児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2016年10月


● 今日(10月24日)の主なできごと

1876年 神風連の乱……明治政府が、士族の廃刀令や身分特権の廃止したことに対し、熊本県の不平士族太田黒伴雄ら170数名は神風連を結成。この日反乱をおこして、新政府の熊本鎮台司令官や熊本県令(知事)を殺害したが、翌日、鎮台兵により鎮圧された。神風連側の死者・自刃者は124名。この事件に呼応して「秋月の乱」「萩の乱」が発生、翌年の「西南戦争」へとつながっていった。

1929年 暗黒の木曜日……アメリカのニューヨークにある株式市場で、株が史上最大の暴落。その日が木曜日だったため「暗黒の木曜日」といわれている。5日後にもまた値下がりが続き、わずか2週間ほどで株価が半分以下となって、アメリカ経済は大混乱となった。多くの人が財産を失い、失業者があふれ、自殺者もでる騒ぎになった。こうしてアメリカではじまった大恐慌は、全世界をまきこむ「世界恐慌」になっていく。


● 今日の主な記念日・恒例日

国連デー……1945年のこの日、国連憲章が発効し、国際連合が発足したことを記念した国際デーの一つで、1948年から実施。日本は1956年に国連加入が認められた。

世界開発情報の日……1970年のこの日、「第2次国連開発の10年のための国際開発戦略」が採択されたことにちなみ、1972年の国連総会で制定した国際デーの一つ。世界中で行われている開発に関する情報を集め、地球全体の開発のバランスを考える日。


● 今日生まれた人

1632年 レーウェンフック……オランダの生物学者。史上はじめて顕微鏡を使って微生物を観察。「微生物学の父」

1804年 ウェーバー……ドイツの物理学者。磁束の単位 Wb(ウェーバ)の由来。

1817年 島津久光……幕末期における薩摩藩の実質的権力者。薩英戦争の講和以後イギリスとの友好関係を築き、武力倒幕路線を確定。

1895年 奥むめお……大正・昭和期の女性運動家・政治家。主婦連を立ち上げるなど消費者・婦人運動を終生指導。

1933年 渡辺淳一……昭和・平成期の小説家。代表作『光と影』『遠き落日』『失楽園』など。


● 今日亡くなった人

1601年 ブラーエ……デンマークの天文学者・占星学者。膨大な天体観測記録を残し、「ケプラーの法則」を生む基礎となる。

1708年 関孝和……江戸時代前・中期の数学者。「和算」の祖。

1910年 山田美妙……明治期の小説家・詩人・評論家・国語学者。言文一致体・新体詩運動の先駆者。

1957年 クリスチャン・ディオール……フランスの服飾デザイナー。

1985年 永田雅一……昭和期の実業家・映画プロデューサー。大映創業。

2011年 北杜夫……昭和・平成期の小説家。代表作『どくとるマンボウ航海記』『楡家の人びと』など。


● 過去のマイブログ「10月24日」のテーマ

2013年ブログ 熱ってなーに?
私たちは日常、「熱が高い」「熱が低い」「平熱」といったことを口にしますが、いったい熱ってなんなのでしょう。むかしは、「熱は、熱いものから冷たいものへ流れる、目に見えない液体のようなもの」と考えていました。この空想上の液体は熱素(カロリック)とよばれていました。今では、水や空気、食物や私たちの身体などは、すべて物体といって、分子や原子と呼ばれる小さな粒(つぶ)でできているということがわかりました。そして、「熱というのは……。

2012年ブログ  [おもしろ民話集 59] 人間の寿命
むかしむかし、この世をつくった神さまが、それぞれの生き物たちの寿命を何年にするかを考えていました。そこへ、ロバがやってきたので、神さまはロバにたずねました。「おまえの寿命を、30年にしたいが、どうじゃな」 「いいえ、神さま、30年は長すぎます。わたしのつらい生活をお考えください。わたしは朝から晩まで重い荷物を運んだり、他人がパンをたべるための麦の入った袋を水車場まで引っぱっていかなくてはなりません……。

