児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2017年12月


● 今日(12月6日)の主なできごと

694年 「藤原京」に遷都……この日、日本初の本格的中国式の新都「藤原京(今の橿原市~明日香村)」が完成し、持統天皇は、これまでの飛鳥浄御原宮から藤原京に都を移した。3代後の元明天皇まで、約20年間繁栄した。

1839年 水野忠邦が老中筆頭……江戸時代後期のこの日、浜松藩主だった水野忠邦が老中筆頭となり、11代将軍家斉が亡くなると、忠邦は幕政改革「天保の改革」を行なった。側近たちを退け、商業を独占する「株仲間」の解散、ぜいたくの禁止など、あまりに厳しい改革に民心は離れ、成功とはほど遠いものに終った。


● 今日の主な記念日・恒例日

姉の日……この日が、守護聖人聖ニコラウス(サンタクロースのモデルともいわれる)の祝日にまつわる三姉妹伝説があること、弟の日が3月6日・兄の日が6月6日・妹の日が9月6日に制定されていることから、漫画家で姉妹型研究家の畑田国男が1992年に提唱した記念日。

音の日……1877年のこの日、エジソンが自ら発明した蓄音機で音を録音・再生することに成功したことにちなみ、日本オーディオ協会が1994年に制定。

シンフォニー記念日……1914年のこの日、ベルリンから帰国した山田耕筰が、初の日本人の作曲による交響曲『勝どきと平和』を発表したことにちなんで制定。

ラジオアイソトープの日……1890年のこの日が、ラジオアイソトープの製造にも使われるサイクロトロンを開発した仁科芳雄博士の誕生日にちなんだ記念日。なお、ラジオアイソトープとは「放射性同位元素」のことで、医療・農業・工業など幅広い分野で利用されている。


● 今日生まれた人

1890年 仁科芳雄……大正・昭和期の物理学者。理化学研究所所長歴任。「日本現代物理学の父」

1896年 坂西志保……昭和期の評論家。

1897年 堀内敬三……昭和期の作曲家・作詞家・音楽評論家。NHKラジオ「音楽の泉」の司会進行役・解説者。

1900年 時枝誠記……昭和期の国語学者。「言語過程説」提唱。


● 今日亡くなった人

1700年 徳川光圀……江戸時代前・中期の政治家。徳川家康の孫で、「水戸黄門」の名でしたしまれた第2代水戸藩主。

1887年 島津久光……幕末期の薩摩藩指導者。

1922年 宮崎滔天……明治・大正期の革命家。「辛亥革命」を支援。

1975年 正木ひろし……昭和期の弁護士。反権力裁判・冤罪裁判に関与。「八海事件」に関する著書『裁判官』はベストセラーとなり、『真昼の暗黒』として映画化。

2008年 遠藤実……昭和・平成期の演歌作曲家。代表作『からたち日記』『おひまなら来てね』『高校三年生』『星影のワルツ』『こまっちゃうナ』『くちなしの花』 など。


● 過去のマイブログ「12月6日」のテーマ

2013年 人権を守りぬいた正木ひろし
戦前から軍国主義批判をくりひろげ、戦後は多くの反権力裁判やえん罪裁判にかかわった弁護士の正木(まさき)ひろしが、1975年に亡くなった日です。1896年、現在の東京都墨田区に生まれた正木ひろしは、旧制八高(名古屋)、旧制七高(鹿児島)を経て、1920年に東京帝国大学法学部に入学しました。在学中から親の世話にならないようにと、特別な許可をえて千葉・佐倉中学や、長野・飯田中学の英語教員として勤務しながら大学を卒業すると、経済記者をへて……。

2012年  [おもしろ民話集 64] つぐみひげの王さま
むかし、ある国にとても美しい王女がいました。今日は、その王女の結婚相手を選ぶ日です。王女と結婚したいと思う王さま、王子、公爵、伯爵、男爵ら貴族たちが一列に並ぶと、王女は、それぞれの人の前に案内されました。ところが、どの人にも難くせをつけます。1人目はあんまり太っていたので「酒樽」と呼びました。つぎの人は背が高すぎると「ひょろひょろのっぽ」、3人目は背が低すぎて「ちびでぶ」、4人目は顔色が青いので「青びょうたんの死神」……。

