児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

せかい伝記図書館

前回に引き続き、「せかい伝記図書館」の執筆の中心となっていただいた有吉忠行氏の講演記録の最終回を紹介する。

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以上申しあげたようなことで、いずみ書房が、いかにまじめな出版社であるか、おわかりいただけたと思います。この 「せかい伝記図書館」 の編集には、構想されてから5年、編集実務を開始してからおよそ3年もの歳月がかかっていますが、私は、この伝記のしごとをさせていただいて、いずみ書房にますますほれてしまいました。このような出版姿勢をつらぬけば、いずみ書房は、数年のうちに、他社をしのぐすばらしい出版社になることを信じています。みなさんも、そのように信じて下さい。そして、胸をはって、営業活動にまい進なさってください。たんに本を売っているというのではなく、日本の文化運動の先端を担っているのだという誇りを持たれるべきだと思います。日本の子どもたちに、あたたかい心と美しい夢を売っているのだと信じられたらいいと思います。

さいわい、いずみ書房のこれまでの4シリーズは、たいへんバランスがとれています。
第1期の「せかい童話図書館」は、子どもたちの美しい夢を育てます。
第2期の「こども科学図書館」は、子どもたちの発見の喜びを育てます。
第3期の「ワールド図書館」は、子どもたちの社会を広く見る目を育てます。
第4期の「せかい伝記図書館」は、子どもたちの主体的に生きる心を育てます。

美しい夢、発見のよるこび、社会を広く見る目、主体的に生きる心、どれもたいせつなものです。ところが、これらのことは、いまの日本人に欠けすぎていると思います。他人の悲しみがわかるやさしい心と、人にひきずられないで自分の道を強く生きぬく心、この両方を、これからの子どもに期待したいものです。この期待のためにも、編集と営業が一体となった、いずみ書房の発展を、心づよく見守りたいと思います。私も、教育界と出版界で生きてきた20数年の経験を生かして、いっしょうけんめい、協力させていただこうと思っております。

前回に引き続き、「せかい伝記図書館」の執筆の中心となっていただいた有吉忠行氏の講演記録の第5回目を紹介する。

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私は、およそ3年前から、いずみ書房の仕事をさせてもらっていますが、なににもまして、よい本を作ろうとする、たいへん真面目な姿勢に感心しています。私は、ほんとうですと、いろいろな出版社に自由に出入りさせてもらって、自由にいろいろなものを書いていきたいという願いをもっていたのですが、目下は、いずみ書房の仕事だけをやらせてもらっています。それは、いずみ書房の誠実さにほれたからです。いずみ書房なら、仕事のしがいがあると考えたからです。

たとえば 「せかい伝記図書館」 を例にとって、いずみ書房がいかに真剣に本づくりにとりくんでいるかを、少しお伝えしてみましょう。

「せかい伝記図書館」 の編集にあたり、まず、市販の子ども向きの伝記は、もれなく集められました。野口英世やナイチンゲールなどは、市販されているものが10数種近くありますが、すべて、そろえられました。そして、各執筆者は、これらの伝記を1冊残らず読み、子どもの伝記に記されている被伝者像を、頭の中にたたきこみました。しかし、これだけでは不十分です。子ども向きの伝記には、まちがいが少なくないからです。そこで、つぎには、大人向きの伝記や評伝も目を通しました。さらには、10数種類の百科事典や伝記大事典なども、手もとにそろえました。また、歴史書や歴史年表や教科書なども準備しました。

ひとり一人の伝記の原稿書きは、こうして始まりました。しかし、これで原稿が集まっても、すんなり本づくりに入ったわけではありません。編集部で目を通して満足いかなければ、なんどでも、執筆者へ返されました。文部省の教科書検定のように、ワクにはめて、それからはみだしたものを不満足としたというのではありません。「もっと真実を、もっとやさしく、もっと美しいことばで」 ということだけを願ったのです。

