児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2011年11月

今日11月8日は、人格診断テストを考案したスイスの精神病理学者ロールシャッハが、1884年に生まれた日です。

チューリッヒに生まれ、シャフハウゼンで育ったヘルマン・ロールシャッハは、画家だった父の影響を受け、幼少のころから絵を書くことが好きでした。そのため、若い頃は芸術家を志しましたが、チューリッヒ大学でオイゲン・ブロイラーの精神医学や精神療法学、ユングの精神病理学を聴講するうち精神療法に興味がうつって、医学を学びました。

卒業後は、精神分析や精神療法の研究にはげみ、スイスの医学会でも注目されるようになって、1919年には「スイス精神分析協会」の副会長に選出されています。そして、1921年に主著となる『精神診断学』を刊行、そこに「ロールシャッハ・テスト」を具体的に示しました。しかし翌年の1922年、盲腸炎を悪化させ、37歳の若さで亡くなってしまいました。

現在でも、投影法による性格検査の代表的な手法のひとつとして有名なこのテストは、紙の上にインクを落とし、それを2つ折りにして広げることにより作成されたほぼ左右対称の図版を持つ10枚組のカード(ロールシャッハ・カード=5枚の明暗図版・2枚の黒赤2色図版・3枚の多色図版)が用いられます。この紙を、被験者に見せて行う人格診断検査法です。

これは同じ図版を見ても、人それぞれ何に見えるか異なるため、シミのどのような特徴が、その人にあるイメージを想起させたかを分析、解釈することで、被験者の人格の特性を分析するものです。カードのシミが何に見えるのかを自由に回答させ、次に質疑を行って、どこにどのように見えたかなどを聴取します。この課程で、反応時間、カードの向き、反応内容(何に見えたか)、反応領域(どこが見えたか)、決定因(どのような特徴から見えたか)が記録されます。

被験者が結果を予想できないため、自由に話をしてもらえるという長所があるものの、熟練しなければ正しい結論を見出せず、理論的根拠が明確でない、という欠点がありました。しかしこのテストも、ロールシャッハの発表以来、長年にわたって広く用いられてきているため、テストへの反応と分析のデータベース化が進み、統計的な評価や理論的な発展をみせているようです。


「11月8日にあった主なできごと」

1895年 エックス線発見…ドイツの物理学者 レントゲン が、実験中になぞの放射線を発見し「�]線」と名づけました。�]線に感光するフィルムを使って撮影した写真(レントゲン写真)は、肺など身体の内部をうつして診察に役立たれているほか、キュリー 夫妻のラジウムの発見など、放射能の研究にも役立たれています。

今日11月7日は、『異邦人』『ペスト』などの小説、『シジフォスの神話』『反抗的人間』などのエッセイ、『誤解』『カリギュラ』などの劇を遺し、44歳の若さでノーベル文学賞を受賞したフランスの作家カミュが、1913年に生まれた日です。

フランス領アルジェリアのモンドビに、フランスから渡ってきた農場労働者の子として生まれたアルベール・カミュは、幼くして父が戦死したため、アルジェにある母の実家の貧民街に身を寄せ、貧しくはあっても、地中海の自然に恵まれた幼少期を過ごしました。苦学して中学を出て、奨学金でアルジェリア大学に入り、結核に苦しみつつ働きながら哲学を学び、ねばりながら卒業しました。

1938年には新聞記者となって、冤罪事件や植民地経営の不正を暴く記事を書いたりするいっぽう、劇団を作り演劇運動を始めています。さらに同年、記者としてパリに出て、はじまったばかりの第2次世界大戦の取材中、フランスはドイツに侵入されたため、ドイツへの「レジスタス運動」に参加しながら1942年、代表作となる小説『異邦人』やエッセー『シジフォスの神話』を発表しました。

