児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

日本読書クラブ

「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第8章「伝記」の項を紹介してみよう。

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● 教科書にも多くの伝記
「田中正造」……田中正造の生き方を考えましょう。自分だったら、どのような生き方をしたいと思ったか、考えをまとめましょう。
「アンリ・ファーブル」……ファーブルが、どんなことを考えて、何をしたかを、読みとりましょう。
「ジョン万次郎」……万次郎という人物の行動や人がらを読みとり 「生きるすがた」 について自分の感想をもとう。
「山にささげた一生」……主人公の生き方を読みとり、生きることについて自分の考えをもとう。
以上は、小学校の国語の教科書に収められている伝記教材 (被伝者と教えのねらい) の一部です。つまり、ここでは、言葉を学ばせると同時に、子どもたちに人間の生き方を考えさせることが、大きなねらいとされています。
ところが、じっさいには、国語のなかの伝記教材は、1学年にわずか1、2編にすぎないうえに、その教授内容も多くの場合、つめこみ教育のあおりを受けて読解指導 (文字や言葉の意味) に終わり、被伝者の生き方を子どもたちに深く考えさせるようなことは、ほとんど行なわれていません。つまり、せっかくの伝記教材は生かされてはおらず、子どもたちに、学校をはなれたところで伝記にふれさせることのたいせつな理由の一つが、ここにあります。伝記書を読むことの意義をひと口でいえば、先人たちの生きざまに 「人間の生き方」 を学ぶということにあるでしょう。

● 進学戦争で進んでいる没個性化
いまの日本人の多くは、おとなも子どもも、自分の意志で主体的に生きること、自己のなかで、ふくらませた個性的な夢と希望にもえて生きることを忘れています。きびしい進学戦争のなかで、すでに幼児のときから、よい学校、よい会社へのレールの上を走らされている子どもは、特にそうでしょう。
いわば、いまの子どもたちは自分の人生を自分で選んで生きようとしないから、自分の生き方にも自分が 「生きている」 ことにも、責任を持とうとしません。何かにつまずけば、すぐ、「自分をこのようにした」 他人と社会のせいにします。また、人間はひとり一人が個性的に生きることこそすばらしいのだ、ということに気がついていないから、他人の生きかたを、すぐうらやみます。そして、人と比べて、わたしはダメだと思えば、かんたんに、自分の人生をなげだしてしまいます。そのうえ、歴史のなかで、大きく、なやみ多く生きることの価値を知らないから、マイホーム主義におぼれてしまうような、小さな生きかたに妥協して満足してしまいます。
こうしてみると、いまほど、伝記が読まれてほしい時代はないのかもしれません。伝記は、すべての人に、また、どんな人にも、生きる夢と希望と勇気と信念を与えてくれるのですから。たった1冊の伝記が、その人の生きかたに、ほとんど決定的な影響を与えた事例も過去に少なくありません。すぐれた伝記は真実性と迫真性に富み、どんな名作文学にも負けないほど、読者の心をつき動かす力をもっているのです。

● エジソン、野口英世は永遠の偉人
さて、子どもについて考えた場合、いまの子どもたちは、どのような人物に心ひかれているのでしょうか。これを、毎日新聞社の読書調査結果にみると、つぎのとおりです。
★エジソン★リンカーン★キュリー夫人★ナイチンゲール★ヘレンケラー★べ一ブルース★ベートーベン★野ロ英世★豊臣秀吉★織田信長★徳川家康★聖徳太子★石川啄木★宮沢賢治★小林一茶(ベスト15位)。
つまり、子どもたちに愛されている被伝者は、秀吉、信長、家康などがテレビの影響を少し受けていることをのぞけば、数10年来、変わりません。エジソン、リンカーン、キュリー夫人、ナイチンゲール、野口英世などは、子どもたちにとっての永遠の偉人といってもよいのかもしれません。
しかし、伝記書、とくに子ども向きの伝記には、やや、難点のあるものが少なくないことを、知っておかなければなりません。
その難点というのは、[被伝者が、あまりにもきれいに、えがかれすぎていること][人物に焦点をあてすぎて、社会・時代背景が軽くあつかわれ、なかには、歴史的な記述に誤りさえあること][事実性に乏しい話(ワシントンが、子どものときに庭の桜の木を切って、父に叱られたという話。ベートーベンが町を歩いていて、盲目の少女のひくピアノにひかれて「月光の曲」を作ったという話など) が、たんに物語をおもしろくするために、真実として、さらには誇張して記述されていること]などです。

