児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2013年08月

今日8月30日は、『紀ノ川』『華岡青洲の妻』『複合汚染』『恍惚の人』など、歴史や古典芸能、社会問題まで広いテーマの話題作を多く著した作家の有吉佐和子(ありよし さわこ)が、1984年に亡くなった日です。

1931年、和歌山市に生まれた有吉佐和子は、父の転勤のために小学時代は旧オランダ領東インドで過ごし、1941年に帰国後、東京市立第四高女から疎開先の和歌山高女、光塩高女、府立第五高女を経て、1952年に東京女子大学英語学科を卒業、演劇評論家を志して、雑誌『演劇界』の嘱託となりました。

そのかたわら、同人誌『白痴群』や『新思潮』に小説を発表し、1956年に『地唄』が芥川賞候補となって、いちやく文壇デビューを果たしました。1959年に自らの家系をモデルとした長編『紀ノ川』がベストセラーとなって作家としての地位を確立すると、売れっ子作家として、新聞や週刊誌などに作品を発表し続け、多くがジャーナリズムの話題となり、舞台、映画、テレビドラマ化されています。

有吉の作品は大きく分けると、『地唄』『キリクビ』のような芸道小説、『紀ノ川』『日高川』『香華』『助左得門四代記』など旧家をめぐる大河小説、『恍惚の人』『非色』『三婆』など現代社会のゆがみをテーマにした問題作に大別できるようです。舞台化作品には、その演出を自ら手がけるほどでした。

とくに、1974年に朝日新聞で連載開始された『複合汚染』は、連載中から一大センセーショナルをまきおこし、翌年に上下巻が刊行されると大ベストセラーとなったばかりか、現在でも、環境問題を考える上で、話題を提供しています。今日の工業生産中心の科学技術が、自然、農業、生活、健康、精神を汚染し、滅亡の淵まで追いやっている現実を、文学者の眼でわかりやすく具体的に、その危機を叫びつづけたものでした。この本の「あとがき」を読むと、この本を書きはじめる10年も前から、DDT汚染を告発したアメリカ生物学者で作家のレイチェル・カーソンの『沈黙の春』など300冊以上も読み、連載開始してからも何十人もの専門家に取材して書き上げたこと、事態は深刻で、知りえた知識の1割程度しか書ききれなかったと記しています。この本がきっかけとなって、市民団体の告発も活発化し、行政でも環境問題に真剣に取り組むようになって、私自身も、電車で通るだけでも悪臭がただよっていた隅田川や荒川などが、急速にきれいになったことを実感しています。

1972年に刊行された『恍惚の人』も大きな話題になりました。痴呆症(認知症)や高齢者の介護問題をいち早く扱った作品で、翌年森繁久彌の主演で映画化されたほか、1990年には日本テレビ、1999年にはテレビ東京、2006年には三国連太郎主演のテレビドラマが放送されています。


「8月30日にあった主なできごと」

1871年 国木田独歩誕生…『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』 『源叔父』 などの著作をはじめ、詩人、ジャーナリスト、編集者として明治期に活躍した国木田独歩が生まれました。

1945年 マッカーサー来日…第2次世界大戦に敗れた日本は、9月から1952年4月まで6年9か月間占領され、連合国軍司令部(GHQ)による間接統治が行なわれました。その最高司令官に任命されたアメリカのマッカーサー元帥が、神奈川県の厚木飛行場におりたちました。

