児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

子どもワールド図書館

前回(3/29号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第9巻「ギリシア」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。
「ギリシア」 について
ヨーロッパの南東部、バルカン半島の南端にあるギリシアは、日本の北海道と九州をあわせたほどの広さで、山地や丘陵が80%を占める山国です。そして、「多島海」 と呼ばれるエーゲ海には、山脈が沈んでその山頂があらわれてできた無数の小さな島々うかんでいます。
そんな地理的な条件から、陸上交通はあまり発達しませんでしたが、本土の複雑なリアス式海岸により良港にめぐまれ、エーゲ海の島々とを結ぶ海上交通は古くから大いに発達しています。
二千数百年もむかし、ギリシアにはアテネを中心に輝かしい文化がおこりました。その頃のギリシアは、ポリスという小さな都市国家の寄り集まりでしたが、地中海沿岸に植民地をつくりながら発展させ、古代文明の花を咲かせました。そのもとになったのは、古くから文化の開けていたエジプトやメソポタミア (今のシリア、イラクの付近) 文明でした。古代ギリシアはそれを受けついで、より高く、後のヨーロッパ文明の基礎ともいうべきすばらしい文化を打ち立てたのです。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスらの大哲学者の出現をはじめとして、おおらかで明快な美しさをもつ建築や彫刻群、さらに文学、天文学、航海術、スポーツなど、あらゆる人類の文化が、古代ギリシアの花園にいっせいに咲き誇ったのです。古代ギリシアの都市国家の間に戦争がおきないよう、オリンピアの神々の前で4年に1度スポーツのわざを競いあった古代オリンピックが、近代オリンピックのもとになったことは、よく知られています。ギリシアは、紀元前492~前480年に力の強いペルシア軍に 3度も大遠征を受けました。でもギリシア軍は数は少なかったにもかかわらず、よく団結して、マラトンの戦いや、サラミスの海戦といわれる戦いに勝利しました。
優れた文化を持つばかりでなく、勇敢な民族でもあったギリシアでしたが、紀元前2世紀にはローマに滅ぼされ、その後も長く他民族の支配を受けました。15世紀末からはトルコに支配されるようになりました。しかし、さまざまな弾圧を受けながらも、ギリシア人たちは、信仰のほか商業と教育の自由を享受し、ギリシア国民としての誇りを保ちつづけていました。これが独立闘争の招来につながるわけです。そして1821年、イギリスの詩人バイロンが参加したことでも有名なギリシア独立戦争がおこり、イギリス、フランス、ロシアの力を得てトルコを敗り、1829年に独立しました。
その後、3国の保護のもとに王制になり、第1次世界大戦後は共和制になりました。その後もトルコとはいく度も戦いをくりかえし、また、ほかの大国の間にもはさまれて国情はなかなか安定しませんでした。そして、第2次大戦後はイギリスの支援を得て王制になりましたが、1973年には再び共和制になって現在に至っています。
ギリシアには、かんがいに適した大河もなく、典型的な地中海性気候のため、夏になると雨が降らず、乾燥してしまうので、土地はやせています。けれども暖かい気候を利用して、タバコ、オリーブなどの栽培や、ヒツジ、ヤギなどの牧畜を中心に、住民の半数以上が農業を営んでいます。耕地もせまいので農民のくらしは決して楽ではありません。
また、鉄や大理石などの鉱物資源は多いわりに重工業の開発があまり進んでいません。国の経済としては輸入が輸出の2倍以上となっているので、赤字を補うのは海運の収入と、膨大な歴史を背景とした観光収入ということになります。
しかし、近年は各国の援助により改革の気運が高まっているので、あの古代の輝かしい伝統を呼びさます日が再びやってくることも夢ではないかもしれません。
補足事項
ギリシアは1981年EC(ヨーロッパ共同体)の10番目の加盟国になりました。1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも指導的役割をにない、通貨も、2002年にユーロに完全に切り替わりました。2004年には2回目のアテネオリンピックが開催されました。

