児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2011年05月

今日5月24日は、イギリス史上65年という最長の王となったビクトリア女王が、1819年に生まれた日です。女王在位の時期は「大英帝国」の絶頂期だったため「ビクトリア時代」といわれます。

ジョージ3世の4男ケント公エドワードの娘として生まれたビクトリア女王(幼名アレクサンドリナ)は、1837年伯父のウィリアム4世の死去により18歳で即位、1840年に結婚したアルバート公との相性もよく、円満な家庭生活を送ったばかりでなく、子どもたちもヨーロッパ各国との婚姻によって、晩年は「ヨーロッパの祖母」と呼ばれました。

18世紀後半にはじまった「産業革命」により、1歩も2歩も他国をリードして「世界の工場」の地位を確立したイギリスは、1877年にインドを女王が皇帝を兼ねる「インド帝国」として実質的な植民地としました。さらに、エジプト支配、南アフリカの植民地化、カナダやオーストラリアをイギリス本国からの移民が治める自治領とするなど、強大な海軍力を背景に圧倒的な力で広大な地域を支配するに至りました。当時の国際政治は、イギリスがどんな立場に立つか、どの勢力を支援するかによって決定されるほど発言権が強く、そのため世界は、イギリスを筆頭とする資本主義諸国と、それに従属する地域に二分されるようになりました。この時代は「パックス=ブリタニカ」(英国の平和)と呼ばれるほどです。

政治面でも、イギリスは2大政党による「議会制民主主義」を定着させています。トーリ党を前身として地主層を基盤とする「保守党」と、ホイッグ党を前身とする資本家層を基盤とする「自由党」の2党が交互のように政権を担当したため、どちらも労働者の支持を得て優位に立ちたいと、政策面でも反映されました。選挙法改正もそのひとつで、男性都市労働者ばかりでなく男性農業・鉱業労働者も選挙権を獲得、労働組合の合法化もいち早く実現させています。

ビクトリア女王は、よきアドバイザーだった夫のアルバート公が1861年に亡くなったとき、一時女王の職務から離れましたが、まもなく復帰して、保守党のディズレーリの政治に共鳴して彼を愛するようになりました。一方、自由党のグラッドストンを嫌って意見の対立をたびたびおこしましたが、「君臨すれども統治せず」という立憲君主制の原則を守りぬき、1901年に国を栄光に導いた人生を閉じたのでした。


「5月24日にあった主なできごと」

1409年 李成桂死去…高麗末の武官で、李氏朝鮮という王朝を開き、朝鮮の基礎を築いた 李成桂 が亡くなりました。

1543年 コペルニクス死去…当時主流だった地球中心説(天動説)をくつがえし、太陽中心説(地動説)を唱えたポーランド出身の天文学者 コペルニクス が亡くなりました。

1949年 満年齢の採用…「年齢の唱え方に関する法律」が公布され、従来の「数え年」から、「満年齢」に変わりました。数え年は、生まれた年を1歳とし、新年をむかえるたびにひとつ歳をとる数え方に対し、満年齢は、生まれたときは0歳、誕生日がくると1歳を加える数え方です。

今日5月23日は、平安時代初期の武将で、初の征夷大将軍となった坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が、811年に亡くなった日です。

8世紀の終わりころまで、蝦夷地(えぞち・東北地方) にむかしから住んでいる人たちは蝦夷(えみし)とよばれ、この蝦夷は、ときどき反乱を起こして、日本を統一しようとする朝廷を困らせていました。朝廷は、その東北に秋田城や多賀城をきずいて、蝦夷をおさえようとしました。しかし蝦夷は、朝廷へ刃向かうことをやめようとはしません。

坂上田村麻呂は、この蝦夷を討った平安時代の武将です。「見あげるほどの大きなからだ。鷹のようなするどい目。黄金のひげにおおわれたあご。にらめば猛獣もたちまち倒れ、笑えば赤ん坊もなついた」と伝えられている田村麻呂は、中国からの渡来人の子孫でした。

田村麻呂が、桓武天皇 の命令で初めて東北へ向かったのは、33歳のときでした。大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)を征東大使にすえ、田村麻呂は副使として、蝦夷との戦いに加わったのです。

