児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2011年01月

今日1月24日は、明治時代の社会主義者で、天皇の暗殺を企てたという疑いにかけられた幸徳秋水が、ちょうど100年前(1911年)に処刑された日です。

「資本家だけが自由で豊かな生活を楽しみ、働く人びとは不自由で貧しい生活に苦しむ世の中のしくみは、まちがっている。人間は、みんな平等でなければいけない」

明治時代の中ごろから、このように考える社会主義が起こりました。1871年に高知県で生まれた幸徳秋水は、この考えを、日本で初めてとなえた社会主義者のひとりです。

秋水が10歳になった年に、民主主義の政治を求めて自由民権運動を進めてきた、高知県出身の 板垣退助 が、自由党を結成しました。秋水は、この退助を子どもながらに尊敬するようになり、しだいに、政治に心をひかれる少年に育っていきました。

16歳のとき、わずかなお金をふところに、家をとびだしました。そして、いちど東京へでたのち大阪までもどり、退助とともに自由民権をとなえてきた 中江兆民 の書生になりました。早く父を亡くしていた秋水は、政治や漢学の教えを受けながら、兆民を父のように慕ったということです。

1898年、27歳になった秋水は、社会主義を主張する「万朝報」へ入り、東京で新聞記者として活動を始めました。また、結成されたばかりの社会主義研究会にも加わり「われは社会主義者なり」と名のって、権力に矢を向けた記事を書きつづけました。

1901年には、同じ考えの人びとといっしょに、社会民主党をつくりました。日本で初めての社会主義の政党でした。しかし、このときの伊藤博文内閣の力で、その日のうちにつぶされてしまいました。秋水は、横暴な国家権力に歯ぎしりしました。でも、くじけませんでした。

やがて、日本が日露戦争へ向かって歩み始めると、万朝報で勇かんに戦争反対をさけび、さらに、万朝報社の社長が国の勢いに負けて戦争賛成をとなえると、こんどは 堺利彦 らと「平民新聞」を発行して、あくまでも戦争反対を訴えつづけました。

ところが、およそ1年で、平民新聞は発行禁止を命じられたうえに、秋水はついにとらえられ、5か月のあいだ刑務所に入れられてしまいました。しかし秋水は、まだ屈せず、刑務所をでるとアメリカへ渡り、半年後に帰国してからは、さらに鋭く、すべての国家権力に反対する無政府主義をとなえるようになりました。でも、これが命とりになってしまいました。

1910年、なかまと天皇暗殺の計画をたてていたという理由で、ふたたびとらえられ、つぎの年、絞首台に送られてしまったのです。歴史に残る「大逆事件」です。いまでは、このとき秋水は無実だったといわれています。


「1月24日にあった主なできごと」

1848年 ゴールドラッシュ…アメリカのカリフォルニア州の大工が偶然に金を発見し、これがきっかけとなって歴史に残るゴールドラッシュのきっかけになりました。1849年には一獲千金をねらう8万人もの人々がカリフォルニアをめざしたといわれています。

1965年 チャーチル死去…第2次世界大戦の際、イギリス首相として連合国を勝利に導くのに大きな力を発揮し、『大戦回顧録』の著書によってノーベル文学賞を受賞した チャーチル が亡くなりました。

1972年 横井庄一発見…太平洋戦争の時の日本兵・横井庄一が、グアム島で発見されました。1944年に上陸してきたアメリカ軍に追われ、島の奥地のジャングルに隠れ、自給自足のくらしを28年も送っていたのです。降伏を恥とする旧日本軍の教えを忠実に守って帰国した横井の第一声は「恥ずかしながら生きながらえて帰ってきました」でした。

「おもしろ古典落語」の3回目は、これまた人気の高い落語のひとつ『出来心(できごころ)』(または『花色木綿』)というばかばかしい「お笑い」を一席。

(親方から、てめぇは素質がないから廃業しろと宣告されたドジでまぬけな泥棒。心を入れかえて悪事に励むと誓ったものの、大きな土蔵の塀を切りやぶったら墓地だったとか、電話がひいてあるので入ったら交番だったなどと話すので、親分はあきれて、[空巣ねらい] でもやってみろといわれます)

「空巣って何です?」「何だ、泥棒のくせに空巣を知らねぇのか」「自慢じゃありませんが…」「そんなこと自慢になるか、人のいねぇ留守をねらって家へ入ぇることだ」「そいつは、たちがよくねぇ」「ばかっ、たちのいい泥棒なんているか。締まりをしねぇで、ちょっと出かけてるやつがいるから、そこをつけこんで入ぇるんだ」

