児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2016年06月


● 今日(6月30日)の主なできごと

1898年 日本初の政党内閣……それまでの内閣は、長州藩や薩摩藩などの藩閥が政権を担当していたが、自由党と進歩党がひとつになった憲政党が、大隈重信を首相に、板垣退助を内務大臣に内閣が組織されたため、大隈の「隈」と板垣の「板」をとって隈板(わいはん)内閣といわれた。しかし憲政党に分裂騒ぎがおき、組閣後4か月余りで総辞職を余儀なくされた。

1905年 相対性理論……20世紀最大の物理学者といわれるアインシュタインが、まだスイスの特許局で働く無名の技師だったこの日、相対性理論に関する最初の論文「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌に発表し、世界の注目を集めた。この日は「アインシュタインの日」とされ、物理学への関心を高める記念日になっている。


● 今日の主な記念日・恒例日

トランジスタの日……1948年のこの日、アメリカAT&Tベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンが発明したトランジスタが初めて公開されたのを記念して制定。


● 今日生まれた人

1843年 アーネスト・サトウ……イギリスの外交官。駐日公使館書記官となり、『一外交官のみた明治維新』を著す。

1856年 亀井忠一……明治・大正・昭和期の出版人。三省堂創業。

1877年 東くめ……明治・大正・昭和期の教育者。『鳩ぽっぽ』『お正月』など口語による童謡を作詞。

1892年 弘田竜太郎……昭和期の作曲家。代表作『浜千鳥』『雀の学校』『叱られて』など。


● 今日亡くなった人

1957年 川合玉堂……明治・大正・昭和期の日本画家。代表作『行く春』『彩雨』など。

1975年 金子光晴……大正・昭和期の詩人。代表作『落下傘』『人間の悲劇』『どくろ杯』など。

1978年 柴田錬三郎……昭和期の小説家。代表作『イエスの裔』『眠狂四郎無頼控』など。


● 過去のマイブログ「6月30日」のテーマ

2015年ブログ 「眠狂四郎」 の柴田錬三郎
『イエスの裔(すえ)』で直木賞を受賞したほか、『眠狂四郎無頼控』『御家人斬九郎』『徳川太平記』など戦国・幕末を扱った作品を多く著し、「剣客ブーム」を巻き起こした大衆作家の柴田錬三郎(しばた れんざぶろう)が、1978年に亡くなった日です。1917年、今の岡山県備前市に地主の子として生まれた柴田錬三郎(本名・齋藤錬三郎)は、旧第二岡山中学を卒業後に医者をめざして上京、慶応義塾大学医学部へ入学するものの、半年後に文学部へ移り、在学中に『十円紙幣』を「三田文学」に発表したり、魯迅に傾倒して1940年同大学支那文学科を卒業……。

2014年ブログ 自然を穏やかに描いた川合玉堂
「二日月」「行く春」「彩雨」など、詩情豊かな独自の日本画を数多く残した川合玉堂(かわい ぎょくどう)が、1957年に亡くなった日です。1873年、いまの愛知県一宮市の豪農で筆墨紙商の長男として生まれた川合玉堂(本名・芳三郎 玉堂=号)は、幼いころから絵が上手な子として知られ、14歳のときに京都に出て望月玉泉の門下になって本格的に学びました。1890年、17歳で幸野楳嶺の画塾に入って同門の竹内栖鳳らから大きな刺激を受けました……。

2011年ブログ 日英外交の功績者 アーネスト・サトー
幕末から明治初期に活躍したイギリスの外交官で、英国公使館通訳、駐日英国公使など、日英間の融和につとめたアーネスト・サトーが、1843年に生まれた日です。スウェーデン人貿易商の子としてロンドンに生まれたサトーは、子どもの頃から聡明で、14歳のときにたまたま読んだ本から、東方には、日本や中国といった自分の知らない文明国があることを知りました。大学を飛び級で卒業後、北京で漢字学習をしたあと、日本駐在通訳に応募して1862年、念願の来日を果たします……。

2010年ブログ 「♪雀のがっこう」 の弘田竜太郎
大正、昭和初期に活躍した作曲家で、「靴が鳴る」「叱られて」「春よこい」など、数多くの童謡の名曲を遺した弘田竜太郎が、1892年に生まれた日です。竜太郎は、中学校長を父に高知県安芸市で生まれました。幼い頃から一絃琴の名手だった母の影響を受けて音楽に親しみ、11歳で父親の転任にともない三重県の津市に転居、中学の頃から音楽的才能を認められるようになりました……。