2011年ブログ 「和算」 の関孝和
江戸時代前期の数学者で、「和算」とよばれる数学の理論を世界的なレベルまで発展させた関孝和(せき たかかず/こうわ)が、1708年に亡くなった日です。1640年前後に、幕府の旗本の子に生まれたといわれる関孝和ですが、その生いたちや、数学の基礎をいつ、どこで、どんな師について学んだのか、ほとんどわかっていません。関家が、孝和の次の代で断絶したため、何の資料も残っていないためです……。

2008年ブログ 子どもの心に読書に親しむ素地を育てる
ある人の話です。6年生の長男に、10年以上も本を読んでやってきた結果、児童文学のファンになったのは私だけ。子どもはマンガばかりに夢中で、本はほとんど読みません。それでもいつかはと、期待して読み聞かせをしてきたのですが、その期待も実らないまま、親離れしていく時期になったのです。寝る前の読み聞かせは、子どもにとって、それが眠り薬のようなものだとしても、親子の安らぎの時でした……。

2007年ブログ みちがえる店舗と客の入り
つい10年ほど前まで「朝鮮焼肉」といえば、カルビやロース1人前の料金1000円前後と、一般庶民にとってはごちそうで、いつも口にできる手軽な食事ではありませんでした。ところが、数年前から、朝鮮焼肉の大衆化が一気に進み、数多くのファミレス風の焼肉チェーンがしのぎをけずって参入したため、カルビやロース1人前が450~600円ほどで食べられるようになり、さらに、1人前80gほどだったのが、100g~120gほどに増量する店も出てきました……。

2006年ブログ 「牧野富太郎」 のこども時代
父も母も小さいときに亡くして祖母に育てられた富太郎には、友だちができませんでした。そのうえ、みんなから 「西洋ハタットオ」 とよばれて、からかわれました。富太郎が生まれた高知県あたりでは、バッタのことをハタットオとよび、やせて骨のでっぱった富太郎のからだつきが、すこしかわったバッタに、にていたからです。富太郎は、酒屋だった牧野家のあとつぎでしたから……。


● 今日(10月21日)の主なできごと

1520年 マゼラン海峡発見……スペイン王の協力を得て、西回りで東洋への航路をめざしたポルトガルの探検家マゼランは、出発からすでに1年が経過していたこの日、南アメリカ大陸の南端に海峡(マゼラン海峡)を発見した。なおマゼランは、7日後の28日に南太平洋に到達し、翌年3月にフィリピンで原住民の襲撃にあって死亡した。9月に乗組員が世界一周を終えてスペインに到着したときは、5隻の船は1隻に、256名の乗組員はわずか18名になっていた。

1805年 トラファルガーの海戦……スペインのトラファルガー岬の沖で、ネルソン率いるイギリス海軍が、この日フランス・スペイン連合艦隊に勝利した。しかし、旗艦ビクトリア号で指揮していたネルソンは、戦勝後に狙撃されて死亡。


● 今日の主な記念日・恒例日

あかりの日……1879年のこの日、エジソンが京都産の竹を使って白熱電球を完成させたことにちなみ、日本電気協会などが1981年に制定。

国際反戦デー……1966年のこの日、日本労働組合総評議会(総評)がアメリカ軍のベトナム戦争介入に反対する全国政治ストライキを計画した。このとき、同時に全世界の労働団体・反戦団体に呼びかけたことから、この日が反戦の日となった。


