児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2013年01月

今日1月31日は、第1回芥川賞を受賞した『蒼氓(そうぼう)』、発禁となった『生きてゐる兵隊』、映画化された『人間の壁』『金環蝕』の原作を著すなど、社会に眼をむけた作品を多く残した石川達三(いしかわ たつぞう)が、1985年に亡くなった日です。

1905年秋田県横手町(現・横手市)に中学教師の子として生まれた石川達三は、父の転勤や転職により、東京や岡山などで育ちました。9歳の時に母を亡くし父が再婚したことで、岡山県の旧制中学から関西の中学を卒業後、上京して1927年早稲田大学文学部英文科に入学しました。ところが学資を払うことが出来ずに1年で中退、国民時論社に就職し、電気業界誌の出版社の編集にたずさわりながら小説を書き続け、あちこちに売り込みをはかるものの、成果を得ることはできませんでした。

そのため会社を退職し、退職金を資金に1930年にブラジル移民を監督するという名目でブラジルのサンパウロに渡り、数か月後に帰国して復職しました。1935年、ブラジルの農場での体験を基にした『蒼氓(そうぼう)』が、第1回芥川賞を受賞したことで、いちやく文壇に登場、作家として一本立ちすることができました。

1937年末、中央公論社の特派員として「南京陥落」後の中国大陸におもむき、南京事件に関与したといわれる第16師団33連隊に取材した小説『生きてゐる兵隊』を「中央公論」に発表しました。しかし、無防備な市民や女性を殺害する描写などを含むおよそ1/4が削除されたにもかかわらず、「時局柄不穏当な作品」とされ、掲載誌は即日発売禁止の処分となったばかりか、禁固4か月執行猶予3年の判決を受けてしまいました。(完全版は『生きている兵隊』として1945年12月に刊行)

戦後、社会派作家として活動を本格化し、佐賀県で起こった教育労働争議を通して、ナイーブな女教師が成長していく姿を描いた『人間の壁』や、九頭竜川ダム汚職事件を取材して社会性のある正義を問う『金環蝕』は、山本薩夫監督が原作を基に製作、公開映画となって大きな話題となりました。

その他、流行語にもなった『四十八歳の抵抗』、70年安保の終えんと若者の虚無感、青春の情熱、孤独、焦燥などを描いた『青春の蹉跌』、太平洋戦争末期の日本に暮らす人々の悲しい姿や心を描いた『風にそよぐ葦』などの作品があります。晩年は、文壇のまとめ役として力をそそぎ、日本ペンクラブ会長や日本文芸家協会理事長などを歴任しました。


「1月31日にあった主なできごと」

1797年 シューベルト誕生…『ぼだい樹』『野ばら』『アベ・マリア』など600曲以上もの歌曲や、『未完成交響曲』などの交響曲や室内楽曲、ピアノ曲他を作曲したシューベルトが生まれました。

1947年 ゼネスト中止命令…激しいインフレを背景に生活を脅かされた労働者たちは、共産党の呼びかけで2月1日にゼネスト決行を計画しましたが、マッカーサーGHQ総司令官は、ゼネストは日本経済を破滅においやると、中止を指令しました。

1958年 アメリカ初の人工衛星…前年にソ連に先を越されたアメリカは、初の人工衛星エクスプローラ1号の打ち上げに成功しました。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 71]

むかしある村に、古くて小さな農家がありました。この家には、おじいさんとおばあさんと、幼い孫の3人が住んでいて、家の片隅にりっぱな馬が一頭いました。

ある晩のことです。その馬を盗もうと泥棒がしのびこむと、屋根裏にかくれ、みんなが寝てしまうのを待つことにしました。ところが、この馬をねらっていたのは、この泥棒だけではありませんでした。それは、村中で恐れられている「虎おおかみ」でした。馬を食べてやろうと、泥棒とおなじように、屋根裏に隠れて、夜がふけるのを待っていたのです。

