児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

会社の歴史

3bdec57f.JPGいずみ書房」に入社した人たちへの社員研修のスタートは、私がやることにしている。会社の出版理念を、最初の段階でしっかり知ってもらいたいためである。出版流通のしくみや、当社が取次店→書店という一般的な流通に頼らない独自の歩みをしてきた理由など、基本的なことを講習した後、「いずみ書房」創業のころの話をする。A社社長H氏の詐欺行為に嫌気がさして見切りをつけたのはよいが、そのときすでに、日本昔話を中心にシリーズの制作を20点近く手がけ、5、6点は出版できるところまで進行していた。何とか日の目を見させなくては、頑張って描き上げてくれた若い絵かきさんや、文を担当した人に申し訳ない。たくさんの人に声をかけた中で、コンピューターの部品会社を経営するF氏に出会った。ある宗教団体の青年部の代表という立場でもあるという。

「日本の昔話を中心に、世界の名作童話を加えて、40巻の文庫判の絵本シリーズをこしらえたい。一度に作り上げるのは資金も時間もかかるので、まず4冊を箱入りにした小さなセットを作り第1集とする。これを毎月1集ずつ配本して、全10集・40巻で完結させる」。私の構想を聞いたF氏は、握手を求めてきて、是非この絵本シリーズを売らせて欲しい。自分たちの組織を使えば、1万セットくらい短期間に販売できるはずという。私はこの言葉を信じ、製薬会社を退社したばかりの、妻の父親である樫村文太に出資を申し出て、共同で「いずみ書房」を興す決意を固めた。そして、樫村に社長になってもらい、シリーズ名称を「ポケット絵本」として、第1集1万セットを完成させた。早速、F氏のところに、まだ印刷のにおいの残る完成品を届けた。大喜びしてくれることを期待したところ、あにはからんや浮かない顔をしている。教祖の了解がえられないので、もう少し時間がほしいというのだ。何度電話をかけてもいっこうに事が進まず、結果的にこのルートは断念せざるを得なかった。

ここまで話した後、私は新入社員にこう問いかける。
「文庫判の絵本4冊箱入セットを1万セット完成させはしましたが、販売先の目論見がはずれて途方にくれてしまいました。私は、すぐに本の流通の主流となっている取次店→書店のルートを活用しようと、取次店に出向きました。既成の出版社は取次店に本を納入すると、翌月に納入金額の50%がバックされる仕組みでした。当然、どこの出版社にも適用されるものと思っていたのに、実績のない出版社に対しては非常に厳しい条件しか提示してくれません。納品してから6ヶ月後の締め、返品を差し引いた上、入金は7ヶ月後だというのです。資金は第1集分の支払いで底をついてしまっています。さあ、あなたがそういう立場だったとしたら、どう売りさばきますか」・・・と。

21cf5190.JPGH社長の行動力はすさまじく、印刷を終えて製本作業にかかったばかりの見本を持つと、高級外車に乗って全国を飛び回り、3ヶ月ほどで全セット(26万冊)を完売してきてしまった。すぐに再版ということになるが、簡単にはいかない。日本にフィルムがあれば、1、2ヶ月で完成するが、版があるのは英国。絵の部分を印刷したシートを、英国の港から東京港まで船で輸送、日本での印刷と製本ということになり、完成までにどんなに急いでも半年は覚悟しなければならない。私は、レディバード社の刊行物はヨーロッパの昔話が中心になっているが、日本にも「ももたろう」「はなさかじじい」「竹取物語」(かぐやひめ)など、グリムの昔話やアンデルセン童話などにもひけをとらない昔話や童話がたくさん存在すること。レディバード・ブックスを参考に日本版絵本を制作し、レディバード社に気に入られて「レディバード・ブックス」に組み入れてもらえる可能性も残されている。それがだめでも、H社長の経営するA社が発行元になって売り出せば、日本でもきっと受け入れられるはず、と助言した。この助言は受け入れられ、私はすぐに編集作業にとりかかった。一方A社では、レディバード童話シリーズ日本語版の評判が高まり、販売先から催促の電話が殺到しうれしい悲鳴をあげていた。ところが、再版の完成まで半年も待てないと判断したH社長は、私に内緒で絵本を写真にとり、あろうことか海賊版を作りはじめたという。私はこれを知り、H氏とこれ以上仕事を続けることは無理だと感じ、袂を分かつ決意をした。後日談だが、悪いことはできないもので、結局、正義感に燃える社員のひとりがH社長の不正を訴え、レディバード社の知ることとなって国際裁判にかけられてしまったそうだ。倉庫から1冊も出荷されないまま在庫はすべて廃棄処分を命じられ、それが遠因となって倒産することになったという。