2011年 日中友好の先達・宮崎滔天
中国の孫文らを支援して、「辛亥革命」を支えた革命家の宮崎滔天(みやざき とうてん)が、1922年に亡くなった日です。1871年、肥後国(現在の熊本県荒尾市)郷士の11人兄弟の末弟として生まれた滔天(本名・虎蔵)は、西郷に味方して西南戦争に敗死した民権論者だった長兄の志をつぎ、熊本で徳富蘇峰が主宰していた私塾「大江義塾」でキリスト教や自由主義思想を学びました。1886年15歳で上京……。

2010年 「日本現代物理学の父」 仁科芳雄
ノーベル賞を受賞した湯川秀樹や朝永振一郎らを育てた物理学者・仁科(にしな)芳雄が、1890年に生まれた日です。岡山県の漁港に生まれた仁科芳雄は、子どものころから優秀で、小・中・高校を主席で卒業後、東京帝国大学(現・東京大学)の電気工学科に入学しました。電気工学の基礎となる物理学に興味を持ち、卒業後は創立されたばかりの理化学研究所(理研)の研究生のかたわら、大学院工科で日本の原子物理学をひらいた長岡半太郎から物理学の指導を受けました……。

2007年 日本人の大好きな画家・フェルメール
17世紀の画家フェルメールが有名になったのは、わずか160年ほど前からのことです。1842年にフランスのある美術評論家が、フェルメールの描いた「デルフト眺望」に出会い、とても感激し吹聴したことで、200年間も埋もれていたフェルメールの芸術がヨーロッパで注目され、熱心に研究されるきっかけになりました。これほどすぐれた画家が200年ものあいだ、人々から忘れ去られていたということは、それだけフェルメールの絵が、時代を先取りした新しさに満ちていたということなのでしょう……。

2006年 短絡的な親が多すぎないか
これからしばらく、子育てはどうあるべきかについて考えてみることにします。というのも、最近、子どもの「いじめ」や「自殺」が社会問題になり、テレビや新聞をはじめ、マスコミには連日のように報道され、いろいろな分野の論者が意見を出しあっています。その傾向は歓迎してよいことでしょう。なぜなら、世の中はじゅんぐりだからです。20年後、30年後のわが国は、今の子どもたちが社会の中心となり、こんどは親としてわが子の子育てをしていかなくてはなりません……。

2005年 幼児期にできあがる知的能力の基礎
「レディバード図書館」の監修者であるウィングフィールド夫妻は、監修に当たって、「家庭でおこなう幼児教育」と題し、次のような文をよせてくれました。大脳生理学や発達心理学の最近の研究成果によると、人間形成の基礎は、小学校へあがるまでの幼児期に家庭でどのような育児、しつけを受けてきたかによって決定されるということが、立証されています。お母さんお父さんが家庭で行なう教育が……。


● 今日(12月5日)の主なできごと

1904年 日本軍が旅順203高地占領……日露戦争で日本軍は、ロシア軍の要塞があった旅順の203高地を3度目の総攻撃で占領に成功。戦局はいっきに日本軍が有利なものになっていった。


● 今日の主な記念日・恒例日

国際ボランティア・デー……世界の経済と社会開発の推進のため、ボランティア活動の貢献に対する認識を高める日として制定された国際デー。

バミューダトライアングルの日……1945年のこの日、大西洋上で米軍機が突然消息を絶ち、その救援機も行方不明になった。それ以前にも多くの船や飛行機が行方不明になっているといわれ、フロリダ・バミューダ・プエルトリコの3点を結ぶ三角形の海域を魔の三角海域「バミューダトライアングル」と呼ばれるようになった。


● 今日生まれた人

1842年 デ・レーケ……オランダの土木技術者。お雇い外国人として来日。「日本の砂防の父」

1891年 広津和郎……大正・昭和期の小説家・社会評論家。代表作『風雨強かるべし』『松川事件と裁判』など。

1901年 ディズニー……アメリカの漫画家・実業家。「ミッキー・マウス」を生みだし、「ウォルト・ディズニー・カンパニー」創業。

1907年 林彪……中国の軍人・政治家。毛沢東暗殺・クーデターなどを企てた(林彪事件)が、ソ連へ逃亡中に墜落死。

1912年 木下恵介……昭和・平成期の映画監督。代表作『カルメン故郷に帰る』『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』『楢山節考』など。


