児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2012年05月

今日5月31日は、イタリア・ルネサンス期にベネチア派のチチアーノと並ぶ代表画家チントレットが、1594年に亡くなった日です。

1518年、水の都ベネチア(ベニス)の染物屋の子として生まれたヤーコポ・ロブスティは、「染物屋の息子」を意味する「チントレット」と呼ばれるようになりました。生涯のほとんどをベネチアで過ごし、そこで亡くなったきっすいのベネチア人でした。

12歳でチチアーノの工房に入門したチントレットでしたが、10日ほどで追い出されてしまいました。当時40歳前後で働き盛りのチチアーノがチントレットの才能に嫉妬したためともいわれますが、真偽のほどはわかりません。しかし、チントレットが早熟だったのは確かで、1539年、21歳で「マエストロ」(親方)の資格を得て独立しています。

チントレットの工房には「ミケランジェロの素描とチチアーノの色彩」というモットーが掲げられていて、両巨匠の特質を統合しようという意気込みが感じられます。1548年のサン・マルコ同信会館のために描いた『マルコの奇跡』で名声をえると、斬新で大胆な構図と劇的な表現という様式を確立して、『プロバンスの奴隷を救う聖マルコ』『龍を退治するゲオルギュウス』など、聖書のエピソードを壮大なドラマの1シーンのように描いた作品を次々に描きました。描法にも特色があり、素描をすることなく、いきなりカンバスに絵の具で流動的にすばやく形を整えていくというものでした。彩色ばかりでなく、巨大な画面の構図は大胆になり、人体の動きは激しさを増して、次世紀のバロック絵画を先取りするものといわれています。

チントレットの売り込みの激しさも特徴的で、こんなエピソードが残されています。ある教会の天井画装飾のための素描コンクールが行われたとき、教会の使用人を買収して天井の正確なサイズを測り、早々と絵を完成させてコンクール前日までに天井にはめこんでしまいました。当日、応募してきた画家が素描を提出するなかで、ティントレットは天井にかぶせていた紙をはがして完成作を披露したばかりか、その作品を教会に寄贈して、以後20年間以上にもわたって、同教会の装飾を手掛けたということです。

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晩年の傑作は、ベネチアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の壁面を飾る『最後の晩餐』(上の絵)でしょう。「最後の晩餐」という伝統的な画題を扱いながら、晩餐のテーブルを画面手前から対角線にそって奥へ向かっておくという構図で、向こう側と手前側では次元をまったく変えています。舞台照明のような光を受けるキリストと使徒たちや半透明の天使たち、手前側は晩餐を用意する人々や猫や犬、静物が写実的に描かれ、現実と幻想の入り混じった描写に、ティントレットの特色が明確にあらわれています。


「5月31日にあった主なできごと」

1596年 デカルト誕生…西洋の近代思想のもとを築き、「コギト・エルゴ・スム」(われ思う、ゆえにわれあり)という独自の哲学で「哲学の父」とよばれたデカルトが生れました。

1809年 ハイドン死去…ソナタ形式の確立者として、モーツァルトやベートーベンに大きな影響力を与え、104もの交響曲を作ったことで知られる古典派初期の作曲家 ハイドン が亡くなりました。

1902年 南アフリカ(ボーア)戦争終了…ダイヤモンドや金の豊富な、オランダ人の子孫ボーア人が植民地としていた南アフリカをめぐり、10数年も小競り合いをつづけてきたイギリスは、この地を奪い取ることに成功。8年後の1910年「南アフリカ連邦」を成立させました。

今日5月30日は、明治・大正・昭和にわたって活躍した社会主義者で、日本社会党の初代委員長を務め総理大臣となった片山哲(かたやま てつ)が、1978年に亡くなった日です。