● 子どもは自分の意志と足で歩かせよう
どのような偉人にも、人間としての欠点や、みにくい面があったはずです。また、いろいろな失敗もあったはずです。伝記は、それらが、つつみかくさず語られていることが大切ではないでしょうか。伝記には、その人の 「真の生きざま」 が重要だからです。また、欠点のある偉人のほうが、読者にとって、親しみやすいものにもなるからです。
伝記は、読者に、かならず 「生きる意味」 を考えさせます。また 「苦しみにうちかって生きる力」 を与えてくれます。エジソンらのような永遠の偉人に限ることはありません。郷土に生きた偉人でも、社会のなにかにつくして生きた偉人でもよいのです。もっともっと、伝記を読んでみようではありませんか。自分の意志と足で歩いている力をつちかうために、そして子どもに、つちかわせるために……。

(日本読書クラブ推薦図書の項は省略)

「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第7章「図鑑」の項を紹介してみよう。

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● ますます読まれる各種図鑑
毎日新聞社が行なっている学校読書調査の結果によると、このところ、小学生のあいだで、昆虫、動物などの図鑑類がますます人気を集めています。4年生の男子では、昆虫図鑑が 「みんなに多く読まれた本」 の2位、動物図鑑が7~8位を占めているほどです。
たしかに、動物、昆虫、植物、鳥、魚・貝、地球、宇宙、鉄道、自動車、飛行機、人間のからだ、社会とくらし、数、ことば……などの図鑑は、子どもたちが、もっともよろこんで手にする本のひとつです。名作物語や伝記などは読まない子どもでも、図鑑類であれば、自分からすすんで楽しむ子どもも少なくありません。それは、[図鑑とは、絵や写真を主にして、ものごとを、わかりやすく説明したもの][子どもたちのなぜだろう、なぜかしらという疑問に答えたもの]だからです。
各出版社の図鑑シリーズのカタログを見ると、例外なく、つぎのようなことが大きく書かれています。
「見て、調べて、楽しみながら生きた知識が身につく」「楽しみながら正しい知識を」「見て楽しんで学習の力がつく」「子どもの興味と疑問に、むりなくこたえる」「絵本として楽しみながら、考える楽しさと、発見する感動を伝える」「自分で調べ、自分で学ぶ意欲がわく」「おそわる学習から、自ら学ぶ学習へ」「楽しみながら知識を広げ、考える力を育てる」「科学する目、科学する心を養わせる」……。
つまり、図鑑のねらいをひと口でいえば、「子どもたちに、楽しみながら事物への興味をおこさせ、知識を広げさせ、主体的に学ぶ習慣をつけさせる」 ということになるのでしょうか。

● 単なるもの知り人間ではダメ
テレビの影響をつよく受けている現代の子どもたちは、目で見て直感的に記憶する力にすぐれています。しかし、そんな記憶にもとづく知識は、広いかわりに浅いという、難点をもっています。「もの知り人間は多いが、ものを深く考える人間は少ない」 といわれるのが、それです。
そこで、各種の図鑑では、美しい豊富な絵・図・写真で視覚に訴えて、子どもたちに事物への興味をおこさせると同時に、興味をもったものを少しでも深く考えさせることに、大きな力がそそがれています。
たとえば、動物・昆虫図鑑にもりこまれているのは、その種類や、その姿だけではありません。「この動物、この昆虫は、こんな生活をしているのか、こんなふしぎな生き方をしているのか」 というようなことが多く解説され、子どもたちが、その 「生きもの」 に対して、命あるものへの愛情もふくめた、ほんとうの関心を抱くように、くふうされています。また、進化の歴史や自然界のふしぎさなども、やさしく説かれ、子どもたちが、たんなる観察をこえて事物を深く考えるように編集されています。
宇宙や乗りものの図鑑でも同じです。なりたち、しくみ、発達の歴史などの知識のほか、人類とのかかわりはもちろんのこと、現実の人間生活とのかかわりも解説され、子どもたちが、ものごとをはば広く考えるように構成されています。