● 今日亡くなった人

1791年 モーツァルト……オーストリアの作曲家。ハイドンやベートーべンと並ぶウィーン古典派三大巨匠の一人。

1870年 デュマ(大デュマ)……フランスの小説家。代表作『三銃士』『モンテ・クリスト伯』など。

1893年 松平容保……江戸時代後期~明治初期の会津藩主。

1926年 モネ……フランスの画家。代表作『印象・日の出』『日傘を差す女』『草上の昼食』『睡蓮』の連作など。

2013年 マンデラ……南アフリカ黒人解放運動指導者。黒人初の大統領。


● 過去のマイブログ「12月5日」のテーマ

2014年 「不屈の闘士」 マンデラ
アパルトヘイト(有色人種差別政策)への反対運動に身を投じ、27年間投獄されながらもその撤廃に成功、南アフリカ共和国の大統領となったマンデラが、2013年に亡くなった日です。1918年、東ケープ州に生まれたネルソン・マンデラは、フォート・ヘア大学に在学中の1944年、黒人の権利拡大をめざすアフリカ民族会議(ANC)に入党しました。その青年同盟を創設し執行委員に就任して反アパルトヘイト運動に……。

2013年  [おもしろ民話集 106] ジャックと3人の巨人
ある村に、ジャックという名の貧しい農夫の息子がいました。とても元気でかしこいので、「知恵ものジャック」といわれていました。ある日、村の人たちがジャックのところにやってきて、こういいました。「むこうにみえる山の穴ぐらの住みかに、コーモランという背の高さが5メートルもある巨人がすんでいるのを知っているね。このごろ、あいつが、きゅうにあばれだして、村人や、牛やブタやヒツジを……。

2012年 「悲劇の大名」 松平容保
会津藩第9代藩主で、京都守護職として幕末の激動の6年間を京都の守護にあたるものの、王政復古後の「戊辰戦争」に敗れた松平容保(まつだいら かたもり)が、1893年に亡くなった日です。1836年、美濃国高須藩主の6男として江戸藩邸に生まれた容保は、1846年に叔父の会津藩8代藩主の養子となり、1852年に23万石の家督を継ぎました。ペリーが再度来航した年のことで、容保は開国やむなしときっぱり明言するほど……。

2011年 「松川事件」 と広津和郎
大正・昭和期の小説家、文芸評論家の広津和郎(ひろつ かずお)が、1891年に生まれた日です。作家の広津柳浪(りゅうろう)の次男として東京に生まれた和郎は、早稲田大学英文科に在学中から短編小説や翻訳を同人誌などに投稿したりしていましたが、卒業後に文芸評論家として活躍するようになります。1917年、雑誌『中央公論』に『神経病時代』を発表して文壇デビューをはたすと、芥川龍之介、菊池寛、佐藤春夫、久米正雄らと交わりながら……。

2008年 「足をあらう」 「水いらず」 「さばをよむ」
「足をあらう」 悪事から抜けだすこと、心機一転出なおすときに使いますが、インドの僧の行いから出た言葉のようです。一日中はだしで托鉢をしてまわった僧が、寺へ帰って、よごれた足を洗い清めるのがその日の日課の終わりでした。そんな、宗教上の行為が、汚れを落として出直すという意味に変わっていったと……。

2007年 自分が認められることの喜び
これは、ボランティアで子どもたちに「作文」を教えている先生から聞いた話です。ある日、陽子ちゃんという1年生の女の子が、新しく作文教室に入ってきました。20人ほどの集団にぽつんとひとり加わったのですから、少し不安な様子でした。「今までに作文を書いたことある?」 「書き方わかる?」 などと聞いても、返事をしません。そこで、作文教室に入ってすでに4か月になる五美ちゃんという2年生の女の子の横に座らせて、「五美ちゃん、陽子ちゃんに教えてあげてね。五美ちゃんなら、教えてあげられるでしょう」 と……。

2006年 「ゲーテ」 のこども時代
裕福な法律家の家に生れ、自分も法律家として進む道をさだめられていたゲーテは、小さいときから、おどろくほどよく勉強しました。先生は、厳格な父と家庭教師でした。このころにも、もちろん学校はありました。しかし、貴族や金持の家では子どもを学校には入れず、家庭教師などをやとって自宅で学ばせたのです。法律をはじめ文学、歴史、神学、語学、詩、乗馬、剣術──このなかで、いちばんとくいだったのは語学でした。自分の国のドイツ語のほか、イタリア語、ラテン語、ギリシア語……。


