児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2017年版 こんな日


● 今日(12月2日)の主なできごと

1804年 ナポレオンが皇帝に即位……この日、ナポレオン・ボナパルトがフランス皇帝になる戴冠式が、パリのノートルダム大聖堂で行われた。ナポレオンは、フランス革命で革命派の将校として活躍後に、北イタリア遠征司令官となって成功をおさめ、1799年にクーデターをおこして実権をにぎり、「ナポレオン法典」を定めていた。皇帝に即位後は、各国を征服してヨーロッパの強大な支配者になっていく。

1970年 歩行者天国……東京の銀座・新宿・渋谷などで、歩行者天国が実施され、ふだんの日曜日の2.4倍もの人びとがくりだした。この日の一酸化炭素濃度が、ふだんの日の5分の1になったことから、車の排気ガス汚染を食い止め、汚染のない環境をとりもどそうと、全国各地に広まるきっかけとなった。


● 今日の主な記念日・恒例日

日本人宇宙飛行記念日……1990年のこの日、TBSの秋山豊寛記者を乗せたソ連のソユーズTM11号が打ち上げられ、日本人初の宇宙飛行に成功したことにちなむ記念日。

原子炉の日……1942年のこの日、アメリカ・シカゴ大学の実験用小型原子炉で、イタリアから亡命した物理学者フェルミの指導により、原爆のもととなるウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功したのにちなんで制定。


● 今日生まれた人

1859年 スーラ……フランスの画家。「点描技法」が有名。代表作『アニエールの水浴』『グランド・ジャット島の日曜日の午後』『サーカス』など。

1923年 マリア・カラス……ギリシャ出身アメリカのオペラ歌手。「20世紀最高のソプラノ歌手」


● 今日亡くなった人

1547年 コルテス……スペインの探検家。「メキシコ」征服者。

1594年 メルカトル……オランダの地理学者。「メルカトル図法」考案。

1814年 マルキ・ド・サド……フランスの小説家。代表作『悪徳の栄え』など。「サディズム(サド)」の由来。

1894年 ロエスレル……ドイツの法学者・経済学者。

1918年 ロスタン……フランスの劇作家。代表作『シラノ・ド・べルジュラック』など。

1944年 沢村栄治……昭和期のプロ野球選手。3度ノーヒットノーラン達成。

1945年 岩崎小弥太……大正・昭和期の実業家。

1963年 佐佐木信綱……明治・大正・昭和期の歌人・国文学者。

1964年 ドッジ……アメリカの銀行家・財政金融専門家。戦後日本の経済政策「ドッジ・ライン」を立案・勧告。

1990年 浜口庫之助……昭和・平成期の作曲家。代表作『バラが咲いた』『夜霧よ今夜も有難う』『人生いろいろ』など。

2007年  多田道太郎……昭和・平成期のフランス文学者・文芸評論家。1924年の誕生日と同日。

2009年 平山郁夫……昭和・平成期の日本画家。


● 過去のマイブログ「12月2日」のテーマ

2015年 「三菱財閥」 と岩崎小弥太
三菱合資会社の4代目社長に就任し、日本最大の重工業企業集団に成長させた岩崎小弥太(いわさき こやた)が、1945年に亡くなった日です。1879年、三菱合資会社の創始者岩崎弥太郎の弟で2代目岩崎弥之助と、後藤象二郎の長女早苗を母に、その長男として東京に生まれた岩崎小弥太は、旧一高を経て東京帝国大学法科大に入学するものの中退して渡英、1902年にケンブリッジ大学へ入学し、1905年同大学を卒業して翌年帰国すると、三菱合資会社の副社長となりました……。

2014年 「シルクロード画家」 平山郁夫
仏教伝来の道や東西文化の交流、シルクロードをテーマに悠久の歴史をたたえた画風で知られる日本画家の重鎮平山郁夫(ひらやま いくお)が、2009年に亡くなった日です。1930年、広島県(今の尾道市)瀬戸田に生まれた平山郁夫は、旧制修道中の生徒だった1945年8月6日、学徒動員先の広島市内で被爆し、九死に一生を得ました。彫金家の大伯父に勧められ、東京美術学校(現東京芸術大)に入学し、前田青邨らの指導を受けて……。

2013年 「大日本帝国憲法」 とロエスレル
明治日本のお雇い外国人の一人として、「大日本帝国憲法」の制定に大きな役割をはたしたドイツの法学者・経済学者のロエスレルが、1894年亡くなった日です。1834年、ドイツ・バイエルン地方のラウルに、弁護士の子として生まれたカール・フリードリヒ・ヘアマン・ロエスレルは、エルランゲン大学やチューリッヒ大学で法学や国家学を学んだ後、ロストック大学の教師となると、1861年に27歳の若さで同大学の国家学教授となりました。1878年に訪日するまでその地位にあって……。

