児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

月刊 日本読書クラブ

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第58回目。
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● 「エジソン」 を読んで
私が、この本を読んで、いちばん強く考えさせられたのは、努力することの大切さです。私は今までにも、いろいろな伝記を読みましたが、びんぼうや不自由な体にも負けずがんばりぬいた人が多かったと思います。人からりっぱな人だといわれる人は、ふつうの人の何倍も努力しているんだなと思いました。それに、苦しいことに出会っても、けっして負けない強い心があると思いました。(3年生)
一気にエジソンの伝記を読んで、私は 「すばらしい人、エジソン」 と、つぶやきました。なぜかと考えたら、最後までやり通すエジソンの忍耐力と迫力、それが私たち人間にとって、どんなに大切な生き方であるかということがひしひしと感じられたからです。(3年生)
● 「ワシントン」 を読んで
「すべての人は、生まれながらにしてびょうどうである」 とさけんだワシントンは、ほんとうにすばらしい人だったと思います。わたしも、きょうからワシントンをすこしでも見ならい、やさしい心と、あいと、強いゆう気をもって生きていきたいと思います。(2年生)
わたしは、ワシントンのでんきをよんで、ワシントンは、正直な人だ、心のやさしい人だ、ゆう気のある人だという三つのことに感心しました。むずかしいかもしれませんが、わたしも、この三つの心をたいせつにしていこうと思います。(2年生)
● 「ヘレンケラー」 を読んで
わたしは、今までくるしいことからにげて、いつもできるだけらくなほうがいいと思っていました。でも、これからは、どんな小さなことでもいい、人のためになることやしんせつなことを、ゆうきをだして、やっていくつもりです。(2年生)
わたしは、いままで、しかられたときとか、じぶんのおもいどおりにならないとき、わたしはふこうな人げんだとおもってきました。それが、ヘレンケラーの、でんきをよんで、いっぺんにかわりました。(2年生)
へレンケラーは、自分の苦しみをのりこえて他人を愛しました。わたしにそれができるでしょうか。人間はみな兄弟なのですから、助けあい、はげましあって、どんな苦しみものりこえられる強い信念をもって生きていかなければ、と思います。(5年生)
● 「ナイチンゲール」 を読んで
一度決心したら自分の信念をつらぬき通したナイチンゲールの偉大さには、強く胸をうたれました。私の母にもナイチンゲールににているところがあります。他人の言動にまどわされず、自分でこうと決めたら、どんなに苦しくてもやり通します。私に 「どんなことでも最後まで責任をもってやり通しなさい」 と言っています。きびしい母だと思っていましたが、ナイチンゲールの伝記を読むうちに、母の心が少しずつわかってきました。(4年生)
以上は、伝記を読んだ子どもたちの感想文の一部です。このほか、野口英世、宮沢賢治、リンカーン、キュリー夫人などを読んでの感想文を見ても、それらの伝記から子どもたちが学びとっているものは、信念をもって強く生きることの大切さと、大きな愛の心で生きることのすばらしさです。
子どもたちは、伝記をとおして初めて、大きく生きた偉人たちの心にふれることができます。そして、すばらしい生き方に感動しながら、人間が人間らしく生きることの意味や 「ぼくもこのように生きて行きたい」 「わたしも、このように生きてみたい」 などと自分の生き方について考えます。
他人から、口で 「このように生きよ」 などと言われるのではなく、自分の力で、自分の心で、自分の生き方を考えます。また、さまざまな人の伝記を読むうちに、人間にはいろいろな生き方があることを知り、自分自身で自分の生きる道を考えるようになります。
教訓としてではなく、一つの読みものとして、子どもに伝記 (マンガではなく、文字で書かれたもの) を与える。──これは、今の子どもたちが一般的に主体性に乏しいことを思うとき、もっと重視されていいことです。
なお、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」には、上に紹介した「エジソン」「ワシントン」「ナイチンゲール」を読むことができます。

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第57回目。

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● 本と遊ぶ醍醐味を味あわせる

「うちの子は、マンガか、ごくみじかい物語の本しか読まない。なんとか、もっと本を読むようにならないだろうか」 ──小学校中・高学年の子どもを持つ母親から、こんな相談をよく受けます。

ほんとうのところを言えば、やや手おくれです。子どもが、本を読む楽しさを知った少年、少女として成長していくかどうかは、ふつう、3~5歳の幼児期に決まってしまうからです。
事実、小学校1年生にあがってきた子どもを見ると、このときすでに本を読むことの楽しさ、おもしろさを知っている子どもは、たとえ、マンガを手にしたとしても、童話や物語の本を読むことを捨ててしまうようなことはありません。
ところが、本の楽しさを知らないまま入学してきて、マンガを手にした子どもは、まちがいなくマンガがすべてになり、童話や物語の本には全くといってもよいほど、興味を示さない子どもになってしまいます。
3~5歳の幼児期に絵本に親しませることは、ほんとうに大切です。「あのころ、絵本の読み聞かせをしてやればよかった」 と、あとで悔いることのないようにしたいものです。