前日(3/28号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第8巻「北ヨーロッパ」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「北ヨーロッパ」 について

[スウェーデン] スウェーデンはスカンジナビア半島の南東部を占める立憲君主国です。16世紀にデンマークから独立して以来、いくたびかヨーロッパ諸国との戦乱にまきこまれてきました。しかし、1809年、ナポレオン戦争で敗れたのを契機に、新憲法を採用して市民国家的な体制へすすみ、以後、中立、非同盟の平和政策を堅持してきました。人々は、第2次世界大戦中の中立維持を民族の誇りとしています。
スウェーデンは、世界でも最もすすんだ工業国のひとつですが、工業を本格的に発展させたのは、19世紀の後半に入ってからです。急速な経済成長をとげることができたのは、良質の鉄鉱石や木材、水力などの資源と、高い教育水準に依拠しているといわれます。
教育とともに、生活水準もきわめて高い国です。世界の範たる社会保障制度は、名実ともに完備し、国民の暮らしをゆとりあるものにしています。人々はきびしい自然条件のなかで、住み良い社会を建設し、自由な気風を育てあげてきましたが、最近は、福祉がゆきわたったがための新しい悩みが、クローズアップされてきています。

[ノルウェー] スカンジナビア半島の北西部を占めるのがノルウェーで、*{ソ連}、フィンランド、スウェーデンと国境を接し、ノルウェー海、北海にのぞんでいます。西岸に発達するフィヨルドが、山地の奥深くまでくいこんでいるため、ノルウェーの海岸線は2万7000kmもの長さに達しています。フィヨルド内は波が静かなので、天然の良港をなし、ノルウェーの海洋文化の発達に大きく寄与してきました。ノルウェー人の海との結びつきは、独特の龍頭船を操って北大西洋上に雄飛し、歴史的に大きな役割を果たしたバイキングの時代にさかのぼります。現在も、海運業や造船工業など、この国の経済をささえているものは海とつながっています。古くから産業の中心をなしていた漁業は、トロール船団を主体とする遠洋漁業への転換が図られ、個人経営の小規模な沿岸漁業から大きく発展しました。
*{1991年のソ連解体により、ロシア共和国}
豪胆で冒険心に富む精神土壌をもつノルウェーは、南極点に到達したアムンゼンや、グリーンランド横断をなしとげたナンセンなど、世界的な極地探険家を生みました。バイキングの血を引くノルウェー人は、生活力がおう盛で、合理的かつ高度の政治感覚を身につけた国民です。西欧陣営に属する政治形態のなかで、高水準の生活、文化を享受しています。

[フィンランド] フィンランド人は、2世紀前後に、南方から現在の地に移住してきたといわれますが、以来、スウェーデンやロシアなどの脅威にさらされ、苦難の歴史をたどってきました。
ロシアの統治下にあったころ、東部のカレリア地方に伝わる口承詩『カレワラ』が、学者のレンロートによって採集、構成されました。1849年に50章の大叙事詩として発表されるや、とびついてむさぼり読んだ国民は、著しく民族意識を鼓舞され、独立への気概を高めていきます。そして1917年、ロシア革命に乗じて独立を宣言し、共和国になったのです。その後も、国際関係の緊張により、たびたび他国からの侵略を受けましたが、国民は強い結束のもとに、いばらの道をきり開いてきました。
フィンランドは、国土の71%が森林に覆われ、およそ6万個の湖沼が散在する森と湖の国です。経済の基盤は資源豊かな林業ですが、第2次世界大戦後は、金属、造船を中心とする重工業化が推進されました。工業面では後発国であるため、生産品目やデザイン面に特色をもたせ、国際競争力の確保につとめています。

補足事項
EU(ヨーロッパ連合)には、フィンランドが1994年に加盟し、通貨もユーロを導入。スウェーデンは1995年に加盟しましたが、通貨はスウェーデン・クローナのままです。
ノルウェーは、国民投票で否決されたためEUには未加入です。

