児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

会社の歴史

拠点長会の席上で語った内容の第2回目。

これまでのオリジナルラインナップ「いずみ文庫」4シリーズは、どちらかといえば本格的に活用するためには、生後2~3歳になるまで待たねばならなかったのに対し、「みんなのおんがくかい」は、 子どもの誕生と同時に活用できる商品であるという点を強調したいと思います。

昔から、胎教ということがいわれてきました。妊婦が精神的な安定や修養につとめ、お腹にいる胎児によい影響を与えることの大切さを説いたのでしょう。それが、最新の研究によると、胎児の聴覚は、妊娠4~5ヶ月から発達しはじめ、お母さんの声をはじめとする外界の音が聞こえるそうです。そして、童謡やクラシック音楽などを聞くことにより、アルファ波という脳波が流れて、胎児にも妊婦にも心地よい精神状態に保たせてくれるわけです。逆に、騒音に満ちた人工的な環境にいるとベーター波という脳波がでます。この波はイライラしているときに出るようで、気分のよいものではありません。雑音と喧騒に満ちた日常生活に、心あたたまる音楽を聞き、お腹の赤ちゃんに語りかけるのは、必ずよい胎教になるはずです。

戦後の核家族化という社会現象によって、お母さんは、以前のようにおじいちゃんやおばあちゃんと相談しながら子どもを育てるというわけにはいかなくなりました。おまけに、通勤に往復2、3時間もかかる現状では、もうひとりの生みの親であるお父さんの協力もあまり期待できません。いわば、幼児にかかわるほとんど一切のことを自分ひとりで考え、判断し、おこなわなければならないのですから、お母さんにのしかかる重圧は並大抵のものではありません。

お母さんは、わが子の食事、睡眠、排便といった生活習慣はもとより、対話、遊び、運動、しつけなど、幼児の生活のすべてを引き受けているわけで、食事のさせかたを誤れば食中毒や栄養失調にもなりかねません。さらに、睡眠のさせかたを誤れば情緒不安定な子どもにもなりかねません。適切な指導をしなければ子どもは排便を自力で行うことはできません。子どもとどう対話するか、どのようにしつけるか、そのやりかたの適不適によって、子どもの能力や人格は、天と地ほどもかけはなれたものになることは疑いのない事実です。これらの教育の成果がすべて、お母さん次第だという現実は、普通のお母さんにとって、あまりにも厳しいものだといえましょう。


拠点長会の席上で語った内容の第1回目。



みんなのおんがくかい」 は、お約束通り5月末(1983年)に完成いたしまして、拡売にはげんでいただいていると思いますが、どんな感想をお持ちでしょうか。内容面では、非常に高い評価をいただいて嬉しく思っております。有吉忠行、西田照子さんお二人による解説のすばらしさ、絵のほうは海外でも高く評価されているアユカワマン氏がメルヘンの世界を精魂こめた120枚の絵にしてくださいました。さらに、一流の音響メーカー・アポロンの協力を得てすばらしい音源を制作してもらえました。まさに3拍子そろった完成度の高い商品に仕上げることができたことは、創業9年のあゆみの結晶であるといってよいかと思います。



そこで今回、この「みんなのおんがくかい」はどういう特長のある商品なのか、どういうねらいで制作したのかといった点をいくつかお話しいたしますので、営業活動の参考にしていただけたらと思います。さらに、「親子読書ライブラリー」 という、当社がこれまで刊行してきたオリジナル図書を組み合わせて販売できるように、9つのコースを発表しましたが、これにはどういうねらいがあるのかということにもふれてみたいと思います。




コースれんげ
まず、「みんなのおんがくかい」が完成したことにより、これまでのオリジナルラインナップの中で欠けていた視聴覚の分野を埋めることが出来ました。



美しい夢を育てる「いずみ文庫」●第1期「せかい童話図書館」(40巻)、観察力や注意力を養い発見する喜びを育てる ●第2期「こども科学図書館」(40巻)、せかいをみつめる広い視野を育てる ●第3期「子どもワールド図書館」(38巻)、主体的・創造的に生きる心を育てる ●第4期 「せかい伝記図書館」(38巻)、そして、明るくやさしい心を育みリズム感や音感を養う「みんなのおんがくかい」(12巻)が加わったことにより、子どもたちの総合能力を開発するための基本シリーズが揃ったことになります。



みんなのおんがくかい」が完成した1983年当時、当社の販売組織は、依然としてフランチャイズシステムによる支社や営業所を全国に設置し、そこから個々の家庭へ訪問販売する手法を中心に展開していた。当時、いずみ書房が拠点をおいていた都市は、北から盛岡、秋田、仙台、福島、宇都宮、前橋、浦和、三鷹、八王子、千葉、木更津、川崎、横浜、新潟、長野、上田、松本、飯田、諏訪、静岡、大阪、宇部の各市であった。

