児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

日本読書クラブ

1983年1月に設立した「日本読書クラブ」。設立から10年後の1992年5月、公文教育研究会の発行する月刊教育情報誌「ケイパブル」に掲載された記事の後半を紹介する。

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●『月刊・日本読書クラブ』


月刊読書クラブ





設立と同時にクラブでは、会員配布用の機関紙『日本読書クラブ』(第1号1983年2月1日発行) を毎月出し続けて、今年5月号でちょうど通巻111号になる。B5判でわずか8ページの小冊子であるが中身は充実していて感動的な記事にあふれている。ここ数か月の継続している紙面のテーマとその内容をあげてみよう。
* その月の特選図書の紹介 (表紙)
* 「かんがえるこどもたち」(P2~3) 読書調査や読書体験、教育現場や社会の情報などをもとにした読書についての考察。
* 「しつけ」(P4) 平常のしつけがいかに子どもの人間形成にとって大事であるかを、親子の実際の事例を紹介しながら考える。
* 「こどものほんだな」(P5) 新旧を問わず、すぐれた絵本や児童書の紹介。毎号2点。
* 「ラ・フォンテーン寓話」(P6) 寓話のジャンルを完成させたフランスの詩人ラ・フォンテーンの寓話1話とその格言。
* 「お母さんの勉強室」(P7) 子どもの作文を紹介しながら、そのよいところを考える。また敬語の正しい使い方の解説。
*「読み聞かせ」(P8) 読者の投書や見聞などをもとに、読み聞かせの方法や効果、心構え、本選びなどを紹介し、読み聞かせについて総合的に考察。
『日本読書クラブ』は、現在このようなテーマにそって、毎号編集されている。そのなかの1、2を次に紹介しよう。

● 読書で心を深める子ども
今年2月号の 「子どもは著者の心にふれながら自分の心を深めていく」 と題された記事には、「書物を読むのは、ほんとうは他人の思想や考えを学ぶためでなく、自分自身の思想を深めるためであると思います。つまり、他人の思想を通じて自分の思想を深めるのが読書の真の目的であると考えます」 という評論家澤潟久敬氏の言葉を実証する例として、小学1年生の女の子が書いた感想文が取りあげられている。
山にすむちびおにが帽子をかぶり、服を着て変装し、町の幼稚園にやってくる。そして池に落ちてびしょぬれになった子どもに自分の正体がばれるのもかまわず、服をぬいで着せてやる。おにであることがわかっていじめられるのではないかと思ったが、子どもたちにかえって歓迎されて楽しく過ごすことができたという『ちびっこちびおに』の話である。
その女の子は、この話を読みながら、なぜだろうと考えたり、どうなるだろうと心配したり、ああ、よかったと安心したりしたこと、また読み終わって、ちびおにのやさしさに感じいったことなどを素直に書いている。
記事は、この感想文を再録した上で、「子どもは、本を読むことを通して、自分の心を深めていくのです」 と、締めくくっている。
また3月号の「読み聞かせ」 には、次のような読者の事例が載っている。
東京・多摩市のある主婦が、4歳半になる子に読み聞かせを始めたところ、2歳半になる子がいつの間にか側によってきて熱心に聞くようになり、今ではその子のほうが読み聞かせを要求するようになったという。その体験から、読み聞かせは、たとえ1歳からでも早すぎないのではないかと気づいたという。
これは、まさにその通りで、母親の読み聞かせが、幼い子どもにとっていかに大きく心をふくらませてくれるものかという事例として、掲載されている。
このような記事が毎号のっている『月刊・日本読書クラブ』の年間購読料は1200円とのこと。「本を読む人を一人でも二人でもふやしていく、親子の心が通いあった家庭を1軒でも2軒でもふやしていく」 ことを目指している日本読書クラブに入会するのに、なんの入会制限もない。「誰でも気軽に入ってきてほしい」 と、編集長の酒井義夫氏はかたっている。

