児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2016年06月


● 今日(6月23日)の主なできごと

1944年 昭和新山誕生……この日、北海道の有珠山東麓の畑地に水蒸気爆発がおこった。この日から10月末まで爆発をくりかえし、11月には土地の隆起と溶岩で出来た「ドーム」とともに407mの新山となり、翌年「昭和新山」と命名された。

1991年 ル・マン24時間耐久レースで日本車が初優勝……この日、フランスの第59回「ル・マン24時間耐久レース」が行われ、ロータリーエンジンを搭載したマツダ・787が、メルセデスベンツを大逆転の末、日本車として初めて優勝を果たした。13回目の挑戦による快挙だった。


● 今日の主な記念日・恒例日

沖縄慰霊の日……1945年のこの日、牛島満大将らが自決し、太平洋戦争中に日本で唯一の地上戦がおこなわれた沖縄における組織的戦闘が終結。80日にもおよぶ地上戦で、住民を中心に23万人以上もの犠牲者を出した。これにちなみ、1961年から沖縄県を中心に実施されている。

オリンピック・デー……1894年のこの日、フランスのクーベルタン男爵の提唱によりオリンピック復興に関する国際会議がパリで開催され、1896年にアテネで第1回オリンピック大会の開催することを決議。これを記念した日で、日本では日本オリンピック委員会(JOC)が1948年から実施。


● 今日生まれた人

1794年 水野忠邦……江戸時代後期の政治家。「天保の改革」を主導。

1836年 加藤弘之……幕末から明治期の政治学者。代表著作『国体新論』『人権新説』『強者の権利の競争』など。

1858年 成瀬仁藏……明治・大正期の女子教育者。日本女子大学創立。

1859年 ミシュラン……フランスの経営者。ミシュランタイヤ創業、「ミシュラン・ガイド」発刊。

1889年 三木露風……明治・大正・昭和期の詩人。『赤とんぼ』の作詞など、北原白秋と並び「白露時代」と称された。

1891年 岸田劉生……明治・大正・昭和期の洋画家。代表作『麗子微笑』『麗子五歳之像』など。

1894年 キンゼイ……アメリカの動物学者・性科学者。「キンゼイ報告」が著名。

1928年 河合隼雄……昭和・平成期の臨床心理学者。

1935年 筑紫哲也……平成期のジャーナリスト・ニュースキャスター。


● 今日亡くなった人

1908年 国木田独歩……明治期の作家・詩人・ジャーナリスト。代表作『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』 など。

1961年 青野季吉……大正・昭和期の文芸評論家。

1967年 壺井栄……昭和期の女流作家。代表作『二十四の瞳』『坂道』『母のない子と子のない母と』など。

1986年 桜田一郎……昭和期の高分子化学者。


● 過去のマイブログ「6月23日」のテーマ

2015年ブログ 「ビニロンの発明者」 桜田一郎
でんぷん、セルロース、タンパク質、プラスチックなど、大きな分子でできている物質を扱う「高分子化学」分野で、先駆者といわれる桜田一郎(さくらだ いちろう)が、1986年に亡くなった日です。1904年、京都に生まれた桜田一郎は、京都帝国大学(京都大)工学部を卒業後、コロイド科学・繊維化学・高分子化学研究の道に入りました。1928年からドイツへ留学し、ライブツィヒのオストワルトやベルリンにあるカイザー・ウィルヘルム研究所のヘスのもとで高分子化学の先端技術を吸収し、帰国後……。

2014年ブログ 「プロレタリア文学」 と青野季吉
大正末期から昭和初期に盛んとなった、プロレタリア文学の理論的指導者として活躍した文芸評論家の青野季吉(あおの すえきち)が、 1961年に亡くなった日です。1890年、新潟県佐渡ヶ島の廻船問屋兼酒造業「青野屋」に10人兄弟の末子として生まれた青野季吉でしたが、この年に大規模な米騒動があり、持船は焼かれ、家も打ちこわしにあいました。生まれたばかりの季吉は母に背負われて山へ逃げたと、のちに回想しています……。