● 今日生まれた人

1684年 徳川吉宗誕生……江戸幕府第8代将軍。「享保の改革」を断行。

1833年 ノーベル……スウェーデンの化学者・実業家。ダイナマイト発明。遺産を「ノーベル賞」創設に使用。

1846年 アミーチス……イタリアの小説家・児童文学者。代表作『愛の学校・クオレ』(「母をたずねて三千里」などを含む)。

1893年 木原均……昭和期の遺伝学者。コムギの祖先を発見。種なしスイカの開発。

1894年 江戸川乱歩……大正・昭和期の推理小説家。代表作『黒蜥蜴』『怪人二十面相』など。


● 今日亡くなった人

1612年 伊東マンショ……安土桃山・江戸時代初期の天正遣欧使節の一人・宣教師。

1805年 ネルソン……イギリス海軍軍人。「トラファルガーの戦い」で戦勝後に戦死。

1818年 司馬江漢……江戸時代中・後期の洋風画家。代表作『美人納涼図』『シャボン玉を吹く美人図』など。

1871年 志賀直哉……大正・昭和期の小説家(白樺派)。代表作『暗夜行路』『小僧の神様』『城の崎にて』など。

1974年 丸山薫……昭和期の詩人。代表作 (詩集)『帆・ランプ・鴎』『仙境』『月渡る』など。

1980年 嵐寛寿郎……昭和期の俳優。戦前期に活躍した時代劇スター、「アラカン」の愛称。

2002年 笹沢左保……昭和・平成期の小説家。代表作『木枯らし紋次郎』『真夜中の詩人』など。


● 過去のマイブログ「10月21日」のテーマ

2015年ブログ  『西洋紀聞』 を生んだシドッチ
江戸時代中期にキリシタン禁制下の日本に潜入し「最後の宣教師」として知られるシドッチが、1714年に亡くなった日です。1668年、イタリアのシチリア島に生まれたジョバンニ・シドッチは、カトリックの一派イエズス会(ロヨラがザビエルら6人の同志と創設)に入って司祭として活動しているうち、宣教師の報告が伝わっていた日本への渡航を決意しました。ローマ教皇クレメンス11世に願い出て、1703年に中国へ渡り、フィリピンのマニラへ移って4年間布教につとめながらチャンスをねらっていました……。

2014年ブログ 「昭和の抒情詩」 丸山薫
『帆・ランプ・鴎』『幼年』『仙境』『月渡る』などの詩集で知られる詩人の丸山薫(まるやま かおる)が、1974年に亡くなった日です。1899年、大分県大分市で生まれた丸山薫は、幼いころから父の転勤の影響で各地を転々とし、12歳で母方の祖父の住む愛知県豊橋市に移りました。冒険小説を読んで海にあこがれるようになり、船乗りになろうと周囲の反対を押し切って東京高等商船学校に入るものの……。

2013年ブログ 「異色の画家・思想家」 司馬江漢
江戸時代後期の絵師で、わが国初の銅版画を作り、地動説を広めるなど思想家・科学者としてもユニークな活躍をした司馬江漢(しば こうかん)が、1818年に亡くなった日です。1747年、江戸・四谷の町家に生まれた司馬江漢(本名・安藤峻)は、幼いころから絵をかくことが好きで、1761年に父が亡くなったのを機に、狩野派の狩野美信の門に入りました。しかし次第に狩野派の形式的な画法にあきたらず……。

2011年ブログ 「おもしろ古典落語」45回目 『宿屋の仇討(あだうち)』
東海道は神奈川宿の「武蔵屋」という旅籠に、年のころ32、3歳の品の良い侍が入ってまいりました。「いらっしゃいませ、お泊まりでございますか?」「せっ者は、万事世話九郎ともうす者、昨夜は相州小田原の宿の、むじな屋ともうす宿に泊まったのだが、いやはや騒々しい宿でな、親子の巡礼が夜中に泣きだすやら、相撲取りが大いびきを出すやら、とんと寝ることの出来ぬありさまじゃった……。

