児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

日常生活

明けましておめでとうございます。

2005年6月からスタートしたこのブログも、10年目に入り、投稿数2160回となりました。これもひとえに、ご愛読くださる皆さまのおかげで、深く感謝を申し上げます。

さて、私は、昨年4月から、阪急交通社が主催する「東海道五十三次 街道を行く」という日本橋~京都三条大橋までの徒歩距離492kmを、29回に分けて歩くという企画に、毎回参加しております。

第1回「日本橋~品川宿」(4月)、第2回「品川宿~川崎宿」(5月)、第3回「川崎宿~神奈川宿」(6月)、第4回「神奈川宿~戸塚宿」(7月)、第5回「戸塚宿~藤沢宿」(9月)、第6回「藤沢宿~平塚宿」(10月)、第7回「平塚宿~二宮」(11月)、第8回「二宮~小田原宿」(12月)と、ここまで8回分を、無事に制覇してきました。

はじめのうちは、人ごみやビルなどに圧倒されましたが、平塚を過ぎたあたりから少しずつ東海道らしさが感じられ、昔の旅人たちが見た風景も想像でき、面白さが増してきました。

今年は、1月10日から箱根路に入り、7月からはこれまでの「日帰りの旅」から、1泊2日による連日の挑戦となります。1日の徒歩距離は約11kmですが、名所などへ寄り道するため、万歩計を使っている人に聞くと、1日3~5万歩、平均4万歩なのだそうです。

「老いは足からくる」といいます。まだ歩けるうちに、元気で毎回参加し、今年の到達予定地「掛川宿」をめざしたいと決意しております。

この企画のよいところは、35名ほどが1パーティとなり、先頭を「ウォーキングリーダー」と最後尾を添乗員にはさまれて行動し、よく勉強した「ウォーキングリーダー」が道端の見どころのガイド役をつとめ、名所地では地元の案内ガイドによる説明が、無線イヤホンで聞くことができる点です。毎回の昼食に、地元のお弁当とペットボトルのお茶を用意してくれるのもうれしい配慮です。

また、私が一番気に入っているのは、毎回、その回に歩くA5判の「カラー地図」と「名所の歴史一口メモ」をくれることです。これがあれば、気になった場所を、帰宅後に調べることができるためです。

いずれは、この「カラー地図」を参考に、再訪するなどして、このブログに紹介したいと念願しています。

今年も、1月5日から、原則としてウィークデイは毎日書きこんでまいりますので、引き続きご愛読くださいますよう、お願い申し上げます。

あけましておめでとうございます。

昨年は、まさに未曾有の大地震と、それに続く福島原発事故という大災害にみまわれ、日本じゅうが震撼させられました。とくに原発事故は深刻で、事故の終息までには、10年~100年、いや千年・万年単位の時間がかかるそうで、一日も早く原発に依存しないですむ電気の使い方をみんなで考えたいものです。

思いおこしてみますと、60年ほど前の私の小学生時代は、9人家族がひとつ屋根の下で暮らしていました。電気の使用料は、月間30kw前後だったと記憶しています。電気を使用するものは、40Wの電球の電灯が全部で5灯ほどと、アイロンとラジオが一つだけでした。そのラジオも、音が大きくなったり小さくなったり、時にはきこえなくなってしまうようなしろものでした。それでも、皆んながコタツ(コタツの熱は炭火)を囲んでトランプや、カルタ遊びなどに興じたり、ラジオから聞こえてくる放送劇、歌や落語などに親しんでいたことを、なつかしく思いだします。

若い人たちには信じられないかもしれませんが、私の小学時代の主な手伝いは、まき割りと水くみ・水運びでした。なたで薪を割り、七輪でまきに火をつけて煮炊きに使うのです。水道がなかったころは、近くの共同井戸から水をくんでいました。終戦後の日本じゅうが貧しい時代だったせいもありますが、原始時代に近い生活だったにもかかわらず、あまり不便だったという記憶はありません。

以来、1950年後半から白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機という「家電・3種の神器」にはじまり、1960年半ばにはカラーテレビ・クーラー、2000年初めにはDVDレコーダー、薄型テレビ、食器洗い機、生ゴミ処理機…など等、こんなことにも電気を使うのかと思うほど電気を使用し、生活を謳歌してきました。

ぜひみなさま、現在の電気使用量をチェックしてみてください。おそらく、4人前後の一家の電気使用量は、500kw前後あるはずです。原点にもどって、ほんとうにこの電気は、生活に必要なのものなのかを、真剣に考える必要があるような気がします。


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おかげさまで、2005年5月から開始しましたこのブログも、投稿数ほぼ1450回、昨春から開始した好評の「おもしろ古典落語」も50回を超えました。内容のいっそうの充実を考えながら、今年も努力を続けます。本年も、よろしくおつきあいのほどお願い申し上げます。


