児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2012年11月

「おもしろ古典落語」の95回目は、『位牌屋(いはいや)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「旦那さま、まことにおめでとうございます」「こりゃ、番頭さん、おめでたいって、何がそんなにおめでたいのかな」「夕べ坊っちゃんがお生まれだそうで、これは、まことにおめでたいことで」「おいおい、冗談をいっちゃあいけないよ。今は、いろいろと物が高いから、かかりが大変だ。これから大きくなるまで食べさせなくちゃいけない。それだけ身代が減るじゃないか」

「しかしまぁ、旦那さまの跡取りがおできになったんでございますから…、お祝いに、せめて、味噌汁の実のほうでも入れていただきたいので」「おや、おかしなことをいうね。味噌汁の実は、毎朝、ちゃんと入ってるじゃないか」「えっ、拝見したことはございませんが?」「うん、ありゃ、3年前だったかな、歳の市で、山椒のすりこぎを買って来たが、そのときは2尺5寸くらいあった。昨日見たら1尺5寸くらいになってる。してみると、あの1尺がこの3年間、味噌汁の実になっていたわけだ」「こりゃあ驚きました。あれは、減ったんでございます。実じゃございません。何か入れてもらえませんかね」

そういってるところへ、表のほうを「えーっ、つまみ菜っ、えーっ、つまみ菜っ」とつまみ菜売りが通りかかります。「どうだ、番頭さん、つまみ菜なんぞは…」「へぇ、結構でございますな」「おいおい、八百屋さん。つまみ菜をもらおうか」「へい、ありがとうございます」「こっちは大所帯だから、かついでるのをみんなもらおうと思うが、みんなでいくらだ」「さようですな、いちどに買ってもらえるんでしたら、四百文にしときます」「安いもんだな、だが、上の方にいいやつを乗せて、下のほうに枯れっ葉なんぞ入ってないだろうね」「めっそうもない、商いは信用が大切でございます」「いやいや、品物は見ないうちは信用できない、開けて見せておくれ」「よろしゅうございます」

「定吉や、そこにある新しいむしろを持っておいで。持ってきたら、そこへ広げて……八百屋さん、そこへ、つまみ菜を全部開けてみせてごらん。うん、いざこうして開けてみると、ずいぶんあるもんだな。で、いくらにまけてくれる?」「まけろって、まけた上での四百文です。このまま家へ帰れると思って、元値におまけしたようなわけで」「けれど、いくらかはまかるだろ、気は心というじゃないか」「それじゃ、いくらにまければよろしいんで」「そうだな、八文にまからないか」「四百文から八文お引きするんで?」「いいや、ただの八文だ」「本気ですか? これは、そのへんの空地にはえてる草っ葉じゃないですよ」「そうだ、だから金を出して買おうってんだ」「金を出して? ふざけるない、こっちゃ、なにも盗んできたものを売るんじゃねぇや、ちくしょうめ、売らないよ、馬鹿にすんねぇ」とかんかんに怒って帰ってしまいます。「定吉や、ざるをもっておいで。持ってきたら、むしろにくっついてるつまみ菜を、そのざるに入れてみなさい。むしろが新しいから、つまみ菜がたくさんくっついてるだろ」「驚きましたな、ざるに一杯になりました」「そうだろ番頭さん、味噌汁の実ができたじゃないか。実にするのは半分だよ、残りはおひたしにしなさい」

「わかりましたが旦那さま、晩のおかずはどうしましょう…。うるさいね、まぁ待っておいで、そのうちなんとかするから」と、そこへサツマ芋売りがやってきました。「芋なんざどうだい、番頭さん」「ええ、よろしゅうございます」「そうかい、おいおい、芋やさん、こっちへお入り。そこへ荷物をおろしたら、一服おやり」「へぇ、では、そうさせていただきます」

