児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2011年12月

今日12月27日は、児童向動物文学の傑作をたくさん著わした作家の椋鳩十(むく はとじゅう)が、1987年に亡くなった日です。

1905年、長野県南部・喬木村の牧場主の家に生れた椋鳩十(本名・久保田彦穂)は、少年の頃から父親に連れられて近くの山へ狩りにでかけたり、猟師たちからさまざまな話を聞くうち、大自然の中を生きる動物たちへの関心が高まりました。旧飯田中学をへて法政大学に入学したころから、詩や小説を書きはじめ、卒業後に鹿児島・種子島にある小学校の代用教員をへて、加治木高等女学校の国語教師になりました。

教師のかたわら、少年時代に親しんだ山歩きの体験をテーマにした小説を書き続け、 1933年に椋鳩十のペンネームで最初の小説『山窩調(さんかちょう)』を自費出版しました。「山窩」とは、戸籍を持たず、定住することなく、狩猟や山の恵みの採取を生業とする人たちだったため、発禁処分とされてしまいました。しかし、ひそかに『鷲の唄』『山窩譚』など一連の狩猟生活を営むひとたちを描いた作品を書き続けました。やがて、子どもを対象とした動物文学作品にうつり、『山の太郎熊』『金色の足跡』『大造じいさんと雁』『月の輪ぐま』などを次々と発表し、東京の出版社からも注目されるようになりました。

太平洋戦争後の1947年、鹿児島県立図書館の館長になった椋は、県立図書館の本を、鹿児島市内の町村立図書館他に貸し出すなど、独自の図書館ネットワークを築きあげました。さらに、創作活動をつづけながら、1960年には親子読書を提唱し、『母と子の20分間読書』運動を全国的に呼びかけて推進したことは特に有名です。1967年からは鹿児島女子短期大学教授を務めました。

およそ50年にもわたり、仕事のかたわら書き続けた作品は、きびしい自然の中で生きていく動物たちをあたたかい眼でみつめたものが大半です。1953年に文部大臣奨励賞を受賞した『片耳の大シカ』、1962年に小川未明文学賞を受賞した『大空にいきる』、1964年にサンケイ出版文化賞を受賞した『孤島の野犬』など、その作品はポプラ社や理論社から刊行された全集におさめられ、1983年にはそれらの功績が讃えられて、芸術選奨文部大臣賞を受賞しています。歿後の1991年からは「椋鳩十児童文学賞」が開催され、児童文学界の新人を育てるユニークな賞となっています。また、著書群はいまだに版を重ねているばかりか、『大造じいさんと雁』は、小学教科書に取り上げられ続けています。

なお、私は椋氏の亡くなる2年ほど前に、神奈川のご自宅をたずねたことがあります。いずみ書房で刊行したばかりの『せかい伝記図書館』(全36巻・いずみ書房のホームページに公開中) を送らせてもらったところ、ほとんど全巻に目を通してくれ、その感想を記したものを渡したいと、自ら電話をくださったからでした。にこやかに応対してくれた椋氏は、「とてもよく出来たシリーズですね」と、次のような直筆の推薦文を手渡してくれました。

「いずみ書房の『せかい伝記図書館』は、ソクラテス、孔子、シャカといった世界的な聖人がとりあげられているかと思うと、足利尊氏、葛飾北斎といったきわめて個性的な人物も登場する。百人を越す各方面の人物が幅広いジャンルで選ばれている。どの項も、二十分もすれば読みきることが出来るほど、簡潔化されて記述されているが、それぞれの時代と人物との関係、その思想、生きざまが、要領よく浮きぼりにされている。しかも、あくまで史実に、忠実であろうとする姿勢をくずさない。この『せかい伝記図書館』は、良心的な伝記集として、小学生・中学生の諸君にすすめたい」

私は、苦労の甲斐があったと押しいただいて帰りましたが、このことを業界にくわしい人たちに話したところ、信じられないほど珍しいことだそうで、よほど気にいってくれたのだろうとのこと。以来シリーズのパンフレット他に、今も使わせてもらっています。


「12月27日にあった主なできごと」

1571年 ケプラー誕生…惑星の軌道と運動に関する「ケプラーの法則」を発見した ケプラー が生まれました。

1780年 頼山陽誕生…源平時代から徳川にいたる武家700年の歴史を綴った 「日本外史」 を著した学者・歴史家で、詩人・書家としても活躍した 頼山陽 が生まれました。