「おもしろ古典落語」129回目は、『おしの釣(つ)り』というお笑いの一席をお楽しみください。

「おいおい、与太郎、そんなとこへ突っ立ったまんま笑っているやつがあるか」

「えへへ、どうも、七兵衛さん、驚いた」

「妙なあいさつだな」

「なんだってね、七兵衛さんは、釣の名人だって、ほんとか?」

「まあ、名人といわれるほどでもないが、釣は好きだな」

「釣の好きな人は出世するって、大家さんがいってた。弁天さまは、釣竿(つりざお)と鯛を持ってるって」

「あきれたね、それは恵比寿(えびす)さまだ」

「ああそうか、どっちでもいいや。支那のなんとかって人は、3年もの間、魚を釣ってたって?」

「ああ、太公望というお方だな」

「ふうん、それはなにか、支那の魚屋の親方か」

「困ったやつだな。太公望という方はな、竿(さお)をおろしながら学問をしてたんだな。魚を釣ったんじゃぁない、天下をお釣りになった」

「ふうん。よく持ち上がったな。けど、七兵衛さん、おまえさんみたいな釣の名人でも、釣れないときだってあるだろ?」

「まあ、たくさん釣れぬ日はあっても、まるっきり釣れないというのはないな」

「へぇっ、名人でも釣れない日があるってのに、七兵衛さんだけが釣れるってのは、どうしてだ」

「あたしはな、実はあまり人の行かないところで釣るんだ」

「人の行かないとこに、魚がいるのか?」

 「いるな。殺生(せっしょう)禁断の場所というのを知っているか?」

「知らない」

「知らねぇだろうな。上野にある寛永寺の池は知ってるな。あそこへ鯉(こい)を釣りに行くんだ」

「あそこは、魚をとると、捕まるって聞いたぞ」

「そこでだ。夜中に行くから誰にもわからない」

「へぇ、そりゃすごいや。七兵衛さん、あたいも連れてっとくれよ」

「だめだ。おまえのようなのを連れてった日にゃ、とんでもないことになる」

「なら、いいよ。そのかわり、あたい、しゃべっちまうよ。七兵衛さんは、殺生禁断の場所、上野・寛永寺のお池で、夜中に鯉を釣ってるって。これから、お湯屋と髪結床へいってこようっと……」

「おいおい待て、与太郎。そんなことされたら、一日で町内じゅうに広まっちまうわ。まあ、うっかり口をすべらせたおれがが悪かった。それじゃこうしよう。今晩、今晩だけ連れてってやろう。日が暮れたら、呼びにおいで」

「あいよ、わかった、さよなら」

「七兵衛さん、七兵衛さん、そろそろ出かけましょ。日が暮れましたよ、七兵衛さん。殺生禁断の場所。ところは上野の寛永寺。お池の中にゃ鯉がいる。七兵衛さ~ん」

「ばか。こっちへ入れ。しょうがねぇな、大声でどなってやがる。世間じゅうへ聞こえちまうじゃないか。向かいのおしゃべりばばぁに聞こえたらどうする」

「ははぁ、そうか。そいつは気がつかなかったな。それじぁこれから、向かいへあたい、行ってくる」

「なにしに」

「今あたい、七兵衛さんそろそろ出かけましょう、殺生禁断の場所、ところは上野の寛永寺、お池の中にゃ鯉がいる。これだけいいましたが、どれが聞こえましたかって」

「念の入ったばかだな、おまえは。さぁ、この道具貸してやるから大事に使うんだぞ」

「あたいね、もう、釣らないうちから、どきどきしてきちゃって。えへへ、この魚籠(びく)いっぱいなるのか?」

「なるな」

「へぇ、こんなにか。ねぇ七兵衛さん」

「なんだ」

「殺生禁断といやぁ、やっちゃいけないってことだよね」

「そうだ」

「釣をしてはいけないなら、見張りがいるね」

「いるよ。山同心っていうお役人が二人いて、六尺棒持って回ってるんだ。見つかった日にゃ、いきなり六尺棒でぽかりだ」

「ぽかりと、くるの?」

「3つばかりくる」

「どこをぶつかな」

「そうだなぁ、やっぱり頭かな」

「どっち側?」

「そんなことは分からねぇ」

「できたらね、あたいは、こっち側に願いたい。こっち側には、おできができてる」

「そんなことは向こうが知るわけないだろ。『こらっ!』といいながら、『ここは殺生禁断の場所、知って釣ったか、知らずに釣ったか』とくるな。たいていのやつは、『はい、知らずに釣っておりました』と謝っちまう。が、こいつはちょっとまずい逃げ口だ。いっそのこと、むこうが思いもつかねえことをいうんだ」

「思いもつかないことって?」

「『おおせではございますが、殺生禁断てぇことは、よく存じております』と、こういうんだ。向こうは怒る。『知らずに釣ったとあらば、許しようもあろうもの、存じながらとは不届き千万』と、ここでまたぽかりだ」

「ははぁ、おかわりだ」

「おかわりってやつがあるか。これだけたたかれりゃ、ひとりでに涙が出てくる。涙を先方に見せながらな、わたくしには一人の父、ここは母でもかまわねぇよ、とにかくそいつがおりまして、長らく寝ております。鯉が食べたいと申しますが、なにしろこの貧乏暮らし、とても買い求めることができません。悪いこととはぞんじながら、殺生禁断の池へ参りました。この鯉を、親に食べさせて喜ぶ顔を見ますれば、名乗って出る所存でございます、と、お役人の顔をじっと見ながらいうんだ。むこうさまにも情けってものがあるだろう、まして孝行の二字は重い」

