児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

子どもワールド図書館

前回(3/13号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第4巻「スペイン・ポルトガル」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「スペイン・ポルトガル」 について

[スペイン] 中世の姿をそのままのこす華麗な古城、情熱的なフラメンコの旋律、壮烈きわまる闘牛風景など、スペインの横顔は実に多彩で魅力的です。
面積約50万平方km。イベリア半島の8割を占める広大な土地ですから、その風土や気候も一様ではありません。台地メセタには砂ばくにもひとしい雨量ゼロの炎熱地帯もあれば、地中海沿岸などの平地には常春のリゾート地帯がひらけているところもあります。国民の大半が農業に従事するいわゆる農業国ですが、農民個々の耕作は小規模で、その生活レベルは欧州諸国のなかでも低い水準にあります。鉱・工業もあまりふるわず、スペインの産業経済は全般的に近代化の遅れが目立ちます。
一時代は、ヨーロッパ最強の海洋王国として栄え、中南米やアフリカに自国の数十倍もの領土を掌握したスペインでした。しかしその栄光も、不合理な植民地政策に反発をかうなど不評のうちにしだいに色あせてゆき、20世紀までには大部分の植民地を失ってしまいました。その間、合理的な国策をとった他のヨーロッパ勢に追いぬかれ、スペイン自体は政情混乱に陥ってゆくのです。特に1930年代は目まぐるしく政権が変わり、内紛がくりかえされました。1939年、やがてフランコ将軍の統轄下におさまり、その独裁政治が36年間続きます。フランコ没後は、アリアス政権を経てスアレス政権へと移りました。新生民主主義をうたうスアレス政権は1977年の総選挙で二院制国会を成立させ、次いで新憲法を制定しました。内戦をさけ対外的にも中立政策をとり、平和主義をつらぬこうとするのが現代スペインの姿です。
スペインは、古代からいろいろな人種の侵略を受け、支配されるなかで文化を吸収し、やがてはカトリック教徒の勢力を糾合して本土を奪回する、という歴史的背景によって独特の民族性を形成してきました。その根強いカトリック精神とバイタリティのある体質には、スペイン再発展の大きな可能性が秘められていることでしょう。

[ポルトガル] バスコ・ダ・ガマらポルトガルの航海者たちが、スペインと植民地探検に覇を競ったのは15世紀から16世紀にかけてでした。日本史にも 「鉄砲伝来」 とか「キリスト教伝来」 などと、その西洋文明に初めて接触したいきさつが記されており、一時期ながらわが国とも深い友好関係にあったことを物語っています。当時伝えられたポルトガル語の品名などは、現在でも私たちの生活になじんでおりますし、ポルトガルを訪れても同じことばを耳にすることができます。
さて、かつての植民地帝国ポルトガルも、約500年の間にはスペイン同様の運命をたどりました。アフリカのアンゴラとモザンビークが革命政権下に相次いで独立し、ポルトガル最後の大植民地が離れていったのは、1975年でした。
面積は北海道よりやや大きく、およそ9万平方km。海洋国だけに大西洋岸の岬から岬を結ぶ航路は発達していますが、反対に鉄道の延長は遅れ、自動車も輸入に頼る状態で、いまだに牛やロバが輸送の役割を担っています。主力の農業も技術の遅れからいまひとつ生産性があがりません。ただ、ブドウ酒やコルクの単一産業が世界に名高いことは本文でも述べましたが、人気のある観光地もまた、隣国スペインと同じく外貨を稼ぐドル箱資源です。

同じイベリア半島に隣り合うポルトガルとスペインですが、その国民性や風俗には、やはりそれぞれ個性的な相違がみられます。たとえば、フラメンコの激情的なリズムに対してポルトガル民謡のファドは哀感調です。ポルトガルにも闘牛はありますが、スペインのようにとどめを刺しません。そんなところに、スペイン人の激しさとポルトガル人の穏和な側面がうかがえるのです。

補足事項
EC(ヨーロッパ共同体)には、スペイン、ポルトガルともに1986年に参加、1993年EU(ヨーロッパ連合)になってからも、積極的に推進するメンバーとなっています。通貨も、2002年に、ユーロに完全に切り替わりました。

前回(3/8号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻)第3巻「イタリア」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「イタリア」 について