「あのなぁ、芋やさん、いま小僧にたばこを買いにやったんだが、まだ帰らないから、ちょいと煙草を一服吸わせとくれ」「へぇ、よろしゅうございます。旦那のお口に合うどうかわかりませんが」「うん、いい煙草を吸ってるね、うまい。ところで、住まいはどこだい?」「谷中村で」「そりゃ、遠いな。で、家族は多いほうかね?」「女房と子どもの3人暮らしで」「買い出しはどこでなさる?」「田畑村あたりでします」「弁当はどうなさる?」「出先の飯屋で食うことにしてます」「そりゃもったいない。梅干しの一つも入れて弁当を持って出なさい。もしこの近くへきたら、うちの台所でお食べ、茶とタクアンぐらいは出してあげるから」「ご親切にありがとうございます」「あのねぇ、芋やさん、おまえさんの籠からひゅっと出ている赤いのは何だい?」「芋です」「ふぅーん、いい芋だ。そのむかし琉球から薩摩の殿さまに献上したというのは、こんな芋だったんだろうな、ちょいと見せておくれ」「どうぞご覧になって」「こりゃ、めずらしい形だな、食べるのにはおしい、床の間に飾っておきたいくらいだ。芋やさん、どうだい、これをまけておかないかね」「よろしゅうございます、まけましょう」「いや、ありがとう。商売は損して得とれっていうからな。そういえば芋やさんの顔には福相がある。ところで、住まいはどこだい?」この会話を、そっくり2回くり返えされた芋やは、3回目に「ところで、住まいはどこだい?」と始めたところで……

「わからない人だね、、さっきから、何度同じことをいわせるんだい…気がつくと、1本ただどりするじゃねぇか。どうでもいいけど、よく煙草もすったね、もう帰るよ、長居してたら、籠ごととられちゃう」と、芋屋は悪態をついて帰ってしまいました。こうしてタダでサツマ芋を2本と、煙草を二服ちょうだいした旦那は、小僧の定吉に、注文しておいた位牌を取ってくるように仏師屋へやります。それも裸足で行かせ、向こうにいい下駄があったら履いて帰ってこい、と命じます。

芋やと旦那の会話をそっくり聞いていた定吉は、仏師屋の親父に話しかけます。「小僧を使いにやったんだが、まだ帰らないから、ちょいと煙草を貸しとくれ」「てめえが小僧じゃねぇか」「うん、いい煙草を吸ってるね、うまい。ところで、住まいはどこだい?」「ここじゃねえか」「家族は多いほうかね?」全部まねして、今度は位牌をほめる。「いい位牌だ、置物にしたいくらいだ。形がいい。これをひとつまけときな」「おい、持ってっちゃいけねえよ、ここにある彫ぞこないだったらやるよ」ちゃっかり位牌を懐に入れ、いちもくさんに店へ帰ります。

「定吉かい、お帰り。下駄は履いてきたか?」「ちゃんと、この通り」「うん、これからが楽しみだな。おいおい、どうでもいいが、ちんばじゃねぇか」「あわてたもんで、これから取り返してきましょうか」「そんなことしてみろ、ぶんなぐられるぞ」「それから、旦那のまねして、たもとのなかへ煙草を入れてきました」「うん、そいつは上出来だ。たのんでおいた位牌はもらってきたか?」「うん、これか、なるほど見事なもんだな。なんだ、もうひとつ位牌があるな」「もうひとつはオマケです。位牌屋をおだてましたら、気前よくくれました」「ひとつありゃ、たくさんだろ」

「なーに、生まれた坊ちゃんのになさいまし」


「11月22日にあった主なできごと」

1263年 北条時頼死去…鎌倉時代の第5代執権で、北条氏本家による独裁政治の基礎を確立した北条時頼が亡くなりました。

1869年 アンドレ・ジッド誕生…『狭き門』『田園交響曲』『贋金つかい』などを著し、ノーベル賞を受賞したフランスの作家アンドレ・ジッドが生まれました。

1890年 ド・ゴール誕生…フランス建国史上最も偉大な指導者のひとりと評価されている政治家ド・ゴールが生まれました。

今日11月21日は、水原秋桜子門下を代表する俳人として、闘病俳句の絶唱『惜命』など著わした石田波郷(いしだ はきょう)が、1969年に亡くなった日です。

1913年、正岡子規や高浜虚子を生んだ近代俳句発祥の地、愛媛県垣生村(現・松山市)に生まれた石田波郷(本名・哲大[てつお])は、小学生の頃から友人と俳句を作って遊んでいましたが、1930年旧制松山中学卒業後は、農業を手伝いながら、近くに住む俳人で「ホトトギス」派の五十崎古郷(いがさきこきょう)に指導を受け、「波郷」の俳号をもらいました。