● 学校の授業は教科書ベッタリ
要するに図鑑は、子どもたちに 「楽しませながら学ばせる」 ものです。勉強にそくしていえば、学校で習う各教科の家庭学習を、楽しくさせようとするものです。
学校における教科書べったりの授業は、子どもたちにとっては、けっして、おもしろいものではありません。そこで、戦後の日本の小・中・高等学校には、学校図書館を設置することが義務づけられ、教科書以外の資料をも使った豊かな授業がのぞまれてきました。しかし、じっさいには、つめこみ主義の学校教育におされて、そんな 「豊かな授業」 は、ほとんど実践されていません。とすれば、各家庭でこそ、すべての子どもたちに知る楽しさ、学ぶ楽しさを自ら発見させるような手だてが、積極的になされなければいけないのです。

● 豊かな資料で豊かな学習を
現在、市販されている子ども向きの図鑑は、とにかく、どれをとっても美しく、楽しく、豊かです。おとなでも、十分に楽しませてくれます。学習事典も 「子どもたちの主体的な学習」 を期待してつくられていますが、使い方によっては、図鑑は学習事典以上に 「主体的な学習」 に役だつのではないでしょうか。
とにかく、学校の授業がつめこみであればあるほど、子どもたちに、少しでも豊かな資料を提供して、「考えながら学ぶ」 習慣を身につけさせてやりたいものです。

(日本読書クラブ推薦図書の項は省略)

「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第6章「児童文学」の項を紹介してみよう。

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● 教科書にも多くの教材
「ごんぎつね」(新美南吉)、「おこりじぞう」(山□勇子)、「たかのすとり」(千葉省三)、「雪わたり」(宮沢賢治)、「月の輪ぐま」(椋鳩十)、「ベロ出しチョンマ」(斉藤隆介)、「もぐら原っぱのなかまたち」(古田足日)、「ヒロシマのうた」(今西祐行)……。
これらの文学作品は、いまの小学校の国語の教科書に収められている「文学教材」のごく1部です。教科書全体を見ると、これらの文学作品は、1学年(2分冊)平均3、4点ずつ(6年間で20~30点)とりあげられており、指導の目標として、教材ごとに 「人物の気持や場面のようすについて考えましょう」 「読んで心に残ったことを、みんなで話しあいましょう」 「人によって感じかたが違うことを、たしかめましょう」 というようなことが、かかげられています。
つまり、文学教材をとおして豊かな言葉を学ばせると同時に、文学にしかない世界をとおして、ものごとを豊かに考える習慣を身につけさせようとするものです。これは、子どもたちの心の成長に、文学の価値がいかに大きいものであるかが、証明されているといってよいでしょう。
さて、各種の児童文学全集を見ると、つぎのようなことが、うたい文句にされています。
「未来にとびだす子どもたちに夢と愛を」「子どもたちに真実と愛を!」「現代を生きぬく勇気と感動を!」「感動をとおして豊かな心の成長を」「子どもの成長の糧に」「良い本は心の友だち」「豊かな人間形成のために」「1冊の名作との出会いが子どもの世界を変える」「成長期の血となり肉となる名作の世界」
これは、各社の宣伝用の言葉ですから多少の誇張はありましょう。しかし誇張はあっても、これらの言葉のなかには、児童文学全集の価値と、それを子どもに与えることの意義が、そっちょくに語られています。
文学者や評論家たちの言葉を借りると、文学とは「人間の思想や感情を、あるいは、作者が真実として美として感じたものを、言葉を用いて表現したもの」 ということになるでしょう。ここでいう真実とは、人間的な真実です。つまり、人間の真実と人間のほんとうの美しさを、力強く、しかも、美しい言葉でえがいたものであり、だからこそ、すぐれた文学は万人の心をゆさぶらずにはおかないのです。