ところで、では小学校中・高学年になってからでは全く手のほどこしようがないかといえば、そうではありません。
どんな子どもも、おもしろいと思う遊びにはとびつきます。したがって、本を読むことも楽しいとわかれば、“本で遊ぶ” ようになってくれます。
本を読もうとしない子どもには 「この本を読んでごらん」 とすすめるよりしかたがありませんが、このとき、読書を教養的にとらえず、“遊び”としてとらえて、本をすすめることです。“本で遊ぶ”“本と遊ぶ” ことから出発させることが大切です。

その一つに動物文学を楽しませるという方法があります。
たとえば、鹿を撃ち殺そうとする猟師と、いのちがけで仲間を守ろうとする鹿との、生きるものどうしの心のふれあいを描いた 「片耳の大鹿」 。戦争の犠牲になって死んでいく犬のたたかいを描いた 「マヤの一生」。子グマのためにいのちがけで滝つぼに飛び込む母グマの愛を描いた 「月の輪グマ」。このほか 「大空に生きる」 「孤島の野犬」 「大造じいさんと雁」 など、動物のたくましく生きる姿と、人間との心のふれあいを描き、まるで推理小説か探偵小説のように読者をひきつける椋鳩十のたくさんの作品。

人間との5年にもわたる戦いの末にとらえられ、人間が与えた食べものには見向きもせず、山の方を見つめたまま静かに死んでいくオオカミを描いた 「オオカミ王ロボ」 などの 「シートン動物記」。

北国にラッコの生活をとらえながら、エスキモーの子どもとラッコとの愛を描いた 「銀色ラッコのなみだ」 などの岡野薫子の作品。
これらは、動物を擬人化した物語とは異なり、さまざまな厳しい条件のなかでたくましく生きる動物たちをそのまま描きながら、そこに人間をからませたものです。したがって、迫力に富んでいます。

椋鳩十の 「マヤの一生」 「孤島の野犬」 を読んでいると、自分がいつのまにか犬になってしまいます。シートンの 「オオカミ王ロボ」 を読んでいると、自分がオオカミになってしまいます。そして、自分でも気づかないうちに、むしろ、動物たちを死へ追いやる人間をにくむようにさえなってきます。

生命あるものの“生きることの尊厳”への感動が、そうさせるのでしょう。
椋鳩十の動物文学は、今、図書館で子どもたち (小学校中・高学年) にもっともよく読まれているものの一つです。
また、「シートン動物記」 は、もっとも長く読みつがれている動物文学です。
「この犬の話はおもしろかった」「このオオカミの話はおもしろかった」と思えば、もうそれで本を読む楽しさ、本と遊ぶ楽しさを知ったのです。

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第56回目。

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● 戦争の真実を伝える本の説得力

「今の子どもは戦争のことを知らない。でも、戦争のない時代に生まれて幸せだということでよいのだろうか。戦争というものを、何かでしっかり教えておく必要があるのではないだろうか。でも、どうすればよいのだろう」
──こんな内容について語り合うことになり、9人ほどのお母さんに集まっていただいたときのことです。

30歳を少しすぎた1人のお母さんが 「子どもに戦争のことを語り聞かせようとしても、私自身、戦争のことを知りません。第一、子どもには、教訓的な語り聞かせをしてもだめなようです。子ども自身が戦争を実感することが大切なのではないでしょうか。
そこで私は本を読んでやることにしました。みなさんもよくご存じの、かわいそうなぞうの話です」 と言って、わが子にその本を読み聞かせたときの様子と、その成果などを次のように話してくれました。

去年の8月初めのある日、私はいつものとおり、子どもがふとんに入るのを待って、子どものまくらもとにすわりました。そして 「きょうは、とっても悲しいお話よ。読んでいるうちに、お母さんも泣いてしまうかもしれない」 と言って、「かわいそうなぞう」 の本を読みはじめました。

餓死させられることになったぞうが、えさと水欲しさに、飼育係に芸をしてみせるところを読んでいたときのことです。子どもはお腹の上にかけていたタオルケットを引き上げ、胸のところで丸めるようにしました。タオルケットの端で、そっと涙をふいているのです。私は一所懸命涙をこらえて読み続けました。昼間ひとりで読んだときに、一度泣いていたのに、やっぱり涙がとまりませんでした。
読み終わると、子どもはタオルケットをすっぽりかぶってしまいました。
涙がいっぱいの顔を私にみられたくなかったのでしょう。