2011年ブログ 『麗子像』 の岸田劉生
大正から昭和初期に活躍した洋画家の岸田劉生(きしだ りゅうせい)が、1891年に生まれた日です。明治の先覚者として名高いジャーナリスト岸田吟香(ぎんこう)の子として東京銀座に生まれた劉生は、絵の好きだった父や乳母の影響を受けて、幼い頃から絵が大好きでした。小学生の時には同級生と作った雑誌にさし絵などを描くほどでした。1908年に東京高等師範(のちの東京教育大)を中退すると、黒田清輝の主宰する白馬会美術研究所に入って洋画を学び……。

2010年ブログ 「赤とんぼ」 の三木露風
近代日本を代表する詩人・作詞家として、北原白秋と並び「白露時代」と称された三木露風が、1889年に生まれた日です。「♪夕焼け、小焼の 赤とんぼ……」 日本人の誰もが知っている「赤とんぼ」を作詞したのが、露風です。1889年、兵庫県の龍野町(現・たつの市)に生まれた露風は、5歳の時に両親が離婚しました。幼稚園から帰ったある日、生母が弟を連れて島根の実家へ帰ってしまったことを知ったとき、露風のショックはどんなに大きなものだったでしょう……。

2009年ブログ 「二十四の瞳」 の壺井栄
『二十四の瞳』『坂道』『母のない子と子のない母と』などを著した女流作家 壺井栄(つぼい さかえ)が、1967年に亡くなった日です。壺井栄は、1899年香川県の小豆島にしょうゆ樽職人の5女として生まれました。蔵元の倒産により、経済状態が厳しく苦労を重ねましたが、高等小学校を卒業後、およそ10年間、村の郵便局や役場に勤めました。1925年に上京して、小豆島出身の詩人・壺井繁治と結婚しましたが、若い頃は、あまり文学には関心がなく、平凡な主婦として過ごしていたようです……。

2008年ブログ 自然と人生をかいた明治期の作家・国木田独歩
「武蔵野」 「牛肉と馬鈴薯」 「源叔父」 などの著作をはじめ、詩人、ジャーナリスト、編集者として明治期に活躍した国木田独歩(くにきだ どっぽ) が、1908年に亡くなった日です。自然文学の名作 『武蔵野』 を書いた国木田独歩は、1871年、明治時代の幕が開いてまもなく千葉県の銚子で生まれました。少年時代のおおくは、裁判所書記官だった父の転勤で、山口、広島、岩国など山陽の各地ですごしました……。

2006年ブログ おおかみと7ひきの子やぎ
子どものための世界の聖典といわれるグリム童話は、ヤコブ、ウィルヘルムのグリム兄弟が、ドイツに古くから語り伝えられている昔話を集めたものです。したがって、もともと 「語り聞かせ」 のために生まれたものです。「おおかみと七ひきの子やぎ」 は、そのグリム童話の中でも、もっとも親しまれている話の一つです。なぜでしょうか。それは、おおかみが、やぎを食い、そのおおかみが最後には殺されるという残酷な話の中に母が子を思う心、子が母を慕う心、つまり母と子の愛が語られているからです……。

2005年ブログ J・チェーンの実態
J・チェーンの決起大会にはじめて参加してみて、その熱気とチームワークあふれる組織にひとまず安心した。ちょっとやそっとでは崩壊することはないだろう、と確信したためでもある。ただし、帰りの新幹線の中で、私の座席のすぐうしろにJ・チェーンの加盟店の人たちがいて、「こんなことで貴重な時間をつぶされるのはたまらない」「劇の練習だ、人の応援だ、勉強会だ、何やかやと狩り出される。こんなことしたって一銭にもなりはしない」「交通費だってみんな自腹だしな」などと、ぼやきがもれ聞こえてきたことに一抹の不安を感じた……。


● 今日(6月22日)の主なできごと

1633年 ガリレオ終身刑……イタリアの物理学者ガリレオは、宗教裁判で終身刑を言い渡された。当時、地球は動かず太陽が地球を回っているという「天動説」がローマ教皇庁の考えだったが、ガリレオはポーランドの天文学者コペルニクスのとなえた「地動説」を支持、みずからの観測を重ねて本に著したことで教会の怒りをかい、罰せられたのだった。病身だったガリレオは、厳しい取調べに、天動説を認める書類に署名したが「それでも地球は動いている」とつぶやいたといわれている。なお、この判決に対し359年後の1992年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、教会の誤りを公式に認めた。