2009年ブログ 「相対性理論」 のアインシュタイン
今日は、20世紀最大の物理学者といわれるアインシュタインが、1905年に相対性理論に関する最初の論文「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌に発表したことを記念した「アインシュタインの日」です。1905年当時、アインシュタインはスイス連邦特許局の無名の技師でした。役人のかたわら研究をつづけてきたアインシュタインは、特殊相対性理論、光量子の理論、ブラウン運動の理論などを発表して、またたくまに、世界の注目をあびるようになりました。大学を卒業してからわずか5年目、まだ26歳のときのことです……。

2008年ブログ 子どもがいちばん成長するとき
ある公園で見かけたことです。木陰のベンチで母親同士おしゃべりをしていたお母さんの一人が、向こうでうずくまるようにしているわが子へ声をかけ、それから、次のようなやりとりが始まりました。「さぁ、帰るわよ、いらっしゃい」 「……」 「どうしたの? 早くいらっしゃい」 「ママ、ちょっと待って」 「どうしたの? 何やってるの」 「ありんこがいっぱいいるんだ」 「ありんこなんて、いつでも見られるでしょ」 「だって、たくさんつながっていて、おもしろいんだもの」 「だめ、だめ、ママ、ご用があるから帰るの、早くいらっしゃい。あら、ありなんかにさわっちゃだめ」 「さわってないよ、ありんことありんこが、お話してるみたいで、おもしろいんだ……。 

2005年ブログ すべりこみセーフ
樫村社長に200万円を受領したことを報告し、月末までに残りいくら用意すればよいかとたずねると、あと500万円はほしいという。「ポケット絵本シリーズ」は、J・チェーン分として納品した以外に、いずみ書房の奥付分を各集3000セットほど制作していた。これは、以前、保育園を中心に予約をとった人たち用にとっておいた分であった。J・チェーンと取引を開始したころからは、新たな開拓をほとんどしなかった。というのも、私が開拓した園へJ・チェーンの加盟店が訪れることがよくあり、すでに入っているのを知った加盟店が本部に苦情をいうことが続いたからだ。また、5月に全巻完成したことを知った幼稚園への納入業者のいくつかは、当社と直接取引したいといってきたが……。


● 今日(6月29日)の主なできごと

1869年 招魂社(後の靖国神社)造営……前年の鳥羽・伏見の戦いから箱館戦争にいたる戊辰戦争で亡くなった人たちを祀るためこの日、東京の九段坂上に招魂社を造営した。1879年靖国神社に名称を変更し、日清戦争後は、外国との戦争による犠牲者を祀るようになった。

1932年 特高の設置……特別高等警察(特高)は、日本の主要府県警の中に設置された政治警察で、この日に設置された。警察国家の中枢として、共産主義者はもとより、自由主義者や宗教人にも弾圧の手をのばした。国民の目や耳や口を封じ、たくさんの人々を自殺においこみ、虐殺させた思想弾圧機構ともいえるものだった。

1966年 ビートルズが来日……この日、人気絶頂のイギリスのロックグループ・ビートルズが初来日した。翌日から東京の日本武道館で3日間5回の公演を行った。学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されるなど、日本じゅうを熱狂させた。


● 今日の主な記念日・恒例日

佃煮の日……佃煮の発祥の地である東京佃島の氏神である住吉神社が創建されたのが1646年のこの日であることから、佃煮を製造する全国調理食品工業協同組合が、2004年に制定した。


● 今日生まれた人

1866年 黒田清輝……明治・大正期の洋画家。代表作『湖畔』『読書』など。

1900年 サン・テグジュペリ……フランスの小説家・飛行士。代表作『星の王子さま』『夜間飛行』など。

1922年 清岡卓行……昭和・平成期の詩人・小説家。代表作『アカシヤの大連』『マロニエの花が言った 』など。


● 今日亡くなった人

1900年 臥雲辰致……明治期の発明家。

1903年 滝廉太郎……明治期の作曲家。『荒城の月』『花』(歌曲)、『鳩ぽっぽ』『お正月』(童謡)など。

1929年 内田魯庵……明治・大正期の評論家・小説家・翻訳家。

1940年 クレー……スイスの画家・美術理論家。『奇跡的な着地 あるいは「112!」』 『ホフマンへの話』など。

1941年 パデレフスキー……ポーランド作曲家・ピアニスト・政治家。


● 過去のマイブログ「6月29日」のテーマ

2015年ブログ 「ガラ紡」 の臥雲辰致
明治初期に「臥雲式紡績機」(ガラ紡)を発明し、日本の紡績業が機械化されるまでの発展に大きく貢献した発明家・事業家の臥雲辰致(がうん たつむね/たっち)が、1900年に亡くなった日です。1842年、今の長野県安曇野市の豪農の家に生まれた臥雲辰致(本名・横山栄弥)でしたが、幼いころ、父親が賭け事に熱中して財産を失ってしまいました。足袋底の布を扱う問屋を始めた母の布を織るのを手伝いながら、機械の改良を考えていましたが、1861年20歳で近隣の安楽寺で出家しました。智恵(ちけい)と名乗りましたが、明治政府の廃仏毀釈により廃寺とされたため還俗し……。

