児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2013年08月

「おもしろ古典落語」の126回目は、『二十四孝(にじゅうしこう)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「八五郎か、そんなとこに立ってねぇで、こっちへあがんな」「へぇ、座りました。なにか食わせますか?」「なんにも食わせねぇが、叱言(こごと)を食わしてやる。この長屋にや、三六軒あって、子どものいる家もあるが、みんな静かに暮らしてる。それが、おまえの家じゃ三日もあげずにけんかをするな」「いえ、毎日です」「なんだって毎日するんだ」「わけを聞かれるとこまるんですが」「じゃ、きょうはどうした?」「友だちんとこから、いきのいい魚をもらいました。湯にいってくるから魚に気をつけろって、水がめの上においてでかけやした。ところが、帰ってみると魚が影も形もありません。かかぁに聞いたら『知らねぇ』ってんです。ばばぁに聞いたら『おや、知らないよ』ってんです。むこうの屋根をひょいと見ると、となりの泥棒ネコが大あぐらをかいて、もそもそ食ってやがる」「ネコがあぐらをかくか」「しゃくにさわったから、『やい、こんちくしょう、こっちへ出てきやがって、尋常に勝負しろ』って、いってやった」「すると、うちのかかぁが『おとなりには、ふだんからいろいろごやっかいになってるのに、そんなこというもんじゃないよ。たかが、ネコのしたことで』っていうんで、『てめぇなんか、だまってひっこんでろ』って、ポカリとなでました」「なでた? ははぁ、ぶったな」「するってぇと、おふくろが、『なんで、そんなことをするの』って、かかぁの肩を持ちやがるから、ばばぁもそっとなでた」

「おまえってやつは、親に手をあげるやつがいるか。むかしから、親不孝をするようなやつにろくなやつはいねえ。おまえのようなやつに、店(たな)を貸しとくわけにいかねぇから、店をあけろ。出ていけ」「出てけって、そんな」「ああ、入用の節は、いつなんどきでも、すみやかに明け渡すっていう店請証文が、こっちにゃ入ってるんだ」「へぇ…、しかしおどろいたな、おまえさんにそんなに怒られるとは思わなかった。あたしが悪けりゃ、あやまりますよ」「悪けりゃとはなんだ、しじゅう悪い」「そんなこといわねぇで、どうかひとつごかんべんを」「よし。『わたしは、まことに親不幸でございました。これから心を改めまして、親孝行にはげみますから、どうぞ長屋へおいてくださいまし』」「ええ、その通りでござい…」「おれのいったんで間にあわせなるな」「へぇ、あやまります。親を大事にしますんで、どうかこの長屋においてください」「おまえの年になって、親を大事にするのに気がつかねぇってのは、大ばかやろうだ。年よりというのは、老いさきの短いものだ。一日でもひと月でも、ていねいにして、たべたいものを食わせ、見たいものを見せて、たいせつに養いな。それが順ぐりになる。親によくしておけば、また、子にたいせつにされる。親孝行の順ぐりだ、わかったか」「へぇー、すっかりわかりました」

「ついでだからいっておくが、唐土(もろこし)の二十四孝を知ってるか?」「自慢じゃねぇが知りません」「そうか、じゃ、この中で、おまえによくわかるのを話してやろう。……王祥(おうしょう)という人があった」「ああ、寺の?」「和尚じゃねえ。王祥という 名前の人だ。この人はまま母につかえて大の孝行者だ。寒中のことだが、おっかさんが鯉(こい)が食べたいとおっしゃたが、貧乏ぐらしで鯉を買えない。そこで釣りざおを持って池へ釣りにいったのだが、厚い氷がはっているので釣ることができない。しかたがないから、氷の上へ腹ばいになっていると、そのあたたかみで氷がとけ、その間から1ぴきの鯉がとびだしたので、これをおっかさんに食べさせた…、どうだ、えらい孝行だろう」

「うふっ、笑わしちゃあいけねえ。そんなばかな話があるもんか」「どうして?」「だって、うまく鯉がとびだすだけの穴があいたなんて。からだのあたたかみで氷がとけたんなら、てめえのからだごとすっぽりと池んなかへおっこちるのがあたりめえだ。もしも泳ぎを知らなかったら、あえなくそこで土左衛門(水死人)だね」「ところが、そんなことはなかった。おまえのような親不孝者ならば、あるいは一命を落としたかもしれないが、王祥は大の親孝行だ。その親孝行が天の感ずるところとなったのだ」「へー、天が感じるんですかねぇ。てえしたもんだ」

