児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

子どもワールド図書館

前日(4/23号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第20巻「アフリカ(1)」 の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「アフリカ(1)」 について

アフリカ(主として北西部)は、新興国家がひしめきあっている大陸です。大いなる未来への希望にみちあふれている大陸です。しかし、独立後20年たらずの国ぐにの現実をみると、あまりにも多くの難問をかかえています。
その難問のなかで、各国に共通しているもっとも顕著なものは、産業のおくれです。
アフリカは、地下資源の宝庫だといわれています。たしかに、石油、天然ガス、ダイヤモンド、金、白金、ボーキサイト、銅、リン鉱石などの埋蔵量は、世界一あるいは世界有数です。しかし、それらの鉱物の産出国はおよそ半数の20数か国に限られ、しかもこの鉱業以外の産業は、ほとんどおしなべておくれているのです。
たとえば農業は、綿花、カカオ、ピーナッツなどの生産は盛んでも、原住民のアフリカ人たちのほとんどは、自分たちの食べる分だけは自分で作るという、原始的ともいえる農業を、いまだに営んでいます。しかも、綿花、ピーナッツなどを栽培する大農園の多くは、ヨーロッパ人の経営になるものです。
これでは、国の産業としての農業の発達も、こんごの人口増に対応する計画的な農作物の生産ものぞめません。多くの国が農業国という看板をかかげていながら、その内実は、たいへんに貧困だというわけです。
農業に関連していえば、林業も、未開発だといってもよいくらいです。大陸中央部などに広大な森林が広がってはいます。しかし、輸送手段のたちおくれが、せっかくの森林をねむらせてしまっているのです。
つぎに、アフリカの国ぐにの近代化という立場から考えて憂慮されているのが、工業の未発達です。工業国といえるのは、南アフリカ共和国とエジプトなどの数か国にすぎず、40か国以上は、工業生産力はゼロもしくはゼロに近いという状況です。資本の不足、科学・技術の後進性、それに、ながいあいだ本国への原料供給地であったが植民地時代のなごりが、各国の工業の発達を停滞させているのです。
さいごに、漁業となると、これまたほとんど発達していません。植民地時代のヨーロッパ人たちは、陸地の資源にだけ目を向けて、港を開こうとはしなかったのです。

以上のように、アフリカ大陸の産業を概観してみると、そのおくれの大きさが、よくわかります。結論めいたものをだせば、アフリカの国ぐには、「独立」によって政治的には独立したものの、経済的には、多くの国がまだ独立し得ていない、ということになるようです。いいかえれば、経済的には、今もって植民地時代の暗さが続いている、というのが現状です。産業の発達がない限り、国は富みません。国民の生活も豊かにはなりません。アフリカ大陸の国ぐにが、近代国家への道を切り開いていくためには、自国の資本による、自国の国民のための産業の開発が、急務といえるようです。

ところで、こうしてアフリカの産業のおくれを考えてみると、どの国の発展にも、ながいあいだの植民地政策が大きくわざわいしたことが、よくわかります。
アフリカ大陸に侵入してきたヨーロッパ人たちは、おぞましい黒人どれい狩りをはじめとして、この広大な大陸でいったい何をしたのか。ヨーロッパ人たちの植民地政策は、数億ものアフリカ原住民たちに、何を残したのか。原住民たちは、独立のために、いかに戦ったのか。黒人たちが打ち鳴らす太鼓のひびきが訴えるものは何か。太鼓のリズムの奥に秘めるものに耳を傾けてみることが、アフリカの理解のためにはたいせつなことのようです。

補足事項
1990年代のはじめから武装イスラム集団によるテロが活発になり、国内情勢は不安定なアルジェリア、最近は沈静化しつつありますが、今も国家非常事態宣言が発令されたままです。1980年代から、反欧米、反イスラエルを掲げるリビアは、アラブ諸国の中でももっとも強硬な国家として、欧米からテロ国家と非難されてきました。最近少しずつ軟化していることから、アメリカはテロ支援国家指定からはずして国交正常化を発表しました。リベリアは、1989年におきた内戦により30万人以上が難民となるなど、西アフリカ最悪の紛争地域となっています。
このように、この巻で紹介した地域には、政治的に不安定な国がいくつもあります。一方、モロッコ、ナイジェリア、チュニジアのように、政治的にも経済的にも比較的安定している国もあります。どの国にも安全に行き来できるようになるためには、まだまだ時間がかかりそうです。

前回(4/19号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第19巻「エジプト」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「エジプト」 について