2011年 『シラノ・ド・ベルジュラック』 のロスタン
フランスの韻文の劇作家で『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者として知られるロスタンが、1918年に亡くなった日です。1864年にマルセイユの豊かな商人の家に生まれたエドモン・ロスタンは、パリ大学に学び、弁護士や外交官など、将来どんな道に進むか迷ったようです。やがて、ド・リールやルナールらの文人と交わるうちに、詩劇作家を志すようになりました。1894年、恋の幻滅と再生を描いた韻文喜劇『ロマネスク』が上演されると……。

2010年 点描画のスーラ
新印象派に分類される19世紀のフランスの画家スーラが、1859年に生まれた日です。パリの裕福な家庭に生まれたジョルジュ・スーラは、中学を卒業後2年ほど私立のデッサン学校に学んだ後、官立の美術学校に入りました。アングルの弟子アンリ・レーマンの教室に入り、古典的な名作を熱心に模写したり、伝統的な素描や構図法を学びました。いっぽう、色彩理論、視覚混合の原理、色彩配合に関する研究を続けました……。

2009年 モンロー宣言
アメリカ合衆国(アメリカ)の第5代大統領ジェームズ・モンローが、1823年の議会で、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱した日です。この提唱は「モンロー宣言」とよばれ、アメリカ外交の基本方針となりました。1800年代がはじまったころ、フランスのナポレオンがヨーロッパじゅうに勢力を伸ばしましたが失脚し、1814年に各国の代表がウィーンに集まって「ウィーン会議」を開きました。オーストリアの首相メッテルニヒが中心となって、何もかもナポレオン以前の姿に……。

2008年 アステカ・インカ文明を滅ぼした人たち
メキシコに高い文明を誇ったアステカ帝国を滅ぼしたコルテスが、1547年に亡くなった日です。南アメリカ大陸に栄えていたインカ帝国を滅ぼしたピサロとともに、不遇な人生だったようです。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して、27年ののち、見知らぬ土地の征服を夢見た34歳のエルナン・コルテスが、この新大陸へ渡りました。コルテスは、1485年スペインに生まれ、大学を卒業すると探検にあこがれて大西洋を越え、カリブ海に浮かぶスペイン領のキューバ島へやってきました……。

2005年 示談の成立
間もなく裁判所から、公判の案内があった。この件に関しては、当時の樫村社長にすべて担当してもらった。争いごとに関しては、あまり情実にとらわれず、冷静沈着であるべきと考えたためである。第1回目の公判にJ・ライフのY社長は弁護士を伴って出廷し、手形に個人保証をした覚えがないこと、J・チェーンの経理担当がY社長に無断で印鑑を押したと主張したという。裁判は長期戦となり、第2回目以降Y社長は出廷することはなく、代理人が最初の主張を繰り返すのみだった……。


● 今日(12月1日)の主なできごと

1789年 ギロチンの採用……フランス革命のころ、死刑執行のために使われた首切り器械のギロチンは、医師のギヨタンが提案してこの日の国民議会で採用されたことで、ルイ16世やその妃マリー・アントアネットをはじめ何万人もの人が首を切られた。ギヨタンもまたギロチンで処刑されたという説は、別人の誤り。

1997年 京都議定書……「地球温暖化防止会議」が、この日から10日間京都で行なわれ、地球温暖化の原因となる温室効果ガスをだす量を、先進国が国別に目標値を定めて減らしていくことを決めた。この取り決めは「京都議定書」と呼ばれている。


● 今日の主な記念日・恒例日

映画の日……1896年11月25日、神戸で日本で初めての映画の一般公開が開始された。この会期中のきりの良い日として、映画産業団体連合会が1956年に、この日を記念日に制定。

