児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

月刊 日本読書クラブ

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第63回目。

☆ ~~~~~~~~★~☆~★~~~~~~~~☆

● 心にしみじみ何かが伝わる作品

「あなたが、これまでに自分で読んだり、だれかに読み聞かせてもらった本のなかでいちばん心に残っているのは、何という本ですか。本の題名と心に残っていることを書いてください」
──東京のある子ども文庫に集まってくる小学生53人を対象に、こんな調査をしました。その結果、「かわいそうなぞう」 「ごんぎつね」 などは、5人以上の子どもがあげ、結局53人の子どもが1冊ずつあげた本は全部で33冊になりました。その33冊のうち、小学校2年生以下の子どもがあげた本を紹介してみましょう。「心に残ったこと」 に耳を傾けると、子ビもにとっての読書のすばらしさがよくわかります。

★ 「かわいそうなぞう」──食べものがほしくて、ぞうがげいとうをしたとき、なみだがでてとまりませんでした。このときほど、せんそうがにくいと思ったことはありません。

★ 「ごんぎつね」 ──ひとりぼっちでしんでいったごんのことを思うと、いまでもなみだがでてきます。

★ 「かたあしだちょうのエルフ」──もりのみんなのためにしんだエルフの強さとやさしさが、いつまでもわすれられません。

★ 「花さき山」──だれかがやさしいことをしたら、ひとつさく花。わたしも花をさかせようと思いました。

★ 「ひさの星」──小さな子どもをたすけて、じぶんはしんでいったひさ。今も星を見ると、ひさのことが心にうかんできます。

★ 「ないた赤おに」──赤おにはむらの人となかよしになってよかったけど、青おにのことがかわいそうでしかたがありませんでした。

★ 「てぶくろをかいに」──子ぎつねのやさしいおかあさんのことが、いまもこころにのこっています。

★ 「おしゃべりなたまごやき」 ──いたずらずきだけど、あんなに心のやさしい王さまが、せかいのどこかにいたらいいなあと思います。いまでもたまごを見ると、王さまのことを思いだして、わらってしまいます。

★ 「チロンヌップのきつね」──おとうさんに読んでもらったとき、妹といっしょにボロボロなみだがでてきて、「にんげんってかってなことをするんだなあ。ぼくは、このへいたいのようになりたくない」 と思ったのをおぼえています。

★ 「たぬき学校」──おとしあなを作ってポン先生がおちたり、たぬきのいたずらがとてもおもしろかった。こんな学校があったらいいなあと思いました。

★ 「マッチ売りの少女」──少女がおばあさんといっしょに天にのぼっていったところはよかったけれど、さいごに雪の中でしんでいるところは、なみだがでて、とまりませんでした。

★ 「みにくいあひるの子」──小さいとき、お母さんによんでもらって、あひるの子が白鳥になるところにくると、いつも 「みにくいあひるの子の白鳥さん、よかったね、おやすみなさい」 といってねました。

★ 「ヘレンケラー」── 2回よみました。どんな人でも努力すれば、どんなことでもできるのだということがわかりました。たいせつなのは心だということが、わかったような気がします。このあと、すぐ 「ナイチンゲール」 のでんきをよんで、やっぱりたいせつなのは心だと思いました。

以上、自分が読んだ本の1冊、読み聞かせてもらった本の1冊が、どれほど深く心に残っているかがわかります。ほかにもいろいろな本を読んだり、読み聞かせてもらったりしたはずです。でも、子どもたちには、ただおもしろかった本よりも、やはり、心にしみじみと何かが伝わった本が、いつまでも心に残っているようです。
すぐれた作品の世界にすっぽり入り込んで“生きる”──このことが、子どもの心に大切な何かを残していくのではないでしょうか。

なお、次回からは、世界の偉人・日本の偉人といわれる人たちの、子ども時代の紹介をします。必ずしも、子どもの頃から立派な人物ではない人も多く、とても興味深いものがあります。

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第62回目。

☆ ~~~~~~~~★~☆~★~~~~~~~~☆

● たった1冊で発見の喜びを知る

「うちの子、もっと本を読んでくれればいいのに」──母親がこう思ったとき、“本”として考えているのは、大方が童話か物語でしょう。
しかし、子どもの本の世界全体からいえば、童話や物語などの 「文学」 はむしろ、その一分野にすぎないことを知っておくことが大切です。「文学」 のほかに、科学、社会、歴史、音楽、美術など、さまざまな分野があり、これらを一つにまとめて“知識の本”とも呼ばれています。
絵本でも 「かわ」(福音館書店刊) 「1・2・3どうぶつえんへ」(偕成社刊) 「ちいさなおうち」(岩波書店刊) 「しずくのぼうけん」(福音館書店刊) 「よわいかみつよいかたち」(童心社刊) 「どうしてそんなあししてるの」(金の星社刊) など、数えきれ.ないほどあります。単に、ものごとを知識として伝えるだけではなく、子どもたちに 「ものを知るよるこび」 「発見するようこび」 を与えることが、その大きなねらいです。