1752年 雷は電気を証明……アメリカ独立に多大な貢献をした政治家、外交官、また著述家、物理学者、気象学者として多岐な分野で活躍したフランクリンが、たこを用いた実験で、雷が電気であることを明らかにした。これがきっかけとなって避雷針を発明。

1941年 独・ソ戦開始……史上最大の死傷者を出した第2次世界大戦のうちでも「最大の戦い」といわれるドイツとソ連(独・ソ)戦が始まった。


● 今日の主な記念日・恒例日

ボウリングの日……1861年、この日の英字新聞に、長崎外国人居留地に日本初のボウリング場が開設されたと掲載されたことから、日本ボウリング場協会が1972年に制定。

日韓条約調印記念日……1965年のこの日、「日韓基本条約」の調印式が行われ、この条約をもとに同年12月18日、日本と韓国との間で国交が回復した。


● 今日生まれた人

1805年 マッツィーニ……イタリアの革命家。カブール、ガリバルディと並ぶ「イタリア統一三傑」の1人。

1864年 田中義一……明治・大正・昭和初期の陸軍軍人。陸相を経て26代首相となるも、張作霖爆殺事件の責任を負って総辞職。

1898年 レマルク……ドイツの小説家。代表作『西部戦線異状なし』など。

1903年 山本周五郎……昭和期の小説家。代表作『樅の木は残った』『赤ひげ診療譚』など。

1903年 堀越二郎……昭和期の航空技術者・航空評論家。「零戦」を設計。

1906年 ワイルダー……アメリカの映画監督・脚本家。代表作『アパートの鍵貸します』『麗しのサブリナ』など。


● 今日亡くなった人

1527年 マキャベリー……イタリア・ルネサンス期の政治思想家。

1846年 宇田川榕菴……江戸時代後期の蘭学者。日本の近代植物学の開祖。

1998年 高田好胤……昭和・平成期の僧侶・薬師寺管主。

2000年 滝沢修……昭和・平成期の俳優・演出家。


● 過去のマイブログ「6月22日」のテーマ

2015年ブログ 「薬師寺」 を再生させた高田好胤
ユーモアあふれる分かりやすい法話や講演、『心』『道』『まごころ説法』の著書など、写経100万巻を達成させ、奈良市にある「薬師寺」の金堂・西塔・中門・回廊他を再建させた高田好胤(たかだ こういん)が、1998年に亡くなった日です。1924年、大阪市の裕福な家に生まれた高田好胤(本名・好一)は、11歳のとき父を亡くし、母方の実家が東大寺龍蔵院だった縁で、薬師寺の管主橋本凝胤の弟子として引き取られました。凝胤の厳しい教育に耐え……。

2012年ブログ 「おもしろ古典落語」74回目 道具屋
神田三河町の大家・杢兵衛(もくべぇ)の甥の与太郎は、三十六にもなるのに、ろくな仕事もしないで年中ぶらぶらしています。「与太か、こっちへおあがり。今おめぇのオフクロがきて、泣いてったぞ」「はは、色男にはなりたくねぇ」「なにが色男だ」「女を泣かせる」「いい年して、ばかいうんじゃねぇ、オフクロを安心させるように、なにか商売でもする気になれ」「このあいだ、もうかる商売やってみた……。

2011年ブログ 『君主論』 のマキャベリー
イタリア・ルネサンス期の政治思想家で、フィレンツェ共和国の外交官だったマキャベリーが、1527年に亡くなった日です。ニッコロ・マキャベリーは1469年、フィレンツェの貧しい貴族の家に生まれました。しかし父母の愛情につつまれながら、ラテン語を学び、ローマ・ギリシアの古典に親しむかたわら、法律や政治に関心を持つようになりました。当時のフィレンツェは、メディチ家の全盛期で、大ロレンツォによる独裁が行われ、ルネサンスの学芸が華やかにさかえていました……。

2010年ブログ 独ソの開戦
史上最大の死傷者を出した第2次世界大戦のうちでも「最大の戦い」といわれるドイツとソ連(独・ソ)戦が、1941年に開始した日です。1939年9月にヒトラー率いるドイツ軍がポーランドに侵攻したのに対し、イギリスとフランス(英・仏)が宣戦を布告して第2次世界大戦は始まりました。開戦後のドイツは、周辺諸国を次々に占領し、1940年5月には北フランスに進軍し翌月には首都パリを陥れました。孤立した英仏軍はイギリス本土へ撤退、ドイツはフランスを降伏させました。この勝利に、イタリアもドイツ側にたって参戦しました……。