おばあさんは、いつものように、お話をきかせながら幼い孫を寝かしつけようとしましたが、どういうわけか、この晩はなかなか寝つきません。「ねぇ、おばぁちゃん、この世のなかでいちばん怖いものってなぁに?」「そうだね、人間のなかじゃ、泥棒がいちばんだろうね」これを聞くと、泥棒は大喜びです。「えっへっへ、おれさまが、そんなに怖いわけだな」「おばぁちゃん、それじゃぁ、動物のなかでは、いちばん怖いのはなぁに?」「そりゃ、おおかみだね。そのおおかみのなかでも、いちばん怖いのは、虎おおかみだな」これを聞くと、虎おおかみは、大満足です。「そうだろう、おれは、おおかみの王者だからな。おれにかなうものなど、どこにもいまい」

ところが、まだ孫は寝つきません。「ねぇ、虎おおかみより怖いものってないの?」「そうだねぇ…そう、いちばん怖いのは『ふるやのもり』じゃろうね。ひよっとすると、今晩あたり、くるかも知れないよ」泥棒も虎おおかみも、びっくりぎょうてんです。自分たちよりもっと怖いものがいるだけでなく、今晩、その怖いものがやってきそうだと知ると、もうブルブル、ガタガタ、震えだしました。やがて、雨が降りだし、だんだん強くなると、おじいさんが、「ややや、ふるやのもりが、来たぞ!」と大声でさけびました。そうです。[ふるや] というのは古い家、[もり] というのは、雨もりのことで、この古い家のあちこちで、雨もりがしてきたのです。そんなこととは知らない、泥棒と虎おおかみはびっくりぎょうてん。

あんまり驚いたので、屋根裏から虎おおかみがウヒャーッと落っこちると、その背中に泥棒がドッスーン。虎おおかみは、自分の背中に乗ってるのが「ふるやのもり」で、泥棒は「ふるやのもり」の上に落ちたと勘違いしています。虎おおかみは、もう、気がちがったように、大雨の中を走りまわりながら、泥棒を振り落とそうとします。泥棒も、振り落とされるのがこわくて、毛皮にぎゅっとしがみついています。

そのうち、雨があがって月が出ると、背中の泥棒は、どこか逃げるところはないかとあたりを見ると、ちょうどよい木の枝を見つけて飛び移り、やっと逃げることができました。ちょうどその木に穴が開いていたので、しばらくそこに隠れることにしました。ところが、穴は深くて、穴の底に落っこちてしまいました。いっぽう虎おおかみは、命からがら山の中に逃げこむと、たぬき、きつね、くま、さるなどの動物たちに「ふるやのもり」のことを話しました。みんなは、そんなすごいやつにこの辺をうろつかれてはたまらないと、「ふるやのもり」が消えたというあたりを、みんなで確かめにやってきました。

木の中に開いた穴があやしいと、たぬき、きつね、くまが順に尻尾や足を入れますが、穴が深くて、とても届きません。こんどはさるの番になりました。むかしは、さるの尻尾はとても長いものでしたから、その長い尻尾をたらすと、中にいた泥棒は、木のつるとまちがえて、よじ登ろうとしました。驚いたさるは、捕まったら「ふるやのもり」に食べられてしまうと思って、真っ赤な顔して、ひっしにふんばりました。ところが、もう少しというところで、スポーンと尻尾が切れてしまいました。泥棒は穴の底へ、さるは木の下へスッテンコロリン、地面ですりむいて、お尻は真っ赤っかです。動物たちはみんなびっくりして、いちもくさんに山の中へ逃げ帰りました。

さるのお尻が真っ赤っかで、しっぽが短いのは、このときからなんだって。


「1月30日にあった主なできごと」

1649年 チャールズ1世処刑…1628年、イングランド議会から国王チャールズ1世に対して出された「権利の請願」は、大憲章(マグナカルタ)・権利章典とともにイギリス国家における基本法として位置づけられていますが、チャールズ1世はこれを無視して議会と対立。3日前に公敵として死刑の宣告を受けた国王が、この日処刑されました。こうして議会が国政に参加する権利を確立した「清教徒(ピュリタン)革命」が終結しました。