「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第12章「辞書」の項を紹介してみよう。

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● 年を追って低下してきた国語力
つぎの漢字に読みがなをつけ、その意味を書きなさい。
還俗、権化、解脱、反古、防人、普請、校倉、下知、石女、遊説、桟敷、洒脱、釣魚
(読みがなの答え) げんぞく、ごんげ、げだつ、ほご、さきもり、ふしん、あぜくら、げち、うまずめ、ゆうぜい、さじき、しゃだつ、ちょうぎょ
新聞社、出版社の入社試験では、いまでも、きまってこのような問題がだされます。いうまでもなく、日本語の力をためすためです。
ところが、その新聞社、出版社の話によると、読みがなにしても、意味にしても、正解率は、年を追って落ちてきているということです。そして、各社とも、日本人の国語力の低下をいちようになげき、低下をもたらした大きな原因としては、テレビやマンガ本に代表される視覚メディアの普及と氾濫をあげています。
さて、国語力の低下が招いているものは、字が読めない、書けない、言葉の意味がわからないということだけでしょうか。いいえ、それだけではありません。人と話をすることも、たいへん、へたになっています。テレビのえいきょうなどで、だれもが、口数多くしゃべるようになっているのに、日本語を、豊富に、美しく、じょうずに使うことは、まったく、へたになってしまっているのです。このほか、とうぜんのことながら、手紙ひとつにしても、文章を書く力も落ちてしまっています。
ところが、国語力低下の嘆きが、以上のことだけではすまないところに、さらに、大きな問題があります。
それは、思考や想像の貧しさをも招いているということです。つまり、味わい深い豊かな文字や言葉を使うとき、あるいはそれに接したときは、しぜんに、頭のなかで深い思考、深い想像をするものですが、豊かな文字と言葉を使うこと、理解することを忘れることにともなって、思考も想像も浅いものになってしまっているのです。
その人の話をきけば、その人の書いた文章を見れば、その人がわかるなどといわれますが、そうだとすれば、自分の国語力の貧困を、まず自分が恐れるべきではないでしょうか。

● 使用の目的にあった辞書を
では、一般の人びとが国語力の低下をふせぐには、どうしたらよいのでしょうか。
それには、本を読むことが第一ですが、もうひとつたいせつなことは、国語の辞書・辞典、漢字の辞書・辞典を大いに活用することです。言葉や漢字の辞書・辞典といえば、それは勉強のときに使うものだ、学校を卒業したら用のないものだと思いこんでいる人が多いようですが、これは、まちがっています。たとえ学業を終えても、なにかを勉強することはなくなっても、文字と言葉は、生涯使うものであるということを、忘れてはなりません。
ところで、実際に辞書・辞典を買い求めようとするとき、「辞書なんて一生に1、2度しか買わないのだから」 と、いつまでも使えるもの、家族みんなで使えるものをと考える人が少なくないようですが、これもまちがっています。辞書・辞典は、いま使うもの、いつも使うものです。したがって、原則的には、家族共用ではなく、使う人の知識度と使用目的に適したものを、それぞれが備えておくべきでしょう。なぜなら、文字の大きさはもちろんのこと、収録語の数も、解説のくわしさも、それぞれ異なり、すべて使用者のレベルなどにあわせて編集されているからです。

● 子どもは解説のやさしいものを
たとえば、収録語数を比較してみると、次のようになります。
広辞苑、広辞林など大型のもの……収録語数15~20万語
一般向きの小型辞書……収録語数7~8万語
中学生向辞書……収録語数4~5万語
小学生向辞書……収録語数2~3万語
これを見ただけでも、質の違いがはっきりわかります。しかし、質が違うからとはいっても、収録語の多いものほどよい辞書で、少ないものほど悪い辞書だなどと考えちがいをしてはいけません。小学生にとっては、収録語8~10万のものよりも2~3万のもののほうが適しているのです。語の数にかぎらず、1語1語の解説だってそうです。一般向きであれば解説はくわしいほどよいともいえましょうが、子ども向きは、くわしさよりも、その段階に適した解説であることのほうが、むしろ、たいせつです。
したがって、学生のような場合は、小→中→高→大学と進学につれて使う辞書・辞典を変えていくというのが、いちばんのぞましいということになります。そして、これを逆にいえば、親が、小・中学生の子どもの辞書類でまにあわせるというのは、収録語数のうえからも解説の深さのうえからも、好ましくないということにもなります。