古郷の勧めで、水原秋桜子(しゅうおうし)が主宰する『馬酔木(あせび)』に投稿するうち注目されるようになり、1932年2月に単身上京、10月には秋桜子の下で『馬酔木』の編集を担当するようになりました。やがて、清新な叙情俳句の数々に秋桜子門下を代表する俳人といわれるようになり、1934年に明治大学に入学、翌1935年秋に第1句集『石田波郷句集』を刊行後に大学を中退、句作に専念するようになりました。

1937年、主宰句誌『鶴』を創刊して詠んだ波郷の句「吹きおこる秋風鶴をあゆましむ」に対し、秋桜子は「昭和時代を代表する秀句」と絶賛しました。1939年に『鶴の眼』を上梓すると、当時さかんになった新興俳句運動に対し、中村草田男、加藤楸邨とともに「人間探求派」と呼ばれるようになり、俳壇の中心的作家として活躍しました。

第2次世界大戦中は、30歳で召集されて中国にわたりましたが、結核のために帰国、疎開先の農家で終戦をむかえましたが、病気が再び悪化、以後、死去するまで、手術と入退院をくりかえしました。しかし波郷は、病気との闘いを通して生をかみしめ、自身を深く見つめる数々の秀句を詠み続けました。1946年には『現代俳句』を創刊し、翌1947年には「現代俳句協会」を創立するなど、俳壇の再建に尽力するいっぽう、1950年には闘病俳句の絶唱『惜命(しゃくみょう)』を発表しました。この作品は、子規を先駆とする闘病俳句の最高傑作と称されています。

1954年には、『石田波郷全句集』が読売文学賞を受賞し、「ホトトギス」の「花鳥諷詠」に対する「人間探求」の俳句を深化させることに成功したと評されました。その後、病苦を乗り越え人生の日々を静かに凝視した句を詠み続けましたが、56歳で肺結核のために亡くなりました。

なお、オンライン「お得俳句案内」では、石田波郷のたくさんの句を読むことができます。


「11月21日にあった主なできごと」

1481年 一休死去…形式化した禅宗と僧侶たちを厳しく批判し、世間的な常識に真っ向から対立する奇行と人間味あふれる狂詩で世を風刺した室町時代の名僧・一休が亡くなりました。

1724年 近松門左衛門死去…江戸時代中期に人形浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎の作者として活躍した近松門左衛門が亡くなりました。

今日11月20日は、ロシアの作曲家・ピアニストのルビンシュテインが、1894年に亡くなった日です。

1829年、ロシア領ポドリスク地方(現・モルドバ共和国)の、ユダヤ系鉛筆製造業者の家に生まれたアントン・ルビンシュテインは、5歳で母からピアノを教わったのち、ビロインに師事、パリ音楽院への入学をめざしましたが、かないませんでした。しかし、パリで演奏会を開いたことがきっかけでショパンやリストと知り合って交際をつづけるうち、その演奏と技巧はわずか15歳で、リストと並び称されるほどでした。まもなく、ヨーロッパからロシアにかけて演奏会を開いて成功をおさめました。そのころベルリンで、メンデルスゾーンや歌劇作曲家のマイアベーアに知りあい、マイアベーアの勧めで、弟ニコライと共にジークフリート・デーンに作曲と音楽理論を学びました。

