものは、口で語り伝えられてきたものです。だから、民話絵本も、子どもに自分で読ませるよりは、おとなが、時にはそこに書かれた方言の味わいをも伝えながら、声をだしてゆっくり読み聞かせたほうが、子どもをより楽しませるという要素をもっています。

『ちからたろう』『3ねんねたろう』『だいくとおにろく』『ねずみのすもう』『かにむかし』など、民話の絵本はたくさんあります。雪の降る夜など、家族みんなが集まって読み聞かせをしたら、家の中が、どんなにか、あたたかくなることでしょう。

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