大統領を元首とするイタリア共和国は、明るい陽気な国だといわれています。しかし、つぶさに見ると、複雑な問題を数多くかかえている国です。
まず第一には、1861年にイタリア国家が誕生して1世紀以上を経ているにもかかわらず、近代国家としては、やや立ちおくれてきたことが指摘されます。
そのもっとも大きな原因は、鉄、石炭、石油などの資源の不足です。資源の不足が工業の発達を阻害し、国の近代化への歩みをおくらせたのです。
ローマ帝国の栄光は、歴史のなかで、そして現在も、さん然と輝いています。ルネッサンスの火をつけた芸術も、世界に冠たるものをもっています。そして、この古代と中世の偉大な遺産が、芸術と観光の国イタリアを生みました。しかし、その陰には、国際連合をはじめ多くの国際機構に参加している近代国家としての、深刻な悩みがかくされています。
つぎに、太陽と歌とマカロニの国などと、はなやかさがうたい文句にされながら、貧しい人々が少なくないことも、大きな問題です。
第 2次世界大戦後、北部は、国の政策によって工業が発達しました。しかし、南部は立ちおくれたままです。南部は、農業が主産業でありながら、土地はやせています。したがって、南部の人々は、観光にすがるよりしかたがないという、一面をもっています。
政府は、南イタリア開発資金を設立するなどして、南部の発展に力を入れてきました。しかし、南部では、いまだに荷物を運ぶロバと、はだしの子どもの姿を見ることは、決してめずらしいことではなく、人々の生活の貧しさは解消されていません。豊かさと貧しさで、北部の人々と南部の人々は感情的に対立しており、この南北格差の問題は、イタリア国民をひとつにまとめていくうえにも、早急な解決が迫られています。
イタリアは、ローマ・カトリック教を国教とし、国民の97%がカトリック信者です。イタリア人は、洗礼も、結婚式も、葬儀も、すべて教会にゆだねます。カトリック教は、イタリア人の心と生活のなかに完全にとけこんでいるのです。まさにイタリアはカトリックの国です。
ローマ市の一部に、ローマ・カトリック教の総本山として、独立小国家のバチカン市国が存在し、イタリアの人々が、その存在を誇りとしていることでも、それがわかります。イタリアは、太陽の国や芸術の国である以前に、まずなによりもカトリックの国だということを、はっきり認識しておくことがたいせつなようです。
しかし、世界のカトリックの中心地であるという自負と、神を信じて貧しくてもという信仰心が、国の近代化をおくらせたひとつの要因になったともいわれています。
*[イタリアの政権をにぎっているのはキリスト教民主党、そして第2党としての勢力をもっているのは共産党です。ところが、この共産党の組織は、西ヨーロッパ諸国のなかでもっとも大きいといわれながら、国内では、はげしい労働闘争はほとんど行なわれていません。共産主義者ももちろんカトリック信者であり、その信仰心が、比較的静かな共産党にしてしまっているのです。これも、イタリア国家とイタリア人を考えるとき、カトリックをぬきにしてあり得ないことの、ひとつのあらわれでしょう。]
なお、イタリア領土内には、バチカン市国のほかに、もうひとつ、独立小国のサンマリノ共和国があります。4世紀に誕生した小都市の国家です。中世の約1000年の間、この長ぐつ半島に都市国家が乱立していたことを知ることも、イタリアの歴史を語るには必要なことのようです。

補足事項
*[1991年に共産党は消滅して左翼民主党に、キリスト教民主党は1994年に分裂し、多くはマリゲリータ党に参加。現在は、両党が2大政党になっています。]
EC(ヨーロッパ共同体)の創立メンバーの1国であるイタリアは、1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも、中心メンバーとなっています。通貨も、2002年にリラからユーロに完全に切り替わりました。

昨日に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻)第2巻「ドイツ」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項(2/15号と重複)を記します。


