児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2010年12月

今日12月27日は、平安時代中期に活躍した書道家で、それまでの中国的な書風から脱皮して、和様(日本式)書道の基礎を築いた小野道風が、966年に亡くなった日です。

ある日、道風が、ふと柳の下を見ると、1匹のカエルが、たれさがった枝に飛びつこうとしていました。カエルは、飛びあがっては落ち、落ちては飛びあがりました。失敗しても失敗しても、あきらめません。そして、しだいに高く飛べるようになったと思うと、ついに成功しました。道風は、心をうたれ、それまで自分の努力がたりなかったことを反省して、やがて、すばらしい書家になりました……。

この話は、伝説です。でも道風が、自分の心の弱さにうち勝ってこそはじめて、歴史に残る書家になることができたことを、おもしろく伝えています。

道風は、聖徳太子の時代に遣唐使として中国へわたった小野妹子の子孫です。894年に尾張国(愛知県)で生まれ、72歳で亡くなるまで、醍醐、朱雀、村上の3人の天皇に役人としてつかえました。

しかし、先祖がどんなに血筋の正しい家がらでも、道風は、役人としては出世できませんでした。そのころの朝廷では天皇家とつながりをもつ藤原氏が政治の権力をにぎり、藤原氏以外の人びとは、たとえ家がらがよくても、才能があっても、人一倍努力をしても、高い位にはのぼれなかったためです。

役人になってまもなく、幼いころから筆を持つことが好きだった道風は、書家として身をたてることを決心しました。そして、何度もくじけそうになるのをのり越えて、30歳には、もう日本一といわれるほどの書家になっていました。道風が32歳になった926年に、奈良興福寺の寛建という僧が日本を代表する書を持って唐へわたりましたが、それは、道風が書いた巻物だったということです。

道風は、宮廷の書家として、天皇が命令を伝える勅書や、宮中の屏風を飾る詩の文字などを、おおく書きました。また、書を習う人びとのために、いくつもの手本の巻物を書きました。

しかし、いまは、『屏風土代』という屏風の詩の下書き、国宝となっている『智証大師諡号勅書(ちしょうだいししごうちょくしょ)』と題する天皇のことばを伝えたもの、『玉泉帖(ぎょくせんじょう)・写真』という巻物を除くと、道風の書とはっきりしているものは、ほとんど残っていません。

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道風は、それまでの中国ふうのかたい書からぬけだして、やわらかい日本独特の美しさをもつ書をつくりだしました。そして、のちには、藤原佐理(すけまさ)、藤原行成(ゆきなり)とともに、「三蹟」とたたえられるようになりました。


「12月27日にあった主なできごと」

1571年 ケプラー誕生…惑星の軌道と運動に関する「ケプラーの法則」を発見したケプラーが生まれました。

1780年 頼山陽誕生…源平時代から徳川にいたる武家700年の歴史を綴った 「日本外史」 を著した学者・歴史家で、詩人・書家としても活躍した頼山陽が生まれました。

1822年 パスツール誕生…フランスの細菌学者・化学者で、狂犬病ワクチンを初めて人体に接種したことなどの業績により、「近代細菌学の開祖」といわれのパスツールが生まれました。


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新年は5日からスタートする予定です。
皆さま、良いお年を !

今日12月24日は、イギリスの物理学者で「ジュールの法則」の発見や「エネルギー保存の法則」の原理を導いた一人であるジュールが、1818年に生まれた日です。

ジェームス・プレスコット・ジュールは、マンチェスター近郊のサンフォードにある裕福な醸造家の子として生まれました。19世紀のはじめのイギリスは、産業革命がかなり進んでいて、特にマンチェスターは、ロンドンやバーミンガムと並んで工業都市の中心でした。しかしジュールは、子どものころから病気がちだったため、学校教育を受けずに、家庭教師について自宅で学びました。

科学に興味を持ったジュールは、家の一室を実験室に、さまざまな研究をはじめました。1834年から、原子論で名高い ドルトン の開いた地元の私塾に入り、数学や化学を学びました。ドルトンは年老いていましたが、ジュールの熱心さと能力を高く評価して、「文芸自然協会」という学者たちの集まりにも誘ってくれました。

やがてジュールは、自分の家の酒造りに使っていた発電機やモーターを調べてみました。当時の動力は蒸気が中心だったので、より効率のよい電気動力にできないものかと、実験を重ねはじめました。そのうち、電磁石の針金が電流を通すと熱くなることに注目して、1840年、有名な「電気の導体の発熱量は導体の抵抗と電流の2乗との積に比例する」という「ジュールの法則」を発見しました。また、電流によって発生する熱のことは「ジュール熱」と呼ばれています。これらの発見は、ジュールがわずか22歳の時の快挙でした。