1887年、和歌山県田辺市に生まれた片山は、熱心なキリスト教信者だった母の影響を受け、少年時代からキリスト教人道主義の立場から社会主義運動を展開する安部磯雄に傾倒しました。第三高校(現京都大学)を経て、東大法学部を卒業すると、郷里に戻って弁護士として活動をはじめました。1919年には、東大内にあるYMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設し、当時一部の人たちのものだった法律を、多くの国民のものにするための行動や、労働争議にかかわる諸事件を手がけました。

1928年に男子普通選挙法が制定されると、片山は穏健な労働者や農民たちで組織した「社会民衆党」の結成に参加し、書記長に就任しました。1930年の第2回普通選挙に神奈川2区から立候補して、衆議院議員に初当選します。1932年には「社会大衆党」の結成に参加し、同党では中央執行委員会の委員などを務め、1940年には反軍演説をした斎藤隆夫の除名決議に反対し、安部磯雄らと社会大衆党を脱党しました。

1945年の第2次世界大戦後、「日本社会党」が結成されると書記長に就任、翌年に片山は、日本社会党初代委員長に選出され、1947年の新憲法のもとで行われた最初の衆議院議員選挙で、日本社会党が143議席を獲得して第一党となり、民主党・国民協同党と連立内閣をつくりあげました。これは、日本で初めての社会主義者を総理とする内閣でした。

政権としては、国家公務員法の制定、内務省の解体、警察制度の改革、労働省の設置、失業保険の創設、改正民法の制定、刑法改正などを実現しました。しかし、公社や公団を乱発するなど公的融資を拡大したと労働運動家たちからの反撃にあっていきづまり、1948年2月に総辞職しました。さらに、1949年1月の衆議院議員選挙で、日本社会党は前回の143議席から48議席に激減する大敗をきっし、委員長だった片山も落選したばかりか、1950年に、日本社会党は「右派」と「左派」に分裂し、委員長を退きました。

1952年の衆議院議員選挙で「右派社会党」から立候補して国会復帰をはたした片山は、憲法を守る運動や選挙の浄化運動に取り組みました。1960年に社会党から民社党が分かれると、1963年の衆議院選に「民社党」から立候補するものの落選して政界を引退しましたが、1966年にはキリスト者世界連邦協議会会長となるなど、晩年は平和運動に貢献しました。


「5月30日にあった主なできごと」

1265年 ダンテ誕生…イタリアの都市国家フィレンツェに生まれた詩人で、彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』や詩集『新生』などを著し、ルネサンスの先駆者といわれるダンテが生まれました。

1431年 ジャンヌダルク死去…「百年戦争」 でイギリス軍からフランスを救った少女ジャンヌ・ダルクが 「魔女」 の汚名をきせられ、処刑されました。

1912・48年 ライト兄弟死去…動力をつけた飛行機で、1903年に人類初の飛行に成功したアメリカのライト兄弟の、兄ウィルバーが1912年に、4歳下の弟オービルが1948年に亡くなりました。

1934年 東郷平八郎死去…日露戦争の日本海海戦を指揮し、ロシア艦隊を破ったことで「東洋のネルソン」と讃えられた東郷平八郎が亡くなりました。

今日5月29日は、グラナドス、ファリアとともに、スペイン近代音楽を代表する作曲家の一人のアルベニスが、1860年に生まれた日です。

カタルーニャ地方のカンプロドンで税官吏の家に生まれイサーク・アルベニスは、幼いころからピアノの才能を発揮して、4歳の時にバルセロナで公開ピアノ演奏をするほどでした。6歳でパリに出てパリ音楽院へ入学が許可されたものの、教師の鏡にボールをぶつけて壊したため、入学を取り消されたというエピソードが残されています。

9歳でマドリッドの王立音楽院に入りましたが、いたずら好きで冒険心旺盛な性格は相変らずで、なんども寮を抜け出し、スペイン各地で演奏会を開きました。12歳のときに冒険小説に刺激されて単身で南米に渡り、1876年にはライプツィヒの音楽院で短期間学んだ後、1877年から3年間にブリュッセル音楽院で学びました。巨匠リストに学んでピアニスト・作曲家として売り出したと人に語ったそうですが、このあたりはまゆつばものとされています。