2009年ブログ 避雷針を発明したフランクリン
アメリカ独立に多大な貢献をした政治家、外交官、また著述家、物理学者、気象学者として多岐な分野で活躍したフランクリンが、1752年にたこを用いた実験で、雷が電気であることを明らかにした日です。ベンジャミン・フランクリンは、息子のウィリアムを連れて、フィラデルフィアの町はずれにある牧場へ急いでいました。フランクリンは、いまにも、かみなりが鳴りそうな空に、針金をとりつけた布のたこを上げました……。

2007年ブログ 親から教師につきつける身勝手な要求
昨年、給食費の不払いが話題になっていた頃、[義務教育なのだから、給食費なんて払わなくてあたりまえ] とか、[給食費を払っているのだから「いただきます」や「ごちそうさま」をいわせるのはおかしい] という人たちがいることを知って、ビックリしたことを記憶しています。ところが、幼稚園や保育園、小中学校の教師らに、親からつきつけられる身勝手な要求がますますエスカレートしているという最近の報道には、あきれるというより腹がたってしまうのは私だけではないでしょう……。

2005年ブログ J・チェーン社長のカリスマ性
J・チェーンが「マルチ商法」といううわさが広がり始めた頃、Y社長は何か手を打たないとまずいと考えたのだろう。全国組織の引き締めと、納入業者に安心感を与えるため、国際会議が開かれることで有名な「国立京都国際会館」を借り切って、決起大会を開催することになった。この大会で、私ははじめてY社長の演説を聴くことになる……。


● 今日(6月21日)の主なできごと

1635年 参勤交代の義務化……江戸幕府はこの日、「武家諸法度」を改訂し、毎年4月に、外様大名が江戸と国元を1年ごとに参勤交代することを義務づけた。


● 今日の主な記念日・恒例日

がん支え合いの日……今年のように夏至になることの多いこの日を、がん患者や家族を支援するNPO法人キャンサーリボンズが記念日に制定。

スナックの日……むかし、夏至のお祝いに「歯固め」と称して正月の餅を固くして食べる習慣があったことから、全日本菓子協会が制定。


● 今日生まれた人

1007年 欧陽修……中国・北宋の政治家・学者・文学者。古文復興運動を推進。

1646年 ライプニッツ……ドイツの哲学者・数学者。微積分を発明。

1781年 ポアソン……フランスの数学者(確率論・積分学)・物理学者(電磁気学)。

1856年 浅井忠……明治期の洋画家。代表作『春畝』『収穫』(ともに重要文化財)など。

1868年 宇垣一成……明治・大正・昭和期の陸軍軍人。陸軍相、外相歴任。

1893年 村岡花子……大正・昭和期の児童文学作家・翻訳家・評論家。

1905年 サルトル……フランスの哲学者・文学者。代表作『実存主義とは何か』『存在と無』など。

1914年 久保山愛吉……マグロ漁船第五福竜丸無線長。アメリカ水爆実験の「死の灰」をあび、半年後に死去。

1926年 相沢忠洋……昭和・平成期の考古学者。岩宿で日本初の旧石器を発見。

1935年 サガン……フランスの女流作家。代表作『悲しみよ今日は』『ある微笑』など。


● 今日亡くなった人

1185年 平宗盛……平安時代後期の(武将。平清盛の次男。壇ノ浦で捕えられ、鎌倉から京都へ送還中に斬殺。

1527年 マキァベリ……イタリアの政治家・思想家。代表作『君主論』『戦術論』など。

1793年 林子平……江戸時代中期の経世家。代表著作『海国兵談』、海防学の先駆者。寛政三奇人の一人。1738年の誕生日でもある。

1809年 桂川甫周……江戸時代中・後期の蘭方医・地理学者。代表作『万国図説』『顕微鏡用法』など。

1852年 フレーベル……ドイツの教育者。世界で初の幼稚園創設。

1872年 山内豊信(容堂) ……幕末の土佐藩主。

1874年 オングストローム……スウェーデンの物理学者(分光学)。長さの単位A(オングストローム)の名の由来。

1970年 スカルノ……インドネシア初代大統領。

1997年 勝新太郎……昭和・平成期の俳優・歌手・脚本家・映画監督。代表作『座頭市』『兵隊やくざ』シリーズなど。


● 過去のマイブログ「6月21日」のテーマ

2013年ブログ 「おもしろ古典落語」122回目 開帳の雪隠(せっちん)
むかし、出開帳というのが流行ったことがありました。今のように便利な乗り物がなかったころですから、遠くにある有名な仏さまをおまいりするのはたいへんです。そこで仏さまのほうから、出張サービスをしました。そのころ、江戸の三開帳というのがありまして、京都の嵯峨(さが)のおしゃかさまが両国の回向院(えこういん)へ、成田の不動さまが深川の出張所へ、身延山のお祖師さまが深川の浄心寺へ……。