「ドイツ」 について

緑ふかい森や湖、ブドウ畑や古城をめぐって流れる川、牧歌的な田園、中世の面影をのこす都市。
この美しい国、ドイツを訪れる人々が、最も驚かされるのはドイツの多様性です。ドイツは、ヨーロッパのまんなかの位置にあり、いろいろな国と隣り合っているため、昔から西方のロマン族、アングロサクソン族と、東方のスラブ族との交通がしきりに行なわれていました。したがって、海洋的なものと大陸的なものの影響や、こみいった山地と広い平野、気候、人種、気質など、いろいろな要素がまじり合って、この国の文化と経済を実らせてきました。しかし、かえって、こういう位置が、まわりの国々との関係を複雑にして、不幸な戦争をくり返す結果になったのかもしれません。
この国に住むドイツ人は、だいたいゲルマン人とよばれる人たちで、考え方や行動は合理的で正確、生活面でも清潔ずきで、まじめによく働きます。また、団結心が強く、規則や秩序を愛する傾向が強いようです。
ドイツの地形は、北部の低地と、中部の山地、南部の高原とに大きく分けられます。北部の低地は北ドイツ平野とよばれて、ドイツ全土のおよそ半分をしめています。ここは昔、大氷河におおわれていた地帯で、地質もやせ、砂地が多いところですが、今では科学技術の力を活用して、混合農業が行なわれているところです。ベルリン、ハンブルクなど、近代産業とともに発達した都市もあります。中部の山岳地帯は、森林におおわれた高原や丘陵が、渓谷や盆地をかこみ、南部地帯には、バイエルン高原やアルペンの世界があります。中部や南部の町は歴史が古く、ドレスデン、ライプチヒ、ケルン、ミュンヘンなどの大都市をはじめ、周辺の町にも、美しい風景や歴史のあとがみられます。北部と南部の人々の気性もかなり違っていて、几帳面な北ドイツの人にくらべて、南ドイツの人は、陽気でさっぱりしています。
このように、南部が高くて北部が低い地形のため、多くの川が南から北へ流れ、海にそそいでいます。ドイツは海岸線が少ないかわりに、昔からの交通路である河川が、動脈のように流れていて、人々の生活に密接なつながりをもってきました。とくに、ドイツ民族の川ともよばれるライン川は、国際的に重要な交通路であり、その下流のルール工業地帯は、ドイツ産業の中心となっています。また、このライン地方は、気候も暖かく、ドイツで最も明るいところです。
ドイツの歴史ほど、地方分権の分立状態が長く続いた国もないでしょう。19世紀後半にドイツが統一されるまで、それぞれの君主や自治組織のもとで、城や教会をきずき、独自の文化を実らせてきました。ドイツが多様性にとみ、歴史的遺産が豊かであることもうなずけます。ドイツの気候は、日本にくらべて、夏は涼しく、冬はかなり寒く、暗くどんよりした日が長く続きます。このような自然が、ドイツ人をきたえて強い民族とし、重厚な文学や深遠な哲学、それにすばらしい音楽や、すぐれた科学などを生んだともいえるでしょう。
第1次、第2次世界大戦という苦難を体験したドイツ人は、戦後いちはやく立ち直って、今はめざましい復興ぶりをみせています。またたく間に世界一流の工業国にのし上がる一方、東ドイツも東ヨーロッパ第一の経済力をほこる国に発展しました。
しかし、現在もなおドイツは、東と西に分けられて、冷たいにらみ合いを続けています。いったい、いつになったらドイツが平和な国として統一されるのでしょうか。世界平和にもつながる東西統一を、いちばん強く願っているのは、もちろんドイツ国民自身に違いありません。

補足事項
ドイツは、第2次世界大戦敗戦の後、戦勝国によって東西ドイツに分割統治され、国家分断の道を歩んできましたが、1990年10月3日統一を回復しました。アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の戦勝4か国は、ドイツに対してもっていたさまざまな権利を10月3日以降放棄して、統一ドイツは完全な主権をもった国家として国際社会に復帰したのです。
ドイツの統一(ドイツ連邦共和国)は、一連のソ連・東欧改革の結果として実現したものです。1985年に登場したソ連のゴルバチョフ政権のペレストロイカがもたらした最大の成果といわれています。発端は、ゴルバチョフ体制が西側への対決姿勢をあらためたことでした。これに西側世界が呼応し、軍縮などの共同作業をつうじて、東西間の信頼関係がしだいに作られたのです。一方で、自由化をソ連にこばまれてきた東欧市民が、ソ連の変化をとらえていっせいに自立と民主化へ動きだしました。そして、1989年11月、「ベルリンの壁」 が崩壊すると、ドイツ統一の機運が急激に高まり、通貨の統合、ソ連の統一ドイツNATO帰属承認とつづきました。こうして、だれも予想できなかった速さでドイツの統一が実現したのです。統一ドイツの首都はベルリンに決定しました。
ドイツの統一によって、第2次世界大戦後からつづいた欧州の戦後秩序 (欧州の分断)が終わり、欧州は対決から統合へ、新しい時代をむかえました。人口・GDPともに欧州ではとびぬけてトップとなった新生ドイツに、EU加盟諸国ばかりでなく、自由主義経済への転換をはかる東欧諸国からも大きな期待がよせられています。しかし、一方で、2つの世界大戦をひきおこしたドイツの過去の歴史にまゆをひそめる人たちがたくさんいることも事実です。統一があまりにも急であったために、ドイツ経済の混乱はいまだにつづいています。大量失業などの難題をかかえながら、ドイツが今後どのような歩みをみせるか、世界中が注目しています。
通貨は、2002年にドイツマルクからユーロに完全に替わりました。