田村麻呂は、「5年まえには、5万の兵を向けながら負けている。こんどこそ、おまえたちの力で蝦夷をしずめてくるのだ」という天皇のことばを胸にしまって、兵を進めました。戦いは、それまでにない大勝利でした。しかし、まだ蝦夷を完全にしたがえたわけではありませんでした。

801年、田村麻呂は、ふたたび大軍をひきいて、東北へ進軍しました。こんどは副使ではなく、征東大使の名を改めて新しく任命された征夷大将軍です。戦いのうまい田村麻呂が攻めてくると知って、蝦夷軍は、北へ北へ逃げました。しかし、田村麻呂はどこまでも追いつづけて敵の大将を捕えました。そして、秋田城と多賀城のほかに胆沢城と志波城を新しくきずいて、蝦夷の反乱に目を光らせるようにしました。

桓武天皇は、こうして蝦夷が静まったのを、どれほど喜んだかしれません。都へ帰った田村麻呂は、朝廷のすべての軍を指揮する長官から正三位へ進み、さらに、大納言の位にまでのぼりつめました。

「死んだのちも朝廷を守る、わしが死んだら都が見えるところに、武将のすがたで立ったままうめてくれ」──こういって田村麻呂は、53歳で世を去りましたが、この遺言通り、その亡きがらは棺を立ててほうむられました。

死後も平安時代を通じて優れた武人として崇められ、「学問の神」の 菅原道真 ─「戦いの神」の田村麻呂と、文武のシンボルとされたばかりか、征夷大将軍のよび名は、そののち武士の最高位となりました。


「5月23日にあった主なできごと」

1663年 殉死の禁止…徳川4代将軍家綱は、「武家諸法度」を改訂し、古くから武士の美徳とされてきた「殉死」(じゅんし・家来などが主君の後を追って自決すること)を禁止しました。

1707年 リンネ誕生…スウェーデンの博物学者で、動植物の分類を学問的に行って「分類学の父」といわれるリンネが生れました。

1848年 リリエンタール誕生…大型ハングライダーを開発して自ら操縦し、航空工学の発展に貢献したドイツの リリエンタール が生まれました。

「おもしろ古典落語」の22回目は、『あたま山』 というばかばかしいお笑いの一席をお楽しみください。

しみったれのけちべえさん。サクランボを食べていて、種をすてるのがもったいないので、いっしょに飲みこみました。この種が腹の中の暖かみで芽を出し、これがだんだん育っていきました。そして、ついに頭を突き抜けて、りっぱな木の幹になって枝を広げ、春になると、みごとな桜の花が咲きはじめました。

「どうだい、あたま山へ花見に行かないか」「あたま山?」「ほら、けちべえさんの頭よ。花が見ごろだってよ」てなことで、大勢の人が、あたま山をめざして集まってきます。茶店も出て、飲めや歌えのドンチャンさわぎ。踊りはおどる、けんかははじまるで、けちべえさんはすっかりまいってしまいました。「桜の花なんか頭の上で咲いてるからいけないんだ、いっそのこと、散らしちまえ」と頭をひとふりしたからたまりません。「うわーっ! 地震だ」と、ゴロゴロゴロゴロ、あたま山からころがり落ちます。

「ああ、これで頭がさっぱりした。…しかし何だな、桜は来年も咲くよ。花が咲くたんびに、こんな目にあうんじゃかなわない。そうだ、いっそのこと、桜の木を抜いてしまおう」ってんで、大勢の人に頼みまして、エンヤコラ、エンヤコラかけ声をかけて引っこ抜いてしまいました。ところが、桜の木があんまり根を張っていたので、引っこ抜いたあとに、大きな穴があきました。