● 今日(12月4日)の主なできごと

1722年 小石川養生所設立……江戸幕府は、貧しい病人のための無料の医療施設として、東京・文京区にある小石川植物園内に小石川養生所を設立した。第8代将軍徳川吉宗と江戸町奉行の大岡忠相が主導した「享保の改革」における下層民対策のひとつで、町医者の小川笙船が、将軍への訴えを目的に設置された「目安箱」に投書したのがきっかけだった。幕末まで140年あまりも、江戸の貧民救済施設として機能した。この診療所の様子は、山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』や、この原作をもとに黒沢明が映画化した『赤ひげ』で知られている。

1890年 血清療法……ドイツの細菌学者コッホのもとへ留学していた北里柴三郎は、破傷風とジフテリアの免疫血清療法を発見したことを発表。


● 今日の主な記念日・恒例日

E.T.の日……1982年のこの日、映画『E.T.』が日本で公開されたことにちなみ制定された記念日。観客は1000万人を突破し、1997年に『もののけ姫』に抜かれるまで最高の配給収入を記録していた。E.T.とは Extra-Terrestrial の略で「地球外生物」のこと。


● 今日生まれた人

1743年 唐衣橘洲……江戸時代中・後期の狂歌師。大田南畝・朱楽菅江とともに「天明三大家」の一人。

1795年 カーライル……イギリスの歴史家・思想家。代表著作『英雄崇拝論』『衣装哲学』『過去と現在』など。

1866年 カンディンスキー……ドイツ・フランスの画家・美術理論家。「抽象絵画」の創始者。代表作『コンポジション』シリーズ、『即興 渓谷』『抽象芸術論』など。

1875年 リルケ……オーストリアの詩人・小説家。代表作『形象詩集』『新詩集』『マルテの手記』『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』など。

1892年 フランコ……スペインの軍人・政治家。40年間にわたる独裁政治。


● 今日亡くなった人

1027年 藤原道長……平安時代中期の貴族。「摂関政治」を独占し、『御堂関白記』を遺す。藤原氏の全盛期を築きあげる。

1798年 ガルバーニ……イタリアの医師・物理学者。「生体電気」の端緒となる研究。

1918年 カール・ブッセ……ドイツの詩人・作家。上田敏の訳詩集『海潮音』に収録された「山のあなた」で有名。

1942年 中島敦……昭和期の小説家。代表作『山月記』『光と風と夢』『李陵』など。

1945年 モーガン……アメリカの遺伝学者。「遺伝の染色体説」を確立。

1961年 津田左右吉……明治・大正・昭和期の歴史学者・思想史家。『日本書紀』『古事記』の古代神話は史実でないと大胆批判。

1976年 ブリテン……イギリスの作曲家。代表作『ピーター・グライムズ』『青少年のための管弦楽入門』『戦争レクイエム』など。


● 過去のマイブログ「12月4日」のテーマ

2015年 「電気生理学の創始者」 ガルバーニ
電気火花を当てるとカエルの筋肉がけいれんすることを発見し、生体電気研究のきっかけをつくったイタリアの医師で物理学者のガルバーニが、1798年に亡くなった日です。1737年、イタリアのボローニャに、医師の子として生まれたルイージ・ガルバーニは、1959年、ボローニャ大学で哲学と医学の学位をえて医者になると、1762年にボローニャ大学医学教授に就任……。

2014年 「ショウジョウバエ研究」 のモーガン
メンデルの「遺伝子染色体説」を実証し、遺伝の基本的現象を解明したアメリカの遺伝学者モーガンが、1945年に亡くなった日です。1866年、ケンタッキー州レキシントンに生まれたトーマス・ハント・モーガンは、1886年にケンタッキー州立大学を卒業後、ジョン・ホプキンス大学で動物学・生理学を学び、1890年にクモヒトデの研究により学位を取得し……。

2013年 『青少年のための管弦楽入門』 のブリテン
オペラ『ピーター・グライムズ』や『青少年のための管弦楽入門』『戦争レクイエム』などを作曲したイギリスのブリテンが、1976年に亡くなった日です。1913年、イングランド・サフォーク地方のローストフトに生まれたベンジャミン・ブリテンは、幼少のころから音楽の才能を発揮して、7歳からピアノやビオラを学び、9歳のときに弦楽四重奏曲を作曲するほど……。