エジプトは、メソポタミアとともに人類の文明発祥の地として知られています。その歴史の古さは、日本人が弥生式文化を持ちはじめたころより3000年もまえに、大都市をつくり、文化生活をしていたというのですからおどろきます。ピラミッドをはじめ、たくさんの大建築をのこし、すぐれた造船技術をもち、文字を発明し、さらに絵画や彫刻にすばらしい芸術性をみせているエジプト人は、よほどすぐれた民族だったのでしょう。

その社会は、強い権力をもった王を頂点に、王の一族、神官、地方の族長や書記、職人などの市民と、圧倒的に多い農民たちでつくられた王国でした。当時の人びとの心をしっかりとらえていた宗教は、太陽神信仰というもので、太陽神ラーがあり、王は死後、神になるという考えです。ですから、ピラミッドは大ぜいの農民の血と汗の上につくられたといっても、王が神と一体となる墓づくりに、わたし達が思いわずらうほどには、つらい仕事ではなかったのだろうといわれています。王は神なのですから、絶対の力をもって国を治めていたわけです。

エジプト王国には、紀元前3200年から、紀元前332年まで、31王朝があり、それぞれに強国として栄えた時代を、古王国、中王国、新王国時代とよんでいます。ピラミッド時代は、古王国で、アブ・シンベル大神殿やツタンカーメン王の時代は、新王国です。クレオパトラは、王朝がほろびてからのちにおこされた、プトレマイオス朝の女王で、エジプト王国もこれを最後に滅亡していったのです。いっぱんに王をさす名まえのファラオは、新王国時代の末にあらわれた呼び名ですから、歴史の上ではずいぶんあとになります。

古い国エジプトにはこのような歴史がありますが、現代のエジプトは、まだ新しい歩みをはじめたばかりの国です。アフリカ大陸のはしにあるエジプトは、地中海と紅海をはさんで、アフリカ、ヨーロッパ、アラビアがあわさる地点にあたります。このため、外国からの侵略を受けやすく、クレオパトラ以来、独立国にはなれませんでした。なかでも、アラビア人による支配はながくて、それだけ影響もうけやすく、中世には、イスラム教化されました。また、スエズ運河が、紅海をとおってインド洋と結ばれるという貿易上のことから、ヨーロッパ側の進出もはげしく、つい60年まえまで、イギリスの植民地となっていました。

エジプトは、1922年に独立したばかりの国です。長い間のたびたびの占領で、国の力が弱まっているところにナセル大統領 (1918~70年) が中心になって、革命がおこりました。1956年に、エジプト共和国が成立し、新しい指導者をえて、国民の生活は、少しずつ変わってきました。ナセル大統領は社会主義という考え方のもとに、社会のしくみをかえて、国民の生活をよくしようと努力しました。いまもむかしも、エジプトをつくってきたのは、おおぜいの農民や、労働者です。古くは王のため、そして富んだ人のため、あまりいいめにあわなかった人びとにも権利と自由が平等にあたえられることになりました。ナセル大統領は亡くなりましたが、政策は、次の指導者に受けつがれて、新しい力のある国として、世界に認められています。雨が降らないということは、とてもきびしい自然をつくります。そのなかで、変わらずに親切な川ナイルとともに、エジプトはよりゆたかな国へと進んでいます。

補足事項
ナセル大統領の後をついだサダト大統領は、社会主義経済政策をとり、イスラエルと融和する政策をとりましたが、イスラム主義の抵抗にあって1981年暗殺されてしまいました。かわったムバラク大統領は、対米協調とイスラム主義運動を抑えながら独裁を続け、20年以上も政権を維持しています。

前日(4/18号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第18巻「西アジア(2)」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「西アジア(2)」 について

『トルコ』 面積は日本のおよそ2倍の78万平方km。首都はアンカラ。言語はトルコ語。国民のほとんどはイスラム教徒です。国土の大部分はアナトリア高原のため、寒暑の差が激しい気候です。主産業は農牧業で、麦や果実、テンサイ、綿花、葉タバコなどを生産しています。ほかに、ビザンチン、イスラム両文化遺跡の観光資源があります。
[経済的、政治的にヨーロッパ諸国に近く、欧州連合(EU)に加盟を申請しているほどです]

『シリア』 面積はおよそ19万平方kmで、日本のほぼ半分です。首都はダマスカス。言語はアラビア語。宗教はイスラム教ですが、キリスト教徒も、約12%います。内陸部のシリア砂ばくは、国土の半分を占めています。産業は地中海沿岸の農業が主です。