ほうっておいたところ、夕立にあって、これにすっかり水がたまりました。ところが、ケチのけちべえさんですから、水を捨てたくありません。そのままにしておいたら、やがて魚がすみつき、フナだのコイだのダボハゼだのドジョウだのエビだの、いろんなのが泳いで、朝から晩まで、子どもが釣りにきて、わめいたり喜んだり泣いたり、もう、うるさいったらありません。暗くなって、子どもが帰ってやれやれと思ったら、夜になって舟をこいでくるのがあります。「兄ぃ、どうだい、ここらでひとつ、入れてみねぇか」「そうだな、やるとするか」と投網を打ちました。「あっ、痛てぇ! だれだ、おれの鼻の穴へ針をひっかけやがったのは…」 一難去ったらまた一難です。

夏ともなれば、この「あたま池」に夕涼みの舟が出ます。芸者を連れて飲めや歌えの大騒ぎ。威勢よく花火まであがって、ヒューっ、ドドーン、バババン・バーン……。いゃー、もう気が狂いそうになったけちべえさん、こんな苦しみをするくらいなら、いっそのこと死んでしまおうと「なむあみだぶつ」エィーっと…、

自分の「あたま池」に、ドボーンと身を投げました。


「5月20日にあった主なできごと」

1498年 バスコ・ダ・ガマ新航路発見…ポルトガル国王にインド航路を開拓するよう求められていたバスコ・ダ・ガマは、アフリカ南端の喜望峰を経て、この日インドのカリカットに到達しました。リスボンを出発からおよそ10か月でした。この航路発見により、ヨーロッパとアジアは船で行き来できるようになり、ポルトガルはアジアへ植民地を広げていきました。

1506年 コロンブス死去…スペインのイザベラ女王の援助を得て、ヨーロッパ人として最初にアメリカ海域へ到達したイタリア出身の探検家・航海者のコロンブスが亡くなりました。

1799年 バルザック誕生…『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』『従妹ベット』など、90数編に及ぶぼう大な小説を書き上げ、その小説群を「人間喜劇」と総称したフランスの文豪バルザックが生まれました。

今日5月19日は、明治から昭和前期に活躍した日本を代表する哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう)が、1870年に生まれた日です。

現在の石川県かほく市に、代々つづく庄屋の家の長男として生まれた西田は、教師をめざし師範学校に入りました。しかし病気のために退学せざるをえませんでした。さらに、師弟愛にあふれていた金沢の第四高等学校に入学しましたが規則づくめの校則に変わったことに抵抗して退学、その間に両親の死にあうなど、多くの苦難を体験しました。その後は東京帝国大学哲学科選科を卒業、故郷にもどって旧制中学教師や第四高等学校の講師をつとめ、のちに山口高校から学習院大学をへて京都帝国大学の助教授、教授となって退官しました。

その哲学大系は「西田哲学」とよばれ、1911年に発表した『善の研究』にもっともよくあらわれています。「なによりも経験が根本である」と説く純粋経験・実在・善・宗教の4編に分かれ、論理主義と直観主義の統一をめざしたものでした。それまでの日本の哲学は、古代ギリシアに生まれヨーロッパで発達した西洋哲学が、明治維新後に翻訳・紹介されたために、哲学といっても西洋哲学の受け売りにすぎませんでした。そのため、『善の研究』は学界でも注目され、西洋哲学とはひと味違う独自性が評価されて、旧制高校生の必読書となりました。

『善の研究』以後も西田は、居を鎌倉に移し、次々と研究成果を発表しました。西田哲学の根底をなすのは、禅仏教の「無の境地」という考え方で、西田は若い頃に郷里に近い禅寺で座禅体験をしており、それを近代哲学、仏教思想、西洋哲学の中にとりこんだといわれています。世の中のしきたりなどにはあまりこだわらない人で、形式的なことや枠にはまったことが大嫌いでした。とても真面目な性格で、原稿をいったん引き受けたら必ず期限内に書き上げたかわり、書けないと思ったら、どんな依頼にもはっきりことわったといった人間性が伝えられています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、西田哲学の中核をなす 『善の研究』など12編 を読むことができます。


「5月19日にあった主なできごと」

1560年  桶狭間の戦い…織田信長 は、尾張の国桶狭間 (おけはざま・現在の豊明市) で、わずか2千人ほどの兵力で4万5千の軍を率いる今川義元軍を打ち破って、いちやく戦国大名の中でも一目をおかれる存在になりました。