次の日の夜、「もう一度、昨日の本を読んで」 と子どもが言い出しました。
私はまた、まくらもとで読みはじめました。ぞうが、えさと水欲しさに芸をする話の手前まできたとき、子どもがもう、その先は読まないで」 と言って、前の晩と同じようにタオルケットをかぶってしまいました。

さらに、次の日のことです。2時すぎに学校からもどってきた子どもが、自分の部屋からでてきません。私には、そのわけがすぐわかりました。子どもの机の上に 「かわいそうなぞう」 の本をそっとのせておいたのです。ふすまのかげからそっとのぞくと、子どもはひざの上に本をひろげたまま、こぶしで涙をふいていました。わたしは何も言わずにひっこみました。そのとき私の目も涙でいっぱいになっていました。

その翌日、「かわいそうなぞう」 の本を図書館に返してきました。そして、子どもにはもうこの本のことは何も言いませんでした。この本を読んで3度も泣いた子どもの心をそのままにしておいてやろう、きっと、何も言わなくても戦争の何かがわかったはずだと思ったからです。

それからしばらくして、子どもが 「学校から借りてきた」 と言って1冊の本を見せてくれました。それは、戦争の悲しさを描いた 「チロヌップのきつね」 でした。
私は、子どもに戦争を伝えるには本が一番よいと思います。私がどんなに一所懸命に戦争の話を語り聞かせたとしても、子どもの目に涙をためさせるほどの話はできませんから……。

この話を聞いた、他のお母さんたちは、しばらく黙ってしまいました。そして 「その、かわいそうなぞうの本、本屋さんに売ってるかしら」 「図書館に行けばあるかしら」 などといいながら、その日は帰っていきました。
優れた本は、すばらしい力をもっています。たった1冊の本が、子どもに戦争の真実を伝えたのですから。

なお、以前このブログで紹介した「かわいそうなぞう」(4月13日)の記述を是非ご覧ください。http://blog.livedoor.jp/izm_yoshio/archives/2006-04.html

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第54回目。

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● 戦争や原爆のことを考えてみましょう

この絵本「おこりじぞう」(山口勇子作・四国五郎絵 金の星社刊) の内容は次の通りです。

原爆で焼け野原になった広島の町に 「わらい地蔵」 とよばれる石の地蔵さまがありました。その地蔵さまのところへ、体じゅう焼けただれた女の子がやってきました。女の子は小さな声で 「水、水」 と、水をほしがっています。これを見た地蔵さまの顔は、しだいに怒った顔になり、見開いた目から涙があふれだしました。そして、その涙は女の子の口もとへ流れていきました。しかし、女の子は、涙のしずくを飲み終えると動かなくなり、少女の死と同時に地蔵さまの頭はくずれて、小さな砂粒になってしまいました。

原爆のむごたらしさと平和への願いを伝える絵本として、もう20年も前から読みつがれている 「おこりじぞう」──この本を読んだ子どもたち(小学2~3年生) は、その読書感想文のなかで、まず、笑顔から怒った顔になって涙を流したお地蔵さんの心を、いっしょうけんめい考えています。

「おじぞうさんは、やけただれて死んでいく少女を見ているうちに、なんのつみもない少女をころしたせんそうがにくくて、にくくて、しかたがなくなったのだ」。
「おじぞうさんがながしたなみだは、半分は、女の子にのませるために、あとの半分は、かなしくて、かなしくてしかたがないなみだだったんだ」。
「おじそうさんは、じぶんからおこって、あんなかおになったんじゃない。ひとりぼっちでしんでいく女の子を見ているうちに、いつのまにか、おこったかおになったんだ」。
「おじぞうさんに声がでるなら、女の子をこんなめにあわせたのはだれだって、さけびたかったにちがいない。わたしは、女の子がかわいそうで、なみだがでましたが、おじぞうさんの心をかんがえると、もっと、なみだがでました」。

子どもたちは、自分がお地蔵さんになったような気持ちで、お地蔵さんのやさしさと苦しみを考え、それを通して原爆へのにくしみを燃えたたせているのです。

「おじぞうさんのような、ふかい思いやりの心が、人間みんなにあったら、きっと、せんそうなんか、おこらなかったんだ」。
「せんそうになったり、げんばくをおとしたりすれば、たくさんの人間が少女のように死んでいくということを、そのころの人は、どうして考えなかったんだろう。おじぞうさまのようなやさしい心で考えたら、げんばくなんかおとせなかったはずなのに……」。