『異邦人』は、友人と女性とのトラブルがもとで殺人を犯した主人公が、殺害の直接の原因は「照りつける太陽」だと主張し続け、死刑判決を受けるまでを、ち密な心理描写でえがいた作品。『シジフォスの神話』は、ギリシア神話に登場する悪人シジフォスが、神々によって、永遠にふもとから山頂まで岩を運び続けなくてはいけないという、これ以上ないという厳しい罰を受けながらも、幸せを見つけようとする人間の姿をえがいたものです。これらの作品は、戦争のために正義を守れなくなった人々が、「人生は無意味なのではないかという」気持ちを代弁しつつ、全力で生きることを主張した姿勢に人々は感銘し、サルトルは、その「不条理」性を絶賛しました。

カミュは、「レジスタス運動」を続けながらも、ドイツ占領下のパリで演劇活動をつづけ、自作の『誤解』などを上演し、戦後は『カリギュラ』を上演して、ドイツ人の暴力と不正を暴きました。さらに、占領軍への抵抗を背景にして、ペストの流行と戦う人々の姿を描いた大作『ペスト』を発表するや大ベストセラーとなって、フランス国内ばかりか、諸外国にまで熱狂的な反響をよびおこし、その名声は世界的なものになりました。

しかし、1952年のエッセイ『反抗的人間』が、サルトルとの有名な論争に発展します。サルトルはマルクス主義と革命を支持したのに対し、カミュはプロレタリア革命を含め、あらゆる政治的暴力を否定して「反抗こそが社会を変革する」と説きました。以後、持病の結核と闘いながらも『転落』などを発表、1957年には44歳でノーベル文学賞を受賞しました。ところが1960年1月、パリ近郊で不慮の自動車事故のため、47歳で亡くなってしまいました。


「11月7日にあった主なできごと」

1336年 室町幕府はじまる…足利尊氏は、吉野に「南朝」を立てた後醍醐天皇に対し即位させた「光明天皇」(北朝)から征夷大将軍に任命され、室町幕府を開きました。

1867年 キュリー夫人誕生…ラジュームを発見して夫ピエールといっしょにノーベル物理学賞をもらい、夫の死後ラジュームの分離に成功してノーベル化学賞をえた女性科学者 キュリー夫人 が生れました。

「おもしろ古典落語」の47回目は、『近日息子(きんじつむすこ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「お父っつぁん、行ってきたよ」「おお、ご苦労。で、芝居はいつが初日だ?」「明日だ」「明日? おかしいな、きのう千秋楽になったばかりだろ、一日おいただけで、あしたが初日のはずはねぇ。いいかげんなことをいうな」「だって看板に『近日開演』って書いてあったぜ」「ばかっ! 近日開演ってぇのは、明日はじまるってことじゃねぇ」「お父っつぁんは字を知らないから困るな」「なにが?」「近日ってぇのは、近い日のことだよ。今日から数えると、明日がいちばん近い日じゃねぇか」「この野郎、近日てぇのは近いうちにかならずやりますっていうときに、近日開演とか、近日開店とか書くんだ。そんなことも知らねぇくせに、へんな理屈をこねやがって…おまえはふだんからそうだ、いっぺんでも気のきいたことをしたことがあるか?」

親父の説教が始まります。(頭の働くりこうな人間というのは、人のいわれる先に先にやっていくもの。お父っつぁんが煙管(きせる)にたばこをつめたら煙草盆を持ってくるとか、えへんといえばたん壺を持ってくるとか、それくらいのことをしてみろ…)と、ガミガミ説教しているうち、親父が便所へ行きたくなったので、紙を持ってこいといいつけると、出したのは便箋と封筒。「まったくおまえにかかると、良くなりかけた身体も悪くなっちまった」 するとせがれは、フイといなくなりました。

「おや、錆田先生、毎度ごやっかいになりまして。顔色変えてどちらへ?」「お宅へうかがったんですよ」「うちへは昨夜きていただいたばかりで」「それが、たったいま、お宅のご子息が『親父の容態が急に変った、あと何分も持つまいから、早く来てくれ』というんで、取りあえずぶどう糖と食塩注射を持ってまいりました」「えっ? あたしは何分ももちませんか?」「いやいや、とにかくお脈を拝見しましょう」 診ても、せがれがいうほど悪くないから、医者は首をかしげます。