鉄の記念日……1857年のこの日、南部藩士・大島高任が日本で初めて高炉による製鉄に成功したことから、日本鉄鋼連盟が1958年に制定。

世界エイズデー……エイズ問題への人々の意識を高めることを目的に、世界保健機関(WHO)が1988年に制定した国際デー。

その他の記念日……デジタル放送の日・いのちの日・カイロの日・冬の省エネ総点検の日・手帳の日・データセンターの日・着信メロディの日・カレー南蛮の日など。


● 今日生まれた人

1573年 沢庵……安土桃山期から江戸時代前期の臨済宗僧侶。沢庵漬けを考案したとされる。

1761年 マリー・タッソー……フランスの蝋人形作家。ロンドンに蝋人形館「マダム・タッソー館」設立。

1850年 矢野竜溪……明治期の政治家・ジャーナリスト・小説家。代表作『経国美談』『浮城物語』など。
 
1875年 松永安左エ門……明治・大正・昭和期の実業家。福博電気軌道の設立など。「電力の鬼」

1879年 荻原碌山(守衞) ……明治期の彫刻家。代表作『文覚』『北条虎吉像』『女』など。

1932年 鈴木敏文……昭和・平成期の実業家。「イトーヨーカドー」「セブン-イレブンジャパン」創設。

1933年 藤子・F・不二雄……昭和・平成期の漫画家。藤子・A・不二雄とコンビを組み、ヒット作を連発。代表作『オバケのQ太郎』『ドラえもん』『パーマン』など。


● 今日亡くなった人

1711年 浅見絅斎……江戸時代中期の儒学者・思想家。幕末期の尊王論者に大きな影響。

1977年 海音寺潮五郎……昭和期の小説家。代表作『天正女合戦』『武道伝来記』『天と地と』など。


● 過去のマイブログ「12月1日」のテーマ

2015年 「歴史小説の第一人者」 海音寺潮五郎
長編小説『平将門』『天と地と』、史伝『武将列伝』長編史伝『西郷隆盛』など、たくさんの歴史小説を著した作家の海音寺潮五郎(かいおんじ ちょうごろう)が、1977年に亡くなった日です。1901年、今の鹿児島県伊佐市に生まれた海音寺潮五郎(本名・末富東作)は、国学院大学高等師範部国漢科を卒業後、指宿中学や京都府立二中の教師を務めながら小説を書き続け……。

2014年 「志士のバイブル」 と浅見絅斎
江戸時代中期の儒学者・思想家で『靖献遺言(せいけんいごん)』を著し、幕末期の尊王論者に大きな影響を与えた浅見絅斎(あさみ けいさい)が、1712年に亡くなった日です。1652年、近江国(滋賀県)高島に医者の子として生まれた浅見絅斎(通称・重次郎)は、軍学や儒学を学び、父の後をついで高名な医者となりましたが、26歳のころ晩年の山崎闇斎に師事して儒学を深めるうち、学者となる道を選びました……。

2011年 「おもしろ古典落語」51回目 『素人(しろうと)うなぎ』
徳川幕府が終わって、明治の新しい政府ができたころのお話です。「おや、中村のお殿さまじゃございませんか、どちらへ」「おう、神田川の金か、もうわしは武士じゃないから、殿さまなんていっちゃいかん。実は、家を探しておるのじゃ」「すると、もとのお屋敷はいかがなさいました?」「屋敷のほうはそのままになっておる。世の中が変わってしまって、家じゅうの者が遊んでるわけにはいかぬから、商売でもやろうと思ってな。なれぬことをして大損してはつまらぬから、しるこ屋でも……。

2010年 ロダンに魅せられた碌山
明治時代の彫刻家で、『文覚』『北条虎吉像』『女』などを制作した荻原碌山(おぎわら ろくざん)が、1879年に生まれた日です。長野県安曇野市に生まれた碌山は、幼い頃から病弱で、読書をしたり、絵を描いたりして過ごしました。地元の小学校を卒業後、家業の農業に従事しましたが、同郷の先輩で後に新宿・中村屋の創設者となる相馬愛蔵と知り合い、人間的・思想的な共感をおぼえました……。

2009年 沢庵和尚
漬物の「たくあん漬け」を考えたといわれる禅宗の僧・沢庵和尚が、1573年に生まれた日です。但馬(たじま・兵庫県)国に生まれた沢庵の父は、戦国大名・山名家の重臣でした。しかし、山名家は羽柴(豊臣)秀吉にせめられて滅亡したため、沢庵は10歳で出家させられ、21歳のときに京都の大徳寺に入り沢庵と名乗りました。きびしい修業を重ね、権力に屈しない強さ、名声や金銭に対して無欲無心……。

2008年 大切な日常での心の通い合わせ
病院の待合室で、子どもに本を読み聞かせる母親と、耳をかたむける子ども。この母と子の姿には、2つの型があります。子どもが、待合室に備えつけの本の中から1冊をぬいてきて「これを読んで」という。すると母親は「これ、この前読んであげたでしょ」と答え、子どもは、他の1冊を持ってくる。ところが、さあ読み始めた母親にはまったく真剣さがない。字面を棒読みするだけ……。
 
