児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

2010年04月

今日4月22日は、コロンブスが1492年にヨーロッパ人として初めてアメリカを発見した8年後の1500年、ポルトガル人のカブラルがブラジルに漂着し、ポルトガルの旗を立てて領土とした日です。

ラテンアメリカ(中南米)諸国は、ほとんどスペイン語を話しますが、ブラジルだけがポルトガル語を話すのはそのためで、その後322年間、ポルトガルはブラジルを植民地にしました。

ポルトガル人は、原住民であるインディオを労働力に利用していましたが、18世紀に金鉱山が発見されるとゴールドラッシュが起こり、およそ30万人のポルトガル人がブラジルに移住しました。さらに、金採掘の労働力を補うためにたくさんの黒人をどれいにしました。

19世紀の初め、ナポレオン に侵攻されたポルトガルは、宮廷をリスボンから、ブラジルのリオデジャネイロに遷し、1815年にはポルトガル・ブラジル連合王国の首都に定めたこともありました。しかし、1820年ごろから独立運動が盛んになり、1822年にブラジルはポルトガルからの独立を果たし、王政となりました。

1889年に連邦共和国となったブラジルは、どれい制を廃止しましたが、かわりに広大な土地に必要な人口増加を、世界各地からの移民にたよってきました。日本からもたくさんの人たちがブラジルに移民しており、1908年に最初の移民が渡って以降、毎年2万人もの移民が20年以上もつづきました。そのため、サンパウロ市を中心とした現在の日本人社会は、150万人規模となり、海外最大となっています。

なお、ブラジルの面積は世界第5位、人口2億人近くもいる大国で、最近の経済成長はめざましく、ロシア、インド、中国と並んで「BRICs」(ブリックス) とよばれる新興経済国群の一角にあげられています。


「今日はこんな日」

地球の日(アースデイ) …地球全体の環境を守るため、一人ひとりが行動をおこす日として、1970年からスタートした世界規模の記念日です。


「4月22日にあった主なできごと」

1451年 イサベル1世誕生…1474年カスティリャ王国の女王となり、夫がアラゴン国王となったのを機に両国を統合し、スペイン王国を建国、初代女王となりました。1492年にはイスラム国家グラナダ王国を制圧し、約800年にわたったレコンキスタ(国土回復運動)を完成させました。コロンブス を援助して新大陸を発見(1492年)、スペイン海外発展のキッカケとしたことは有名です。

1927年 支払い延期令…この年の3月倒産や休業したりする銀行が続出、この金融恐慌を鎮めるために、3週間にわたる「支払い延期令」(モラトリアム) をこの日に発令、即日実施しました。日本銀行は、2億円の非常貸し出しに印刷が間に合わず、片面白紙の200円札を発行しました。


* 4月23日からプライベートで 「中欧の旅」 へ出かけるため、ブログを休載いたします。次回は5月10日からの予定です。

今日4月21日は、豊臣(羽柴)秀吉 が、信長亡きあと後継の最大のライバル柴田勝家と戦った「賤(しず)が岳の合戦」が、1583年にあった日です。

1582年、天下を治めるかにみえた 織田信長 は、京都本能寺で家臣明智光秀に討たれてしまいました。信長の後継をめぐる争いは、信長の長男の子秀信(当時3歳)を推す秀吉派と、三男の信孝を推す勝家派に分かれました。

勝家の本拠地は越前(福井)だったため、雪が深く冬に兵を動かすことができません。秀吉はそのすきに、岐阜にいる信孝を攻めて降参させました。

雪がとけるのを待った勝家は、3月に2万の兵を率いて近江に出て、秀吉の軍と相対しました。高台に立って勝家軍を見て、簡単には勝てないと判断した秀吉は、賤が岳に20余りの砦を築いて家来たちに守らせました。

そこへ、信孝が再度兵をあげたとの知らせを受けた秀吉は、岐阜にもどりました。そのすきに、勝家は、秀吉がこしらえさせた賤が岳の砦に攻めかかり、これを打ち破っていったのです。

この報せを受けた秀吉は、疾風のように賤が岳に引き返し、この地で激しい戦闘が開始されました。これが「賤が岳の合戦」です。

この時突然、勝家側についていたはずの信長の重臣の一人だった前田利家は、戦闘を放棄して加賀へ帰ってしまいました。秀吉に味方すれば義理を欠き、勝家に味方すれば家臣たちを迷わせると考えた末の利家の行動であったといわれています。

結果的に、利家が離脱したあと勝家軍は「賤が岳七本槍」(加藤清正・福島正則他)らの活躍により打ち破られ、勝敗は決します。こうして、信長の後継の武将のなかで、秀吉に対抗できるものがいなくなりました。