やがて、ロシアを含むヨーロッパやアメリカで精力的に演奏会を開くうち、ロシアのピアニストとして初の世界的名声を博してロシア・ピアノ流派の祖といわれています。作曲面では、交響曲、室内楽曲、歌劇、ピアノ曲、声楽曲など、さまざまなジャンルに作品を残しましたが、そのほとんどが埋もれてしまいました。ドイツで学んだため、ドイツ・ロマン主義的な作風は、当時、民族主義的作曲家グループとして脚光をあびていたロシア5人組と対立したことで、結果として不当に無視されてしまったようです。

しかし、その業績は特筆されるもので、1862年にロシア初の専門的な音楽教育機関である「ペテルブルク音楽院」を創設し、初代院長となっています。1859年には「ロシア音楽協会」を創設し、ロシア音楽をヨーロッパ音楽の水準にまで引き上げるという大きな貢献をしています。また、弟のニコライは、1864年に「モスクワ音楽院」を設立し、81年に亡くなるまで院長を務めました。チャイコフスキーやラフマニノフが彼らの後継にあたることは、よく知られています。

代表作『天使の夢』は、ルビンシテインが、1852年から54年にかけて作曲した24曲からなる『ピアノ組曲』です。元の名称は「カーメンノイ・オストロフ(岩の島)」といいます。後援者だったパブロブナ大公夫人といっしょに、王室の避暑地にあった島へしばしば出かけ、そこへ大公夫人に仕える24人の美しい女官たちがいました。その女官一人ひとりの肖像をピアノ曲にしたもので、その22番目にあたる曲が『天使の夢』でした。この曲の美しさが有名になり、全曲が『天使の夢』と呼ばれるようになりました。

なおこの曲は、私が小学生の頃、NHKのクラシック番組のテーマ音楽だったことを記憶しています。


「11月20日にあった主なできごと」

1179年  後白河法皇を幽閉… 平清盛は、院政を行なっていた後白河法皇をこの日、鳥羽殿に幽閉。まもなく孫を安徳天皇にして、平氏の独裁体制を築いていきました。

1858年  尾崎行雄誕生…明治・大正・昭和の3代にわたり、憲法に基づく議会政治を擁護し、清廉な政治家として活躍した尾崎行雄が生まれました。

1910年 トルストイ死去…『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』などの長編小説や随想録『人生読本』で名高いロシアの作家トルストイが亡くなりました。平和主義者としても知られ、『イワンの馬鹿』など民話の再話も有名です。

1945年 ニュールンベルク裁判開始…第2次世界大戦の戦犯を裁く国際軍事裁判が、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連から選ばれた裁判官のもとに、ドイツのニュールンベルクで始まりました。この裁判で史上初めて「戦争犯罪」という考え方が明確に打ちだされました。

2001年 イチロー大リーグMVP獲得…アメリカの大リーグマリナーズに移籍1年目のイチロー外野手は、日本人初のMVP(最優秀選手)に選ばれました。あわせて、新人王、盗塁王、アメリカンリーグ首位打者、ゴールドグラブ賞にも輝く活躍でした。

今日11月19日は、イングランド王だったチャールズ1世が、1600年に生れた日です。王は議会と対立し、「清教徒(ピュリタン)革命」によって斬首されました。

ジェームズ1世の次男としてスコットランドのダンファームリンに生まれたチャールズは、夭折した兄にかわって皇太子となり、1625年に父の死去に伴い王位を継承しました。フランス王の娘と結婚したことで、反カトリック派の反感を買いましたが、りっぱな顔立ちで、ルーベンスやファン・ダイクらを宮廷に招くなど美術を愛し、家庭ではよき父であり、よき夫でした。

ところが父と同様、「王権神授説」という、王権は神からさずけられた絶対的なものという政治理論を信奉したことで、議会とはげしく対立しました。スペイン遠征などで国庫を枯渇させると、かさんだ費用を議会に要求し議会が応じないと、しばしば議会を解散させました。そのため議会は1628年、課税には議会の承認を得なくてはならないという「権利の請願」を提出しました。これに対しチャールズ1世は、いったんは請願を受け入れる署名を行ったものの、翌年議会を解散させ、その後11年間も専制政治を行ったのです。その間、カンタベリー大主教の助言でイギリス国教会を絶対君主の柱とし、議会勢力の中心となっていた清教徒に、鞭打ち、耳切り、鼻そぎなど残酷な刑を科して弾圧しました。

