児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2014年03月

今日3月31日は、イタリアに興ったルネサンスをフランスに持ちこんで、レオナルド・ダ・ピンチらを保護した君主フランソワ1世が、1547年に亡くなった日です。

1494年、アングレーム伯シャルルと、フィリッポ2世の娘ルイーズとの子として生まれたフランソワは、1498年に即位した従兄のルイ12世が1515年に亡くなったことで、王位を継ぎました。当時のヨーロッパは、ドイツやスペインを支配したハプスブルク家の全盛期で、カール5世が権力をにぎっていました。

そこでフランソワは、ハプスブルク家の包囲を突破して領土を拡大しようと、2代前から始めたイタリア戦争を継続し、即位後すぐに、ミラノ公国を奪って、勇名をはせました。

その後、神聖ローマ皇帝の位をめぐってハプスブルク家のスペイン王カルロス1世と、1521年からはイタリアをめぐってカール5世と戦うものの、いずれも敗北してしまいます。その後も3度にわたるイタリア攻めも失敗しますが、フランソワにとって幸いだったのは、全盛期のイタリア・ルネサンスに遭遇したことでした。その素晴らしい文化に感銘した王は、ルネサンス様式の宮殿を建てて、「モナリザ」で有名なレオナルド・ダ・ピンチを保護したり、多くのイタリアの芸術家を招いたほか、1530年には、王立教授団(コレージュ・ド・ロワイヤル)を設立するなど文芸奨励したことで、「ルネサンス」をフランスに勃興させるきっかけを作りました。

いっぽう、カール5世に対抗するためイングランド王ヘンリー8世らと結び、ドイツのルター派と提携して国内の新教徒にも寛大な態度を示し、1539年には王令により公文書用語をフランス語に統一、行政の中央集権化を推進しました。ところが1534年秋、突然檄文を発して、好意的だった宗教改革運動への弾圧を開始したことがきっかけとなって、街じゅうに国王非難のビラが張られました。それ以後は反動化がめだち、王への評価は二分されています。

なお、フランソワ1世はアメリゴ・べェスプッチを援助したことでも知られています。新大陸の中南米を押さえたカール5世に対抗して北米をねらい、フランス領カナダの基礎を築きました。


「3月31日にあった主なできごと」

1727年 ニュートン死去…万有引力を発見したことで有名なイギリスの物理学者・数学者ニュートンが亡くなりました。

1732年 ハイドン誕生…ソナタ形式の確立者として、モーツァルトやベートーベンに大きな影響を与え、104もの交響曲を作ったことで知られる古典派初期の作曲家ハイドンが生まれました。

1889年 エッフェル塔完成…フランス革命100周年を記念したパリ万博のシンボルとして、この日エッフェル塔が完成しました。当時300mという世界一の高さを誇って大人気となるものの、鉄骨むきだしの姿はパリの美しい景観をそこねると賛否両論の声があがりました。

1906年 朝永振一郎誕生…量子力学の研究の中から「超多時間理論」をまとめ、それを発展させた「くりこみ理論」を発明した功績によって、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎が生まれました。

1970年 よど号ハイジャック事件…100余名を乗せた日本航空旅客機「よど号」が、富士山上空を飛行中に、赤軍派学生9名にのっとられました。犯人たちは北朝鮮へ亡命したいと要求、よど号は福岡と韓国のソウル金浦空港を経由して北朝鮮の美林飛行場に到着しました。乗員と乗客は福岡とソウルで解放されたものの、身がわりとなった山村新治郎運輸政務次官と犯人グループは北朝鮮に向かい、山村氏はその後帰国、犯人グループは亡命をはたしました。

