児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2015年01月

今日1月30日は、「岡山孤児院」を設立して数千名もの孤児をりっぱに育てた、明治期を代表する慈善事業家で先駆者の石井十次(いしい じゅうじ)が、1914年に亡くなった日です。

1865年、今の宮崎県高鍋町に高鍋藩の下級武士の子として生まれ石井十次は、14歳で海軍士官を志し東京の攻玉舎中学に学びましたが、病気になり中退して帰郷しました。荒地開墾事業をしたり、小学校教師、宮崎警察事務官などを転々としましたが定着しません。やがて、医者になって立身出世をしようと、当時西日本でもっとも西洋文化の浸透しているという情報をもとに、1882年に岡山県甲種医学校(今の岡山大医学部)に入学しました。

医学生として研修中のある日、四国巡礼から帰ったという貧しい身なりの母子に出会いました。その身の上を聞くうち男の子を預かったのがきっかけとなって、十次は孤児救済事業を志すようになります。そして1887年、医師の道を断念して学校を中退、禅寺の一画を借りて、「孤児教育会」(のちの「岡山孤児院」)の看板を掲げました。その資金は個人の善意や寄付にたよる他なく、十次は「孤児教育会趣意書」を作成して、当時通っていた岡山教会に協力を求め、会員組織としてキリスト教徒や医学校の同窓生を中心に、会員を募って理解を求めました。

1891年の濃尾大地震後には、259人もの院児たちを収容するようになり、十次は、収容した児童の処遇にも工夫を重ね、保育士を親代わりとした小集団家族を小寮舎に住まわせました。個別指導を心がけ、職業指導も徹底して施設を出たあともりっぱに暮らしていけるように、独立・自活の道を探りました。やがて、ルソーの『エミール』の感化を受けた十次は、郷里の宮崎県茶臼原(ちゃうすばる)を開墾して「児童による児童のための理想郷」を建設しようと、1894年から移住を開始し、院児25名が現地で開墾を始めました。

1898年には、孤児のための岡山孤児院高等小学校を設立すると、倉敷紡績の大原孫三郎社長と知り合い、これ以降、大原に大きな経済的な援助を受けながら、翌1899年には、徳富蘇峰らの支援をえて多くの先駆的な実践をくりひろげ、1905年の東北大凶作の際には、無制限に児童を収容して、1200名以上の巨大施設にしました。

1911年、孤児院の拠点を茶臼原に移しはじめ、翌年に女子部移転でほぼ完了させると、1913年には、茶臼原尋常小学校を設立して、農業を中心とした共同社会をめざし、キリスト教に加えて、二宮尊徳の思想を採り入れ、勤勉・貯蓄・奉仕を重んじる指導に努めました。

このような十次の行動は、留岡幸助、山室軍平ら慈善事業家に大きな影響を与えましたが、長年の過労がたまり、48歳で亡くなりました。十次の遺志は、「石井記念友愛社」(宮崎県)と「石井記念愛染園」(大阪府)が引きつぎ、各種の福祉活動をおこなっています。


「1月30日にあった主なできごと」

1649年 チャールズ1世処刑…1628年、イングランド議会から国王チャールズ1世に対して出された「権利の請願」は、大憲章(マグナカルタ)・権利章典とともにイギリス国家における基本法として位置づけられていますが、チャールズ1世はこれを無視して議会と対立。3日前に公敵として死刑の宣告を受けた国王が、この日処刑されました。こうして議会が国政に参加する権利を確立した「清教徒(ピュリタン)革命」が終結しました。

1902年 日英同盟…清(中国)や韓国に進出しようとするロシアに対抗するため、この日ロンドンで「日英同盟」が秘密のうちに結ばれました。イギリスの清の権益、日本の清や韓国の権益を相互に認め、一方が戦争になったときは中立を守り、そこに第三国が参入したときは援助しあうというものでした。当時のイギリスは、アフリカでの戦争に消耗しており、ロシアの南下をおさえる「憲兵」の役割を日本に期待したもので、日本は日露戦争への道を歩みはじめました。

