児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2016年06月


● 今日(6月2日)の主なできごと

1180年 福原遷都……この日平清盛が、安徳天皇を奉じて福原(今の神戸市兵庫区)に都をうつした。同年11月に平安京にもどす。

1582年 本能寺の変……天下統一を目前にした織田信長が、家臣明智光秀の謀反により自刃した事件「本能寺の変」がおきた。中国の毛利攻めに苦戦している羽柴秀吉の応援を命じられた光秀は、進軍の途中で行先を変更し、京都の本能寺にいる織田信長を襲った。この事件にちなみ、この日は「裏切りの日」ともいわれている。

1909年 両国国技館で初の大相撲……これまで室外で行われていた相撲は、2日前に両国国技館が完成したことで、この日初めて室内で実施した。

1953年 エリザベス2世戴冠……1952年にイギリス国王に即位したエリザベス2世女王の戴冠式が、ロンドンのウェストミンスター寺院で行なわれた。女王パレードには、100万人以上の人が歓迎したと伝えられている。元首の地位は名義的なものではあっても、イギリス連邦の団結や各国との親善の役割に大きな貢献。2015年にはビクトリア女王を抜いて、イギリス史上最長在位の君主となった。

1986年 死んだふり解散……中曽根康弘首相は、早期解散はとても無理だと思わせながら、この日の臨時国会召集日に、とつぜん冒頭解散をした。政府は7月6日に参院選と同時に衆院選を行うことを決定し、史上2度目の衆参同日選挙となって、自民党の圧勝となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

横浜港開港記念日/長崎港記念日……1859年のこの日、前年に締結された日米修好通商条約により、それまでの下田・箱館(今の函館)につづき、神奈川(今の横浜)と長崎の港が開港したことを記念して制定。


● 今日生まれた人

1740年 サド(サド侯爵) ……フランスの小説家。代表作『悪徳の栄え』『美徳の不幸』など。サディズム(サド)の名の由来。

1857年 エルガー……イギリス作曲家。代表作『エニグマ変奏曲』『威風堂々』など。

1891年 大西瀧治郎……昭和期の海軍軍人。神風特攻隊を創設。

1932年 小田実……昭和・平成期の小説家・評論家。代表作『何でもみてやろう』など。ベ平連結成。


● 今日亡くなった人

1716年 尾形光琳……江戸時代中期・元禄期の画家。代表作『紅白梅図屏風』『燕子花図屏風』など。

1743年 尾形乾山……江戸時代中期の陶工・絵師。尾形光琳の弟。

1882年 ガリバルディ……イタリアの軍人。イタリア王国統一の立役者。

1890年 松平慶永(松平春嶽)……幕末から明治期の越前藩主。公武合体を推進。

1952年 デューイ……アメリカの哲学者・教育学者。


● 過去のマイブログ「6月2日」のテーマ

2015年ブログ 「乾山焼」 の尾形乾山
芸術性の高い陶器から、庶民に親しまれた暖かみのある絵付け食器まで、幅広い作品で知られる江戸時代中期の陶工・絵師の尾形乾山が、1743年に亡くなった日です。1663年、京都の富裕な呉服商・雁金屋の三男として生まれた尾形乾山(本名・権平)は、6歳年上の兄に光琳がいて、尾形家が本阿弥家と縁戚にあったため、幼少のころから兄弟で蒔絵の模作を試みていたといわれています……。

2014年ブログ 「プラグマティズムの大成者」 デューイ
20世紀前半のアメリカ哲学・教育・思想界を代表するデューイが、1952年に亡くなった日です。1859年、バーモント州バーリントンの小規模な食料品店を営む両親の3男に生まれたジョン・デューイは、少年のころから新聞配達や農場の手伝いなどをしながら生活の手助けをし、15歳で名門バーモント大学に入学してダーウィンの進化論、コントの実証主義哲学などを学びました……。

2011年ブログ 「おもしろ古典落語」24回目 宿屋の富
「富」というのは今の「宝くじ」のようなもので、江戸時代には、たいそう流行っていました。江戸・馬喰町のあまりはやらない宿屋に、長いこと泊っている男がいます。「ちょいとお前さん。2階のお客さん、もう20日も逗留してるよ」「結構じゃないか」「喜んでちゃ困るよ。何だかおかしくないかい。深みにはまらないうちに、何とかしたほうがいいよ」「そんなら、おまえが催促してこい……。

2010年ブログ 本能寺の変
天下統一を目前にした織田信長が、家臣明智光秀の謀反により自刃した事件「本能寺の変」が、1582年におきた日です。この日 織田信長 は、京都の本能寺に宿をとって、中国地方の毛利氏を討つための準備をすすめていました。これまでに信長は、京を中心とした畿内とその周辺を手中に収め、甲斐の武田を滅ぼし、関東の北条、東北の伊達、九州の大友や島津なども信長に味方する姿勢を見せていたため、残る大きな敵は毛利氏でした……。