今日3月28日は、ロシア出身の作曲家・ピアニスト・指揮者で、今も人気のある曲を多く残したラフマニノフが、1943年に亡くなった日です。

1873年、ロシア西部ノブゴロド州の貴族の家に生まれたセルゲイ・バシリエビチ・ラフマニノフは、幼少期を豊かな自然に恵まれたオネグで過ごしました。4歳の時、セルゲイの音楽の才能に気がついた母は、ペテルブルクからピアノ教師を呼び寄せてレッスンを受けるうちめきめき上達しました。しかし、9歳の時に一家は破産して両親が離婚、母は子どもたちを連れてペテルブルクに移住します。セルゲイは才能を認められ、奨学金を得てペテルブルク音楽院で3年間ピアノを学んだ後、1885年にモスクワ音楽院に転入、厳格な指導で知られるピアノ教師ズベレフの家に寄宿しながら、ピアノ演奏の基礎を徹底的にたたきこまれました。やがて名人技を身につけ、ズベレフ家を訪れるチャイコフスキーにも才能を高く評価されるほどでした。

1891年にモスクワ音楽院ピアノ科を主席で卒業すると、同年に「ピアノ協奏曲第1番」を完成させ、翌年にはプーシキンの詩による歌劇『アレコ』をわずか数日のうちに書き上げ、同音楽院作曲科の最優秀卒業生に贈られる金メダルを授けられました。さらに、同年秋のモスクワ電気博覧会で「前奏曲嬰ハ短調」を初演したところ、熱狂的な人気を獲得しました。翌93年5月には『アレコ』がボリショイ劇場で上演され、同年11月にチャイコフスキーが亡くなると、追悼のために「悲しみの三重奏曲第2番」を発表するなど、その天才ぶりは輝かしいものでした。

ところが1897年、「交響曲第1番」の初演が不評をかったことで、人一倍神経質なラフマニノフはひどい神経衰弱に陥り、3年以上もの間苦しみぬきました。この苦境を救ったのはニコライ・ダールという精神科医でした。3か月間一種の暗示療法を連日続けるうち快方にむかい、再起をあきらめていた気持ちに、ふたたび激しい創作意欲が燃え上がり、「ピアノ協奏曲第2番」に着手すると、1901年に完成。この年の11月、モスクワで自身の独奏でモスクワ・フィルハーモニーによって初演されると大絶賛をあび、1904年には、グリンカ賞の栄誉に輝いています。

以後ラフマニノフは、3年間モスクワのボリショイ劇場の指揮者をへて、ドレスデンに移って作曲に全力をそそぐいっぽう、アメリカやヨーロッパ各地を演奏旅行して多忙な音楽生活をすごしました。1917年にロシア革命がおこったことでフィンランドにのがれ、翌年にはアメリカに亡命しました。アメリカでは毎シーズン、100回以上もの演奏会をこなしたといわれています。革命後は一度も故国に帰ることなく、第2次世界大戦中にハリウッドで生涯を閉じました。3つの交響曲、4つのピアノ協奏曲、交響詩、管弦楽曲、ピアノソナタなど、生涯の作品は45ですが、今も好んで演奏される曲が多いのが特長です。


「3月28日にあった主なできごと」

1868年 ゴーリキー誕生…『どん底』『母』などの作品を通し、貧しい人々の生活の中にある不安や、社会や政治の不正をあばくなど 「社会主義リアリズム」 という新しい道を切り開いたロシアの作家ゴーリキーが生まれました。

1876年 廃刀令…軍人・警察官・大礼服着用者以外、刀を身につけることを禁止する「廃刀令」が公布されました。これを特権としていた士族の不満が高まる原因となりました。

1930年 内村鑑三死去…足尾鉱毒事件を非難したり日露戦争に反対するなど、キリスト教精神に基づき正義と平和のために生きた思想家 内村鑑三が亡くなりました。

1979年 スリーマイル島原発事故…アメリカ東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で、重大な原子力事故が発生しました。国際原子力事象評価尺度 (INES) ではレベル5となっています。

今日3月27日は、イギリス人宣教師で『日本アルプスの登山と探検』などを著し、日本アルプスや日本の風習などを世界に紹介したウェストンが、1940年に亡くなった日です。

1861年、イングランド中部のダービーに生まれたウォルター・ウェストンは、ケンブリッジ大学のクレア・カレッジとリドレー・ホール神学校で学びました。卒業後、イングランド国教会の聖職者を志すいっぽう、登山にも興味をもちマッターホルンに登頂するなどアルプスの山々に親しみました。