それをかげで見ていた息子、急いで葬儀社へかけつけ、ついでに坊主の方へも手をまわして家にもどると「お父っつぁん、いつ死んでもいいようになってるよ、安心して死んでおくれ」「あきれてものもいえねぇ、お前みたいなやつを残して、まだまだ死ねねェんだ」 そこへ、長屋の連中がどやどやとやってきました。口のうまい男がまず…「このたびは何とも申し上げようがございません。長屋一同といたしましては、生前中ひとかたならぬないごやっかいになりまして、あんないい大家さんが亡くなるとは、なんたる」……いいかけてヒョイと見上げると、仏がエンマのような顔をして、煙草をふかしながらにらんでいます。

「このたびは…へ、こんちは、さよならっ」「ちょいとお待ち、いい加減にしておくれ。おまえさんたちは、なにかい、あたしのくやみでもいいにきたのかい? いったいなんのまねだい?」「どうも相すみません。ご立腹のようですから、申しあげましょう。ちょいと表へ出てごらんなさい、くやみをいいたくなります。白と黒の花輪が飾ってあって、葬儀屋が2、3人ウロついていて、忌中(きちゅう)札まで出てるんですから」「うーん、そこまで手がまわってましたか……おい、せがれ! このばか野郎、表に忌中札まで出てるってじゃないか」と怒ると、「へへ、長屋の奴らもあんまし利口じゃねえな。

よぉく見ろい、忌中のそばに『近日』って書いてあらぁ」


「11月4日にあった主なできごと」

1847年 メンデルスゾーン死去…世界3大バイオリン協奏曲(コンチェルト)の一つと賞賛される「バイオリン協奏曲」をはじめ、「真夏の夜の夢」「フィンガルの洞窟」などを作曲したことで知られる メンデルスゾーン が亡くなりました。

1921年 原敬首相刺殺される…平民宰相といわれた 原敬 首相が、東京駅で19歳の鉄道員に刺殺されて亡くなりました。当時、原内閣の社会主義運動への弾圧、普通選挙法への反対、シベリア出兵の強硬など、資本家の利益につながる政治腐敗に対し、民衆の非難が高まっていました。

1946年 ユネスコ成立…国際連合には、総会、安全保障理事会などさまざまな仕事がありますが、それ以外に経済、社会、文化などを扱う専門機関があります。ユネスコもその一つで、正式には「国際連合教育科学文化連合」といい、それぞれの英文の頭文字だけをとってUNESCO (ユネスコ)と呼んでいます。この日「ユネスコ憲章」が発効し、正式に成立しました。

今日11月2日は、江戸時代の元禄期に、5代将軍綱吉の寵愛をえて、大老格として幕政を主導した柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)が、1714年に亡くなった日です。

1658年、上野国(群馬県)館林藩・勘定奉行の晩年の庶子して生まれた吉保は、幼いころから、館林藩主だった 徳川綱吉 の小姓として仕えました。1680年に綱吉が、実兄の4代将軍徳川家綱の将軍の後継として江戸城に入ると、吉保も幕臣となり、将軍の雑務を担当する小納戸役に任ぜられました。

やがて禄高も1万2000石となって大名に昇格、1688年には老中に次ぐ役割をになう新設されたばかりの側用人に出世しました。さらに、綱吉とその生母の桂昌院の意向に従って政治を行ったため、吉保の権勢は大老をしのぐものとなり、「側用人政治」といわれるようになります。

有名な「生類憐みの令」や、貨幣改鋳による悪貨の乱発など、庶民を苦しめた諸政策によって悪評も高いものの、荻生徂徠や細井広沢ら儒学者を登用して学問を勧め、自ら詩歌や禅に関心をもつなど、文治政治の発展に尽くしたことは高く評価されています。

1694年には石高7万2000石とされ、川越(埼玉)藩主となったばかりか、朝廷にも影響力を持ち、1702年に桂昌院が朝廷から従一位を与えられた功績などから、1704年には、これまで徳川一門にしか与えられなかった甲府藩15万石の藩主となり、1706年には大老格にまで上りつめました。

しかし1709年3月に権勢の後ろだてとなっていた綱吉の死去により、綱吉の甥の家宣が6代将軍になって、新井白石 が権勢を握るようになると吉保は隠居し、1714年江戸本駒込の別荘「六義園(りくぎえん)」で死去しました。


