児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2014年11月

今日11月6日は、ドイツの宗教戦争「三十年戦争」でめざましい活躍をした、スウェーデン王国最盛期の国王グスタフ2世が、1632年に亡くなった日です。

1594年、スウェーデンに新教を広めたカール9世の子として生まれたグスタフ2世アドルフは、幼いころから新教の教育を受け語学にも長け、ラテン語・ドイツ語・オランダ語・フランス語・イタリア語を自国語のように話し、17歳で即位しました。父王の事業を引き継ぎ、対外的にはデンマーク、ロシア、ポーランドと戦って勝利してバルト海を自国の湖にするほどの勢いをしめし、国内でも台頭する貴族の権限を弱め、軍備を強めていきました。

当時ドイツでは、三十年戦争という皇帝軍(神聖ローマ皇帝を中心とするカトリック勢力)と新教徒諸侯との戦いが長く続き、皇帝軍が優勢でした。グスタフ2世は、ドイツ新教徒を救うためと称して、1630年にドイツに侵入しました。グスタフ軍は最新の火打石銃や大砲を備えていた上、規律のとれた軍隊だったことから、たちまちオーデル川中・下流域を占領し、翌1631年にはフランスと手を結び、北ドイツを解放することに成功しました。

次の目標は、皇帝軍に占拠されていた新教都市マクデブルクの救援でした。グスタフは、ザクセン諸侯たちと連合軍を組んで皇帝軍を打ち破ると、さらに南下してバイエルンを侵略して皇帝軍を追いつめていきます。神聖ローマ皇帝は、罷免していた名将ワレンシュタインを再起用し、大軍を動員させてスウェーデン軍と何度も決戦を挑みました。

1632年11月、ライプチヒ南部の小都市リュッツェンで激突すると(リュッツェンの戦)、戦闘はスウェーデン軍が優勢だったものの、グスタフは流れ弾に当たって落馬しました。こうして「北方のライオン」といわれ、周辺諸国から恐れられた37年の生涯を閉じたのでした。


「11月6日にあった主なできごと」

1494年 スレイマン誕生…オスマン帝国第10代スルタンとして13回にもおよぶ遠征の末、地中海の制海権をにぎって「世界の帝王」と呼ばれたスレイマンが生まれました。

1945年 財閥解体…太平洋戦争敗戦後の日本を占領し、間接統治を行なっていたGHQ(連合国軍司令本部)は、三井、三菱、住友、安田など15財閥83社の解体を指令しました。これらの財閥が、日本経済をささえ戦争をすすめる原動力になっていたと判断したためです。しかし、財閥は解体されたものの財閥の流れをくむ企業の大半は、大規模な企業グループを形成していきました。

1956年 スエズ戦争停戦…スエズ運河の国有化宣言をしたエジプトに対し、イギリスとフランスが反対を決議。さらにエジプトと対立関係にあったイスラエル軍がエジプトに侵入したのをキッカケに、英仏軍も武力攻撃を開始してスエズ戦争(第2次中東戦争・スエズ動乱)が始まりました。エジプトの抵抗、アラブ諸国のエジプト支持、国際連合の批判などにより、この日英仏は軍隊を引き上げることに同意しました。

今日11月5日は、普通選挙運動、廃娼運動、反戦運動、公害告発など数々の先駆的社会運動をおこしたことで知られる木下尚江(きのした なおえ)が、1937年に亡くなった日です。

1869年、今の長野県松本市に、松本藩士の子として生まれた木下尚江は、新設したばかりの開智小学校を経て、松本中学時代にイギリスの清教徒革命で活躍したクロムウェルを知り、国王を裁くほどの「法律」を学ぶ決心を固めて上京、1886年英吉利法律学校(今の中央大)に入学、転学した東京専門学校(今の早稲田大)を1888年に卒業しました。

地元にもどって『信陽日報』の記者となるものの、地元の有力者の意にそむいた報道をしたことから迫害を受けて失職すると、弁護士となって、1893年にキリスト教の洗礼をうけました。新しい勇気をえた尚江は、先駆的な運動を次々とおこします。1897年に初の普通選挙運動をはじめると警察に拘引され、県会選挙にまつわる疑獄事件に連座されて1年半も獄中生活を送りました。

無罪判決を受けて出獄した尚江は、1899年に毎日新聞(旧横浜毎日新聞)に入社して平和主義、民主主義を掲げるいっぽう、1901年には幸徳秋水、片山潜、堺利彦らと日本初の社会主義政党である社会民主党の立党を計画して禁止されたり、1903年の日露戦争前夜に非戦論をとなえ、幸徳らの平民社を支援したりしましたが、政府の反戦運動弾圧が厳しくなり、言論活動の道をふさがれて苦悩しました。それでも、毎日新聞誌上に、自らの非戦小説『火の柱』や『良人の自白』を連載したり、廃娼運動や、公害のはしりとなった足尾銅山鉱毒問題などで論陣を張りました。