前日(3/27号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第7巻「オランダ・ベルギー・デンマーク」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「オランダ・ベルギー・デンマーク」 について

[オランダ] オランダは海面より低い土地が国土の1/4、5m以下の低地が3/5も占めています。堤防を間にはさんで水面のほうが地面より高いという光景が、随所に見られます。オランダ人は、堤防を築き、運河を通し、排水をして海面下の土地を海から守り、干拓して耕地と化しました。干拓地をポルダーといいますが、15世紀から今日までに造成したポルダーは、全国土の1/3に及び、現在も、アイセル湖の大干拓工事をすすめています。
ところで、オランダというのは国名ではなく、中心部の州名にすぎません。公式にはネーデルラント王国といい、低い国という意味です。日本でオランダと呼ばれるのは、1543年に種子島へ鉄砲を持ちこんだポルトガル人の紹介によるものといわれています。
日本とオランダの結びつきは、1600年、オランダ船が豊後に漂着したときからです。乗り組んでいたウイリアム・アダムス (三浦按針) が徳川家康に謁見したのが端緒となって、1609年、オランダ東インド会社の支店が長崎の平戸 (後、出島に移転) に設立されました。
オランダが東インド会社を創設したのは1602年です。発達した商船隊を組織してアジアに進出し、列強国スペイン、ポルトガルをおしのけ、完全に世界第1の商業国にのしあがりました。その中心が植民地の東インドで、強大な軍事力をバックに、香料、織物類の貿易を独占し17世紀の黄金時代をつくりあげました。しかし、18世紀の産業革命で経済力や軍事力が増大したイギリスに地位を奪われ、第2次世界大戦後インドネシア独立によって植民地の東インドも失いました。
干拓で土地をふやし、酪農を中心に完ぺきなまでに生産性を高めてきましたが、天然資源が乏しいため、オランダ経済のあり方は、根本的には中継加工貿易が大原則です。アムステルダム、ロッテルダム両貿易港の貿易と外国企業誘致の拡大が、今後の課題です。

[ベルギー] ベルギーはヨーロッパの列強国に囲まれ、いくどか領地を侵略されながらも、河川や北海の海運を利用して栄えてきました。ベルギーが独立したのは1831年で、永世中立国を宣言しました。しかし第1・第2次世界大戦でドイツにふみにじられてからは、中立政策を放棄してNATO (北大西洋条約機構) に加盟し、アメリカとの間にグリーンランド共同防衛条約を交しました。
ベルギーとオランダ、ルクセンブルクの3国はそれぞれの頭文字をとってべネルクスと称し、関税同盟を結んでいます。この経済的統合の動きは1960年にEEC (欧州経済共同体)を生み、EC (欧州共同体) へと結実していきます。ECやNATOの本部があるブリュッセルは、ヨーロッパの経済、防衛の中心になっています。

[デンマーク] 現在のデンマークは、日本の九州くらいの広さしかありませんが、バイキング時代はノルウェーやスウェーデンにかけて統一部族国家を形成し、イギリスにまでも力を及ぼす大国でした。しかし19世紀に入ってナポレオン戦争などの戦いに敗れ、領土は1/3に削られました。荒れはてた国土と、グリーンランド、大西洋のフェロー諸島の領土が残っただけです。
そのころ、学者のグルントビグと軍人のダルカスが、国土の再建に立ちあがりました。グルントビグは国民の祖国愛をよびおこして国民高等学校設立へと運動を展開させ、ダルカスはデンマークヒース協会を作って土地改良と植林をすすめました。デンマークは、ふたりの努力と団結した農民の力で、酪農業を育成してめざましい発展をとげ、世界有数の模範的な酪農王国を築きました。
デンマークは社会保障制度の充実した国です。国民は、広い範囲で高レベルの社会福祉を享受しています。

補足事項
EC(ヨーロッパ共同体)の創立メンバーであったオランダ、ベルギー、ルクセンブルクのベネルックス3国は、1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも、中心メンバーとして指導的役割をになっています。通貨も、2002年に、ユーロに完全に切り替わりました。ベルギーの首都ブリュッセルは、EUの本部、議会などがおかれ、ヨーロッパ連合の首都的な役割をになっています。デンマークはEUに加盟していますが、通貨はデンマーク・クローネのままです。