2010年ブログ 「享保の改革」 と徳川吉宗
江戸幕府第8代将軍で、「享保の改革」という幕政改革を断行した徳川吉宗が、1684年に生まれた日です。徳川幕府は、代々徳川本家が将軍をついでいくようになっていましたが、万一将軍に跡とりがなかった場合のために、「御三家」という将軍家に次ぐ地位をおきました。徳川家康の9男に尾張を、10男に紀州を、11男に水戸を配置させたため、尾張・紀州・水戸を「御三家」といいます。吉宗は、この御三家のひとつ紀州藩の第2代藩主の4男として生まれました……。

2008年ブログ 白樺派の代表作家・志賀直哉
長編小説『暗夜行路』などを著し、武者小路実篤とともに「白樺派」を代表する作家 志賀直哉(しが なおや)が、1971年に亡くなった日です。1910年(明治43年)、学習院高等科出身の文学グループを中心にして『白樺』という文芸雑誌が創刊されました。その中心になったのが志賀直哉と武者小路実篤です。ふたりともまだ東京帝国大学の学生でした。どちらも、名門の家がらで経済的には恵まれていましたが……。


● 今日(10月20日)の主なできごと

1180年 富士川の合戦……源頼朝率いる源氏と平氏軍が駿河の富士川で合戦を行った。この戦いで、平氏軍は水鳥が飛びったった水音を夜襲と勘違いして敗走した。

1274年 文永の役……日本を占領しようと、対馬・壱岐(長崎県)を占領した元軍(中国)は、この日博多に上陸し、鎌倉幕府軍と激しい戦いとなったものの、台風による暴風雨に襲われ、元軍は大被害を受けて夜中に撤退した。


● 今日の主な記念日・恒例日

新聞広告の日……「新聞週間」は、毎年10月15日から1週間行われるが、日本新聞協会は1974年に、その中でも覚えやすい20日を、「新聞広告の日」として制定。

リサイクルの日……「ひとまわり(10)、ふたまわり(20)」の語呂合せから、日本リサイクルネットワーク会議が1990年に制定。この記念日にちなみ、通商産業省(現在の経済産業省)ほか8省庁が、10月を「リサイクル推進月間」(今の「リデュース・リユース・リサイクル推進月間」)とした。


● 今日生まれた人

1854年 ランボー……フランスの象徴詩人。代表詩集『地獄の季節』『イリュミナシオン』。

1859年 デューイ……アメリカの哲学者・教育者。「プラグマティズム」創始。

1879年 河上肇……明治・大正・昭和期の経済学者。代表著作『貧乏物語』『資本論入門』『自叙伝』など。

1906年 坂口安吾……昭和期の小説家。代表作『堕落論』『桜の森の満開の下』など。

1934年 皇后美智子……今上天皇の皇后。


● 今日亡くなった人

1433年 後小松天皇……室町時代北朝最後(6代)の天皇。

1856年 二宮尊徳……江戸時代後期の農政家。各地の農村の復興や改革につくす。

1936年 アン・サリヴァン……アメリカ女性。ヘレン・ケラーの家庭教師。

1959年 阿部次郎……大正・昭和期の哲学者・評論家。代表作『三太郎の日記』。

1964年 フーバー……アメリカ第31代大統領。

1967年 吉田茂……明治・大正・昭和期の外交官・政治家。第45・48~51代首相。日米講和条約・日米安保条約締結。「ワンマン宰相」

2009年 原田康子……昭和・平成期の小説家。代表作『挽歌』『海霧』など。


● 過去のマイブログ「10月20日」のテーマ

2015年ブログ  「南北朝合一」 と後小松天皇
室町時代北朝最後(6代)の天皇で、歴代第100代目の後小松天皇(ごこまつてんのう)が、1433年に亡くなった日です。1377年、北朝第5代の後円融天皇の第1皇子して生まれた後小松ですが、室町幕府は3代将軍足利義満の全盛期のころで、公家の権力は幕府に押さえられ、京都の支配権さえも幕府の手中にありました。そのため、後小松は義満の親戚筋の日野家に養育されました……。