大きな市街地に拠点を置き、採算をとりながら、長い間それを維持していくことは容易なことではない。そのため、個々の営業マンへは、目標をしっかり持って日々の活動ができるように、6ヶ月間の長期販売コンテストを実施していた。そして、「いずみ通信」という社内報を毎月発行し、コンテストの速報や、さまざまな営業活動に役立つ情報を詳細に伝えた。さらに、コンテストの表彰をかねて、6ヶ月ごとに全国拠点長会を温泉地でひらき、会社の方針を伝えたり、拠点長の目標管理や決起大会、夜は懇親会を催し、モチベーションを長期間保つための工夫をこらしたものである。

1983年の7月に開催した拠点長会の席上で、私は「みんなのおんがくかい」を完成させたことにより、これまで刊行した「いずみ文庫」(ポケット絵本)の4シリーズと「みんなのおんがくかい」を、さまざまに組み合わせをすることを提案した。これまでは単品売りが中心だった販売形態から、2シリーズ、3シリーズと組み合わせて販売することにより、売上倍増を願ったわけである。そのためには顧客に、どういう話をしてほしいかの提案を、拠点長の前で語った。

次回から何回かにわたり、その内容を記述することにしよう。

今、手元に1977年4月発売号の「月刊・セールス」(ダイヤモンド社刊)に掲載の1ページ広告がある。全国42支社の募集とあるから、わずか2ヶ月で18地区が決定し、全国29地区と、一気に販売組織が拡大している様子が見てとれる。

ただし、どの地区も順調にいったわけでなく、大半が意気込みだけで終わってしまった。F商事が茨城支社の契約を交わしたが、業績が伴わずにやがて脱落していったように、どのような業種でも似たようなものだとは思うが、よほど真剣に仕事に取り組まない限り、軌道に乗せるのは至難のわざなのだ。

もちろんその頃から、またその後に支社長となった人も含め、しっかり地盤を築きあげた支社がいくつか出てきた。中でも、栃木県、長野県を筆頭に、岩手県、神奈川県、山口県では、それぞれの地域にあった営業方法や研修方法を工夫し、順調に売り上げを伸ばし、経営も安定しだした。そこで、今後は新たな支社を募集するより、ノウハウを確立した支社が隣接する県に出店していくというやり方が最も効率がよいことがわかり、それを推進する方向に切り替えていった。

特にその組織づくりに成功したのは、Y氏の率いる長野支社だった。茅野市(後に諏訪市)に支社を構え、県内に長野市、松本市、上田市、飯田市などに営業所を置き、地域に密着したきめの細かな営業活動で、着々と成果をあげていった。特にY氏の蓼科湖畔の元旅館だった住まいの大広間を研修所にし、泊り込みの研修体制は見事に機能しだし、人材の育成は他の支社のどこにも負けない、独自のノウハウを築きあげていった。そして、長野県内をうまく組織化したY氏は、隣接する新潟県、静岡県に組織を拡大していくのである。

その後の「いずみ書房の歩み」については、後日改めて記述したいと思う。まずは、本日をもって、53回にわたる「いずみ書房」の創業期のドラマを終了することにする。長い間のご愛顧に感謝!(ペコリ)

私は1972年、まだ社会思想社に勤務していた頃、将来の居住を目的に、妻と共同で80坪ほどの土地を購入していた。当時、千葉県流山市が「南流山再開発地区分譲」ということで、新聞に大々的に広告をしていた。今後これほど安い物件は、首都圏では出ないといううわさもあり、資料を請求して検討してみた。多くの区画の分譲があったが、将来開通する予定の武蔵野線「南流山駅」から徒歩1分、80坪、1100万円の分譲地は価値ありと判断し申し込んでみた。公開で当選者を選ぶそうで、流山市の公会堂へ出向いた。選んだ土地は、一番人気の分譲地だったようで競争率は17倍だという。当たったら儲けものという軽い気持ちだったが、1番くじははずれ、次候補になった。

運がなかったと思っていたところ、後日連絡があり、当選者が資金不足で辞退したため、当方に順番がまわってきた。私も妻も倹約家タイプだったのが幸いし、定期預金をすべて解約して、なんとか1100万円のこの土地を契約することができたのである。

しかし、契約はしたものの、流山市に問い合わせてみると2、3年のうちに開発するといっていた計画は大幅に遅れ、5年先になるか10年先になるか見通しが立っていないという。そのため、土地の権利書が手に入らない。権利書がないことには、銀行もこれを担保に融資するということは出来ないという。

仕方なく、権利書がなくても1000万円程度で買い取ってくれる人を探し始めた。親類から、友人、知人、さまざまな人に声をかけた。ところが、私の身近な人たちの中には、1000万円を用意できる人は、ひとりもいなかった。結局、妻の知り合いの三鷹市にあるTという不動産屋の社長が、当方の窮状を理解してくれ、流山市に問い合わせるなどして物件の確証を得て、1000万円での売却を了承してくれた。

早速、この資金を使って、入札前に「ポケット絵本」の買戻しを実現できたのであるが、何とも割り切れない、苦い思い出である。

ややっ! 昨日開業した、秋葉原とつくばを結ぶ通勤新線「つくばエクスプレス」の駅に、「南流山」があるではないか。急に、口惜しさが増してきたゾ。

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