今日1月29日は、実業家としては「日立製作所」「久原鉱業所」などを創業し、政治家としては昭和前期の政界を黒幕的にリードした久原房之助(くはら ふさのすけ)が、1965年に亡くなった日です。

1869年、今の山口県萩市に酒造業者の4男に生まれた久原房之助は、東京商業学校(一橋大の前身)を経て、1889年に慶応義塾を卒業しました。貿易を志して森村組に入社するものの、まもなく、叔父の藤田伝三郎が創業した「藤田組」に転職します。1891年小坂銅山に赴任すると、新技術を導入して、主要産品を銀から銅へ転換するなど急速に業績を拡大させ、37歳で同社の取締役にまで昇進しました。

1903年に藤田組を退社すると、1905年に茨城県の赤沢銅山を買収して日立銅山とするなど、各地の銅山を買収し、1910年に「日立製作所」を設立。1912年に「久原鉱業所」(後の日本鉱業・現JXホールディングス、日鉱日石金属)を設立して社長になりました。さらに、造船業・肥料生産・商社・生命保険を傘下とする「久原財閥」を形成して「鉱山王」の異名をとり、実業界の重鎮として君臨します。

1927年、事業経営を義兄の鮎川義介に一任すると、同郷で以前から親しかった当時の首相田中義一の勧めで、財界から政界に転身。翌1928年に衆議院議員に当選すると、田中改造内閣の逓信大臣(今の郵政大臣)に就任、以後、立憲政友会内に勢力を広げて幹事長となりました。満州事変後は右翼勢力と接近し、1931年におきた陸軍を中心とした青年将校たちの反乱「二.二六事件」の際には、右翼に資金を与えて反乱を助けた罪で検挙されましたが、のちに無罪となりました。

その後は鳩山一郎に接近して影響力を回復すると、1939年に立憲政友会総裁に就任。翌1940年には「一国一党論」を説いて同党を解党。「聖戦貫徹議員連盟」を結成し、大政翼賛会総務などを務めて、義兄の鮎川とともに「政界の黒幕・怪人」と呼ばれながら、太平洋戦争を政・財政面で支えました。

戦後はA級戦犯容疑者となって公職追放となりましたが不起訴となり、1952年追放解除後の総選挙に当選、日中・日ソ国交回復国民会議議長などを務めました。


「1月29日にあった主なできごと」

1866年 ロマン・ロラン誕生…『ジャン・クリストフ』『ピエールとリュース』『ベートーベン研究』などを著したフランスの理想主義的作家、思想家のロマン・ロランが生まれました。

1872年 初の人口調査…近代的人口調査を実施してきた明治新政府は、この日総人口3310万9826人と発表。この年から江戸時代の人別帳にかわる戸籍が作成されました。

1957年 南極に昭和基地…南極観測隊はオングル島に到達し「昭和基地」を開設しました。34名の隊員のうち、西堀隊長以下11名が初の越冬観測のためこの地に残りました。

今日1月28日は、『サイボーグ009』『ロボット刑事』『マンガ日本経済入門』などの作品や、『仮面ライダー』シリーズの原作など、単行本作品だけでも400点以上著し ギネスに「世界一多作な漫画家」に認定された石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう)が、1998年に亡くなった日です。

1938年、今の宮城県登米市に生まれた石ノ森(本名・小野寺)章太郎は、子どものころから漫画を描くのが好きでした。佐沼高校に入学後、『漫画少年』への投稿仲間を集めて「東日本漫画研究会」を設立し、高校2年生の春に投稿した作品が手塚治虫の目にとまり、『鉄腕アトム』のアシスタントを務めるようになりました。

在学中の1954年、『漫画少年』新年号に掲載された「二級天使」でデビューをはたすと、翌年高校卒業後に上京し、手塚をはじめ赤塚不二夫、藤子不二雄、永井豪ら多くの漫画家たちとともにトキワ荘に住み、作家活動を開始しました。創作速度がきわめて速く、次々にヒット作を連発して、たちまち人気漫画家となっていきました。