1822年 パスツール誕生…フランスの細菌学者・化学者で、狂犬病ワクチンを初めて人体に接種したことなどの業績により「近代細菌学の開祖」といわれる パスツール が生まれました。


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今日12月26日は、ホメロスが紀元前800年ころに書いたといわれる 「イリアス」 「オデュッセイア」 に出てくる伝説の都市トロヤが、実在することを発掘によって証明したドイツの考古学者で実業家のシュリーマンが、1890年に亡くなった日です。

1822年、プロイセン(ドイツ)北部のシュべェリン近郊で、貧しい牧師の家に生まれたハインリヒ・シュリーマンは、8歳のとき父からプレゼントされた『子どものための世界史』のトロヤ落城の挿絵に魅せられ、トロヤ遺跡の発掘を生涯の夢として追い続ける決心をしたといわれています。しかし、貧しかったために13歳でギムナジウムに入学するものの、1836年に退学して食品会社の徒弟、船の給仕など職を転々とするうち、オランダのある貿易商会に定職を持ちました。

仕事の合間にシュリーマンは、独学でフランス、スペイン、イタリア、ポルトガル、英語、ロシア語など7か国語をマスターし、その言語能力を生かし、1846年にロシアのサンクトペテルブルクに商社を設立、さらにゴールドラッシュにわくアメリカ・カリフォルニア州にも商社を設立して成功をおさめ、巨万の資産を築いたのでした。

そして、40歳を過ぎたころ事業からいっさい手をひいたシュリーマンは、ギリシア語と考古学の研究の後、1870年から少年時代からの夢であるトロヤの発掘に取りかかりました。学界の定説だった海に遠いピナルバシの丘に反して、トロヤは海に近いヒッサルリクの丘であると確信したシュリーマンは、9層もの都市の跡を発見し、専門の学者たちを驚かせました。こうしてホメロス伝説が、史実に基づいた物語であることを証明したのです。

さらに1876年には、これも直感によってミケーネにねらいをさだめ、「黄金の仮面」をはじめとする副葬品を数多く発掘し、ギリシアの先史文明を考古学的に実証しました。

なお、シュリーマンの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」11巻目「シュリーマン」をぜひご覧ください。


「12月26日にあった主なできごと」

1542年 徳川家康誕生…応仁の乱以降100年以上も続いた戦乱に終止符を打ち、織田信長、豊臣秀吉により統一された天下をさらに磐石なものとする江戸幕府を開いた 徳川家康 が生まれました。

1758年 松平定信誕生…江戸時代中期、田沼意次一族の放漫財政を批判して「寛政の改革」を行った 松平定信 が生まれました。

1888年 菊池寛誕生…『屋上の狂人』『父帰る』『恩讐の彼方に』などを著した作家で、文藝春秋社を創設し、芥川賞・直木賞をを創設した 菊池寛 が誕生しました。

「おもしろ古典落語」の54回目は、『ねこの災難(さいなん)』というお笑いの一席をお楽しみください。

めっぽう酒好きな熊五郎。朝湯から帰って一杯やりたいと思っても、先立つものがありません。「たまの休みだというのに、なんとかして飲めねぇかな」「あら、熊さん帰ってたの?」「ああ、お隣りのおかみさん。おや、お皿にみごとな鯛をお持ちですね」「鯛ったって頭だけよ。うちの猫が病気をしちゃってね、知り合いが病気見舞いにって鯛をくれたんで、やわらかいとこを猫にたべさせて、頭と尻尾が残ったから、いま、捨てにいくところよ」「捨てる? もったいないねぇ、鯛は目のまわりの肉がうまいんです…、捨てるんなら、あっしにください」ということで肴はできましたが、肝心な酒がありません。

「猫がもう一度見舞いに酒をもらってくれねぇかな」なんてぼやいていると、ちょうど訪ねてきたのが兄貴分の八っつぁん。「おう、熊公、きょうはおめぇと一ぺえ飲もうと、やってきたんだがね」「うれしいけど、ここんとこ、ふところがさびしくて、それに酒の肴もないし…」「おいおい、何をとぼけてるんだ、台所のざるの下に、大きな鯛があるじゃねぇか」「う、うん…ありゃ、もらったんだ」「あんなものもらったら、すぐ、おれをむかえにこなくちゃいけねぇ、ま、いい、あれを肴に飲もうじゃねぇか、いいだろっ?」「うっ、…う、うん…」「さっそく酒を買ってくるから、そこの1升びんを借りてくぜ。おめぇは鯛を3枚におろして、さしみにでもしておいてくれ」ということになって困った熊五郎、いい訳を思いつきました。