次に掲げるのは 「あしのうらのはなし」 (やぎゅう げんいちろう作・絵 福音館書店刊) という本を読んだ1年生の女の子の読書感想文です。

「このほんは、はだしになってよんでね」 とかいてあったので、はだしになってよみました。
わたしは、いままで、あしのうらのことなど、いちどもかんがえたことがありませんでした。だから 「いったいなにがかいてあるのかな」 と、むねがどきどきしました。
あしのうらには、いろいろなかたちがあります。それは、どうぶつが、あしのうらをどうしてつかうかによって、かたちがちがうのだとわかりました。
「にんげんのあしのうらは、こわいぐらい大きいのだ!」 とかいてありました。それは、にんげんが2ほんのあしで立ってあるくからだとわかりました。
あしのうらには、こまかいもようみたいなすじがびっしり。これをよんだとき、わたしは 「あれっ」 とおもいました。「そんなすじあったかな」 とふしぎにおもいました。それで、じぶんのあしのうらを、のぞいてみました。あしのうらをながめるなんて、はじめてです。のぞいたら、すじがたくさんありました。このすじがあるから、なにかにさわったとき、そのかんじがよくわかるのだそうです。
それから、このこまかいすじは、すべりどめのやくめもしているとかいてあったので、そこがぎざぎざのうんどうぐつをおもいだしながら、「にんげんのあしって、ほんとに、よくできているなあ」 と、かんしんしてしまいました。
つちふまずのこともかいてありました。つちふまずは、うんとあるかないと大きくならないそうです。よる、おとうさんも、おかあさんも、おねえさんも、みんなあっまって、くすぐったいからクスクスわらいながら、みんな、あしのうらにえのぐをぬって、かみにべタンとおしました。やっぱり、おとうさんのつちふまずが、いちばん大きくて、わたしのが、いちばんちいさかったです。おとうさんは 「ほら、おとうさんが、いちばんはたらいているからだぞ─」 といばりました。
そのつぎの、にちようび、いえにいる、いぬとねこのあしのうらも、しらべました。きんじょへいって、うさぎのあしのうらもしらべました。えのぐをつけて、かみにとったら、まえあしはまるくて、うしろあしはながほそいかたちでした。きっと、うしろあしでけるからです。
あしのうらは、とっても、おもしろいです。マラソンのせんしゅのあしのうらは、どうなってるのかな。おすもうさんのあしのうらは、どうなってるのかな。みてみたいな。

この子は、たった1冊の絵本ですばらしい発見をしたようです。足のうらのことについて、これほどのことを、子どもに教えられる親は、まずいないでしょう。
1冊1冊の本のもつ力は思いがけないほど大きいものです。

なお、この絵本「あしのうらのはなし」は、「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=3501

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第61回目。

☆~~~~~~~~★~☆~★~~~~~~~~☆

● 本の中の主人公と友だちになる

これは、児童文学者・灰谷健次郎さんの書かれた「いっちゃんはね、おしゃべりがしたいのにね」(理論社刊)という本を読んでの、ごとうひろこちゃんという小学校1年生の感想文です。

いっちゃんは、わたしと、よくにているね。おしゃべりしたいのに、しようとすると、むねが、どきどきするところ、わたしと、そっくりだもの。あせがでて、のどがからからになって、どうしてもおしゃべりができなくて、かなしくなり、ちょっぴり、なみだがでてくるところで、わたしは、「いっちゃんがんばれ」 って、こころのなかで、いったよ。
わたしも、1ねんせいになって、がっこうで、てをあげて、はっぴょうするときや、じゅんばんで、ほんをよむときにも、むねが、どっきんどっきんして、ものすごく、ゆうきがいるもんね。
日ようさんかんの日、おとうさんがきていたとき、せんせいが、「3たす4は、ごとうさん」といわれて、たったけど、すぐわからなくてじっとしていたら、せんせいが、「おはじきつかってもいいのよ」 って、いわれたので、つかったらわかったので 「はい、7です」 と、こたえたら、「むずかしいのが、よくわかりましたね」 と、ほめてもらったよ。
このとき、いっちゃんのことをおもいだしたら、ゆうきがでたんだよ。
いっちゃん、わたしのおかあさんがいってたけど、ようちえんのせんせいも、ちいさいころは、はずかしくて、ちいさいこえでしか、しゃべれなかったんだって。
「だから、ひろこも、だんだんどきどきしなくなって、しゃべれるようになるよ」 って、それをきいて、わたしもあんしんしたから、いっちゃんも、あんしんしてね。
いくこせんせいが、こうじくんにきゅうしょくたべさせても、口をぎゅっとむすんで、なんべんスプーンをもっていっても、口をあけないので、せんせい、ないてしまいそうになったよね。
そのとき、いっちゃんは、すごくゆうきをだして、せんせいをまどのそばにひっぱっていって、とうとう、おしゃべりしたね。いっちゃんのむねが、どきどきして、たいこ50こいれたみたいで、だんだん大きくなって、はれつしそうになったとき、わたしも、どきどきして、からだじゅうが、あつくなってきたんだよ。
そして、わたしだって、いっちゃんにまけないように 「がんばるぞ」 って、こころのなかで、おもったよ。
ちっちゃいこえでもいいから、いえたらいいなあ。なみだがでるまえに、いえたらいいなあ。なみだがでそうになったとき、いっちゃん、わたしのてを、ぎゅっと、にぎってね。
おねがい、いっちゃん。