● 辞書をひく習慣をつける
さて、この辞書類をどのように使うかということですが、これは 「辞書をひく習慣をつけること」 に、すべてがかかっています。習慣のない人は、たとえ目の前に辞書があっても、よほどのことがないかぎり、手をのばさないでしょう。実生活に支障がなければ、文字や言葉を多く深く知らなくてもなにも困らないからです。
ところが、辞書を使いはじめると、事あるごとに、使わずにはいられなくなります。ひとつには、文字と言葉を、これまでいかにあやふやに使っていたか、いかに知らなかったかに、気づかせられたからです。そして、もうひとつは、辞書をひくことをとおして、調べる楽しさを知らされたからでしょうが、実は、この調べる楽しさを知ることが、おとなにとっても、子どもにとっても、たいへん、すばらしいことなのです。「調べる」ことは、人間がものごとを正しく、深く、広く知るうえにたいせつなばかりか、ものごとに対して創造的にとりくむ意志を、しぜんに育ててくれるのですから。
辞書・辞典とつきあう楽しさは、なにげなくひろげたページを 「読んで」 みれば、すぐ、わかります。この楽しさをまず親が知り、それを子どもにも早く伝えてやりたいものです。辞書は 「生きて」 いるのです。

(日本読書クラブ推薦図書の項は省略)

「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第11章「家庭百科」の項を紹介してみよう。

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● 知らないことが多い生活の常識
1. 客にお茶とお菓子を同時にだすとき.お客に向かって、お茶は左、お菓子は右に置く。
2.今他家を訪問して辞去するとき、ざぶとんは、裏返しにする。
3.テーブルに料理をだすときは、坐っているお客の右側から。
4. 煮豆の砂糖は、早目に入れる。
5.すまし汁のしょう油は、ふっとうしたら、すぐ入れる。
6. 結婚式のときの引き出ものは、新郎新婦の両親の分は必要ない。
7. 年少者を年長者にひきあわせるときは、年長者を先に紹介してやる。
8. ねんざしたときは、ぬるま湯であたためてやるといい。
以上8問のうち、どれが正しく、どれがまちがっているのでしょう。
正解は1. ○ 2.× 3.× 4.×(よく煮えてから) 5.×(最後に入れる) 6. ○ 7.×(年少者から) 8.×(冷たい水でひやす)
さて、「社交と礼儀」「結婚生活」「美容と着付け」「健康と家庭医学」「住まいと園芸」「文字と手紙」「慶事・弔事」「妊娠・出産・育児」「家事とくらし」「料理」「日常の法律」「華道・茶道・書道」「和裁・洋裁」「編物と手芸」「趣味と旅」……。このようなことを巻別にまとめた10~20巻の家庭百科が、いろいろと出版され、多くの家庭で利用されています。
これほど大部な家庭百科の出版は20年、30年まえまでは、あまりみられませんでした。家庭百科といえば1冊か上下2冊くらいにまとめた便覧的なものがほとんどでした。ところが最近は、その便覧的なものよりも、10巻、15巻あるいは20巻などの大部なものがよろこばれるようになったのですが、その理由の大きなものとしては (1)世帯の核家族化の進行 (2)各家庭における文化生活志向の向上があげられましょう。