「でも、ここの家は留守かそうじゃないか、わかりませんね」「うん、はじめっからはわからねぇ、表から当たりをつけるんだ」「提灯を持って」「何いってやがる、灯りじゃねぇ、当たり。ごめんくださいって、2,3度声をかけて、中で返事がなければ、戸を開けて中に入ぇって、また声をかける。返事がなくても安心するな、はばかり(便所)にいるともかぎらねぇ。おまけに、おめぇみたいなドジな野郎は捕まらないともかぎらねぇな」「そういうときはどうします?」「盗みをしてるところを見つかったんだからしかたねぇ、そんなときは、むやみに逃げたりしねぇで、あやまっちまう」「ごめんなさい、この次は見つからないようにしますからって?」

「ばかったれ、そういうときは [泣き落とし] という手を使うんだ…盗んだものをみんなそこに出して、まことに申しわけございません。職人のことで、親一人子ひとり、おふくろが3年越しでわずらっておりまして、このごろどうも様子が悪うございますから、もしも留守に間違いがあってはならねぇと、仕事も手につきません。仕事しねぇで家にいれば、だんだん食いこむばかりで、病人に薬を飲ませることもできません。ああ、これを質にでもおいて、おふくろに薬を飲ませたり、うまいものの一つを食べさせられると思いまして、ほんの出来心でございますと、涙のひとつをこぼしてみろ、『それはかわいそうに、出来心じゃしかたがない』と勘弁してくれらぁ、うまくいきゃ、小遣いの少しもくれて、逃がしてくれようって寸法だ、どうだ、わかったか」

(早速仕事に出かけたドジな泥棒、空き巣を試みますがなかなか成功しません。怪しまれて「さいご兵衛さんのお宅はどちらで?」としどろもどろで逃げだしたところ、次の家では、主人が2階にいるのも気づかずに、羊かんを盗み食いして見つかり、「さいご兵衛さんはどちらで?」「オレだよ」「えっ? その、もっといい男のさいご兵衛さんです」「何を?」「よろしく申してました」「誰が?」「あたしが」「この野郎っ」…あわてて逃げだします。[あんな間抜けな名前の野郎が本当にいるとは思わなかった] と、胸をなで下ろしながらたどり着いたのが、長屋の八五郎の家。畳はすり切れてボロボロ。土鍋の中におじやと、きたない褌(ふんどし)があるだけ。しかたなく、おじやを食って、褌を懐に入れたところ、八五郎が帰ってきたので、あわてて縁の下に隠れました。八五郎は、おじやが食われているのを見て、泥棒と見当をつけますが、家賃を盗まれたことにしようと、大家を呼びに行きます)

(家賃は待ってもらったものの、大家から、盗難届けを出さなくてはならないといわれた八五郎は褌と答えます。褌なぞどうでもいい、金目のものはないのかといわれて困ってしまい、苦し紛れに布団を盗られたといいます)

「どんな布団だ? 表の布地は何だ?」「大家さんとこに干してあるやつと同じなんで…」「あれは唐草だ。裏は?」「行きどまりです」「布団の裏だよ」「大家さんのは?」「丈夫であったかで寝冷えをしねぇとこで、花色木綿だ」「えぇ、あっしんとこも花色木綿」

(さらに八五郎は盗まれたものを次々にいい、黒羽二重も帯も蚊帳も刀も南部の鉄瓶もお札も、みんな裏が「花色木綿」と答えます。これを聞いて、縁の下の泥棒は、がまんができずに出てきます)

「やいっ、こん畜生っ、何をいいやがる。もう勘弁できねぇ、さっきから聞いてりゃばかばかしいったらありゃしない。何でも裏が花色木綿だってやがら…笑わせるない」「だれだ? おかしな野郎が縁の下からはいだしゃあがって。てめえは泥棒か?」「あはははは…冗談いっちゃいけねぇ、泥棒だって? おれは何にもとっちゃいねぇ、黒羽二重も先祖代々の刀もねぇもんだ、この家にゃ、きたねぇ褌くれぇで、腐った半てん1枚ねぇじゃねぇか」「何にも盗らなくったって、縁の下から出てきたお前さんは泥棒だろう。黙って人の家に入りゃ、それだけで盗っ人だ」