2012年ブログ 再評価される内田魯庵
明治期に文芸評論家・翻訳家・小説家として活躍した内田魯庵(うちだ ろあん)が、1929年に亡くなった日です。1868年、今の東京台東区下谷に幕府御家人の父、吉原の芸妓をしていた母の子として江戸・下谷に生まれた魯庵(本名・貢)は、政治や実業に関心を持ち、立教学校(現立教大学)や東京専門学校(現早稲田大学)などで英語を学びましたが、どこも卒業せず、文部省の翻訳係だった叔父のもとで下訳をしたり、友人の編集を手伝ったりしながら、図書館で独学しました……。

2011年ブログ 首相になった作曲家・パデレフスキー
ポーランドのピアニスト・作曲家で、第1次世界大戦後に発足したポーランド共和国の第3代首相をつとめたパデレフスキーが、1941年に亡くなった日です。1860年、ポーランド東南部の村クリロフカ(現・ウクライナ)の貴族の家に生まれたイグナツ・パデレフスキーは、幼年期から音楽に興味を示し、個人教師についてピアノを学びました。1872年、12歳でワルシャワ音楽院に進学し1878年に卒業すると、しばらく母校でピアノを教えていましたが、より技術を向上させようと、1881年にベルリンに留学します……。

2010年ブログ 魂の画家・クレー
20世紀前半に独特の童画風の絵をえがき、現代抽象画の世界に大きな影響を与えたスイス出身の画家・美術評論家のクレーが、1940年に亡くなった日です。パウル・クレーは、1879年スイスの首都ベルン郊外に生まれました。父親は音楽の教師、母親も歌が上手で音楽につつまれた家庭でした。幼いころからバイオリンに親しみ、11歳でベルンのオーケストラに籍を置くほどの腕前でした。そのため1898年、ドイツのミュンヘンに出て絵を志すまで、将来の道を決めかねていました……。

2009年ブログ 『荒城の月』 の滝廉太郎
明治時代の洋楽揺籃(ようらん)期に、『荒城の月』『花』などの歌曲や、『鳩ぽっぽ』『お正月』などの童謡を作曲した滝廉太郎(たき れんたろう)が、1903年に亡くなった日です。「あっ、オルガンがある!」 だれもいない音楽室をのぞいた廉太郎は、思わずさけびました。明治時代の中ごろでは、オルガンはめずらしい楽器だったからです。廉太郎は、すいつけられるように音楽室へ入って、そっと、オルガンに手をのばしました。するとそのとき、先生が現われました……。

2007年ブログ 世界一気持ちの良い町は 「吉祥寺」 ?!
最近、「吉祥寺スタイル―楽しい街の50の秘密」 (文芸春秋社刊)という本が出版されました。著者は、一昨年 「下流社会」(光文社新書)という80万部をこえるベストセラーとなった本(「下流社会」は氏の造語で流行語となった)を著わしたマーケティングアナリスト・三浦展氏と、日米の住宅地、街路、ホテル、テーマパークの景観設計を手がけるプランナー・渡和由氏との共著。19年間吉祥寺に住み続ける三浦氏が、都市計画の専門家に協力を求めて、50の視点で面白く分析した「吉祥寺をモデルに、好ましい町とは何かを考えた本」といってよいでしょう……。

2006年ブログ かさ
この絵本(太田大八絵 文研出版刊)には、文章がありません。どのページをめくっても、絵ばかりです。雨の日、赤いかさをさした女の子が、おとなのかさを一本持って歩いて行きます。駅まで、お父さんを迎えにいくのです。ぶらんこが雨にぬれている公園の前を通り、池のふちに立ちどまって、あひるの親子をながめ、友だちに会って声をかけあい、雨にすっかりぬれた犬に会い、陸橋から線路をながめ、ケーキ屋さんやショーウインドーの人形をのぞいたりしながら、 やっと駅へ。そして、帰りは、さっきのぞいたケーキ屋さんでケーキを買ってもらい、それをだいじにかかえて、お父さんのかさにいっしょに入って……。