2006年 「ゴーリキー」 のこども時代
ゴーリキーの書いた、もっとも有名な作品は『どん底』ですが、少年時代のゴーリキーの生活は、ほんとうに、どん底でした。ゴーリキーが4歳のときに家具職人だった父が亡くなると、母の実家へひきとられ、それから7年間、まるで動物のようにあつかわれて、毎日なぐられる暗い日がつづきました。そして11歳のときに母が亡くなると、小学校もわずか1年でやめさせられ、たった一人、世の中へほうりだされてしまいました。寝るところもお金もなく……。

2005年 J・ライフのこと
1983年の年末頃のことだったろうか、ある雑誌を読んでいたところ、J・ライフという会社が「マルチ訪問販売」という手法で、羽毛ふとんを中心に大躍進しているという。同年2月期に400億円を売り上げ、1984年には1000億を越えそうな勢いという。私はこの記事に釘づけになった。というのも、その社長が何と、あの倒産したJ・チェーン社長のY氏なのだ。私と同年齢ながら、1000店を越えるJ・チェーンを短期間にこしらえあげたが……。


● 今日(11月30日)の主なできごと

1888年 メキシコと初の対等条約……この日、日本とメキシコが「日墨修好通商条約」を締結。これは、日本がアメリカ、イギリス、ロシアなどと結んだ不平等条約と異なり、治外法権がなく、関税自主権のある、アジア以外の外国と結んだ初の平等条約となった。

1892年 北里柴三郎が伝染病研究所を設立……細菌学者の北里柴三郎は、日本初の「大日本私立衛生会伝染病研究所」を設立した。福沢諭吉らの支援によるもので、ここで北里はペスト菌や赤痢菌を発見したり、野口英世や志賀潔らの人材を輩出するなど多大な功績をあげた。その後、東京帝国大学所属となり、今の東京大学医科学研究所に引きつがれている。


● 今日の主な記念日・恒例日

カメラの日……1977年のこの日、小西六写真工業(今のコニカミノルタ)が世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラ「コニカC35AF」を発売したことにちなむ記念日。

シルバーラブの日……1948年のこの日、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出したことに由来した記念日。死を覚悟しての行動だったが、養子に連れ戻され、その後2人は結婚。川田の詠んだ「墓場に近き 老いらくの恋は 恐るる 何もなし」という短歌から「老いらくの恋」が流行語になった。

鏡の日/本みりんの日……「いい(11)ミラー(30)」「い(1)い(1)み(3)りん(0=輪)」の語呂合せから、それぞれ制定。


● 今日生まれた人

1667年 スウィフト……アイルランド出身イギリスの風刺作家・政治評論家。代表作 『ガリバー旅行記』 など。
 
1764年 高橋至時……江戸時代中・後期の天文学者。伊能忠敬の師。

1835年 マーク・トウェーン……アメリカの児童文学作家。代表作『トムソーヤの冒険』『ハックルベリーフィンの冒険』『王子と乞食』など。

1874年 チャーチル……イギリスの軍人・政治家。首相として第2次世界大戦を指導。当時の活動を記した『第二次世界大戦回顧録』でノーベル文学賞。

1874年 モンゴメリ……カナダの小説家。代表作『赤毛のアン』シリーズ。

1875年 長谷川如是閑……明治・大正・昭和期のジャーナリスト・評論家。

1925年 林家三平 (初代)……昭和期の落語家・テレビタレント。「爆笑王」

1928年 土井たか子……昭和・平成期の政治家。社民党党首・衆議院議長歴任。


● 今日亡くなった人

1900年 オスカー・ワイルド……イギリスの小説家・劇作家・詩人。代表作『ドリアン・グレイの肖像』『サロメ』『幸福な王子』など。

1955年 大山郁夫……大正・昭和期の社会運動家・政治学者。

2015年 水木しげる……昭和・平成期の漫画家。代表作『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』など。妖怪漫画の第一人者。


● 過去のマイブログ「11月30日」のテーマ

2015年  「民主主義思想の普及」 と大山郁夫
大正デモクラシーの最先頭に立って言論活動を行い、戦後は国際的平和運動に身をささげた政治学者・社会運動家の大山郁夫(おおやま いくお)が、1955年に亡くなった日です。1880年、今の兵庫県相生市の福本家に生まれた郁夫は、17歳の時に養子縁組により大山姓となりました。東京専門学校に入学すると、在学中に早稲田大学政治経済学部に改組され、1905年に同学部を首席で卒業しました。1906年に同大学の講師となり、1910年よりアメリカとドイツに留学して1914年に帰国すると……。