「孟宗という人があって、寒中に母がたけのこの吸い物が食べたいとおっしゃった」「唐土のばばぁてぇのは、どうして食い意地がはってやがんのかな」「なにしろ寒中で雪がふってる時分にたけのこというんだから、こりゃあ無理な話だ。しかし、どうかさしあげたいものだと、鍬をかついで竹やぶへいって、あちこちとさがしてみたが、どうしてもみつからない」「そりゃぁそうでしょう」「孟宗は、これでは母に孝をつくすことができないてんで、天をあおいで、はらはらと落涙(らくるい)におよんだ」「なんです、ラクライってのは」「涙をこぼしたんだ。すると、足もとの雪がこんもり高くなった。鍬ではらいのけると、手ごろのたけのこが、地面からぬーっとでた」「へーえ、いい仕掛けになってますねえ」「いい仕掛けってやつがあるか。さ、そのでないはずのものがでるというのが、孝行の徳によって天の感ずるところだ」「ほかにも、ありますか?」

「呉猛(ごもう)という貧しい人に、おっかさんがいた」「唐土には貧乏人と、ばばぁしかいないんですかい?」「だまってお聞き。ある夏のこと、ひどく蚊がでるが、貧しいから蚊帳(かや)がない。なんとかして、おっかさんだけでもゆっくり眠らせたいと、近所の酒屋で少し酒をもらってきて、はだかになってこれを身体にふきつけ、うつぶせになって寝た」「そりゃ、蚊に食われたろうね」「ところが、1びきも出ない」「おかしいな、蚊は酒が好きだっていいますぜ。あっ、そうか、呉猛の孝行を、天が感じたんですね」「そうだとも、だから、おまえも孝行しろよ」

八五郎、さっそくまねしようと家に帰りましたが、母親は鯉はきらいだし、たけのこは歯がなくてかめないという。そこへ、知り合いの辰五郎が通ります。「おい辰、おめぇんとこじゃ、えらく仕事がいそがしいっていうじゃねぇか」「うん、ばかにせわしなくてな。身体の調子が悪くても、休むこともできねぇ。早めに仕事を引き上げて、親父に、熱燗で三合ばかし飲ましてくれってたのんだら、まだ明るいうちだからって飲ましてくんねぇ、しゃくにさわったから、かってにしろって家を飛びだしてきた」

「このやろう、親不幸なやつだ」「なにいってやがる。てめぇこそ、評判の親不幸じゃねぇか」「きょうから、孝行者になったんだ。きさまは、もろこしの、二十四孝なんて知るめぇ」「てめぇは知ってんのか?」「知ってるとも、よく聞けよ。孝行のしたいじぶんに、…親はしわくちゃだってんだ」「孝行のしたいじぶんに親はなし、ってんだろ」「いいんだ、ちょっとばかし違ってたって。モロコシにホーボーって人がいた」「おかしな名前だな」「これが、まま母につかえている大孝行、寒中に母が鯉を食いたいという。なんとかかなえてあげたいと、竹やぶに入って探したが、鯉が出てこない」「竹やぶに鯉なんていないよ」「だまって聞け。やぶをにらんで、天をあおいで、カンラカラカラとうち笑い、それから泣いていると、こんもり雪がもりあがって、クワではらってみると、鯉がはねあがった。これを持って帰って、母に食べさせた。どうだ、すばらしい親孝行だろう」「でも、竹やぶから、なんで鯉がでるんだ?」「そこが、きさまたちにゃわからねぇとこよ。ホーボーの孝行の徳を、天が感じたんだ」「そうか。まぁ、いわれてみりゃ、おれも家を飛びだしたのは悪かった。思い直して親孝行をするか、ありがとうよ、さいなら」

「あっはっは、どうだ、意見をして帰ぇしてやったぞ。どうだ、ばぁさん、鯉はきれぇで、たけのこがだめじゃ、しかたねぇな…、ああそうだ、かかぁ、すまねぇが酒を五合ばか、買ってきてきてくれ。親孝行にとりかかるんだ。ばぁさん、もう寝なよ」「まだ、あたしゃ寝ないよ」「寝ろったら、寝るんだ。親孝行をするんだからな。これから酒をからだに吹っかけて、ばぁさんが蚊に食われねぇようにしようってんだ」

ところが、酒を見た八五郎、身体にぬるはもったいないと、グビリグビリやってしまい、グウグウ高いびき。「おいおい、八五郎や。これ、起きなさい」「あっ、ありゃ、ばぁさん、なんだい?」「「なんだいじゃないよ。お日さまが、こんなに高くあがってるよ」「あー、いい気持ちだ。しかし、親孝行ってのはてぇしたもんだな。おれが酒飲んで、すっぱだかで寝てたのに、蚊が一匹も食ってねぇ。うーん、天が感じてくれたなぁ」

「なにをいってやがる、あたしが夜っぴて、あおいであげてたんだ」


「8月2日にあった主なできごと」

1922年 ベル死去…聾唖(ろうあ)者の発音矯正などの仕事を通じて音声研究を深めているうちに、磁石式の電話機を発明したベルが亡くなりました。

1970年 歩行者天国…東京銀座・新宿・渋谷などで、歩行者天国が実施され、ふだんの日曜日の2.4倍もの人びとがくりだしました。この日の一酸化炭素濃度が、ふだんの日の5分の1になったことから、車の排気ガス汚染を食い止め、汚染のない環境をとりもどそうと、全国各地に広まるきっかけになりました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 94]

