児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2015年04月

今日4月8日は、鎌倉時代中期の女流歌人で、数々の教養あふれる作品を残した阿仏尼(あぶつに)が、1283年に亡くなった日です。

1222年ころ、桓武平氏の流れをくむ平繁貞の養女として生まれたとされる阿仏尼ですが、実父母も実名も不明です。高倉天皇孫娘の安嘉門院に仕え、のちに歌人の藤原為家の後妻となって、冷泉為相(ためすけ)と為守を生み、為家が亡くなると、仏門に入り、阿仏尼と号しました。

若いころから情熱的な感情の持ち主で、失恋したことから髪を切り落とし、嵐の中を西山(京都)へ走ったと伝えられています。いっぽう、冷静な理知にも恵まれ、のちに嵯峨の山荘で、為家に代わり、弟子に『源氏物語』を講義するほどでした。

有名な『十六夜(いざよい)日記』は、1279年、為家正妻の子二条為氏と、実子の冷泉為相とが、播磨国細川荘(今の兵庫県三木市)の領地相続をめぐって争ったとき、幕府に訴えるため京都から鎌倉へ下ったときの紀行と鎌倉滞在のことを記したものです。各地の風物、名所・旧跡などを日記に書いたり、和歌に読みこみました。完成は、1280~82年といわれています。

他の作品には、若いころの失恋顛末記を書いた『うたたね』、訴訟の勝利を祈願して奉納した『安嘉門院四条五百首』、『続古今和歌集』以下勅撰集におさめられている40首などがあり、女性向けの教訓書である『乳母(めのと)のふみ』、歌論書『夜の鶴』も阿仏尼の作といわれています。


「4月8日にあった主なできごと」

1147年 源頼朝誕生…平安時代末期に源義朝の3男に生まれ、平治の乱で敗れて伊豆へ流されるも平氏打倒の兵を挙げ、関東を平定して、はじめて武士による政権となる「鎌倉幕府」を開いた源頼朝が生まれました。

1350年 吉田兼好死去…清少納言の『枕草子』と並び、随筆文学の傑作『徒然草』を著わした僧侶で歌人の吉田兼好が亡くなりました。

1820年 ミロのビーナス発見…ギリシアのミロス島で、ひとりの農夫が両腕の欠けた美しい大理石の女神を発見。島の名にちなんで「ミロのビーナス」と命名されました。古代ギリシア時代の一級彫刻作品として、パリのルーブル美術館が所蔵しています。
 
1973年 ピカソ死去…スペインが生んだ世界的な画家・版画家・彫刻家・陶芸家のピカソが、この日92歳で亡くなりました。

今日4月7日は、『オルガス伯爵の埋葬』『聖母昇天』『トレド全景』などを描き、スペインで活躍した画家のグレコが、1614年に亡くなった日です。

1541年、現在のギリシャ・クレタ島に生まれたエル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス)は、20歳のころイタリアのベネチアに渡り、ベネチア派の巨匠ティツィアーノやティントレットに学び、ローマではミケランジェロの影響をうけ、1577年にスペインへ移りました。グレコとは通称で、スペイン語の「ギリシャ人」にあたります。

宮廷画家を志して一時フェリペ2世に仕え、『聖母昇天』『盲人を癒すキリスト』『悔悛するマグダラのマリア』などの宗教画を残しましたが、フェリペはほとんど評価しませんでした。グレコの特徴である、深紅、紫、濃緑、黄など非現実的な色彩、細長く変形された人体を大胆に組み合わせた構図などが、理解されなかったためでしょう。いっぽう、宗教関係者や知的エリートからは多くの支持を得て、古都トレドに移住し、その後の生涯をこの地ですごしました。