子どもワールド図書館の巻末解説に感銘

さきごろ、いずみ通販子どもカタログ(2007年春号)でベスト3に躍進した「子どもワールド図書館」の、内容はもとより巻末の解説に深く感銘したという、うれしいお便りを兵庫県のIさんからいただきました。

「これからの時代は、世界の国々と仲良くしていかなくてはならない時代だと思い、小学校の1年の息子のために、子ども向けに世界の国をわかりやすく紹介している本を求めて、書店を何軒かまわって探してみました。昔とちがって、きれいで見やすい世界地図の本がたくさんあります。それから、世界中の国ぐにへの旅行ガイドブックはとても充実していると思いました。ところが、子どもに、それぞれの国はどんな国民性でどんな歴史をたどってきたのか、どんな人物がその国に生まれたのか、すぐれているところはどんなところなのかといった点などを紹介している本はどこにも見当たりませんでした。大人向けの本を買って、子どもにかみくだいて説明する他には方法がないかなと思っていた時に、いずみ書房の最新カタログが送られてきました。すぐに、『ワールド図書館』というのがあること、最新の補遺版が添えられているというのを読んでこれだと思いすぐ注文しました。想像していた以上のすばらしいシリーズだということに気がつきました。毎晩のように、子どもといっしょに世界旅行を楽しんでいます。イラストがふんだんにあること、簡潔な文に好感が持てるだけでなく、私には巻末の解説がとてもすばらしく印象的でした」

このシリーズは、いずれ、いずみ書房のホームページ・オンラインブックにアップする予定ですが、だいぶ先になりそうです。そこで、しばらく「ワールド図書館」の各巻の巻末解説を紹介してみることにしましょう。

「フランス」 について

フランスは、ヨーロッパの西にある共和国です。
ひろさは、約55万km2で日本の1.5倍ほどですが、人口は日本の約半分くらいです。総面積の64%が平野か小高い丘で、土地はたいへん肥えています。気候も日本の東北・北海道より北に位置しているわりには、遠く沖合に流れるメキシコ湾流(暖流)の影響を受けて、全般的に冬もあたたかです。とくに地中海沿岸は1年中温暖で、避寒に適しているため冬でも観光客でにぎわいます。
フランスは、カトリックの国(全国民の80%)です。全国のいたるところに古い教会がみられ、行事もカトリック系のおまつりが多く、休祭日も宗教的なものがたくさんあります。学校でも、カトリック精神のもとにきびしい宗教教育がされていて、そのためフランス人は、冒険や無秩序をきらう、中道を行く傾向が強いようです。しかも、フランス人はひとりひとりの自由を尊び、人間の尊さを守って明るいすぐれた文化をつくりあげてきました。たくさんの芸術家や科学者を生み、まさにフランスは、文化的には世界一級の先進国だといえます。
フランスは豊かな国でした。19世紀の時代に海外に手をのばし、侵略、投資を行って、実に本国の20倍近くもの広さをもつ植民地をつくりあげたのです。植民地との思うがままの貿易によって利益を得、フランスはたいへん栄えました。ところが20世紀に入るとヨーロッパの大国は、外国に領土を持とうとするいわゆる帝国主義の国家になり、植民地のとりあいをめぐって2度も世界大戦をおこしました。
第1次世界大戦では、国土が戦火にさらされ、生産はおとろえ、たくさんの人々を戦場で失いました。戦争には勝っても、その損害のつぐないを相手のドイツからとれませんでした。この時のドイツは、国民が飢えの危険にさらされるという状態だったからです。おまけに、こうした戦争の痛手がまだすっかりなおりきらないうちに第 2次世界大戦がはじまりました。たちまちフランスはドイツ軍にふみにじられ、国の大半を占領されてしまったのです。でも、自由を求めて力をあわせる人々はゲリラ部隊をつくってドイツ軍を悩ませました。そしてアメリカ、イギリスの連合軍がドイツ軍をやぶって平和がきました。ところが長い戦争の後に残ったものは、荒れはてた国土とものすごいインフレでした。おまけに、これまでフランスをささえてきた植民地では、独立運動がはげしくなったのです。
レバノン、シリアの独立につづいて、ベトナム、ラオス、カンボジアが相ついで独立しました。1962年には、これまで本国の一部と考えてきたアルジェリアも独立し、ほしいものは植民地から安く持ってきて、本国でつくったものを植民地に高く売りつけるという勝手なことはできなくなったのです。
自分の力で自分をささえきれなくなってしまったフランスは、戦後、大きな力をもつようになったアメリカの援助を得て国の建てなおしをはじめたため、軍備その他の面でアメリカの言い分を聞かねばなりませんでした。しかし一方、国を建てなおすためにはひとりひとりの自由を大事にしながら、みんなが力をあわせ、ひとつになって進むことが大事だと考えるようになって、数回にわたる3~5か年計画のもとに成果をあげています。さらに、ヨーロッパ各国と共同してEEC、ECといった経済協力にも積極的に力を発揮しています。
国の自由、人民の自由、個人の自由……フランス人は、自由を愛する国民です。そしてこれからも、自由を維持するために歩みつづけることでしょう。