2014年ブログ 「世界大恐慌」 に敗れたフーバー
歴代のアメリカ大統領たちに能力を高く評価され、第31代大統領を務めたフーバーが1964年に亡くなった日です。1874年、アイオワ州ウェストブランチに鍛冶屋の子として生まれたハーバート・フーバーは、9歳のころまでに両親を失い、おじ夫妻に育てられました。15歳で簿記とタイピングをマスターして独立すると、夜にはビジネススクールに通うなど苦学して1891年、カリフォルニア州に新設したばかりのスタンフォード大学に入学し、採鉱学を学びました……。

2011年ブログ 早熟の天才詩人・ランボー
フランス象徴主義の代表詩人のランボーが、1854年に生まれた日です。ランボーが詩作をしたのは、15歳から20歳までのわずか5、6年にすぎません。フランス北東部のシャルルビルに、軍人の子として生まれたアルチュール・ランボーは、1860年に両親が離婚したため、母親に育てられました。幼い頃から知的能力を発揮して、8歳のころには大人顔負けの文を綴るようになっていました。15歳の頃から詩作をはじめるようになり……。

2010年ブログ 『三太郎の日記』 と阿部次郎
『三太郎の日記』を著した大正・昭和期の哲学者、評論家、教育者の阿部次郎が、1959年に亡くなった日です。阿部次郎は、1883年、山形県松山町(現・酒田市)に、8人兄弟の次男として生まれました。父親は小学校の教師で、兄弟のうち次郎を含む4人がのちに大学教師となっています。次郎は、第一高等学校から東京帝国大学という秀才コースを歩みますが、山形中学の時代に卒業を目前にしながら……。

2008年ブログ 「油を売る」 「ねこばば」
[油を売る] 仕事をサボることを「油を売る」といいます。ところが、もともとはサボるどころか、油売りのマジメな仕事ぶりからきています。行燈(あんどん)を使っていた時代、油売りは、升(ます)で量って油を売ってまわりましたが、油は水のようには流れ落ちないので、升を早く片づけると油がまだ升に残ってしまいます。そこで油売りは、客と話をしながら、升から油が流れ落ちてしまうのを、ゆっくり待ちました。そのようすが仕事をなまけているように見えたことから……。

2006年ブログ 「雪舟」 のこども時代
雪舟は、7歳か8歳のころ、生まれた家の近くの寺に小僧としてあずけられ、坊さんになる修業をはじめました。ところが、しばらくすると、坊さんになる勉強には、あまり身がはいらなくなってしまいました。習字を習っていると、いつのまにか、字が絵になってしまうのです。ある日雪舟は、とうとう、きびしい罰をうけました。こらしめのために寺の本堂の柱に、くくりつけられてしまったのです。雪舟は、すぐ絵をかいてしまう自分が悪いとわかっていましたから、はじめは、がまんしました……。

2005年ブログ 厳しい出版姿勢
有吉忠行氏の講演記録�Dより ━━ 私は、およそ3年前から、いずみ書房の仕事をさせてもらっていますが、なににもまして、よい本を作ろうとする、たいへん真面目な姿勢に感心しています。私は、ほんとうですと、いろいろな出版社に自由に出入りさせてもらって、自由にいろいろなものを書いていきたいという願いをもっていたのですが、目下は、いずみ書房の仕事だけをやらせてもらっています。それは、いずみ書房の誠実さにほれたからです……。


● 今日(10月19日)の主なできごと

1956年 日ソ国交回復……「日ソ共同宣言」をモスクワで正式調印し、国交が回復することになった。1951年に日本と連合国48か国とのあいだで講和条約が成立していたが、ソ連がこの条約に調印をしなかったため、国交がとだえたままだった。これにより、日本は国際連盟に加盟することができたが、北方領土の問題は先送りされた。

1987年 ブラックマンデー……ニューヨークの株式市場で、株価が22.6%の下落という1929年の「暗黒の木曜日」を上回る史上最悪の下げ幅を記録し、世界各国の経済を大混乱におとしいれた。