2012年ブログ 「大政奉還」 と山内豊信
徳川家の温存を期し、15代将軍徳川慶喜に「大政奉還」を進言した土佐藩の山内豊信(やまのうち とよしげ)が、1872年に亡くなった日です。豊信は、号の容堂(ようどう)としても知られています。1827年に生まれた豊信の生家は、山内本家の分家で、分家五家の中での序列も最下位だったため、豊信は高知城下で生まれ育ちました。13代藩主と14代藩主が相次いで急死したため、当時22歳の豊信が藩主候補となり、1848年末、山内本家の15代藩主となりました……。

2011年ブログ 「岩宿遺跡」 と相沢忠洋
戦後に活躍した考古学者で、「岩宿遺跡」を発見し、日本に旧石器時代があったことを証明した相沢忠洋(あいざわ ただひろ)が、1926年に生まれた日です。東京の羽田に生まれた相沢は、幼いときに両親が離婚したため、浅草の履物屋で働きながら、近くにある小学校の夜間部で学びました。その頃から、古代の遺物に興味をおぼえ、帝室博物館(今の東京国立博物館)に通いながら、独学で考古学を学びました。小遣いをはたいて、石器の収集を……。

2010年ブログ 実存主義者・サルトル
フランスの哲学者、小説家、劇作家、評論家として活躍したサルトルが、1905年に生まれた日です。「人間は、たとえ人生がむだにあたえられたものであっても、自分の未来は自分でつくりだして、人生に価値を生みださなければいけない。自分の生き方は自分でえらびとるべきだ。自分の人生を自分でえらべるからこそ、人間は自由である。しかし、自由であるかわりに、自分が生きていることについては、すべて、自分が責任をもたなければならない」……。

2007年ブログ すぐれた海防学者 「林子平」
江戸幕府の鎖国政策に対し、海外のようすを少しも知らない国民たちに、警告を発した先駆者・林子平が、1793年に、仙台のちっ居先で亡くなった日です。「海国日本を守るためには、海軍の力を強くしなければだめだ」  林子平は、日本が鎖国で外国とのまじわりを閉じている時代に、勇気をだして、海の守りのたいせつさをとなえた人です……。

2005年ブログ J・チェーンはマルチ商法?
J・チェーンの子会社J総業との売買契約が成立したことで、じっくり絵本の制作に打ち込める時間ができた。数ヶ月をかけてほぼ全巻刊行の見通しも立ち、最後の追い込みにかかっている頃だった。友人の新聞記者から、J・チェーンにちょっと変なうわさが入っているけど知っているかという電話が入った。当社がJ・チェーンを最大の販売先にしていることを覚えてくれていたためだった。知らないと答えると、J・チェーンをはじめAPOジャパン社、ホリデイマジック社などが「マルチ商法」の疑いがあるということで、当局の内部調査がはじめられているという……。


● 今日(6月20日)の主なできごと

1590年 天正少年遣欧使節帰国……8年前、伊藤マンショら4人の少年が、九州のキリシタン大名大友宗麟・大村純忠,有馬晴信に送りだされた天正少年遣欧使節の一行が長崎に帰国。使節とともに来日したイエズス会宣教師のバリニャーノは活字印刷機を初めて日本に持ち込んだ。

1837年 ビクトリア女王即位……イギリス史上65年という最長(現エリザベス2世が2015年記録更新)の王となり「大英帝国」の絶頂期を築く。

1968年 100m十秒の壁破る……この日、全米陸上選手権の男子100m走で、3人の黒人選手ジム・ハインズ、ロニー・スミス、チャーリー・グリーンが9秒9(手動計時)を記録。人類の悲願だった十秒の壁を破る記念すべき日となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