● 今日(6月28日)の主なできごと

1570年 姉川の戦い……近江国で、織田信長・徳川家康連合軍がこの日、浅井長政・朝倉義景連合軍を打ち破った。浅井が妻の兄信長を裏切って朝倉と手を組み、2万1千の兵で3万4千の織田・徳川連合軍に挑み、双方数千人の死者を出す激戦となったが敗れ、浅井、朝倉両氏滅亡の遠因となった。

1840年 アヘン戦争……当時イギリスは、中国(清)との貿易赤字を解消しようと、ケシから取れる麻薬アヘンをインドで栽培させ、大量に中国へ密輸していた。清がこれを本格的に取り締まりはじめたため、イギリスは清に戦争をしかけて、「アヘン戦争」が始まった。

1914年 サラエボ事件……1908年からオーストリアに併合されていたボスニアの首都サラエボで、この日オーストリア皇太子夫妻が過激派に暗殺される事件がおこり、第一次世界大戦の引き金となった。

1919年 ベルサイユ講和条約……この日、第一次世界大戦の終結として結ばれた「ベルサイユ講和条約」だったが、敗戦国ドイツに対しあまりに厳しい条件を課したことがナチスを台頭させ、第二次世界大戦の遠因となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

貿易記念日……1859年(安政6年)5月28日(新暦6月28日)に、江戸幕府がロシア・イギリス・フランス・オランダ・アメリカの5か国に、横浜・長崎・箱館(函館)での自由貿易を許可する布告を出したことにちなみ、1963年に自由貿易推進のために閣議決定し、通商産業省(今の経済産業省)が制定。


● 今日生まれた人

1491年 ヘンリー八世……イギリス・チューダ朝第2代イングランド王。首長令を発布し「イングランド国教会」を始め、ローマ法王から独立して自ら首長となった。

1577年 ルーベンス……フランドルの画家・外交官。代表作『キリストの磔刑』ほか、祭壇画・肖像画・風景画・神話画・寓意画など。

1712年 ルソー……フランスの思想家。多方面で独自の思想をつづるフランス革命の理論的指導者。

1865年 長岡半太郎……明治・大正・昭和期の物理学者。土星型原子模型提唱。

1890年 古今亭志ん生 (5代目)……大正・昭和期の落語家。


● 今日亡くなった人

1951年 林芙美子……昭和期の女流小説家。代表作『放浪記』『浮雲』『めし』など。

2007年 宮沢喜一……昭和・平成期の政治家。第78代首相。


● 過去のマイブログ「6月28日」のテーマ

2013年ブログ 「おもしろ古典落語」123回目 『天災(てんさい)』
「ご隠居、まっぴらごめんなせぇ」「だれだ、そうぞうしい、なんだ八公か。おめってやつは、どうしてものごとに乱暴なんだ。3日もあけず、親子げんかに夫婦げんか。人の家へ入ってくるなりあぐらをかく。いいか、『親しき仲にも礼儀あり』っていうだろ。ちゃんと座りなさい」「どうぞおかまいなく」「おかまいなくっていうやつがあるか。で、いったいなんの用があってきたんだ」「へぇ、すいませんが、ちょいと、離縁状を二本書いてくんなせぇ」「ばかやろう、女房はひとりだろ、1本で足りるはずだ」「もう1本は、うちのばばぁにやるんで」「あきれた野郎だな、ばばぁってぇのは、おまえのおふくろだろう……。

2012年ブログ 「おもしろ古典落語」75回目 『笠碁(かさご)』
「碁がたきは 憎さも憎し なつかしし」と、川柳にもあるくらいわずか一目か二目で仲のよい友だちが、たちまちケンカになったりします。ケンカになるくらいですから、腕まえのほうは似たりよったり、ほかの人とやればいいのに、やっぱりあいつでなくちゃ…というのが碁がたきというもののようです。よい碁がたきの伊勢屋のだんなと吉兵衛という商人が、ウマがあうのか毎日のように石を並べあっています。いつもお互いに待った、待ったのくり返しなので、「そんなことでは上達しない」と碁の達人の隠居にいわれ、伊勢屋の旦那は、今後いっさい「待ったなし」にしようということで、吉兵衛も納得……。

2011年ブログ 落語名人・古今亭志ん生
20世紀を代表する名人のひとりといわれた落語家の5代目古今亭志ん生(ここんてい しんしょう)が、1890年に生まれた日です。東京神田に、貧しい警官の5男に生まれた志ん生(本名・美濃部孝蔵)は、11歳の頃から奉公先を転々としながら生活するうち、1907年に橘家円喬に入門、三遊亭盛朝を名乗りました。以後、朝太、園菊、馬太郎、志ん馬、馬生など、1931年に(5代目)古今亭志ん生を名乗るまで、16回も改名しました。それも、貧乏生活を送ってきたことによる借金からの逃亡と、酒による放蕩ぶり……。