前回(3/22号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第6巻「スイス・オーストリア」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「スイス・オーストリア」 について

[スイス] スイスは、ヨーロッパの屋根といわれるアルプス山中にある美しい観光国です。大きさは日本の九州とほぼ同じですが、人口は福岡、長崎、佐賀県をあわせたくらいです。山国なので、畑が全国土の1/10ほどしかなく、そのために谷間や山の斜面を利用した牧畜が盛んです。牧草地を含めた牧場は国の広さの半分を占めていて、そこに200万頭近くの牛が飼われています。そして、生産される豊かな牛乳から有名なスイスチーズや粉ミルク、ミルクチョコレートなどが作られます。それらは世界中に輸出されてスイスを富んだ国にさせています。ところでスイスは、酪農の国であるばかりでなく工業の国でもあります。石油も石炭も、鉱産物もなく、おまけに交通の不便なスイスを工業国にさせた原因はいったいなんなのでしょうか。
スイスの人たちは、むかしから暮らしの助けに手内職をしてきました。部品を農村で作り、それを都市で組み立てる家内工業です。やがて水力発電がおこりました。動力と技術が結びついて、小規模でも作れる時計や宝石細工などのような工業が発達しました。その技術は他の国ではまねのできないほど優れていたので、いよいよ栄えました。いまでは、精密工業以外にも、チューリヒを中心に綿工業、機械工業、高級絹織物業などが盛んで、特にししゅうは世界的に有名です。じかに外国から原料を買わずに、綿糸布やせん鉄などの半製品を買い、それを独自の技術で仕上げる方法で、大量生産するほかの国と対抗しているのです。
アルプスの山の中にある小さな国スイスが、りっぱな工業国になれたのには、もうひとつ大事なわけがあります。それはスイスが、1815年に永久にほかの国と戦争をしないことを宣言し、ほかの国々からも独立と領土の安全を保障された 「永世中立国」だからなのです。戦争による破壊とむだに苦しむことなく、生産と暮らしの向上に力をそそぐことができました。
スイスには、スイス語というものがありません。ドイツ系、フランス系、イタリア系などが地域的にまじり、したがって、ドイツ語、フランス語、イタリア語が正式の国語とされています。けれども寄りあい世帯でありながらスイスというひとつの国にとけこみ団結していて、人種間の争いがないのもこの国の特色といえましょう。

[オーストリア] オーストリアは、国土の2/3が山岳地帯のため、農業はふるわず、産業は鉄鉱石、黒鉛、銅、岩塩の生産が中心です。また、美しいドナウの流れと、音楽の都ウィーンで名高い新しい永世中立国です。1955年に中立を宣言したのですが、この宣言をするまでのいきさつは、スイスの場合とはだいぶ違います。この国は、ハプスブルク王家がたてたドイツ人の国で、13世紀以来、めざましい発展をとげ、後にオーストリア・ハンガリー帝国をつくって、18世紀には、全ヨーロッパの政治を左右するほどの勢力をほこったのです。ところがこの誇りがわざわいして、むだな戦争をくりかえしました。第1次世界大戦に敗れたあと、ドイツ人以外の民族がチェコ、ユーゴスラビア、ハンガリーなどの国となって独立したため、もとの国土の85%以上を失ってしまいました。つづいて第 2次世界大戦にも敗れ、ドイツと同じようにソビエト、アメリカ、イギリス、フランスの4国に管理されましたが、1955年に独立国の地位をとりもどし、世界に永世中立を宣言したのです。山ぐにの、しかも海に出口のないオーストリアが、ゆたかな国としてさかえるためには、どうしてもまわりの国々と平和なつながりをもたなくてはならないのです。