なお、信長の妹であるお市の方は、浅井長政と結婚して三人の娘(のちに長女・茶々は秀吉側室=淀殿に、次女・初=京極高次正室、三女 ・江=徳川秀忠正室・家光の母)をもうけますが、やがて長政が信長に滅ぼされたのち、柴田勝家の妻となっていました。この賤が岳の合戦でお市の方は、娘たち三人を脱出させ、勝家とともに死んでいきます。このあとの三姉妹の行動、特に茶々(淀君)の行動は、母お市の方の無念を晴らすためだったのではないかといわれるなど、お市と浅井三姉妹の波乱に満ちた生涯は、たくさんのドラマに描かれてきました。来年のNHK大河ドラマは、三女の「江(ごう)」に決定しています。


「4月21日にあった主なできごと」

1782年 フレーベル誕生…世界で初めて幼稚園をつくるなど、小学校就学前の子どもたちのための教育に一生を捧げたドイツの教育者 フレーベル が生まれました。

1910年 マークトウェーン死去…「トムソーヤの冒険」「ハックルベリーフィンの冒険」「王子とこじき」など、わんぱくな自然児と少年たちの冒険物語を著したアメリカの作家 マークトウェーン が亡くなりました。

1951年 民間放送の日…民間放送16社に予備免許がおりて、これまでNHKだけの放送から、さまざまな局の番組を選べるようになりました。放送はこの年の秋、ラジオからスタートしました。

今日4月20日は、僧侶から油売りをへて、美濃の武将となった戦国大名の斉藤道三が、1556年に亡くなった日です。

美濃(岐阜県)稲葉山の城下に「一文銭の油売り」とよばれる若い商人が、人気を集めていました。

油を売るとき、客がさしだした壷の口に一文銭をあて、一文銭のまん中にあいている小さな穴を通して、油をそそいでみせます。少し高いところから油をそそいでも、一文銭の穴のまわりをぬらすことはありません。人びとは、このみごとな油そそぎのわざを楽しみに、われもわれもと油を買いにきました。

この男こそ、のちに美濃の支配者となった斎藤道三です。

道三というのは、美濃支配の望みを果たしてからの名です。幼いころの名は、峰丸といいました。

峰丸は、10歳をすぎたころ、わが子を出世させたい父の考えで、京都の寺にあずけられ、法蓮坊と名のりました。学問を身につけていく力は、おどろくほどだったということです。

ところが、修行なかばで美濃へまいもどってしまいました。たとえ僧でも家がらがよくなければ出世できないことに怒って、寺をとびだしたのだといわれています。油商人の娘とむすばれ、名を庄五郎と改めて油売りをはじめたのは、このときです。

しかし、まもなく、一文銭の油売りのみごとさを武士にほめられたことから、自分も武士をこころざし、27、8歳のころには油売りをやめて、武芸にはげむようになりました。そして、やりのけいこをはじめたと思うと、一文銭の穴にやりを突き通してみせるほどに上達して、またも人びとをおどろかせました。

やがて庄五郎は、美濃国を支配する守護大名土岐氏の家臣長井長弘にみとめられて、ついに、武士になりました。出世をのぞんでいた庄五郎の胸に、戦国大名への夢がもえはじめたのはとうぜんです。やりの名人とたたえられるようになった「一文銭の油売り」は、力で人を征服する武士の道を、まっしぐらに進んでいきました。

1542年、48歳のときに、とうとう、美濃国を手に入れてしまいました。西村勘九郎利政、長井新九郎利政、斎藤新九郎利政と名をかえながら、自分の出世のために、自分がつかえた主君をつぎつぎに討って、野望を果たしたのです。

稲葉山城の城主となると、頭をまるめて道三と名のり、こんどは身のまわりをかためるために、自分の娘を 織田信長 にとつがせました。でも、道三の運命も、これまででした。

最後の敵となったのは、しかも、わが子の義龍です。あとつぎ問題から親子で争い、長良川ふきんでの戦いに敗れて首をはねられてしまいました。いかにも戦国の武将らしい生涯でした。


「今日はこんな日」

郵政の日…1871年に日本でそれまでの飛脚制度に代わって、はじめて郵便制度がしかれたことを記念する日です。


「4月20日にあった主なできごと」

1141年 栄西誕生…鎌倉時代の僧で、禅宗の「臨済宗」を開いた 栄西 が生まれました。

1855年 犬養毅誕生…明治~昭和の政治家で、政友会総裁となり首相に就任するも、五・一五事件で暗殺された 犬養毅 が生まれました。

1889年 ヒトラー誕生…「わが闘争」を著しドイツのナチス党をひきいた独裁者 ヒトラー が生まれました。

1901年 日本初の女子大学…この日「日本女子大学校」(現在の日本女子大学)がこの日開校しました。創立者は成瀬仁蔵で、古来の良妻賢母主義から、一人の人間としての人格形成を新しい女性像として掲げてスタート。制服のえび茶色のはかまが注目の的でした。

4月19日は、アメリカがイギリスからの支配から独立し、民主主義革命をなしとげた数年間にわたる独立戦争を、1775年に開始した日です。

北アメリカの東海岸は、18世紀にイギリスなどからわたってきた人たちが移住していました。13の州をつくってそれぞれ議会を開いて自治を行なってきましたが、イギリスの植民地だったため、本国への代表権もありませんでした。