2012年  古代神話を批判した津田左右吉
大正・昭和期に活躍した日本史学者の津田左右吉(つだ そうきち)が、1961年に亡くなった日です。1873年、岐阜県美濃加茂市に生れた津田左右吉は、1891年に東京専門学校(のちの早稲田大)を卒業後、中学教師をつとめるかたわら、東洋史学者白鳥庫吉(しらとり くらきち)の指導を受け、満州(中国東北部)や朝鮮の歴史や地理の研究をし、1901年には『新撰東洋史』を……。

2009年 栄華をきわめた藤原道長
平安時代中期の貴族で、天皇にかわって摂政や関白が政治をおこなう「摂関政治」を独占してきた藤原氏の全盛期を生きた藤原道長が、1027年に亡くなった日です。藤原氏は、中臣鎌足が、大化の改新の功によって天智天皇から藤原朝臣の姓をさずけられたのが始まりです。藤原道長は、4人のむすめを天皇(長女彰子=一条天皇、次女妍子=三条天皇、3女威子=後一条天皇……。

2008年  [おもしろ民話集 53] ころげた芋
おろか村という小さな村の、おろか話です。あるとき、お寺の和尚さんが、村じゅうの者に、ごちそうをするから、みんなで食べにくるようにいいました。ところが、みんなは、ごちそうは食べたいけれど、困ったことがありました。行儀のよい食べかたを、誰も知らなかったのです。そこでみんなは、庄屋さんのところへ、相談にいきました。すると庄屋さんは……。

2007年  [おもしろ民話集 24] 男と女の数はどちらが多い ?
むかし、まだ鳥たちが話をすることができたころのお話です。あるところに、大変美しいお妃をもった、ひとりの王様がいました。王様は、かわいいお妃のいうことは、何でも聞いてやりました。ある日、お妃が 「すてきなおふとんを持ってきてちょうだい」 というので、王様は絹のふとんをもっていきました。ところが、「こんなのじゃだめ、羽のふとんよ」 と……。

2006年 「斉藤茂吉」 のこども時代
山形県の蔵王山のふもとに、農民の子として生まれ育った茂吉は、子どものころ、仲間のあいだでもとびぬけたガキ大将でした。みんなからはヤセモッキーというあだ名で呼ばれていましたが、とにかく負けずぎらいで、いつも、仲間の総大将でした。遊び場は、村を流れる須川の河原と、宝泉寺という寺の境内でした。河原ではよく、よその村の子どもたちと石合戦を……。

2005年 「レディバード図書館」の特色
いずみ書房が1985年に刊行した、6番目のシリーズ「レディバード図書館」の特色を掲げてみよう。英国レディバード社は当時、首都ロンドンの北西150kmにあるラフボロウという小都市にあった。出版社でありながら、6000坪ほどの敷地内に印刷工場、製本工場を持ち、すべて自社で一貫生産する体制を敷いていた。1日の生産可能冊数は10万冊以上……。


● 今日(12月3日)の主なできごと

1872年 太陽暦の実施…この日旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に変わり、旧暦明治5年12月3日が、新暦明治6年1月1日となった。日本では、7紀末以来1200年以上も陰暦が使われてきたが、幕末から欧米諸国との交渉が始まると、太陽暦と1か月前後の差が不便になり、国際的に広く使われているグレゴリオ暦の採用が急がれていた。


