児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2015年07月

今日7月24日は、仏教伝来以来、700年もの仏教の歴史書『元亨(げんきょう)釈書』を著した鎌倉後期から南北朝時代にかけての臨済宗僧侶・虎関師錬(こかん しれん)が、1346年に亡くなった日です。

1278年、京都の下級貴族の子として生まれた虎関師錬は、8歳のとき山城国(京都府)三聖寺で出家すると、1291年から南禅寺で無学祖元の弟子規庵祖円らに禅を学ぶいっぽう、仁和寺や醍醐寺で密教(後期大乗仏教)を、菅原在輔や六条有房から儒学を学ぶなど、広く学問を修めました。

その後、1307年鎌倉に下向して建長寺で中国の禅僧一山一寧(いっさんいちねい)を訪れて教えを請うた際、日本の名僧の事績について尋ねられ、満足に答えられなかったことがきっかけとなって、日本最初の総合仏教史の編さんを志しました。そして帰京後、仏教伝来から鎌倉末期まで700年間の仏教の歴史を記した『元亨釈書』(30巻)に取り組み、1322年に完成させて後醍醐天皇に献上しました。

その後、東福寺や南禅寺の住持となり、1341年に東福寺海蔵院に退いたことで「海蔵和尚」と呼ばれ、同年後村上天皇から国師号を賜っています。

漢詩にも優れ、詩文集『済北集』や『十禅支録』を著すなど、五山文学僧の先駆といわれ、『禅儀外文集』『聚分韻略』『仏語心論』など多くの著書を残しました。


「7月24日にあった主なできごと」

1802年 デュマ誕生…フランスの作家で、『モンテクリスト伯』『三銃士』などを著したアレクサンドル・デュマが生まれました。

1876年 ウェブスター誕生…『足ながおじさん』を著したアメリカの女流作家ジーン・ウェブスターが生まれました。

1886年 谷崎潤一郎誕生…『細雪』『春琴抄』『痴人の愛』などの小説や『源氏物語』現代語訳を著した作家の谷崎潤一郎が生まれました。

1927年 芥川龍之介死去…『杜子春』『蜘蛛の糸』 『鼻』『河童』などの短編小説を著した大正時代を代表する作家芥川龍之介が、36歳で自殺しました。

今日7月23日は、後醍醐天皇の討幕計画「元弘の乱」に僧兵を率いて活躍し、建武新政府では征夷大将軍となったものの、足利尊氏と反目し鎌倉に幽閉されたのちに殺された護良親王(もりなが/もりよし しんのう)が、1335年に亡くなった日です。

1308年、後醍醐天皇の第1皇子に生まれた親王は、6歳の頃、尊雲法親王として、延暦寺大塔に入室したため大塔宮と呼ばれました。1325年に門主となり、1327年後醍醐天皇の命令で異例の若さで天台座主となりました。

1331年、後醍醐天皇が2度目の鎌倉幕府討幕運動「元弘の乱」を起こすと僧兵を率いて立ち上がり、楠木正成の赤坂城に入って幕府軍と戦いました。しかし落城してしまい、その後は還俗して護良親王と改名、令旨を発して反幕勢力を募り十津川、吉野、高野山などを転々としながら赤松則祐、村上義光(よしてる)らとともに2年にわたり幕府軍と戦い続け、1333年足利尊氏(高氏)と協力して京都の六波羅探題を滅ぼしました。

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇によって開始された「建武の新政」で、護良親王は公家第一の功労者とし征夷大将軍となり、兵部卿に任じられますが、討幕のもうひとりの功労者の尊氏とは対立し、討幕後も上洛せず奈良の信貴山を拠点に尊氏を牽制しました。

やがて尊氏ばかりでなく、父の後醍醐天皇やその寵姫とも反目した親王は、尊氏暗殺のため兵を集めて辻斬りを働いたりしたため征夷大将軍を解任され、1334年冬、後醍醐天皇の意を受けた名和長年らに捕えられただけでなく、足利方に身柄を預けられて鎌倉へ送られ、鎌倉将軍府にあった尊氏の弟足利直義の監視下に置かれてしまいました。