1637年にスコットランドの清教徒が反乱をおこすと、チャールズ1世はスコットランドにもイギリス国教会を強制したことで、各地に反乱が起きました。そして1640年、スコットランドの反乱鎮圧のための戦費を得る目的で11年ぶりに議会を招集するものの、議会は国王批判の場となりました。こうして1642年1月、ついに議会派と王党派の内戦「清教徒(ピュリタン)革命」が勃発しました。

この内戦は初めのうちは、王党派が優位にたったものの、オリバー・クロンウェル率いる議会軍(鉄騎隊)の活躍で王党派が各地で打ち破られ、1646年5月、チャールズはスコットランド軍に投降、身がらは議会軍に引き渡されました。

1649年1月、裁判によって「専制君主・反逆者・虐殺者・国家の敵」としてチャールズ1世の処刑が宣告され、ルーベンスに内装や天井画を依頼したホワイトホール宮殿前の、何千人という市民が見守る中で斬首されたのでした。洞察力とユーモアに欠け、よく気が変わる性格がわざわいしたといわれています。

なお、イングランド議会から国王チャールズ1世に対して出された「権利の請願」は、「大憲章(マグナカルタ)」「権利章典」とともにイギリス国家における基本法の一つとされています。


「11月19日にあった主なできごと」

1805年 レセップス誕生…地中海と紅海を結び、インド洋へとつながる海の交通の要となるスエズ運河を建設したレセップスが生まれました。
 
1827年 小林一茶死去…江戸時代後期の俳人で、子どもや動物、自然を愛して素朴な歌を読み続けた小林一茶が亡くなりました。

1828年 シューベルト死去…『ぼだい樹』『野ばら』『アベ・マリア』など600曲以上もの歌曲、『未完成交響曲』などの交響曲や室内楽曲、ピアノ曲などを作曲したシューベルトが亡くなりました。
 
1956年 東海道本線全線電化…米原~京都間がこの日電化され、東海道本線が全線電化。電化完成により、東京、大阪間を走る最速特急が7時間半となりました。これを記念し、1964年からこの日を「鉄道電化の日」としています。

「おもしろ古典落語」の94回目は、『ん廻(まわ)し』というお笑いの一席をお楽しみください。

田楽(でんがく)という食べ物があります。豆腐にみそをぬって串にさし、こんがりと焼いたもので、みそおでんともいいます。「さぁ、こっちへ上がってくれ」「兄貴すんませんね、大勢でやって来まして」「いやいや、今晩の肴は田楽だけなんだ。この近所の豆腐屋が田楽屋をはじめてね、食べてみたらこれがうまい。『今晩は若い衆が集まるんで、じゃんじゃん持って来てくれ』っていってあるんだ。酒だけはたくさん用意したから…。

ただ、田楽ってのは『みそをつける』とかいって、あんまり験(げん)のいいもんじゃない。で、どうだい、ひとつ運がつくように『ん廻し』ってのをやってみよう」『ん』のつく言葉をひとついえば1本食える。「たとえば『れんこん』、これで『ん』が2つ、2本もらうよ」と兄貴がうまそうに食べるのを見て、これはおもしろそうだと、みんな大賛成。

「じゃ、おれは『にんじん、だいこん』3本もらうよ」「じゃ、おれは『たまねぎん』『かぼちゃん』『きゅうりん』で3本」「だめだめ、『ん』を勝手につけちゃいけねぇ」「野菜にこだわるからいけねぇんだ『てんてん天満の天神さん』6本もらうよ」「おもしろくなってきたな、もっと他にないか?」