この読書感想文は、物語のすじなどにはほとんどふれず、自分の心に感じたこと思ったことを、そのまま書いている点で、たいへん、優れています。
しかし、感想文のよしあしよりも、ひろこちゃんが、物語の主人公である 「いっちゃん」 のことを、いっしょうけんめいに思いやり、そして、「わたしとよくにている、いっちゃん」 をとおして、自分自身に語りかけていることが、まず、なによりも、すばらしいことです。
この作品を読んだほかの子どもたちも 「いっちゃん、おともだちになってね」 「いっちゃん、いっしょに、がんばろうね」 「せんせいを、まどのそばにひっぱっていったときの、ゆうき、いつまでも、わすれないでね。わたしも、ぜったい、わすれないから」 ──などと語りながら、いつもどきどきする自分を見つめなおしています。そして、自分で自分をはげましています。
この作品を読んだ子どもたちは、人前でしゃべれなくなったとき、きっと、いつも 「いっちゃん」 のことを思いだすでしょう。
本の中の主人公と心の友だちになる──すばらしいことですね。

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第60回目。

☆~~~~~~~~★~☆~★~~~~~~~~☆

● 人を思いやる心を作品から学びとらせる

「今の子どもたちに欠けているもののなかで、いちばん気になるのは、自分以外のものへの思いやりの心に乏しいということです。人の心のいたみや、悲しさやさみしさに心から思いを寄せる“やさしさ”が、うすくなってしまっています。口では、だれにでもやさしくと言います。しかし、だれかが一人をのけものにしていたら、自分もその集団に加わってしまうというのが、今の子どものほとんどです。何々をしてはいけませんというような行動の戒めは具体的なことですから、親の言い聞かせも子どもに通じます。しかし“人にやさしく”ということは“心の問題”ですから、言葉だけでは、なかなか通じにくいものです。いちばんよいのは母親自身が、心から人の気持ちや立場を思いやることのできる人間であることですが、残念ながら、母親にそれに欠けている人が少なくありません。そこで、子どもには、せめて人のやさしさをえがいた物語の本をたくさん与えて欲しい。すぐれた作品は、綿が水を吸うようにして、子どもの心にしみ入るものです」
以上は、テレビの教養番組の中でのある講師の発言です。

そこで、ここにひとつの読書感想文を紹介してみましょう。手の不自由な女の子を主人公にした 「さっちゃんのまほうのて」 (たばたせいいち絵・文 偕成社刊) を読んだ小学校1年生の男の子の感想文です。

ぼくは、このほんをなんかいもよみました。なぜだかわからないけれど、いつもなみだがでてきました。
さっちゃんは右手のゆびがなく、グー・チョキ・パーができないのです。
さっちゃんは、きょう、ままごとあそびで、とってもおかあさんになりたかったんだって。なぜかというと、いつもおかあさんになるのは、みよちゃんかまりちゃんです。だから、けいこせんせいが、「きょうのおかあさんはだれですか」 といったとき、さっちゃはかけあしで、ままごとばこから、さっとおかあさんのエプロンをとったんです。すると、まりちゃんがいいました。「てのないおかあさんなんていないもん」 みんなも 「そうだ、そうだ」 といいました。
さっちゃんは、エプロンをにぎりしめたまま、まりちゃんにとびかかって、エプロンをなげつけて、でていきました。ぼくは 「さっちゃんがんばれ。まりちゃんや、みんなをやっつけろ」 といってしまいました。
さっちゃんは、てがなくても、すべりだいやかいだんのぼりをがんばっています。かみをきったり、えをかいたり、じをかいたりできるのです。ねんども、かたほうのてでちからいっぱいつくっています。こんなさっちゃんだから、てがなくても、ままごとのおかあさんになれるとおもいます。
がんばりやのさっちゃんだったけれど、まりちゃんのいったことがとってもつらくて、おとうさんに 「わたし、おかあさんになれるの」 とききます。
おとうさんは、「なんだ、そんなことをきにしていたのか。さっちゃんのてからふしぎなちからが、おとうさんにつたわってくるよ。だから、さっちゃんのては、まほうのてだよ」 とさっちゃんのてをつないで、いってくれました。
さっちゃんは、げんきになってジャングルジムにのぼるようになりました。おともだちが 「おちないでよ」 といったとき、さっちゃんはげんきに 「さっちゃんのては、まほうのてだもん」 といいました。てがなくても、おとうさんやおかあさんがやさしくしてくれるし、まりちゃんやみんなともなかよしになったから、さっちゃんはままごとのおかあさんもできるし、ほんとうのおかあさんにも、ぜったいになれるとおもいました。