そののちのジュールは、モーターからさらなる発電機の研究に移り、強い電磁石の働いているところへ、小さい発電機を回し、電磁石のまわりに水を入れたガラス管をくくりつけて、回転する電磁石の中で出来る熱(ジュール熱)でどのくらい水温が上がるかを温度計で調べてみました。こうして、水を1度温めるためには、同じ分量の水を424mもちあげる仕事量に等しいことを発見しました。これは、マイヤーやヘルムホルツの研究と並んで「エネルギー保存の原理」を打ち立てるものでした。

1847年、ジュールは、オックスフォードで開かれた「大英学術協会」で、これまで手がけてきたさまざまな実験と研究についての論文に関し、詳細な説明をしました。しかし科学者たちは、ジュールの話を真剣に聞こうとしません。ジュールが、酸造業者で学者でなかったからだといわれています。座長がジュールに話を早めに切り上げるように求めたところ、聴衆の中の一人の若者が立ち上がり、この実験はとても大切なものだと、ジュールにいくつかの質問をしたのです。おかげで、学者たちはやっとジュールの研究に注目するようにようになりました。この青年こそ、のちの大物理学者となるケルビン卿で、やがて二人は友情をかわすようになり、協力者になっていきました。

しかし、晩年のジュールは不遇でした。豊かだったジュール家が時代の嵐のなかに埋没してしまい、1889年に亡くなりました。


「12月24日はこんな日」

今夜は、クリスマス・イブです。12月25日がイエス・キリストが誕生した日といわれ、その前日の夜なのでクリスマス・イブといいます。(詳細は、2009.12.24ブログ 参照)


「12月24日にあった主なできごと」

1524年 バスコ・ダ・ガマ死去…ポルトガルの航海者で、アフリカ大陸南端にある喜望峰まわりのインド航路を発見し、ポルトガル海上帝国の基礎を築いた バスコ・ダ・ガマ が亡くなりました。

1814年 ガン条約…ナポレオンの大陸封鎖に対抗し、イギリスはアメリカの海上を封鎖して、フランスとアメリカの交易を妨害したことで、英米戦争が勃発していました。この日ベルギーのガンで、両国は講和条約に調印(ガン条約)、アメリカとカナダとの国境が確定しました。

1953年 奄美群島返還協定…1972年の沖縄返還協定に19年先立ち、奄美群島(奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島)をアメリカから日本に返還する調印が行なわれました。

今日12月22日は、日露戦争の日本海海戦を指揮し、ロシア艦隊を破ったことで国民的な尊敬を集めた東郷平八郎が、1847年に生まれた日です。

薩摩藩(鹿児島県)の下級武士の子として生まれた東郷は、幼いころから厳しく育てられ、剣法や砲術などを学びました。1863年の「薩英戦争」のとき、はじめて実戦に参加し、3年後に藩の海軍方に入りました。

1868~69年の「戊辰戦争」では、軍艦「春日」に士官として乗りこみ、新潟や函館に転戦して阿波沖海戦、箱館戦争などで活躍。明治政府の海軍士官となって1871年から1878年までイギリスへ留学し、イギリス海軍の組織や技術、国際法などを学びました。帰国後も軍艦に乗りこんで洋上勤務を重ね、1894年にはじまった「日清戦争」では、「浪速」の艦長になって出動し、豊島沖海戦などで戦功を立てました。

東郷がもっとも華々しい活躍をしたのは、何といっても1904~5年の「日露戦争」でしょう。連合艦隊司令長官として旅順港の封鎖作戦を成功させてロシア艦隊を撃破したばかりでなく、日本海海戦で世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊をほぼ全滅させました。このニュースは世界を驚かせ、「東洋の ネルソン 」と称賛されたばかりか、日本の国際的地位を「五大国」の一員にするまで引き上げることになりました。

1913年には軍隊における最上級の階級である元帥に昇進し、皇太子(のちの昭和天皇)の教育の責任者として東宮御学問所総裁をつとめるなど、軍人に徹した人生を全うし、1934年に国葬により葬られました。


「12月22日にあった主なできごと」

1572年 三方が原の戦い…甲斐の 武田信玄 は、三方が原(浜松市付近)で、徳川家康・織田信長 軍と戦い、勝利をおさめました。家康の一生で唯一の敗戦といわれています。

1885年 伊藤博文初代内閣総理大臣…明治政府は、太政大臣制を廃止して内閣制度を開始し、初代の内閣総理大臣に 伊藤博文 が就任しました。

今日12月21日は、すべての植物には細胞核が存在することや、「ブラウン運動」とよばれる貴重な発見をしたイギリスの植物学者のブラウンが、1773年に生まれた日です。

スコットランド東部のモントローズに、牧師の子として生まれたロバート・ブラウンは、エジンバラ大学で、医学と自然科学を学び、軍医となりました。

1801年からブラウンは、イギリスの博物学者バンクスに推せんされて、フリンダース率いるオーストラリア探検隊に植物学者として参加しました。5年間にわたってオーストラリアの植物およそ4000種を採集して帰国、たくさんの新種を発見しました。