● 恥をかくまえに 失敗のまえに
(1)は、祖父・祖母とは別居の核家族の家庭では、人生の先輩である年寄りから生活の知恵を学ぶすべがなくなり、そのかわりに若いお母さんたちは、しかたなく本に生活の知恵を求めるようになったのです。
「季節を楽しむ漬物のつけかた」「不意の客を迎えたときの料理のつくりかた」「着物のつくりかたと楽しみかた」「障子やふすまが破損したときの、上手なつくろいかた」「病気やけがの応急手当てのしかた」「客のもてなしかた」「他家の訪問のしかた」「慶・弔事のマナー」「日常の作法」……むかしの若い主婦は、これらのほとんどを、日頃の生活をとおして、年寄りという人生の先輩から学んできました。ところが、いまは、それを求めることはできません。とはいっても、それらの多くは、半ば常識として知っておかなければ、あるいは身につけておかなければ、実生活のなかで、恥をかくことにもなってしまいます。
この文の冒頭にかかげた8問は、いずれも知っておくことがのぞましい知識や作法の初歩的なことですが、こんなことだって、正解を知らずにまちがったまま過ごしている人が、少なくないでしょう。つまり、核家族は、新鮮で自由な家族を生みだした反面 「生活経験の浅い裸に近い家族」 を生みだしたのであり、だからこそ、自分で学ぶことが要求されているのです。

● より豊かな生活を求めて
つぎに(2)は、日本の高度経済成長のなかで、「各家庭にゆとりがでてきたこと」「主婦が家庭生活を楽しむようになったこと」「自分の人生を自分で楽しむようになったこと」 の、あらわれでしょう。このことは、出版社が家庭百科をすすめることばのなかに 「あなた自身のために」 「あなたの暮らしをいるどろために」 「ヒロインは、あなた。あなたの、しあわせの色がひろがる」 「あなたの生活に、もっと豊かな楽しみとうるおいを」……などと、うたいこまれていることで明らかです。つまり、家庭百科は主婦の 「より豊かな生活」 と各家庭の 「より豊かないとなみ」 への手助けを意図して編集されたものでもあり、だからこそ必然的に全10巻、全15巻という大部なシリーズになっているのです。

● 親・主婦・女性として
どのシリーズも、美しい色の写真、絵、図を豊富に入れ、「読んで役にたつ」 ばかりでなく、「目で見て楽しめる」 ようにも、くふうされています。子どもたちがよるこぶ動物、植物、天文などの図鑑になぞらえれば、この家庭百科は、主婦向けの家庭・生活図鑑といってもよいのかもしれません。
さて、家庭百科を買い求めたら、お気にいりの雑誌のページをめくるようにして、いつも楽しむことです。悩みや問題にぶつかったときだけページを開くというのでは、事典の価値は半減です。日常生活のなかでぶつかる悩みだって、それにぶつかって本に助けを求めるよりも、できれば、記憶できる範囲のことはあらかじめ知っておくにこしたことはないでしょう。悩みや問題には、いつ、どこで、ぶつかるかもしれないのですから。
ひとそろいの家庭百科が 「あなたの生活に、なくてはならないもの」 になることを、期待したいものです。賢く豊かな生活のための技術と常識を身につけるためにも、親として主婦として女性としての心をみがくためにも。

(日本読書クラブ推薦図書の項は省略)

「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第10章「文学」の項を紹介してみよう。

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● 大いなる遺産としての文学全集
毎年、数えきれないほどの文学作品が、出版されています。日本の現代小説、推理小説、時代小説、世界の翻訳小説などとさまざまですが、これらの新しい作品群にまじって、くり返しくり返し出版されている文学の森があります。
それは、日本文学全集、世界文学全集、個人文学全集、古典文学全集などの、全集類です。たとえば日本、世界の文学全集は、過去20年来、それぞれ、つねに5~8種類ずつの刊行がつづけられ、いずれの全集も、一定の普及をみています。新しい文学作品がどんなにあふれても、文学全集には、大いなる文化遺産としての、かけがえのない固有の価値があるからです。
それは、全集に収められている文学作品が、いずれも一読の価値のある名作ばかりだ、ということにほかなりませんが、その名作のひとつひとつが、いかに 「選ばれた」 ものであるかは、新しい文学作品の氾らん状況と対比してみると、たいへんよくわかります。つまり、いま、どれほど多くの文学作品が出版されていても、20年後、30年後の文学全集のなかに加えられる作品は、ほんの、ひとにぎりにすぎないということです。
作家だって同じです。きびしい言いかたをすれば、20年後、30年後まで、まして没後まで名をのこすことのできる作家は、やはり、ほんの一握りです。いま、かりに活躍中の一流二流の作家が200人いるとしても、のちの世の文学全集に名をとどめるのは、おそらく、そのなかの10人前後にすぎないのではないでしょうか。日本文学全集についていえば、日本を代表する名作のひとつとして全集に加えられることは、それほど、たいへんなことなのです。