そして1335年、北条高時の子時行が建武の新政府に反抗した「中(なか)先代の乱」が起き、関東各地で足利軍が北条軍に敗れると、幽閉されていた護良親王は、直義の命を受けた部下に殺害されました。


「7月23日にあった主なできごと」

1787年 二宮尊徳誕生…江戸時代後期の農政家で、干拓事業などで農村の復興につくした二宮尊徳が生れました。薪を背負いながら勉学に励んだエピソードは有名です。

1867年 幸田露伴誕生…『五重塔』などを著わし、尾崎紅葉とともに「紅露時代」と呼ばれる時代を築いた作家の幸田露伴が生れました。

1918年 米騒動…富山県魚津の主婦たちが、米穀商の米買い占め、船で県外へ持ち出そうとするのをとがめたことがきっかけとなって、米穀商を襲う米騒動が全国規模で拡がり、30名以上の死者と2万5千人以上の逮捕者を出す大事件となりました。

今日7月22日は、明治憲法制定の際、渡独した伊藤博文らに憲法学を講じ、弟子のモッセを明治政府の法律顧問として指導させたドイツの法学者・政治家のグナイストが、1895年に亡くなった日です。

1816年、ベルリンで生まれたルドルフ・グナイストは、1838年にベルリン大学を卒業後、同大学院で法学博士号を取得して地方裁判所裁判官になると、そのかたわらイタリア、フランス、イギリスへわたって憲政の実情を研究し、ベルリン大学員外講師を務めました。1847年にプロイセン上級裁判所調査官となり、1858年からはベルリン大学教授としてローマ法を講義しました。

1857年と1860年に刊行した『現代英国憲法および行政法』(2巻)はとくに名声を博し、1872年の『法治国家』とともに、グナイストの代表的著作といわれています。政治的には国民自由党の闘士として1868年から帝国議会議員となって憲法制定問題で活躍し、1875~77年には最高裁判所裁判官を務めています。

1882年、伊藤博文や伊東巳代治らが憲法調査のため渡欧した際には、6か月にもわたって伊藤らに憲法の講義を行い、憲法政治の利害を教授しました。1885年に訪独した伏見宮親王にも同様の講義を行い、その内容は『西哲夢物語』のなかの「グナイスト氏談話」として伝えられ、グナイストの伊藤らへの助言の内容を知る有力な参考資料となっています。

伊藤が大日本帝国憲法制定の際にとった、君主権を強化する欽定主義、行政権の強化、起草の秘密主義などは、まさに、グナイストの教えによるものであり、1886年に来日して4年間も明治政府の法律顧問となった教え子のモッセを通じて、間接的に憲法起草に大きな影響を与えました。


「7月22日にあった主なできごと」

1363年 世阿弥誕生…室町時代に現在も演じられる多くの能をつくり、『風姿花伝』(花伝書) を著して能楽を大成した世阿弥が生まれました。

1822年 メンデル誕生…オーストリアの司祭で、植物学研究を行い、メンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見したメンデルが生まれました。

1888年 ワクスマン誕生…結核菌を死滅させるストレプトマイシンなど、20を超える抗生物質を発見したウクライナ出身のアメリカ生化学者ワクスマンが生まれました。

今日7月21日は、『夏目漱石論』『アメリカと私』など、文学評論から文明評論まで、幅広い分野の論客として知られた江藤淳(えとう じゅん)が、1999年に亡くなった日です。

1932年、銀行員の長男として今の東京大久保に生まれた江藤淳(本名・江頭淳夫)は、4歳半で母を結核で失い、2年後に父は再婚。1945年の空襲で生家が焼失し、疎開先から旧制湘南中学に通い、1948年に旧都立第一中学(現・日比谷高校)へ転校するものの結核で1年間休学、1953年に慶応大学文学部に入学しました。

しかし同年6月に結核が再発、病と闘いながらも『夏目漱石論』を書き上げ、1954年には作家論シリーズ1作目『夏目漱石』を出版します。1957年に同大英文科を卒業すると、日本の近代的自我に対する批判を加えた評論集『奴隷の思想を排す』を刊行、1959年に『作家は行動する』を刊行するころには、大江健三郎や司馬遼太郎らと共に気鋭の新人として注目され、大きな影響力を持ちはじめました。

