児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2013年10月

今日10月2日は、江戸時代中期の外科医で、世界初の全身麻酔を用いた手術を成功させた華岡青洲(はなおか せいしゅう)が、1835年に亡くなった日です。

1760年、紀伊国(現・和歌山県紀の川市)の医師・華岡直道の長男に生まれた青洲(=号 本名・震[ふるう])は、1782年に京都へ出て、オランダ医学を学ぶいっぽう、吉益南涯に漢方医学のひとつである古医方を学びました。さらに古来の東洋医学とオランダ式外科学を折ちゅうした医術を学んだり、さまざまな医学書や医療器具を買い求めるなど、当時の最新医術を身につけました。

1785年2月に帰郷した青洲は、父から家業を継ぎ、オランダ式の縫合術、アルコールによる消毒などを用いる外科手術を得意としました。そのうち、患者の苦しみを和らげるためには「麻酔薬」の開発がなにより必要と、研究に研究を重ねました。その結果、曼陀羅華(まんだらげ=チョウセンアサガオ)、草烏頭(そううず=トリカブト)を主とした6種類の薬草に麻酔効果があることを発見しました。動物実験を重ねましたが、人体実験を目前に行きづまってしまいました。それを知った実母と妻が実験台になることを申し出て、数回にわたる人体実験の末、実母の死、妻の失明という大きな犠牲をはらいながらも、麻酔薬「通仙散」を完成させました。そして1804年、60歳の女性に対し通仙散による全身麻酔をほどこし、乳がんの摘出手術に成功。この成功は、アメリカのモートンによるエーテルを用いた麻酔の手術よりも40年も前のことでした。

この全身麻酔による成功をはじめ、膀胱結石、痔、腫瘍摘出術など他の外科手術にもすぐれていることが全国的に知れ渡り、青洲の高名をしたって手術を願う患者や、教えをこう医師がたくさん集まりました。青洲は、医塾「春林軒」を設けて、生涯に1000人を越える門下生を育てたといわれています。1819年には紀州藩「小普請御医師」となり、1833年には身分の高い人を診療する「奥医師格」となりましたが、自分の本分は庶民大衆の病気治療にあるという信念を貫きとおしました。

なお、青洲の名は、和歌山出身の作家有吉佐和子が、1966年に『華岡青洲の妻』を著してベストセラーとなり、同名の映画もヒットしたことで、医学関係者間で知られる程度だった青洲の名を、全国に広めました。いまも、演劇やテレビドラマで人気を博しています。


「10月2日にあった主なできごと」

755年 吉備真備死去…奈良時代に輩出した最大の知識人・政治家といわれる吉備真備が亡くなりました。

1943年 学徒出陣公布…太平洋戦争での兵力不足を補うため、また戦局悪化により下級将校の不足も顕著になったため、26歳までは徴兵猶予されていた20歳以上の学生を、在学途中で徴兵し出征させると公布しました。そして、10月と11月に徴兵検査を実施して合格者を12月に入隊させることになりました。

1961年 柏鵬時代の始まり…大相撲の柏戸・大鵬両大関が、この日そろって横綱に昇進。前年までの栃錦と若乃花による「栃若時代」にかわって、大型若手横綱の登場に大相撲は大きな盛り上がりをみせました。

今日10月1日は、戦国時代の武将で、主君の大内義隆をほろぼした陶晴賢(すえ はるかた)が、1555年に亡くなった日です。

1521年、中国地方西部の周防・長門・石見・豊前を治める戦国大名・大内氏の重臣・陶興房の子として生まれた晴賢(初めの名・隆房)は、子どものころから美男子として知られ、主君の大内義隆にかわいがられて育ち、1539年に陶氏の家督をつぎました。

文学や芸能に親しんだ大内義隆に対し、晴賢は武士として質実で倹約の生活を重視する人物でした。1540年に晴賢は、尼子晴久が吉田郡山城を攻めたとき、毛利元就の援軍として大内義隆から総大将の権限を与えられて尼子軍を撃退しました。

ところが義隆は、ますます文化に傾倒しだし、文治派で周防の守護代だった相良武任を重用したことから、晴賢と不仲になっていきます。1545年晴賢は、武任を強制的に隠居に追いこんで、大内家の主導権を奪ったのに対し、1548年義隆は、武任を評定衆として復帰させました。そのため晴賢は1550年、武任の暗殺計画をたてたところ、事前に義隆に知られ、晴賢は大内家での立場を失ってしまいました。こうして、義隆と晴賢の対立は決定的なものとなり、1551年1月、身の危険を感じた武任が逃亡したのを機に、晴賢は挙兵して長門国(山口)を攻撃、義隆を大寧寺で自害させました。

1552年晴賢は、大友宗麟の弟を大内義長と名乗らせて新当主とし、自ら大内氏の実権をにぎりました。そして、大内氏内部を統制するために、徹底した軍備強化を行いました。ところが、この晴賢の政策に反発する領主らも少なくなく、1554年、強く反発した石見の吉見正頼の討伐に出兵したところ、そのすきを主君の仇打ちを口実に毛利元就が兵をあげ、安芸国(広島県)にある大内方の城の大半を陥落させました。

1555年、晴賢は自ら2万から3万もの大軍を率いて安芸国西南部に入り、厳島に攻め入ったところを毛利軍の奇襲によって敗北、毛利元就に味方する村上水軍によって退路を断たれ、自害しました(厳島の戦い)。この後毛利氏は、中国地方全域を支配する有力大名になっていきます。


「10月1日にあった主なできごと」

1847年 中江兆民誕生…「東洋のルソー」とよばれ、自由民権思想を広めた明治期の思想家の中江兆民が生まれました。

1949年 中華人民共和国成立…第2次世界大戦中、共産党の毛沢東は国民党の蒋介石と力を合わせて、日本との戦争に勝ちました。ところが蒋介石はアメリカと組んで共産党をしりぞけようとしたため、3年にわたる内戦がはじまりました。その結果、蒋介石は台湾に逃れ、この日毛沢東を主席とする新しい中国(中華人民共和国)が生まれました。中国の人たちはこの日を「国慶節」(建国記念日)と決めて、毎年にぎやかなお祭りを行ないます。

1964年 東海道新幹線開業…10日にはじまる「東京オリンピック」に間に合わせるために、この日開業。それまで東京─大阪間は特急で6時間50分かかっていた時間を3時間も短縮しました。

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