児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2012年10月

今日10月2日は、江戸時代後期に活躍した水戸藩の政治家 藤田東湖(ふじた とうこ)が、1855年に亡くなった日です。

1806年、常陸国水戸藩の「彰考館」(水戸藩の2代目藩主徳川光圀の始めた事業で『大日本史』の編さんを行っていた)に勤務する藤田幽谷の次男として生まれた武次郎(通称虎之助、のちに誠之進。東湖は号)は、幼い頃から、水戸学という「朝廷は尊く、武力で権力を握った幕府はいやしい」という尊王思想が基本にある学問をみっちり学びました。やがて水戸学派のリーダー的存在になり、1827年に父が亡くなるとその家督を継ぎ、父のあとをついで彰考館の編修となり、2年後には総裁代行に昇進しました。

1829年に水戸藩主継嗣問題がおこると、藩主の弟の徳川斉昭を盛りたてて成功させ、郡奉行、江戸通事御用役、御用調役と順調に昇進しました。1840年には側用人として藩政改革に当たるなど、藩主斉昭の絶大な信用を得ることになりましたが、1844年に斉昭が隠居謹慎処分を受けると、失脚して禄を剥奪されたばかりか江戸屋敷に幽閉されてしまいました。幽閉中にも『回天詩史』『常陸帯』『弘道館記述義』という尊王論を執筆しました。

1850年にようやく水戸に戻ることを許され、1852年には処分を解かれて藩政復帰した翌年の1853年にペリーが浦賀に来航しました。斉昭が海防参与として幕政に参画すると、東湖も江戸藩邸に召し出されて再び斉昭を補佐することになり、側用人に復帰しました。西郷隆盛や橋本左内ら幕末に活躍する志士たちと親しく交わり、大きな影響を与えました。

しかし、1855年11月に発生した安政の大地震の際、江戸小石川の藩邸で建物の下敷きとなって圧死してしまいました。志半ばの東湖の死は、尊王の志士たちを奮い立たせ、維新につなげる精神的なバックボーンとなっていきました。


「10月2日にあった主なできごと」

755年 吉備真備死去…奈良時代に輩出した最大の知識人・政治家といわれる吉備真備が亡くなりました。

1943年 学徒出陣公布…太平洋戦争での兵力不足を補うため、また戦局悪化により下級将校の不足も顕著になったため、26歳までは徴兵猶予されていた20歳以上の学生を、在学途中で徴兵し出征させると公布しました。そして、10月と11月に徴兵検査を実施して合格者を12月に入隊させることになりました。

1961年 柏鵬時代の始まり…大相撲の柏戸・大鵬両大関が、この日そろって横綱に昇進。前年までの栃錦と若乃花による「栃若時代」にかわって、大型若手横綱の登場に大相撲は大きな盛り上がりをみせました。

今日10月1日は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、キリシタン大名として知られる小西行長(こにし ゆきなが)が、1600年に斬首された日です。

泉州堺(今の大阪堺市)の薬種問屋の子として1558年前後に生まれた小西行長は、父の影響を受けて若い頃にキリシタンになりました。宇喜多直家の家臣となり、1581年に直家が死去すると、羽柴(豊臣)秀吉の家臣として仕えました。1583年には舟奉行となり、瀬戸内海水軍の将となり、1585年には小豆島に1万石を与えられました。小豆島ではキリスト教の布教を行ういっぽう島の田畑の開発を積極的に行い、1587年のバテレン追放令のときには、あえて反抗を示さず、入信をすすめた高山右近を島にかくまっています。

1588年には、秀吉の命で島津氏を降伏させた「九州征討」に続き、肥後国(熊本県)でおこった一揆制圧の功績をあげ、肥後国の南半分20万石を与えられ、宇土城主となりました。しかし、肥後国の北半分を領する加藤清正と次第に確執を深めることになりました。

1592年、豊臣秀吉が主導する遠征軍と明および李氏朝鮮軍との間で戦われた朝鮮侵略(文禄の役)では、行長は1万5千の水軍を率いて先陣つとめ、2番手の加藤清正と先陣を争いながら戦ったことは有名です。1593年に休戦するものの、行長は1597年に明との和平交渉に当たりましたが秀吉のきまぐれにより失敗し、慶長の役となりました。ここでも行長は清正と先陣争いをするものの、1598年秀吉の死を受けて撤退しました。

その後も、平和的な民政にたけた行長と、歴戦の勇士である清正との対立は続きましたが、行長が文治派の石田光成に組みしたのに対し、清正は武断派の徳川家康につきました。そして、関ヶ原の戦いにおいて、西軍の将として奮戦したものの敗北し、伊吹山に隠れていたところを見つけ出され、光成らとともに引き回しされた上、京都六条河原で斬首されました。このとき、切腹をすすめられましたが、自殺を認めないキリスト教の教義にしたがって拒否したといわれています。


「10月1日にあった主なできごと」

1847年 中江兆民誕生…「東洋のルソー」とよばれ、自由民権思想を広めた明治期の思想家 中江兆民が生まれました。

1949年 中華人民共和国成立…第2次世界大戦中、共産党の毛沢東は国民党の蒋介石と力を合わせて、日本との戦争に勝ちました。ところが蒋介石はアメリカと組んで共産党をしりぞけようとしたため、3年にわたる内戦がはじまりました。その結果、蒋介石は台湾に逃れ、この日毛沢東を主席とする新しい中国(中華人民共和国)が生まれました。中国の人たちはこの日を「国慶節」(建国記念日)と決めて、毎年にぎやかなお祭りを行ないます。

1964年 東海道新幹線開業…10日にはじまる「東京オリンピック」に間に合わせるために、この日開業。それまで東京─大阪間は特急で6時間50分かかっていた時間を3時間も短縮しました。当時は東京・新横浜・小田原・熱海・静岡・浜松・豊橋・名古屋・岐阜羽島・米原・京都・新大阪の12駅。開業初日の大阪─東京間では、乗客がビュッフェ車にあった速度計に注目したため、運転士は張り切りすぎて直線区間では最高時速200kmのはずが210kmで連続運転をしました。そのため、新横浜駅を予定より5分も早く通過してしまって、終点に着くころには山手線に抜かされてしまうほど速度を落とさなくてはならなかったというエピソードが残されています。

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