1960年代初めから文壇・論壇での活動を本格化させるいっぽう、1962年にロックフェラー財団の研究員としてプリンストン大学に留学 (滞在中に『小林秀雄』が新潮社文学賞を受賞)。 翌1963年には、プリンストン大学東洋学科で日本文学史を教え、1966年には遠山一行・高階秀爾らと『季刊藝術』を創刊し主宰しています。

1969年末から約9年間にわたり毎日新聞の文芸時評を担当、大衆迎合しない復古的保守派の論客として論壇で異彩を放つようになり、その間、ときおり戦後保守派や新保守主義派の論客と対立。著者の『アメリカと私』では「日本人をアメリカ史のゲームから解放せよ」と主張したり、『自由と禁忌』では、日本は「占領軍によって存在させられている」実質的に独立国家ではないと主張するなど、その活動範囲を文学評論から、文明論的な展開に拡大させていきました。

その後江藤は、東工大教授、慶応大教授、大正大教授などを歴任、1998年の愛妻の死去の後を追うように、この日66歳で自殺しました。代表作は、上記以外に、文学における母性について論じた『成熟と喪失』、文明論的に作家をとらえた『漱石とその時代』(未完)、歴史小説『海は甦える』などがあります。


「7月21日にあった主なできごと」

1588年 無敵艦隊敗北…イギリス本土をねらうスペインのフェリペ2世は、自慢の無敵艦隊(アルマダ)を率い、イギリス艦隊との海戦を開始しました。しかし10日間ほどの交戦の末、機動力のある小型船を駆使したイギリス艦隊に敗北しました。

1899年 ヘミングウェイ誕生…『日はまた昇る』『武器よさらば』『老人と海』などを著したアメリカの小説家ヘミングウェイが生まれました。

1969年 人類初の月面着陸…アメリカの宇宙船アポロ11号が人類初の月面着陸したようすが、日本の昼食時にテレビ報道された日です。世紀の瞬間を見ようと、街頭テレビなどに人々がむらがって、大都市の交通量が半減しました。

今日7月17日は、奈良時代後期の政治家で、鑑真の伝記『唐大和上東征伝』を著した淡海三船(おうみの みふね)が、785年に亡くなった日です。

722年、天智天皇の長男大友皇子(弘文天皇)の曾孫として生まれ、聡明な若者の御船王といわれましたが、その詳細は不明です。唐僧にしたがって出家し三蔵九経を学び、751年に勅命で還俗して、淡海真人の氏姓をさずけられたのち、淡海三船を名のりました。

官人として有能で、各地の巡察使などを歴任しますが、時には厳しすぎる査察や朝廷を誹謗したとして、その任を解かれることもありました。しかし、761年に従五位下・駿河守となり、762年文部少輔、764年には美作守に任ぜられるなど、順調に出世していきました。

特に同年9月に謀反をおこした「恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱」では、宇治から近江国へ逃れた押勝一味を捕縛することに成功し、乱後にその功労によって3階級昇進して正五位上となり、勲三等の叙勲を受けて近江介に任ぜられたほか、功田20町を与えられました。

三船の功績は、官人としてばかりでなく、文人としての能力を、石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)と並び「文人の首」と称されています。とくに779年に撰した鑑真の伝記ともいえる『唐大和上東征伝』は、生き生きとした描写は高く評価され、文学書としてばかりでなく、古代史、仏教史、交通史の上でも貴重な資料となっています。

これ以外にも、その詩文は『経国集』に5首、『東征伝』に2首おさめられている他、『続日本紀』(29巻)の撰者の一人でもありました。


「7月17日にあった主なできごと」

1604年 徳川家光誕生…江戸幕府第3代将軍として、参勤交代制、キリシタンの禁制、鎖国などを断行して、幕府の全国支配体制を確立した徳川家光が生れました。

1795年 円山応挙死去…江戸時代中期の絵師で、『雪松図屏風』など、写生を重視した日本画を完成した円山応挙が亡くなりました。

1868年 江戸が東京…明治天皇は、徳川幕府のあった江戸を東京と改め、首都としました。これまでの首都は京都にあり、東京は京都の東にあたるため「東京」となりました。

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