「へぇ、さようで、どうも申しわけござんせん。じつは職人のことで、親一人子ひとり、おふくろが3年越しでわずらっておりまして…これもほんの出来心でございまして…と涙のひとつもこぼし…」「何だ、素人の泥棒だな、まぁ、出来心というなら許してやってもいいが…わしも、この長屋から縄つきを出したくない、勘弁してやる。それにしても、八公の野郎、まるっきり形のねぇことをいいやがって…あれっ、どこへ行ったんだ、はあっこの野郎、お前が縁の下へ入ぇってどうするんだ? 何だっておれにこんなウソを書かせやがったんだ」

「へぇ、これもほんの出来心で……」


「1月21日にあった主なできごと」

1530年 上杉謙信誕生…戦国時代に武田信玄、北条氏康、織田信長らと合戦を繰りひろげた越後の武将 上杉謙信 が生まれました。

1793年 ルイ16世処刑…1774年にフランス国王となったルイ16世は、当初は人気がありましたが、1776年のアメリカ独立戦争を支援したことなどから財政が苦しくなって1789年にフランス革命を招き、前年に王権を停止され、この日ギロチンで処刑されました。 

1866年 薩長同盟…これまで抗争をくりかえしてきた薩摩藩と長州藩は、この日 坂本龍馬 や中岡慎太郎らの仲介により、薩摩の西郷隆盛らと長州の桂小五郎(のちの木戸孝允)が会談、協力して倒幕し、新国家建設を進めることを誓いました。

1924年 レーニン誕生…ロシアの革命家で、世界で初めて成功した社会主義革命「ロシア革命」を主導し、ソビエト連邦、ソビエト共産党の初代指導者となった レーニン が亡くなりました。

「おもしろ古典落語」の2回目は、これまた人気の高い落語のひとつ『時そば』というばかばかしい「お笑い」を一席。

「夜鷹そば」とも呼ばれた、屋台の二八そば屋へ、冬の寒い夜に飛びこんできた男がいます。「おうッ、何ができる? 花巻にしっぽく? しっぽく、ひとつこしらいてくんねえ。どうだい、寒いじゃねぇか」「今夜はたいへんお寒うございます」「どうでぇ商売は? いけねぇか? まあ、あきねぇってぐらいだから、飽きずにやんなきゃいけねぇ」「ありがとうございます。親方、うまいことおっしゃいますなぁ」

「おめぇんとこの看板がいいねぇ。的に矢が当たって[あたり屋]。縁起をかつぐわけじゃねぇが、おれぁこれから、友だち7,8人集まって、ガラッポーンっと、こんなことしようってんだ。その前に[あたり屋]へ出っくわしたなんざぁ、ありがたい。今夜おれぇ行って思い切り当っちゃおうと思ってね。そばが好きだから、この看板見たらまた来るぜ」「ありがとうございます。…親方、お待ちどうさま」

「よう、早ぇじゃねぇかそば屋さん、気がきいてるね。江戸っ子は気が短けぇからねぇ。出るのが遅ぇと、うめぇもんがまずくなる。しまいにゃ食いたくなくなっちまう。(箸を手にして) えらいっ、感心に割り箸を使ってる。割ってある箸は誰が使ったかわからなくって、心持ちが悪くっていけねぇ。(口にくわえてパチンと割って) いい丼[どんぶり]だね、世辞をいうわけじゃねぇが、ものは器で食わせるってねぇ、中味が少しっくらいまずくたって、入れ物がきれいなら、うまく食えるじゃねぇか…(つぅーと汁を飲んで) 鰹節をおごったねぇ、夜鷹そばってぇものぁ、塩っ辛ぇもんだが、なかなかこういうふうにね、だしをとるのがむずかしい。(そばをつまみあげて) そば屋さん、おめぇといきあいてぇな、太いそばなんざぁ、食いたくねぇや、めしの代わりにそばを食うんじゃねぇからね。そばは細いほうがいい、うっ、いいそばだね、腰が強くってぽきぽきしてやがらぁ、近頃ぁこのくらいのそばに出あわねぇな。うん、いいそばだ…。(竹輪をつまみあげて) 厚く切ったねぇ、竹輪を。薄い竹輪なんざ食った気がしねぇ、歯の間に入るとそれでおしまい。こう厚く切ってくれるとうれしいなぁ、うまい。(ふぅふぅ吹きながら、おいしそうに食べ、しまいに残った汁まで飲み干す) あ、うまかった。もう一杯お代わりといいてぇんだか、じつはよそで、まずいそば食っちまって、おめぇのを口直しにやったんだ、すまねぇ」「結構でございます」