● 今日の主な記念日・恒例日

カレンダーの日……この日、太陽暦の採用により、旧暦明治5年12月3日が新暦明治6年1月1日となったことにちなみ、全国団扇扇子カレンダー協議会が1987年に制定。

奇術の日……奇術(手品)につきもののかけ声「ワン(1)ツー(2)スリー(3)」にちなみ、日本奇術協会が1990年に制定。

その他の記念日……妻の日・プレママの日・プレイステーションの日・自動車電話の日・個人タクシーの日・みかんの日など。


● 今日生まれた人

1568年 黒田長政……安土桃山期から江戸時代前期の武将。初代福岡藩主。黒田孝高(官兵衛・如水)の嫡男。

1859年 片山潜……社会主義評論家。国際共産主義運動指導者。日本初の労働組合「職工義勇会」設立。

1864年 津田梅子……明治・大正期の教育者。「女子英学塾」(今の津田塾大学)設立。

1870年 宮崎滔天……明治・大正期の大陸浪人・浪曲師。孫文ら「辛亥革命」を支援。

1879年 永井荷風……明治・大正・昭和期の小説家・随筆家。代表作『あめりか物語』『ふらんす物語』『濹東綺譚』『断腸亭日乗』など。

1882年 種田山頭火……大正・昭和期の俳人。「分け入つても分け入つても青い山」など、自由律俳句の代表。

1899年 池田勇人……昭和期の政治家。第58~60代首相。通産相・蔵相歴任。「国民所得倍増計画」実施し、「高度経済成長政策」推進。

1906年 火野葦平……大正・昭和期の小説家。代表作『糞尿譚』『麦と兵隊』『花と竜』など。

1925年 金大中(キム・デジュン)……韓国の政治家。第15代大統領。


● 今日亡くなった人

671年 天智天皇(中大兄皇子)……第38代天皇。「大化の改新」を断行。律令体制成立期の政治を指導。

1552年 ザビエル……ナバラ王国(スペイン)のイエズス会宣教師。日本へキリスト教を伝えた。

1876年 前原一誠……幕末の長州藩士・政治家。「萩の乱」の首謀者として処刑。

1894年 スティーブンソン……イギリスの作家。代表作『宝島』『ジキル博士とハイド氏』『誘惑されて』など。

1919年 ルノワール……フランスの画家。代表作『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』『舟遊びの人々の昼食』『シャルパンティエ夫人と子どもたち』など。

1938年 高田早苗……明治・大正・昭和期の政治家・政治学者・教育者・文芸批評家。早稲田大学初代学長。

1975年 鹿島守之助……昭和期の実業家・政治家。鹿島建設「中興の祖」。


● 過去のマイブログ「12月3日」のテーマ

2015年 「早大初代学長」 高田早苗
東京専門学校→早稲田大学の草創期に、発展の礎を築いた学者・政治家の高田早苗(たかた さなえ)が、1938年に亡くなった日です。1860年、今の東京深川に生まれた高田早苗は、東京英語学校などで英語を学び、大学予備門を経て、1882年東京大学哲学政治学及理財学科を卒業しました。在学中に法学者の小野梓と知り合ったのがきっかけで、大隈重信を盟主とする……。

2014年 「萩の乱」 と前原一誠
倒幕運動の志士として活躍するものの、不平士族たちを率いて「萩の乱」を引き起こして敗れた前原一誠(まえばら いっせい)が、1876年に処刑された日です。1834年、長門国土原(いまの山口県萩市)に長州藩士の子として生まれた前原一誠は、はじめは佐世八十郎といい、陶器製造や農漁業に従事しました。1857年、久坂玄瑞や高杉晋作らと共に吉田松陰の松下村塾に……。

2013年 「所得倍増計画」 の池田勇人
戦前から戦後にかけて大蔵官僚として大蔵次官までのぼりつめ、その後は政治家として大蔵大臣、通産大臣などをへて、第58・59・60代首相をつとめた池田勇人(いけだ はやと)が、1899年に生まれた日です。現在の広島・竹原市の旧家の子として生まれた池田勇人は、旧制五高をへて、1925年に京都帝国大法学部を卒業し、大蔵省へ入りました。函館税務署長……。

2012年 「女子教育の先駆者」 津田梅子
「女子英学塾」(現・津田塾大学)を設立するなど、生涯にわたり女子教育にたずさわった津田梅子(つだ うめこ)が、1864年に生れた日です。西洋農学者で元幕臣津田仙の子として、江戸牛込に生まれた梅子は、西洋野菜の栽培などを手がける父の影響を受けながら育ちました。父は1871年、まだ満6歳だった梅子を、開拓使次官だった黒田清隆が企画した開拓使女子留学生……。

2010年  東京の下町を描いた永井荷風
『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』『断腸亭日乗』などの作品を遺し、泉鏡花、谷崎潤一郎らと耽美派文学のリーダーとして一時代を築いた永井荷風(ながい かふう)が、1879年に生まれた日です。耽美派とは、島崎藤村 や田山花袋らの写実的な自然派に対し、空想の働きを重視し、感覚的に美しい作品をめざす文学です。東京・小石川の上流家庭に生まれた荷風は……。
 
2009年  天草四郎らの籠城
島原・天草地方のキリシタンの農民たち37000人が、藩主の厳しい年貢の取立てとキリシタンへの弾圧を強めたことから、1637年に少年天草四郎を大将に、島原半島の原城に籠城した日です。江戸幕府が開かれて34年めの1637年、島原半島(長崎)と天草(熊本県)の農民が、キリスト教信者といっしょに反乱を起こしました。 約5か月、はげしい戦いがつづいた「島原の乱」……。