1810年には司書として、バンクスの蔵書と標本を管理するようになり、リンネ協会の司書をへて、1827年に大英博物館の植物標本管理責任者となりました。主として植物分類の研究を行い、被子植物(種になる部分[胚珠]が子房に包まれている植物)と裸子植物(胚珠が子房に包まれていない植物)をはじめて区別したり、どの細胞にも「細胞核」がふくまれていることなどを確認しています。

さらに、水面に浮かんだ花粉を顕微鏡で観察していたところ、わずかに振動して、不規則な動きをしているのに気がつきました。ブラウンははじめ、この動きは生物の運動の一種ではないかと考えましたが、ほかの水に溶けない小さな粒子でも、同じような運動をすることを発見しました。これは、「ブラウン運動」とよばれています。
 
ブラウンはこの運動の原因を解明することはできずに、1858年に亡くなり、長い間原因不明のままでした。しかし、1905年アインシュタインが「ブラウン運動」は、分子の不規則な衝突によって引き起こされる現象であると数学的に解析する理論を発表、これにより、原子や分子の存在が解明されるきっかけになりました。


「12月21日にあった主なできごと」

1339年 南北朝時代はじまる…後醍醐天皇が吉野に移り「南朝」を開いたため、室町幕府を開いていた足利尊氏は新しい天皇を立てて「北朝」として、朝廷の分裂時代がはじまりました。南北朝時代は、室町幕府3代将軍足利義満が1391年、北朝に統一するまで続きます。

1909年 松本清張誕生…『点と線』『ゼロの焦点』など、「社会派推理小説」と呼ばれる傑作を次々にヒットさせた 松本清張 が生まれました。

今日12月20日は、『怒りのぶどう』『エデンの東』など多数の話題作を著したアメリカの作家スタインベックが、1968年に亡くなった日です。

1902年カリフォルニア州サリナスに生まれたジョン・スタインベックは、幼いころから故郷の自然や農場に親しみ、動物や草木の生命の尊さを肌で感じながら育ちました。やがて、ドストエフスキー『罪と罰』、ミルトン『失楽園』などを読みふける文学好きな少年に生長しました。

1920年、スタンフォード大学に入学して海洋生物学を学びましたが、翌年には授業を全休して、牧場や道路工事、砂糖工場などでさまざまな労働を経験しました。1925年には退学して帰郷し、山小屋の番人をしたり、マスの孵化場などで働くかたわら、売れない小説を書きはじめました。そんなさまざまな体験により、苦しい生活をする下層民を理解する心が培われたのでしょう。1935年、浮浪者仲間を主人公とした『トーティーヤ大地』を出版したところ、ベストセラーになって、いちやく注目されました。

スタインベックの名を決定づけたのは、1939年に発表した『怒りのぶどう』です。大恐慌のさなか、大干ばつや砂嵐、大資本の進出によってオクラハマの土地を奪われた農民が、カリフォルニアへむかう旅と苦闘の人生を描いたもので、1930年代のアメリカ資本主義社会の矛盾に怒りをぶつけた小説でした。作品は賛否両論を引き起こしましたが、アメリカ史上記録的なベストセラーとなり、「ピュリッツァー賞」「全米図書賞」などを受賞しました。 さらに『怒りのぶどう』は、ヘンリー・フォンダの主演で映画化され、2つのアカデミー賞を獲得しています。

1952年には、大作『エデンの東』を発表。旧約聖書の「創世記」に記されているカインとアベルの確執や、カインがエデンの東へ逃亡する物語をヒントに、南北戦争から第一次大戦までの時代、カリフォルニアの一家族の歴史を描いた作品で、父親からの愛を切望する息子の葛藤と反発、和解などを描きました。1955年に公開された映画は、ジェームス・ディーンの演技が話題を呼んで、大ヒットを記録しました。

スタインベックは、1962年にはノーベル文学賞を受賞しましたが、国内の評価はあまり芳しいものでなく、晩年の生活は決してめぐまれたものではありませんでした。作品には、上記以外に『二十日鼠と人間』『月は沈みぬ』などのほか、厳しい自然の中に生きる、4つの短編からなる心の優しい少年の物語『赤い子馬』があります。この作品は、スタインベックの自伝的な小説といわれています。


「12月20日にあった主なできごと」

1848年 ルイ・ナポレオン仏大統領…皇帝 ナポレオン の甥にあたるルイ・ナポレオンが、選挙に全投票の75%を得て、第2共和制大統領に就任。その後ルイは大統領の権限を強化し、4年後に第2帝政をはじめ、ナポレオン3世となりました。

1853年 北里柴三郎誕生…ドイツの コッホ に学び、ジフテリアや破傷風の血清療法の完成やペスト菌の発見など、日本細菌学の開拓者 北里柴三郎 が生まれました。

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