1902年 日英同盟…清(中国)や韓国に進出しようとするロシアに対抗するため、この日ロンドンで「日英同盟」が結ばれました。イギリスの清の権益、日本の清や韓国の権益を相互に認め、一方が戦争になったときは中立を守り、そこに第三国が参入したときは援助しあうというものでした。当時のイギリスは、アフリカでの戦争に消耗しており、ロシアの南下をおさえる「憲兵」の役割を日本に期待したもので、日本は日露戦争への道を歩みはじめました。

今日1月29日は、『あすなろ物語』『しろばんば』『氷壁』『敦煌(とんこう)』など、たくさんの小説を著わし、文化勲章を受章した作家・井上靖(いのうえ やすし)が、1991年に亡くなった日です。

1907年、北海道旭川に軍医の子として生まれた井上靖は、6歳の時父母のもとをはなれ、伊豆湯ヶ島の祖母に育てられました。祖母が亡くなると、おばの知り合いのつてで三島へ行き、沼津の中学校に通いました。文学にめざめたのは旧制中学4年のころで、のちに代表作のひとつとなる自伝的小説『あすなろ物語』や『しろばんば』などに詳しく描かれています。

1927年、石川県金沢市の第四高校(現・金沢大)、福岡の九州大学を中退したのち、1932年に京都大学に入学したころから作家活動を本格化させ、同人雑誌を作ったり、戯曲を上演させるなど能力を発揮しはじめました。ほとんど登校することなく1936年に京大を卒業すると、『サンデー毎日』の懸賞小説に応募した『流転』が入選したことがきっかけになって、毎日新聞大阪本社へ入社し、「学芸部」記者として働きはじめました。日中戦争のため召集を受け出征するものの、病気のために除隊され、「学芸部」に復帰しました。

井上が作家として本格的な活動を開始するのは敗戦後のことで、1950年に『闘牛』で第22回芥川賞を受賞すると、1951年に毎日新聞社を退社。以後『白い牙』『淀どの日記』などを次つぎに発表し、1956年には朝日新聞に連載した『氷壁』がベストセラーとなって、いちやく流行作家の仲間入りをします。そして、日本史を題材にした『天平の甍(いらか)』『風林火山』『額田女王』、中国古代の西域を舞台にした『敦煌』『楼蘭』『蒼き狼』など、多彩で、詩情豊かな大作、話題作を連発させました。いっぽう『アレキサンダーの道』など、中国をはじめ、アメリカやソ連、中央アジア、ヨーロッパ各地を、取材をかねて訪れた紀行文もたくさん残しています。生涯に井上が著わした作品は、長編だけで44作、短編をあわせるとゆうに100作をこえ、そのほとんどは、新潮社などの全集におさめられています。

映画やテレビドラマになった作品は数限りなくあり、ごく最近でも映画『茶々 天涯の貴妃』(2007年)『狼災記』(「ウォーリアー&ウルフ」2008年) 『わが母の記』(2012年)、テレビドラマ『風林火山』(2007年のNHK大河ドラマ) 『初秋』(原作『凍れる樹』2011年)など今も人気をたもち、1976年には文化勲章・文化功労章を受章したほか、菊池寛賞、NHK放送文化賞、朝日賞など、枚挙しつくせないほどの賞を受賞しています。


「1月29日にあった主なできごと」

1866年 ロマン・ロラン誕生…『ジャン・クリストフ』『ピエールとリュース』『ベートーベン研究』などを著したフランスの理想主義的作家、思想家のロマン・ロランが生まれました。

1872年 初の人口調査…近代的人口調査を実施してきた明治新政府は、この日総人口3310万9826人と発表。この年から江戸時代の人別帳にかわる戸籍が作成されました。

1957年 南極に昭和基地…南極観測隊はオングル島に到達し「昭和基地」を開設しました。34名の隊員のうち、西堀隊長以下11名が初の越冬観測のためここに残りました。

今日1月28日は、イギリス・エリザベス朝の時代に「世界一周」をなしとげた航海者で、スペインの「無敵艦隊」を撃破したことで知られるドレイクが、1596年に亡くなった日です。イギリスでは、海外発展の基礎を築いた国民的な英雄とされ、「サー」(卿) の称号をえていますが、海賊行為に苦しめられたスペインなどからは、ドラコ(悪魔の化身)といわれています。