私はこれまで、いろいろな出版社を見てきましたが、これほど厳しい出版姿勢を目にしたことはありません。多くの出版社は、執筆者の立場を尊重して、よほどのことがないと、書き直しを要求するようなことはないです。ところが、いずみ書房は、子どものためによい本をつくるという信念で、あえて、執筆者へ書きなおしを要求されました。そして、書きなおされた原稿がまだ不十分な場合は、思いきって執筆者をかえるというようなことまで、くり返されました。でも、いずみ書房の、このようなきびしい態度に対して、立腹された執筆者は一人もいません。態度はきびしくても、いずみ書房の誠意が通じていたからだと思います。

さて、いよいよ原稿がそろうと、もういちど、編集部での点検です。その人の生きた軌跡や業績や、その時代の歴史に誤りはないか、子ども向きの伝記に多く使われている逸話には、まちがいはないか、こんなことをひとつひとつ調べるのが、また大変でした。たったひとつのことを調べるのに、いく日もかかったこともあります。「子どもの本だからという安易な気持ちは、ぜったいにいけない。子どもをばかにしないで、ほんものを作ろう」 という意志が、つらぬかれたのです。

原稿だけではなく、絵にも、十二分の配慮がはらわれました。このシリーズを作るのに30人前後の画家が動員されましたが、どなたも、単なるさし絵画家でなく、第1線で活躍の正統な画家です。しかも、被伝者の生きかたにあわせて、画家が変えられています。この 「せかい伝記図書館」 が出版されたあと、これを見たほとんどの人が、絵のみごとさにびっくりされました。ほかの出版社の人たちもおどろいていました。子どもの伝記書の絵に、これほど力を入れたものは、これまで他に例がなかったからです。

前回に引き続き、「せかい伝記図書館」の執筆の中心となっていただいた有吉忠行氏の講演記録の第4回目を紹介する。

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子どもの出版界のことについて、すこし申しあげてみます。おそらく、いずみ書房の小型の本を持って各家庭をまわられると、多くのお母さんが、小さい本ですねという意味をふくめて 「かわいい本ね」 と、いわれると思います。そして、この 「かわいい本ね」 という言葉の裏側に、「小さいのに値段は高いわね」 という無言の言葉を感じとられるのではないかと思います。しかしこれは、お母さん方が子どもの小型の本になれていないし、本の定価の根拠もご存じないからです。
 
戦後、日本には「学校図書館法」という法律ができて、すべての小・中・高等学校には学校図書館を置かなければならないようになりました。現在、全国で3万校以上の小・中・高に学校図書館があります。子ども向きの本が大型化した理由の一つは、ここにあります。今でも多くがそうですが、学校図書館では、小型の本をそろえるのを好みません。図書館の本は「たいせつな資料だ」という考えがあるうえに、本が長もちすることや、書架に並べたときのことなどを考えるからです。小学校の図書館は、とくにそうです。だから子どもの本の出版社は、しだいに大型の本を作るようになったのです。大型にして定価を高くすれば、学校図書館の10~20%が買ってくれるだけで採算はとれるという考えも、出版社にめばえたのではないでしょうか。
 
それからもうひとつ、本の大型化の理由には、書店販売上のこともからんでいます。出版社にすれば、大型の本でないと書店で並べられても目立たないし、書店にすれば、大型の定価の高い本でないと利益があがりません。つまり、子どもの本の大型化には、内容的によいものにしようという必然性よりも、売るための商魂が大きく介在してきたのです。逆説的にいえは、多くの出版社は、商売にならないから小型の本を作ろうとしなかった、と皮肉ってもよいのかもしれません。このような状況のなかで、いずみ書房があえて小型本の出版にとりくまれたのは、まさに英断ですし、それも、取次店や書店をとおさないで、また学校図書館などに頼らないで、直接、各家庭へ普及させていくという積極的な姿勢があったからこそ、実現したのだと思います。

次に定価は、本の大きさによってきまるのではありません。大型、小型によって製作費に差がでるのは、ほとんど紙代だけです。原稿料や、画料や印刷代や製本代などは、大型だろうと小型だろうとかわりません。文字だけの大型の本よりも、絵を入れた小型の本の方が、高くかかるのです。とくに、いずみ書房の各シリーズのように、シリーズごとに1000枚前後の絵を入れて、しかもカラー印刷すれば、おどろくほどの製作費がかかります。