● 今日の主な記念日・恒例日

住育の日/TOEICの日……「じゅう(10)い(1)く(9)」の語呂合せから、日本健康住宅協会が「住育の日」を制定。また、「トー(10)イッ(1)ク(9)」の語呂合せから、世界共通の英語コミュニケーション能力検定「TOEIC」を日本で実施する国際ビジネスコミュニケーション協会が「TOEICの日」を制定。


● 今日生まれた人

1862年 オーギュスト・リュミエール……フランスの発明家。弟ルイと映写機発明。

1885年 メリル……アメリカの実業家。3大投資銀行の1つ「メリルリンチ」創設。


● 今日亡くなった人

1745年 スウィフト……アイルランド出身イギリスの諷刺作家・詩人。代表作『ガリバー旅行記』。

1936年 魯迅……中国の小説家・思想家。代表作『阿Q正伝』『狂人日記』。

1937年 ラザフォード……イギリスの物理学者。原子核の発見・原子核の人工変換など。「原子物理学の父」

1952年 土井晩翠……明治・大正・昭和期の詩人・イギリス文学者。代表作『天地有情』(詩集)、『荒城の月』(作詞)など。

1995年 丸木位里……昭和・平成期の日本画家。代表作 丸木俊(妻)との合作『原爆の図』。


● 過去のマイブログ「10月19日」のテーマ

2015年ブログ 「荒城の月」 の土井晩翠
島崎藤村と並ぶ国民的詩人として「藤晩時代」といわれた土井晩翠(どい ばんすい)が、1952年に亡くなった日です。晩翠は、英文学者としては、ホメロス、カーライル、バイロンなどを翻訳しています。1871年、今の宮城県仙台市に、富裕な質屋の長男として生まれた土井晩翠(本名・林吉)は、和歌や俳句、読書を好んだ父や祖母の感化を受け、小学生のころから『水滸伝』『三国志』『十八史略』や『新体詩抄』を愛読するなど……。

2012年ブログ 「おもしろ古典落語」90回目 『クモ駕籠(かご)』
むかしの街道には、駕籠をかつぐ「くも助」というのがいました。なぜこんな名がついたかといいますと、住んでいるとこが決まっておらず、今日は東、今日は西と、浮雲のようにフワフワしているからという人と、所どころに網を張ってお客をつかまえるから、ちょうど虫のクモのようだという人がいますが、どちらが正しいか、こんどクモにあったら聞いてみてください。「ええー、駕籠、駕籠はいかがですか」「今日はまだお客さんがありません。ひとつ乗ってくださいよ……。

2011年ブログ 「おもしろ古典落語」44回目 『てれすこ』
むかし長崎の浜辺で、珍しい魚が1ぴき捕れましたが、漁師が大勢集まっても、だれひとり名前を知ってる者がいません。これから先、困るだろうと奉行所に聞きに行きました。専門家の漁師がわからないものを、侍がわかるわけはなく、古い書物を調べても出ていないため、その魚の姿かたちを紙に写しとりまして、高札を立てました。『このたび、かような珍魚がとれた。この魚の名を存じうるものは申しいでよ。ほうびとして金百両をつかわすものなり』 このうわさを聞いて……。

2010年ブログ 『ガリバー旅行記』 とスウィフト
『ガリバー旅行記』などを著した諷刺作家、随筆家のスウィフトが、1745年に亡くなった日です。1667年、ジョナサン・スウィフトがアイルランドのダブリンに生まれたとき、父はすでになく、母からも捨てられ、おもに伯父の手で(本人いわく)「犬のように」育てられました。ダブリンのカレッジに入学したものの、怠惰な学生で、卒業して学位をとれたのもやっとのことでした……。