「おう、酒を5合買ってきたぜ、さしみは出来たかい?」「あっ、それそれ、おれ、おめぇに、何とあやまろうかと…」「どうしたんだ、いったい」「いや、おれね、鯛を3枚におろして皿にもろうと戸棚までいったら、台所のほうでガタガタ音がするんだ。すぐにすっとんでいってみると、となりの猫だ。上の身をくわえてかけだした」「ぼやぼやしてるからだ。でも、下の身はのこってるんだろ、しかたねぇ、半身でがまんするよ」「それ、それなんだよ、近ごろの猫はずうずうしい。片身を口にくわえると、爪でひょいと引っかけると小脇ぃ抱えたかと思うと、肩へひっかついで…」「猫がそんなことするか?」

日ごろ隣には世話になってるんで、我慢してくれといわれた八っつぁんは、しかたなく鯛を探しにまたでかけました。安心した熊は、酒を前にすると、もうたまりません。冷のまま、湯飲み茶碗でさっそく一杯。どうせあいつは、たいして飲まないからとたかをくくって、いい酒だ、うめえうめえと一杯また一杯。これは野郎に取っといてやるかと、燗徳利に移そうとした途端にこぼしてしまいます。もったいねぇと畳をチュウチュウ…、そのうちいい気持ちになって眠りこんでしまいました。

一方、鯛をようやく見つけて帰った八っつぁん。酒が一滴もないのを見てびっくり仰天。猫がこぼしたといわれても、もう許しません。「この野郎、酔っぱらってやがんな。てめえが飲んじゃったんだろ」「こぼれたのを吸っただけだよ」「よーし、おれが隣ぃどなりこんで、猫に食うもの食わせねえからこうなるんだって文句をいってやる」

そこへ隣のかみさんがやってきました。「ちょいと熊さん、いい加減にしとくれ。さっきから聞いてりゃ、隣の猫、隣の猫ってうるさいから、何だろうときてみたら、うちの猫が悪さしたって? 冗談じゃないよ、うちの猫は病気なんだよ。お見舞いの残りの鯛の頭を、おまえさんにやったんじゃないか」「この野郎、どうもようすがおかしいと思った。やい、おれを隣に行かせて、どうしようってぇんだ」

「だから猫に、よーく、あやまってもらいてぇと…」


「12月22日にあった主なできごと」

1572年 三方が原の戦い…甲斐の 武田信玄 は、三方が原(浜松市付近)で、徳川家康・織田信長軍と戦い、勝利をおさめました。家康の一生で唯一の敗戦といわれています。

1885年 伊藤博文初代内閣総理大臣…明治政府は、太政大臣制を廃止して内閣制度を開始し、初代の内閣総理大臣に 伊藤博文 が就任しました。

今日12月21日は、中世イタリアの作家で「散文の父」といわれるボッカチョが、1375年に亡くなった日です。

1313年に、イタリア西部にある都市国家フィレンツェ商人とフランス人の母の間に生まれたジョバンニ・ボッカチョは、フィレンツェで幼少年期をすごし、家庭教師の指導でダンテの作品を学んだことで文学に魅かれます。しかし、商人にさせたかった父親は、ボッカチョを南部の都市ナポリに送って、金融業者の見習いをさせました。商人になる気のないボッカチョは、文学書を読みふけったため、怒った父親は法律家にしようと、ナポリ大学に入れました。ここでもボッカチョはギリシア・ラテン文学に熱中して、文学に生きることを決意します。やがて、当時ナポリを支配していた文人のロベルト王の明るく陽気な宮廷の集まりに加わるようになり、王の娘マリアを愛し、宮廷に出入りするたくさんの文学者と出会って、『ディアナの狩』などいくつかの初期作品を残しました。