世界難民の日……1974年のこの日、「アフリカ統一機構難民条約」が発効したことから、国連が2000年12月に、それまでの「アフリカ難民の日」を改称して制定。

ペパーミントの日……「はっか(20日)」の語呂合せと、北海道の6月の爽やかさがハッカそのものであることから、ハッカを特産品とする北見市「まちづくり研究会」が1987年に制定し、全国的に広がった。


● 今日生まれた人

1819年 オッフェンバック……フランスの作曲家。代表作『天国と地獄』『青ひげ』『ホフマン物語』など。

1861年 ホプキンズ……イギリスの生化学者。ビタミンや必須アミノ酸を発見。

1894年 竹鶴政孝……大正・昭和期の実業家。ニッカウヰスキー創業。

1901年 丸木位里……昭和・平成期の日本画家。『原爆の図』を配偶者の丸木俊(洋画家)と共同制作。

1909年 吉岡隆徳……昭和初期に活躍した短距離選手。「暁の超特急」


● 今日亡くなった人

941年 藤原純友……平安時代中期の官人。瀬戸内海の海賊首領。

1751年 徳川吉宗……江戸幕府第8代将軍。幕政改革「享保の改革」を断行。

1959年 芦田均……昭和期の政治家。第47代首相。


● 過去のマイブログ「6月20日」のテーマ

2014年ブログ 「暁の超特急」 吉岡隆徳
1935年に100m10秒3の「世界タイ記録」を達成し、戦後はコーチとして飯島秀雄や依田郁子らを育てた吉岡隆徳(よしおか たかよし)が、1909年に生まれた日です。いまの島根県出雲市に神官の子として生まれた隆徳は、小学校卒業後に吉岡家の養子となりました。杵築(きつき)中学(今の大社高校)時代に、駅まで4kmの距離を走って通学するなどの努力が実り……。

2013年ブログ 自由主義政治家・芦田均
戦後の混乱期に国政を担当し、第47代内閣総理大臣をつとめた芦田均(あしだ ひとし)が、1959年に亡くなった日です。1887年、いまの京都・福知山市の農家に生まれた芦田均は、少年時代から外交官となって日本の近代化に向けて活躍する夢を抱いていました。その願いがかなって、東大を卒業後に外務省に入り、大使館書記官、外務事務官、大使館参事官として、ロシア、フランス、トルコなどに駐在……。

2012年ブログ 朝廷を震撼させた藤原純友
平安時代中期に瀬戸内海の海賊の首領として「純友の乱」をおこし、朝廷軍を悩ませた藤原純友(ふじわらの すみとも)が、941年に刑死した日です。藤原純友がいつどこで生れ、どのように育ったかはほとんどわかっていません。筑前の守を歴任した藤原良範の子とも、養子ともいわれています。朝廷から伊予掾(いよのじょう)として、瀬戸内にはびこる海賊を討伐する役目を任じられた純友でしたが……。

2011年ブログ 『天国と地獄』 のオッフェンバック
音楽と喜劇を融合した喜歌劇(オペレッタ)の原型をこしらえた作曲家オッフェンバックが、1819年に生まれた日です。ジャック・オッフェンバックは、ドイツに生れましたが、1833年にチェロを学ぶためにパリ音楽院に入学、卒業後まもなくパリ・オペラコミック座のチェロ奏者となりました。そのかたわらシャンソンの作曲をするうちに有名になり、1843年にテアトロ・フランセの楽長に就任、1855年には「ブック・パリジャン」という劇場を自ら作り……。

2008年ブログ ドガ 「舞台の踊り子」
[私の好きな名画・気になる名画 24]  ドガにはたくさんの踊り子を描いた作品がありますが、この代表作 「舞台の踊り子」 には(エトワール)という別称がついています。主席ダンサーという意味で、まさにドガの作品の中でも第1級のできばえのパステル画です。2階のバルコニー席から見おろした舞台には、スポットライトと、左下からフットライトを浴びた踊り子は、華やかに、また軽やかに舞っています。客席からは大きな拍手をあびているにちがいありません……。

2007年ブログ  [おもしろ民話集 2] 1本足のにわとり
むかし、あるところに神父さんと、年とった黒人の召使いがいました。召使いは、神父さんが子どもの頃から家にいたので、大人になってもまだ子ども扱いをしていました。神父さんが少しでも雨にぬれて帰ってくると「あれあれ、カゼをひくじゃありませんか」とおおさわぎしたり、死にかかっている人をなぐさめに夜遅くでかけようとすると「身体をこわします。朝まで待てないのですか」とぶつぶつ言ったりします……。