「1月4日にあった主なできごと」

1785年 グリム兄誕生…グリム童話集をまとめた、グリム兄弟の兄で言語学者のヤーコブが生れました。

1846年 公職追放…太平洋戦争後の日本占領軍(GHQ)は、戦争中の軍国主義者を公職から追放する指令を出し、これを受けた政府は2月末に公職追放令を公布したため、職業軍人や軍国主義団体の幹部などが公職を失いました。

1948年 ビルマ独立…ビルマがイギリスから独立して「ビルマ連邦共和国」となりました。その後ビルマは、1989年に軍事政権が国号を「ミャンマー」と改めましたが、軍事政権を認めないアメリカ合衆国、イギリス、オーストラリアなどは、いまだに「ビルマ」を使用しています。

先にお知らせしました通り、4月20日からプライベートで阪急交通社が主催する 「クロアチア・スロベニア・ボスニア ヘルツェゴビナ・モンテネグロ」(旧ユーゴスラビア4か国) をめぐる10日間の旅を体験してまいりました。

旧ユーゴスラビアといえば、ユーゴスラビアをまとめてきたチトー大統領が1980年に亡くなって以来、特に1990年代から今世紀初めまで、民族・国家・宗教のちがいによる内戦のため、国土が荒廃したことで有名です。そのため、そんな危険な国々へどうして行くのかといった声もありましたが、ちょうど1年前に旅行した「オーストリア・チェコ・スロバキア・ハンガリーなど中央ヨーロッパ5か国」の添乗員が「イタリア人が『神様は不公平だ。アドリア海を挟んだ向こう側には、あんなにきれいな景色を造って』と、うらやましがられた自然は必見」という言葉と、旧ユーゴスラビアが位置するバルカン半島は民族や宗教の交叉する地域だったために、第1次世界大戦勃発の原因となるなど「ヨーロッパの火薬庫」といわれ、特に20数万人の死者と200万人もの避難民を生み出し、2つの世界大戦後ヨーロッパ最悪の紛争後の実情を見てみたいという好奇心からの選択でした。

第2次世界大戦中に、チトーは「諸民族の友愛と団結」をスローガンに掲げ「パルチザン部隊」を結成して、ドイツに占領されていた地を一つの国にまとめあげました。そして出来た6つの共和国からなる連邦国家「ユーゴスラビア」は、世界から次のようにいわれました。1つの国、2つの文字(ラテン文字・キリル文字)、3つの宗教(セルビア正教41%・カトリック32%・イスラム教12%)、4つの公用語(セルビア語・クロアチア語・スロベニア語・マケドニア語)、5つの民族(セルビア人42%、クロアチア人23%、スロベニア人9%、マケドニア人6%、モンテネグロ人3%)、6つの共和国(スロベニア・クロアチア・ボスニア ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビア、マケドニア)、7つの国境(イタリア・オーストリア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニア・ギリシア)……こんな複雑な国をどうやってまとめるのだ──と。

しかしチトーは、社会主義の国でありながら、非同盟中立という立場をとって、社会主義の国ばかりでなく資本主義国とも手をつないでいくという独自の方針を貫き通し、87歳で亡くなるまで国を一つにまとめあげたのでした。そして、ヨーロッパやアジアの中立国が、アメリカやソ連に対抗する「第三勢力」として団結していくことの大切さを訴え続けていたことでも知られています。

内戦は不幸でしたが、今回訪問した国々を見る限り、どこの町の人々もその苦難を乗り越えた自信のようなものが感じられて、ほっとしました。特に、いち早くユーロに加盟したスロベニアや、これから大観光国を予感させるクロアチアには、もう一度訪問したいと思うほどでした。

私の印象深かった「ベスト5」は次の通りです。●内戦を乗り越えたアドリア海の真珠「ドブロブニク」とその城壁めぐり ●絵はがきのように美しいアルプスの瞳「ブレッド湖」 ●20km以上も続くというヨーロッパ最大の鍾乳洞「ポストニア鍾乳洞」 ●エメラルドグリーンの16の湖と96の滝が織りなすプリトビッツェ湖群国立公園 ●激戦の傷跡生々しいものの立派に復興した石橋の町「モスタル」

なお、今回の旅も昨年同様、兄夫妻と同行いたしました。このブログにリンクしています「十(とお)一(はじめ)こと酒井猛夫のブログ」では、2、3週間かけて、旅行の詳細をたくさんの写真とともに記述するはずです。興味のある方はぜひのぞいてみてください。

初泳ぎの翌朝のこと。散歩中に、かゆいのか痛いのか、キャンキャンいいながら、地べたに座りこんだり、しっぽの辺りを噛みついたり、のたうちまわるのです。ノミに刺されたところが、だだれでもしたのかと思って調べてみると、ややや、まだノミの残党がウロウロしているではありませんか。