2008年 「宝島」 のスチーブンソン
冒険小説「宝島」によって名をなし、「ジキル博士とハイド氏」「誘惑されて」など独自の文学を開いた作家スチーブンソンが、1894年に亡くなった日です。ロバート・ルイス・スチーブンソンは、1850年イギリスのスコットランドのエディンバラに生まれました。父は有名な灯台を建設する技師でした。父親の勧めで、スチーブンソンもエディンバラ大学の土木工学科に入学……。

2007年 日本にキリスト教を伝えたザビエル
カトリックのイエズス会士で、日本に初めてキリスト教を伝えたザビエルが、1552年に亡くなった日です。前回のブログ「マラッカひとり旅」で触れましたが、マラッカにいた日本人のヤジロウは、スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルの弟子になり、やがて、信仰の喜びを日本人にも伝えたいと思うようになりました。そして、ヤジロウが案内役になって……。


● 今日(12月2日)の主なできごと

1804年 ナポレオンが皇帝に即位……この日、ナポレオン・ボナパルトがフランス皇帝になる戴冠式が、パリのノートルダム大聖堂で行われた。ナポレオンは、フランス革命で革命派の将校として活躍後に、北イタリア遠征司令官となって成功をおさめ、1799年にクーデターをおこして実権をにぎり、「ナポレオン法典」を定めていた。皇帝に即位後は、各国を征服してヨーロッパの強大な支配者になっていく。

1970年 歩行者天国……東京の銀座・新宿・渋谷などで、歩行者天国が実施され、ふだんの日曜日の2.4倍もの人びとがくりだした。この日の一酸化炭素濃度が、ふだんの日の5分の1になったことから、車の排気ガス汚染を食い止め、汚染のない環境をとりもどそうと、全国各地に広まるきっかけとなった。


● 今日の主な記念日・恒例日

日本人宇宙飛行記念日……1990年のこの日、TBSの秋山豊寛記者を乗せたソ連のソユーズTM11号が打ち上げられ、日本人初の宇宙飛行に成功したことにちなむ記念日。

原子炉の日……1942年のこの日、アメリカ・シカゴ大学の実験用小型原子炉で、イタリアから亡命した物理学者フェルミの指導により、原爆のもととなるウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功したのにちなんで制定。


● 今日生まれた人

1859年 スーラ……フランスの画家。「点描技法」が有名。代表作『アニエールの水浴』『グランド・ジャット島の日曜日の午後』『サーカス』など。

1923年 マリア・カラス……ギリシャ出身アメリカのオペラ歌手。「20世紀最高のソプラノ歌手」


● 今日亡くなった人

1547年 コルテス……スペインの探検家。「メキシコ」征服者。

1594年 メルカトル……オランダの地理学者。「メルカトル図法」考案。

1814年 マルキ・ド・サド……フランスの小説家。代表作『悪徳の栄え』など。「サディズム(サド)」の由来。

1894年 ロエスレル……ドイツの法学者・経済学者。

1918年 ロスタン……フランスの劇作家。代表作『シラノ・ド・べルジュラック』など。

1944年 沢村栄治……昭和期のプロ野球選手。3度ノーヒットノーラン達成。

1945年 岩崎小弥太……大正・昭和期の実業家。

1963年 佐佐木信綱……明治・大正・昭和期の歌人・国文学者。

1964年 ドッジ……アメリカの銀行家・財政金融専門家。戦後日本の経済政策「ドッジ・ライン」を立案・勧告。

1990年 浜口庫之助……昭和・平成期の作曲家。代表作『バラが咲いた』『夜霧よ今夜も有難う』『人生いろいろ』など。

2007年  多田道太郎……昭和・平成期のフランス文学者・文芸評論家。1924年の誕生日と同日。

2009年 平山郁夫……昭和・平成期の日本画家。


● 過去のマイブログ「12月2日」のテーマ

2015年 「三菱財閥」 と岩崎小弥太
三菱合資会社の4代目社長に就任し、日本最大の重工業企業集団に成長させた岩崎小弥太(いわさき こやた)が、1945年に亡くなった日です。1879年、三菱合資会社の創始者岩崎弥太郎の弟で2代目岩崎弥之助と、後藤象二郎の長女早苗を母に、その長男として東京に生まれた岩崎小弥太は、旧一高を経て東京帝国大学法科大に入学するものの中退して渡英、1902年にケンブリッジ大学へ入学し、1905年同大学を卒業して翌年帰国すると、三菱合資会社の副社長となりました……。