● 世界の人びとに感銘を与えてきた名作
人間の心をもっとも成長させるのは、感動と感銘です。深く心を動かすのが感動、しっかり心にきざみこんで忘れないのが感銘であり、心をゆさぶられて心に残るからこそ、心の種、成長の糧になるのです。
ところが、この感動と感銘には、日常の実生活のなかでは、めったに出会うことはできません。まして、物質主義のいまの世のなかでは、なおさらでしょう。しかし、どのような世のなかでも、しかも、だれでも、いつでも、その感動と感銘を求めることのできるものが、ただ一つあります。つまり、それが文学です。とすれば、すぐれた文学全集は、感動と感銘の宝庫だといってもよいのではないでしょうか。子ども向き文学全集の多くは、内外の名作を集めた名作全集です。そして同じような内容の全集が、くり返しくり返し出版されていますが、これは、名作に永遠の価値があるからです。
「名作」とは、一般的にいえば 「すぐれた著作物」 「名高い作品」 ということになるのでしょうが、世界名作全集などに収められている名作は、たんに、すぐれたというのではなく、長いあいだ世界の人びとに読みつがれ、長いあいだ世界の人びとに深い感動と感銘をあたえてきたものばかりです。いいかえれば、世界の人びとが名作として折り紙をつけた芸術作品ばかりであり、だからこそ 「すべての子どもたちに、いちどは、ふれさせたい」 価値があるのです。

● 子どもにはゆっくり
ところで、とうぜんのことながら、どんなにりっぱな文学全集でも、飾りものに終わっては、なにもなりません。しかし、だからといって全巻を一気に読みとおすこともないでしょう。とくに子どもには、文学全集をゆっくり楽しませることがたいせつです。
したがって、子どもに文学全集を買い与えたのち、「まだ、これだけしか読んでないの」 「高いお金をだして買ってやったのよ、どんどん読まないとダメじゃないの」 などと言ってはいけません。これでは、子どもは、せっかくの全集に背を向けてしまいます。むやみに、子どもの尻をたたくよりも、ときには、親自身が全集の1冊を読んで、「これ、おもしろかったわ」 と語りかけてやったほうが、どれほど効きめがあるかしれません。
もしも、一つの全集を親子で楽しみながら読みとおすことができたら、どんなに、すばらしいでしょう。親と子が、同じ花園を、お互いの心にもちあうことができたのですから。子どもに、豊かな心と豊かな言葉をもたせたいなら、文学全集のひとつくらいは、子どもの机のそばに備えてやりたいものです。

(日本読書クラブ推薦図書の項は省略)

「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第5章「音楽」の項を紹介してみよう。

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● 音楽はすべての民族がもっている
音楽はどのようにして、おこったのか……これについては、はっきりしたことはわかりません。しかし、いろいろな資料から、つぎのようなことが、考えられています。
■ むかしの人が、小鳥のさえずりや動物の鳴き声をまねしているうちに始まった。
■ 石器をつくるときのリズムや、人が歩くときのリズムから始まった。
■ 雨ごいなど、みんなの強い願いをあらわそうとしたときに始まった。
■ 集団で力をあわせて働くとき、とくに力仕事をするときの、かけ声から始まった。
■ 支配者などが、おおぜいの人の前で語るときの、ことばの強弱や高低から始まった。
■ 遠くに音を伝えるために音をだしたものから始まった。
このほか、人間は、川の流れの音や風の音など、自然のなかの音からいつのまにか、リズムをもつようになったのだろうとも、考えられています。
さて、以上のようなことから考えると。音楽は、人間のもっとも素朴な生活のなかから生まれたのだ、ということがよくわかります。つまり、このことは、もともと人間はからだのなかにリズムを求め、リズムを楽しむものをもっているということであり、ここにこそ、音楽がすべての人に愛されるゆえんがあるのでしょう。
世界を見わたしても、音楽をもたない、音楽を愛さない民族がひとつでもあるでしょうか。そんな民族はありません。たとえ、他に文化らしいものはなにひとつもたなくても、音楽だけは、その民族から生まれたものを、必ずもっています。音楽は、それほどに、根深く人間とむすびついたものなのです。人びとが音楽を奏で、音楽を口ずさみ、音楽に涙し、音楽にうかれるのは、あまりにも、とうぜんのことといえるのではないでしょうか。