「いくらだい?」「16文いただきます」「小銭だぁ、間違ぇるといけねぇな、勘定してやろう(懐に手を入れて) 手ぇ出してくんねぇ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ、今、何どきだい? 」「へぇ、九つで」「十(とう)、11、12、13、14、15、16」と、勘定を払っていってしまいます。

(これを陰から見ていたのがボーっとした男。「あんちきしょう、よくしゃべりゃがったな。はなからしまいまで世辞ぃ使ってやがら。てやんでぇ。値段聞くこたぁねぇ、十六文と決まってるじゃねぇか。それにしても、変なところで時を聞きやがったな、あれじゃあ間違えちまう」と、何回も指を折って「七つ八つ、今、何どきだい? 七つ八つ、何どきだい? 九つ」とやったな。「ああ…、少なく間違ぇやがった。何どきだい? 九つ、ここで一文かすりゃあがったんだ。うーん、うめえことやったな」と自分もやってみたくなって、翌日早い時刻にそば屋をつかまえます)

「寒いねえ」「へえ、今夜はだいぶ暖かで」「ああ、そうだ。寒いのはゆんべだ。どうでぇ商売は? おかげさまで? 逆らうね。的に矢が…当たってねぇ。どうでもいいけど、そばが遅いねぇ。まあ、オレは気が長ぇからいいや。おっ、感心に割り箸を…割ってあるね。いい丼…まんべんなく欠けてるよ。これじゃのこぎりに使えらぁ。鰹節をおごって…ブァっ、塩っからい、湯うめてくれ。そばは…太いね。こりゃ、うどんかい? まあ、食いでがあっていいや。ずいぶんグチャグチャしてるね。こなれがよくっていいか。竹輪は厚くって…おめえんとこ、竹輪使ってあんの? 使ってます? ありゃ、薄いね、こりゃ。丼にひっついてわかんなかったよ。月が透けて見えらぁ。オレ、もうよすよ。いくらだい?」

「十六文で」「小銭だぁ、間違ぇるといけねぇ、手を出しねえ。それ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ、今、何どきだい?」「四つで」

「五つ六つ七つ八つ……」


「注」……冬の夜の「九つ」は、午前0時~2時。江戸時代の時刻は夕方六ツから、およそ2時間ごとに五四九八七、あけ方から六五四九八七とくり返します。後のボーっとした男が現れたのは「四ツ」で、夜の10時~0時、4文も余計に払ったことになります。


「1月20日にあった主なできごと」

1875年 ミレー死去…『晩鐘』や『落ち穂ひろい』などの名画で、ふるくから日本人に親しまれているフランスの画家 ミレー が亡くなりました。

1926年 ダイヤル式自動電話の設置…日本で初めてダイヤル式自動電話機が、東京・京橋電話局に設置されました。それまでの電話は、電話交換手に相手先を伝えて、接続してもらっていました。

1936年 救急車登場…警視庁消防部が東京都内に救急車6台を配備して、救急業務を開始しました。呼び出しの119番もこの時から始まりました。

1947年 学校給食…太平洋戦争後の食糧難で栄養失調となる児童を救うため、アメリカの慈善団体ララ(アジア救済連盟)から贈られた脱脂粉乳などの物資をもとに、全国主要都市の小学生およそ300万人に学校給食がはじまりました。

今日1月19日は、『アッシャー家の崩壊』『黒猫』『モルグ街の殺人』など、恐怖や暗号などを駆使して開明的な推理小説を著したことで知られるアメリカの作家エドガー・アラン・ポーが、1809年に生まれた日です。

旅芸人の両親のあいだにボストンに生まれたポーは、生まれた直後に両親を失ってしまいました。みなし子になって、アランという商人の家に引き取られて、幼少期の一時期をロンドンで過ごしました。

1826年にバージニア大学へ入学しましたが、恋人との婚約に失敗したり、放蕩の末に大きな借金をかかえて10か月後に退学せざるをえませんでした。養父と不和になって家出をし、1830年に陸軍士官学校に入学しましたが、ここでもなまけて放校になり、アラン家との縁も切れ、ボルチモアに住むおばの家に転がりこみました。文学をめざして、詩集を3冊自費出版しましたが、ほとんど売れなかったため、小説を書くようになりました。