作品のジャンルもギャグ・ナンセンス・SFなどきわめて広い分野にわたり、代表作に『サイボーグ009』『ロボット刑事』『さるとびエッちゃん』『HOTEL』などがあり、1965~6年に刊行した『マンガ家入門』『続・マンガ家入門』は、技術論から、ストーリー構想術などが詳しく記された画期的な入門書で、漫画志望者のバイブルとなりました。また、テレビ化されて人気となった『仮面ライダー』シリーズ、『秘密戦隊ゴレンジャー』などの「スーパー戦隊シリーズ」の原作者として制作にかかわっています。さらに、1986年刊行の『マンガ日本経済入門』は、200万部のベストセラーとなり、『マンガ日本の歴史』他は、コミック教養書・専門書ブームの先駆けとなりました。

漫画制作以外にも、随筆、絵本制作などにも精力的に活動し、日本漫画家協会理事など漫画界の第一人者として、さまざまな方面で世話人を務める活躍をしました。

なお没後の2001年、郷里に近い宮城県石巻市に「石ノ森萬画館」が設立されました。2011年3月11日の「太平洋沖地震」の大津波で大被害を受けましたが、翌2012年11月から営業を再開しています。


「1月28日にあった主なできごと」

712年 古事記完成…太安万侶が元明天皇に「古事記」を献上しました。「古事記」は「日本書紀」と並ぶ古代の2大歴史書の一つで、元明天皇の命で稗田阿礼に記憶させた歴史を、安万侶がまとめあげたものです。

1547年 ヘンリー8世死去…イングランド王で、カトリック教会から離れ、イングランド国教会の首長となったことで知られるヘンリー8世が亡くなりました。

1582年 天正少年使節…九州のキリシタン3大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠は、伊東マンショら少年4名を「天正少年使節」として、ローマ法王に謁見させるため、長崎の港から送り出しました。

今日1月27日は、薬用となる動・植・鉱物を研究する学問=本草(ほんぞう)学者で、わが国最大の本草学書を著した小野嵐山(おの らんざん)が、1810年に亡くなった日です。

1729年、京都に生まれた小野嵐山(本姓・佐伯 蘭山・号)は、幼少のころから草や木のことを調べるのが好きで、中国の本を書き写すほどでした。13歳の時から父の師であり、本草学者として知られた松岡恕庵に入門しますが、2年後に恕庵が亡くなってからは、独学で研究を深めていきました。当時の本草学の参考資料は、中国から伝わった『本草綱目』を元に作られていたため、日本固有の動・植物・鉱物の記載はなく、蘭山は日本の本草書作りを志して、積極的に山や森に分け入りました。

25歳で京都丸太町に私塾を開いて多くの門人を教えるうち、蘭山の本草学は広く知られるようになり、日本全国から集まった門人は、杉田玄白、木村兼葭堂、飯沼慾斎、谷文晁ら1000人を越えるといわれています。しかし、1788年蘭山60歳の時、天明の大火が発生し、私塾は焼かれて門弟たちはちりぢりとなったため、蘭山はこれまでの研究を執筆して過ごしました。

1799年、幕府の招きにより江戸に移って医学館の教授となった嵐山は、本草学を講義するかたわら、幕命を受けて、5回にわたり諸国をめぐる植物の採薬旅行にでかけました。そして、1803年に研究をまとめた著書『本草綱目啓蒙』(48巻)を書き上げました。これは、本草1882種を書きしるす大著で、日本最大の本草学書・江戸時代最大の博物誌といわれています。この書はのちにシーボルトが入手したとき、蘭山を「東洋のリンネ」と絶賛しました。

なお、もうひとつの嵐山の著書『花彙』(3巻)は、桂川甫周により蘭語訳されたものがシーボルトに寄贈され、この仏訳がパリで出版され、日本産植物が初めて海外に紹介されました。


「1月27日にあった主なできごと」

1219年 源実朝死去…鎌倉幕府の第3代将軍で、歌人としても著名な源実朝が、兄の2代将軍頼家の子公暁に暗殺されました。公暁も殺され、源氏の血が絶えてしまいました。

1756年 モーツァルト誕生…ハイドンやベートーべンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人であるオーストリアの作曲家のモーツァルトが生まれました。