「ああ、あんなに重いもんはねぇ」

「よく知ってるな」

「うん、こないだ、頼まれて持ち上げた。重えの重くないの」

「なんの話だ」

「こうこの石、たくわん石」

「まるで分かってねぇな……いいか、おまえはここで釣りな、あたしはあっちで釣ってるから」

「はなれ離れは心細いや。ここでいっしょに釣ろうよ」

「だからおまえは、ばかだってんだ。二人して釣ってるところを見つかってみろ、親孝行が二人して釣ってるのは、どう考えたっておかしいじゃねぇか。もしもね、あたしの方へ来て、ぽかぽかってやられたら、わぁとか、きゃぁとか大声を出すから、おまえは逃げちまいな」

「うはは、ありがてぇ」

「ありがたがってるんじゃねぇ。もしも、おまえの方に来たら……」

「いえ、よござんす」

「よござんすじゃぁ困るんだよ」

「それじゃぁ、あっちで釣ってら」

「そうか、じゃ、しっかりお釣りよ。おまえの方に来たら、おまえがぎゃァとか、わぁとかいうんだぞ」

離れたところで釣りはじめた二人。最初のうちはそれほどではありませんが、だんだん、だんだん魚が寄ってきますと、今度はえさをつけるのも間に合わないくらい。与太郎は、きゃぁきゃぁいいながら釣っておりますと……

「ご同役、近頃はよいあんばいに、この池で釣りをいたす者がおりませんな」

「さよう。ありがたいことで、いくらお役目とはいえ、ひっ捕らえるってのは、どうも心持ちよろしくないもの、できれば……おやおや、ご同役、ご覧くだされ。そう申しておるそばから、あそこで釣りをしておる者がいる。夢中になって釣っておる、不届きなやつだ。まったくうかうかできませんな……。こらっ、かようなところで、釣をいたしてはならん(ぽかり)」

「あいてて、いてぇ、おいでなすったな」

「なにがおいでなすっただ、こらっ(ぽかり)」

「いてぇ、痛えよ。ああ、あ、とうとうおできがつぶれちゃった」

「なにを申すか。ここをどこと心得る。殺生禁断の場所。知ってて釣ったか、知らずに釣ったか」

「えへへ、そこが肝心だ」

「何を申すっ、こらっ(ぽかぽかぽか)」

「いたい、おう痛ぁ、おまけをくらっちゃった。へぇ、その、なんでございます。殺生禁断、知ってて釣った」

「なにいっ、こやつ、知らずに釣ったとあらば、了見のしようもあるが、知ってて釣るとは、なんたる不届き、思い知れっ(ぽかぽか)」

「わぁっ、いたい、いたい、痛いよ、それじゃ約束が違わい、痛いってば、おう痛ぇ、あ、こんなに涙が出てきやがった。ははあ、これだな、あの、あのう、おおせではございますが、あたくしには、一人の、父、父と母があらぁ」

「それがあるから、その方が生まれたんだ(ぽかり)」

「あ、いたい、父や母の……」

「父や母がどうした」

「父や母が、寝ています」

「なに、両親が寝ておる?」

「へい、へい、両親、両親、その両親が病気で寝てら、鯉が食べたいっていうんだけど、銭がないから鯉が買えない。悪いと知ってながら、この鯉を親に食べさせ、喜ぶ顔を見てから、わたしは名乗って出るつもりでございますと、ここでお役人の顔をじっと見る。お役人だって人間だ、まして孝行の二字は重ぇや、えへへ、いかがなもんでござんしょう」

「お聞きになりましたか、実にどうも、たいへんなばかですな。しかし、おろか者ではありますが、親孝行とは感心なもの、いかがしましょう、見逃してやりましょうか?……おい、その方、名はなんと申す」