2009年ブログ イタリア統一の闘士・ガリバルディ
19世紀中ごろまでたくさんの国に分かれていた上、フランスやオーストリアなどに支配されていたイタリアを、イタリア王国として統一させたガリバルディが、1882年に亡くなった日です。ジュゼッペ・ガリバルディは、1802年に、今では地中海に面する世界的に有名な観光都市であるニース (当時、皇帝 ナポレオン 1世による軍事独裁政権─第一帝政下のフランス領) に生まれました。成人して船乗りとなったガリバルディが、初めて戦いの火をかかげたのは、27歳のときでした。統一運動の指導者マッチーニが結成したイタリア青年党に加わり……。

2008年ブログ 頭をたたかれた男の子
ある花屋の店先でのことです。母親に連れられた3、4歳の男の子が、花屋の前に並べてある鉢へ走り寄ると、いきなり、鉢の花を手にかけて、その花を摘みとろうとしました。あわてた母親は 「あっ、だめでしょ」 と叫ぶと、花の茎をつかんでいる子どもの手首を握って、まぎれもなく叱る時の声で 「離しなさい、早く離しなさい」。そして、子どもがやっと花から手を離すと 「お花がかわいそうでしょ」 と、いかにもその場をつくろうように、子どもを引きずるようにして向こうへ行き、やがて 「どうしてあんなことをするの」 の声といっしょに、子どもの頭をポカリ……。

2005年ブログ 英国レディバード社との出会い
私が英国レディバード社の刊行する「レディバード・ブックス」と、神保町にある洋書店で出会ったのは、子ども向け文庫判シリーズ企画が受け入れてもらえず、悶々としているころのことだった。レディバードの絵本シリーズは、文庫判よりちょっと縦長で、1冊56ページ、オールカラー、コンパクト判の上製本なのに、当時の定価で100円程度、驚くほど廉価だった……。


● 今日(6月1日)の主なできごと

1177年 鹿(しし)ヶ谷事件……後白河法皇側近の藤原成親や僧俊寛らが、京都東山の鹿ヶ谷山荘で、平家打倒の謀議を行ったと密通され、逮捕された。

1947年 初の社会党首班内閣成立……日本社会党の片山哲を首班とする社会・民主・国民協同の3党連合内閣が発足した。4月の総選挙で社会党が143議席を獲得したものの、過半数をとれなかったことでの3党連立となった。日本初の社会主義者を首相とする内閣で、クリスチャンの首相も初のことだった。しかし、労働運動の反撃や、社会党内の左右対立の調整に失敗し、翌年2月に総辞職を余儀なくされた。

1999年 「AIBO」登場……ソニーが仔犬型ペットロボット「AIBO(あいぼ)」を発売した。インターネットでの予約販売、1台25万円にもかかわらず、限定3000台というのがきいたのか、わずか20分で完売。まるで本物の犬のように歩き、感情表現をし、幼年期から成年まで成長するという情報も効果的だった。この成功により、ペット型ロボットのブームがおき、各メーカーが新製品の開発にはげみ、2足歩行の人間型ロボットもあらわれている。


● 今日の主な記念日・恒例日

衣替えの日……気候に合わせて衣服を替える日で、冬服と夏服とを替える日。平安時代の宮中で始った習慣で、当時は中国の風習にならって4月1日と10月1日に夏服と冬服を着替えると定め、これを「更衣(こうい)」といった。民間では「衣替え」といい、江戸時代ごろから、衣替えは6月1日と10月1日に行うようになった。

気象記念日……1875年のこの日、東京・赤坂に日本初の気象台「東京気象台(今の気象庁)」が設置され、気象と地震の観測が開始された。1884年これを記念してこの日を気象記念日に制定するとともに、初めて天気予報を出すようになった。


● 今日生まれた人

1835年 三島通庸……明治期の内務官僚。山形県令、福島県令時代に、強力に土木工事を進める手法から「土木県令」「鬼県令」と呼ばれる。

1926年 マリリン・モンロー……アメリカの映画女優。代表作『ナイヤガラ』『お熱いのがお好き』など。「アメリカのセックスシンボル」

1955年 千代の富士貢(九重親方)……昭和・平成期の力士。58代横綱、幕内優勝31回、1989年国民栄誉賞(第8号)

1957年 山下泰裕……昭和・平成期の柔道家。1984年国民栄誉賞(第5号)