「11月2日にあった主なできごと」

1288年 後醍醐天皇誕生…鎌倉幕府を倒すために失敗を重ねながらも、新田義貞、足利尊氏らの協力で1333年に成功して「建武の新政」を行なうも、尊氏の反乱にあって「南朝」を開くなど、波乱の生涯をおくった 後醍醐天皇 が生まれました。

1755年 マリー・アントアネット誕生…フランス国王ルイ16世の王妃で、フランス革命の際に国外逃亡に失敗、38歳の若さで断頭台に消えた悲劇の王妃 マリー・アントアネット が生まれました。

1942年 北原白秋死去…『赤い鳥小鳥』『あわて床屋』『からたちの花』など800編もの童謡の作詞を手がけた詩人・歌人の 北原白秋 が亡くなりました。

1973年 トイレットペーパー買いだめ騒動…10月におきた第4次中東戦争が引き金となり、第1次オイルショックと呼ばれる石油価格高騰がおこり、品不足への不安から全国のスーパーにトイレットペーパーを求める主婦が殺到しました。

今日11月1日は、「大化改新」のはじまる2年前の643年、蘇我入鹿(そがのいるか)が、聖徳太子の息子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)を自害させる事件がおきた日です。

聖徳太子 が亡くなって約20年後、蘇我入鹿は古人大兄皇子(ふるひとのおうえのおうじ)を独断で次期天皇にしようと企て、その対抗馬とされる山背大兄王を武力で排除しようと、巨勢徳太(こせのとくだ)らに命じて斑鳩宮(いかるがのみや)を急襲しました。大兄王と側近たちはよく防ぎ戦いました。その間に、大兄王は馬の骨を寝殿に投げ入れ、妃や子弟を連れて生駒山に逃れます。

宮殿を焼きはらった巨勢徳太は、その灰の中から骨を見つけて大兄王らは焼け死んだと思い、囲みを解いて引きあげました。大兄王たち一行は生駒の山中に逃れますが、十分な食糧は持ち合わせていなかったため、部下のひとりが「いったん東国に逃れて、もう一度軍をととのえて戻ってくれば、必ず勝つことができます」と進言します。すると大兄王は「一つの身の故によりて百姓を傷(やぶり)り残(そこな)はむことを欲りせじ。是を以って、吾が一つの身をば入鹿に賜う」(自分は人民を労役に使うまいと心に決めている。己が身を捨てて国が固まるのなら、わが身を入鹿にくれてやろう) と答え、生駒山を出て、斑鳩寺に入りました。大兄王たちが生きているという知らせを受けた入鹿は、再び軍を差し向けたところ、大兄王は、妃や子どもたち20人以上と共に自決して果てたと伝えられています。

この事件からおよそ80年後に編さんされた『日本書紀』には、悲惨な上宮(かみつみや)王家[聖徳太子の家系] の滅亡に同情して、「おりから大空に五色の幡(はた)や絹笠が現れ、さまざまな舞楽と共に空に照り輝き寺の上に垂れかかった」と、昇天の模様を記しています。

入鹿の父である大臣(おおおみ)の蘇我蝦夷(そがのえみし)は、山背大兄王の死を知ると、「ああ、入鹿の大馬鹿者め、お前の命も危ないものだ」と、ののしりました。そして、2年後にそれが現実になったのでした。中大兄皇子 (のちの天智天皇)や中臣鎌足らが、入鹿を殺害するクーデター(「大化の改新」のきっかけとなった事件) により、古墳時代から飛鳥時代を通してもっとも勢力を誇っていた蘇我一族が滅亡することになりました。


「11月1日にあった主なできごと」

1847年 中江兆民誕生…フランス革命の精神的導きをしたことで名高いルソーらに学び、自由民権思想を広めた明治期の思想家 中江兆民 が生まれました。

1974年 アメダス運用開始…全国約1300か所に無人自動観測所をおいて雨量を観測するシステム(アメダス)の運用を開始しました。これにより、集中豪雨などの異常気象の監視や、気象予報技術が向上しました。

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