1833年、雑誌の懸賞小説に応募したところ当選し、作家として活動を始めることができるようになりました。あちこちの雑誌編集者として勤務するようになりますが、酒乱を理由に職を失い、貧しさに苦しみながら各地を転々とするようになります。しかし、創作面では代表作となる作品を次々に著しました。恐怖小説『アッシャー家の崩壊』を含む短編集『グロテスクでアラベスクな物語』(1839年)や『黒猫』を含む短編集『物語』(1843年)、初の推理小説といわれる『モルグ街の殺人』(1841年・天才探偵デュパンが人間以外の動物が犯人であることを解明)、暗号小説の草分けとされる『黄金虫』(1843年)などの短編作品群、さらに物語詩『大がらす』(1845年)も評判になりました。

しかし1847年、妻でいとこのバージニアが、貧苦と結核の末に亡くなって、その悲しみを酒にまぎらわすうちに精神異常をきたし、1849年40歳のとき、ポー自身も謎めいた死をとげたのでした。

ポーの作品は、本国よりもむしろヨーロッパで評価され、特にボードレールによる翻訳は、フランスでブームをひきおこしました。ポーが『モルグ街の殺人事件』で作り出した探偵デュパンは、後の推理小説にある「探偵」の原型となっています。また、日本の推理作家で『怪人二十面相』『少年探偵団』を著した江戸川乱歩の名は、ポーに由来していることは、よく知られています。

なお、インターネット図書館「青空文庫」では、ポーの作品『アッシャー家の崩壊』『黒猫』『モルグ街の殺人』(共に佐々木直次郎訳)など、12作品を読むことができます。


「1月19日にあった主なできごと」

1736年 ワット誕生…18世紀末頃からイギリスにおこった産業革命の原動力ともいえる、蒸気機関の改良をおしすすめた ワット が生まれました。

1839年 セザンヌ誕生…ゴッホ、ゴーガンと並ぶ後期印象派の巨匠、20世紀絵画の祖といわれる画家 セザンヌ が生まれました。

1862年 森鴎外誕生…安寿と厨子王の美しい愛情をえがいた『山椒太夫』、安楽死させた罪に問題をなげかけた『高瀬舟』、ドイツで交際した女性をモデルした『舞姫』など数々の名作を著した文豪 森鴎外 が生まれました。

1899年 勝海舟死去…江戸幕府末期の開明的な幕臣として 坂本竜馬 ら幕末の志士を教育したり、咸臨丸で日本人だけの太平洋横断を指揮したほか、幕府側代表として西郷隆盛と会見し江戸無血開城を実現させた 勝海舟 が亡くなりました。

1969年 東大安田講堂の封鎖解除…全共闘の学生によって、半年前から占拠されていた東大安田講堂へ、8500人の機動隊が前日から出動。2日間35時間にわたる激しい攻防の末、封鎖が解除されました。

「寿限無(じゅげむ)」と並んで、もっとも人気の高い落語のひとつ「饅頭(まんじゅう)怖い」というばかばかしい「お笑い」を一席。

(暇をもてあました若者数人が集まって、それぞれ嫌いなもの、怖いものをいいあっていきます。皆んなで、「青大将(ヘビ)」「クモ」「アリ」などといっている中にひとり、「いい若い者がくだらないものを怖がるとは情けない、世の中に怖いものなぞあるものか」とうそぶくのが、普段から、飲み屋の割り前は払わない、けんかは強いからかなわない、という嫌われ者の「松」)

「青大将が怖い? 笑わせやがら、おれなんざ、青大将をきゅっきゅっとしごいて、鉢巻してかっぽれ踊ってやらぁ。クモが怖いだぁ? 何をいってやがんでぇ、おれなんかクモを2,3びきつかまえてきて、納豆なんかにたたっこんで、かきまわしてみろ、納豆が糸ひいてうめぇのうまくねぇの。誰だ、アリが怖ぇっていったの? アリなんざ、赤飯を食うときにゴマの代わりにパラパラとかけて…、もっともアリがかけだして食いにくいが…」

「松、お前ぐらい世の中でつきあいのない奴はいねぇな、みんな怖いものがあるってんだから、たとえ怖いものがないにしろ、何かひとつ怖いものをいってみろよ」「無いよ、おらぁ」「わかったよ、おまえの強えってことは。そんなこといわねぇで、なんか考えてみねぇな」「考えたって、ねぇものはねぇ」「わからない男だな、なんか一つぐらい…」「無いったらねぇ、お前はしつこいからいやだよ。せっかくおれが思い出すめぇと、一生懸命骨おってるときに、しつこく聞きやがって…、ああとうとう思い出しちまった」