● 今日亡くなった人

BC195年 劉邦……秦(古代中国)を滅ぼし、項羽をやぶった前漢王朝の初代皇帝。

1804年 グリンカ……ロシアの作曲家。代表作 歌劇『ルスランとリュドミラ』など。「ロシア音楽の父」

1837年 生田万……江戸時代後期の藩士・国学者。

1864年 洪秀全……清(中国)後期の革命家。「太平天国」建設をめざす。

1968年 ヘレンケラー……アメリカの女流教育家。三重苦の苦難を乗り越えて活躍。


● 過去のマイブログ「6月1日」のテーマ

2015年ブログ 生田万の乱
「大塩平八郎の乱」に刺激されて代官所の不正に抗議して蜂起した、江戸時代後期の国学者生田万(いくた よろず)が、1837年に亡くなった日です。1801年、上野国(群馬県)館林藩士の家に生まれた生田万(本名・国秀 万=号)は、藩校で儒学を学び、平田篤胤の著書を読んで国学を志し、1824年に江戸に出て篤胤の門人となりました……。

2012年ブログ 「おもしろ古典落語」71回目 高田馬場(たかだのばば)
むかし、今の浅草公園のあたりを浅草・奥山といっていまして、春の季節は、見世物や大道芸人がずらりと並んでにぎやかな人だかりがしていました。その大道芸人の中でも、名物になっていたのが居合い抜きという芸当でした。柄鞘(つかざや)八尺という長い刀をあざやかに抜いてみせます……。

2011年ブログ 「ロシア音楽の父」 グリンカ
歌劇『ルスランとリュドミラ』など、国外で広い名声を勝ちえた最初のロシア人作曲家グリンカが、1804年に生まれた日です。現ウクライナ・スモレンスク県の貴族で、広大な土地を所有するの家庭に生まれたミハイル・グリンカは、子どもの頃から音楽に興味を持っていました。民謡の好きな乳母に育てられたこと、雇い人である農奴たちが演奏する民謡を聞く機会に恵まれたこと……。

2010年ブログ 「太平天国」 と洪秀全
アヘン戦争でイギリスに敗北して威信を失った清(中国)南部に、平等な世界を理想とする「太平天国」の建設をめざし、14年間にわたり革命運動をおこした洪秀全(こうしゅうぜん)が、1864年に亡くなった日です。1813年、広東省の貧しい農村に生まれた洪秀全は、役人になるつもりで科挙をめざしましたが何度も失敗、失望のため重い病にふせてしまいました……。

2009年ブログ 三重苦の聖女・ヘレンケラー
生後19か月で目・耳・口の機能を失いながらも、著述家、社会福祉事業家として活躍したアメリカのヘレンケラーが、1968年に亡くなった日です。1880年、アメリカ・アラバマ州の北部タスカンビヤの町に生まれたヘレンケラーは、1歳7か月目に、原因不明の高熱と腹痛におそわれました。医師の努力でなんとか一命だけはとりとめましたが、ものを見ることも、聞くことも、話すこともできない盲聾唖(ろうあ)者になってしまいました……。

2007年ブログ だれにでもある「がん細胞」
2年半ほど前になくなった私の妻の死因は、2000年の定期健康診断の際に見つかった肺がんでした。あまりに急で予期しないことだったために、書店へ行っては「がん」とタイトルに名のあるものは片っ端から買いこんで読みあさったことを思い出します。その結果わかったことは、人間には60兆個以上もの細胞があるそうで、1個の細胞を1人としてみると……。

2006年ブログ おおきな かぶ
おじいさんがかぶを植えました。そして 「あまい あまいかぶになれ、おおきな おおきなかぶになれ」 と、たいせつに育てました。すると、とてつもなく大きなかぶになりました。さて、おじいさんはかぶを引き抜こうとしたのですが、とても抜けそうにありません。そこで、おばあさんを呼び、孫を呼び、犬を呼び、ねこを呼び、ねずみを呼び……。

2005年ブログ 子ども向け文庫シリーズが作りたい
大学を卒業してすぐに、私は「社会思想社」という出版社に入社した。「現代教養文庫」という文庫判のシリーズを刊行する出版社で、当時すでに500点近くを出版する中堅クラスの会社だった。今でこそ文庫といえば、百社に近い出版社が手がけているが、当時文庫といえば、岩波書店、新潮社、角川書店の3社が刊行する、古典や定評ある文学作品というイメージが強いものだった。その3社の文庫に続く存在として教養文庫が高く評価されたのは、若者向け人生論から、写真をふんだんに取り入れた旅シリーズ、文学散歩、世界の名画めぐり、科学読み物など、さまざまな分野の書下ろしをメインとするところにあり、高校生や大学生に特に人気があった……。

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