今日7月1日は、19世紀ロマン派の作家として、バルザックデュマ と並び称されるフランスの女流作家サンドが、1804年に生まれた日です。

ジョルジュ・サンド(本名はオーロール・デュパン) は、ポーランド王の血をひく軍人の父の子としてパリに生まれました。父が早くなくなったため子ども時代は、フランス中東部ノアンにある祖母の邸宅で過ごしました。この田舎での生活はのちに代表作となる 『魔の沼』 『愛の妖精』 など田園小説のたいせつなモチーフとなっています。

17歳のときに祖母が死に、ノアンの領地と遺産をひきついでパリに出ました。そして1822年、サンドの美貌と財産が目当てのデュドバン男爵と結婚して1男1女をうみました。しかし結婚生活はうまくゆかず、10年間はしんぼうするもののついに別居、自活するようになりました。そのころ、のちに作家として有名になったジュール・サンドーと知り合ったことで小説を書くようになりました。

でも当時は、女性が小説を書くことはなかったため、処女作は1833年、サンドーとの合作として発表。この作品の評判がよかったため、それ以後は「ジョルジュ・サンド」のペンネームを使うようになり、まもなく書いた『アンディアナ』 は大変な評判となり、たちまち人気作家として注目されるようになりました。以後亡くなるまでの45年間に、100編以上の著作を遺しています。

男装して社交界に出入りすることも話題となり、詩人のミュッセ、医師パジェロ、音楽家リストらとつぎつぎに恋愛関係をもちました。特に、「ピアノの詩人」 ショパン とは、1838年から47年まで同棲したことは有名です。

晩年のサンドは、ノアンの村の子どもたちのために人形芝居や童話を作って、村人に親しまれました。それらの童話は『祖母の物語』という2冊の本になっています。美しい田園生活を通して、働くことの尊さ、正しいものの強さ、めぐまれない人たちへあたたかい心遣い、かざりけのない態度といったものが、作品に強く流れています。

サンドはたくさんの文学者と友情を結び、村人たちに「やさしい奥さま」と慕われながら、1876年ノアンの自宅で亡くなりました。


「7月1日にあった主なできごと」

770年 阿倍仲麻呂死去…奈良時代に遣唐留学生として中国(唐)にわたり、唐朝の高官に登るも日本への帰国が果たせなかった歌人・阿倍仲麻呂 が唐で亡くなったといわれています。

1787年 寛政の改革…江戸幕府の老中 松平定信 は、8代将軍 徳川吉宗 の享保の改革にならい、この日から「寛政の改革」を行い、武芸や学問の奨励、緊縮財政、風紀取締りによる幕府財政の安定化をめざしました。一連の改革は、田沼意次が推進した商業重視政策を否定したものでした。

1918年 赤い鳥創刊…日本には、わが子に読ませたくなるような作品がないことを残念に思った作家の鈴木三重吉が、童謡と童話の雑誌 「赤い鳥」を創刊しました。(2007.6.27ブログ 参照)日本童謡協会は「赤い鳥創刊」を記念して、1984年より7月1日を「童謡の日」と制定しました。

1997年 香港返還…アヘン戦争を終結させるため、清とイギリス間で結ばれた南京条約(1842年)により、イギリスに割譲された香港でしたが、イギリスから中国へ返還され、特別行政区となりました。