● ほとばしりでている作家の心
では、全集に収められているような作品は、なぜ、いつまでも読みつがれるのでしょうか。それは名作だから……といってしまえば、それまでですが、これを正確にいえば、永遠に変わることのない真理・真実の追求が、名作のすべてに秘められているからではないでしょうか。このことは、名作のいくつかをひろってみるだけで、すぐにわかります。
たとえば、夏目激石の 「こころ」 にえがかれている[知識人のエゴイズム]、田山花袋の 「田舎教師」 につづられている[一人の青年の、自我へのめざめと貧しさのための苦しみ]、太宰治の 「人間失格」 に語られている[自己の真実をまもって純粋に生きようとする人間の悲しみ]、モーパッサンの 「女の一生」 にえがかれている[信じるものにつぎつぎに裏ぎられていく女の、はかなさ]、ヘッセの 「車輪の下」 に問われている[周囲の期待にゆがめられ、おしつぶされていく少年の悲劇]。これらは、地球上に人間があるかぎり永遠にのしかかってくる事実であり、「されば、人間どう生きるか」 が、深く深く問いつめられています。
もちろん、後世に残ることのない小説であっても、やはりその多くは 「人間の生き方」 をえがいています。しかし、一般の小説と名作とでは、作家の心からほとばしりでたものが、ちがうのです。いうなれば、その作品が芸術であるか、ないかということになるのでしょうが、わかりやすくいえば、どんなに大ベストセラーになった小説でも、それが、すこしでも読者にこびたものであったら、それは芸術ではありません。ほんとうの芸術ではない小説は、けっしてながく読みつがれることはなく、このことは、一時的に話題にはなっても、数年で消えてしまった小説のいかに多いかが物語っています。
要するに、文学全集に収められている作品は、だれもが読む価値があるのです。価値があるというより、真実を求めて生きる人間であれば 「読むべきだ」 といっても、いいすぎではないでしょう。たった1編の作品でも、その人の生き方、考え方をすっかり変えてしまうほどのものを、もっているのですから。

● 手もとにそろえて読み返す
しかし、文学全集の読み方に、ひとつの形があるわけではありません。多くの全集の作品収録は作家別になっていますから、自分の好きな作家のものから、ひろい読みを始めるのもいいでしょう。また、なにがなんでも1巻からくいついてみるのも、いきなり自分の好きな作家の個人全集を買い求めて、片はしから読んでみるのもいいでしょう。そして、心に強くひびく作品にであったら、その作品を、月日をおいて2度や3度は読み返してみることです。読み返すたびに、その作品のなかに新しいものを発見し、作品をとおして、偉大な作家と対話できるようにもなります。
名作を集めた文学全集こそは、それこそ、親から子、孫へと贈りつぐことができます。時代が経ても、その文学全集が放つ芳香は、けっして消えることはないのですから。

(日本読書クラブ推薦図書の項は省略)