この感想文を書いた男の子は、さっちゃんの気持ちをいっしょけんめいに考えることで、自然に“思いやりの心”を学びとっています。
子どもをすぐれた作品に出会わせるのは、ほんとうにすばらしことですね。

なお、この絵本は、「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=237

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第59回目。

☆~~~~~~~~★~☆~★~~~~~~~~☆

● 幼児期に読書の楽しさを教えてもらった無上の喜び

「今、私が親にいちばん感謝しているのは、私を読書好きの人間に育ててくれたことです」 ──これは、東京都に住む21歳のある青年の言葉です。彼は昨年、高校卒業後2年浪人して、目的の大学へ進みました。現在、大学2年生です。
彼が、ある日、目をきらきらさせながら、読書の好きな人間になれた喜び、読書によって得たさまざまなことへの喜びを、胸をはずませるようにして語ってくれました。
以下、彼の喜びをそのまま紹介してみましょう。

私の父は、がんこです。私が小学生のときはもちろんのこと、中学生のときも高校生のときも、学習塾へ行くことを絶対に許しませんでした。父は、私に言いました。「学習塾へ行くよりも、その時間本を読め。仮に1か月に20時間塾へ行ったとして、それを読書の時間にあてるだけでも月に4、5冊、1年に50冊以上の本が読める。小説もいい。伝記もいい。科学読みものもいい。社会問題の本もいい。いろんな本を読んで、じぶんの進む道は自分の頭でしっかり選択できる者になれ。大学は行かなくてもいいし、行くのなら自分の学びたいものをほんとうに学べる大学へ行け。3流大学でもいい。有名大学ならどこでもいいというような、バカげた進み方だけはするな。1年や2年浪人したってかまうことはない。行きたいと思う大学に行け」
だからというわけではないのですが、2浪しました。しかし、学びたいことを学べる大学へ入ることができました。これは、まちがいなく私が8年間の中・高校時代と浪人時代に、500冊近い本を読むことができたからです。
私は、その500冊くらいの本のから、まず人間にはいろいろな生き方があり、私は私らしい目的をもって生きていかなければ……ということを学びました。また、生きて行くのは挑戦でなければならない、強いものにおじけづいたら何もできないということも学びました。
もちろん、自分の自由を主張するかわりに人の自由を尊重しなければならないということや、愛の美しさ・苦しさや、人を思いやる心の大切さなども学びました。本に描かれている世界や、物語の中に生きる人たちの生きざまを通して、それらのほとんどを学ぶことができたのです。
もしも、私が、有名大学へ入るために学習塾へ通い続け、自分の時間をほとんどそのために費やしてきたら、これは絶対に果たせなかったと思います。
そこで、私がいちばん感謝しているのは、3、4歳のころから、母親が本を読む楽しさを私に教えてくれたことです。母親が読み聞かせをしてくれたことや、父親のみやげといえばいつも絵本だったことを記憶していますが、あの幼児期があったからこそ、私は読書好きになることができたのです。
あの幼児期がなかったら、私はきっと他の者と同じようにマンガばかり読んで小学生時代を過ごし、中・高校生時代も本など読まなかったのではないかと思います。小学校へ入ったころ、父のみやげを 「また本か」 とつまらなく思ったこともありました。しかし今は、父と母が子どものころに私を本に親しませてくれたことを、他のどんなことよりも感謝しています。
大学の仲間を見ると、6、7割が全く本を読みません。生意気を言うようですが、そんな仲間には 「本の楽しみを知らないなんて、全くかわいそうだ」 と思ってしまいます。

この青年は、私学の芸術学部に学びながら、脚本家をめざしているそうです。「父は、去年ガンで死んでしまいました。だから学費は自分でかせぎだしています」 と言いながらも、彼はとても幸せそうでした。
彼の語ったことは、幼児期における読書の大切さを、深く伝えているのではないでしょうか。

↑このページのトップヘ