やがて絵画の世界ではバロック絵画が主流となり、グレコの晩年から没後は、300年もの間グレコの存在そのものがほとんど忘れ去られてしまい、作品群は長期間、劣悪な環境下に置かれていました。それが、19世紀末から20世紀初頭にかけ、印象派の画家たちやピカソらによってグレコは再評価され、これがきっかけとなって、ベラスケスやゴヤと並び、スペインを代表する画家と高く評価されています。

特に、「トレドの秘密」といわれ、トレド・サント・トメ教会にあるグレコの最高傑作『オルガス伯爵の埋葬』は、ベラスケスの『宮廷の待女たち』、 レンブラントの『夜警』とともに、世界3大名画のひとつと讃えられています。


「4月7日にあった主なできごと」

1133年 法然誕生…平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で「浄土宗」を開いた法然が生まれました。

1506年 ザビエル誕生…1549年、日本に初めてキリスト教を伝えたスペインのイエズス会宣教師ザビエルがフランスとスペインとの国ざかいのナバラ王国(1512年にスペインにほろぼされた)に生まれました。

1882年 小川未明誕生…『赤いろうそくと人魚』 『野ばら』 『月夜とめがね』 など1000編近い童話を著した小川未明が生まれました。

1894年 宮城道雄誕生…『春の海』など、琴を主楽器とする日本特有の楽曲(箏曲<そうきょく>)の作曲者、演奏家として世界に名を知られた宮城道雄が生まれました。

1945年 戦艦大和撃沈…大日本帝国海軍が建造した排水量6万8千トンという当時世界最大の戦艦「大和(やまと)」は、この日沖縄にむけて出撃途上、屋久島沖でアメリカ航空機部隊の集中攻撃を受けて3000人の将兵とともに、海底深く沈没しました。

1947年 フォード死去…流れ作業による自動車の大量生産を成功させ、世界一の自動車会社を創立したフォードが亡くなりました。

今日4月6日は、江戸時代中・後期の幕臣で、狂歌師・文人として活躍した大田南畝(おおた なんぽ)が、1823年に亡くなった日です。

1749年、江戸牛込(今の新宿中町)に御徒(おかち=将軍の行列に徒歩で従う)という下級武士の貧しい家に生まれた大田直次郎(号=南畝・四方赤良・蜀山人・寝惚先生)は、幼少のころから学問や文筆に秀れ、15歳で江戸六歌仙の1人だった内山椿軒に入門し、国学、漢学などを学びました。17歳で父のあとをついで御徒となり、そのかたわら、漢学者松崎観海に師事し、和歌や日本・中国の故事や古典を学びながら狂詩を作り始めました。

やがて1767年、「風来人」として知られる平賀源内に見いだされ、これまで書きとめてきた狂詩を『寝惚先生文集』として刊行すると、「武士は食わねど高楊枝」など、江戸の諸相や武士階級の実情に諧謔を浴びせた狂詩は大評判となり、以後半世紀を越える文筆活動の出発点となりました。

その後数点の黄表紙(絵入りのこっけい小説)を発表し、1769年ころから四方赤良(よものあから)の名で、「四方連」という狂歌活動をはじめ、上方中心だった狂歌を江戸で大流行させるきっかけを作りました。当時は田沼時代といわれ、商人文化がいっきに花開いていた時代であり、国学や漢学の知識を背景にした南畝の作風は、とくに知識人たちに広く受け入れられました。生来の機知にとんだ即吟は江戸じゅうで有名になり、「高き名の ひびきは四方に わきいでて 赤良あからと 子どもまで知る」とうたわれるほどでした。

ところが、1787年に「寛政の改革」が始まると、田沼寄りの幕臣たちは「賄賂政治」の下手人としてことごとく粛清されていきます。こんな世相を批判した狂歌「世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶといひて 夜もねられず」の作者と名ざしされ、田沼意次の腹心だった人たちと親しかったことから、狂歌の筆をしばらく置きました。幕臣としての職務に励みながら、1792年には創設されたばかりの「学問吟味」という昇格試験に合格すると勘定所勤務となり、1796年には支配勘定にまで上りつめています。