「こいつはどうだ、『本山坊(ぼん)さん看板ガン』」「なんだそりゃ、どんな意味だ?」「本山の坊さんが、看板でガンと頭を打ったってことよ、7本もらうぜ」「おれは8本だ『金神(こんじん)肝心散乱乱心』」「どんな意味か説明しろ」「金神という神様は肝心なもの、それを散乱させて粗末にしたために、乱心したということだ」「ははぁ、うまいね、次は?」

「『産婦三人皆んな安産産婆さん安心』で9本だ」「だんだん手がこんできたな」「おれは芝居でいくよ。『千松死んだか千年万年、辛苦艱難(かんなん)先代御殿』と11本だ」「うまいね、歌舞伎狂言『先代萩』のせりふじゃねぇか、もうこれ以上はないかな」「よく聞いてくださいよ、『せんねんしんぜんえんのもんぜんのやくてん げんかんばんにんげんはんめんはんしん きんかんばんぎんかんばん きんかんばんこんぽんまんきんたん ぎんかんばんこんげんはんごんたん ひょうたんかんばんきゅうてん』だ。43本もらうぜ」「でたらめいうんじゃないよ」「でたらめなんかじゃないよ。京都の神泉苑の薬屋に、人間の体半分に断ち割った人形が、玄関番みたいに置いてある。そこに金看板と銀看板があって、金看板には『根本万金丹』銀の看板には『根元反魂丹』という薬の名、瓢箪型の看板もあって、それには『灸点くだします』と書いてある」「へぇー?」「もう一度いってやろうか、いいか『先年神泉苑の門前の薬店、玄関番人間半面半身、金看板銀看板、金看板根本万金丹、銀看板根元反魂丹、瓢箪看板灸点』と2回いったから、86本もらうよ」

「おいおい、みんな持っていきやがったな」「よーし、こんどはおれだ。そろばん置いて、しっかり数えてくれよ。まず『ジャンジャ~ン』と2つだ。続いて『ジャンジャンジャ~ン』と3つ」「いったいそいつは何だ」「消防の半鐘だ。火事がおきてるんだ。遠いところの半鐘が『ジャ~ン、ジャ~ン、ジャ~ン、ジャ~ン、ジャ~ン、ジャ~ン』、近い半鐘が『ジャン、ジャン、ジャン、ジャン、ジャン、ジャン』で12本、ちゃんとソロバンに入れてるか」「ちょっと、待ってくれ~」「そこへ消防ポンプが、『ウ~、ウ~、ウ~、ウ~』鐘が『カン、カン、カン』『ウ~ウ~、カンカン、ジャンジャンジャンジャン、カンカン、ウ~ウ~、ウ~ウ~、カンカン、ジャンジャンジャンジャン、カンカン、ウ~ウ~……』」「いいかげんにしろ、おい、こいつには生の田楽を食わせてやれ」「どうしておれだけ生なんだ?」

「火事なんだろ、もうこれ以上焼かないほうがいい」


「11月16日にあった主なできごと」

1523年 インカ帝国皇帝捕えられる…15世紀から16世紀にかけてペルー南部に栄えたインカ帝国は、クスコを中心に石造建築や織物、金銀細工など優れた文明を築きましたが、この日スペインの ピサロ は、帝国のアタワルバ皇帝をだまして捕えました。翌年インカ帝国は滅亡、スペインは南アメリカ大陸のほとんどを長い年月支配することになりました。

1653年 玉川上水完成…江戸幕府は急増する江戸市民の水を補うために、治水技術にすぐれていると評判の玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)に建設を命じ、玉川上水を完成させました。

1946年 「現代かなづかい」と「当用漢字表」…内閣は、これまでの「歴史的かなづかい」を現代の発音に近い「現代かなづかい」とする方針を発表しました(1986年に改正)。また「当用漢字表」1850字を告示し、日常生活に使う漢字を定めました。「当用漢字」は、1981年に範囲をよりゆるやかにした「常用漢字」1945字に改められ、2010年に「改定常用漢字表」2136字を答申し、現在に至っています。

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