2014年 「シルクロード画家」 平山郁夫
仏教伝来の道や東西文化の交流、シルクロードをテーマに悠久の歴史をたたえた画風で知られる日本画家の重鎮平山郁夫(ひらやま いくお)が、2009年に亡くなった日です。1930年、広島県(今の尾道市)瀬戸田に生まれた平山郁夫は、旧制修道中の生徒だった1945年8月6日、学徒動員先の広島市内で被爆し、九死に一生を得ました。彫金家の大伯父に勧められ、東京美術学校(現東京芸術大)に入学し、前田青邨らの指導を受けて……。

2013年 「大日本帝国憲法」 とロエスレル
明治日本のお雇い外国人の一人として、「大日本帝国憲法」の制定に大きな役割をはたしたドイツの法学者・経済学者のロエスレルが、1894年亡くなった日です。1834年、ドイツ・バイエルン地方のラウルに、弁護士の子として生まれたカール・フリードリヒ・ヘアマン・ロエスレルは、エルランゲン大学やチューリッヒ大学で法学や国家学を学んだ後、ロストック大学の教師となると、1861年に27歳の若さで同大学の国家学教授となりました。1878年に訪日するまでその地位にあって……。

2011年 『シラノ・ド・ベルジュラック』 のロスタン
フランスの韻文の劇作家で『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者として知られるロスタンが、1918年に亡くなった日です。1864年にマルセイユの豊かな商人の家に生まれたエドモン・ロスタンは、パリ大学に学び、弁護士や外交官など、将来どんな道に進むか迷ったようです。やがて、ド・リールやルナールらの文人と交わるうちに、詩劇作家を志すようになりました。1894年、恋の幻滅と再生を描いた韻文喜劇『ロマネスク』が上演されると……。

2010年 点描画のスーラ
新印象派に分類される19世紀のフランスの画家スーラが、1859年に生まれた日です。パリの裕福な家庭に生まれたジョルジュ・スーラは、中学を卒業後2年ほど私立のデッサン学校に学んだ後、官立の美術学校に入りました。アングルの弟子アンリ・レーマンの教室に入り、古典的な名作を熱心に模写したり、伝統的な素描や構図法を学びました。いっぽう、色彩理論、視覚混合の原理、色彩配合に関する研究を続けました……。

2009年 モンロー宣言
アメリカ合衆国(アメリカ)の第5代大統領ジェームズ・モンローが、1823年の議会で、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱した日です。この提唱は「モンロー宣言」とよばれ、アメリカ外交の基本方針となりました。1800年代がはじまったころ、フランスのナポレオンがヨーロッパじゅうに勢力を伸ばしましたが失脚し、1814年に各国の代表がウィーンに集まって「ウィーン会議」を開きました。オーストリアの首相メッテルニヒが中心となって、何もかもナポレオン以前の姿に……。

2008年 アステカ・インカ文明を滅ぼした人たち
メキシコに高い文明を誇ったアステカ帝国を滅ぼしたコルテスが、1547年に亡くなった日です。南アメリカ大陸に栄えていたインカ帝国を滅ぼしたピサロとともに、不遇な人生だったようです。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して、27年ののち、見知らぬ土地の征服を夢見た34歳のエルナン・コルテスが、この新大陸へ渡りました。コルテスは、1485年スペインに生まれ、大学を卒業すると探検にあこがれて大西洋を越え、カリブ海に浮かぶスペイン領のキューバ島へやってきました……。

2005年 示談の成立
間もなく裁判所から、公判の案内があった。この件に関しては、当時の樫村社長にすべて担当してもらった。争いごとに関しては、あまり情実にとらわれず、冷静沈着であるべきと考えたためである。第1回目の公判にJ・ライフのY社長は弁護士を伴って出廷し、手形に個人保証をした覚えがないこと、J・チェーンの経理担当がY社長に無断で印鑑を押したと主張したという。裁判は長期戦となり、第2回目以降Y社長は出廷することはなく、代理人が最初の主張を繰り返すのみだった……。

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