2010年ブログ 『放浪記』 の林芙美子
名もなく・貧しく・たくましく生きる庶民の暮らしを、みずからの体験をもとに描いた作品で名高い女流作家 林芙美子(はやし ふみこ) が、1951年に亡くなった日です。1903年、林芙美子は山口県下関市 (北九州・門司 という説もあります) に生まれました。父は雑貨を売ってあるく行商人でした。やがて、父と別れることになった母キクは、6歳の芙美子をつれて行商の旅に出ました。この日から、芙美子の家は日によって泊まるところの変わる木賃宿になりました。芙美子は、木賃宿から小学校にも通いましたが、10数回も転校しなければなりませんでした……。

2007年ブログ 第1次世界大戦のきっかけと終結した日
今日は、第1次世界大戦のきっかけとなったオーストリア皇太子暗殺事件のおきた日(1914年)であり、世界大戦の終結としてベルサイユ講和条約が結ばれた日(1919年)でもあります。当時、ヨーロッパではドイツを中心とした新興勢力と、イギリスを中心とした勢力とがたがいにいがみあっていました。ドイツの工業力はイギリスをしのぐまでに伸びたのに、その売り先としてイギリスのような広大な植民地がありません。なんとかしてイギリスの植民地を手に入れたいと軍備をそなえてきました。そういう動きを察知したイギリスは、ロシアやフランスと同盟をはかり、ドイツに負けずに軍備をおこたりません……。

2005年ブログ 為せば成る
不渡り手形の代償として、当方の弁済要求に対し、はじめのうちは不可能一点張りのJ・チェーンの幹部たちだったが、やがて心が通じだし、一両日のうちに入金の見込みがあるので待機してほしいという。私は、車の中で待っているからと伝えた。1976年8月下旬のこと、残暑が身にこたえたが弱音をはくわけにはいかない。この待機している時間に、思わぬ縁にめぐまれることになった。茨城県で農業のかたわら加盟店をやっているというF氏との出会いである。J・チェーンの内部事情に詳しい好人物で、当社の童話シリーズはどの地区の誰々がどの程度売っているということを、実によく知っている……。


● 今日(6月27日)の主なできごと

1582年 清洲会議……織田信長の後継を決める会議が清洲城で開催された。信長の長男信忠の子であるわずか2歳の三法師(秀信)を擁立した羽柴秀吉が、信長の3男の織田信孝を擁立した柴田勝家との争いに勝利し、実権を握った。

1950年 朝鮮戦争勃発……1948年に成立した朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権をめぐり北朝鮮が、この日国境線としていた38度線を越えて侵攻した。トルーマン米大統領は議会の議決を経ずに北朝鮮に宣戦布告、陸海軍に出動を命じた。3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を荒廃させて休戦に至ったが、朝鮮半島は南北二国に分断されたまま、今に至っている。

1994年 松本サリン事件……松本市の住宅街で有毒ガスのサリンがまかれ、死者7人、重軽傷者660人に及んだ。当初第一発見者の会社員が犯行を疑われたが、後にオウム真理教の犯行と判明。警察・マスコミが報道の行きすぎを謝罪した。


● 今日の主な記念日・恒例日

演説の日……1874年のこの日、慶応義塾を創設した福沢諭吉が三田演説館で日本初の演説会を行った。「演説」という言葉を創ったのも福沢で、「日本が欧米と対等の立場に立つためには演説の力をつけることが必要」と説いた。


● 今日生まれた人

1789年 ジルヒャー……ドイツの作曲家。ドイツ民謡となっている多くの曲を作曲。ハイネの詩に曲をつけた『ローレライ』が特に有名。

1850年 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)……ギリシャ出身で日本に帰化した文学者・随筆家。「耳なし芳一」 や 「雪女」 などを収録した 『怪談』 などを著し、日本の文化や日本の美しさを世界に紹介。

1880年 ヘレンケラー……アメリカの著述家・社会福祉事業家。三重苦を克服した「奇跡の人」

1949年 永山則夫……昭和・平成期の連続射殺事件犯人・獄中小説家。手記『無知の涙』小説『木橋(きはし)』など。


● 今日亡くなった人

1574年 バザーリ……イタリアの画家・建築家・文筆家。

1793年 高山彦九郎……江戸時代中期の勤王思想家。

1809年 上田秋成……江戸時代後期の小説家・国学者・歌人。代表作『雨月物語』『春雨物語』など。

1910年 ボアソナード……フランスの法学者。日本の刑法・民法を起草。

1936年 鈴木三重吉……明治・大正期の小説家・児童文学者。雑誌『赤い鳥』主宰。

1946年 松岡洋右……大正・昭和期の外交官・政治家。日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など。