すぐに、2度目の風呂入れ作戦に出ました。今回は、最初から浴槽を満水にして、一気にモカをお湯の中に入れ、泳がせてみることにしました。しかしモカは、昨夜の恐怖を思いだしているのか、なかなか風呂場に入りたがりません。でも、ノミをやっつけるのだからと説得して(モカは人間の言葉を理解するのです)、中に入れました。そして、即席の応援歌「♪がんばれ!モカちゃん」をこしらえて、歌ってはげましながら、モカの泳ぎを見守りました。出てきます、出てきます。昨夜ほどではありませんが、10匹ほど退治しました。モカは今回も、おぼれる恐怖と戦いながら、舌をハアハア懸命に泳いでいるのはかわいそうなほどでした。今回は、前夜の倍の10分くらいで出してあげました。はたして、壊滅させられたのでしょうか。その日はもう、あまりかゆがることはありませんでした。

ところが敵もさるもの、まだしぶといのが残っているようです。翌朝、お尻のあたりで動いている1匹を見つけたので、すぐさま、第3回「風呂入れ作戦」の決行です。ノミが少なくなってきているのがわかるためでしょう。モカも協力的になって、尻尾をふりふり風呂場へ直行です。ザブン! 浴槽に入ったモカの泳ぎには、何か余裕が感じられ、昨日までのメチャクチャに前足を水面にたたきつけていたのに対し、全身を上手にバランスをとりながら、最小限の動作で泳いでいるのには感心します。とても気持ちよさそうなので「応援歌」ではげますこともなく、およそ15分で終了、ノミ退治5匹の成果でした。しばらくぶりのハードな運動だったせいでしょう。いつもの倍以上の食事量でした。

私は、15分間も水の中に入っても死なないノミの生命力にあきれはて、モカの身体にノミを見つけたら何回でも風呂へ入れるという長期戦を決めこみました。そしてその翌朝、第4回「風呂入れ作戦」に打って出ました。もうモカは、浴槽に入るのを期待して待っているかのように、うれしそうに尻尾をふっています。そしてスイスイ立ち泳ぎを開始。余計な力がぬけているからでしょう、舌をハアハア出すこともなく、口を閉じて鼻呼吸しながら泳ぐ様は、芸術的でもあります。それにしても、人間の子どものように高い月謝を払って「水泳教室」へ通わせるでもなく、見事に泳いでしまう能力には、感嘆してしまいます。今回もおよそ15分、ノミ退治3匹でした。

そして2日後、第5回目の風呂入れで3匹を退治してから、もうノミを見かけることがなくなりました。ついに壊滅に成功したようです。秋も深まって、涼しくなったことも一因なのかもしれません。最後にモカを泳がせてから、もう10日以上たちますが、ときおり「私、泳ぎたいの」といった表情をみせます。この週末には、泳がせてあげようかな。

3年前に痛めつけられたノミに、その後2年間は無事切り抜けられたのは、散歩中にとりつくと思われる危険地帯に近づかなかったからだと判断していました。ところが、今年の夏の終わりの長雨が、ノミの大発生を後押ししたにちがいありません。9月の半ばすぎから、かゆがりはじめたのです。

犬に詳しい人のアドバイスで、ノミとりシャンプーを手に入れてシャンプーしたところ、2、3日はおとなしくしていました。ところが、またかゆがりだし、かゆいところをなめたり咬んだりするため、自慢の白毛がぬけ落ちて、お尻のあたりが円形脱毛症のようになりました。さらにその範囲は広がり、背中からお尻のあたりまでピンク色の皮膚が見えるようになりました。そして、ノミに刺されたところを後ろ足でかいたり、かみついたりするからなのでしょう。ときおり痛がってキャンキャンいうようになりました。そこで、じっくり観察してみると、何とおしりのあたりにノミが2、3匹動いているではありませんか。3年前、風呂に入れてノミ退治したのを思いだし、すぐに実行を決断しました。

当時の浴槽の水位は、満水にしても60cm程度で、モカは前足で浴槽のへりをおさえ、後足を底につけ、頭を出すことができました。その後長男一家と同居するようになって、私の生活スペースと完全に分離したため以前の浴槽は譲り、私の新しい風呂場には、水位が満水時に80cmほどになる深い浴槽を取りつけました。その浴槽にモカを入れ、温度を33度に設定して少しずつお湯を出していったのです。モカは、3年前のノミとりのことを思い出したのか、はじめはおとなしくしていました。ところが、だんだん水位があがって、わずかに鼻の先が出せる程度になると、もうパニック状態。懸命に浴槽のヘリにつかまって、脱出を試みようとしました。そのうち、前足がヘリからすべって、完全にお湯の中にもぐったかと思った瞬間、泳ぎだしたのです。ハアハアあえぎながら、懸命に犬かきをしています。モカにとっては、まさに泳ぎの初体験でしたが、バシャバシャやっているうち、ノミがぞろぞろと出てきました。見つけるたびに、風呂桶ですくっては捨て、すくっては捨てとやっているうち、20匹以上はやっつけたはずです。この夜は、疲れているようなので、5分ほどで浴槽から出してあげました。

これで当分大丈夫、うまくしたら全滅できたかもしれないと、ほっと胸をなでおろしました。モカもさっぱりしたようで、食欲も出て、しばらく安眠できなかったのに、その夜はぐっすり眠っているようでした。

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