1885年、マドリッドに移り住むと、本格的に演奏と作曲活動に入り、たくさんのピアノ曲、歌曲、オペラを残しました。1890年代にはロンドンとパリに住み、世紀末のパリではドビュッシーやラベルらと交遊しました。

1909年に49歳で亡くなりますが生涯に残した作品は400曲あまりで、およそ250曲がピアノの小品です。スペイン各地の舞曲のリズムと民謡風のメロディを素材に、ギター的手法でまとめられています。事実、アルベニスの曲は、広くクラシック・ギター用に編曲されて、ギター・リサイタルでは人気の高い曲がたくさんあります。とくに1890年に作曲された組曲『スペイン』(作品165)は、「前奏曲」「タンゴ」「マラゲーニャ」(入江のざわめき)「セレナータ」「カタルーニャ奇想曲」「ソルツィーコ」の6曲から構成された魅力的な名曲です。また、『イベリア』は、高度なピアノ技法を駆使した12曲からなる組曲で、ピアノ音楽史上、画期的な名作とされ、腕に自信のあるピアニストが好んで演奏する作品です。


「5月29日にあった主なできごと」

1917年 ケネディ誕生…わずか43歳で第35代アメリカ大統領となり、対ソ連に対し平和共存を訴え、こころざし半ばで暗殺されたケネディが生まれました。

1942年 与謝野晶子死去…明治から昭和にかけて歌人・詩人・作家・思想家として活躍した与謝野晶子が亡くなりました。

1953年 エベレスト初登頂…イギリス登山隊のヒラリーとシェルパのノルゲイが、世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)の初登頂に成功しました。

今日5月28日は、平安時代初期の貴族で、名作『伊勢物語』のモデルとされている歌人の在原業平(ありわらの なりひら)が、880年に亡くなった日です。

825年、平城天皇の第1皇子・阿保親王を父に、桓武天皇の皇女を母に生まれた業平は、政治的には晩年の879年に右近衛(うこんえ)中将となって蔵人頭を任じられ、在中将・在五中将と呼ばれるほどになりました。しかし、それまでは藤原氏におさえつけられ、おおむね不遇だったようです。

いっぽう歌才に恵まれ、「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして」(自分ひとりは昔ながらの自分であるのに、ながめている月や春の景色が昔のままでないことなどあり得ようか) 「ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くゝるとは」(神の代にもこんなことがあったとは聞いていない。龍田川の水を美しい紅色にくくり染めするとは) 「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」(この世にまったく桜というものがなかったなら、春を過ごす心はのどかであったろう)  など『古今和歌集』に30首入集しているのをはじめ、勅撰和歌集に87首が採用されています。そのため、『古今和歌集』の選者の一人である紀貫之は、僧正遍昭、小野小町、文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主とともに六歌仙の一人としています。

「むかし男ありけり」ではじまる『伊勢物語』は、作者不明とされる恋愛を中心とした歌物語で、ある男の元服から死にいたるまでが全125段にえがかれています。業平の歌が数多く採録されてあることから、業平をモデルにした一代記といわれています。また、美女として名高い小野小町と並び美男子の典型とされる業平は、王朝貴族の理想像となって、謡曲、歌舞伎、絵画や工芸などに広く題材に用いられています。

いま話題となっている「東京スカイツリー」に近い隅田川にかかる橋「言問橋」は、業平の名歌「名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」(都という名を持つのにふさわしければたずねよう、都鳥よ、私が恋しく思う人は無事でいるかどうかと) の「こと問はむ」から名付けらました。また最近、東武線の「業平橋」として長く親しまれてきた駅名が「東京スカイツリー駅」に改名されましたが、残念に思っているのは私だけではなさそうです。