2007年ブログ 中国近代文学の父・魯迅
20世紀初頭の旧中国のありかた・みにくさを鋭く批判した「狂人日記」「阿Q正伝」を著した魯迅が、1936年に亡くなった日です。中国近代文学の父とたたえられている魯迅は、1881年、中国東部の浙江省で生まれました。本名は周樹人といいました。魯迅は、小説を書くようになってからの、ペンネームです。10歳をすぎるまでの魯迅は、家が豊かなうえに、理解ある両親や祖父にかこまれ、たいへんしあわせでした。絵本を読むことと、絵本の絵を写して楽しむことがすきな少年でした。ところが、12歳のとき、とつぜん祖父が牢獄につながれ……。

2006年ブログ 「チャップリン」 のこども時代
チャップリンの両親はまずしい旅芸人でしたが、チャップリンが6歳のときに父が亡くなり、7歳のときには、母が苦しい生活のために精神病にかかって、ときどき、病院へ入院するようになってしまいました。母が入院しているとき、あとにのこされたのは、チャップリンと兄のシドニーのふたりきりです。チャップリンは、母のことを思うと悲しくて、あしたの生活のことを考えると心ぼそく、小さなアパートの屋根裏の暗い部屋で、兄を見つめながら涙をながしました。はじめのうちは、アパートの管理人のおばさんが……。

2005年ブログ 小型本の価値
有吉忠行氏の講演記録4回目より ━━ 子どもの出版界のことについて、すこし申しあげてみます。おそらく、いずみ書房の小型の本を持って各家庭をまわられると、多くのお母さんが、小さい本ですねという意味をふくめて 「かわいい本ね」 と、いわれると思います。そして、この 「かわいい本ね」 という言葉の裏側に、「小さいのに値段は高いわね」 という無言の言葉を感じとられるのではないかと思います。しかしこれは、お母さん方が子どもの小型の本になれていないし、本の定価の根拠もご存じないからです……。