要するに、本の値段が高いか安いかを決めるのは、形ではなく、その本を作るのに出版社がどれだけ真剣にとりくんだかという「質」なのです。

1981年に出版された子どもの本の平均定価は、百科事典などの高価なものをのぞいても850円です。ところが、いすみ書房の本は、どのシリーズをとっても、1冊600~650円にしかなりません。しかも、「せかい伝記図書館」 などは、他社のどんな伝記全集とくらべても、比較にならないほど多くの絵を挿入して作られています。本の装丁もりっぱです。


前回に引き続き、「せかい伝記図書館」の執筆の中心となっていただいた有吉忠行氏の講演記録の第3回目を紹介する。





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日本のシートンとしてたたえられている動物文学の作家椋鳩十さんは、「せかい伝記図書館」 に対し、直筆で次のような賛辞を寄せてくれています。




椋推薦文
椋鳩十さんの書かれた「片耳の大シカ」「大造じいさんとガン」「月の輪ぐま」など多くの作品は、小学校の国語教科書に採用されています。椋さんはかつて 「母と子の二十分間読書運動」 というものを提唱されたことでも有名です。この運動は、子どもがテレビばかりを見ていてはいけない、なんとかして本を読むようにしむけなければいけないと考えられたからです。また、テレビを見ることによって親と子の対話がなくなっていることもなげかれ、1日に20分でもよいから、本を仲立ちにして親子の心が通いあうことを願われたのです。



その後、この親子読書運動は全国に火がつき、いまも各地でつづいています。しかし、この親子読書は、一時期にくらべると、たいへん下火になっています。それは、読書運動というものが、たいへん根気を必要とするものだからです。



人間が生きていくうえには、食べなくてはいけません。衣類も身につけなければいけません。ところが、本はたとえ1冊も読まなくても、現実的には何も困りません。めしを食わなければ死にますが、本を読まなくても死にはしません。だから、とくにこのごろのように家計が苦しくなれば、いちばん先にけずられるのは本代です。ほんとうは、いくらおいしいものを食べても、いくらぜいたくな衣類を身につけていても、心の泉がかれてしまっては植物人間にも等しくなってしまうのですが、それが、なかなか理解してもらえません。だから、読書運動がつづかないのです。



前回に引き続き、「せかい伝記図書館」の執筆の中心となっていただいた有吉忠行氏の講演記録・第2回目を紹介する。

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たとえば、テレビと比較してみるだけでも、考える読書がいかに大切かよくわかります。もちろん、テレビがすべて悪いというのではありません。テレビにはテレビの価値があります。しかし、人間の思考という立場から考えると、問題が少なくありません。

第1に、テレビは、まず映像がとびこんできます。それに音もとびこんできます。つまり、人間は、本来、自分の頭で自分の心にイメージをつくりあげることが大切なのに、テレビは、その必要をなくしてしまっています。

次に、テレビの映像は、瞬間的に消え去っていきます。したがって、つぎつぎに流れる映像を見ている限り、ひとところに立ちどまって考えることを許しません。さらに問題として大きなことは、テレビの映像は一方的に送られてくるということです。チャンネルをまわして番組を選べばよいではないかといわれても、根本的には、テレビを見るということは、つねに受身です。主体的な行為ではありません。これでは、人間にとってもっとも大切な主体性が失われていくのは、あまりにも当然です。

テレビが普及しはじめてしばらくしてから、テレビによる日本人の総白痴化が予言されたことがあります。テレビに毒されて、いまに日本人がみんなバカになってしまうことを恐れたのです。でも私は、この予言は決してまちがってはいなかったと思います。まちがっていないどころか、いままさに、その極点にきつつあると思います。

このテレビにくらべると、本を読むということは、主体的な行為です。文字の奥にあるものを読みとって、自分でイメージをつくりださなければなりません。それに、感動的な場面にであったら、いつまででも立ちどまって考えることができるし、さらに何度でも読み返すことができます。そのうえ、本をとおして、過去のいかなる偉人とも語りあうことができます。「せかい伝記図書館」 におさめられているソクラテスや孔子などとも話ができるのは、本の世界だけです。だから読書が大切なんです。

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