1888年から1915年まで、3回にわたって日本を訪れ、神戸や横浜で布教するかたわら、趣味として富士山、日本アルプス、南アルプスをはじめ、日本有数の山々に登りました。しかし当時の日本は、山は聖なるもので、宗教的な理由から「講」として登山することはあったものの、西洋的な登山の方法はほとんど知られていませんでした。そのため、ウェストンが案内を依頼しても、ことわられることがほとんどで、「金銀や水晶があるわけでもないのに、なぜ山に登るのか」と聞かれたウェストンは「未知の山を制覇する快感」と答えたといわれています。それでも少しずつ協力者があらわれ、1893年に前穂高岳に登ったときの案内役(地元猟師)との友情などが知られるようになっていきました。

1896年ウェストンは、初来日の5年間に体験した登山の記録や山旅で見た情景や感慨を『日本アルプスの登山と探検』としてイギリスで出版しました。1902年結婚したばかりの夫人を伴って2度目の来日をすると、ウェストンの著書に共感した登山家の小島烏水(うすい)や岡野金次郎らと交友を深め、1905年に帰国寸前「日本山岳会」の創設を説いたことがきっかけとなって、翌年に同会が発足、ウェストンは1910年に「日本山岳会」名誉会員となっています。

1917年には、イギリス王立地学協会から日本アルプスを開拓した功績により、バックグランド賞を受賞。日本政府も1937年に勲章を贈った上、「日本アルプスの父」として長野県上高地の梓川のほとりに、レリーフを建てました。いまでも、毎年6月第1日曜日のアルプスの山開きには、「ウェストン祭」を行って業績を讃えています。


「3月27日にあった主なできごと」

1689年 芭蕉「おくの細道」へ出発… 松尾芭蕉 は弟子の河井曽良(そら)を伴ない、この日江戸・深川の庵を出て「おくの細道」の旅に出発しました。東北・北陸をめぐる旅の日数はおよそ150日間、『奥の細道』は、わが国紀行文学の代表的存在です。

1845年 レントゲン誕生…ドイツの物理学者で陰極線の研究中、物質を通りぬける放射線エックス線を発見したレントゲンが生まれました。

1933年 「国際連盟」脱退…国際連盟は2月24日の総会で、日本軍による満州建国を否認しました。日本はこの日、正式に国際連盟を脱退、国際社会の中で孤立し、戦争への道を歩みはじめました。

今日3月26日は、南アフリカのケープ植民地首相となり、ローデシアを征服した政治家・事業家のローズが、1902年に亡くなった日です。

1853年、ロンドン近郊ハートフォードシャーの牧師の子に生まれたセシル・ローズは、1870年に結核療養のため、気候のよい南アフリカの兄の住むダーバンに渡りました。当時の南アフリカはダイアモンドラッシュのさなかで、健康を取りもどしたローズは、1872年から兄とともにキンバリー鉱山で坑夫としてつるはしをふりました。

やがてローズは、ダイアモンドを掘りあててこしらえた資金で、オランダ系植民者ボーア人が支配する「トランスバール共和国」の金鉱業への投機に成功すると、ロンドンの財閥ロスチャイルドの融資をとりつけて、1880年デ・ビアス鉱業会社を設立。キンバリーのダイアモンド鉱山のほとんどを支配下に置くようになり、全世界で産出するダイアモンドの9割を独占するまでになりました。また、トランスバール金鉱業も傘下にして世界最大の産金王にのし上がったばかりか、南アフリカの鉄道・電信・新聞業まで支配するようになりました。政界へも進出して、1884年にはケープ植民地政府の財務相、1890年には首相にまで上りつめます。

ローズは典型的な帝国主義者で、イギリス領土の拡大こそ自分の使命と考える人物でした。1889年までにイギリス本国政府から特許をとって、征服地に対する警察権・統治権をもつ「イギリス南アフリカ会社」を興すと、北に遠征軍を派遣して征服活動を続けます。そして1893年までに、イギリス本国の4倍半にも相当する広大な土地を奪って南アフリカ会社の統治下に置き、征服者ローズの名にちなんで「ローデシア」(いまのザンビア・ジンバブエ両共和国)と命名しました。