2001年 トーベ・ヤンソン……フィンランドの女流児童文学作家。代表作『ムーミン』シリーズなど。


● 過去のマイブログ「6月27日」のテーマ

2014年ブログ 『芸術家列伝』 のバザーリ
イタリア・ルネサンス期の画家・建築家で、ルネサンス期の芸術家百数十人の評伝を著した文筆家として知られるバザーリが、1574年に亡くなった日です。1511年、イタリア中央部の都市アレッツォに生まれたジョルジョ・バザーリは、フランス人画家のマルシラ工房に入って修行したのちフィレンツェに出て、バンディネリらに学び、1529年サルビアーティと共同で工房を開きました。1531年、メディチ家の枢機卿に伴ってローマを訪れ、ミケランとジェロやラファエロらの作品にふれ、大きな感銘を受けました……。

2013年ブログ 「旅の思想家」 高山彦九郎
江戸時代中期の尊皇思想家としてぼう大な日記を残し、吉田松陰ら幕末の志士たちに多くの影響を与えた高山彦九郎(たかやま ひこくろう)が、1793年に亡くなった日です。1747年、上野国新田郡(にったごおり・いまの群馬県太田市)郷士の子として生まれた高山彦九郎(本名・正之)は、13歳の時に南北朝時代の歴史書『太平記』を読んで、後醍醐天皇のたてた建武新政府の忠臣の行動に感銘しました。さらに、自分の先祖が、忠臣のひとりである新田義貞に仕えていたことを知りました。これがきっかけとなって……。

2012年ブログ 強気の外交官・松岡洋右
日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要場面に外交官ないしは外務大臣として関わった松岡洋右(まつおか ようすけ)が、1946年に亡くなった日です。1880年、山口県室積村(現・光市)の廻船問屋に生まれた洋右は、11歳の時に父が事業に失敗して破産したことで、渡米して成功を収めた親戚をたよって、1893年に渡米しました。しかし、当時のアメリカは、東洋人に対する人種差別や排斥が激しく、労働移民のような状況でした。苦学のすえ、オレゴン大学法学部に入学し1900年に卒業、1902年に帰国するまでの9年間の体験から……。

2011年ブログ 『ローレライ』 のジルヒャー
歌曲『ローレライ』などたくさんの歌曲を作曲したドイツのジルヒャーが、1789年に生まれた日です。ドイツ南部のシュナイトという町で生まれたフリードリッヒ・ジルヒャーは、父に音楽の手ほどきを受けながら、オルガニストのアウバーレンに学びました。ジルヒャーの才能を見抜いたアウバーレンは、ジルヒャーを音楽教師にしようと、徹底的な教育をします。やがて、家庭教師や女学校の教師をするようになったジルヒャーは、のちに『魔弾の射手』を発表するウェーバーと出会ってふれあううち、音楽家として生きていくことを決意します……。

2008年ブログ 「雨月物語」 の上田秋成
わが国怪奇文学の最高傑作といわれる 「雨月物語」 を著した江戸時代後期の小説家・国学者・歌人の上田秋成が、1809年に亡くなった日です。丈部左門(はせべ さもん) は、あるとき旅先で病気で苦しんでいる赤穴宗右衛門(あかな そうえもん) を助けました。そして、心がとけあったふたりは、やがて兄弟のちぎりをむすびました。ある日、宗右衛門は、秋の菊の節句には必ずもどると約束して、郷里へ旅立ちました。さて、菊の節句の日、左門が待ちわびていると、夜になって宗右衛門がもどってきました。ところが、宗右衛門は、左門が用意した酒ものまず 「わたしは、もうこの世にはいないのです」 といって、かき消すように見えなくなってしまいました……。

2007年ブログ 鈴木三重吉と 「赤い鳥」
児童雑誌 「赤い鳥」を創刊した鈴木三重吉が、児童文学を愛する人々におしまれながら、1936年に亡くなった日です。三重吉は、帝国大学(いまの東大)に在学中、グリムやアンデルセンの童話を原書で読んだり、師である夏目漱石から借りた世界各国の子ども文学に親しむうち、日本の作品が世界水準より、はるかに劣っていることを強く感じ、なんとか優れたものにしたいと考えるようになりました。卒業後は、中学校の先生をしながら大人向けの小説をかいていましたが、1916年に長女が生まれたのをきっかけに、童話を書くようになりました……。