2012年 「おもしろ古典落語」96回目 『浮世床(うきよどこ)』
江戸時代、ちょんまげというのを頭の真ん中にのっけていたころは、町内の暇な若い衆が、髪結い床に集まっては遊んでいました。床屋で遊ぶというのはおかしなものですが、ここには6畳ほどの小部屋がありまして、将棋盤に碁盤、貸本のようなものがそなえつけてあります。ワイワイばか話の最中に、「だれだい、むこうの隅でもそもそしてんのは? やぁ、留じゃねぇか、なにしてるんだ」「講談本を読んでるんだ」「どんな講談だ?」「…えぇ、たいこやきってんだ……。

2011年 『赤毛のアン』 のモンゴメリー
『赤毛のアン』シリーズを著したカナダの女流作家モンゴメリーが、1874年に生まれた日です。カナダ東部にあるプリンス・エドワード島で生まれたルーシー・モード・モンゴメリーは、1歳半で母を亡くし、父はカナダ西部へ移住したため、モンゴメリーは同島のキャベンディッシュで郵便局を営む母方の祖父母に引き取られ、厳しく育てられました。 幼いころから読書や書くことが好きで、15歳のときに地方紙に詩を載せたりしました。本土の東海岸にある都市ハリファックスの大学を卒業後……。
 
2010年 「イギリスのブルドック」 チャーチル
第2次世界大戦のとき、イギリス首相として連合国を勝利に導くのに大きな力を発揮したチャーチルが、1874年に生まれた日です。チャーチルは1953年、『大戦回顧録』の著書によってノーベル文学賞を受賞しています。オックスフォードシャー州の貴族の家に生まれたウィンストン・チャーチルは、子どものころからわんぱくで、勉強ぎらいでした。13歳で名門ハロウ校に入学しますが、文章を書くことが好きだった以外は戦争ごっこばかりしています。そのため成績は悪く……。

2009年  アメリカの代表作家・マーク・トウェーン
ミシシッピ川を背景に生き生きとした少年文学『トムソーヤの冒険』『ハックルベリーフィンの冒険』をはじめ、『王子と乞食』などユーモアのなかにするどい社会風刺をもりこんだ数々の作品を著し、アメリカの国民文学の成立に大きな足跡を残した作家マーク・トウェーンが、1835年に生まれた日です。マーク・トウェーンというのはペンネームで、本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズ。長い名前なので、「サム」と呼ばれていました。サムは、ミズーリ州のフロリダに誕生……。

2007年  マラッカひとり旅
ガイドブックに出ていた日本料理店「炉ばた大作」で夕食をとり、日本語の堪能な中国系の板前さんに、マラッカへ行くにはどうするのが一番よいかとたずねたところ、「バスを利用するのが一番便利、片道10リンギほどですよ」と、プドゥ・ラヤというバスターミナルのある場所を、私の手持ちの地図に○印してくれました。翌朝さっそくバスターミナルをめざしました。とても広いバス・ステーションで20~30台も止まっています。係員に「マラッカへ行きたい」と告げると、目的地別になっている改札口の番号を教えてくれ、窓口で切符を購入すると、9.2リンギ(320円)です。約170キロ、2時間もかかるところまで行くのに何と安い料金なのでしょうか……。

2006年 「幸田露伴」 のこども時代
五重塔の建立に命をかける、二人の大工の情熱と争いと友情を描いた代表作『五重塔』で知られる露伴は、生れつき体が弱く、幼年期には医者からなんども見はなされたほどでした。5歳で手習いを始めたころ目を悪くして、ほとんど盲目同様になってしまったこともありました。しかし、早くから学問を好み、6歳をすぎたころから塾へ通って漢書の素読を始めました。9歳で東京師範の付属小学校へあがったときは、数学がたいへん得意でした。でも、とくに数学だけを勉強したというのではなく……。
 
2005年 「レディバード図書館」刊行のキッカケ
私が、「いずみ書房」という出版社をはじめる端緒となったのは、英国レディバード社の刊行するコンパクト版の絵本シリーズ「レディバードブックス」との出会いからだった。このことは、5月30日にブログを開始した当初数回にわたり詳述してきたので省略するが、会社をはじめてからも、レディバード社の刊行するシリーズはいつも気になる存在で、ユニークな新刊を入手するたびに、いつかこのシリーズの翻訳権を獲得して、日本語版を刊行したいと考えていた……。


● 今日(11月29日)の主なできごと

1875年 同志社創立……新島襄らが京都に、キリスト教精神に基づく「良心」を建学精神に掲げ、漢学以外はすべて英語で教育するという「同志社英学校」(現・同志社大学)を創設した。

1987年 大韓航空機爆破事件……イランのバクダッドから韓国のソウルに向かう航空機が、ミャンマー沖で爆破され、乗員・乗客115人が死亡・行方不明になった。北朝鮮の工作員金賢姫(キムヒョンヒ)らが実行犯と判明したが、北朝鮮は関与を否定しているため、真相は不明のまま。