「はあ?」

「その方の名前だ」

「えへへ、あります」

「そりゃあるだろう、なんと申す」

「あたいの名は、与太郎さん」

「おのれにさんをつけるやつがあるか。親孝行にめんじて、特に今夜は許してつかわす。魚は釣ったか」

「へえ、そりゃもう、何しろ、この魚籠いっぱいで、これ以上入らねえってくらい。風呂敷かしてください」

「ばかを申すな。そのまま持ち帰ってよい。親を大切にしろよ」

「へえ、まあ、ようがしょ」

「よかあない、忘れものはないな」

「へい、またきます」

「きてはならん」

「……ああ、おどろいたね、どうも。ずいぶん釣っちゃったな、こんなに釣ったのなんてはじめてだ。その代わり頭もこぶだらけ。親孝行はきくね、忘れもののないようにっていってたな……忘れもの、忘れもの、忘れ……そうだ、たいへんだ、七兵衛さんに知らせるの忘れちゃったぞ。きゃぁとか、ぎゃぁとかいわなくちゃいけないんだ。もいっぺん行って、聞いてみよう……えへへ、こんばんは」

「また来たな、早く帰れ」

「えへへ、忘れものなんで」

「忘れもの、あれほど申したのに、しょうがないやつだ。忘れたものはなんだ」

「えへへ、その、きゃぁてのをひとつ」

「きゃぁだと? なんだそれは? いいからとっとと帰れ」

「へい、弱ったね、こりゃぐずぐずしてると、またぽかりだな、弱ったなぁ……まあいいや、おいらもぶたれたんだから、七兵衛さんもぶたれりゃいいや」と、与太郎はそのまま帰ってしまいました。

「あれは見逃してやっていいことをしましたなぁ」

「ああ、親孝行てぇのは心持ちのいいもんで……おや、ご同役、また一人、釣りをしておりますな、ほれ、あそこに」今度は二度目ですから、はさみうち。

「これっ、また釣っておるかっ」と、六尺棒を打ちおろしました。また釣っておるか、「また」という言葉が耳に入ったから七兵衛さん、ばかがしくじったなと思うと、とたんに舌がもつれて、声が出ません。

「あ、あっ、あぅ、あぅ、う、う、う」

「ご同役、あまりおぶちなさるな、こやつ、おしと見えて、口をききません。……その方はおしか?」これを聞いて七兵衛、この際、ひとつおしで押し通そうと、「……あぅうぅあぅ」

「おしですな。ここはな、殺生禁断の場所、と、いったところで、わかからぬか。ううん、困ったな。これこれ、かようなところで(その辺りをさし)、このようなこと(釣のしぐさ)をいたすと、このような目(後ろ手にしばられる形)にあうぞ。その方は (七兵衛を指し)、存じて(自分の胸を指し)、釣ったか(釣しぐさ)? 知らずに(手を左右に振って)、釣ったか(釣しぐさ)?」

「ふあぁ、ふえぇ、うはっ(あたりを指し、釣のしぐさ)」

「うん、なに? ここで釣ることを?」

「うははぁ(指で丸をこしらえ両眼に当てぱっと開いたあと、後ろ手にしばられる形になり、自分の胸を指しなんどもうなずく)」

「なに、見つかるとしばられることを知って釣ったのか?」

「ふえぇ(うなずく)」

「どうやら、身どものしゃべることは聞こえるらしい」

「ふえぇ(しきりにうなずきながら、自分の耳を指す)」

「耳は聞こえる? 厄介なおしだな。……なぜ、かようなところで釣をいたした」

「うふぇ、うあぁ」といいながら、七兵衛は、けんめいなジェスチャー。(右手の親指を出し『父が』、鉢巻をまく形、右手で腕まくら『病気で寝ている』、左腕の脈を右手で診て首を横に振る『余命いくばくもない』、ひじを脇にくっつけて両手を肩のところでばたばたと動かしてから(魚の形)、しきりに食べるしぐさ『魚が食べたい』。指で丸を作り、これを前に出す。右手を左右にふる『金がない』。また魚の形、釣りのしぐさ、両手にものを乗せ、さし出し食べるしぐさ。にこっと笑い、また食って笑ってみせる『釣った魚を食べさせて、喜ぶ顔を見れば』という意。うなずき、手を後ろに回し、頭を深々と下げる)

「ご覧になりましたか。まず親指を出し、はち巻をしめて、寝て、脈を取りましたな。これめの親が寝ておりますな。魚の泳ぐ真似をして、食べる真似をして、ははァ、鯉が食べたいが金がない。釣った魚を食べさせて、喜ぶ顔を見てから、名乗り出る所存と、こういうわけか?」

「うふぇ(なんどもうなずく)」

「うむ、また親孝行か。さっきのがばかの親孝行で、今度がおしの親孝行。みょうに今夜は、親孝行のはやる晩ですな。しかし、ばかを許して、おしを召しとらえるわけにもいきますまい。これも許しましょう。これ、その方、名はなんと申す……といってもいえぬか」