2006年ブログ マンガと絵本
最近は 「子どもとマンガ」 のことがあまり口にされなくなりました。これは、子どもたちがマンガを読まなくなったからでも、こんなにマンガばかり読んでいていいのかという不安がなくなったからでもありません。その理由の最も大きなものは 「これだけ子どもの生活に入りこんでしまったものを、批判ばかりしていてもはじまらない。質の高い作品に見られる芸術性や児童文化財としての価値をみとめ、マンガはもう子どもたちとは切り離せないものとして、とらえ直していこう」 という考えから、子どもたちの生活にすっかり受け入れられてしまったからです。しかし、「こんなにマンガばかり読んでいていいのかしら」 という不安がなくなったのではない……。

2005年ブログ J総業の倒産
1976年8月20日、ついに運命の日を迎えた。手形の決済というのは、同一地域の金融機関が手形交換所に手形や小切手など有価証券を持ち寄り、お互いに提示しあって決済する仕組みになっている。通常、午後3時頃までにこれが行われるため、3時半すぎに銀行に問い合わせると結果を教えてもらえた。この日もその時間に電話してみる。まだ決済されていない。4時、まだだめ。4時半、5時、6時・・・。もう、あきらめざるを得ない。この時ほど、時間が長く感じられたことはなかった……。


● 今日(6月24日)の主なできごと

672年 壬申の乱……この日、古代最大の内乱といわれる「壬申の乱」が始まった。大海人(おおあまの)皇子と大友皇子の争いで、およそ1か月続いた。大海人皇子は兄の天智天皇の後継とされていたが、天智天皇の子の大友皇子との争いをさけて、吉野に退いていた。しかし前年1月に天智天皇が亡くなると、大友皇子が大海人皇子を攻略しようとしたため、大海人皇子は東国へむかい、美濃(岐阜)、尾張(愛知)で兵を集め、大津宮の大友皇子を自殺においこんで勝利し、天武天皇となった。のちに大友皇子は、弘文天皇の称号を追号されている。


● 今日の主な記念日・恒例日

UFO記念日/空飛ぶ円盤記念日……1947年のこの日、アメリカで初めてUFOが目撃されたという。アメリカの実業家ケネス・アーノルドが飛行機で移動中に、時速2700kmもの速度で急降下や急上昇を行っている9機の見慣れない飛行物体を発見。アーノルドはこの物体を「空飛ぶ円盤」と呼び、全米で報道されると、同様の目撃証言が相ついだ。事態を重視したアメリカ空軍は、これを「UFO(未確認飛行物体)」と名づけ、調査に乗り出したが正体はつかめず、1969年に「目の錯覚の類」との報告を出した。しかし、マニアが記念日とし、世界中のマニアがこの日に観測を行う。

ドレミの日……1024年のこの日、イタリアの僧侶ギドー・ダレッツオがドレミの音階を定めたことで、記念日とされる。


● 今日生まれた人

1842年 ビアス……アメリカのジャーナリスト・作家。代表作『世にも怪奇な物語』『悪魔の辞典』など。

1883年 ヘス……オーストリア出身アメリカの物理学者。宇宙線を発見。


● 今日亡くなった人

1611年 加藤清正……安土桃山・江戸時代前期の武将。豊臣秀吉の家臣として仕え、秀吉没後は徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって熊本藩主。1562年の誕生日でもある。

1621年 池坊専好(初代)……安土桃山時代の華道家。

1788年 田沼意次……江戸時代中期の旗本、のちに大名。「田沼時代」築く。

1950年 松方幸次郎……明治・大正・昭和期の実業家。「松方コレクション」で著名。

1980年 早川徳次……大正・昭和期の実業家・技術者。シャープ創業。

1989年 美空ひばり……昭和期の歌手。「歌謡界の女王」


● 過去のマイブログ「6月24日」のテーマ

2015年ブログ 「歌謡界の女王」 美空ひばり
昭和の歌謡界を代表する歌手・女優として活躍し、女性として初の国民栄誉賞を受賞した美空(みそら)ひばりが、1989年に亡くなった日です。1937年、横浜市磯子区に魚屋の子として生まれた美空ひばり(本名・加藤和枝)は、幼少の頃から歌が上手で、母の喜美枝は終戦間もない1945年に「青空楽団」を設立し、近所の公民館や銭湯に舞台を作ってひばりに歌わせ、9歳のとき横浜市磯子区の杉田劇場で初舞台を踏ませました。1948年9月、横浜国際劇場で歌手美空ひばりとしてデビューをはたすと、翌年に映画『のど自慢狂時代』でブギウギを歌う少女として映画初出演して注目されます……。