● 今日の主な記念日・恒例日

議会開設記念日……1890年のこの日、初の帝国議会が開かれた。前年の「大日本帝国憲法」発布を受けたもので、衆議院と貴族院の二院制だった。

いい肉の日/いい服の日……「いい(11)にく(29)」「いい(11)ふく(29)」の語呂あわせから、それぞれの記念日として制定。


● 今日生まれた人

1546年 黒田官兵衞(如水)……安土桃山期から江戸前期の武将。豊臣秀吉の軍師として活躍後に出家、家督を嫡子で福岡藩初代藩主となる長政に譲る。

1803年 ドップラー……オーストリアの物理学者。「ドップラー効果」発見。

1832年 オルコット……アメリカの小説家。代表作『若草物語』4部作。

1849年 フレミング……イギリスの物理学者・電気技術者。「フレミング(左手・右手)の法則」考案。

1898年 ルイス……アイルランド系イギリスの小説家。代表作『ナルニア国ものがたり』『別世界物語』シリーズなど。

1927年 古田足日……昭和・平成期の児童文学作家・評論家。代表作『モグラ原っぱのなかまたち』『宿題ひきうけ株式会社』など。

1928年 尾崎秀樹……昭和・平成期の文芸評論家。代表著作『大衆文学論』『大衆文学の歴史』など。

1931年 勝新太郎……昭和・平成期の俳優。代表作『悪名』『座頭市』『兵隊やくざ』各シリーズなど。

1965年 尾崎豊……昭和・平成期の歌手。1992年に急死。代表曲『15の夜』『卒業』『汚れた絆』など。没後も人気を維持。


● 今日亡くなった人

1529年 王陽明……明(中国)の儒学者。「陽明学」の祖。

1780年 マリア・テレジア……オーストリア大公・神聖ローマ皇后。マリー・アントアネットの母。

1924年 プッチーニ……イタリアの作曲家。代表作『蝶々夫人』『トスカ』など。

2002年 家永三郎……昭和・平成期の歴史学者。執筆した高校日本史教科書への検定に対し、政府を相手に32年間にわたる裁判は有名。


● 過去のマイブログ「11月29日」のテーマ

2013年   磁石ってなーに ?
「おもしろ科学質問箱 34」 磁石とは、鉄を引きつる性質を持つ物質のことで、両はしにN極とS極を持ち、N極とN極あるいはS極とS極のように同じ極同士を近づけると反発し、N極とS極を近づけると引合う性質を持っています。S極だけ、あるいはN極だけの磁石はなく、磁石を2つに切っても、4つに切っても、同じ数の磁石になります。古代ギリシアでは、鉄を引き寄せる石として磁石はすでに知られていました。古い伝説によりますと、マグネスという羊飼いが、持っていた鉄のつえと……。

2012年  [おもしろ民話集 63] 三枚のお札
昔むかし、ある山寺の小坊主が、栗ひろいに行きたくなりました。「和尚(おしょう)さん、うら山へ栗ひろいに行ってもいいですか?」小坊主が聞くと、「だめだよ、あの山には山んばがいるぞ。食われてもいいのか」と反対しました。でも、あんまり小坊主が行きたがるので、和尚さんは三枚のお札(ふだ)を渡して、「それならこれを持って行きなさい。こまったことがあったら、このお札に願をかけて使うんだよ」と、小坊主を送り出しました。小坊主が山に入ると、あるわあるわ……。

2011年 『蝶々夫人』 のプッチーニ
人気オペラ『トスカ』『蝶々夫人』『ラ・ボエーム』などを作曲したイタリアの歌劇作曲家プッチーニが、1924年に亡くなった日です。1858年、ピサ近郊のルッカに代々音楽家の家系に生まれたジャコモ・プッチーニは、町の音楽学校を卒業後に教会のオルガニストになります。しかし、19歳のときにべルディのオペラ『アイーダ』を見たことで心打たれ、オペラ作曲家を志すようになりました。1880年から3年間、ミラノ音楽院でポンキェルリに師事し、卒業後に作曲家として……。
 
2010年 『若草物語』 のオルコット
自伝的な少女小説『若草物語』など、たくさんの楽しい物語を著したアメリカの女流作家オルコットが、1832年に生まれた日です。ペンシルベニア州に生まれたルイーザ・メイ・オルコットは、4人姉妹の次女として生まれました。父は、「アメリカのペスタロッチ」といわれる個性を尊重する理想主義教育の主唱者でした。4人の娘たちは家族の深い愛情にかこまれ、精神的にゆたかな子ども時代をすごしましました。ところが1844年に一家はボストンへ移住し、父は実験学校を設立しましたが……。