2006年ブログ ねしょんべんものがたり
「ねしょんべんものがたり」(椋鳩十監修 童心社刊)は、児童文学者の岩崎京子、神沢利子、坪田譲二、椋鳩十ら、女性7名、男性13名が語った、幼い日のねしょんべん体験記。1971年に出版されて以来、爆発的な人気をよび、今もなお、小学2~4年生を中心に、多くの子どもたちに読みつがれています。たんに、おもしろいというのではなく、ふしぎなほど、子どもたちの心に安らぎを与えるからです。この本を読んでの感想文のなかで、子どもたちは楽しそうに言っています……。

2005年ブログ キャメロン会総会で「讃歌」を披露
「曲が完成して仕事の都合がつけば、ギターをかかえてキャメロン・ハイランドへこないか」と私にいい置いて、兄たちは1月21日に3週間のマレーシア旅行へでかけていった。私は、まもなく曲作りを終えた。しかし、短調の曲にしたため哀愁と情感はあるものの、明るさが不足する。「讃歌」なのだから、明るく軽快な感じのものもこしらえておこうと、同じ詞で長調にも挑戦してみた。どちらにするかはみんなの評判を聞いて決めればいいやと、1週間遅れの1月28日、10日間の予定でひとりマレーシアに出発した。私にはリタイヤした人と違って、休暇はとれても10日間がせいぜいだったからだ……。


● 今日(6月17日)の主なできごと

1869年 版籍奉還……明治新政府は、藩の土地(版)と人民(籍)をこれまで治めていた藩から、天皇に返す「版籍奉還」を開始した。

1877年 モース来日……アメリカの動物学者のモースが来日し、縄文時代の貝塚「大森貝塚」を発掘したことがきっかけとなって、日本に近代科学としての考古学がスタートした。

1972年 ウォーターゲート事件……ワシントンのウォーターゲートビルにあるアメリカ民主党本部に、盗聴器をしかけようとしていた5人組が逮捕された。共和党のニクソン大統領が、次の大統領選に有利にするため、相手方の様子を知ろうとしたためとされ、1975年8月、ニクソンは大統領辞職に追いこまれた。


● 今日の主な記念日・恒例日

砂漠化および干ばつと闘う国際デー……1994年のこの日、「国連砂漠化防止条約」が採択されたことから、1995年の国連総会で制定。


● 今日生まれた人

1239年 エドワード1世……イギリス(イングランド)王。ウェールズを制圧し、法治国イギリスの基礎を築く。

1818年 グノー……フランスの作曲家。代表作 『ファウスト』『賛歌と教皇の行進曲』など。

1832年 クルックス……イギリスの化学者・物理学者。。タリウムの発見や陰極線の研究に成果。

1869年 藤原銀次郎……大正・昭和期の実業家。「製紙王」

1882年 ストラビンスキー……ロシアの作曲家。代表作 バレー曲『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』など。

1920年 原節子……昭和期の映画女優。代表作『わが青春に悔なし』『青い山脈』『東京物語』『秋日和』など。


● 今日亡くなった人

1611年 堀尾吉晴……安土桃山・江戸時代前期の武将。

1857年 阿部正弘……江戸時代後期の幕府老中首座。安政の改革を断行。

1863年 箕作阮甫……江戸時代後期の蘭方医・蘭学者。医書のほか多分野の訳書。


● 過去のマイブログ「6月17日」のテーマ

2015年ブログ 「模範議会」 のエドワード1世
ウェールズを制圧し、騎士と市民の代表を議会に参加させるなど、法治国イギリスの基礎を築いたエドワード1世が、1239年に生まれた日です。フランス貴族の流れをくむ「プランタジネット朝」のイングランド王ヘンリー3世の長男として生まれたエドワードは、1265年に父王と貴族との間に争いがおきたとき、貴族派の指導者でイギリス下院を創設したシモン・ド・モンフォールや改革派の諸侯と「イーブシャムの戦い」に勝利し、国王の権威をとりもどしました……。