『イスラエル』 面積はおよそ2万平方km。首都はエルサレム。言語はヘブライ語とアラビア語。宗教はユダヤ教です。この国は、食糧の大部分を輸入に依存し、オレンジ、果実などを輸出しています。現在、アメリカ系の外資導入による工業化が進められています。
[2006年現在の人口700万人ですが、ハイテク産業では世界の最先端を行き、中東のシリコンバレーともいわれます]

『ヨルダン』 面積はおよそ9万平方km。人口構成はべドウィンが20%、定着民が45%、パレスチナ難民が35%です。首都はアンマン。言語はアラビア語。宗教はイスラム教です。イスラエルとの紛争で難民をかかえ、ヨルダン川以西の農耕地を失いました。国の経済は、わずかな農牧業と鉱工業にたよっています。
[2002年現在でも、人口550万人のうち難民は160万人といわれます]

『レバノン』 面積は約1万平方km。首都はベイルート。言語は主としてアラビア語をつかっています。宗教は、イスラム教とキリスト教が半々です。主産業は地中海沿岸の農業、ベイルートを中心とした商業、金融業などです。

これまでの長い世界の歴史をふり返るならば、西アジアほど民族の赤裸々な鼓動を感じる例はありません。現に今も、それは世界の舞台で脈打っているのです。
『子どもワールド図書館』シリーズは、子どもたちに世界各国の風俗習慣や、伝統文化といった国柄を伝えるために編集されています。そして、あの国は暑いとか寒いとか何が有名だとかいった表象的なものの陳列だけで終わらせることなく、今日の姿や依ってきたいわれを国々の風土や歴史に照合しながら、それらのひとつひとつがいかにそこに住む人々にとって重大であったか、人々の叡知がどのように凝結されてきたかなどを述べようとしています。こういうことを理解することが、真の理解であり、私たちおとなに必要なことはもちろん、ますます国際化した社会に生きねばならない子どもたちには、一層要求されるものなのです。
そんな観点で西アジアについていうならば、何よりまず、風土と人間のかかわり、そしてそこから興ったユダヤ教・キリスト教・イスラム教の展開、さらに戦後では、イスラエル建国を起点とした新たなイスラエル・アラブ民族の対立抗争、加えてアラブ産油の動向に憂慮する世界の今日的情勢が挙げられると思います。
サウジアラビアで触れたように、イスラム教の興りも、それに先立つユダヤ教・キリスト教の興りも風土的条件は一つであり、歴史の展開のなかで、あるものは漂い、あるものは台風のように列国を席巻し、権力抗争の場にさらされ、やがてこの本にとりあげた地中海の回廊に列する国々は流血と戦塵の巷に明滅するのです。
この十字軍とセルジュークトルコの長い抗争の後は (オスマントルコの統合衰微を経て)、列強の帝国主義に侵食され、第2次大戦を契機とした独立まで続くのですが、その民族意識の高揚は、ユダヤ人のイスラエル建国により、さらに汎アラブ的な民族主義の覚醒と戦火を呼ぶのです。
私たちの記憶にある中東戦争は4度に及び、やがては、パレスチナ・ゲリラによるハイジャック事件等、国際的世論へ提訴するイスラエル・アラブ諸国の対立は、長い歴史の中の途方もない因循を感じさせます。幸いにして最近、やっと平和の調印にまで運び入れましたが、平和の均衡が永遠なものであることを改めて願うのみです。

補足事項
世界中でも「西アジア」の情勢は、きわめて不安定です。その要因のひとつに、エルサレムの問題があります。本文でもふれたとおり、エルサレムは、ユダヤ、キリスト、イスラムの3宗教にとって共通の聖地で、その帰属問題は、アラブ・イスラエル紛争の最大の難題です。イスラエルとアラブ諸国との対立は、4回にわたる中東戦争をへて、現在までつづいています。さらに、イスラム諸国間でも、1980年から1988年までつづいたイラン・イラク戦争など、その覇権をめぐる対立もあります。
1990年にはイラクのフセイン政権は隣国のクウェートに侵攻し併合を宣言。これに対し国連はイラクにクウェートからの撤退と制裁を決議しました。決議をこばんだイラクに、アメリカを中心とする国連は多国籍軍を組織して出動、湾岸戦争が勃発しました。1か月半にわたるはげしい武力衝突の末、イラクはクウェートから撤退し停戦しましたが、さまざまなシコリが残されました。
2003年3月、アメリカのブッシュ政権は、イラクが国際テロ組織を支援、大量破壊兵器の開発・製造を行なっているとし、国連の武力攻撃容認決議を得ないままイラク戦争を開始、1か月ほどでフセイン政権を倒し勝利宣言をしました。しかし、いまだにイラク国内はイスラム・スンニ派とシーア派、クルド人と3大勢力の対立による内戦状態、無政府状態にあると報道されています。
2006年に入ってからも、イスラエルがイスラム武装組織ヒズボラ鎮圧を目的にレバノンに侵攻するなど、「西アジア」の情勢から目をはなせない状況が、当分続きそうです。