しかし1906年の母の死をきっかけに、自身の正義の訴えが政治家の暗殺や足尾銅山社長夫人の自殺を引き起こすなど、自責の念にかられたのでしょう。幸徳らに決別を告げて社会主義から退き、記者もやめ、自伝ともいうべき『懺悔(ざんげ)』を刊行して、表舞台から姿を消しました。

以後の尚江は、新しい道を求めるうち岡田虎次郎の「静座法」に出会い、弟子となって沈黙の静座修行に入りました。岡田が亡くなった1920年ころから「田中正造伝」を書いたり、満州事変勃発のころは社会復帰をめざす動きもありましたが、まもなく病に倒れてしまったのでした。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、『政治の破産者・田中正造』『火の柱』など10作品を読むことができます。


「11月5日にあった主なできごと」

1688年 名誉革命起こる…国王ジェームズ2世に反発したイギリス議会はクーデターを起こし、次の国王としてウイリアム3世(オランダ総督オレンジ公)とメアリー2世夫妻を招き、夫妻は軍隊を率いてイギリスへ上陸しました。ジェームズ2世はフランスに亡命し、流血のないまま新王が即位したため、「名誉革命」といわれています。

1922年 ツタンカーメン王墓発見…イギリスの考古学者カーターが、古代エジプト18王朝(BC1340年頃)18歳で亡くなったツタンカーメン王の墓を発見しました。3000年以上の歴史を経てもほとんど盗掘を受けておらず、王のミイラにかぶせられた黄金のマスクをはじめ、副葬品の数々をほぼ完全な形で出土しました。そのほとんどは「カイロ博物館」に展示されています。

今日11月4日は、幻想性と甘美さではとびぬけて魅力のある曲を数多く作曲し、フランス音楽界の巨匠といわれたフォーレが、1924年に亡くなった日です。

1845年、フランス南部ピレネー山脈に近い小村パミエに、地元の師範学校校長の子として生まれたガブリエル・フォーレは、幼少のころから教会のリードオルガンに親しむうちに、オルガン演奏の才能を見出され、9歳でパリに出て古典宗教音楽学校で学びました。1861年には、音楽教師として赴任してきたサン=サーンスにピアノと作曲を師事したといわれています。

1865年に卒業した年に、今も世界的に愛される小品『夢のなかに』を作曲していますから、早熟の天才だったのでしょう。この曲を発表したときは、トスカーナ地方の古い詩に曲をつけた3曲からなる歌曲「3つの歌」の1曲目の歌でした。

「君の幻影をいだいて眠っていると 幸せの蜃気楼を夢みていた 君の瞳はやさしく輝き 澄んだ声にさそわれて 私は地上を離れ 君とともに光の中へ飛んでいった……ああ、しかし夢ははかなく覚めてしまった ああ、夜よ 幻想を返しておくれ もう一度かがやいておくれ 神秘な夜よ!」 
このような夢想的、幻想的な美しい詩に、とろけるようなロマンチックなメロディをつけた作品でしたが、その美しさのおかげで、バイオリンやフルートなどさまざまな編曲が加えられ、器楽曲、とくにチェロで演奏されることの多い名曲となっています。

その後フォーレは、旅行中に訪れたブルターニュ地方のレンヌの教会オルガニストの職を得ると、やがてパリのマドレーヌ教会でオルガニストとなり、1871年にはサン=サーンス、フランクらとともにフランス国民音楽協会の設立に参加。1896年にはマドレーヌ教会の主席奏者のかたわら、フランス国立音楽院作曲教授に任命され、1905年には同院の院長となり、15年にわたりその職務につき、ラベルやシュミットらを育てています。

フォーレの代表曲には、モーツァルトと並び2大名曲といわれる『レクイエム』、歌曲には『夢のなかに』のほかにべルレーヌの詩に曲をつけた『月の光』のほか、『マンドリン』『トスカのセレナード』などは、いまも人気があります。幻想性と甘美さではとびぬけた魅力のある曲が多かったことから、当時のサロンに好意的に迎えられ、生涯にこしらえた曲は、ピアノ独奏曲、管弦楽曲、室内楽曲など120曲以上が知られています。


「11月4日にあった主なできごと」

1847年 メンデルスゾーン死去…世界3大「バイオリン協奏曲(コンチェルト)」の一つと賞賛される『バイオリン協奏曲』をはじめ、『真夏の夜の夢』『フィンガルの洞窟』などを作曲したことで知られるメンデルスゾーンが亡くなりました。

1921年 原敬首相刺殺される…平民宰相といわれた原敬首相が、東京駅で19歳の鉄道員に刺殺されて亡くなりました。当時、原内閣の社会主義運動への弾圧、普通選挙法への反対、シベリア出兵の強行など、資本家の利益につながる政治腐敗に対し、民衆の非難が高まっていました。

1946年 ユネスコ成立…国際連合には、総会、安全保障理事会などさまざまな仕事がありますが、それ以外に経済、社会、文化などを扱う専門機関があります。ユネスコもその一つで、正式には「国際連合教育科学文化連合」といい、それぞれの英文の頭文字だけをとってUNESCO (ユネスコ)と呼んでいます。この日「ユネスコ憲章」が発効し、正式に成立しました。

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