bc523c06.JPG私が英国レディバード社の刊行する「レディバード・ブックス」と、神保町にある洋書店で出会ったのは、子ども向け文庫判シリーズ企画が受け入れてもらえず、悶々としているころのことだった。レディバードの絵本シリーズは、文庫判よりちょっと縦長で、1冊56ページ、オールカラー、コンパクト判の上製本なのに、当時の定価で100円程度、驚くほど廉価だった。しかも、昔話ひとつとっても、日本の多くの絵本のように伝承されてきた話を省略せず原話の味を生きいきと記述していること、泰西名画のようにしっかり描きこまれた絵に感銘を深くした。さらに調べてわかったことは、そのシリーズが本国のイギリスばかりでなく、毎年1千万部以上を、世界中に普及しているという事実だった。欧米の人たちは、子どもたちが寝る前の時間をとても大切にしていて、子どもたちを傍らにおいて本を読んであげる習慣が多くの家庭にあった。毎晩読んであげるには、大きな絵本より、小さくて取り扱いやすいほうがいいし、読んであげる大人もいっしょに楽しめる充実した内容が求められていたのだ。世界の絵本の主流はコンパクト判にあると確信を深めた私は、独立する意思を固め、この企画に賛同してくれる会社を探しはじめた。まもなく東京・板橋区内で印刷業を営むH氏と知り合うことになる。大手印刷会社の下請けをする印刷業というのは、将来に不安のある業種と考えていたH社長は、出版に挑戦してみないかという私の提案に賛同した。当時は、第1次オイルショックの頃で、日本中にトイレットペーパーがなくなるほど深刻な用紙不足に見舞われていた。印刷用紙とて例外ではなかった。英国レディバード社にかけあうと、絵本の絵の部分だけを印刷したブランクシートを販売することができるという。さすが英国という国は、自国だけを販売のターゲットにしていない。そのブランクシートにフランス語を刷り込めばフランス語版の絵本ができるし、ドイツ語だったらドイツ語版の絵本になるという具合である。当然日本語を刷り込めば日本語版の絵本が完成するわけだ。さらに合理的にできているのは、1枚のシートで1冊の本が出来上がる仕組みになっていた。H社長はすぐに英国に飛び、グリムやアンデルセンの名作、ヨーロッパの昔話を中心とした童話のシリーズのブランクシートを26点、各1万シート、計26万冊分購入する契約をして帰国した。すぐに、私は日本語版の編集を引き受け、半年後に無事完成させた。

大学を卒業してすぐに、私は「社会思想社」という出版社に入社した。「現代教養文庫」という文庫判のシリーズを刊行する出版社で、当時すでに500点近くを出版する中堅クラスの会社だった。今でこそ文庫といえば、百社に近い出版社が手がけているが、当時文庫といえば、岩波書店、新潮社、角川書店の3社が刊行する、古典や定評ある文学作品というイメージが強いものだった。その3社の文庫に続く存在として教養文庫が高く評価されたのは、若者向け人生論から、写真をふんだんに取り入れた旅シリーズ、文学散歩、世界の名画めぐり、科学読み物など、さまざまな分野の書下ろしをメインとするところにあり、高校生や大学生に特に人気があった。仕事は「広告」担当だった。新聞や雑誌に出稿する広告原稿の制作が主だったが、この仕事は出版をトータルで学べるという点で有難い部署だった。編集部ではどんな本を刊行するのか、営業部はどんな売り方をするのか、広告予算はどの程度か、会社の経理面も何となくわかる。ただ、入社後すぐに気づいたのは、出版社というのは、読者とのパイプが皆無に近いということだった。つまり、お客さんは書店に行ってほしい本を買うわけだから、どんな人が購入したのか出版社には具体的な読者がみえない。読者情報を得る唯一の手段は「読者カード」という、本の間に挟み込まれたハガキだけといってもよい。それを頼りに、何人かの人と直接会って話を聞いてみると、教養文庫に、中学生とか高校1、2年生の頃に出会った人ほど、ヘビーユーザーになっている。もっと早い時期、小学生、さらに幼児の時期に出会わすことができたら、もっと大きな効果を生み出すに違いない。私の幼児・児童期の体験から確信に近いものがあった。それから何年か後、編集部に配属されたとき、文庫判の絵本企画を提案した。そして、そんな絵本シリーズで面白さを知った人たちは、必ず現代教養文庫のファンになってくれるはずだと企画会議で力説した。ところが、何度提出しても答えは同じだった。「児童出版社は、老舗の福音館書店、偕成社をはじめたくさんの会社があるけれど、どこもコンパクト判の絵本など出していない。出版しないということは売れないということ。専門の会社がやらないようなことをやるのは無謀」というのがその理由だった。続きは後日(明日を予定)。

学習室文庫文庫判上製のシリーズ「せかい童話図書館」を刊行することが、私のいずみ書房創業のキッカケだった。なぜ出版社を起こしてまで、童話のシリーズを刊行することになったのか、それにはいくつかの理由がある。そのひとつは、幼児・児童期の体験が原点としてあると思う。私は、7人兄弟の四男で下に3歳違いの妹がいる。私の父は、小学校の先生を長くやっていたせいか、幼児期の大切さがわかっていたのだろう。物心がついてから毎日のように寝る前に、「学習室文庫」という1冊40~50ページほどの薄い本を読んでくれた。全部で180冊あり、1期分が1箱30冊組、第1期~6期まで6箱に分かれていた。私と妹は一日おきに、1冊ずつお気に入りの本を父に手渡した。日本の昔話、グリムやアンデルセンの童話にはじまり、名作文学、伝記物語、世界の七不思議、科学読み物など、ジャンルは多岐にわたっていた。あまり感情導入をしない独特の抑揚は、50年以上経った今も、はっきりと思い出せる。これが幼児期から小学校3、4年生ころまで続いたように記憶している。兄や姉たちも同じように読んでもらっていたようで、この本を見るとなつかしさと共に何か甘酸っぱい思いがするようである。奥付を見ると、昭和2年、中文館書店という出版社から刊行されたシリーズで、1箱30冊の定価が2円と表示されている。今も、兄弟たちの思い出の証しとして、私が大事に保存している

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