補足事項
スイスは、2002年に国際連合に加盟しました(EUには加盟していません)。 また、オーストリアは、1995年にEU(ヨーロッパ連合)に加盟し、2002年には通貨もユーロとなりました。そのため、両国とも厳密な意味での「永世中立国」とはいえなくなりました。

前回(3/15号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第5巻「イギリス」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「イギリス」 について

ヨーロッパの西北部、大西洋に浮かぶ小さな島国イギリスの正式国名は、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国といいます。面積は24.5万平方kmですから日本の方が1.5倍ほど広いことになります。そこに*[約5600万人]の人がくらしています。
*[2005年現在5970万人]
イギリスは、すでに13世紀に世界の君主政治の手本となっている議会政治の基礎をつくりました。専政君主制をやめて、国民の代表が話しあいによって政治をおこない、その代表は一定の期間ごとに選挙によってえらばれるという政治です。こうした進歩性が産業の発展にもあらわれ、長い間、世界の国々の先頭に立ってきました。
18世紀の後半、イギリスに産業革命がおこりました。これまでの手工業に、新しく発明された機械がとってかわったのです。イギリスはすでに、スペインやオランダとの争いに勝ち、植民地をたくさんもっていたため、機械技術のすばらしい発展と共に、みるみるうちに領土を広げ、世界中の陸地の1/4を支配するまでになりました。「イギリスに太陽は沈まない」といわれたのはこの頃のことです。
ところが20世紀になると、ドイツ、フランス、アメリカや日本が力をつけはじめ、世界の富をひとり占めにするわけにはいかなくなりました。第1次世界大戦はいわば、イギリスやフランスの古い資本主義と、ドイツなどの新しくおこした資本主義との争いともいえるものでした。イギリスは連合国の中心となってドイツをやぶりましたが、戦後にはげしい恐慌におそわれました。さらに、植民地だったカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどが次々に独立し、アメリカや日本などと対抗するのにやっとという状態になってしまったのです。
第 2次世界大戦もまた、イギリスの人びとに苦しみを与え、戦争は勝利におわったものの、復興に手間どりました。おまけに、アジアやアフリカの植民地の人びとがもうこれ以上イギリスの支配にがまんできないと立ちあがり、インド、パキスタン、ビルマ、セイロンなどが相ついで独立しました。
アメリカ合衆国やソ連の力が強まり、その後フランスや西ドイツを中心とするEC諸国の力も強まったため、かつての大国イギリスも、これまでの生き方を大きく変えねばならなくなりました。1973年にヨーロッパ共同体(EC)に加入し、西欧諸国と連帯しながら経済発展に力を入れつつあるのもそのあらわれです。
イギリス人の生活は保守的だといわれています。朝食の献立から、起床時間、出勤時間など毎週同じスケジュールがくりかえされます。紳士の服装も100年前とほとんど変りません。しかし、保守に固まっているかにみえる反面、新局面を開かなくてはならない時には、時代を先どりし、ダイナミックな前進をみせるのもイギリス人です。
「ゆりかごから墓場まで」 といわれる完備した福祉国家の建設、ミニスカートやビートルズに代表されるポップスなどの生活文化革命、イギリス初の女性党首サッチャーなど、その例はいくつもあります。「ジョンブル」(ブルドッグ) といわれるように、一度かみついたらちょっとやそっとでは離さない不屈の精神の復活も間近いことでしょう。
隣りの国アイルランドは、「みどりの国」と呼ばれるように、樹木がよく茂り、酪農と水産業がさかんな国です。イギリス人とは、人種も、生活習慣もちがい、宗教も違います(イギリスの英国教会に対し、アイルランドはカトリック)。18世紀から、イギリスの支配からのがれようと独立運動をはじめ、1949年、長く苦しい運動の末に独立をかちとりました。

補足事項
イギリスがEC(ヨーロッパ共同体)に加入したのは1973年、1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも、中心メンバーとして指導的役割をになっています。ただし他のメンバーの通貨が、2002年にユーロに完全に切り替わったのに対し、イギリスの通貨はポンドのままです。

↑このページのトップヘ