「5月28日にあった主なできごと」

1634年 出島の建設開始…キリスト教の信者が増えることを恐れた江戸幕府は、ポルトガル人をまとめて住まわせるために、長崎港の一部を埋めたてた出島の建設を開始、2年後に完成させました。1639年にポルトガル人の来航を禁止してから無人になりましたが、1641年幕府はオランダ商館を平戸から出島に移転させ、オランダ人だけがこの島に住むことが許されました。鎖国中は、オランダ船が入港できた出島がヨーロッパとの唯一の窓口となりました。

1871年 パリ・コミューン崩壊…普仏戦争の敗戦後、パリに労働者の代表たちによる「社会・人民共和国」いわゆるパリ・コミューンが組織されましたが、この日政府軍の反撃にあい、わずか72日間でつぶれてしまいました。しかし、民衆が蜂起して誕生した革命政府であること、世界初の労働者階級の自治による民主国家で、短期間のうちに実行に移された革新的な政策(教会と国家の政教分離、無償の義務教育、女性参政権など)は、その後の世界に多くの影響をあたえました。

今日5月25日は、管弦楽のために書かれた『惑星』をはじめ、吹奏楽曲や合唱のための曲を多く残したイギリスの作曲家ホルストが、1934年に亡くなった日です。

1874年、イングランド中部にあるグロスターシャー州チェルトナムのスウェーデン移民の家系に生まれグスターブ・ホルストは、幼少のころからピアノやオルガンの奏者だった父からピアノを学び、ロンドンのロイヤル音楽カレッジでパリーやスタンフォードから作曲やトロンボーンを学びました。この学生時代にボーン・ウィリアムズと知り合い、生涯、親交を深めました。卒業後はトロンボーン奏者としてオーケストラに加わって生計を立てていました。

1905年、ロンドン近郊にあるセント・ポール女学校の音楽教師の職を得ると、生涯その職を務めましたが週日は多忙なため、日曜日に登校して一日じゅう音楽教室で作曲活動を行い、『惑星』をはじめ、オペラ『放浪学者』、合唱曲・管弦楽のための『サマセット・ラプソディ』、吹奏楽のための『スケルツォ・ハマースミス』など、作品のほとんどをここで完成させました。

代表曲となる管弦楽組曲『惑星』(1914~16年に発表)は、「水星」「火星」「金星」「木星」「土星」「天王星」「海王星」と、7つの楽章から成る描写音楽の傑作ですが、第4曲目の「木星」は特に有名で、ホルスト自身の名前以上に知られており、近代管弦楽曲の中で最も人気のある曲の1つとなっています。

日本でも、「Jupiter」(ジュピター・木星)が平原綾香のデビュー曲として2003年末に発売され、大ヒットしたことはよく知られています。「火星」の5拍子など民族的なリズムや、「海王星」などで現れる神秘的な和音など、親しみやすく斬新な曲の数々ではあったものの、ホルスト自身は他の作品とは作風の異なる『惑星』ばかりが注目されたことについては、周囲に不満をもらしていたといわれています。


「5月25日にあった主なできごと」

1336年 楠正成死去…鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した河内の武将で、後醍醐天皇による「建武の新政」の立役者だった 楠木正成 が亡くなりました。この日摂津国湊川(現在の神戸)で、九州から東上した足利尊氏の軍勢が、対立する楠正成・新田義貞軍と衝突(「湊川の戦い」)、尊氏軍が勝利して正成は自害しました。

1892年 チトー誕生…6つの共和国(スロベニア・クロアチア・ボスニア=ヘルツェゴビナ・モンテネグロ・セルビア・マケドニア)からなる「ユーゴスラビア」という国がありましたが、この国を一つにまとめあげ、たくましい社会主義連邦共和国に育てあげた政治家チトーが生まれました。

1910年 大逆事件…信州の社会主義者・宮下太吉ら4名が明治天皇暗殺計画が発覚したとして、この日逮捕されました。この事件を口実に社会主義者、無政府主義者、思想家に対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、20数人を逮捕。この政府主導の弾圧は「大逆事件」と呼ばれ、幸徳秋水 ら12名が処刑されました。

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