「ふえぇ(指を1本ずつ開き、七で止め、右手であかんべえをする)」

「指が7つで七、それに、あかんべえ、おぅ、その方、七兵衛と申すのか」

「ふえぇ(うなずく)」

「ううん、なるほど、手まねでもって自分の名を申した。許してやるぞ」

「(思わず)ありがとうございます」

「はぁあ(感心して)、器用なおしだ。口をきいた」


「8月28日にあった主なできごと」

1708年 シドッチ屋久島へ上陸…イタリア人宣教師シドッチが屋久島に上陸。鎖国中だったため捕えられて江戸に送られ、新井白石の訊問を受け幽閉されましたが、このときのやりとりは後に『西洋紀聞』にまとめられました。

1862年 メーテルリンク誕生…『青い鳥』など劇作家、エッセイスト、詩人として活躍し、ノーベル文学賞を受賞したメーテルリンクが生まれました。

1929年 ツェッペリング号世界一周…全長236mものドイツの飛行船ツェッペリング号は、約12日間かけて世界一周に成功しました。しかし飛行船は、実用的には飛行機にかなわず、現在では、遅い速度や人目につきやすい特長をいかして、広告宣伝用として使われています。

今日8月28日は、織田信長と同盟を結び、近江一帯をおさめる戦国大名となった浅井長政(あさい ながまさ)が、信長と不和になって敗れ、1573年に自刃した日です。

浅井(あざいともいう)家の祖先は、鎌倉時代より北近江(滋賀県北部)に土着して、守護・京極氏の家臣として仕えてきました。祖父亮政(すけまさ)の代に、京極氏に代わってこの地域をおさめていましたが、1545年に長政が父久政の子として生まれたころは、南近江の守護だった六角氏との合戦に敗れ、祖父の代に手に入れた領地を失っていました。

六角氏に圧迫され、長政は母とともに六角氏の人質になり、六角家の当主だった六角義賢(よしかた)の一字を取り浅井賢政と変えられたばかりか、結婚相手も六角家の家臣の娘が選ばれました。 賢政(長政)は、そのように六角家に牛耳られている状況を快く思わず、1559年に嫁を離縁すると、六角家からの独立を訴えて挙兵、翌1560年に六角家2万の大軍を、越前国朝倉氏の援軍を受けた1万の軍勢で討ち破りました。そして、父を隠退させて家督を継ぎ、名を長政にもどして小谷(おだに)城主となりました。

そんな長政に注目したのが織田信長です。信長は当時、美濃の斉藤龍興(斉藤道三の孫)との戦いに明け暮れており、長政と同盟すれば、龍興を南と西からはさみうちすることが可能になります。さらに京への進路も手に入れることができると考えた信長は、当世一の美女といわれた妹の「お市」を長政に嫁がせ、同盟を結びました。思惑通り、信長は龍興を滅ぼして美濃国を手に入れ、足利義昭を保護・護衛して、将軍職に復帰させるという大義名分を持って京都への進軍を開始しました。1568年、その途上にある六角義賢の観音寺城を長政と共同で奪いとり、さらに西の朽木(くつき)氏もほろぼして、長政は信長のおかげで、いっきに近江国一帯をおさめる戦国大名にのしあがりました。長政とお市もなかむつまじく、浅井家と織田家の関係は良好なものでした。

ところが、信長が京都を制圧し、足利義昭が正式に将軍職についたことで問題が生じました。将軍義昭と信長の発した「京都に参内せよ」という命令書を、朝倉家が無視し続けたことが原因でした。たびかさなる要請を無視された信長は怒り、朝倉家討伐の兵を挙げました。ところがこれは、「朝倉家とは敵対しない」とした浅井・織田同盟の条約違反でした。織田家と朝倉家の板ばさみとなった長政は、 古くからの家臣や父久政の「六角家との戦いで受けた朝倉家の恩を忘れてはならない」という主張に、朝倉義景につくことを決意したのです。こうして、長政が織田軍の背後を襲ったことで形成が一転し、はさみうちされる危険に陥った信長は撤退を決意し、徳川家康と木下藤吉郎(のちの秀吉)がしんがりつとめ、苦しい退却をしました。大激怒した信長は、すぐさま態勢をととのえると、浅井・朝倉連合軍を打ち破りました。この戦いは「姉川の合戦」(1570年) といわれ、信長の生涯の中でも一大ポイントとなったものでした。

