児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2011年03月

今日3月2日は、「ボヘミア音楽の父」といわれ、6つの交響詩からなる『わが祖国』(第2交響詩が『モルダウ』)や『売られた花嫁』などを遺したチェコの作曲家スメタナが、1824年に生まれた日です。

チェコ西部にあるボヘミア地方のビール醸造技師の子として生まれたベドルジハ・スメタナは、子どもの頃から音楽の才能をあらわし、5歳の時に弦楽四重奏団に加わりました。6歳でピアニストとして初舞台をふみ、8歳の時には舞曲を作曲するほどでした。

当時のチェコは、16世紀以来長い間ハプスブルク家の支配下にあって、オーストリアに抑圧されていました。19世紀はじめになって、ヨーロッパに興った国民主義的風潮はボヘミア地方にも及び、独立をめざす民族運動がおこりはじめていました。

スメタナは、父親の反対にもかかわらず、音楽を学ぶためにプラハに出ました。そして、ある貴族家の音楽教師の座を得て、著名な音楽家にピアノと作曲の個人指導を受けました。1848年には、作曲家 リスト から資金援助を受けて、自身の音楽学校を設立するまでになりました。同年に、革命学生部隊の行進曲をかいていますが、ボヘミア独立運動は取締りが厳しくなりました。

さらに弾圧が厳しくなったため、スメタナは1857年、スウェーデンのある音楽協会の指揮者として4年間赴任しますが、この間にオーストリア軍がフランス・イタリア軍に敗れたため、情勢の変わった故国に帰り、以前にも増して民族意識を高め、国民歌劇の創作に乗り出しました。国立劇場の創立とともに主任指揮者となって、愛国的な『ボヘミアのブランデンブルクの人々』を作曲、1866年には名作『売られた花嫁』を初演して、国民の圧倒的な支持を受けました。

しかし、1870年ころから病のため、耳がほとんど聞えなくなり、すべての公職をしりぞいて作曲に専念するようになります。傑作『わが祖国』の作曲に着手したのは1874年、それから5年間、聴覚を失った苦悩を克服して6つの交響詩を完成させました。第2曲目が『モルダウ』で、ボヘミアの森かげに源を発する2つの泉が、やがて川幅を広げ、モルダウの大河となってプラハの町に入り、草原のかなたへ流れ去っていくという情景を描いた交響詩です。

まさにスメタナは、明確にチェコの個性を表現した最初の作曲家だったため、「チェコ国民楽派の開祖」といわれています。1884年に亡くなりましたが、その音楽は『スラブ舞曲』や交響曲『新世界』などで名高い ドボルザーク に引きつがれていくのです。


「3月2日にあった主なできごと」

1894年 オパーリン誕生…生物の起源を科学的に解き明かしたソ連(現ロシア) の生化学者 オパーリン が生まれました。

1943年 野球用語の日本語化…太平洋戦争の激化に伴って「英語」は敵性語であるとされ、この日陸軍情報部は、日本野球連盟に対し、野球用語を日本語化するよう通達を出しました。ちなみに、ストライクは「よし1本・よし2本」。三振は「よし3本、それまで!」、アウトは「よし、退(ひ)け!」、フォアボールは「一塁へ」などとなりました。

1958年 南極大陸横断に成功…イギリスのフックス隊が、ウェデル海から南極大陸に上陸し、南極点を通ってロス海に到達するまで3360kmの行程を、99日間の苦しい旅の末に、この日横断に成功しました。

1931年 ゴルバチョフ誕生…ソ連最後の最高指導者となり、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を進め、政治・経済・文化などの合理化・民主化を行って第2次世界大戦後の東西間の冷戦を終わらせたゴルバチョフが生まれました。

3月1日は、『考へるヒント』『無常といふ事』『本居宣長』などを著し、評論を小説や詩歌のような文芸と並ぶ独立したジャンルへと高めた評論家 小林秀雄が、1983年に亡くなった日です。

1902年、東京神田に生まれた小林秀雄は、東京帝国大学仏文科に入学し、ランボオらフランス象徴派詩人から大きな影響を受けました。ほとんど大学に顔を出さなかったのに、小林のランボオ論を読んだ指導教官は、「これほど優秀なら出席する必要なし」といったというエピソードが残されているほどの学生でした。

1929年、雑誌「改造」の懸賞評論に入選するや、評論家として活躍することになります。以後、時代の流れに冷静な眼を向け、『文芸評論』で、労働者の立場からその心情を描いたプロレタリア文学を批判をするなど、雑誌「文学界」の中心になって活動、『私小説論』『ドストエフスキーの生活』ほか本格的な評論を立て続けに執筆して、戦前の昭和文学史の中で、常に中心的な位置を占めていきました。

太平洋戦争中からは、古典や古美術、哲学、芸術全般へと幅を広げ、戦後間もなく日本文化再発見のエッセイというべき『無常といふ事』を発表しています。さらに、『モオツアルト』『ゴッホの手紙』『私の人生論』『考へるヒント』など話題作を次々に著しました。雑誌「新潮」に1965年から11年間にわたって連載した『本居宣長』は、小林の批評家としての知性を結晶させた記念碑とさえいわれています。

三島由紀夫 は著書『文章読本』の中で「日本における批評の文章を樹立した」と評価するなど、「批評とは、自己を語ること」と主張する小林から、大きな影響を受けた批評家や知識人は枚挙にいとまがありません。


「3月1日にあった主なできごと」

1810年 ショパン誕生…ピアノの形式、メロディ、和声法など、これまでにない表現方法を切り開き「ピアノの詩人」といわれる作曲家 ショパン が生まれました。

1871年 郵便制度開始…これまでの飛脚制度にかわって、前島密を中心に欧米の制度にならった郵便制度をとりいれ、日本に郵便制度をスタートさせました。

1892年 芥川龍之介誕生…『蜘蛛の糸』『杜子春』などの童話や、『地獄変』『河童』『奉教人の死』など百数十篇もの名作をのこした作家 芥川龍之介 が生まれました。

1919年 3.1独立運動…1910年に日本の統治下となった朝鮮で独立運動がおきました。韓国ではこの日を「三一節」という記念日にしています。

1954年 第5福竜丸被爆…南太平洋にあるビキニ環礁で行なわれたアメリカ水爆実験で、危険水域外で漁をしていたにもかかわらず、日本のマグロ漁船第5福竜丸の乗組員23人全員が放射能を浴びる「ビキニ事件」がおきました。9月には無線長の久保山愛吉さんが亡くなったことで、原水爆禁止運動が高まりました。第5福竜丸の船体は、東京・江東区にある「夢の島公園」に展示公開されています。

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