むかし、あるところに源五郎という男がいました。ある日、源五郎が川べりをぶらりと歩いていると、小さな太鼓(たいこ)が落ちていました。源五郎はそれをひろって、ポンポンたたいてみると、とてもいい音がします。そこで、「銭出ろ、ポンポン」「うまいもん出ろ、ポンポン」「酒が飲みたいポンポン」と、かってなことをいいながら、太鼓をたたいていました。

そのうち、「鼻高くなれ、ポンポン」というと、鼻が高くなったではありませんか。そこで、もう一度「鼻高くなれ、ポンポン」というと、こんどは天狗の鼻のように長くなりました。「こりゃ驚いた、たいへんなものを拾ったぞ。でも、これじゃ、天狗にまちがわれる。…そうだ、鼻低くなれ、ポンポン」とやってみましたが、低くなりません。あわてて、こんどは反対側をたたきながら、「鼻低くなれ、ポンポン」とやってみると、不思議ふしぎ、鼻は、もとのようになりました。

「ようし、こりゃおもしろいことになるぞ」源五郎は太鼓をかかえて旅に出ることにしました。知らない村を歩いていると、お宮があったので休んでいると、美しい娘がお参りにきました。長者のひとり娘で、源五郎は娘のそばに近よると、わからないように「娘の鼻、高くなれ、ポンポン」 と太鼓をたきました。

娘の鼻がみるみる伸びたものだから、長者さんの家では大さわぎ。長者はなんとか娘の鼻を治してやろうと、遠くの町から医者を呼んできたり、えらいお坊さんに拝んでもらったりと手をつくしましたがどうにもなりません。そこで長者は「娘の鼻を治してくれた者には望みの金を出す」と、家の前に張り紙を出しました。

しめたと思った源五郎、 「鼻の病気なら、わたしがなんとか出来るかもしれません」 と、名のり出ました。娘の部屋にあがりこむと「これはむずかしい病気だから、とても一日では治りません」といって、家の者をみんな部屋から出して 「娘の鼻、低くなれ」 といいながら、太鼓をポンとたたくと娘の鼻が少し低くなりました。それから源五郎は、毎日1回ずつ太鼓をたたいて、7日もかけて鼻をもと通りにしてあげました。長者は大喜びで、千両箱を源五郎にくれました。

大金持ちになった源五郎は、りっぱな屋敷を建ててなに不自由なく暮らしていましたが、そのうち退屈してきました。そんなある日、原っぱに寝ころびながら、「太鼓をたたきつづけたら、この鼻はどこまでのびるだろか」と思って、太鼓をポンポコポンポコたたきました。源五郎の鼻はどんどん伸びて、たちまち木の高さ、やがて山より高くなり、雲をつきぬけて、とうとう天の川までとどいてしまいました。

ちょうどそのころ、大工さんが天の川に橋をかけようとしていました。そこへ下から、おかしなものが出てきたので、柱にする木をさがしていた大工さんは、これはちょうどいいと橋にしばりつけました。鼻の先が痛くなってきたので、源五郎は「鼻低くなれ」 といいながら、あわてて太鼓をポンポコポンポコたたきました。でも、鼻は天の川の橋にしばりつけられているので、鼻がみじかくなると、源五郎の身体は宙にういて、どんどん空の上へと引き上げられていきました。

そこへ虎のふんどしをしめた雷さまがやってきて源五郎をみつけました。 「ほう、こんなところに人間とはめずらしいな」 「へい、かくかくしかじかで、大変なありさまで」「そうか、それならわしのところで働け。雨の季節になるといそがしくてな」こうして雷さまの弟子になった源五郎は、雷さまの打ち鳴らす太鼓にあわせ、雲の上をはしりまわって、柄杓(ひしゃく)で水をまきます。ちょいとまいただけでも下界では大雨になるから、おもしろくておかしくて、つい夢中になってかけずりまわっているうちに、足をすべらせて雲から落ちてしまいました。

まっさかさまに落ちたのは、琵琶湖のどまんなか。わらをもつかむ思いでもがいているうちに、源五郎はフナという魚になってしまいました。今でも、琵琶湖にいる大きなフナのことをゲンゴロウブナっていうんだって。            


「8月1日にあった主なできごと」

1590年 家康江戸城へ…豊臣秀吉から関東4国をもらった徳川家康が、太田道灌の建てた江戸城へ入城。粗末だった城を、じょじょに様式のある城に整えていきました。

1931年 初のトーキー映画…これまでの日本映画はサイレント映画で、スクリーンの横に弁士がついてストーリーを語るものでしたが、初のトーキー映画『マダムと女房』(五所平之助監督) が封切られました。

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