さらに、戦争に対する自分の思いが浅かったこと、戦争をもっと自分のこととしてとらえつづけなければならないことを、訴えている子どももいます。

「わたしは、せんそうはいけないということは知っていても、ただ、それだけだった。この本を読んで、今もげんばくで苦しんでいる人たちのいることをわすれてはならない。その人たちのいのちのことを心から思いやることがたいせつだと思うようになった」。
「せんそうをにくむなら、まず自分が自分いがいのにんげんのいのちをたいせつにする心を、しっかりもつことがたいせつだと考えるようになった」。

子どもたちは、わずか36ページの1冊の絵本から、ここまで考えています。
戦争のこと、原爆のことを、話で聞いただけでは、なかなかつきつめて考えることはありません。自分が少女の身になり、お地蔵さんの身になって考え、その悲しみといきどおりを実感できるからこそ、心にひびくのです。

この絵本は、4、5歳の子どもに読み聞かせても、まばたきもしないで聞き入ってくれます。戦争の悪までは理解できなくても、死んでいく少女の悲しみとお地蔵さんの怒りは、素直に伝わるのです。

「かわいそうなぞう」(金の星社)、 「かあさんのうた」(ポプラ社)、「猫は生きている」(理論社)、「チロヌップのきつね」(金の星社) など、戦争をえがいた絵本はたくさんあります。どれか1冊でも、手にとってほしいものです。

なおこの絵本「おこりじぞう」は、「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=1603

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第55回目。

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子どもに読書をすすめるとき、だれもが、第一に考えるのは、文学作品です。絵本であれば、名作、むかしばなし、創作童話などのおはなし絵本です。
これは、本を読むことをとおして 「情操教育」 という考えが根にあるからでしょう。
しかし、子どもの本にだって、自然科学、社会科学、歴史、芸術などの分野があり、それぞれが、文学におとらないすぐれた価値を持っていることを忘れてはなりません。
名作、むかしばなし、童話を読み、さらに科学や歴史の本も読むというのが、むしろ、望ましい読書です。情熱的な名作や童話には興味を示さなくても、発見へのよろこびを味わわせてくれる科学の本にはひきつけられるという例も少なくありません。

ここに、ロケット・人工衛星・スペースシャトル・宇宙などについて解説した小学生向きの本があります。半分以上を絵で楽しませる、いわば科学絵本に近いものです。
この本のなかに、おとなだって、胸をわくわくさせてしまうような話があります。

一つは、アメリカで打ち上げられ、木星、土星、天王星、海王星を通って太陽系の外へ飛び続けている星探査機パイオニア10号・11号、ボイジャー1号・2号には、他の惑星人 (宇宙人) への手紙が積まれているということです。
地球の男と女の姿と大きさ、地球人の60種の言語によるあいさつ、音楽、地球の位置などをおさめたアルミ板の手紙や銅板のレコードなど──星探査機が他の惑星系に住んでいるかもしれない生物に拾われたときのことが想定されているそうです。
いつか、他の惑星の宇宙人からの返事が、届くかもしれません。

もう一つは、人間が地球からとびだして宇宙に住むという計画です。
重力・空気・食物・景観など地球とほとんど同じ環境の巨大な宇宙ステーションを、引力のバランスがつりあっている宇宙空間に建設しようというスペースコロニー計画。月や小惑星からも資材を運んで長さ32キロメートル、直径6.4キロメートルの巨大な円筒をいくつもつくり、地球から数百万人が移住、そばに工場や農業用のコロニ一もつくって快適に暮らそうというのです。
その居住コロニーには地球と同じような昼と夜を人工的につくり、中には山も川もつくろうというのです。こんなコロニーが宇宙に浮かんだら、人間はとなり町まで散歩するようにして宇宙へ……ということも夢ではないかもしれません。

こんな本を2、3冊も読ませたら、子どもは宇宙のとりこになってしまうこと間違いなしです。そして、宇宙のとりこになると同時に、科学の未来、宇宙の未来、人間の未来に夢を抱くようになります。

「月とうちゅうのふしぎ」 という本を読んだ2年生の男の子が、読書感想文の中で次のように語っています。
「とても、おかしいことがわかりました。ロケットの中でおしっこが外へとびだします。すぐにこおって、お月さまの光がきらきらして、きれいだそうです。それを、うちゅうほたるというのです。これまで“うわあ、きれいなほし”と見ていたのが、おしっこの、うちゅうほたるだったんではないかと、おかしくなりました」。
「こん夜もお月さまは、ぽっかり光っています。わたしはかぐやひめがロケットにのってくればいいのになあと思って、いつまでも見ていました」。
これだって、子どもに夢を与えています。

科学は、子どもを 「むねがどきどきする」 ような世界へ誘ってくれます。
おもしろい冒険小説を読むのに似ています。もし、文学分野の本になじまない子どもがいたら、絵と写真を豊富に入れた科学読みものにふれさせてみることです。目を輝かせて未知の夢の世界にひたってくれるかもしれません。

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