「何だ」「いや、これだけはいえねぇ、思い出すだけでゾッとする」「よせよ、なぁ、愛嬌じゃねぇか、みんなが怖いものをいったんだ、怖いのは何だ」「そりゃ、いってもいいけど、お前たちは笑うだろう?」「笑わないよ」「ほんとうに笑わねぇか? じゃいうけど、じつは、おれの怖いのは、饅頭っ」「まんじゅう? 中にアンの入った、むしゃむしゃ食う、あの饅頭かい? あれが? おまえが怖い? ハハハハ…」

「みろ、笑ったじゃねぇか」「へーえ、わからないもんだ、じゃ何かい? 往来なんか歩いていて、ぼっぽと湯気のたっている饅頭屋の前を通るときは、困るだろう」「困るのなんのって、もうたまらねえから、目つぶって逃げ出すんだ。よく法事で饅頭の配りもんなんかに出っくわすが、あのなかに饅頭が入っているなと思うだけでゾッとするね。ああ、話してるうちに、なんだか気持ちが悪くなって、寒気がしてきやがった、アア……」

「いけねぇ、顔色が悪くなってきたよ、医者呼んでこようか」「いや、それほどでもねぇ、ちょっと横になってりゃ大丈夫だ」「それじゃ、そっちの三畳間で少しの間、休んでいろよ。戸棚に布団があるから勝手に出してもらって、この唐紙を閉めておくが、気分が悪くなったら、遠慮なく声をかけておくれ」「ああ、ありがと、じゃそうさせてもらうよ」

(そこで一同、松をひどい目に会わせてやろうと、計略を練ります。話を聞いてさえあんなに震えるんだから、実物を見たらきっとひっくり返っちまうかもしれない、「アン殺」だというわけで、菓子屋から山のように饅頭を買って、松の枕元に置きました)

「松兄ぃ、おい松、起きねぇか」「うっ、あっあっー、あいよ。少しトロトロしたら、起こしやがったな…、あっ、うっうっ…ま、饅頭ぅ」「フッフッフ、あん畜生、泡吹いて怖がってら……」

「畜生、おれが怖がってる饅頭をこんなに買ってきやがったな…、ああ、葛・饅頭か、これは怖いや(とほおばる)、うう、怖い、唐・饅頭、うう怖い(と食べる) 、うう怖い、栗饅だ、怖い…」

「あれっ、饅頭食ってるぜ」「こん畜生、いっぺえ食わされた。懐ん中に入れたり、たもとへ入れたりしてやがる。この野郎、てめぇ饅頭食ってやがるじゃねぇか。お前ぇの本当に怖いのは何だ?」

「へへへ、あとは、熱いお茶が怖い」


「1月18日にあった主なできごと」

1467年 応仁の乱…室町幕府の執権を交代で行なっていた斯波、細川と並ぶ三管領の一つである畠山家では、政長と義就のふたりが跡目争いをしていました。この日、義就の軍が政長の軍を襲い、京の町を灰にした11年にも及ぶ「応仁の乱」のはじまりとなりました。将軍 足利義政 の弟義視と、子の義尚の相続争い、幕府の実権を握ろうとする細川勝元と山名宗全、それぞれを支援する全国の守護大名が入り乱れる内乱となっていきました。

1657年 明暦の大火…この日の大火事で、江戸城の天守閣をはじめ江戸市街の6割以上が焼け、10万8千人が焼死しました。本郷にある寺で振袖供養の最中に、振袖を火の中に投げこんだ瞬間におきた突風で火が広がったことから「振袖火事」ともいわれています。

1689年 モンテスキュー誕生…『法の精神』を著したフランスの法学者・啓蒙思想家で、司法・行政・立法という政治の三権分立をとなえ、アメリカ憲法や「フランス革命」に大きな影響を与えたモンテスキューが生まれました。

1882年 ミルン誕生…「くまのプーさん」シリーズを著したイギリスの童話作家・劇作家・エッセイストのミルンが生まれました。

1919年 パリ(ベルサイユ)講和会議…第1次世界大戦後の講和会議が、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本の5か国が参加してパリで開催されました。講和条約の調印式がベルサイユ宮殿で行われたことから、ベルサイユ会議とも呼ばれています。この条約により国際連盟が成立することになりました。また莫大な賠償金を強いられたドイツは経済破綻をおこし、ナチス党がおこるきっかけとなりました。

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