その後、長政は小谷城に撤退。この城は難攻不落として知られていたため、信長は無理に攻撃せず軍勢を帰還させました。ばんかいをねらった浅井・朝倉軍は京都方面に進み、織田家の守備軍を討ちやぶってその一帯を制圧しました。ところが織田軍の本隊が迫ると、比叡山延暦寺の援助を受けて山に陣を構え、織田軍に対抗しました。このとき、正親町(おおぎまち)天皇の停戦命令により、長政は兵を引きあげました。しかし、信長は怒りがおさまらず、翌1571年に比叡山延暦寺を焼き討ちにしました。そして1573年8月、信長はふたたび浅井・朝倉家への侵攻を開始します。越前の朝倉義景を一乗谷を襲って滅亡させると、小谷城に篭城している長政を攻めました。さすがの堅城も、織田の大軍の猛攻により落城し、長政は妻のお市と3人の娘を城外に脱出させ、最後の篭城戦で、父久政とともに自刃したのでした。

お市はのちに、柴田勝家と結婚。3人の娘たちはそれぞれ、激動する世を歩んでいきました。長女「茶々」は 豊臣秀吉の夫人となって、豊臣家の跡つぎとなる秀頼を生んで「淀君」として権勢をふるい、次女 「初」は 京極家を復興させた京極高次に嫁ぎ、三女「江(ごう)」は徳川家の2代将軍秀忠の妻となって、3代将軍家光を生みました。浅井家はほろびましたが、長政の血筋が、その後の歴史の中に続いていったことはよく知られています。


「8月28日にあった主なできごと」

1583年 大坂城完成…豊臣秀吉が「大坂(大阪)城」を築きました。1598年の秀吉死後は、遺児・豊臣秀頼が城に留まりましたが、1615年の大坂夏の陣で落城、豊臣氏は滅亡しました。

1749年 ゲーテ誕生…『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』など数多くの名作を生みだし、シラーと共にドイツ古典主義文学の全盛期を築いた文豪ゲーテが生れました。

1953年 民放テレビ開始…日本初の民放テレビとして「日本テレビ」が放送を開始しました。当時は受像機の台数が少なく、人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には、街頭テレビに観衆が殺到し、黒山のような人だかりになりました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 97]

むかしむかし、ある町に、どこか暗い感じの大きな古い家がありました。その家には、人はだれも住んでいませんが、お化けがいたため、ずっと空き家になっているのでした。こまった家主は、「お化けを退治してくれた人には、お礼に、お金をたくさんはずみます」と、家のまえにはり紙を出しました。何人かの力自慢が、「おれが退治してやる」と名乗りでて、家にとまりこんだものの、逆にお化けにやっつけられてしまったため、もう、挑戦しようという人はあらわれません。

さてこの町に、トミーという医者をめざして勉強にはげむ、まずしい若者がすんでいました。家主はトミーが、かしこいといううわさを聞いて、相談を持ちかけました。「トミーさん、あなたの知恵で、どうかあのお化けをやっつけてくれませんでしょうか」とたのんだところ、「やってみましょう」と、トミーは、あっさりひきうけたのです。あんまり簡単にひきうけたので、家主はちょっと不安になりました。「だいじょうぶですか?」「心配ご無用。お酒とコップとあきビンを用意してください」といいました。

その日の晩、トミーは空き家の部屋の中に入り、お酒をチビチビ飲みながら、お化けの出てくるのを待ちました。家の中はまっ暗で、月あかりがほんの少しあるだけです。やがて、夜中になり、カーン、カーン……と、時計が、十二時を打つと、どこからか、ヒューッと不気味な音がして、ひとつ目で、鼻のない、大きな口をしたお化けがあらわれました。「やあ、こんばんは。ようこそ、いらっしゃいました」と、トミーはいいます。するとお化けは、「ふぅーん、みょうなやつだな。これまできた連中は、おれを見ると、あわてて逃げていってしまったのに、おまえは、にこにこ笑ってる」「みょうなのは、きみじゃないか。この家は、戸もまども、ぜんぶカギがかけてあるんだぜ。それなの、どうやって入ってきたんだい?」「うっふっふ、おれはカギ穴から、入ってきたんだよ」「カギ穴だって? あんなちっぽけなところから入ってこられるのかね」「うそなどいうものか」「信じられないね。それじゃ、この小さいビンの中にも入れるかい?」トミーは、テーブルの上のあきビンをさしていいました。「いいか、見ていろよ」お化けは、しゅっと、小さくなると、ビンの中にするするっと入ってしまいました。