前回(4/16号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第17巻「西アジア(1)」の巻末解説を記します。

「西アジア(1)」 について

『サウジアラビア』 面積は日本の約6倍、*[人口は1/12]。人口の約半分が遊牧民。国語はアラビア語。イスラム教の発祥地で聖地メッカをもつ。石油の埋蔵量、輸出量とも世界一で、国家財政の95%以上が石油収入。
*[2005年現在の人口2460万人、日本の人口の1/5]

『イラン』 面積は日本の約4倍、*[人口は1/3]。ペルシア人70%、トルコ人25%の構成で、国語はペルシア語。宗教はイスラム教。イラン高原が国土の大部分を占め、そのオアスに昔ペルシアが栄えた。78年末から79年はじめにかけて、王制反対の暴動がおこり、79年1月には国王を出国させ、ホメイニ師を指導者とする新たな歩みをはじめた。日本は従来イランから約20%の石油を輸入していたため、今後の動きが注目される。世界有数の石油産出国。
*[2005年現在の人口6950万人、日本の人口の1/2]

『イラク』 面積は日本の約1.2 倍、*[人口は1/10] で約75%がアラブ人。国語はアラビア語。宗教は96%がイスラム教。チグリス、ユーフラテス両大河の流域は古代メソポタミア文明の発祥地。石油が主産業、北部は小麦の穀倉地帯。
*[2005年現在の人口は2880万人、日本の人口の1/5]

『クウェート』 面積は九州の半分位、*[人口は日本の1/100}。クウェート人47%、パレスチナ人20%、国語はアラビア語。宗教はイスラム教。*[1人当りの所得は世界で1、2位を争う文字通りの石油王国。埋蔵量は世界第2位]。
*[2004年現在の人口270万人、日本の1/50。人口の増加により、1人当りの所得は日本の半分程度に下がっています。石油埋蔵量は、サウジアラビア、イラク、イランに続き世界4位]

『イエメン』 [北イエメン (イエメン・アラブ共和国) と南イエメン(イエメン民主人民共和国)にわかれていて、統一運動もあったが失敗するなど国情は不安定。南イエメンはアラブ唯一の社会主義国]。
*[北イエメンと南イエメンは1990年に合併し「イエメン共和国」となり、アラブ諸国で社会主義国はなくなりました]

以上、この巻でとりあげた西アジアの国々の概略です。西アジアをテレビや新聞の報道では 「中東」 といっています。これはイギリスの呼び方でロンドンを起点として日本など遠いところが「極東」であり、バルカン諸国が「近東」、西アジアがその中間で「中東」というわけです。かつて第2次大戦の頃まで、イギリスの植民地政策は西南アジアにまで侵食していました。
中東はよく世界のニュースソースになります。最近では国境紛争が激化しています。大地震が続発したかと思えばクーデターが起こったり、その後も民衆の暴動が勃発しました。ひところは、いわゆる「石油ショック」で世界を震撼させ、中でも石油資源に頼る日本は、それまでの高度経済成長がとたんに、冷水を浴びせかけられたように弛緩し、以後、安定成長に置きかえられて、遅々として不況の中を歩んでいます。イランとアラビア半島に浮かぶこれらの国々は、産油国として戦後航空機の発達や、世界の経済成長とあいまって、にわかに脚光を浴びたのです。炎暑と砂漠のイメージが、こうまで変容しようとはマホメット(ムハンマド)すら予見しえなかった事でしょう。
童謡「月の砂漠」にロマンを馳せるよすがは変貌し続ける時代にあっては、遠い夢幻の彼方へ求めるしかありません。しかしこれらは私たちが、日常の伝達の中から、かいまみる表象的なものであり、そこに横たわる無辺の砂漠や高地は、依然として古来悠久の姿で息づいているのです。気の遠くなるような炎熱は今も天地を焦がしています。石油開発による必然的な近代化の導入がなされても、それはごく一部で、アラブの人々のほとんどはイスラム教の信仰の中に生きています。サウジアラビアには聖地メッカがあり、きびしい戒律が生活に一体化されています。
遠く離れた私たちに奇異にさえ映る戒律や風習は、苛酷な大自然の中から逃がれえない人々の生への願望であり、超大な大自然への畏敬でもあります。人々が神の教えを求めたのです。そうした自然と人間のおりなす営みが長い歳月の中に風化され侵食されてもなお息づき燃えている、それがこの巻でとりあげた国々です。