● 英才教育のためのものではない
ところで、最近、母と子を対象にした童謡集や名曲集が多く出されて、人気を集めていますが、その刊行意図をみると、つぎのようなことが、かかげられています。
「ゼロ歳児から、美しい音楽をとおして、豊かな情操をはぐくむために」「音感教育によって、感性豊かな明るい子に育てるために」「美しい音楽の世界をとおして、子どもの夢をひろげてやるために」「音楽をとおして、母と子の心があたたかく通いあうために」「母親が、わが子に、やさしく語りかけていくてだてに」
以上をまとめてひと口にいえば、母と子で音楽を楽しみながら、子どもの心を豊かなものにしていくために、ということになるのでしょう。ゼロ歳児から幼児教育をなどといっても、文字や言葉や絵は、2歳、3歳、4歳児にならないと、まだまだ理解できません。ところが、どんな幼児も、音だけは、早くから感じとることができます。
つまり、文字や言葉はわからない幼児期でも、音(音楽) によって感性 (心に深く感じること) を育てることはできるわけであり、ここに、幼児期から美しい音楽、リズミカルな音楽に親しませる大きな価値があるのです。
そのはっきりした証拠に、母と子ども向きの音楽全集は、どれひとつとっても、「将来、音楽家をめざす子のために」 「音楽家への英才教育のために」 などとは、うたっておりません。編集・刊行のねらいは、100パーセント、すべての子どもの心の発達にプラスすることにあり、「すべての子ども」 の発達に基本的にかかわるものであるからこそ、家庭向き音楽全集の価値が大きいといえるでしょう。
なかでも、音楽カセット(最近は音楽CD)は、レコードに比べると、気軽に楽しむことができます。小型の機器があれば、いつでも、どんな場所ででも楽しむことができます。童謡であれば、歌を聞きながら、子どもがうたい、母親がうたい、母子いっしょにうたい、音楽を楽しみ童謡のメルヘンの世界にひたりながら、母と子の心をあたたかくかよいあわせる……こうした音楽全集にしかない、すばらしさといえるのではないでしょうか。

● 楽しく明るい家庭のために
童謡を中心にしたシリーズのほか、おとな向きの 「名曲全集」 「名曲アルバム」 「クラシック大全集」 なども広く愛されていますが、これも、けっして専門家向きのものではありません。
「音による芸術」 である音楽を、生活のなかで楽しむ人たちのためのものです。
美しい音楽、楽しい音楽を聞いて、心の洗われない人、心の晴れない人はいないはずです。あまりにも美しい、あまりにも悲しい音楽を耳にして、しぜんに涙があふれるのも、心にひびく 「音の芸術」 が、すばらしいものだからです。名曲やクラシックにかぎることはありません。ポピュラーソングであっても、流行歌であっても、心をなごませる 「自分の音楽」 をもつことが、たいせつなのではないでしょうか。
すべての家が 「音楽のある」 「音楽を口ずさむ」 家庭であることをのぞみたいものです。心豊かに育てたい子どものためにも……。

(日本読書クラブ推薦商品の項は省略)