2014年ブログ 「松方コレクション」 の松方幸次郎
川崎造船所(今の川崎重工)を30年以上経営して造船界の基礎をこしらえた実業家、国際的に活躍した政治家、絵画・彫刻・浮世絵などを収集した美術収集家として知られる松方幸次郎(まつかた こうじろう)が、1950年に亡くなった日です。1866年、第6代内閣総理大臣をつとめた松方正義の3男として薩摩国(鹿児島)に生まれた幸次郎は、1884年に東京帝国大を中退後、アメリカのエール大学、フランスのソルボンヌ大学に留学して1890年に帰国……。

2013年ブログ 華道の基礎を築いた池坊専好
池坊花道の家元として安土桃山時代に活躍した華道家・池坊専好(いけのぼう せんこう)初代が、1621年に亡くなった日です。池坊というのは、いけばなの一流派で、もともと京都・頂法寺の中にある寺院のひとつの僧坊で、本堂が六角形をしているため、六角堂ともよばれています。その住職は代々「専」の字が使われ、専好を名乗る住職はこれまで、池坊家31世の初代・32世の2代目・33世の3代目の3名をかぞえ、それぞれが花道宗匠として活躍しました……。

2011年ブログ 「おもしろ古典落語」27回目 厩(うまや)火事
「どうしたい、お崎さん、また夫婦げんかかい?」「そうなんでございますよ、今日も、仕事で朝早くから働きづめ、いつもは5時頃に帰るんですけど、途中であたしの姉弟子にあいましたら、指をケガしちゃって当分髪を結うことができないって、で『おまえさん、あたしのお顧客(とくい)で、どうしても今日行かなくちゃならない、すまないが代わりに行ってくんないか』っていわれまして、あたしが病気にでもなって、お願いすることもありますんで、『よろしゅうございます』って、伊勢屋さんていう家に行ったんです……。

2010年ブログ 壬申の乱
古代最大の内乱といわれる「壬申(じんしん)の乱」が、672年に始まった日です。「大化の改新」以来、新しい政治をおこなってきた 中大兄皇子 は、668年都を近江に移し天智天皇となり、弟の大海人(おおあまの)皇子を皇太子に立てていました。しかし、病が重くなるにつれ、わが子である大友皇子を太政大臣につけて後継とする意思をみせはじめました。そんな気配に大海人皇子は本心を隠し、大友皇子を皇太子として推挙、自ら出家を申し出て吉野宮(奈良県吉野)に下りました。671年10月のことでした。まもなく天智天皇が亡くなると、大友皇子 (明治時代に入ってから「弘文天皇」の名が贈られました) が後を継ぎました……。

2009年ブログ 智勇兼備の武将・加藤清正
豊臣秀吉 の家臣として仕え、秀吉没後は 徳川家康 の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって熊本藩主となった加藤清正(かとう きよまさ)が、1562年に誕生、1611年に亡くなった日です。加藤清正は、尾張国(愛知県)中村に生まれ、幼名を夜叉丸といいました。父を早く失い、幼いうちに母の縁をたよって近江国(滋賀県)長浜に移り、そのころ長浜城の城主となっていた羽柴(豊臣)秀吉に仕えました。元服ご、虎之助清正と名のります。清正は、19歳のころから出陣して、次つぎに手がらをたてました。とくに、清正の名をとどろかせたのは、秀吉が柴田勝家と天下を争った賤ヶ岳の戦いです……。

2008年ブログ 江戸幕府稀有の政治家・田沼意次
江戸時代の中ごろ、足軽の子に生まれながら、側用人から老中までのぼりつめ、1767年から1786年まで 「田沼時代」 とよばれるほど権勢をふるった田沼意次(たぬま おきつぐ) が、1788年に亡くなった日です。田沼意次は、江戸時代中ごろの、幕府の政治家です。父は足軽から身を起こした、あまり身分の高くない武士でしたが、第9代将軍徳川家重と第10代将軍家治につかえた意次は、将軍のそばで雑用をする小姓から、将軍の命令を老中へ伝える御側用人へ、さらに幕府最高職の老中へと、おどろくほどの大出世をしました……。

2005年ブログ 「J・チェーン訴訟される」の報道
1976年3月4日、NHKテレビの報道を忘れることは出来ない。J・チェーン本部が加盟店から訴訟を起こされたというニュースである。このニュースはすぐに新聞各紙にも載った。訴訟をおこされたことよりも、J・チェーンが「マルチ商法」という部分が強調されていたのにはこたえた。すでに「ポケット絵本シリーズ」全10集のうち、第9集までは納品済み、最終の10集目を残すのみだった。報道があった翌日、B印刷の社長が血相を変えて飛んできて、製紙会社や製本業者らから、J・チェーンは大丈夫か、今後の支払いは手形から現金にするといわれたので、当社との取引も現金にしてくれという……。

↑このページのトップヘ