補足事項
EC(ヨーロッパ共同体)の創立メンバーの1国であったフランスは、1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも、中心メンバーとして指導的役割をになっています。通貨も、2002年に、フランス・フランからユーロに完全に切り替わりました。

アメリカやヨーロッパの新聞や雑誌には、日本に関する記述が10年前とは比較にならない程増えつづけています。しかし、その多くは日本経済の驚異的発展とか悲惨な公害とかに重点がおかれていて、日本の全体像を正しく伝えるものが少ないのが実情です。そのため「安い賃金でモーレツに働き、公害防止に金を惜しみ、社会福祉もいきとどいていない。おまけに国の防衛はアメリカにおんぶにダッコで軍事費に金を使わないから、安い値段で輸出できるのだ」 という考えが広く行きわたったりするのでしょう。

国際理解ということは、ほんとうにむずかしいことです。良し悪しの問題でなく、日本人は日本という小さな島に日本民族という単一民族が住み、他の民族と混住したことがないために、他民族、他人種とのコミュニケーションが不得手だといわれています。おまけに外国語が不得手で、自己主張が控え目です。こんなところにも誤解されやすい日本の側面があるのでしょう。さらにいうなら、日本語はまだまだ世界でも特殊な言語です。日本を理解してもらうためには、英語やフランス語圏の人たちより、もっともっと多くの努力をしなくてはならない大きな重荷を負わされている、といっても過言ではありません。

資源のない日本は、外国とのおつきあいなしには一日として生きていけません。なのに、日本と世界との間のコミュニケーションギャップは相当深いといってよいでしょう。「子どもワールド図書館」を一人でも多くのお客様に紹介してゆく仕事は、いいかえるならそのギャップを埋める作業であり、日本と国際社会との相互理解の橋渡しであり、大きくいうなら世界平和を実現させるための第一歩なのだと思います。

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1980年の刊行当時、以上のような文を書いて、営業マンにハッパをかけて拡売につとめ、1984年までに4刷まで版を重ねた。ところが以降は売れ行きが減速してしまった。その理由は、世の中の変化があまりにも早く、さまざまな箇所の改訂を余儀なくされたからだ。文章を変えるだけならさほど手間はかからないが、多少でもイラストを書き直すとなると、新刊並みの制作費が発生することになる。

日本の児童出版社がこの種の文化地理的な出版物を刊行したがらないのは、ロングセラーになりうる可能性がなく、リスクがあまりに大きいからだろう。その結果、子ども向けに世界の国々を紹介したものはほとんどなく、書店の店頭をにぎわすのは大人向けの観光ガイド、しかも多くの人に人気のある国や都市や地域にしぼりこんだものだけになってしまうのだ。何とも残念なことである。

なお、9月22日のブログに「子どもワールド図書館」をいずみ書房のホームページから削除したとお知らせしましたが、このたび特価15,000円(定価35,000円)として復活させました。

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