児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2011年05月

今日5月10日は、初の言文一致体小説『浮雲』や、ロシアの作家ツルゲーネフの翻訳『あひびき』など、明治時代に活躍し「近代日本文学の創設者」ともいわれる二葉亭四迷(ふたばてい しめい)が、1909年に亡くなった日です。

1864年、尾張藩士の子として江戸の藩邸で生まれた四迷(本名・長谷川辰之助)は、幼少のころから漢学や武道に親しみました。5歳のときに明治維新となり名古屋に移って成長、軍人をめざしましたが近視のためにかなわず、外交官として国際舞台で活躍したいと1881年に外国語学校(現・東京外国語大学)に学びました。ロシア文学に魅了され、ツルゲーネフドストエフスキー らの作品にふれたこと、坪内逍遥 と交流を結ぶうちに、文学者になろうと目標を変えました。そして、1887年に代表作『浮雲』の第1編(89年までに第2・3編を発表)を刊行、このときはじめて二葉亭四迷というペンネームを使用しました。この名は、四迷が文学の道に進むことを父親に反対され、「くたばってしまえ」といわれたのをもじってつけたという伝説めいたエピソードが残されています。

この長編小説『浮雲』は、話し言葉と書き言葉の文体を一致させた、いわゆる「言文一致小説」といわれ、その後の文壇の先駆けをなすものでした。その後、ツルゲーネフの『あひびき』『めぐりあひ』などを翻訳し、国木田独歩田山花袋 ら自然主義文学者たちに大きな影響を与えました。

日本の近代文学に斬新な風を送りこんだ四迷でしたが、やがて「文学は男子一生の仕事にあらず」と考えるようになり、1889年に内閣官報局に勤務したのを皮切りに、軍の書記、母校の教授を経て、ハルピンや旅順、北京など中国大陸を放浪したのち、1904年に「大阪朝日新聞」の出張員になるなど、20年近くも文学の世界から遠ざかっていました。それでも、1906年には「東京朝日新聞」に『其面影』を、翌年には『平凡』を連載するなど文壇に返りざいたかにみえましたが、朝日新聞の特派員としてロシアのペテルブルク(現・サンクトペテルブルク)を取材後に帰国する船中で、肺の病によりインド洋上で亡くなってしまったのでした。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、『浮雲』『あひびき』など四迷の作品13篇が公開されています。


「5月10日にあった主なできごと」

1863年 下関事件…長州藩は下関海峡を通るアメリカ商船を攻撃しました。これが下関事件です。これは、孝明天皇の命により14代将軍徳川家茂が5月10日を攘夷期限と奏上したことに呼応したもので、他に実行する藩がありませんでした。長州藩はフランス艦、オランダ艦にも発砲、6月1日には米・仏艦が報復攻撃に来航するなど、長州藩は苦境に立つことになりました。

1871年 円誕生…近代日本貨幣法として「新貨条例」が制定され、「円」が誕生しました。現在はほとんど使われませんが、円の100分の1を「銭」、銭の100分の1を「厘」とすることも決められました。

先にお知らせしました通り、4月20日からプライベートで阪急交通社が主催する 「クロアチア・スロベニア・ボスニア ヘルツェゴビナ・モンテネグロ」(旧ユーゴスラビア4か国) をめぐる10日間の旅を体験してまいりました。

旧ユーゴスラビアといえば、ユーゴスラビアをまとめてきたチトー大統領が1980年に亡くなって以来、特に1990年代から今世紀初めまで、民族・国家・宗教のちがいによる内戦のため、国土が荒廃したことで有名です。そのため、そんな危険な国々へどうして行くのかといった声もありましたが、ちょうど1年前に旅行した「オーストリア・チェコ・スロバキア・ハンガリーなど中央ヨーロッパ5か国」の添乗員が「イタリア人が『神様は不公平だ。アドリア海を挟んだ向こう側には、あんなにきれいな景色を造って』と、うらやましがられた自然は必見」という言葉と、旧ユーゴスラビアが位置するバルカン半島は民族や宗教の交叉する地域だったために、第1次世界大戦勃発の原因となるなど「ヨーロッパの火薬庫」といわれ、特に20数万人の死者と200万人もの避難民を生み出し、2つの世界大戦後ヨーロッパ最悪の紛争後の実情を見てみたいという好奇心からの選択でした。

第2次世界大戦中に、チトーは「諸民族の友愛と団結」をスローガンに掲げ「パルチザン部隊」を結成して、ドイツに占領されていた地を一つの国にまとめあげました。そして出来た6つの共和国からなる連邦国家「ユーゴスラビア」は、世界から次のようにいわれました。1つの国、2つの文字(ラテン文字・キリル文字)、3つの宗教(セルビア正教41%・カトリック32%・イスラム教12%)、4つの公用語(セルビア語・クロアチア語・スロベニア語・マケドニア語)、5つの民族(セルビア人42%、クロアチア人23%、スロベニア人9%、マケドニア人6%、モンテネグロ人3%)、6つの共和国(スロベニア・クロアチア・ボスニア ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビア、マケドニア)、7つの国境(イタリア・オーストリア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニア・ギリシア)……こんな複雑な国をどうやってまとめるのだ──と。

しかしチトーは、社会主義の国でありながら、非同盟中立という立場をとって、社会主義の国ばかりでなく資本主義国とも手をつないでいくという独自の方針を貫き通し、87歳で亡くなるまで国を一つにまとめあげたのでした。そして、ヨーロッパやアジアの中立国が、アメリカやソ連に対抗する「第三勢力」として団結していくことの大切さを訴え続けていたことでも知られています。

内戦は不幸でしたが、今回訪問した国々を見る限り、どこの町の人々もその苦難を乗り越えた自信のようなものが感じられて、ほっとしました。特に、いち早くユーロに加盟したスロベニアや、これから大観光国を予感させるクロアチアには、もう一度訪問したいと思うほどでした。

私の印象深かった「ベスト5」は次の通りです。●内戦を乗り越えたアドリア海の真珠「ドブロブニク」とその城壁めぐり ●絵はがきのように美しいアルプスの瞳「ブレッド湖」 ●20km以上も続くというヨーロッパ最大の鍾乳洞「ポストニア鍾乳洞」 ●エメラルドグリーンの16の湖と96の滝が織りなすプリトビッツェ湖群国立公園 ●激戦の傷跡生々しいものの立派に復興した石橋の町「モスタル」

なお、今回の旅も昨年同様、兄夫妻と同行いたしました。このブログにリンクしています「十(とお)一(はじめ)こと酒井猛夫のブログ」では、2、3週間かけて、旅行の詳細をたくさんの写真とともに記述するはずです。興味のある方はぜひのぞいてみてください。

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