2014年ブログ 「製紙王」 藤原銀次郎
倒産寸前だった王子製紙を再建し、巨大製紙企業につくりあげた実業家で、政界、教育界にも力を尽くした藤原銀次郎(ふじわら ぎんじろう)が、1869年に生まれた日です。現在の長野市に、藍問屋を営む豊かな農家に生まれた藤原銀次郎は、16歳のとき医者になることを条件に上京しました。しかし、医学の道には進まず慶応義塾に入って1889年に卒業後、島根県の地方紙「松江新報」の新聞記者になりました。ところが社が経営不振におちいったことで、藤原は社を引き受けて社長兼主筆となったものの、用紙の入手にてこずって再建に失敗し、帰京しました……。

2013年ブログ 「安政改革」 の阿部正弘
幕末に幕府の老中首座として日米和親条約を結び、安政改革を断行した阿部正弘(あべ まさひろ)が、1857年に亡くなった日です。1819年、備後(広島県)福山藩主で、当時幕府の老中だった阿部正精(まさきよ)の6男として江戸藩邸に生まれた阿部正弘は、1836年18歳のとき福山藩主となり、1840年には幕府の寺社奉行にばってきされました。寺社奉行として3年余の働きが高く評価された正弘は、1843年わずか24歳で、幕府最高の要職老中に任じられ……。

2011年ブログ 現代音楽の父・ストラビンスキー
3大バレー曲『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』など、20世紀音楽最初の巨人作曲家といわれるストラビンスキーが、1882年に生まれた日です。イーゴル・ストラビンスキーは、帝政ロシアの首都だったペテルブルク(現サンクトペテルブルク)近郊に生まれました。マリンスキー劇場の主役歌手だった父は、幼いころからストラビンスキーにピアノや作曲を教えましたが、音楽家にする気はなく、ペテルブルク大学で法律を学ばせました……。

2010年ブログ 日本考古学の父・モース
アメリカの動物学者のモースが1877年に来日した日です。モースが、縄文時代の貝塚「大森貝塚」を発掘したことがきっかけとなって、日本に近代科学としての考古学がスタートしました。1838年、アメリカの最東北部メイン州のポートランドに生まれたエドワード・モースは、学校の成績はかんばしくありませんでしたが、13歳ごろから採集しはじめた貝類の標本は、学者が見学にくるほど立派なものでした。その後も貝の研究に熱中し、1857年には新種のカタツムリを博物学協会誌に発表するほど、貝の研究家として注目されるようになりました……。

2009年ブログ 版籍奉還のはじまり
明治維新によって260年つづいた徳川幕府が倒れ、明治新政府が誕生しました。そして、藩の土地(版)と人民(籍)をこれまで治めていた藩から、天皇に返すという「版籍奉還(はんせきほうかん)」が、1869年のこの日からはじまりました。明治新政府の急務は、幕藩体制の解体を行い、王政復古の実質的な完成をめざすことでした。そのためには、各藩主が支配する土地と人民を、政府が支配しなくてはなりません……。

2008年ブログ  [おもしろ民話集 45] うかれバイオリン
むかし、ある農家で働いている若者がいました。若者はとても正義感の強い働き者で、つらい仕事でもいやな顔ひとつせずに、3年がすぎました。ところが主人はとてもけちな人で、若者に給料をはらいませんでした。そんなある日、若者は 「だんなさま、3年も働いたのですから、少しは給料をくれませんか」 と、思いきっていいました。すると主人は 「わかった。わしは前からたっぷりやりたいと思っていたところだ。さぁ、手をお出し。1年に銅貨を1枚、全部で3枚。大ふんぱつだ」 若者はこれまで、お金をもらったことがなかったので、よろこんで農家をあとにしました……。

2005年ブログ キャメロン・ハイランド
私の趣味は何かといわれれば、迷うことなく「作曲」と答える。作曲といっても、私は専門の音楽教育をまったく受けたことがなく、自己流でおぼえたギターをかきならしながら、メロディづくりをするレベルである。20代のはじめの頃は、結構歌づくりにはまりこみ、高校時代の友人K君らと作詞・作曲のコンビを組んで100曲以上もこしらえ、この道で飯が食えたらいいなと夢想したこともあった。しかし、編集の仕事に携わりだしたころから、2足のわらじをはけるほど本作りの世界は甘くはないと自覚したこともあり、曲作りからできるだけ避けるようにしてきた……。

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