1832年 キャロル誕生…イギリスの数学(幾何学)者でありながら『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』 などファンタジーあふれる児童文学作品を著したキャロル(本名ドジソン)が生まれました。

1902年 八甲田山遭難事件…日本陸軍の歩兵隊が青森県八甲田山で冬季訓練中に遭難し、訓練への参加者210名中199名が死亡、軍の無謀な訓練が問題になりました。

今日1月26日は、バイオリンを基にした幼児の才能教育「スズキ・メソッド」を創始し、日本ばかりでなく欧米にまで広めた鈴木鎮一(すずき しんいち)が、1998年に亡くなった日です。

1898年、愛知県名古屋市に日本初のバイオリン工房を設立した鈴木政吉の子として生まれた鎮一は、名古屋商業学校を卒業後、バイオリンを安藤こうに学んだのち、1920年から28年まで、ベルリンでクリングラーに師事しました。

帰国後、独奏者、室内楽奏者として活動しているうち、1935年に〈才能は平等。教育のやり方で誰でも伸びるようになる〉と確信した鈴木は、東京でバイオリンの才能教育に着手しました。

第二次世界大戦後の1946年、拠点を長野県松本市に移すと、1948年に「才能教育研究会」と改め、バイオリンの名曲を教材とした教則本による独自のシステムを考案。門下から豊田耕児、小林武史、小林健次らの俊秀が出たため世間の注目を集め、全国各地に支部が設立され、ブーム現象をひきおこしました。

そして1964年、代表的な10名の児童を連れ、アメリカ合衆国に最初の演奏旅行を行い、アメリカの音楽教育界に衝撃を与えたことで、「スズキ・メソッド」は、またたくまに世界に知られようになりました。これ以降、1994年まで30回の訪米が繰り返されました。

鈴木の著書の 「幼児の才能教育」 から、「スズキ・メソッド」の考え方の一端を紹介すると次の通りです。

「私のおさない弟子のひとりであった豊田耕児君は、満2歳5ヵ月の時に、日本青年館でドヴォルザークの『ユーモレスク』を弾いたので、朝日新聞は彼を天才扱いにして大きく書き立てたことがありました。耕児君が突然そんな能力を発揮したわけでないのを私は良く知っています。耕児君の父はまた私の門下の1人で、毎日バイオリンを弾いており彼はその環境の中で育ち、そして、父からバイオリンを教えられて弾けるようになったので、お父さんの努力でそうなったのです。今では、この『ユーモレスク』は、才能教育をうけた4、5歳の子どもたちは全員、ほとんど全部りっぱに弾けます。こうして1000名にも近い子どもたちが弾くと、もう天才扱いはできないでしょう」

指導さえ正しければ、親の努力次第で、幼い時からこうした能力を発揮することができるということ。さらに子どもたちのすばらしい素質は、バイオリンに限らず、あらゆる能力、すべての教育に通じるものだと断定しています。

鈴木は、1991年イギリスのサンデー・タイムス紙の特集「20世紀をつくった1000人」の中に選ばれ、1997年には専修学校「国際スズキ・メソード音楽院」を開校。また、松本市には「鈴木鎮一記念館」が開館しています。また、ソニーの井深大を、幼児教育に取り組むきっかけを作ったのも鈴木でした。


「1月26日にあった主なできごと」

1788年 囚人の移民…イギリスからの初めてオーストラリア移民団が、ポートジャクソン湾(現シドニー湾)から上陸しました。このうち約半数は、犯罪をおかした囚人たちでした。これにちなんで「オーストラリアの建国記念日」となりました。

1823年 ジェンナー死去…牛痘にかかった人の膿を少年に接種 (種痘) し、天然痘という伝染病を根絶させる基礎を作ったイギリスの外科医ジェンナーが亡くなりました。

1948年 帝銀事件…帝国銀行(現在の三井住友銀行)の東京豊島区にあった椎名町支店で、「近くの家で赤痢が発生したので予防薬を飲んでもらう」と偽って銀行員12名を毒殺、現金16万円などが強奪される事件がおこりました。8月になって画家平沢貞通が逮捕され、死刑が確定しましたが執行されないまま、逮捕から39年後の1987年に獄死しました。

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