1645年 宮本武蔵死去…江戸時代初期の剣豪で、書画でも優れた作品を残した 宮本武蔵 が亡くなりました。

1725年 新井白石死去…徳川幕府6代将軍家宣(いえのぶ)に仕え、優れた文治政治を行なった儒学者の 新井白石 が亡くなりました。

今日5月18日は、ウィーンで活躍した作曲家、指揮者として知られるマーラーが、1911年に亡くなった日です。

グスタフ・マーラーは、1860年に当時オーストリア領だった現・チェコにあるボヘミア地方カリントの酒造業を営む家に生まれました。幼い頃から音楽的能力の高かったマーラーは、1875年にウィーンに出て本格的にピアノと作曲法を学び、ウィーン大学ではブルックナーから直接指導を受け、作曲賞をとって1878年に卒業。その後は、指揮者や楽長として、ライプツィヒ歌劇場、ブダペスト王立歌劇場、ウィーン歌劇場、ウィーンフィルハーモニー、ニューヨークフィルハーモニーなどで活躍しました。

いっぽう作曲家としては、1884年ごろから交響曲を書きはじめ、1888年に代表作となる 『交響曲第1番ニ長調「巨人」』 を発表しました。標題となっている「巨人」は、ドイツ・ロマン派の作家ジャン・パウルの詩からとったものですが、巨人的な力強さといったものはなく、第1楽章は「若人、美徳、結実、苦悩などの日々」、第2章「人間的な喜劇」というタイトルををつけ、マーラーが経験してきた青春の喜びや苦悩といったものを結晶させたものです。特に、第3楽章 の甘く親しみやすいメロディは印象的です。

マーラーは生涯に、10の交響曲を発表していますが、師であるブルックナーやワーグナーの影響からかベートーベンをイメージし、およそ半分はベートーベンの第9交響曲「合唱」のような声楽を加え、声と管弦楽の融合をはかっているのが特徴です。また、「生と死」「人生」「子ども」「東洋的諦観」などをテーマに、民謡や童謡のメロディ、ラッパのファンファーレなどを取り入れたり、大胆に転調する技法があちこちに見られます。

特に有名な交響曲は、1902年に完成した『交響曲第5番嬰ハ短調』です。5つの楽章からできていて、憂愁と諦観、解放へのあこがれといったものがテーマになっており、特に 第4楽章(アダージェット) は、1971年に公開された映画『ベニスに死す』のバックグラウンドに使われたことはよく知られています。

近年になって、マーラー人気は年を追うごとに高まり、1980年代にはサントリーの高級ウイスキー「ロイヤル」のさまざまな テレビコマーシャル に使用されたり、日本を代表する世界的な指揮者小澤征爾が、30年近く務めたボストン交響楽団の音楽監督を2002年に去る時『交響曲第9番ニ長調』をラストコンサートで指揮したことなど、今やクラシック界で最も人気の高い作曲家のひとりといわれています。

マーラーの作品では他に、失恋の悲しみや苦悩を歌った『さすらう若者の歌』や、6つの楽章すべてに声楽の入る交響曲『大地の歌』が良く知られています。


「5月18日にあった主なできごと」

945年 紀貫之死去…平安時代の中期に活躍した歌人で、『土佐日記』を著わし、三十六歌仙の1人といわれた 紀貫之 が亡くなりました。

1265年 ダンテ誕生…イタリアの都市国家フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家である ダンテ が誕生した日といわれています。代表作は彼岸の国の旅を描いた壮大な長編叙事詩『神曲』、および9歳の時にであった初恋の美少女ベアトリーチェをモデルにした詩文集『新生』。イタリア文学最大の詩人、ルネサンスの先駆者とされています。

1869年 戊辰戦争終結…明治維新で江戸城無血開城後、旧幕府軍をひきいて箱館(函館)の五稜郭を拠点に、蝦夷(えぞ)共和国を樹立した榎本武揚らが降伏し、戊辰(ぼしん)戦争が終結しました。

1872年 ラッセル誕生…イギリスの哲学者・論理学者・数学者で、原水爆禁止や平和運動に力をつくした ラッセル が生まれました。

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