1340年ころ、フィレンツェにもどったボッカチョは、マリアを題材にした『フィアメッタ悲歌』などいくつかの作品を書きますが、何といっても代表作は、1349年から1353年ころに書かれた『デカメロン』です。1348年に大流行したペストから逃れるために、ある片田舎にひきこもった男3人、女7人の計10人が退屈しのぎの話をするというもので、十日間に10人が1話ずつ語る形式で全100話、ぼう大な短編小説集です。「デカメロン」は、ギリシア語の「10日」を意味するため『十日物語』ともいわれます。

ペストによって引き起こされた社会的倫理的な混乱が重厚な筆で記された「序文」にはじまり、1日目は陽気で機智にあふれた話の数々、2、3日目に展開する恋の冒険や欺瞞の物語、4日目の不幸な愛の物語では陰うつな調子がもどり、5日目で恋の物語が幸せな結末に導かれるといった展開で、ユーモアと艶笑に満ちた恋愛話や失敗談などで構成されます。それぞれ『千一夜物語』や『七賢者の書』から影響を受けているといわれ、のちにチョーサーの『カンタベリー物語』などに大きな影響を与えました。

1350年ころから、ダンテ と並び称される ペトラルカ と親交を結び、お互いに影響しあいながら、イタリア・ルネサンスのさきがけといわれる数々の名作を残しました。1373年には、50歳ほど年上であるダンテについて講義するなど、ダンテの理解者、賛美者でもありました。単に喜劇 (コメディア) と題されていたダンテの叙事詩に神聖なるという冠をつけ、『神曲』の名を定着させたのはボッカチョだといわれています。


「12月21日にあった主なできごと」

1339年 南北朝時代はじまる…後醍醐天皇が吉野に移り「南朝」を開いたため、室町幕府を開いていた足利尊氏は新しい天皇を立てて「北朝」として、朝廷の分裂時代がはじまりました。南北朝時代は、室町幕府3代将軍足利義満が1391年、北朝に統一するまで続きます。

1909年 松本清張誕生…『点と線』『ゼロの焦点』など、「社会派推理小説」と呼ばれる傑作を次々にヒットさせた松本清張が生まれました。

今日12月20日は、19世紀ドイツの指導的歴史学者のランケが、1795年に生まれた日です。

プロイセン・ザクセン選帝侯国のビーエに、代々ルター派の牧師の家に生まれたレオポルト・ランケは、ライプチヒ大学に入学して神学と古代文献学を研究し、中世史料の扱い方を習得しました。

卒業後、フランクフルトのギムナジウムの教師として高校生に古代文学史を教えながら、1824年、処女作となる『ラテンおよびゲルマン諸民族の歴史』を書きあげました。この本の序文に「事実は、どうであったか」という記述をし、従来おろそかにされてきた史料を厳密に調べる「実証史学」の方法を説きました。そして、正確な史料をもとに、西ヨーロッパにおける共同体の形成や、キリスト教と人文主義の文化価値の統合、キリスト教的神の世界史における影響などがみごとに展開されていたことが評価され、1825年、ベルリン大学史学科助教授になりました。

その後、政府の援助でウィーンやイタリア諸都市を旅しながら史料を深く調べ上げ、ヨーロッパ各国の盛衰を論じた政治史を次々に著わしました。1834年にはベルリン大学の教授として、初めて演習(ゼミナール)を開講して多くの弟子を育てました。(明治初期に東大で歴史学を教えたリースもランケの弟子の一人です) こうしてランケの学問的な研究法と教育方法は、「ドイツ史学」の伝統となったばかりか、イギリス・アメリカの歴史学にも大きな影響を与えて今日に至っています。

50年にわたった同大学を退くと、ランケは青年時代からの夢だった『世界史』の著作に取り組みはじめ、1886年ベルリンで90歳で亡くなるまで続けられました。ドイツ政府はその功績をたたえ、貴族の称号である「フォン」を贈ったため、レオポルト・フォン・ランケといわれています。


「12月20日にあった主なできごと」

1848年 ルイ・ナポレオン仏大統領…皇帝ナポレオンの甥にあたるルイ・ナポレオンが、選挙に全投票の75%を得て、第2共和制大統領に就任。その後ルイは大統領の権限を強化し、4年後に第2帝政をはじめ、ナポレオン3世となりました。

1853年 北里柴三郎誕生…ドイツの コッホ に学び、ジフテリアや破傷風の血清療法の完成やペスト菌の発見など、日本細菌学の開拓者 北里柴三郎 が生まれました。

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