「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第4章「美術」の項を紹介してみよう。

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● すべての人への美の贈りもの
一般の人に美術全集をすすめると、「私には絵や彫刻などを鑑賞する力はありませんから、ネコに小判です」 というような返事をもらうことが、少なくありません。また、「子どもさんのために」 と言えば、「うちの子にも美術を楽しむ気持ちなどありません。将来、芸術家の道へ進むような気もまったくないようですから」 というような返事が、かえってきます。しかし、これは、基本的にまちがっています。これでは、文学者になる気はないから、文学作品など読む必要はないというのと同じです。
美術全集は、たしかに、絵画、彫刻、工芸、建築などの分野における芸術家たちの偉業を集大成したものですから、まず、芸術家をめざす人たちにとって、かけがえのないものであることは、とうぜんでしょう。
ところが、美術全集があいついで刊行されることの理由には、もっと広いものがあります。それは、一般の人たちへの[美の贈りもの]だということであり、その贈りものとしての価値は、私たちの毎日の生活を見つめれば、だれにでもわかります。
人間が目で見て感じる世界は、大別すると、美しい世界と、きたない世界にわかれます。そして、すべての人が、美しい世界を愛し、きたない世界をきらいます。美しいものには目を輝かせ、きたないものには目をそむけます。
しかし、私たちは、果たして、ほんとうに美しいものを美しいとし、ほんとうにきたないものを、きたないとしているでしょうか。ほんものの美をとらえ得る心と目を、生まれながらにしてもっているのでしょうか。このことは疑問です。疑問というよりは、「もっている」 という認識は、どうも、おごりすぎています。一般的にいえば、物の表面に表われたもの、あるいは形に表われたものだけを浅くとらえて、「美しい」 としている場合が少なくないからです。

● 美はあらゆるところにあるのに
世界最大の彫刻家ロダンが、つぎのように言っています。
「美は、あらゆるところにある。決して、それがわれわれの眼前に欠けているのではなく、われわれの眼が、それを認め得ないだけである」
これは、ほんとうの美をとらえることのむずかしさを、強く指摘したものでしょうが、ロダンでさえ、物の生命が放つほんものの美をとらえることに、苦しんだのです。とすれば、私たち凡人が真の美にふれ得ることは、まさにたいへんなことであり、だからこそ、美術全集などをとおして美を見、美を感じる心をそだてていくことが、たいせつなのです。ロダンは、若い時代に 「鼻のつぶれた男」 という作品を発表して、人びとを、おどろかせました。それは、けっして美しい彫刻ではなく、みにくく鼻のつぶれた男の、きたない彫刻だったからです。しかし、ロダンは顔かたちの美しさよりも、その男のみにくい顔の内側に、もっと人間らしい美をみつけたのです。つまり、それは目には見えない内面から発する美であり、美術全集は、そのような、ほんとうの美のとらえかたを、教えてくれるのではないでしょうか。

● 楽しませてくれる画家たちとの対話
子どもたちは、学校の美術教育のなかで、みずからの創作にあわせて美術を鑑賞することを学びますが、この目的も、美しいものへの感性をそだてることにあります。つまり知・情・意をあわせた調和のとれた人間形成のためにも、豊かな、美的感性をはぐくむことが、重要視されているのです。絵でも彫刻でも、子どものときからほんものにふれさせよ、と説かれているのは、やはり、真理ではないでしょうか。
ひとそろいの美術全集を買い求め、しかも、それを硝子棚などにしまわずに、まるで、絵本でも見るようにして楽しんでいる家庭があったら、それは、どんなに、すばらしいことでしょう。親も子も、「美を認め得る」 心を育てて、美しい心の世界に生きていくことを、自分のものにしていっているのですから。美しいものを、より深く、より多く感じとりながら生きることのできる人生は、幸せです。
1枚の名画、それも自分の好きな画家の名画を見つめていると、いっぽうでは心の安らぎを、いっぽうでは、泡だつ興奮をおぼえます。それは、きっと、その1枚の絵にたたみこんだ画家の心が、伝わってくるからでしょう。名画は、美を楽しませてくれるだけではなく、偉大な画家たちとの会話をも楽しませてくれるのです。

(日本読書クラブ推薦図書の項は省略)

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