1541年前後、南イングランドのダビストックに牧師の子として生れたフランシス・ドレイクは、10歳を過ぎたころ、近所に住む老船長から航海のやりかたを学ぶうち、船乗りになる決心をしました。北フランスやオランダの沿岸を航行してまわる小さな商船の船長に弟子入りし、船長が亡くなると、若いドレイクにその船を残してくれたことで、わくわくするような海の冒険を体験しました。当時、スペインとイングランドは犬猿の仲にあり、イングランドの船乗りたちは、ペルーやチリ、西インド諸島など、中南米のスペイン植民地から財宝を積んでもどるスペイン船を襲撃するという「海賊」のようなことをしていました。ドレイクも、そんな船乗りの一人となっていきました。

1567年に、いとこのホーキンズが指揮する小艦隊の1隻の艦長になって、奴隷貿易を行うホーキンズの手助けをしていましたが、その翌年、スペイン海軍の奇襲を受け、船団はほぼ壊滅状態となり、ドレイクも命からがら逃げ延びて帰還しました。この苦い経験が、ドレイクに生涯にわたるスペインに対する復しゅう心を抱かせることになったようです。

1570年ころから、スペイン船や町を襲う海賊行為を開始すると、1577年11月には、5隻の艦隊を率いてプリマス港を出航、大西洋からマゼラン海峡を経て太平洋に進出し、チリやペルー沿岸のスペイン植民地や船をおそって多大な財宝を奪いながら、太平洋を横断、インド洋から喜望峰を回って1580年9月、生き残った「ゴールデン・ハインド号」だけで帰港しました。これは、イギリス人として初となる世界一周で、マゼランに続く史上2番目の快挙でした。エリザベス女王に献上した金銀財宝の額は、当時のイングランドの国庫歳入よりも多いという莫大なもので、女王はドレイクをイギリス海軍の中将に任命するとともに、「サー」の称号を与えました。

1587年、ドレイク率いる艦隊が、カディス湾でスペイン艦隊を襲撃したことで「スペイン国王のひげを焼いた」といわれると、翌1588年の「アルマダの海戦」では、イギリス艦隊副司令官に任命されて、イングランド艦隊の実質的な指揮をとりました。火のついた船を敵艦隊に送りこむという海賊的な戦法により、130隻からなる「スペイン無敵艦隊」を壊滅させることに成功しました。

しかし、1589年のリスボン攻撃は失敗に終わり、1595年末に、西インド諸島攻撃にむかう途中に病にたおれ、海賊から貴族になった生涯を閉じました。


「1月28日にあった主なできごと」

712年 古事記完成…太安万侶 が元明天皇に「古事記」を献上しました。「古事記」は「日本書紀」と並ぶ古代の2大歴史書の一つで、稗田阿礼が記憶していた歴史を、安万侶がまとめあげたものです。

1547年 ヘンリー8世死去…イングランド王で、カトリック教会から離れ、イングランド国教会の首長となったことで知られるヘンリー8世が亡くなりました。

1582年 天正少年使節…九州のキリシタン3大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠は、伊東マンショら少年4名を「天正少年使節」として、ローマ法王に謁見させるため、長崎の港から送り出しました。

1687年 生類憐れみの令…江戸幕府第5代将軍 徳川綱吉は、この日悪名高き「生類憐れみの令」を出し、亡くなるまでの23年間にわたり人々を苦しめました。犬や猫、野生の鳥獣保護ばかりでなく、食用の魚貝類やにわとりまでも飼育や売買を禁止しました。

1912年 南極に日章旗…白瀬矗(のぶ)率いる南極探検隊が、南緯80度付近に日章旗をかかげ「大和雪原」と命名しました。のちに、この地は氷上であって、南極大陸ではないことが判明しています。