やがて、1801年ころから「蜀山人」の名で狂歌を再開、幕臣のかたわら亡くなるまで作り続け、唐衣橘洲・朱楽菅江と共に狂歌三大家として活躍しました。代表作には、藤原俊成の名歌「夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉(うずら)鳴くなり 深草の里」をもじった、「ひとつとり ふたつとりては 焼いて食う 鶉なくなる 深草の里」があります。

1823年、登城の道で転倒したのが原因で亡くなりましたが、辞世の歌は「今までは 人のことだと 思ふたに  俺が死ぬとは こいつはたまらん」でした。


「4月6日にあった主なできごと」

1483年 ラファエロ誕生…ルネサンス期を代表する絵画、建築はじめ総合芸術の天才といわれるラファエロが誕生しました。1520年に亡くなった日でもあります。

1896年 第1回オリンピック開催…古代ギリシアで4年に1度開催されたスポーツ競技を復活させようと、フランスのクーベルタンによる提唱で国際オリンピック委員会(IOC)が1894年につくられ、この日ギリシアのアテネで近代オリンピック第1回大会が開かれました。参加国14か国、競技種目43種目、選手数240人という小規模なものでした。

1919年 非暴力・非服従運動…インド独立運動の指導者ガンジーは、支配国イギリスに対する非暴力・非服従運動を開始しました。この日、反英運動への取り締まる法律が施行されたのに、断食をして抗議したのをはじめ、イギリス製品の綿製品をボイコットして、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用することを呼びかけるなど、不買運動を行いました。

今日4月3日は、『ひろしまのエノキ』『あほうの星』『向こう横町のおいなりさん』など、100点以上を著した児童文学作家の長崎源之助(ながさき げんのすけ)が、2011年に亡くなった日です。

1924年、今の横浜市南区井土ヶ谷に生まれた長崎源之助は、旧浅野総合中学入学後に読書の楽しみを知り、坪田譲治『子供の四季』に感動して文学をめざしますが、中学5年の時に腹膜炎にかかり、1年休学後に退学するなど、病弱な少年時代を過ごしました。1942年頃から、近所の子どもたちを集めて「子ども隣組」を始め、読み聞かせを行ったりしました。

1944年に応召して陸軍に入営し、中国北部へ出征して終戦を迎えました。1946年に復員後は、精米業、左官手伝い、写真屋など職を転々とした後、雑貨・文房具店を地元に開業しました。そのかたわら日本童話会に入会して児童文学を書きはじめ、1950年、いぬいとみこ、神戸淳吉、佐藤さとるらと同人誌「豆の木」を発行し、以降、亡くなるまで書き続けました。

長崎の作品には、純朴な子どもの姿を通して戦争の悲惨さや平和の尊さを伝える作品が多く、被爆して幹が半分になりながら生き続けたエノキの木を守る子どもたちを描いた『ひろしまのエノキ』、戦争中親元を離れて見ず知らずの土地へ「集団疎開」させられた子どもたちを語り伝える『ゲンのいた谷』、戦争という修羅の深い傷あとを描いた3部作『あほうの星』、特攻機で出撃した父の遺体が流れついた孤島へむかう『忘れられた島へ』、在日朝鮮人のキンサンを通じて戦争とはどういうものかを問う『ヒョコタンの山羊』など、戦争児童文学の傑作を多く残しました。

代表作には、上記のほか、小学校の国語教科書に長く掲載された『つりばしわたれ』(山のつりばしがこわくてわたれない少女のところへやまびこがカスリの着物を着てあらわれて……)、昔ならどこにもあった「紙芝居」など下町の情景を舞台にした『向こう横町のおいなりさん』、横浜の下町を舞台に走りまわる子どもたちを生き生きと描く『トンネル山の子どもたち』などがあり、主要著作は『長崎源之助全集』(20巻・偕成社)に収められています。また、『むかしむかし象がきた』は、今も劇団四季などによって舞台化されています。