イギリスは18世紀後半になって、7年間もフランスと植民地を奪い合うフレンチ・インディアン戦争をしていました。戦争になんとか勝利はしたものの、ばく大なお金をつかったイギリス本国は、アメリカに重い税金をかけるようになりました。植民地の人びとは、「代表なくして課税なし」と主張し、イギリス商品の不買運動や、1773年には東インド会社に茶の独占販売権を与える茶法に反発して「ボストン茶会事件」を起こしました。インディアンに変装した急進派が夜中に船に潜入し、積荷をすべて海に捨てたのです。さらに13植民地の人々は、1774年には植民地の代表が集まる大陸会議を開き、イギリス本国の課税強化に抗議をしましたが、本国はこれをほとんど無視しました。

対立はつづき、翌年のこの日、植民地の軍事物資を押収するためにボストンの西北20kmにあるレキシントン・コンコードに出動したイギリス軍と、武装した植民地軍が衝突し、ついに独立戦争の火ぶたが切られたのでした。

植民地革命をめざす人たちは、まもなく大陸軍を発足させ、13植民地政府のすべてを掌握するようになりました。そして1776年には、大陸会議は「アメリカ独立宣言」を発表して、13植民地の連合による「アメリカ合衆国」を正式に発足させました。

しかし、戦争の遂行は容易ではありませんでした。イギリス海軍は東海岸沿海を制していました。陸軍兵力が少なかったために支配地域は限られたものではありましたが、イギリスが優勢に戦いを進めていました。

1778年、フランスがアメリカ側に付いて参戦したのをきっかけに、スペインやオランダもアメリカ側に付きました。そして1781年、アメリカ軍はワシントンに近いヨークタウンの戦いでイギリス軍に大勝、実質的な戦闘は終わらせたのでした。1783年パリ条約で、イギリスはアメリカ合衆国の独立を認め、戦争は終結しました。
 

「4月19日にあった主なできごと」

1824年 バイロン死去…ヨーロッパじゅうがゆれ動き、混乱していた19世紀の初めに、ロマン派の代表的な詩人として活躍しイギリス最大の詩人のひとりといわれる バイロン が亡くなりました。

1882年 ダーウイン死去…イギリスの博物学者で、生物はみな時間とともに下等なものから高等なものに進化するという「進化論」に「自然淘汰説」という新しい学説をとなえた ダーウィン が亡くなりました。

今日4月16日は、『黄金狂時代』『街の灯』『モダンタイムス』『独裁者』『ライムライト』など山高帽にチョビひげ、ダボダボずぼん、ドタ靴、ステッキといういでたちで、下積みの人たちの悲しみや社会悪を批判する自作自演の映画で名高いチャップリンが、1889年に生まれた日です。

チャップリンは、ロンドンの貧民街で生まれました。両親はまずしい旅芸人でしたが、チャップリンが6歳のときに父が亡くなり、7歳のときには、母が苦しい生活のために精神病にかかって、病院へ入院するようになってしまいました。

のこされたチャップリンと兄のシドニーは、床屋の手つだいをしたり、マーケットの売り子をしたりして、いっしょうけんめいに働きました。でも、食べるのがやっとです。アパートの部屋代はとても払えず、公園のベンチや道ばたで、夜をあかしたこともありました。

やがて、母の病気はよくなり、まずしくても、母子3人いっしょにくらせるようになりました。そして12歳になったとき、チャップリンに幸せがおとずれました。母が、むかし歌手だったころの知人の世話で、「シャーロック・ホームズ」 という劇の子役に出演が決まったのです。でも、かんじんの自分のセリフが読めません。家に持って帰り一晩中かかって、母に読んでもらったセリフを暗記したのでした。学校へいっていなかったために、字が読めなかったのです。それからは、素晴らしい速さで、読み書きができるようになったばかりか、難しい本まで読めるようになりました。

母に心から感謝したチャップリンは、5年後には、こんどは兄のシドニーのおかげでカルノ一座という名高い劇団に入ることができました。ここで、チャップリンは、手品、ものまね、曲芸、歌や踊り、パントマイムの練習を重ね、喜劇俳優としての基本をしっかり身につけていったのです。

チャップリンの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブックで公開している「せかい伝記図書館」第17巻 「チャップリン」 をぜひご覧ください。
 

「4月16日にあった主なできごと」

1397年 金閣寺完成…室町幕府3代将軍 足利義満 は、金閣寺の上棟式を行ないました。巨額の資金を投入した3層建で、下から寝殿づくり、武家づくり、仏殿づくりとなっています。1950年に放火による火事で全焼してしまい、1955年に再建されました。1994年、古都京都の文化財として世界遺産に登録されました。

1828年 ゴヤ死去…ベラスケスと並びスペイン最大の画家のひとりである ゴヤ が亡くなりました。

1972年 川端康成死去…「伊豆の踊り子」 「雪国」 など、生きることの悲しさや日本の美しさを香り高い文章で書きつづり、日本人初のノーベル文学賞を贈られた作家 川端康成が亡くなりました。

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