2007年  活気あふれる文化都市・クアラルンプール
マレーシアへ行ったことがない人にとっては、タイやフィリピンと同じような国と思うようで、「マレーシア」へ行ってきたというと、「お腹は大丈夫?」といわれます。たしかに、7、8年前、タイのバンコック、フィリピンのマニラから帰国後、1か月近くも食中毒にやられ、ひどい下痢に苦しめられたことを、いろいろな人に話したせいなのかも知れません。今回は2度目のマレーシアでしたが、衛生面ではまったく問題がないばかりでなく……。

2006年 「イプセン」 のこども時代
主人公のノラが、最後に、妻や母であるまえに1人の人間として生きることを求めて家を出て行く『人形の家』。この3幕の社会劇で世界的に名を高めたイプセンは、ノルウェーの小さな港に生まれました。父は、裕福な貿易商人でした。ところが、イプセンが8歳のとき、父は投機の失敗で家は破産、一家は、町の中心にあった大きな家を去って、郊外の小さな家に住むことになりました。すると、町の人たちの目はいっぺんに冷たくなり、父は、そんな町の人びとに腹をたてて、家にとじこもるように……。
 
2005年  名曲と大音楽家の伝記
拠点長会の席上で語った内容の第7回目・最終回。「せかい伝記図書館」とは、セミクラシックの名曲と結びつけるのがよいと思います。たとえば第1巻目をとりあげただけでも説得力のあるテーマをみつけることができます。この巻には、世界の3大音楽家といわれるベートーベン、モーツァルト、シューベルトの名曲がそれぞれ1曲ずつ取りあげてあります。ベートーベン作曲の有名な 「エリーゼのために」 が、ほとんど耳がきこえなくなった40歳のころに書かれた作品であるということや、モーツァルトがあまりの貧しさのために、遺骸は共同墓地に捨てられるように葬られ……。


● 今日(11月28日)の主なできごと

1883年 鹿鳴館開館……日本初の洋式社交場が、東京・内幸町に開業。外国人を歓迎する舞踏会がさかんに行われ、欧化主義風潮の拠点となったことで、1887年ころまでの狂熱的な一時期を「鹿鳴館時代」とよんでいる。


● 今日の主な記念日・恒例日

税関記念日……1872年のこの日、当時「運上所」と呼ばれていた輸出入貨物の取り締まりを行う機関を「税関」に統一することが決定されたことにちなみ、大蔵省(今の財務省)が1952年に制定。

太平洋記念日……1520年のこの日、ポルトガルの航海者マゼランが、後に「マゼラン海峡」と命名される南米大陸南端の海峡を通過して大海に出た。この海が「穏やかな大洋」だったことから「Pacific Ocean 太平洋」と名づけたことにちなんで制定された記念日。マゼラン自身は、フィリピンで原住民に殺されたが、彼の船団の一隻が初めて世界を一周して帰国、地球が丸いことを証明した。


● 今日生まれた人

1628年 バニヤン……イギリスの説教者・宗教文学者。代表作『天路歴程』。

1820年 エンゲルス……ドイツの社会思想家・経済学者・哲学者。マルクスと協力し、科学的社会主義の世界観を構築。

1835年 井上馨……明治・大正期の政治家・実業家。外務卿・参議・農商務大臣・内務大臣など要職を歴任。鹿鳴館建設。

1847年 桂太郎……明治期の政治家。第11・13・15代首相。陸軍大将・陸軍相歴任。

1878年 寺田寅彦……明治・大正・昭和期の物理学者・随筆家。

1881年 ツヴァイク……オーストリアの小説家・評論家。『マリー・アントワネット』『メアリー・スチュアート』など多数の伝記文学作品。

1897年 宇野千代……大正・昭和・平成期の小説家。代表作 『おはん』『生きて行く私』『色ざんげ』など。

1929年 向田邦子……昭和期の小説家・テレビドラマ脚本家。代表作『花の名前』『七人の孫』『寺内貫太郎一家』『父の詫び状』など。


● 今日亡くなった人

1262年 親鸞……鎌倉時代前期の僧侶。「浄土真宗」開祖。

1859年 アービング……アメリカの小説家。代表作『スケッチ・ブック』『アルハンブラ物語』など。

1954年 フェルミ……イタリア出身アメリカの理論物理学者・実験物理学者(核物理)。

1985年 白洲次郎……昭和期の実業家。吉田茂の側近としてGHQと渡り合う。


● 過去のマイブログ「11月28日」のテーマ

2015年 『スケッチ・ブック』 のアービング
アメリカの作家で、イギリスで名声をえたアービングが、1859年に亡くなった日です。1783年、ニューヨークのマンハッタンに裕福な商人の11人兄弟末っ子として生まれたワシントン・アービングは、身体が弱かったため、幼いころから読書に親しみました。1804年、保養を兼ねてイギリスに渡ってイギリス文学に親しみ、1806年に帰国して弁護士資格を独学でとると……。