「4月3日にあった主なできごと」

604年 十七条の憲法…聖徳太子は、仏教や儒教に基づくきまりや道徳を示した「十七条の憲法」を制定しました。

1673年 隠元死去…江戸時代の初期に禅宗の流れをくむ「日本黄檗宗」を開き、インゲン豆を日本に伝えたとされる中国の僧・隠元が亡くなりました。

1682年 ムリーリョ死去…『無原罪の宿り』 など甘美な聖母像や、愛らしい子どもの絵で知られる、スペインバロック絵画の黄金期を築いた画家ムリーリョが亡くなりました。

1890年 ブラームス死去…バッハ、ベートーベンとともに、ドイツ音楽の「三大B」と讃えられる作曲家ブラームスが亡くなりました。

今日4月2日は、児童文学作家・翻訳家・編集者として児童文学の普及に大きな貢献をした石井桃子(いしい ももこ)が、2008年に亡くなった日です。

1907年、今のさいたま市浦和区に金物店を営む旧家の8人兄弟の7番目に生まれた石井桃子は、県立浦和高等女学校(現・県立浦和第1女子高)を経て1924年に日本女子大学校(現・日本女子大)英文科に入学すると、在学中から菊池寛のもとで外国雑誌や原書を読んでまとめるアルバイトをしました。1928年に卒業後は、菊池が社長をする文芸春秋社に勤め、永井龍男のもとで『婦人サロン』などを編集するかたわら、『クマのプーさん』など、英米の児童文学の翻訳をはじめました。

1934年、山本有三に請われて新潮社に移り、山本や吉野源三郎らと「日本少国民文庫」の編集にあたり、1938年には児童図書館・白林少年館を開設し、英国児童文学などの翻訳書を刊行しました。しかし、戦況悪化のために事業を停止すると、友人と共に現・宮城県栗原市に移り住みながら、開墾・農業・酪農を始め、敗戦後も続けました。

やがて、岩波書店で『世界』の編集長となった吉野から「もう一度子どもの本の編集を」という再三にわたる誘いに上京を決意、1950年に岩波書店に入社して、「岩波少年文庫」「岩波子どもの本」などのシリーズを創刊します。1951年には自らの創作による『ノンちゃん雲に乗る』はベストセラーとなり、第1回芸術選奨文部大臣賞を受け、鰐淵晴子主演で映画化されました。

1957年、家庭文庫を始めていた村岡花子らと「家庭文庫研究会」を結成すると、翌1958年に、荻窪の自宅の一室を使って児童図書室「かつら文庫」を開き、その活動を記録した『子どもの図書館』(1965年)は、草の根文庫活動の指導書となり、公共図書館における児童文庫の普及に大きな影響を与えました。

代表作は上記の他に、たくましく生きるネコの物語『山のトムさん』、国際アンデルセン賞を受賞した『三月ひなの月』、自伝的長篇小説『幻の朱い実』など。翻訳書では『クマのプーさん』『ピーターラビット』『ミッフィー(うさこちゃん)』シリーズをはじめ、『100まんびきのねこ』『たのしい川べ』『ねずみ女房』『ゆかいなホーマーくん』など200点もあり、大半がロングセラーを続け、その生涯が日本児童文学史の本流といえそうです。


「4月2日にあった主なできごと」

1805年 アンデルセンの誕生…『マッチ売りの少女』『みにくいアヒルの子』『人魚姫』など、たくさんの創作童話を著し、「童話の王様」といわれるデンマークのアンデルセンが生まれました。

1944年 バチェラー死去…アイヌ研究に生涯をかけ「アイヌの父」といわれたイギリス人宣教師のバチェラーが亡くなりました。

1956年 高村光太郎死去…彫刻家、画家、評論家であり、詩集『智恵子抄』などを著した高村光太郎が亡くなりました。

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