「おもしろ古典落語」の103回目は、『しの字(じ)ぎらい』というお笑いの一席をお楽しみください。

「権助や」「へぇ、なにかご用ですか?」「用というわけじゃないが、いまは正月だ。正月になにか縁起が悪いことがあると、一年中いやなことがあっちゃいけねぇ。そこで、おまえにいいわたすが、正月いっぱい[し]という字を封じることにする」「[し]っていうのはそんなに縁起が悪いかね?」「悪いな。第一、死ぬとある。死ぬほど人間にとって悪いことはない。しくじる、しばられる、身代限りをする、[し]というのはろくなものはない」「あははは、物は考えようだでな。おらが故郷(くに)にいたころ、物知りのご隠居にきいたことがあるんだが、善も悪もおのれの心でどうにでもとれるということだ。[し]の字は、使いようによっちゃ、死なぬ、しくじらぬ、しばられぬ、身代限りをしねぇなんていえば、かえってよくなるでねぇか。しかし、おめぇさまが気になるっていうなら、なにごともご主人さまのためだ、なるたけ使わないようにしますだ」

「なるたけじゃなく、決していってはならない。もし[し]といえば、ひと月分、2ついえば2月分の給金をさしひくから、そのつもりで気をつけて口を聞くように」「するてぇと、12いえば、1年間無給かね。どうもよくねぇしゃれだ」「しゃれではない。わたしの家の家風だ」「そんな家風があるなんてなぜ奉公にきたとき、いいわたしてくれねぇだたか? まあ、ようがす。おれもこういう強情な人間だから、いわねぇと決めたらいわねぇ。けれど、おまえさん、人にばかり封じて自分がいっちゃぁ、だめだべ」「わしは、いわない。もしも、わしがいったら、なんでもおまえの望みをかなえてやろう」「そうと決まれば安心だ。おらぁ、いわないが、少し言葉がぞんざいになるかもしれねぇが、しかたねぇ」「そう、のべつ[し]をいっちゃいけねぇ」「だって、まだ決めねぇうちはよかんべぇ」「じゃ、いいかい、手を二つ打つから、はじめるよ(ポンポン)」

(なんともへそ曲がりな奴だな。…ああ、いま水を汲んでるようだな、『権助、水を汲んだか』といやぁ、いつものように『汲んでしまいました』というに違いない。これをだしぬけにやるに限る) 「おい、権助や、水を汲んだか?」「へぇ、水は汲んで……あああぶねぇ、汲んで終わった」(なかなか、用心しているな。……いいことがある。本家の嫁のうわさをよくしていて、あの嫁はどこもかしこもよいが、尻が大きいと近所の評判だっていってるから、これをいわせてやろう) 「権助、ちょっと、こっちへおいで」「へぇ、いま、だれもいないからおまえに聞くが、こんどきた本家の嫁のうわさを近所でするものがいるだろ?」「うん、近所の若ぇもんが…」「うん、なんというな」「本家の嫁ごは、きりょもええ、ものもよくできる、ええおなごだが…それっ、けつがでけぇ」「これっ、けつとはなんだ。あっちへいけ」

なんとか権助を困らせようと、今度は、四(し)貫四百(しひゃく)四十四(しじゅうし)文の銭(ぜに)を並べて勘定させれば、たくさんの「し」や、さし(銭をつなぐ細い縄の名)をいわないわけにはいかないと、たくらみます。

敵もさるもの。銭をまとめる縄をなんというと聞けば、「おめえさま、教えてくんなせぇ」と聞きかえすし、四貫四百四十四のところにくると、ニヤリと笑い「三貫に一貫 三百に百 二十二に二十二文だ」「そんな勘定があるか。ちゃんといえ」「よん貫よん百よん十文」「この野郎、しぶとい野郎だ」

「ほーらいった。この銭はおらのもんだ」

 

「1月25日にあった主なできごと」

1212年 法然死去…平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で、南無阿弥陀仏をとなえれば、人間はだれでも来世で極楽浄土に生まれかわることができると説く「浄土宗」を開いた法然が亡くなりました。

1858年 御木本幸吉誕生…「真珠王」と呼ばれ、真珠の養殖とそのブランド化に成功した御木本幸吉が生まれました。

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