さらにローズは、「トランスバール共和国」も併合しようと、1895年、親友のジェームソンが指揮する500名の騎馬隊を侵入させたところ、民兵の反撃にあい、全員が捕虜となりました。この事件は、本国のイギリス政府から激しく非難されて、翌年ローズは首相を解任され、政治生命を絶たれてしまいました。


「3月26日にあった主なできごと」

1205年 新古今和歌集完成…後鳥羽上皇の命によって編まれた和歌集『新古今和歌集』がまとめられました。

1648年 柳生宗矩死去…江戸時代初期の武将で、将軍家のご流儀としての「柳生新陰流」をきわめた柳生宗矩(むねのり)が亡くなりました。

1827年 ベートーベン死去…『交響曲第5番』(運命)『交響曲第9番』(合唱)などの交響曲、『月光』『悲愴』などのピアノ曲のほか、管弦楽曲、歌劇、声楽曲など各方面にわたるかずかずの作品を残し、クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人とされるドイツの作曲家ベートーベンが亡くなりました。

1910年 安重根死刑…初代韓国統監を務めていた伊藤博文を暗殺した朝鮮の安重根(じゅこん)が死刑になりました。安は、韓国では義士としてたたえられています。

今日3月25日は、スイスの物理学者・気象学者で、宇宙と深海にさまざまな挑戦をした冒険家のピカールが、1962年に亡くなった日です。

1884年、バーゼルのフランス系家庭に、双生児の兄ジャンと共に生まれたオーギュスト・ピカールは、少年時代から科学に興味を示し、チューリヒの大学で学んだ後、1917年にチューリヒ工科大学教授、1922年にブリュッセル自由大学の物理学教授に就任しました。

気球に乗って高空の宇宙線やオゾンを直接観測したいと考えたピカールは、1931年5月、自らが設計した直径30mの大型水素気球に乗って、ドイツの上空1万5838mの成層圏に達しました。さらに翌年8月には、1万6940mに達し、その後も気球に乗り続け、計27回、最高記録は2万8000mにも達したといわれています。

ピカールはまた、正反対の記録を作ろうと深海への挑戦をはじめ、深海観測船の建造に取り組みました。細長い船体に、海水よりも密度が小さいガソリンを搭載し浮力をつけ、沈降するときは鉄のおもりをつけ、浮上するときはおもりを捨てるように設計した電気推進式の深海観測船バチスカーフを発明すると、1953年に自ら搭乗してフランスのツーロン沖で深度3184m、翌年にはダカール沖で4049mに達し、深海を研究対象にすることに成功しました。さらに1960年、アメリカ海軍の協力をえてバチスカーフ・トリエステ号に息子のジャックらが搭乗し、グアム島に近いマリアナ海溝チャレンジャー海淵1万916mに達しました。

なお、息子のジャックもまた海洋学者・冒険家となりましたが、ジャックの息子ベルトランも精神科医・冒険家で、1999年3月に20日間未満の気球飛行による初の無着陸世界一周を達成しています。


「3月25日にあった主なできごと」

1499年 蓮如死去…親鸞が開いた浄土真宗の教えを、わかりやすい言葉で民衆の心をとらえ、真宗を再興させて「中興の祖」といわれる蓮如が亡くなりました。

1872年 樋口一葉誕生…『たけくらべ』『十三夜』『にごりえ』などの名作を残し、わずか24歳で亡くなった作家の樋口一葉が生まれました。

1878年 初の電灯…この日中央電信局が開設され、その祝賀会でわが国初の電灯としてアーク灯が15分ほど灯りました。ただし、一般の人が電灯を見たのは4年半後に銀座通りにアーク灯がついてからでした。一般家庭で電灯がつくようになったのは1887年11月のことです。

1957年 EECの結成…EEC(ヨーロッパ経済共同体)は、この日、フランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク6か国の代表がローマに集まって、結成のための「ローマ条約」を結びました。1958年1月からEECは正式発足しましたが、その経済面での発展はめざましいもので、ヨーロッパ経済の中心となるばかりでなく、EC(ヨーロッパ共同体)、さらにEU(ヨーロッパ連合)となっていきました。

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