「西アジア(1) 」の補足事項は、次回「西アジア(2)」 の巻末にまとめて記載いたします。

前回(4/12号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第16巻「南アジア」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「南アジア」 について

インドが他の国と違っているとすれば、何よりもその文明の連続性にあるといえます。もともと中央アジアの遊牧民だったアーリア人は、紀元前1500年頃、インドに侵入し、先住民族と混ざりあい、ヴェーダ文化をつくりあげました。この文化が思想、文芸、社会のしくみなどインド世界の祖になるもので、ヒンズー教に支えられ、連綿と今に続いています。古いインドの叙事詩 「ラーマーヤナ」 を例にとれば、10~11月の祭りの季節にラーマリラという芝居小屋が各地にたち、連日 「ラーマーヤナ」 の劇が上演されます。こうして大人も子どもも神話や伝説に親しんでいて、今でも、ラーマ王子は、国民の英雄であり、理想の男性になっています。

インドは歴史の流れのなかで、他民族の侵入が多く、仏教、イスラム教、キリスト教という三大宗教に関わってきましたが、なおヒンズー教は、インド人の精神文化にとってかけがえのないものとして、現代にいたっています。近世、インドはイギリスによって支配を受け、深い痛手を負いました。1600年にイギリスが東インド会社を設立し、対インド貿易を行っていた頃のインドは、ムガール帝国が栄え、綿織物、砂糖、香辛料などの輸出、多大な銀の流入などで物資の豊富な富める国でした。しかし、1853年奸智にたけたイギリスによって、植民地にされたインドは、自国の産物を使った製品を輸入する、植民地型といわれる経済によって、転落して行きました。1947年に独立したとはいえ、世界のすう勢として、先進国が近代的な国家と経済を建設しているその大事な時期に、やむなく支配を受けたインドには、大いなる貧しさが残されました。

その後、あらゆる方面から、本来の豊かな国への努力がはらわれ、昨今は特に科学技術をテコに、貧困を解消しようとしています。原子力や試験管ベビーなど、世界のトップグループにあるものから、農村向けの廃物利用によるポンプとか、牛ふんガス装置など、生活の実情にあったきめ細かな技術開発が進められています。農村では、農業技術の改善はもとより、手工業を残し、国民の大部分をしめる農民の経済と技術を破壊しないように計られています。また、インドでできるものは輸入しない考えの鎖国的経済体制は、独自の経済たて直し策であり、副次的に、やたらな外国文化の侵入が妨げられるため、よりインドらしい世界が保たれているというわけです。

現在、インドは *[6億8千万]の人口を抱えています。食糧を自給できず飢えに苦しむ人が多かったインドにも、1973年には、小麦の備蓄ができ、ソビエトに米を輸出するまでになりました。国土が広く、豊かな太陽と地下資源に恵まれ、労働力のあるインドは、伸びつつある古くて新しい国といえるでしょう。
*[2005年現在のインドの人口11億340万人、パキスタンの人口1億6000万人、バングラデシュの人口1億4000万人、3国あわせると世界一の中国13億人を超えてしまいます]

インドのまわりには、ヒンズー世界と異ったいくつかの国があります。パキスタンとバングラデシュ、アフガニスタンはイスラム教の国です。ネパールには仏教の一派ラマ教徒が、スリランカには小乗仏教が生きています。インドも含めて南アジアの国ぐには、日本と違い宗教と生活が密接につながっており、社会の秩序を保つかわり、それが近代化をはばむ一因にもなっています。人口が多く農業国であり、大部分は一生小作人のままで終わり、一部の人をのぞいて教育が遅れていることなども、共通していることです。南アジアは、1人当たりの国民所得が、世界でも低い地域で、若い独立国同様、外国からの援助を頼まなければならず、経済自立のために苦悩しています。

補足事項
現在インドは、ブラジル、ロシア、中国と並んで「BRICs」(ブリックス)とよばれる新興経済国群の一角にあげられています。特にIT産業や製造業を中心とした経済成長に、世界の注目を集めています。

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