「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第9章「文化地理」の項を紹介してみよう。

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● まだ身についていない国際感覚
地球上の国ぐにが交際すること、あるいは、その国ぐにの人びとが交際することを 「国際」といいます。そして、戦後の日本では、「国際社会の一員として」 「国際社会に生きる」 「国際的な視野で」 「国際交流を活溌にしながら」 「国際人として」 というようことばが、日常語のように使われるようになり、「これからの日本人は、国際感覚を身につけなければ」 「国際社会に生きなければ」 などと、いわれてきました。
しかし、たしかに日本という国は国際舞台で脚光をあびるようにはなったものの、また、海外へ出かける日本人は多くはなったものの、国民一人ひとりが、果してどれだけ国際感覚を身につけたかとなると、たいへん、あやしいものです。国際という言葉を口にする割には、そして、われもわれもと海外へでかける割には、ほんとうの国際感覚など身につけていないのではないでしょうか。日本は、地上で隣接する他国との国境をもたないこと、そして、四方を海に囲まれた孤立国であることが、まだまだ、日本人の国際意識をにぶらせているようです。
さて、では国際感覚をみがくには、どうすればよいでしょう。それには、世界の動きに関心をもつように心がけながら、国際問題を解明した本、海外旅行記、海外取材の本、世界史、民俗史、世界文化史などを手にすることが大切でしょうが、なかでも、もっともやさしく気軽に学べるのは、写真や絵を豊富に使って、世界各国の歴史と現実を紹介したシリーズものです。
いまのテレビ番組のなかで、たいへん役にたつものとして、多くの人によろこばれているもののひとつに、海外紹介、海外ドキュメントがあります。それは、映像をとおして、目で見て居ながらにして、世界のことがわかるからです。また、なまの映像におどろきながら、めずらしい映像を楽しみながら、実感的に世界を知ることができるからでしょうが、写真や絵を豊富に入れて世界を紹介した本 (シリーズ) は、視覚をとおして訴えてくるという点で、テレビ番組と同じ効果をもつものといってよいでしょう。

● 文化と地理を目で楽しみながら
「世界の文化地理」「世界文化シリーズ」「目で見る世界の国ぐに」「目で見るワールド図書館」「文化誌・世界の国」「写真で楽しむ世界の旅」など、世界を紹介したシリーズの多くは、このようなタイトルで出版され、いずれも、おどろくほどの写真と絵が駆使されていますが、共通している大きな特徴は、「文化地理」 「文化地誌」 ということばを使いながら、あるいは世界を知る 「図書館」 という大きなとらえかたで、文化や歴史や地理をひとつにとけあわせて、編集されているということです。
したがって、どれをとっても、たんなる地理のシリーズなどではなく、このことは、地誌とは 「その地域の自然・社会・文化などの地理的現象をとおして、その地域の特色を示したもの」、文化地理とは 「民俗・宗教・言語などを中心にして、その地域の特色を研究したもの」 という、言葉の定義でもよくわかります。つまり、どのシリーズも 「文化」 と 「民俗」 が中心であり、とくに、そこに生きた人びと、生きる人びとの姿が、こくめいに伝えられています。

● 日本を知るために世界を知る
もちろん、歴史や政治や経済や産業も語られています。そして、観光地ももれなく紹介されており、まさに、本で楽しむ世界の旅といっても、けっしてウソではないでしょう。美しい写真、現実を伝える写真、そして、写真のもつリアル性を保ちながら、写真よりも理解しやすく楽しくえがかれた絵、写真ではとらえることのできない歴史を伝える絵、図鑑の役割をも果すような知識的な絵などを見ながら、解説の文章を読んでいく、また、文章を読みながら写真や絵に目をやって、さらに理解を深めていく……これが、このシリーズのページをめくるときの醍醐味でしょう。10巻、20巻のシリーズの、どの巻のどのページをひらいても、楽しませてくれます。それは、ほとんどが未知の世界、はじめて知る、はじめて見る世界だからです。
日本は 「世界のなかの日本」 なのですから、日本をほんとうに知るには、世界を知らなければいけません。日本人のことを考えるなら、世界の人びとのことを考えなければいけません。口さきだけで、どこそこの難民はかわいそうだ、などというのではなく、心から理解しなければダメです。
もし、世界文化地理シリーズのひとそろいが家庭にあって、家族みんなで楽しむことができたら、世界を見る目、世界を考える心は、たとえ海外旅行などしなくても、しぜんに身につくのではないでしょうか。
とくに、この国際感覚は、子どものときからしぜんに植えつけることが、たいせつです。子どもを 「ワールド」 の中に置いてやることは、子どもの社会的な知識をひろげるだけではなく、大きく生きる夢をも、希望をも育ててくれるのではないでしょうか。

(日本読書クラブ推薦図書の項は省略)

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