2013年  初の原子炉を建造したフェルミ
統計力学、核物理学、量子力学の分野で、世界最高レベルの業績を残したイタリア出身の物理学者フェルミが、1954年に亡くなった日です。1901年、ローマに生まれたエンリコ・フェルミは、地元の公立学校で伝統的な教育を受けましたが、数学や物理学に強い興味を示し、アインシュタインの相対性理論を独学で理解するほどでした。ピサ大学付属の師範学校をへて、1922年ピサ大学で物理学の学位を取得するとローマにもどり、ドイツのゲッティンゲン大学に短期留学してマックス・ボルンら……。

2012年 『天路歴程』 のバニヤン
プロテスタント世界で最も多く読まれた宗教書『天路歴程』を著わしたことで知られるイギリスの説教師・文学者バニヤンが、1628年に生れた日です。イングランド・ベドフォード州の片田舎に、貧しい鋳かけ職人の子として生まれたジョン・バニヤンは、学校教育はほとんど受けず、父の職業を手伝いながら、徒弟修業をしました。1644年に「清教徒革命」(1642-49年。国王と議会が対立し、王朝を倒した市民革命)に、議会軍に参加して国王軍と戦ったのち、信仰心のあつい娘と結婚しました……。
 
2011年  軍閥政治家・桂太郎
日本陸軍の原型をこしらえ、3期にわたり総理大臣を務めて日本帝国主義を推し進めた桂太郎(かつら たろう)が、1848年に生まれた日です。長州(山口県)藩士の子として生まれた桂は、1863年に「下関事件」という下関での外国艦船打ちはらいに軍人としてはじめて出陣、その後の幕府による第2次長州征伐に活躍、新政府軍と旧幕府軍との「戊辰戦争」では、新政府軍の兵を率いて東北地方を転戦……。

2008年  物理学者で随筆家の寺田寅彦
すぐれた物理学者であるばかりでなく、随筆家としても名高い寺田寅彦(てらだ とらひこ)が、1894年に生まれた日です。寺田寅彦は、西南戦争が起こった次の年1878年に、陸軍につとめる会計官の子として東京で生まれました。でも父が何度も転勤したので、少年時代は、ほとんど、父の郷里の高知で育ちました。小学生のころは、虫とりと、顕微鏡をのぞくことと、読書がすきでした。学校の授業は、からだが弱かったので体育がにがてでした。それに、算数もきらいでした……。

2007年  子どもの人格の尊重をいつも心がける
ある駅の近くでのことです。もうすぐ電車が入るのか、歩いていた人たちが、いっせいに走りはじめ、5歳くらいの女の子の手をひいていた若い母親も、かけだしました。すると、ひきずられるようにしていた女の子の、片方のくつがぬげてしまいました。これを、うしろから見ていて、きっと、あの母親の口からとびだすにちがいないと思ったのは 「なにしてるの」 という言葉でした。ところが、この予想は全くはずれました。「ごめんね。ママが、お家をでるのが、おそかったのね。ママが悪かったのに、走らせたりして、ごめんね……。

2006年 「三島由紀夫」 のこども時代
「潮騒」 「金閣寺」 などの名作で知られる三島由紀夫は、子どものころ、たいへん、ひ弱でした。生まれつきではなく、あまりにも祖母にかわいがられすぎたのです。しょっちゅう自家中毒の症状を起こしては、みんなを心配させました。6歳で学習院へ入学しました。少し神経質な少年でしたが成績はすぐれ、放課後、命じられて教壇に立ち、先生の代わりに同級の成績の悪い子どもたちに教えたこともありました。体は弱くても、精神は人一倍強いものをもっていたのです……。
 
2005年  曲に秘められた「歌の心」
拠点長会の席上で語った内容の第6回目。私は、「みんなのおんがくかい」を企画したとき、まっ先に考えたのがひとつひとつの歌に解説をつける、ということでした。どの歌にも人々の心を打つものがある、だからこそ長い年月歌いつがれてきたはずです。これは、昔話が伝えられてきたのと非常に似ていると思われます。というより、「しょうじょうじのたぬきばやし」 は、まさに昔話の世界そのものといってよいでしょう……。

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