その時です。トミーはあきビンのふたを閉めてしまいました。「お願いです、ここから出してください」「だめだね」「もし自由にしてくれるなら、一生困らないほどのものをさし上げます」といいます。そこでトミーは、お化けが正直もののようなのに安心して、この家を出ていくことを約束させ、ビンのふたを開けてあげました。たちまちお化けは大きくなり、「あなたには、負けました。お約束の品はこれです」といって、小さな布をトミーに渡しました。「一方の端で傷をさすると、傷はたちまち治ります。もう一方の端で金属をさすると、それは銀に変わります」といいました。トミーがそれを試し、その通りなのを確かめると、おたがいにお礼をいって別れました。

それからのち、あの家にはもうお化けはでなくなり、トミーは家主からもらったお金で勉強にはげみました。また、お化けにもらったあの布でどんな傷も治せたために、世界じゅうでいちばん名高いお医者さんになったそうです。


「8月27日にあった主なできごと」

紀元前551年 孔子誕生…古代中国の思想家で、「仁」を重んじる政治を唱え、たくさんの弟子を育てた孔子が生まれました。

663年 白村江の戦い…当時朝鮮半島では、新羅(しらぎ)が唐(中国)の力を借りて、百済(くだら)と高句麗(こうくり)を滅ぼして半島を統一しようとしていました。百済から援軍を求められた斉明天皇は、日本水軍を援軍に送りましたが7月に病没、かわって中大兄皇子が全軍の指揮にあたりましたが、この日、白村江(はくすきのえ)で、新羅・唐軍を迎え撃って奮闘するものの、翌日に敗れてしまいました。

1714年 貝原益軒死去…江戸時代の初期、独学で儒学、国文学、医学、博物学を学び、わが国はじめての博物誌 「大和本草」 などを著わした貝原益軒が亡くなりました。

たまには、子どもたちに身近な科学のおもしろさを、お話ししてあげましょう。「おもしろ科学質問箱 26」

雷は、光った瞬間にドカン、バリバリという激しい音をたてて落ちます。それを離れたところで聞くと、ゴロゴロという音が、あとから聞こえてきます。

光は、1秒間に30万km、地球を7まわり半もまわるほど速く進みます。ですから、10kmも離れたところで雷が落ちたとしても、落ちた瞬間に光は見えます。ところが、音は1秒間におよそ340mしか進みません。10kmは10000mですから、10000m÷340m=34 という計算で、34秒後に聞こえます。

そのため、雷が光った瞬間から数をかぞえ、たとえば10秒後にゴロゴロという音が聞こえたら、340m×10秒=3400m、3.4km 離れたところに雷が落ちたことがわかります。それが、3秒後に聞こえたら、「1kmくらいのところに落ちた。近いぞ、気をつけろ」ということがわかるわけです。稲光がしてから音が聞こえるまでの秒数×340=距離(m) と覚えておきましょう。

打ち上げ花火を見ていると、花火があがったすこし後から、音が聞こえてくるのも同じ理由です。

でも、これは空気中だからで、水の中では、音は1秒間に1500m、空気中の4.4倍もの速さで伝わります。お風呂の中で立って2つの石たたいてきこえるのと、もぐって同じ石をたたいてみると、水の中での速さがわかります。だから、水中と、水上で音楽に合わせて演技をするシンクロナイズスイミングでは、水中では演技を少し遅らせなくてはならないそうです。


「8月26日にあった主なできごと」

1743年 ラボアジエ誕生…従来の化学理論を次々と正し、実験で証明して「近代化学の父」と称されるフランスのラボアジエが生まれました。

1789年 フランス人権宣言の採択…フランス革命で、バスティーユ牢獄の襲撃やその後の動乱が落ち着いたこの日、国民議会は憲法の前文にあたる「人間と市民の権利宣言」(人間宣言)を採択しました。アメリカの独立宣言を範としたこの宣言は17条からなり、権利の平等、人間が当然の権利として持つ自由、主権在民、思想・言論の自由、所有権、安全、圧政に対する抵抗権の確認などの原則が示されています。この民主主義の考え方は、新しい市民社会の原理となりました。

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