● 今日(10月18日)の主なできごと

1881年 日本初の政党……国会開設をを求めていた自由民権派は、板垣退助を党首に選び、日本初の全国組織による政党「自由党」が誕生した。


● 今日の主な記念日・恒例日

統計の日……国民に統計の重要性を知ってもらうため、1973年に閣議で制定した記念日。

冷凍食品の日……冷凍の「とう(10)」と、国際的に-18℃以下に保てば冷凍食品の品質を1年間維持できるとされていることから、日本冷凍食品協会が1986年に制定。

ミニスカートの日……1967年のこの日、イギリスから「ミニの女王」ツィギーが来日し、ミニスカートブームが起ったことにちなんで制定。

フラフープ記念日……1958年のこの日、フラフープが日本で初めて発売された。1本270円で、1ヵ月に約80万本という爆発的な売上げを記録する大ブームになった。


● 今日生まれた人

1019年 司馬光……中国北宋期の儒学者・歴史家・政治家。代表著作『資治通鑑』。

1850年 チェンバレン……イギリスの言語学者・日本研究家。明治期に38年間日本に滞在。代表作『日本事物誌』『英訳・古事記』など。

1870年 鈴木大拙……明治・大正・昭和期の仏教思想家。代表著作『大乗仏教概論』『禅論文集1-3』(英文)など。


● 今日亡くなった人

1602年 小早川秀秋……安土桃山時代の武将。丹波亀山城主。関ヶ原の戦いで東軍に寝返ることで、徳川家康率いる東軍の勝利に貢献。

1866年 シーボルト……ドイツの医師。江戸後期に長崎のオランダ商館医師として来日。鳴滝塾開塾。「シーボルト事件」で国外追放。

1893年 グノー……フランスの作曲家。代表作『ファウスト』『グノーのアヴェ・マリア』『操り人形の葬送行進曲』など。

1920年 楠瀬喜多……明治期の民権家・婦人運動家。

1931年 エジソン……アメリカの発明家・事業家。「発明王」


● 過去のマイブログ「10月18日」のテーマ

2013年ブログ 「民権ばあさん」 楠瀬喜多
明治時代の婦人運動家で、男女同権を主張し続けた楠瀬喜多(くすのせ きた)が、1920年に亡くなった日です。1836年、当時の土佐で運送業を営む家に生まれた西村喜多は、幼いころから漢学を学び、町人の出身でありながら、1857年に土佐藩の剣道指南役をつとめる楠瀬実と結婚、剣道や薙刀(なぎなた)などを修め、女丈夫(じょじょうふ=女傑)として知られるようになりました。ところが1874年に夫が亡くなり、子どもがなかったため、喜多が戸主として楠瀬家を相続しました……。

2012年ブログ 『資治通鑑』 の司馬光
中国・北宋期の儒学者・歴史家・政治家の司馬光(しば こう)が、1019年に生れた日です。『資治通鑑(しじつがん)』という、古代の戦国時代(BC403年)から五代末期(959年)まで1362年間の中国の歴史を294巻にまとめた通史を著した人物で、その主張は儒学に受け継がれ、水戸学などわが国にも大きな影響を与えました。現在の山西省に役人の子として生れた司馬光は、幼少のころから才能にめぐまれ……。

2011年ブログ オペラ『ファウスト』 のグノー
ゲーテの『ファウスト』を基にしたオペラを作曲したことで有名なフランスのグノーが、1893年に亡くなった日です。1818年シャルル・グノーは、有名な画家の父・ピアニストの母の間にパリで生まれました。5歳のときに父を失いましたが、母にピアノの手ほどきを受けて楽才を開花させ、音楽家となることを決意しました。1836年にパリ音楽院に入学してオペラ作曲家アレビらに師事して作曲法を学び……。

2010年ブログ 「発明王」 エジソン
映画、レコード、電信機、電話機、電球、蓄電池など、生涯におよそ1300もの発明をしたアメリカの発明家・事業家のエジソンが、1931年に亡くなった日です。トーマス・エジソンは、1847年アメリカのオハイオ州ミランに生まれました。父親は屋根板を作る工場を経営し、母親は小学校教師の経験のある教養人で、トーマスはふたりの7番目の子でした。並はずれて好奇心の旺盛な子どもだったトーマスは、「なぜ? どうして?」を連発、しかもいいかげんな答えでは納得しません……。

2007年ブログ モネ 「日傘の女」
日本人は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した「印象派の画家たち」の描いた作品が大好きです。モネ、ピサロ、シスレー、ルノアールといった人たちで、初期の頃は、先輩のコローやクールベらの重厚な作品に感化をうけましたが、やがて、もっと若いマネを中心とした明るい絵に魅かれ、戸外に出て自然の光を強調した新しい絵を描きはじめました。これらの人たちの絵は、これまでのサロン(官立学校派)の絵とはまるで違っていたため……。

2006年ブログ 「塙保己一」 のこども時代
保己一は、5歳のころ、高い熱がつづく病気で目が見えなくなってしまいました。しかし、目が見えなくなっても、いつも明るくふるまいました。わが子を盲目にしてしまった両親の悲しみが、耳から聞くことばで、よくわかったからです。保己一は、両親の 「目は見えなくても、人に負けない人間にしてやらなければ」 という願いで、やがて、和尚さんが開いている寺小屋へ、かよいはじめました。目は見えないのですから、自分で本を読むことも、字を書くこともできません……。

2005年ブログ 椋鳩十さんの「せかい伝記図書館」への推薦文
有吉忠行氏の講演記録�Bより ━━ 日本のシートンとしてたたえられている動物文学の作家椋鳩十さんは、「せかい伝記図書館」 に対し、直筆で賛辞を寄せてくれました。椋鳩十さんの書かれた「片耳の大シカ」「大造じいさんとガン」「月の輪ぐま」など多くの作品は、小学校の国語教科書に採用されています。椋さんはかつて 「母と子の二十分間読書運動」 というものを提唱されたことでも有名です……。

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